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イチジクの木は生きていた

 前にもこのブログに書いたとおり、我が家にはイチジクの木がある。大分県の母の実家にあったものを接ぎ木したもので、今年はいくつもの実をつけていた。ところが、9月の台風で幹の一つが倒れたので、その幹の根本から切った。もう一本の幹はかろうじて残ったが、その後、元気をなくしていた。いくつかの枝が折れ、枯れた葉が目立ち、膨らみつつあった実もそのまま成長を止めた。もしかして、このまま立ち枯れになるのか、実はそのまま腐るのだろうか。そう思っていた。

 ところが、どういう現象なのかはわからないが、一か月以上たって、どうやら気は元気を取り戻したらしい。枯れた葉に交じって、元気な葉がそのまま残っている。そして、実が再び膨らみ始め、1週間ほど前から熟すようになった。9月に比べて、ちょっと味が落ちる気がするが、それでも食べられないことはない。もちろん私以外の家族は誰も食べないので、私一人で食べている。

 まずは来年もまた、実をつけてくれそう。安心している。

 このところ、音楽のことばかりをブログに書いてきた。それ以外の近況を少しまとめておこう。

 11月9日の夜、幼馴染であり、現在、大学の同僚でもある久恒啓一氏の家族と私の家族の合計8人で会食。久恒一家はとても素晴らしい人たちで、とても愉快。町田駅付近の「井の上」という店。とてもおいしかった。ここでは、関アジをたべることができる。

 とても気に入ったので、12日にも町田市のホテルに宿泊中の別の知人とここを訪れた。この日も実にうまかった。二人での話もとても楽しかった。

 昨日(13日)は、午前中は多摩大学主催の「私の志」小論文コンテストの表彰式に出席。一応私は審査委員長ということになっている。優秀な小論文がいくつも寄せられ、とても頼もしかった。いつものことながら、優れた文章を書いた受賞者の高校生が、文章の質に比べてあまりに若いので驚いた。

 審査委員長としての挨拶をしたが、15分の予定なのに10分で終わってしまい、みんなに迷惑をかけてしまった。

 実は私のスピーチはいつも短い! 結婚式のスピーチなども、ときには、私を紹介する司会者の言葉のほうが私のスピーチよりも長いほど。乾杯の音頭を頼まれても、ほとんどの場合、私は単に「○○を祝して、乾杯」としか言わない。昨日も必死に引き延ばしたつもりだったが、10分しかもたなかった。なぜ、お歴々があんなに長くスピーチできるのか、私は不思議でならない。つくづく、私は人の上に立つ人間になるようにはできていないのだと思う。

 受賞者や審査員とともに懇親会に出席して、昼食。午後は夕方まで多摩大学のオープンキャンパスでの仕事。かなり疲れて家に帰った。

 夜は、中日対ソフトバンクの日本シリーズ第2戦をテレビで見た。私は落合ファンなので、とても気分がよかった。ほれぼれするような采配。疲れていたので、すぐに寝た。

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