声が出なかった間、仕事はあまりしないで、できるだけ休息するように心がけていた。そして、その間、DVDを数枚見て、CDを何枚か聞いた。その中で印象に残ったものを紹介する。
デンマーク王立歌劇場管弦楽団&合唱団による『タンホイザー』
このDVDの存在は知らなかった。たまたまHMVのHPで知って注文した。
素晴らしかった。コペンハーゲンの「リング」が圧倒的な凄さだったので、期待してみたが、期待通り。
タンホイザーを歌うのは、「リング」のジークフリートを歌ったスティグ・アンデルセン(ただし、スティー・アンセンというのが正しい発音だとどこかで読んだ記憶がある。以前、日本での『パルジファル』のコンサート形式の上演でエルミンクの代役として見事に歌った歌手!)。ヘルデン・テノールとして押しも押されもしない存在感。エリーザベトのティナ・ケベルクも清純な声でなかなかいいが、容姿的にはむしろヴェヌスにふさわしい。きれいだが、妖艶な雰囲気で、あまり信仰深い清純な女性には見えない。ヴェヌスはズザンネ・レスマルク。容姿はヴェヌスには見えないが、強い声でとてもよい。領主のシュテファン・ミリングは相変わらず、太い声で見事。ヴォルフラムを歌ったトミ・ハカラは演技力と容姿は良いのだが、声はかなり弱い。「夕星の歌」はかなり苦しかった。
指揮のフリーデマン・レイヤーは初めて知る名前。見たところ、若くはない。60歳くらい? とてもいい指揮だと思った。静かなところになると緊張感が不足するが、全体的に陶酔的でディオニュソス的な雰囲気が強い。酔っ払って躁状態になったかのような音楽をあちこちで聴ける。私は大いに感動した。ただ、合唱にはかなり不満。重量感がなく、音程も不安定に感じたのだが、気のせいだろうか。
演出は「リング」と同じカスパー・ベック・ホルテン。とてもおもしろく、しかも納得の行く演出。タンホイザーをワーグナー自身と重ね合わせている。服装から見ても、ワーグナーが生きていた時代に設定されている。
第一幕ではタンホイザーは取り憑かれたように詩を書いている。Welch Licht leuchter Dort「あそこで何が光っているの?」と落書きするが、これは「神々の黄昏」の最初のノルンのセリフ。タンホイザーがワーグナーであることを暗示している。第二幕の歌合戦は、まさしくミニコンサートの雰囲気。そこに感じの悪い批評家然とした男が混じっているが、それはきっと反ワーグナー派の批評家ハンスリックを暗示しているのだろう。
第三幕では、原作ではローマに行ったはずのタンホイザー(=ワーグナー)は自室で夢中になって作曲している。そして、それが完成してうきうきした様子。ローマでの悲惨な体験を語る「ローマ語り」の部分は、タンホイザー(=ワーグナー)がヴォルフラムに作曲し終わった部分を歌って聞かせるという設定。そして、最後、上から「タンホイザー」のスコアの拍子が下りてくる。かくして「タンホイザー」が完成されたということか。
完璧に整合性があるわけではないが、要するに、タンホイザー(=ワーグナー)はエロスの世界に遊び、キリスト教の世界にもひかれて作曲し、エリーザベト(清純なるもの)の犠牲によって、言いかえればエロスとキリスト教の清純の両方を土台にして作曲したことを示している。
まあ、わかりきったことを描いているとは言えるが、「タンホイザー」誕生の秘密としてのワーグナーの精神のあり方を舞台上に見せてくれたのは、とてもおもしろい。
私は演出に関してはきわめて保守主義で、「読み替え」演出は大嫌いだが、このような作曲者や音楽のあり方そのものをえぐろうとする演出は、とてもおもしろいと思う。
ともあれ、見ごたえのあるDVDだった。コペンハーゲン・リングといい、このDVDといい、あまり話題になっていないようなのが残念。
バイエルン国立歌劇場によるドヴォルザーク「ルサルカ」DVD
たまたま買ったものだが、これも素晴らしかった。
何よりも、これをおとぎ話としてではなく、いわば表現主義的な残酷な話とみなしているところが刺激的。先日見た新国立の「ルサルカ」とは対極にある。
演出はマルティン・クシェイ。私の贔屓の演出家の一人といっていいかもしれない。
まず、ヴォドニクが水の精たちを支配している暴君として描かれるのにびっくり。水の精たちはヴォドニクに怯え、性的な奴隷にされて生きている。ルサルカもその一人。人間を愛したルサルカに対しても、ヴォドニクは優しさを微塵も持たず、ただ怒り罵る。
