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2011年もあと1日

 2011年もあと1日になった。

 執筆の仕事が重なって、12月は大忙しだった。以前に買ったチケットがあったので、コンサートには通っていたが、自宅にいる間はずっと原稿を書いており、自宅で音楽を聴く時間をほとんど作れなかった。正月もずっと部屋にこもって原稿を書くことになりそうだと覚悟していたが、ここ数日、かなり捗ったので、とりあえず、正月中はそれほど無理をしなくても済みそう。

 正月中は、買いためたCDやDVD、録画したオペラや映画を少しずつ見たい。とはいえ、正月明けに終わらせなければならない仕事がいくつかあるので、これからも、それほどのんびりはできそうもない。

 大震災の年で、日本は大きく揺らいだが、私個人にとっては、娘の就職が決まり、ザルツブルク音楽祭を見ることができ、家族も全員、健康に過ごすことができて、決して悪い年ではなかった。

 数えてみたら、ラ・フォル・ジュルネのコンサートを含めて、これまでに今年、143のコンサートやオペラを聴いたことになる。明日の大晦日にも、今年最大の長時間コンサートを聴くので、合計144ということになる。おそらく私のこれまでの人生で最高記録!

 実は少し反省している。ちょっとコンサートに行きすぎている!! コンサート通いのせいで仕事が捗らない。もう少し仕事に精を出して、良い本を書き、いろいろと勉強もしたいのだが、コンサートのために、その時間が作れない。来年はコンサート通いの回数を減らして、仕事を充実させたい。これまで書かなかったジャンルの本も書きたいと思っている。

 

 ここ数日で、最も感動したのは、家族で食べた夕食だった。

 28日、仕事の打ち合わせがてら忘年会をしようと予定していたが、相手が風邪をひいたとのことで、家族を誘って多摩市のフランス料理の店エル・ダンジュに行った。とてもおいしいので贔屓にしている店だが、今回も実においしかった。オマール海老も牛肉も白子も最高! 別のメニュを食べた家族も全員が大満足。リーズナブルな値段でこれほどおいしい料理を出してくれる店を、私はほかに知らない。

 今日はあまり自宅で音楽を聴かずにおこうと思う。明日、長時間にわたって聴くことになるので。明日に備えて、体調を整えておきたい。

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やっぱり私はスクロヴァチェフスキが苦手 N響の第九

 12月26日、NHKホールでスタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮、NHK交響楽団の第九演奏会を聴いてきた。やはり、私はスクロヴァチェフスキのよさがわからない。

 前にもこのブログで書いたとおり、私はスクロヴァチェフスキが苦手だ。が、この指揮者を高く評価する人が多い。前回、ブルックナーを聴いて、これまで聴いたこの人の演奏ではかなり良かったので、今回、ベートーヴェンの第九を聴いてみたいと思って、足を運んだのだった。

 が、やはり、スクロヴァチェフスキが苦手であることを確認して帰ってきた。

 私は、「精神性」という言葉は好きではなく、あまりこの言葉を使うことはないのだが、スクロヴァチェフスキに関しては、まさしく「精神性がない」と感じてしまう。音の機能面は確かに見事だが、この指揮者の音楽はそれだけしかないと感じる。私の感覚とまったく逆に、この指揮者に精神性を感じる人がいるようなのが、不思議で仕方がない。私は、スクロヴァチェフスキの音楽になぜか感動しない。

今日も、ほかの指揮者だと間違いなく感動する部分で、なぜか少しも私の心は反応しなかった。どこが笑うべきところなのかわからないまま過ぎていく下手な漫才を見ているような気持。一部の楽器を強調するような場合も、私はそれをしばしば不自然で、音楽が停滞すると感じる。そして、外面的な効果のみを追いかけているように思う。

第三楽章は、ほかの楽章よりもよいと思ったが、それでも不発。第四楽章も、何も感じないまま終わってしまった。

第四楽章の独唱が入る部分が近づいても、その姿が見えないので、きっと合唱団のどこかにいるのだろうと探していたら、歌い出す直前になって打楽器奏者とともに四人の歌手が左側から登場した。第三楽章や第四楽章の前に登場すると、必ず拍手が起こって、音楽が寸断されてしまうので、この方法が最も理にかなっていると思った。ほかの指揮者にも採用してほしいものだ。

それにしても、なぜ私はスクロヴァチェフスキに感動しないのか。いや、私がまったくつまらないと感じる音楽を、なぜ多くの人は良い演奏だと思うのか。謎だ。

寒い中、納得いかない思いで帰途に就いた。

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大野和士は押しも押されもしない巨匠だ!!

