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IBM管弦楽打のこと、そしてモノオペラ「悲嘆」のテレビ放送のこと

 まだ、ネマニャのファンイベントの興奮が抜けない。「祭りの後」の気分。

 そんな中、多摩大学経営情報学部の諸橋学部長のお誘いで、新宿文化センターでのIBM管弦楽団の演奏会に行ってきた。あのIBMの社員を中心に結成された管弦楽団。ただし、プログラムを見ると、関連会社の人や応援の人も混じっているようだ。結成から20年で、第18回定期公演というから、かなりの歴史。ガラガラかと思って言ったら、ほぼ満員。営業努力にも感嘆。

 曲目は、「ばらの騎士」組曲と、四つの最後の歌。後半は田園交響曲。指揮は新通英洋、ソプラノは松田正恵。かなり腕に自信がないと選ばない曲目ではある。

 アマチュアとしてはかなりのレベルだった。コンサートマスターの音の美しさにびっくり。松田さんの歌もとてもよかった。木管楽器と弦楽器もレベルが高いと思った。一流企業には、楽器をたしなむ人が多いということなのだろうか。指揮も、精度のよくないオーケストラを上手にコントロールしていた。

 が、とはいえ、ネマニャ、パリ管の後にこれを聴くと、やはり粗さを強く感じざるを得ない。

 ところで、朗報を聞いた。今年の9月5日にサントリーホールで上演された三枝成彰さんのモノオペラ「悲嘆」がBS-TBSで放送されるとのこと。6日の27時~28時。つまり、7日の深夜3時からということらしい。また、前日には同じ日に上演されたプーランクの「人間の声」も上演される。その前日(12月4日)の夜には、これらのモノオペラが上演されるまでを描くドキュメンタリーが放映されるとのこと。

 私は、モノオペラ「悲嘆」が大好きだ。ブログにも書いたとおり、世界のオペラ史に残る名作だと思う。傑作ぞろいの三枝さんの作品の中でも、これが群を抜いていると思うし、プーランクの「人間の声」やシェーンベルクの「期待」をしのぐモノオペラだと思う。

 上演当日、テレビ録画されている様子なのを見て、いつ放映されるのかずっと気になっていた。

 ぜひ多くの方に、これらの番組、とりわけ「悲嘆」をご覧になってほしい。そして、このオペラの真価を知ってほしい。

 と言いつつ、ネマニャ来日のため、仕事が停滞して、今、焦りに焦っている。原稿は滞り、授業の準備はできず、そのほかの仕事も止まっている。気合を入れて仕事をしなくてはいけない。

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ネマニャのファンイベント、そしてパーヴォ・ヤルヴィ+パリ管

 今日は、しばらく前から準備をしてきたネマニャ・ファンクラブ「プレピスカ」のイベントの日。

 午前10時に青山のライブハウス「月見ル君想フ」に集合。スタッフの一員として、イベントの準備をした。スタッフ10人ほどであれこれと準備を重ねた。とはいえ、私はほとんど役に立たない。足を引っ張らないように気をつけていただけ。

 12時に会場。12時半にイベント開始。ファンクラブの副会長である日本史コメンテーターの金谷俊一郎氏(東進ハイスクール時代からの仲。奥様とともにネマニャの大ファン!)の司会でイベントが開始された。金谷さんの軽妙なトークが見事。私が会長として挨拶をし、ステージ上でネマニャのこれまでのコンサートについて金谷さんと話をしながら、ネマニャと悪魔のトリルのメンバーの到着を待った。金谷さんのおかげで、ともあれ失敗せずに楽しく話ができた。

 1時少し前にネマニャの一行が到着。すぐにステージに来てくれて、普段着のまま演奏を始めてくれた。ただし、私は自分のしゃべりのことで頭がいっぱいで、残念ながら、実は聴いているどころではなかった。

 演奏については、実は上の空だった。それほど緊張していたということか。確か、最初にネマニャの無伴奏でバッハのパルティータの2番。ジークまで無伴奏で、シャコンヌは悪魔のトリルの5人の伴奏がついた。次に、バスク奇想曲、そして、ミレティチの「ダンス」、ヴィヴァルディの「夏」だったような気がする。

 兵庫と三鷹と王子で聴いた曲だが、改めて、ネマニャの力を思い知らされた。

 クラシック音楽通も、ほとんど初めてクラシックに接する人も、同様にネマニャの音楽に魅入られ、感動する。それほど魂を揺り動かす力を持っている。本当に力のある音楽というものは、音楽通だけを喜ばせるものではないだろう。ネマニャの音楽こそが本当の音楽のあり方だと思う。

 本当は、ファンイベントでもずっとネマニャと悪魔のトリルの演奏を聴いていたいところだが、マネジメント会社との関係でそれはできない。演奏はミニコンサートでおしまいにして、あとはトークを中心にしたイベントに移った。ネマニャと悪魔のトリルのメンバーに、いくつか質問。

前もって参加予定者に募集しておいたネマニャへの質問をぶつけた。私自身のいくつかの質問も加えた。同じく前もって募集しておいた「演奏してほしい曲」もネマニャにぶつけた。ネマニャは誠実に答えてくれた。多くの曲に対して、かつて弾いたことがあるので、日本でも弾きたいという返事だった。ネマニャの人懐こい人柄が現れる。が、また、とても内向的で繊細な面も。