演出家は、残虐な道具立てによって、異界が非人間的な残酷な世界であることを思い出させようとしているのだろう。考えてみれば、妖精の世界も動物の世界も、人間からするといずれも非人間的、非人道的で残虐な支配社会だろう。
人間界も残酷さに変わりはない。第二幕では料理人はシカを解体しながら歌う。舞踏会の場面も、貴族たちは皮をはいだシカを抱いて、その内臓を食いながら踊る。この幕は、ルサルカという水の精から見た人間界を描いているが、人間以外の存在から見ると、人間は動物を食らって生きている残虐な存在なのだ。
残虐な水の世界と残虐な人間界。このオペラは二つの残虐な世界の板挟みになったルサルカの物語といえるだろう。第三幕では、残虐なヴォドニクが何と料理人と少年を殺してしまう! 言ってみれば、異界が人間界を飲み込む。そして後半は精神病院の中という設定。理性を失って入院している水の精たちの前で、同じ入院患者の一人であるルサルカが、訪問してきた王子を死なすことになる。人間の理性の世界の崩壊がほのめかされているのかもしれない。
暴力的で残酷な様々な道具立てのために、このオペラは子ども向けのおとぎ話ではなくなっている。鋭くて、現代社会のゆがみや人間社会の残酷さをえぐり出すオペラになっている。
トマーシュ・ハヌスの指揮もクシェイの演出と同じように先鋭的で鋭利。ときに平和でおとぎ話的なドヴォルザークの音楽が、鋭く激しく、内臓をえぐるように響く。本当に素晴らしい。この指揮者、名前は知っていたが、しっかりと認識して聞くのは、これが初めて。
このオペラをこのように描くのは、確かに独善的といえなくもないが、私は大いに説得力を感じる。ドヴォルザークほどの人が、あのような平和なおとぎ話を作曲するはずがない。残虐性を描くことによって、このオペラの持つ多面性が現出したように思う。
ルサルカを歌うのは、クリスティーネ・オポライス。オペラ歌手にしておくにはもったいないくらいの演技力と美貌。ハリウッド女優に匹敵する。歌もノーブルでしかもかなり強靭。この演出は、この人でなければ成り立たないのではないかと思えるほど。見ている人間は、ルサルカに感情移入し、残虐で苦しい世界をともに生きることになる。
王子はクラウス・フローリアン・フォークト。この歌手、ワーグナーを歌うと時にちょっと違和感があるが、この役にはぴったり。頼りなげで優柔不断だが、根はやさしい青年をうまく演じている。ヴォドニクはギュンター・グロイスベックがとてつもない悪役として見事に演じている。そのほか脇役に至るまで、実に見事。
「ルサルカ」は好きなオペラだ。映像も数種類持っている。が、今回のものが最も衝撃的だった。「ルサルカ」の見方が変わった。
(ただ、このDVD、中国語、韓国語の字幕があるのに、日本語がない! なぜ?)
ブルックナー 交響曲第4番 ネゼ=セガン指揮 メトロポリタン・オーケストラ
かつて7番8番9番を少し前に聴いたが、印象はそれほど変わりがない。ゆっくりと、実に丁寧に音楽が進んでいく。とても美しく、しかも深い。ただ、私が不満なのは、大きな爆発がないこと。確かに高揚はある。だが、あまりに整然とし、あまりにアポロ的。大きな揺れがなく、魂の高みに向かっての爆発がない。
・
ブルックナー 交響曲第8番 ギュンター・ヴァント指揮 NHK交響楽団
NHK交響楽団の過去の名演のシリーズ。とりあえず、ヴァントのブルックナーだけは聴いてみた。79年の演奏。このころ、私はチェリビダッケのブルックナーを夢中で聴いており、ヴァントの名前を知らなかったと思う。が、すでにチェリビダッケよりもずっと壮大でありながらも知的で完成度の高いブルックナーを聞かせてくれていたことに驚く。N響もまさしく健闘している。
が、やはり晩年のNDRやベルリンフィルとのあまりに完璧で崇高な演奏に比べると、やはり不完全さを感じざるを得ない。オケを完全に掌握できていないし、あちこちに小さな破綻があるようだし、それよりなにより一つ一つの音の美しさ、透明感、厚みにかなり差がある。
とはいえ、やはりヴァントは凄い。第一楽章からぐいぐいと引き込まれていく。第三楽章、第四楽章は崇高な音の洪水に圧倒された。
最近のコメント