 1225日、東京文化会館で大野和士指揮、東京都交響楽団の「アルト・ラプソディー」と第九の演奏会を聴いた。第九に関しては、もの凄いとしか言いようがなかった。

「アルト・ラプソディー」(アルトは小山由美)に関しては、あまりおもしろくなかった。どうもちぐはぐで、アルトとオケが合わない印象。どうなることかと思ったが、第九は、それが嘘のように最初からものすごい演奏。

 数日前に聴いた下野+読響はドラマティックに煽る演奏で、それはそれで素晴らしかったが、オケの縦の線が合わずがさがさした感があった。ところが、大野+都響は、びしっと音が合って、もっとずっと研ぎ澄まされた音がする。そして、かなり速めのテンポで、特に煽るわけでもなく、小細工をするわけでもなく進んでいく。だが、そうでありながら、堂々たる音が鳴り響き、スケールの大きな、しかし細かいところにまで神経の生き届いた音楽が展開される。音楽が自然に流れるのに、要所要所で感動を呼ぶ。まさに巨匠の風格。まったく無理をしていないのに、最高の音楽が鳴り響く。すごい!!

 第3楽章も素晴らしかった。至福の時間だった。楽器が美しく絡み合う。都響のレベルの高さに改めて驚嘆。

そして、第4楽章。天羽明惠(ソプラノ)、小山由美(メゾソプラノ)、市原多朗(テノール 佐野成宏さんが怪我のため)、堀内康雄(バリトン)の独唱も素晴らしい。とりわけ女性二人はまさしく最高。合唱も素晴らしい。最後の10分間くらいは、ただひたすら音楽に飲み込まれていた。

 私は残念ながら音楽の素人なので、大野さんの音楽づくりについて分析できない。ただ「すごい」としか言えない。圧倒されて聴き終えた。

 こんなにすごい演奏なのに、あまり大喝采が起こらなかったのは、読響の時と同じように、第九の演奏会であるために、日ごろあまり演奏会に足を運ばない人たちが大勢来ているためだろう。いつもと客層が違うのを感じた。もっと大喝采になって当然の演奏だと思った。

 まっすぐ帰るつもりだったが、すぐ横の西洋近代美術館でゴヤ展が開かれているのを見て、ちょっと寄ってみた。ずっと前からぜひ見ようと思いながら、忘れていた。

 ゴヤは、30年ほど前、マドリッドのプラド美術館で初めて見て圧倒された覚えがある。美術にはほとんど惹かれることのない私だが、ゴヤばかりは感動するしかなかった。とりわけ、晩年の「黒い絵」の作品群の集められた部屋には恐ろしさと感動で足が震えるような思いだった。その時以来、ゴヤはフェルメールとともに私にとって特別の画家になっている。

 残念ながら、今回は着衣のマハといくつかの肖像画、それといくつかの版画集が中心で、いわゆる「黒い絵」の作品群は一作も展示されていなかった。が、やはりゴヤは格別の味わいがある。暴力性、おぞましさ、怪奇な夢。そのような世界を見ると、ゴヤの底知れぬ深みが恐ろしくなる。

 第九の興奮をゴヤで少し覚まして、家に帰った。

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下野+読響の第九は圧倒的だった

 1221日、サントリーホールで下野竜也指揮による読売日本交響楽団の第は九を聴いた。ソプラノは木下美穂子、メゾソプラノは林美智子、テノールは高橋淳、バリトンは与那城敬。合唱は新国立劇場合唱団。圧倒的演奏だった。

 下野さんはきびきびとしたスケールの大きな音楽を作っていく。下野さんの第九は、3、4年前に聴いた記憶がある。オーソドックスで構築のしっかりした見事な演奏だった。が、今回はかなり印象が異なる。構成がしっかりしているのは以前のままだが、もっとスケールが大きく、もっときびきびとして、もっと煽る。第四楽章最後のアッチェレランドなど凄まじい。だが、そうなっても決して下品にならず、形が崩れないのが下野さん。

 私は2005年にナントのラ・フォル・ジュルネで下野さんの指揮に出会って、素晴らしいと思った。真正面からオーソドックスな音楽を作って、しかもこんなにおもしろく聴かせてくれる指揮はめったにないと思う。こんなことを言うのは僭越だが、下野さんも大きな成長を遂げていると思った。

 第一楽章と第四楽章がとりわけ素晴らしかった。第一楽章は、彫りの深い演奏で、がっしりとして、ドラマティック。第四楽章はまさにわくわく感の強い祝祭の音楽。ただ、欲を言えば、第三楽章が、期待ほど精妙で天国的ではなかった。読響はしっかりと下野さんの指揮を実現して見事な音を聴かせてくれたが、第三楽章だけ、ちょっと不満だった。音楽にざわついたところがあったように思う。他の楽章もそんな雰囲気はあったが、それはわくわく感を作りだしているのでいい。第三楽章はもう少し精妙なほうがいい。

 第三楽章に差し掛かったころ、周囲で飴玉の紙をむしる音が聞こえていた。かなり長い間聞こえていたので、一人ではないのかもしれない。この第三楽章でこのような雑音を立て続けるというのは、どういう神経なのだろう。一体いつのころから、日本にこの悪癖が広まったのだろう。もっと強く注意するわけにはいかないのだろうか。私は、咳よりもくしゃみよりも話し声よりも、紙のカサカサ音のほうがずっと気になる。そんなわけで、第三楽章は落ち着いて聴けなかった。