 弾いてほしい曲の一つに、バッハのパルティータ第三番のガヴォットを混ぜておいた。これは私の計略だった。もしかしたら演奏曲のすべてが悪魔のトリルとの合奏かもしれないので、1曲だけでもネマニャの無伴奏を聞きたいと思った。この曲を混ぜておいたら、きっとネマニャは「これだったら、今すぐに簡単に弾けるよ」と言って弾いてくれるのではないかと思ったのだった。

 計略通り、ネマニャは、弾く気になってくれた。が、残念ながら、弓を悪魔のトリルのメンバーが持ち去っていた。そこで、急遽、コントラバスの弓を使って弾いてくれた! しかも、私のすぐ耳元で!! 実はこの曲、私が子どものころ、ヴァオリンを無理やり習わされていたころに弾かされていた記憶がある。自分で弾くのは大嫌いだったが、ネマニャの音で聴くとまさしく至福。

 その後、抽選で当たった人にネマニャ印の手ぬぐいと、ネマニャとのツーショット写真をプレゼントして盛り上がった。そして、ファンクラブからネマニャと悪魔のトリルのメンバーへの手ぬぐいのプレゼント。メンバーの一人が「日本の春2011」の作曲者セドラーさんと連絡を取って受け取った日本の人々とネマニャへのコメントも読み上げられた。

 ネマニャは退出しようとするとき、突然、「参加者全員との集合写真を撮りたい」と言い出した。急遽、ネマニャが客席の中心に入って、全員で記念写真撮影。これにはみんな大喜び。撮影してくれたのは、今林浩一さん。私は存じ上げなかったが、メンバーの一人の友人だということできてくださった高名なカメラマンだ。

 ともあれ、最高のイベントだったと思う。何より、ネマニャが喜んでくれた。お客さんのほとんどもきっと満足してくれたと確信する。

 みんなの前でも語った通り、もっとファンクラブを大きくて強いものにしたい。そして、私たちの力でネマニャのコンサートを開きたい。そして、私たちの手でネマニャのCDを出したい。それだけの力をつけたい。今日、その希望を得ることができた。

 イベント終了後、スタッフで打ち上げ。

 私は途中で抜けて、サントリーホールに向かい、仕事の打ち合わせの後、パーヴォ・ヤルヴィ指揮のパリ管弦楽団のコンサートを聴いた。

 前半は「魔弾の射手」序曲と、諏訪内晶子のヴァイオリンによるメンデルスゾーンのコンチェルト。が、まだ私の耳元ではネマニャのヴァイオリンが鳴っていて、諏訪内さんのヴァイオリンを聞く余裕がなかった。とても清潔で高貴で美しい音だったが、私の耳には入ってこなかった。諏訪内さん、ごめんなさい!

 後半は「幻想交響曲」。これは凄まじい演奏だった。軽めで色彩豊かな音。まさしくフランスの音。しかも、完璧なアンサンブル。全楽器が鳴り響いても、音が濁らず突き抜ける。完璧にコントロールされ、きびきびと、しかもドラマティックに音楽が進んでいく。この曲の第三楽章はどうしても退屈になりがちだが、ヤルヴィにかかるとまったくそんなことはない。スリリングでドラマティックな楽章になっていた。第五楽章の最後は、まさしくおどろおどろしい世界の魅力と音の快楽に酔った。

 おなかいっぱいにまで音楽を味わった一日だった。

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王子ホールのネマニャ

 11月25日、王子ホールでネマニャ・ラドゥロヴィチを中心とする悪魔のトリルのコンサートを聴いた。23日の三鷹市芸術文化センターと同じ曲目。

 深夜になってしまったので、寝る前に少しだけ印象を書いておく。

 三鷹よりも全体的に完成度はずっと高かった。音はいっそう美しくなり、アンサンブルも見事。ただ、その分、荒削りな魅力は少し損なわれた気がした。

 モーツァルトとショーソンの詩曲については、王子ホールのほうがずっと良かった。が、私は、シャコンヌとツィゴイネルワイゼンは、三鷹市のほうに魅力を感じた。王子は、まとまりがよくなりすぎて、お行儀がよくなった印象。ネマニャは少しはみ出しがあったほうが、私は好きだ。

 が、今日もまた圧倒的。恐るべき表現力! 信じられないほど音程のよい美音。そして激しい動き。切れの良い音で激情的に引きまくる。白熱した激烈な演奏なのだが、清潔で知的。しかも、悪魔的。言うことなし。

 明日1時から青山のライブハウスで私たちファンクラブによるイベントがネマニャと悪魔のトリルのメンバーを招いて行われる。楽しみだ。

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三鷹市芸術文化センターでの悪魔のトリル、今日もまた凄まじい演奏

 まだ昨晩の兵庫県立芸術文化センターでのネマニャ・ラドゥロヴィチの凄まじい無伴奏リサイタルの興奮が冷めない中、三鷹に移動して、11月23日、ネマニャを中心とした「悪魔のトリル」の演奏を聴いた。弦楽五重奏のメンバーをバックにして、ネマニャがソロヴァイオリンを弾くスタイル。今年の3月と同じ趣向だが、コントラバスのメンバーが変更になり、曲目はまったく異なる。

