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久しぶりのジュリアード弦楽四重奏団に感動した

1031日、武蔵野市民文化会館小ホールでジュリアード弦楽四重奏団の演奏を聴いた。前半にバッハの「フーガの技法」から、コントラプンクトゥスⅠⅡⅢⅣとハイドンの弦楽四重奏曲作品54-1。後半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番の大フーガのついた形。

 ジュリアード弦楽四重奏団は、ロバート・マンとスミルコフが第一ヴァイオリンを務めていたころに2度聴いた覚えがある。もちろん、ジョセフ・リンに代わってから初めて。素晴らしいと思った。

 ハイドンのこの曲はたぶん初めて聴いた。第三楽章が特徴的。第四楽章もおもしろかった。ハイドンらしい、しっかりとした構成ながら、ユーモアにあふれ、生き生きとした音楽。それを完璧なアンサンブルで再現している。が、最近の若い弦楽四重奏団のように機能ばかりを重視した演奏ではない。うまさを際立たせるような最近の演奏はどうもいけない。私にとっては、このくらいが理想的。楽しく、生き生きとしていて、実にいい。ジョセフ・リンの音もとても美しい。

 ベートーヴェンがことのほか素晴らしかった。研ぎ澄まされてはいるが、潤いはなくしていない。アルバン・ベルク弦楽四重奏団のような嫌味もない。第五楽章は、どこに力点を置いて良いのか難しいと思うが、緊張感が途切れることなく、深い感情を的確に描いていると思った。

 が、何より、大フーガが凄い。それほど荒々しくはないのだが、十分に心の奥底に届く。ベートーヴェンの激しい生が聞こえてくる。

 私はずっと「大フーガ」に感動しながらも、長い間、理解しがたいと感じてきた。が、先日からやっとわかった気になっている。あのフーガの始まりの音楽、あれは生の疼きの音楽なのだと思う。抑えても抑えてもうごめいてくる生の衝動。

ベートーヴェンは、年齢を経て、かつての激しい生の衝動を抑えようとしているのかもしれない。抑え切れて、平穏を得られたように感じる。昇華できたように感じる。だが、なおも心の奥底に生の衝動がうごめいている。何度も抑えようとし、それに成功したように思うが、また衝動がよみがえってくる。が、最後にはどうやら新しい境地に達する。大フーガはそんな音楽だと思う。

ベートーヴェンの死の年齢を超えて、ベートーヴェンよりも年上になった私は、この音楽をそのように感じるようになった。思い込みかもしれないし、浅はかな理解と言えるかもしれないが、そのように考えると実に納得できる。

 その点、今日の演奏は理想的だった。そうした魂の運動がはっきりと感じられた。私自身の心の動きとして、それを感じた。そこに感動した。

 アンコールは、ハイドンの弦楽四重奏曲作品201の第二楽章。ヴィオラのサミュエル・ローズさんが日本語で曲目を告げた。とてもよい曲だったし、アンコールしてくれたことに感謝しているが、私としては、大フーガで終わってくれるほうが嬉しかった。あの感動をそのままにして家に帰りたかった。

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