 四人の歌手は最高! 最強の四人だと思う。私は2006年の二期会ウィークで与那城さんと仕事をして知り合った。当時、与那城さんはまだ若手の有望株でしかなかったが、今や押しも押されもしない第九のソロの第一人者だと思う。高橋さんもテノールも本当に素晴らしい。これほど正確に、これほど強い声でこのソロを歌える人は世界にもそれほど多くないと思う。満足。日本人の演奏でこれほどのレベルの第九が聴けるようになったことに改めて驚く。

 素晴らしい演奏のわりに拍手はあまり盛大ではなかった。読響の東京と横浜の第九だけで6回演奏されるので、ふだんあまりコンサート通いしない人が多いためだろうか。

 そうそう、第九の前に「コラール」が演奏されたが、あれは正確には何だったんだろう。個人的には、私はあまりおもしろいと思わなかった。今年の震災で亡くなった人への追悼の気持ちだと思うが、第九だけで十分に追悼になったと思う。

 ともあれ大いに感動。満足して帰途に就いた。

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マヌエラ・ビシェリエのソプラノにちょっと不満

 12月18日、武蔵野市民文化会館でマヌエラ・ビシェリエのソプラノ・リサイタルを聴いた。最高レベルに美しい声、完璧な声のテクニック、最高に美しい容姿。将来性としては最高レベルだと思った。が、実を言うとあまり感動できなかった。

 音楽を演奏する時の一番肝心の部分が、ちょっと弱いと思った。深い味わいというか、リアルな存在感というのか、そのようなものを感じない。一言で言うと、どの歌も同じように聞こえ、その作曲家の世界観、そのオペラの主人公の心が聞こえてこない。

 ドニゼッティ、ビゼー、ロッシーニ、モーツァルト、プッチーニ、グノー、ベッリーニのオペラの中の様々な登場人物の様々な心情の歌をやすやすと次々と歌っていくこと自体、無理があると私は思う。確かにどの歌も、音程は確かで、声は美しい。だが、一本調子を感じてしまう。スザンナもミカエラもアディーナもロジーナ(「セヴィリアの理髪師」)もムゼッタもナタリー(「夢遊病の女」)も醸し出される雰囲気はほとんど変わらない。そのため、聞き進むうちに退屈を感じた。

 大喝采が起こっていたので、もしかしたら一番後ろの席の私には聴きとれなかっただけかもしれないが、私としては、とてももったいない気分でいっぱいだった。こんな素晴らしい素材なのに、十分に生かしていないのだから。

 ただし、この歌手、1980年生まれというから、まだ30歳そこそこ。優れた指揮者のもとでオペラを歌ううちにきっともっと素晴らしいものを描きだすようになるだろう。その日が早く来るのを待ちたい。

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森美代子+松尾俊介のミニコンサートは大成功!

 1217日は午前中から教授会だった。午後、学生の研究発表を時間の許す限り聞いて、九段の寺島文庫にあるカフェ「みねるばの森」に向かった。私のゼミの4年生による卒業制作としてのミニコンサートのため。企画・運営は敢えて学生に任せきりにしているが、私が行ってそれなりに存在を示さないと、演奏家をはじめとする関係者に大変申し訳ない。

そんなわけで、17時前に会場に到着して関係者と挨拶を交わした。いつもは頼りない学生たちだが、スーツを着て、それなりにしっかりと役割を果たしている。

 1830分、演奏開始。最初のカッチーニの「アヴェ・マリア」だけ、緊張していたのか、ちょっと二人の息の合わないところがあった。が、2曲目のデラックァの「ヴィラネル」からは、二人の息も合い、声も伸びてきて、素晴らしい演奏になった。音程も正確、声に勢いがあり、ツバメの歌声を表現するコロラトゥーラのテクニックの難しいところもまったく危なげなく、びしっと決まって、実にさわやか。

ドリーブの「カディスの娘たち」になると、森さんのかわいらしい外見からは意外なほどのドラマティックでエネルギッシュな声が炸裂。山田耕筰の「ペチカ」も武満徹の「小さな空」も日本語の発音も聞き取りやすく、情緒に流されず、明確に、しかししっとりと歌う。クリスマスソングも、楽しく、しかも美しい。

私が最初に森さんの歌を聞いたのは、2008年の二期会ウィークでのことだった。私が司会者の一人としてオペラの案内をし、数人の歌手に歌っていただいたが、その一人が森さんだった。その時、森さんは風邪をひいており、体調は万全ではなかったものの、「夜の女王のアリア」などを見事に歌ってくれた。そして、今年の春、パルテノン多摩で多摩フィルをバックにして、「春の声」と「夜の女王のアリア」を歌ってもらった。これも素晴らしかった。アンケート結果によると、森さんの歌に驚いたという声が多かった。