 演奏は、ネマニャ・ラドゥロヴィチのほか、ヴァイオリンのギヨーム・フォンタナローザとフレデリック・ドゥシュ、ヴィオラのベルトラン・コス、チェロのアンヌ・ビラニェ、そして、コントラバスのナタナエル・マルヌリーが加わっている。

 曲目は、前半、サラサーテの「バスク奇想曲」、モーツァルトのアダージョとロンド ハ短調 、バッハのシャコンヌの弦楽伴奏版。後半に、セドラルの新作「日本の春・2011」、ショーソンの「詩曲」、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」。アンコールにヴィヴァルディの「四季」と「シンドラーのリスト」の音楽。

 一言で言って、今日も凄まじかった。ネマニャは3月の演奏よりももっとずっと気合を入れて激しく演奏。弓の糸(正確にはどう表現するのかわからないので、糸と呼ぶことにする)がどれほど切れるかが、気合の入れ方のバロメーターだとすると、3月よりも、ずっと糸の切れ具合が激しい。常に弓から糸が数本垂れ下がった状態で弾き、休止ごとにあわてて糸を切っている雰囲気。絡まりはしないかと、見ているほうはかなり気になるが、本人は慣れているせいか、いたって平然と激しく弾きまくる。

本来無伴奏ヴァイオリンのために作曲された「シャコンヌ」の弦楽伴奏版もおもしろかった。ヴァイオリン・パートは原曲通り。それに弦楽五重奏の伴奏が付いている。実にうまく伴奏が付いているのに驚く。違和感はまったくない。ぞくぞくするほど感動的な部分がいくつもあった。

 私はとりわけ、「詩曲」と「ツィゴイネルワイゼン」が気にいった。「詩曲」の耽美的な美音が何とも言えない。細身で音程がびしっと決まっているので、甘美でありながら、実に清潔。ポエムというよりも、ある種の瞑想(メディタシオン)の世界に入るかのよう。「ツィゴイネルワイゼン」は、起伏にあふれ、まさしくジプシー的演奏。身振りが大きくダイナミックで激情的。しかし、音が研ぎ澄まされているので、下品にならず、まさしく聴いている者の魂を揺り動かす。

 私はサラサーテが好きだったことはない。「ツィゴイネルワイゼン」も、若いころは何度か聴いたが、特に感動したことはなかった。が、今回のような演奏を間近で聴くと、度肝を抜かれる。この曲はこんなに深い曲だったのかと初めて思った。「詩曲」についても、これほど魂を揺り動かす音楽だとは、今日まで思わなかった。

「春の日本」については、CDで聴いた時、これが「上を向いて歩こう」をパラフレーズしたものだとは不覚にも気づかなかった。日本的なメロディだとは思ったが、子どものころからはやり歌の類は一切聴かなかった私は、このタイプの曲には疎い。が、言われてみれば、確かに「上を向いて歩こう」だ。が、やはり、ほかのクラシックに比べると、やはり多少、曲のつくりにザツな部分は感じる。

 それにしても、ネマニャの音楽性に改めて驚く。ずば抜けて美しい音、ずば抜けた技巧、そして、聞いている人を揺り動かす躍動感。これほどそろった人はいない。聴いた人は誰もが驚嘆し、感動する。なぜ、メジャーな存在にならないのか不思議でならない。

 今日も素晴らしかったとはいえ、やはり昨日はネマニャとしても特別だった。私はこれまでネマニャのコンサートを10回以上は聴いているが、昨日、最も深く感動した。やはり、ネマニャのソロが聴きたい。

 帰り、新宿まで出て、ファンクラブのスタッフ数人と、26日のファンクラブのイベントについて打ち合わせをした。スタッフの数人も、私と同じように兵庫、三鷹とネマニャを追いかけている。ヨーロッパまでにネマニャのコンサートに行くメンバーもいる。感動を共にする人たちと話をするのは実に楽しい。

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ネマニャ・ラドゥロヴィチの無伴奏に興奮

 11月22日、兵庫県立芸術文化センターまでやってきて、ネマニャ・ラドゥロヴィチの無伴奏ヴァイオリン・リサイタルを聴いた。あまりの凄まじさにまだ興奮している。私は、数人のファンクラブのメンバーとともに、この興奮を味わうために、わざわざ兵庫までネマニャを追いかけてやってきたのだったが、来た甲斐があった。

 演奏家の要望によって休憩なしということで、連続して、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1番、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番、バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番が演奏された。アンコールにパガニーニのカプリースから「悪魔の微笑み」とミレティチの「ダンス」。

 実は、このプログラム、2007年のトリフォニーホールとまったく同じもの(ただし、アンコールのカプリースのみが違う気がする)。だから、今回、東京ではこの曲目が取り上げられず、兵庫でだけの演奏になったのだろう。

 5年前にも圧倒され、驚嘆し、度肝を抜かれたのを覚えている。当時も今回と同じように、弾けば弾くほど弓の糸が切れ続けた。研ぎ澄まされた鋭い音で、魂を揺り動かした。激しいところは激しく、美しいところは美しかった。弓の動きにつられて魂が躍動した。

 だが、私の記憶が確かなら、今回はもっと凄まじい。当時は、激情に任せ、アクセントが強く、波乱万丈の音楽だった。だが、今回は異なる。もっと本質的に鬼気迫るものがある。とりわけ、「シャコンヌ」のすごさときたら!

