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「タンホイザー」「ルサルカ」のDVDとブルックナーのCD

 声が出なかった間、仕事はあまりしないで、できるだけ休息するように心がけていた。そして、その間、DVDを数枚見て、CDを何枚か聞いた。その中で印象に残ったものを紹介する。

892  デンマーク王立歌劇場管弦楽団&合唱団による『タンホイザー』

 このDVDの存在は知らなかった。たまたまHMVのHPで知って注文した。

素晴らしかった。コペンハーゲンの「リング」が圧倒的な凄さだったので、期待してみたが、期待通り。

タンホイザーを歌うのは、「リング」のジークフリートを歌ったスティグ・アンデルセン(ただし、スティー・アンセンというのが正しい発音だとどこかで読んだ記憶がある。以前、日本での『パルジファル』のコンサート形式の上演でエルミンクの代役として見事に歌った歌手!)。ヘルデン・テノールとして押しも押されもしない存在感。エリーザベトのティナ・ケベルクも清純な声でなかなかいいが、容姿的にはむしろヴェヌスにふさわしい。きれいだが、妖艶な雰囲気で、あまり信仰深い清純な女性には見えない。ヴェヌスはズザンネ・レスマルク。容姿はヴェヌスには見えないが、強い声でとてもよい。領主のシュテファン・ミリングは相変わらず、太い声で見事。ヴォルフラムを歌ったトミ・ハカラは演技力と容姿は良いのだが、声はかなり弱い。「夕星の歌」はかなり苦しかった。

指揮のフリーデマン・レイヤーは初めて知る名前。見たところ、若くはない。60歳くらい? とてもいい指揮だと思った。静かなところになると緊張感が不足するが、全体的に陶酔的でディオニュソス的な雰囲気が強い。酔っ払って躁状態になったかのような音楽をあちこちで聴ける。私は大いに感動した。ただ、合唱にはかなり不満。重量感がなく、音程も不安定に感じたのだが、気のせいだろうか。

 演出は「リング」と同じカスパー・ベック・ホルテン。とてもおもしろく、しかも納得の行く演出。タンホイザーをワーグナー自身と重ね合わせている。服装から見ても、ワーグナーが生きていた時代に設定されている。

第一幕ではタンホイザーは取り憑かれたように詩を書いている。Welch Licht leuchter Dort「あそこで何が光っているの?」と落書きするが、これは「神々の黄昏」の最初のノルンのセリフ。タンホイザーがワーグナーであることを暗示している。第二幕の歌合戦は、まさしくミニコンサートの雰囲気。そこに感じの悪い批評家然とした男が混じっているが、それはきっと反ワーグナー派の批評家ハンスリックを暗示しているのだろう。

 第三幕では、原作ではローマに行ったはずのタンホイザー(=ワーグナー)は自室で夢中になって作曲している。そして、それが完成してうきうきした様子。ローマでの悲惨な体験を語る「ローマ語り」の部分は、タンホイザー(=ワーグナー)がヴォルフラムに作曲し終わった部分を歌って聞かせるという設定。そして、最後、上から「タンホイザー」のスコアの拍子が下りてくる。かくして「タンホイザー」が完成されたということか。

 完璧に整合性があるわけではないが、要するに、タンホイザー(=ワーグナー)はエロスの世界に遊び、キリスト教の世界にもひかれて作曲し、エリーザベト(清純なるもの)の犠牲によって、言いかえればエロスとキリスト教の清純の両方を土台にして作曲したことを示している。

 まあ、わかりきったことを描いているとは言えるが、「タンホイザー」誕生の秘密としてのワーグナーの精神のあり方を舞台上に見せてくれたのは、とてもおもしろい。

 私は演出に関してはきわめて保守主義で、「読み替え」演出は大嫌いだが、このような作曲者や音楽のあり方そのものをえぐろうとする演出は、とてもおもしろいと思う。

 ともあれ、見ごたえのあるDVDだった。コペンハーゲン・リングといい、このDVDといい、あまり話題になっていないようなのが残念。

745  バイエルン国立歌劇場によるドヴォルザーク「ルサルカ」DVD

 たまたま買ったものだが、これも素晴らしかった。

 何よりも、これをおとぎ話としてではなく、いわば表現主義的な残酷な話とみなしているところが刺激的。先日見た新国立の「ルサルカ」とは対極にある。

 演出はマルティン・クシェイ。私の贔屓の演出家の一人といっていいかもしれない。

 まず、ヴォドニクが水の精たちを支配している暴君として描かれるのにびっくり。水の精たちはヴォドニクに怯え、性的な奴隷にされて生きている。ルサルカもその一人。人間を愛したルサルカに対しても、ヴォドニクは優しさを微塵も持たず、ただ怒り罵る。

演出家は、残虐な道具立てによって、異界が非人間的な残酷な世界であることを思い出させようとしているのだろう。考えてみれば、妖精の世界も動物の世界も、人間からするといずれも非人間的、非人道的で残虐な支配社会だろう。

 人間界も残酷さに変わりはない。第二幕では料理人はシカを解体しながら歌う。舞踏会の場面も、貴族たちは皮をはいだシカを抱いて、その内臓を食いながら踊る。この幕は、ルサルカという水の精から見た人間界を描いているが、人間以外の存在から見ると、人間は動物を食らって生きている残虐な存在なのだ。