そのコンサートでの森さんの歌を聞いたゼミ生が、再び森さんにお願いしようとして、今回の企画をしたのだった。

こんなことを言うのはとても僭越だが、森さんはどんどんと成長しているように思う。今や、日本を代表するプリマドンナの一人だと思う。これからのますますの活躍が本当に楽しみだ。

 リハーサルでは松尾さんのギターソロは聴かなかったので、今回初めて。関西弁を使う青年なので、かなり明るめの演奏をするのだろうと思っていたら、ソロで作り出す音楽は実に繊細で美しいのでびっくり。暖かくて、やさしくて奥深い世界を作り出す。ポンセの「エストレリータ」は、題名だけ聞いて知らない曲だと思っていたが、演奏を聴くと、耳になじんだ曲だった。なぜだろう? 同じポンセの「カンシオン(聖母の御子)」も実に美しい。松尾さんも、ギター界を牽引する未来の大スターだと思った。

 最後にアリャビエフの「夜鳴き鶯」。まさしくロシア情緒満開のコロラトゥーラの曲。最高に盛り上がった。ナイチンゲールの鳴き声を模す最高音も美しく決まった。アンコールは「聖しこの夜」。

 30数名の少ない客だが、感動してくれた様子。静まり返り、盛大な拍手が巻き起こる。歌とギターという組み合わせは、親密な空間を作り出して、実にいい。

 この二人の演奏をこれからも聴きたいと思った。この二人があちこちで演奏すると、きっと日本中の多くの人を感動させるのだと思う。

 まだまだゼミ生も一人前とはいかないし、今回も不備がたくさんあった。お客さんや演奏者にも失礼がたくさんあったのではないかと思う。が、ともあれ、こんな素晴らしい演奏を届けることができた。そして、感動を与えることができた。こんなうれしいことはない。

 最後に、ゼミ生から花束をもらった。卒業を前にして、私への感謝の気持ちだということらしい。ちょっと、ほろりとした。

 その後、すぐ近くの居酒屋で、コンサートを聞いてくれた多摩大関係者と合流して、少し飲んだ。久恒先生も山本さんも井川さんも、とても感動してくれたとのこと。楽しく語り合った。

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森美代子+松尾俊介のミニコンサートのリハーサルに立ち会った

 12月17日、18時30分から、九段にある寺島文庫カフェ「みねるばの森」(http://terashima-bunko.com/bunko-cafe.html)で多摩大学樋口ゼミの4年生が卒業制作としてプロデュースした軽食付きのミニコンサートが行われる。14日、そのリハーサルに立ち会った。

 演奏はソプラノの森美代子さんとギターの松尾俊介さん。ともにこれからの音楽界を背負っていく若手の優秀な演奏家だ。森さんはたくさんのオーケストラとも共演、オペラにもたくさん出演している。声の迫力はもちろん、とてもかわいらしい容姿。ギターの松尾さんも、パリのコンセルヴァトワールを卒業して、精力的にコンサートを行っている。

 その二人のデュオ。曲目は、カッチーニの「アヴェ・マリア」、ドリーブの「カディスの娘たち」、武満徹「小さな空」、そしてクリスマスソングなど。

 二人は今回が初めての顔合わせだというが、ずっと昔からデュオを行っていたかのようにぴったりと息があっている。ソプラノとギター、これが実にいい。森さんは、かわいらしい容姿からは想像もつかないような迫力ある声でエネルギッシュに、そしてドラマティックに歌う。ギターはそれをしっかりとフォローして、温かみのある雰囲気を作り出す。

リハーサルに立ち会うのは実に楽しい。どんどんと音楽ができてくる。音楽が生まれてくる有様を見ることができる。お二人とも、実に真剣に音楽に向かっておられる。私は森さんの声の打つ草とその迫力に改めて驚いた。

今回のミニコンサートをきっかけにして二人は出会ったわけだが、この二人がデュオを組んであちこちでコンサートを開くと、どんなに素晴らしいだろうかと思った。ともあれ、17日のミニコンサートが楽しみだ。今回は卒業生の卒業制作なので、私はゼミ生の活動をほとんど後ろから見ているだけ。

私も17日のミニコンサートを楽しみにしている。きっとお客さんに満足いただけるだろうと思う。このブログを読んでくださった方で、興味のある方は、ぜひ17日のミニコンサートにお越しいただきたい。

日時 12月17日(土) 18時30分開演(18時開場)

場所 寺島文庫カフェ「みねるばの森」(九段駅 5番出口 徒歩3分)

入場料 2500円 (軽食付き)

曲目

カッチーニ アヴェ・マリア

デラックァ ヴィラネル(牧歌))

ドリーブ カディスの娘たち

山田耕筰 ペチカ

マヌエル・ポンセ エストレリータ(小さな星)

武満徹 「小さな空」

~クリスマスソング~

アグスティン・バリオス・マンゴレ 「クリスマスの歌」

マヌエル・ポンセ「カンシオン(聖母の御子)