 少しもあわてずに変奏を重ねて、いやがうえにもひたひたとドラマに向かって盛り上がっていく。音の小さなところにも大きなドラマがある。そして、内なる静かな爆発を起こす。その内面性が圧倒的だ。5年前には、このような内面の深い盛り上がりを感じることはなかった。

 先日、イザベル・ファウストの無伴奏を聴いたとき、心の底で「ファウストのほうが、ネマニャよりもいいかもしれない」と思った。「いくらネマニャでも、このファウストほどのシャコンヌは演奏できないだろう」と思った。ネマニャのほうが激情を表に出す。が、深さにおいて、そして音のリアルさにおいてファウストのほうが上だろうと思った。が、今回聴いてみて、ネマニャはファウストに匹敵する。いや、少なくとも私はファウスト以上に深い感銘を覚えた。ネマニャにファウスト以上の深さを感じた。後半、感動の涙で前が見えないほどだった。

 イザイの2つのソナタも素晴らしかった。2番のソナタは明らかに、ネマニャは死を意識していた。死者への悼みの曲だろう。そして、3番の「バラード」は、死者への悼みを乗り越えて、それをバラードにし、人間参加を歌い上げる曲だろう。もしかしたら、ネマニャは多くの死者を出した後、それを乗り越えようとしている日本へのメッセージとして、この曲を選んだのかもしれない。

 悪魔のトリルというグループで、弦楽五重奏をバックにネマニャが演奏するのもいい。だが、私は彼の無伴奏が好きだ。そして、バッハやベートーヴェンやブラームスなどのドイツ正統の音楽を彼の演奏で聞いてみたい。本格的な曲を持って演奏してくれないだろうか。近いうちに、ファンクラブがこのような演奏会やCDの企画するようになれたら、こんなうれしいことはない。

 ともあれ、久しぶりに、しばらく眠れそうもないほど興奮した。ザルツブルク音楽祭での感動以上。至福の時間だった。

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ネマニャ前夜 千々岩英一の無伴奏ヴァイオリン

 11月21日、武蔵野市民文化会館小ホールで千々岩英一の無伴奏ヴァイオリンのリサイタルを聴いた。曲目は、ピアソラの無伴奏フルートまたはヴァイオリンのための単語・エチュード週より、バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番、エネスコの「ルーマニア風の歌」、ストラヴィンスキー「エレジー」、細川俊夫「ヴァイオリンのための悲歌」、ロックバーグの「カプリース変奏曲」。

 千々岩英一という名前は以前から知っていたが、実際の演奏を聴いたのは初めて。独特の無伴奏だった。技術は達者だが、流麗ではない。私はごつごつした感じを受けた。

バッハの無伴奏の演奏スタイルは、大まかに「草書体」と「楷書体」に分けられる。千々岩さんのスタイルは楷書体だろう。自由に演奏するのではない。だが、そうであるにもかかわらず、しばしば定型の中に納まりきらずに、そこからはみ出そうとする。そこがおもしろい。我の強さのようなものが現れる。バッハの最後の曲は躍動感があり、我の強さがうまく現れて素晴らしかった。

後半の曲は、細川俊夫の曲がおもしろかった。ストラヴィンスキーよりもおもしろかった。おもしろかったと言っては失礼かもしれない。まさしく悲歌。悲痛な思いが込められ、しかも美しい。現代曲になじみのない私のような人間にも、感動して聴ける。ロックバーグという現代アメリカの作曲による「カプリース変奏曲」もおもしろかった。パガニーニのカプリースのほか、ベートーヴェンなどの曲が引用される。

アンコールはバッハの無伴奏ソナタ3番。しみじみとした演奏だったが、千々岩さんは、むしろもっと躍動するバッハを独特の表情で演奏してくれるほうが私は感動できると思った。

明日から、私にとってのネマニャ週間が始まる。午前中に兵庫に向かって出発。ファンクラブのお茶会に参加して、その後、兵庫芸術文化センターでのネマニャによる無伴奏ヴァイオリンのリサイタルを聴く。それから、ほとんど毎日ネマニャを聴くことになる。

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ラザレフと日フィルのブラームス4番など

11月19日、大学で仕事をした後、車で大雨の中を横浜みなとみらいホールに出かけ、アレクサンドル・ラザレフ指揮、日本フィルハーモニーの演奏を聴いた。前半は、ピーター・ウィスペルウェイのチェロが加わって、ドヴォルザークのチェロ協奏曲、後半はブラームスの交響曲第4番。

 S席を買ったのに、2階の後ろから二番目という席。デッドな音。しかも、なぜか後ろからシャリシャリ音がかすかに聞こえてくる。客の出す音ではない。金属の近くにいるときに、反響で聞こえるような音。初めは耳のせいかと思ったが、そうではない。後ろの壁が反響するのかもしれない。気になって仕方がなかった。

 そのせいかもしれないが、ドヴォルザークには感動できなかった。それに、ラザレフもウィスペルウェイも、あまり情緒的なタイプではないので、ドヴォルザークの憂いに満ちた感情が浮かび上がってこない。ラザレフの音楽も、おとなし目で、遠慮がち。もちろん、それなりにしっかりとした構成の音楽にはなったが、盛り上がりを欠いたと私は思った。やはりドヴォルザークは、郷愁にあふれた音楽が鳴り響き、憂いや懐かしさを覚え、心の中に葛藤が生まれないと、あまりおもしろくならない。少なくとも、私の好きな演奏ではなかった。

