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ネマニャ・ラドゥロヴィチの無伴奏に興奮

 11月22日、兵庫県立芸術文化センターまでやってきて、ネマニャ・ラドゥロヴィチの無伴奏ヴァイオリン・リサイタルを聴いた。あまりの凄まじさにまだ興奮している。私は、数人のファンクラブのメンバーとともに、この興奮を味わうために、わざわざ兵庫までネマニャを追いかけてやってきたのだったが、来た甲斐があった。

 演奏家の要望によって休憩なしということで、連続して、バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1番、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番、バッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番が演奏された。アンコールにパガニーニのカプリースから「悪魔の微笑み」とミレティチの「ダンス」。

 実は、このプログラム、2007年のトリフォニーホールとまったく同じもの(ただし、アンコールのカプリースのみが違う気がする)。だから、今回、東京ではこの曲目が取り上げられず、兵庫でだけの演奏になったのだろう。

 5年前にも圧倒され、驚嘆し、度肝を抜かれたのを覚えている。当時も今回と同じように、弾けば弾くほど弓の糸が切れ続けた。研ぎ澄まされた鋭い音で、魂を揺り動かした。激しいところは激しく、美しいところは美しかった。弓の動きにつられて魂が躍動した。

 だが、私の記憶が確かなら、今回はもっと凄まじい。当時は、激情に任せ、アクセントが強く、波乱万丈の音楽だった。だが、今回は異なる。もっと本質的に鬼気迫るものがある。とりわけ、「シャコンヌ」のすごさときたら!

 少しもあわてずに変奏を重ねて、いやがうえにもひたひたとドラマに向かって盛り上がっていく。音の小さなところにも大きなドラマがある。そして、内なる静かな爆発を起こす。その内面性が圧倒的だ。5年前には、このような内面の深い盛り上がりを感じることはなかった。

 先日、イザベル・ファウストの無伴奏を聴いたとき、心の底で「ファウストのほうが、ネマニャよりもいいかもしれない」と思った。「いくらネマニャでも、このファウストほどのシャコンヌは演奏できないだろう」と思った。ネマニャのほうが激情を表に出す。が、深さにおいて、そして音のリアルさにおいてファウストのほうが上だろうと思った。が、今回聴いてみて、ネマニャはファウストに匹敵する。いや、少なくとも私はファウスト以上に深い感銘を覚えた。ネマニャにファウスト以上の深さを感じた。後半、感動の涙で前が見えないほどだった。

 イザイの2つのソナタも素晴らしかった。2番のソナタは明らかに、ネマニャは死を意識していた。死者への悼みの曲だろう。そして、3番の「バラード」は、死者への悼みを乗り越えて、それをバラードにし、人間参加を歌い上げる曲だろう。もしかしたら、ネマニャは多くの死者を出した後、それを乗り越えようとしている日本へのメッセージとして、この曲を選んだのかもしれない。

 悪魔のトリルというグループで、弦楽五重奏をバックにネマニャが演奏するのもいい。だが、私は彼の無伴奏が好きだ。そして、バッハやベートーヴェンやブラームスなどのドイツ正統の音楽を彼の演奏で聞いてみたい。本格的な曲を持って演奏してくれないだろうか。近いうちに、ファンクラブがこのような演奏会やCDの企画するようになれたら、こんなうれしいことはない。

 ともあれ、久しぶりに、しばらく眠れそうもないほど興奮した。ザルツブルク音楽祭での感動以上。至福の時間だった。

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