ラルフ・ブレイン 「Have yourself a merry little Christmas

アリャビエフ 「夜鳴きうぐいす」 

連絡先 080-1060-4241

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「優雅なインドの国々」を楽しんだ

 12月9日、大学の授業の後、車で駆けつけて、HAKUJU HALLで「バロックオペラの日! 最新最強コラボによる“21世紀のラモー”」を聴いた。曲目は、オペラ「優雅なインドの国々」からの抜粋。指揮・チェンバロを鈴木優人、ソプラノを野々下由香里、ダンスを黒田育世。一言で言って、とてもおもしろかった。

演奏はとてもよかった。私の耳はソプラノの歌とチェンバロのほか、若松夏美のヴァイオリンのほか、築城玲子のフラウト・トラヴェルソを追いかけていた。全体的に見事なアンサンブル。まったくもってド素人的な感想で申し訳ないが、さすが鈴木家のDNAは凄いなあとも思った。ソプラノの野々下さんはヴィブラートのほとんどない美しい声で音程もきわめて正確。とても気持ちよく聴けた。

このオペラを聞くのは初めてだし、ラモーについても、CDを数枚聴いて、「レ・パラダン」のシャトレ座公演の日本公演も見たことがある程度なので、もちろん私に演奏の質について判断する資格はない。ラモーの音楽というのはこんなものなのかという初心者的発見をしながら楽しむばかりだった。

しかし、企画者には大変申し訳ないが、私のようにダンスに関心のない人間からすると、「音楽だけでよかったなあ」という印象。ダンスがあると、どうも音楽に集中できない。「意味」の病に取りつかれた近代人の一人である私は、ダンスの仕草にどのような意味があるのか考えてしまう。私にとってダンスは猫に小判だった。

残念だったのは、背景に字幕が出るものの、まったくストーリーを理解できなかったこと。オペラなんだから、何かしらのストーリーがあると思うのだが、少しその全体像をとらえた中で、個々の曲を聞きたかった。まあ、これも「意味の病に取りつかれた近代人」の欲求にほかならないのかもしれないが。

これまでバロックオペラにはあまり関心も持たずにきた。DVDも全部で10本も見たことがない。きっとバロックオペラも宝の山なんだろうと思った。

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新国立劇場公演「こうもり」はとても楽しかった

 12月7日、新国立劇場でオペレッタ「こうもり」を見た。満足。「こうもり」は実に楽しい。

 指揮は ダン・エッティンガー。ウィーンっぽい軽みはなかったが、それはそれで切れの良いしっかりしたヨハン・シュトラウスだった。ちょっと歌とオケが合わないところがあったが、まあそれは許容範囲だろう。東京フィルも楽しい音楽を演奏してくれた。文句なし。世界のレベルに決して劣らないと思った。

演出はハインツ・ツェドニク。かつて大好きな歌手だったが、今や演出家として、楽しくて手なれた演出を見せてくれる。楽しさの多くは気の効いた演出のおかげだ。

 歌手はみんな水準以上。アイゼンシュタインのアドリアン・エレート、ロザリンデのアンナ・ベルクマン、フランクのルッペルト・ベルクマン、ファルケ博士のペーター・エーデルマンは芸達者で演技力もあり、声もいい。

 私が特に気に入ったのは、オルロフスキー公爵役のエドナ・プロホニク。この役はアグネス・バルツァが歌うということで楽しみにしていたが、残念ながら実現しなかった。が、バルツァに劣らないほどの存在感。この不気味にして不思議な役を実におもしろく歌ってくれた。得体の知れなさが実にいい。

 日本人歌手もまったく引けを取らない。アデーレの橋本明希、アルフレードの大槻孝志ともに実に見事。とりわけ、橋本さんは実にチャーミングでよかった。

 30年以上前、二期会の上演する「こうもり」を見て、日本人がこのオペレッタを上演すると、ヨーロッパのもののように洗練されたものにならないのを感じたことがある。外国人がたくさん加わっているとはいえ、このレベルの上演が日本でできるようになったことに、改めて月日の流れを感じる。

 アールヌーヴォー風でおしゃれな舞台、豪華な衣装、楽しいバレエ、日本人離れした脚の長いバレリーノやバレリーナ。一世代前からは考えられない。実に洗練され、実に楽しい。硬いことを言わないで楽しむ雰囲気がにじみ出ている。

 私は、45年ほど前にカラヤン指揮、フィルハーモニア管弦楽団のレコードで聴いて以来、このオペレッタが大好きだ。しかも、当時、フルトヴェングラーやカラヤンの第九や「フィデリオ」や「ばらの騎士」で大好きだったオットー・エーデルマンの息子さんのペーター・エーデルマンの歌を聞けたのも嬉しい。以前、このエーデルマンがアイゼンシュタインを演じるのを聞いた覚えがあるが、今日はファルケ博士の役。

 ともあれ、とても楽しい気分で自宅に帰った。

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「タンホイザー」「ルサルカ」のDVDとブルックナーのCD