 ウィスペルウェイのアンコールで、バッハの無伴奏チェロ組曲の第6番からサラバンド。だが、あまりにゆっくりと、そしてかなり草書風に演奏。遅すぎて、私には違和感があった。ウィスペルウェイはラ・フォル・ジュルネで何度か聴いたが、どうも出来不出来の差の大きい人だと思う。今回は、私に言わせれば、不出来の回だった。

 休憩時間に席を移った。4席ほど横にずれただけだが、反響音は聞こえなくなった。

 ブラームスの4番はとてもよかった。第1楽章の冒頭からして、オーケストラがうねり、音が重なりあい、微妙に強弱が生まれて、実にいい。かなり細かく音をいじっているが、嫌味ではない。無作為にいじっているように見えて、じつに整理されており、音楽が生きてくる。ブラームス特有の哀愁とか諦観といったものはあまり感じないが、音の重なりとして、実に見事。第3楽章と第4楽章が特によかった。ブラームスはドヴォルザークと異なって、論理的な演奏でも、いや、むしろそうであるからこそ、深く感動する。これはこれで本当に素晴らしい。アンコールは、ハンガリー舞曲第21番。

 土砂降りの中を車で帰ってきた。一部で、道路が川のようになっているところがあった。

 

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ネマニャ・ラドゥロヴィチ週間が近づく!

 私は、ネマニャ・ラドゥロヴィチのファンクラブ「プレピスカ」(この若きヴァイオリニストの故郷であるセルビアの言葉で「交流」を示す)の会長をしている。昨年からファンクラブ結成を呼び掛け、今年の春に結成したのだった。現在では、優秀なスタッフのおかげで会は着実な活動を行っている。

そのネマニャが来週22日の兵庫県立芸術文化センターでのリサイタルを皮切りに、東京でも何回かコンサートを行う。私は22日から1週間、彼を追いかけることになる。26日の午後には、私たちのファンクラブでも、ネマニャに来てもらい、ミニコンサートをファンとの交流を行うイベントを予定している。

127  そのネマニャのCDが昨日、やっと届いた。「五季 the 5 Seasons」と題されたもので、ヴィヴァルディの「四季」と、もう一曲、アレクサンダー・セドラー作曲の「日本の春」という新曲が含まれている。

 ヴィヴァルディの四季は、今年の春の私たちが開いた3月のファンイベントで聴いた時の記憶の蘇る演奏だった。

 私が初めてネマニャの演奏を聞いたのは2007年ナントでのことだった。ネマニャは1985年10月の生まれなので、当時まだ21歳だったはず。彼の演奏は、激しいリズムにあふれ、劇的で激情的で白熱していた。当時から研ぎ澄まされた音だったが、それ以上に聴く者の身体を揺り動かし、魂を揺さぶる激情性が印象的だった。

が、今年の春に聞いた26歳のネマニャは、かなりの変貌を遂げているように思えた。ひとことでいえば、もっとずっと研ぎ澄まされた音になっていた。この上なく透明で硬質な音といってよいかもしれない。今年の春は、悪魔のトリルと呼ばれる弦楽5重奏団を従えての演奏だったが、弦楽器の音によるキャンバスに、ネマニャの鋭くて透明な一筆によって人間の魂、音楽の魂が揺れ動いているかのような印象を受けた。

 今回のCDは、録音であるがゆえにいっそう研ぎ澄まされた冷静さが奥にある。しかも、そのような音によって白熱した演奏を行う。「白熱」という言葉はふさわしくないかもしれないが、ほかに思いつかないので、とりあえず白熱と呼ぶことにする。鋭くて透明で研ぎ澄まされた音による白熱は、熱を帯びるというよりも、神秘的というほうがふさわしい。どこまでも透明でどこまでも研ぎ澄まされた音による魂の奥の蠢きをえぐり出すようなドラマティックな音楽。若きネマニャの白熱も素晴らしかったが、大人になったネマニャの神秘的で冷静な白熱も魂に刺さる。

今回のCDの「春」の第一楽章からネマニャの世界が広がる。雄大でドラマティック。しかも限りなく美しい。とりわけ私が好きなのは「夏」だ。第一楽章のけだるさから嵐へと向かう部分がまず圧巻。暑い夏の中に、冷たい風が吹き抜け、それが嵐になっていく。びしっと焦点のあった写真を見るかのような明晰さの中に神秘の白熱がある。この人はこんなに若いのに、これほど人生をわかっているのか!と驚いてしまう。少年時代に戦争を体験し、肉親を失ったというが、それが音にも反映しているかもしれない。

 セドラー作曲の「日本の春」は、ネマニャの依頼によって作曲されたもの。とはいえ、平和な春の歌ではない。まさしく3・11の津波とその後の日本へのメッセージを表明した音楽だ。

ライナーノーツに次のように書かれている。(かつてフランス語を学んだので、フランス語から訳そうとしたが、ちょくちょくわかりにくい個所があった。英訳の文章も載せられており、そのほうがわかりやすかったので、わかりにくいところは英訳を参照しながら日本語に改める。ただし、あまり翻訳技術は用いないで、直訳にする。久しぶりの翻訳なので、誤訳があったらご容赦を!)

