多摩大学学園祭の催し、そしてネゼ=セガンのブルックナーCD
昨日から多摩大学の学園祭である雲雀祭が開かれ、私のゼミでは、昨年同様、音楽カフェを開いている。演奏をお願いしたのは、多摩フィルのメンバーでもあるファゴットの湯本真知子さんとクラリネットの村田明日香さん。そして、カフェを運営するのは多摩大学樋口ゼミの学生たち。私はと言えば、学生の手伝いといったところ。学生におうかがいを立て、その指示に従って、車を運転して演奏家たちの送り迎えをしたり、物を運んだり。主役はもちろん演奏家とゼミ生だ。
ジブリの曲、「アンパンマン」の曲、日本の歌などとともに、ベートーヴェンのクラリネットとファゴットのための二重奏曲WoO27-2やモーツァルトの曲も。ベートーヴェンの曲は初めて聴いたが、なかなかおもしろかった。曲想から考えてかなり初期のものだと思う。モーツァルトを思わせるような曲調だった。
本日も13時から、2回にわたって演奏が行われる。本日も同じメンバーで、プーランクのクラリネットとファゴットのためのソナタも予定されている。楽しみだ。
ところで、ネゼ=セガンとオルケストル・メトロポリタン・デュ・グラン・モントレオール(英語風に言うと、グランド・モントリオール・メトロポリタン・オーケストラ?)のブルックナーの7番、8番、9番を聴いた。実を言うと、期待ほどではなかった。
私は、この指揮者の最大の魅力はディオニュソス的な激情にあると思っている。全体的には極めて知的なアプローチなのだが、その中に暗黒の何か、言葉にできない凄味のようなものが感じられる。黒光りする悪とでもいうような、生の核心的なものを感じる。ザルツブルク音楽祭で見た「ドン・ジョヴァンニ」、CDで聴いたフランクの交響曲や「英雄の生涯」などにそれを強く感じた。
知的なだけでは物足りない。激しいだけでもつまらない。ところが、ネゼ=セガンには、知的でありながら、ガツンとくるものがある。素人なので、具体的には指摘はできないが、感覚としてそのようなものを感じる。
そして、それを求めてブルックナーを聴いてみた。もちろん、悪い演奏ではない。かなり遅めのテンポでじっくりとブルックナーの世界をたどっていく。丁寧で知的で実に深い。が、肝心のガツンというものをあまり感じなかった。7番については、それぞれの楽章の最後の部分に激しい高揚がある。まさしく私の求めていたものだ。7番が一番良かった。ただ、もっとあちこちでそうした高揚を感じたかった。そして、私の大好きな8番と9番に、それがあまり感じなられなかった。
巨大な曲をしっかりと演奏することを心がけて、まだ十分にネゼ=セガンらしさが現れていないというべきか。
ちょっと失望したが、もちろん私のネゼ=セガンに対する期待に変わりはない。これからもしばらく追いかけてみたいと思っている。
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コメント
つくった器が大きすぎたということでしょうか。ただこの人8番ではあえてそうやった気がするのです。若き日のビェロフラーベクがたまにやってたことですが、でかい器をつくって盛り込むだけ盛り込み、その中でまず全体を見通し、細部を凝らしていくというやり方ですが、これやると音楽の楼閣感みたいなものが希薄になる欠点と、力が散漫になる欠点があります。今回は力を込めて盛り込めなくなるものがでるよりも、盛り込むだけ盛り込んでやってみようという、ややリスクをともなうやり方をとったセガンの姿勢を、自分は高く評価してたいです。あとはどうこの大きな器に盛り込むものが増えていくのか、その円熟と成長に期待したいです。
投稿: かきのたね。 | 2011年11月 7日 (月) 02時03分
かきのたね様
コメント、ありがとうございます。
おっしゃる通り、作った器が大きすぎたということだと思います。私は、そのためにもてあましていると感じたのですが、確かに意図的なのかもしれません。
いずれにしましても、おそらくこれからブルックナーを演奏するごとに、徐々に豊かさが増し、ディオニュソス的なものも爆発することになってくるでしょう。それを期待したいものです。
投稿: 樋口裕一 | 2011年11月 9日 (水) 00時32分