 声が出なかった間、仕事はあまりしないで、できるだけ休息するように心がけていた。そして、その間、DVDを数枚見て、CDを何枚か聞いた。その中で印象に残ったものを紹介する。

892  デンマーク王立歌劇場管弦楽団&合唱団による『タンホイザー』

 このDVDの存在は知らなかった。たまたまHMVのHPで知って注文した。

素晴らしかった。コペンハーゲンの「リング」が圧倒的な凄さだったので、期待してみたが、期待通り。

タンホイザーを歌うのは、「リング」のジークフリートを歌ったスティグ・アンデルセン(ただし、スティー・アンセンというのが正しい発音だとどこかで読んだ記憶がある。以前、日本での『パルジファル』のコンサート形式の上演でエルミンクの代役として見事に歌った歌手!)。ヘルデン・テノールとして押しも押されもしない存在感。エリーザベトのティナ・ケベルクも清純な声でなかなかいいが、容姿的にはむしろヴェヌスにふさわしい。きれいだが、妖艶な雰囲気で、あまり信仰深い清純な女性には見えない。ヴェヌスはズザンネ・レスマルク。容姿はヴェヌスには見えないが、強い声でとてもよい。領主のシュテファン・ミリングは相変わらず、太い声で見事。ヴォルフラムを歌ったトミ・ハカラは演技力と容姿は良いのだが、声はかなり弱い。「夕星の歌」はかなり苦しかった。

指揮のフリーデマン・レイヤーは初めて知る名前。見たところ、若くはない。60歳くらい? とてもいい指揮だと思った。静かなところになると緊張感が不足するが、全体的に陶酔的でディオニュソス的な雰囲気が強い。酔っ払って躁状態になったかのような音楽をあちこちで聴ける。私は大いに感動した。ただ、合唱にはかなり不満。重量感がなく、音程も不安定に感じたのだが、気のせいだろうか。

 演出は「リング」と同じカスパー・ベック・ホルテン。とてもおもしろく、しかも納得の行く演出。タンホイザーをワーグナー自身と重ね合わせている。服装から見ても、ワーグナーが生きていた時代に設定されている。

第一幕ではタンホイザーは取り憑かれたように詩を書いている。Welch Licht leuchter Dort「あそこで何が光っているの?」と落書きするが、これは「神々の黄昏」の最初のノルンのセリフ。タンホイザーがワーグナーであることを暗示している。第二幕の歌合戦は、まさしくミニコンサートの雰囲気。そこに感じの悪い批評家然とした男が混じっているが、それはきっと反ワーグナー派の批評家ハンスリックを暗示しているのだろう。

 第三幕では、原作ではローマに行ったはずのタンホイザー(=ワーグナー)は自室で夢中になって作曲している。そして、それが完成してうきうきした様子。ローマでの悲惨な体験を語る「ローマ語り」の部分は、タンホイザー(=ワーグナー)がヴォルフラムに作曲し終わった部分を歌って聞かせるという設定。そして、最後、上から「タンホイザー」のスコアの拍子が下りてくる。かくして「タンホイザー」が完成されたということか。

 完璧に整合性があるわけではないが、要するに、タンホイザー(=ワーグナー)はエロスの世界に遊び、キリスト教の世界にもひかれて作曲し、エリーザベト(清純なるもの)の犠牲によって、言いかえればエロスとキリスト教の清純の両方を土台にして作曲したことを示している。

 まあ、わかりきったことを描いているとは言えるが、「タンホイザー」誕生の秘密としてのワーグナーの精神のあり方を舞台上に見せてくれたのは、とてもおもしろい。

 私は演出に関してはきわめて保守主義で、「読み替え」演出は大嫌いだが、このような作曲者や音楽のあり方そのものをえぐろうとする演出は、とてもおもしろいと思う。

 ともあれ、見ごたえのあるDVDだった。コペンハーゲン・リングといい、このDVDといい、あまり話題になっていないようなのが残念。

745  バイエルン国立歌劇場によるドヴォルザーク「ルサルカ」DVD

 たまたま買ったものだが、これも素晴らしかった。

 何よりも、これをおとぎ話としてではなく、いわば表現主義的な残酷な話とみなしているところが刺激的。先日見た新国立の「ルサルカ」とは対極にある。

 演出はマルティン・クシェイ。私の贔屓の演出家の一人といっていいかもしれない。

 まず、ヴォドニクが水の精たちを支配している暴君として描かれるのにびっくり。水の精たちはヴォドニクに怯え、性的な奴隷にされて生きている。ルサルカもその一人。人間を愛したルサルカに対しても、ヴォドニクは優しさを微塵も持たず、ただ怒り罵る。

演出家は、残虐な道具立てによって、異界が非人間的な残酷な世界であることを思い出させようとしているのだろう。考えてみれば、妖精の世界も動物の世界も、人間からするといずれも非人間的、非人道的で残虐な支配社会だろう。