ヴィヴァルディの「四季」の補足として、ネマニャは同国人であるアレクサンドル・セドラーAleksandar Sedlar 作曲の「春の日本」を録音した。これは、彼のために作曲されたものであった。ネマニャは、今年の3月、日本に滞在していた。CNNで津波の映像を目にして、アレクサンダーに電話をかけ「ぼくは無力だけど、何かをしたくなった。ぼくは、この国に結び付けられている。この国の人々は素晴らしいと思うんだ」と話したのだった。こうして、「日本の春」が誕生したのだが、この曲はまた気候変動に対する彼の懸念にこたえるものでもある。「第一部は恋の歌であって、日本の影響を受けている。ついで津波を前にしたサイレンの鋭いテーマがヴァイオリンによって現れる」。次に「大惨事の後のような」完璧な平穏がやってくる。そして、超絶技巧によって幸せへの希望を語るフィナーレになる。ネマニャにとって、アレクサンダー・セドラーの偉大なところは、聞いてすぐに耳に残るこのフィナーレのような、誰にとっても普遍的な訴えかけの音楽を書けることだ。

 日本的な音調で始まり、サイレンを模した音が聞こえ、津波が暗示される。そして最後には希望にあふれた音楽に変化する。それをネマニャが鋭いヴァイオリンが描き出していく。名曲かどうかはわからない。ただ、日本、そして日本の津波が西洋人にこのような印象を与えたことを考えさせられる。日本人へのオマージュであり、励ましでもあるだろう。そして何よりも、私たちとともに生きようというメッセージだろう。まさしく、私たちのファンクラブの名称にある通りの「プレピスカ」(交流)!

 ともあれ、来週はネマニャ週間になる。体調に気をつけたい。

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イブラギモヴァの素晴らしいバッハ無伴奏

 11月15日、HAKUJU HALLでアリーナ・イブラギモヴァの無伴奏ヴァイオリン・パルティータの第1・2・3番を聴いた。素晴らしい演奏。

 まず、かわいらしい容姿にびっくり。ベートーヴェンのソナタ全集のCDを聴いて、なかなか良い演奏なので、実演を聴いてみたいと思ったのだったが、こんなにかわいらしい女性だとは思っていなかった。1985年ロシアの生まれというから、まだ20代。ロシア的な体格の良い美人というのではなく、まさにかわいらしいお嬢さん。そこから出てくる音も、とても自由で自然でのびのびしている。

いずれの曲も、どちらかというといわゆる草書風の演奏スタイルで始まるが、ダイナミックなところもあり、強靭なところもあって、だんだんと音楽が深まっていく。モダン楽器を使っていると思うが、古楽器風の演奏法を取り入れているようだ。

パルティータ第1番のクーラントのダブルの部分のあまりの速さにびっくり。だが、まったく乱れることがなく、爽快に音楽を進めていく。刻まれる音の一つ一つが実に美しい。しかも、繰り返しの部分がニュアンス豊か。平板にならずに、美しき聴かせてくれる。

 とはいえ、私は第1番よりも第2番のほうが気にいった。ここでも草書風の自由な雰囲気で始まって、だんだんと速くなり、まただんだんと音が深まっていく。ジーグの部分でダイナミックになって、いよいよシャコンヌ。

深くてダイナミックなシャコンヌだった。大きく流動し、ここぞというところで激しく突き刺さる。ただ、ちょっと音が裏返ったところがあったのは残念。それに、私の個人的趣味としては、もっと大宇宙に迫っていくような迫力がほしかった。とはいえ、20代の少女がこれだけ深い音楽を作っていること自体、ほとんど驚異。何度も私は深く心に刺さる部分があった。

第3番は第2番よりももっと良かった。伸びやかで明るく、チャーミング。この曲の明るさを実にうまく描き出している。少なくとも今の時点では、この曲のほうが彼女に合っていると思った。高音が実に美しく、透き通っている。

 ともあれ、実に満足。これからも追いかけて聞きたいヴァイオリニストの一人だ。

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イチジクの木は生きていた

 前にもこのブログに書いたとおり、我が家にはイチジクの木がある。大分県の母の実家にあったものを接ぎ木したもので、今年はいくつもの実をつけていた。ところが、9月の台風で幹の一つが倒れたので、その幹の根本から切った。もう一本の幹はかろうじて残ったが、その後、元気をなくしていた。いくつかの枝が折れ、枯れた葉が目立ち、膨らみつつあった実もそのまま成長を止めた。もしかして、このまま立ち枯れになるのか、実はそのまま腐るのだろうか。そう思っていた。

 ところが、どういう現象なのかはわからないが、一か月以上たって、どうやら気は元気を取り戻したらしい。枯れた葉に交じって、元気な葉がそのまま残っている。そして、実が再び膨らみ始め、1週間ほど前から熟すようになった。9月に比べて、ちょっと味が落ちる気がするが、それでも食べられないことはない。もちろん私以外の家族は誰も食べないので、私一人で食べている。

 まずは来年もまた、実をつけてくれそう。安心している。

 このところ、音楽のことばかりをブログに書いてきた。それ以外の近況を少しまとめておこう。

 11月9日の夜、幼馴染であり、現在、大学の同僚でもある久恒啓一氏の家族と私の家族の合計8人で会食。久恒一家はとても素晴らしい人たちで、とても愉快。町田駅付近の「井の上」という店。とてもおいしかった。ここでは、関アジをたべることができる。