 人間界も残酷さに変わりはない。第二幕では料理人はシカを解体しながら歌う。舞踏会の場面も、貴族たちは皮をはいだシカを抱いて、その内臓を食いながら踊る。この幕は、ルサルカという水の精から見た人間界を描いているが、人間以外の存在から見ると、人間は動物を食らって生きている残虐な存在なのだ。

 残虐な水の世界と残虐な人間界。このオペラは二つの残虐な世界の板挟みになったルサルカの物語といえるだろう。第三幕では、残虐なヴォドニクが何と料理人と少年を殺してしまう! 言ってみれば、異界が人間界を飲み込む。そして後半は精神病院の中という設定。理性を失って入院している水の精たちの前で、同じ入院患者の一人であるルサルカが、訪問してきた王子を死なすことになる。人間の理性の世界の崩壊がほのめかされているのかもしれない。

 暴力的で残酷な様々な道具立てのために、このオペラは子ども向けのおとぎ話ではなくなっている。鋭くて、現代社会のゆがみや人間社会の残酷さをえぐり出すオペラになっている。

 トマーシュ・ハヌスの指揮もクシェイの演出と同じように先鋭的で鋭利。ときに平和でおとぎ話的なドヴォルザークの音楽が、鋭く激しく、内臓をえぐるように響く。本当に素晴らしい。この指揮者、名前は知っていたが、しっかりと認識して聞くのは、これが初めて。

 このオペラをこのように描くのは、確かに独善的といえなくもないが、私は大いに説得力を感じる。ドヴォルザークほどの人が、あのような平和なおとぎ話を作曲するはずがない。残虐性を描くことによって、このオペラの持つ多面性が現出したように思う。

 ルサルカを歌うのは、クリスティーネ・オポライス。オペラ歌手にしておくにはもったいないくらいの演技力と美貌。ハリウッド女優に匹敵する。歌もノーブルでしかもかなり強靭。この演出は、この人でなければ成り立たないのではないかと思えるほど。見ている人間は、ルサルカに感情移入し、残虐で苦しい世界をともに生きることになる。

 王子はクラウス・フローリアン・フォークト。この歌手、ワーグナーを歌うと時にちょっと違和感があるが、この役にはぴったり。頼りなげで優柔不断だが、根はやさしい青年をうまく演じている。ヴォドニクはギュンター・グロイスベックがとてつもない悪役として見事に演じている。そのほか脇役に至るまで、実に見事。

「ルサルカ」は好きなオペラだ。映像も数種類持っている。が、今回のものが最も衝撃的だった。「ルサルカ」の見方が変わった。

(ただ、このDVD、中国語、韓国語の字幕があるのに、日本語がない! なぜ?)

979  ブルックナー 交響曲第4番 ネゼ=セガン指揮 メトロポリタン・オーケストラ

かつて7番8番9番を少し前に聴いたが、印象はそれほど変わりがない。ゆっくりと、実に丁寧に音楽が進んでいく。とても美しく、しかも深い。ただ、私が不満なのは、大きな爆発がないこと。確かに高揚はある。だが、あまりに整然とし、あまりにアポロ的。大きな揺れがなく、魂の高みに向かっての爆発がない。

672ブルックナー 交響曲第8番 ギュンター・ヴァント指揮 NHK交響楽団

 NHK交響楽団の過去の名演のシリーズ。とりあえず、ヴァントのブルックナーだけは聴いてみた。79年の演奏。このころ、私はチェリビダッケのブルックナーを夢中で聴いており、ヴァントの名前を知らなかったと思う。が、すでにチェリビダッケよりもずっと壮大でありながらも知的で完成度の高いブルックナーを聞かせてくれていたことに驚く。N響もまさしく健闘している。

 が、やはり晩年のNDRやベルリンフィルとのあまりに完璧で崇高な演奏に比べると、やはり不完全さを感じざるを得ない。オケを完全に掌握できていないし、あちこちに小さな破綻があるようだし、それよりなにより一つ一つの音の美しさ、透明感、厚みにかなり差がある。

 とはいえ、やはりヴァントは凄い。第一楽章からぐいぐいと引き込まれていく。第三楽章、第四楽章は崇高な音の洪水に圧倒された。

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新国立「ルサルカ」はとてもよかった

 12月3日、新国立劇場公演「ルサルカ」を見た。かなりのレベルで、とりあえず、満足。

「ルサルカ」の実演を見るのは三度目だと記憶する。2005年ころ、国立プラハ劇場だったか、本場ものの公演を浜松まで見に行って、ちょっとがっかりしたのを覚えている。今回は、それよりはずっと良かった。

 指揮はヤロスラフ・キズリンク。明るめの音色で、初めのうちちょっと違和感があったが、きっと意図的にそうしているのだろう。オーケストラ(東京フィルハーモニー)をしっかりとコントロールし、きれいな音をひきだして見事だった。

 ルサルカはオルガ・グリャコヴァ。先日の新国立の蝶々夫人を歌った歌手。だが、今回、ちょっと大味なところを強く感じた。とりわけ有名な第一幕のアリアは、声のコントロールが完璧ではなく、ときとしてがなりたてる感じになっていた。不調だったのかもしれない。とはいえ、徐々に良くなった。美しい容姿を含めて、このくらい歌ってくれれば、まったく文句はない。王子はペーター・ベルガー。この人も声のコントロールがときどき甘かったが、全体的にはきれいな声で、この役についても十分に満足。ヴォドニクを歌うミッシャ・シェロミアンスキーは、私は特に気に入った。飽和力のある美声。

 そのほか、イェジババを歌うビルギット・レンメルト、外国の公女のブリギッテ・ピンター、脇を固める日本の歌手陣(井ノ上 了吏、加納悦子、安藤赴美子、池田香織、清水華澄、照屋 睦)もいつものように素晴らしい。そして合唱もとてもよかった。

 演出のポーラ・カランはとりわけ素晴らしいと思った。冒頭とフィナーレのおとぎ話の家もよくできているし、第二幕の舞踏会の場面、ルサルカが人間界に違和感を覚える様子を美しく、切なく描いていた。

 どこといって不満があるわけでもなく、すべてにおいて満足できるレベルだったが、残念ながら爆発的な感動には至らなかった。指揮か主役格がもう少し並はずれていたら、もっと感動を呼んだかもしれない。

 それにしても、妖精の世界が月に象徴され、水の精が人間界に行くと声を失い、人間の情熱に違和感を覚える・・・という設定がおもしろい。ただ、ワーグナーのような象徴的な意味は含まれてなさそう・・・

 人間界で声を失ったルサルカを見ながら、声が出なくなった自分と重ね合わせていた。確かに声が出ないと、周囲に溶け込めず、強い違和感を覚えるものだ。一人ぼっちにされた気分になる。妖精が人間界に行くと声を失うという設定にしたのには、きっと異界をまたぐには何らかの犠牲を伴うことを示すと同時に、ルサルカの孤独感を表現したいという理由があったのだろう。

 とはいえ、私の声の調子は治療のおかげで、かなり良くなった。あと2、3日もすれば完全に回復するだろう。

 結局、本当に声が出なかったのは2日間くらいだった。そのころは、咳をしても、コホンコホンとお姫様のような無声音の咳だったが、昨日あたりから、ハスキーヴォイスながら、とりあえず、話をしている。ともあれ、ありがたい。

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声が出なくなった!

 一昨日、朝、起きたときから喉が痛かった。風邪をひいたらしいとは思っていた。が、特に身体的な異変があるわけでもなく、午前中、ある出版社に行って取材を受け、午後、JR東日本本社に出向いて、研修の講師として講演をしていた。

 講演のはじめのうちは、ときどき声がかすれる程度だった。だが、しゃべっているうちに、ますます声がかすれるようになった。最後には、ほとんど声が出ない状態に陥った。受講してくださった方々はかなり聞き苦しかったのではないか。迷惑をかけてしまった。

 家に帰ってからは、ますますひどくなり、有声音を出せなくなったので、昨日、行きつけの医者に診てもらった。喉頭炎の一種で、時々こうなる人がいるらしい。短くて1週間ほど、長いと3週間ほどこのような状態が続くとの見立てだった。もちろん、こんなことは初めて。一生続くわけではなさそうなので、ともあれ、よかった。

 今日は昨日に比べると、のどの痛みも減り、声も多少は出るようになった。薬のおかげで、間違いなく快方に向かっている。とはいえ、まだささやき声でやっと話ができる程度。声が出ないほかには、特に目立った異常はない。熱があるわけでもなく、咳がひどいわけでもない。とはいえ、声が出ないとストレスが大きい。しかも、薬のせいなのか、眠くて頭がぼんやりしており、仕事が手に着かない。

 大学で講義をして生計を立てているので、声が出ないというのは大変なことだ。やむを得ず、休講にした。話をする仕事がほかにも入っていたが、事情を話して、キャンセルさせていただいた。いやはや、あちこちに迷惑をかけている。

 声が出ないと、実に不便。コンビニに行っても、ものを差し出すだけ。言いたいことも言えない。家族の話のなかに入っていきたいが、面倒なので黙っていると、私抜きで話が進んでいく。やっとの思いで口にしても、どうやら聞こえないらしくて素通りされる。話を交わすことによって人は存在感を得ていることを改めて実感する。

 このブログを私の知り合いが見ていたら、どうか、私への連絡は、メールでお願いします。このような事情ですので、電話はご遠慮ください。コンサートなどで顔をわせて、私がむすっとしていても、それは声が出ないせいですので、変に誤解しないでください。少々、仕事が停滞していますが、できましたら、ご容赦ください。

 ともかく、早く治したい。そのためには、安静にしておくことが大事なようだ。これを機会に仕事を怠けて、買いためたCDを聴こうかと思っている。

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