 とても気に入ったので、12日にも町田市のホテルに宿泊中の別の知人とここを訪れた。この日も実にうまかった。二人での話もとても楽しかった。

 昨日(13日)は、午前中は多摩大学主催の「私の志」小論文コンテストの表彰式に出席。一応私は審査委員長ということになっている。優秀な小論文がいくつも寄せられ、とても頼もしかった。いつものことながら、優れた文章を書いた受賞者の高校生が、文章の質に比べてあまりに若いので驚いた。

 審査委員長としての挨拶をしたが、15分の予定なのに10分で終わってしまい、みんなに迷惑をかけてしまった。

 実は私のスピーチはいつも短い! 結婚式のスピーチなども、ときには、私を紹介する司会者の言葉のほうが私のスピーチよりも長いほど。乾杯の音頭を頼まれても、ほとんどの場合、私は単に「○○を祝して、乾杯」としか言わない。昨日も必死に引き延ばしたつもりだったが、10分しかもたなかった。なぜ、お歴々があんなに長くスピーチできるのか、私は不思議でならない。つくづく、私は人の上に立つ人間になるようにはできていないのだと思う。

 受賞者や審査員とともに懇親会に出席して、昼食。午後は夕方まで多摩大学のオープンキャンパスでの仕事。かなり疲れて家に帰った。

 夜は、中日対ソフトバンクの日本シリーズ第2戦をテレビで見た。私は落合ファンなので、とても気分がよかった。ほれぼれするような采配。疲れていたので、すぐに寝た。

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ヨランダ・アウヤネは大歌手だった

 11月10日、武蔵野市民文化会館小ホールでスペインのソプラノ歌手ヨランダ・アウヤネによるリサイタルを聴いた。ピアノは、フリオ・アレクシス・ムニョス。素晴らしかった。期待をはるかに超えた素晴らしさ!! いや、それどころか、世界最高レベルといって間違いない素晴らしさ!!

 前半はスペイン歌曲。モンポウ、アルフテル、トゥリーナ、グラナドスなどの作曲家による作品。グラナドス以外は名前を聞いたこともなかった。が、いずれもおもしろい。後半は、「アンナ・ボレーナ」、「イル・トロヴァトーレ」「ドン・ジョヴァンニ」「つばめ」「椿姫」などのアリア。

 大変な美貌の持ち主で、かなり若い。だから、声の面ではこれからの人かと思っていたら、そんなことはない。すでに完成されている。強靭な美声で音程がしっかりしている。ヴィブラートが少なく清潔感が漂う。歌い回しも堂々たるもの。初めて聴くスペイン歌曲なのに、何度も深く感動した。歌の気分に合わせて、聴く側もうきうきしたり、深く沈潜したり。感情を実に自然に操ってくれる。

それにしても、スペイン語の影響なのか、伝統的なスペインの歌の影響なのか、フラメンコなどで聴き慣れた独特の節回しがあちこちで出てきて、おもしろい。そして、スペイン的な開放的でありながらも強い意志が感じられる。

 後半のイタリアオペラもまったくもって素晴らしい。「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・アンナの歌もしっかりした音で、実に迫力がある。「椿姫」の「ああそはかの人か」と「花から花へ」はとりわけ絶品。強い声は会場中に響き渡る。声の美しさ、容姿の美しさ、歌い回しの見事さ、すべてにおいて、もしかしたらネトレプコに匹敵するかもしれないと思った。

 アンコールは3曲、いずれもスペインの曲のようだった。興奮するほどすごい。

 ピアノも歌に負けずに素晴らしかった。スペイン的というのか、とても明朗な音。くぐもったところがない。が、それでいて、実に繊細。研ぎ澄まされた美しい音なのだが、味わいがある。歌にもぴったりと合っている。

 この歌手、これから世界をリードする大歌手になる人だと思う。武蔵野市民文化会館で取り上げられる歌手たちのレベルの高さに改めて驚いた。これだから、このホールでのコンサートに通うのをやめられない。

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多摩大学学園祭の催し、そしてネゼ=セガンのブルックナーCD

 昨日から多摩大学の学園祭である雲雀祭が開かれ、私のゼミでは、昨年同様、音楽カフェを開いている。演奏をお願いしたのは、多摩フィルのメンバーでもあるファゴットの湯本真知子さんとクラリネットの村田明日香さん。そして、カフェを運営するのは多摩大学樋口ゼミの学生たち。私はと言えば、学生の手伝いといったところ。学生におうかがいを立て、その指示に従って、車を運転して演奏家たちの送り迎えをしたり、物を運んだり。主役はもちろん演奏家とゼミ生だ。

 ジブリの曲、「アンパンマン」の曲、日本の歌などとともに、ベートーヴェンのクラリネットとファゴットのための二重奏曲WoO27-2やモーツァルトの曲も。ベートーヴェンの曲は初めて聴いたが、なかなかおもしろかった。曲想から考えてかなり初期のものだと思う。モーツァルトを思わせるような曲調だった。

 本日も13時から、2回にわたって演奏が行われる。本日も同じメンバーで、プーランクのクラリネットとファゴットのためのソナタも予定されている。楽しみだ。

575  ところで、ネゼ=セガンとオルケストル・メトロポリタン・デュ・グラン・モントレオール(英語風に言うと、グランド・モントリオール・メトロポリタン・オーケストラ?)のブルックナーの7番、8番、9番を聴いた。実を言うと、期待ほどではなかった。

 私は、この指揮者の最大の魅力はディオニュソス的な激情にあると思っている。全体的には極めて知的なアプローチなのだが、その中に暗黒の何か、言葉にできない凄味のようなものが感じられる。黒光りする悪とでもいうような、生の核心的なものを感じる。ザルツブルク音楽祭で見た「ドン・ジョヴァンニ」、CDで聴いたフランクの交響曲や「英雄の生涯」などにそれを強く感じた。

 知的なだけでは物足りない。激しいだけでもつまらない。ところが、ネゼ=セガンには、知的でありながら、ガツンとくるものがある。素人なので、具体的には指摘はできないが、感覚としてそのようなものを感じる。

 そして、それを求めてブルックナーを聴いてみた。もちろん、悪い演奏ではない。かなり遅めのテンポでじっくりとブルックナーの世界をたどっていく。丁寧で知的で実に深い。が、肝心のガツンというものをあまり感じなかった。7番については、それぞれの楽章の最後の部分に激しい高揚がある。まさしく私の求めていたものだ。7番が一番良かった。ただ、もっとあちこちでそうした高揚を感じたかった。そして、私の大好きな8番と9番に、それがあまり感じなられなかった。

巨大な曲をしっかりと演奏することを心がけて、まだ十分にネゼ=セガンらしさが現れていないというべきか。

ちょっと失望したが、もちろん私のネゼ=セガンに対する期待に変わりはない。これからもしばらく追いかけてみたいと思っている。

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エベーヌ弦楽四重奏団の圧倒的な演奏に感動

 11月1日、武蔵野市民文化会館でエベーヌ弦楽四重奏団の演奏を聴いた。前半にモーツァルトの弦楽四重奏曲第19番「不協和音」とボロディンの弦楽四重奏曲第2番。後半にブラームスの弦楽四重奏曲第2番イ短調。凄まじい演奏。連日の武蔵野市民文化会館での弦楽四重奏のコンサートだったが、どちらも素晴らしかった。今日のほうが、昨日よりも一層感銘を受けた。

 精密で研ぎ澄まされていて、音程がびしっと決まってアンサンブルが完璧。が、ひところはやったような、技術をひけらかすタイプではない。繊細で圧倒的に美しい。ショーソン・トリオやモディリアニ弦楽四重奏団ら、フランスの若い演奏家たちと似たスタイルの演奏といっていいだろう。

 エベーヌヌ弦楽四重奏団は、2006年と2007年のラ・フォル・ジュルネでモーツァルト、フォーレやバルトークを聴いた。何の演奏の時だったか、感動してサインをもらった記憶がある。が、それ以上の圧倒的な団体になっていた!

 モーツァルトが始まったときには素晴らしいと思ったが、コンサートを聴き終わった後では、モーツァルトが一番、感銘度は薄かったかもしれない。研ぎ澄まされた音なので、ちょっときつくなりすぎるきらいがある。ただ第三楽章の短調の部分の悲しみと美しさは比類がなかった。

ボロディンは文句なくすばらしかった。第三楽章の美しさもさることながら、全体的に香りにあふれていた。ロシアの香りというのとは違うと思う。もっとずっと繊細。あまり土臭くない。だが、それはそれでみごと。弦と弦の繊細なからみが何とも言えない。ボロディンのこの曲、たぐいまれな名曲だと、改めて思った。

 後半のブラームスはとりわけ圧倒的だった。前半の2曲は美しさや繊細さ、悲しさが前面に出ており、迫力という点では不足していたが、ブラームスは徐々に熱してきて、まさしくドラマティック。音と音が重なりあい、興奮を呼び、胸が高鳴ってくる。これこそ現代のブラームス演奏だと思った。一昔前のブラームス演奏に比べて、もやもやしたところがなく、芯が強くて筆致が鋭い。が、そうでありながら、ブラームスらしい抒情がある。なにはともあれ、一つ一つの音があまりに美しい。私は大いに感動した。

 ところで、観客にマナーについて考えさせられることがあった。

 私の斜め左前に40歳前後に見える男性が座っていた。3曲ともスコアを見ながら聴いていた。その男性、私の右隣に座っていた初老の男性の咳払いが気になるらしく、何度も振り返って睨みつけていた。初老の男のほうはそれにまったく気付かないようで、相変わらず音を出し続けていた。

 で、私はというと、実は右隣の初老の男はそれほど気にならず、それよりも、むしろスコア男のほうをずっと迷惑に感じていたのだ。確かに右隣の初老の男の声も気にならないわけではない。だが、目の前でスコアを開かれて、白いページがちらちらするのはそれ以上に気になる。ページを繰る手の動きも気が散る。ページをめくる音も時々聞こえる。初老の男が咳払いをするごとにその男がいちいち振り返るのも気になる。が、もちろん、そのスコア男は自分が他人の迷惑になっているなどとは、まったく思ってもいないのだろう。

 人間、他人を迷惑に思うばかりで、自分が人様の迷惑になっているなどとはまったく思わずにいるものなのかもしれない。私ももしかすると、誰かほかの人に迷惑に思われていたのかもしれない。そう思うと怖くなる。

 ともあれ、満ち足りた気持ちで会場を後にした。エベーヌ弦楽四重奏団はこれからの時代を担うことだろう。頼もしい限り。

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