 残虐な水の世界と残虐な人間界。このオペラは二つの残虐な世界の板挟みになったルサルカの物語といえるだろう。第三幕では、残虐なヴォドニクが何と料理人と少年を殺してしまう! 言ってみれば、異界が人間界を飲み込む。そして後半は精神病院の中という設定。理性を失って入院している水の精たちの前で、同じ入院患者の一人であるルサルカが、訪問してきた王子を死なすことになる。人間の理性の世界の崩壊がほのめかされているのかもしれない。

 暴力的で残酷な様々な道具立てのために、このオペラは子ども向けのおとぎ話ではなくなっている。鋭くて、現代社会のゆがみや人間社会の残酷さをえぐり出すオペラになっている。

 トマーシュ・ハヌスの指揮もクシェイの演出と同じように先鋭的で鋭利。ときに平和でおとぎ話的なドヴォルザークの音楽が、鋭く激しく、内臓をえぐるように響く。本当に素晴らしい。この指揮者、名前は知っていたが、しっかりと認識して聞くのは、これが初めて。

 このオペラをこのように描くのは、確かに独善的といえなくもないが、私は大いに説得力を感じる。ドヴォルザークほどの人が、あのような平和なおとぎ話を作曲するはずがない。残虐性を描くことによって、このオペラの持つ多面性が現出したように思う。

 ルサルカを歌うのは、クリスティーネ・オポライス。オペラ歌手にしておくにはもったいないくらいの演技力と美貌。ハリウッド女優に匹敵する。歌もノーブルでしかもかなり強靭。この演出は、この人でなければ成り立たないのではないかと思えるほど。見ている人間は、ルサルカに感情移入し、残虐で苦しい世界をともに生きることになる。

 王子はクラウス・フローリアン・フォークト。この歌手、ワーグナーを歌うと時にちょっと違和感があるが、この役にはぴったり。頼りなげで優柔不断だが、根はやさしい青年をうまく演じている。ヴォドニクはギュンター・グロイスベックがとてつもない悪役として見事に演じている。そのほか脇役に至るまで、実に見事。

「ルサルカ」は好きなオペラだ。映像も数種類持っている。が、今回のものが最も衝撃的だった。「ルサルカ」の見方が変わった。

(ただ、このDVD、中国語、韓国語の字幕があるのに、日本語がない! なぜ?)

979  ブルックナー 交響曲第4番 ネゼ=セガン指揮 メトロポリタン・オーケストラ

かつて7番8番9番を少し前に聴いたが、印象はそれほど変わりがない。ゆっくりと、実に丁寧に音楽が進んでいく。とても美しく、しかも深い。ただ、私が不満なのは、大きな爆発がないこと。確かに高揚はある。だが、あまりに整然とし、あまりにアポロ的。大きな揺れがなく、魂の高みに向かっての爆発がない。

672ブルックナー 交響曲第8番 ギュンター・ヴァント指揮 NHK交響楽団

 NHK交響楽団の過去の名演のシリーズ。とりあえず、ヴァントのブルックナーだけは聴いてみた。79年の演奏。このころ、私はチェリビダッケのブルックナーを夢中で聴いており、ヴァントの名前を知らなかったと思う。が、すでにチェリビダッケよりもずっと壮大でありながらも知的で完成度の高いブルックナーを聞かせてくれていたことに驚く。N響もまさしく健闘している。

 が、やはり晩年のNDRやベルリンフィルとのあまりに完璧で崇高な演奏に比べると、やはり不完全さを感じざるを得ない。オケを完全に掌握できていないし、あちこちに小さな破綻があるようだし、それよりなにより一つ一つの音の美しさ、透明感、厚みにかなり差がある。

 とはいえ、やはりヴァントは凄い。第一楽章からぐいぐいと引き込まれていく。第三楽章、第四楽章は崇高な音の洪水に圧倒された。

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コメント

お久しぶりです。前に上海のリングのことでコメントした者です。インターナショナル・リリースのDVDに、中国語や韓国語があっても日本語字幕がないのは、制作会社と日本の代理店の制約なんでしょうね。厄介なものです。時間がかかっても国内盤が出るならともかく、最終的に出さないなら、こういう制約は、足を引っ張ってるだけです。日本での知名度も、日本語訳付きで見れるかどうかにかかってると感じます。

ところで私はコペンハーゲンの歌劇場を贔屓にしていて3月にまた行くんですが、前回アナセンからこのタンホイザーの再演(2012/2013シーズン)があるから感想を教えてくれと言われています。前のリングほどは評判が良くなかったので、次回の再演までに変えたいのだと思います。色々もやもやとしたことは頭に浮かぶのですが言葉にならないので、樋口先生の意見を参考にしたいのですが、もうちょっと詳しく教えて頂けませんか。

合唱は、私も残念だと思います。ここの合唱団はすごくレベルが高いのですが、このときは合唱指揮がおかしいと思います。アンサンブルも、指揮者不在でやってるんじゃないかと思うような出来です。

投稿: starboard | 2011年12月12日 (月) 02時33分

starboard様
コメント、ありがとうございます。「右舷日記」、以前から拝見しています。
コペンハーゲン・リングを検索すると、最初に引っ掛かりますので。あんなすごい上演ですのに、ネットでも、そして音楽雑誌でも、あまり話題になっていないのが不思議です。
「タンホイザー」も、「リング」ほどの衝撃はないですが、とても素晴らしいですね。
これをどう修正すれば、もっとおもしろくなるか・・。残念ながら、私に特にアイデアはありません。
ただ、ちょっとエリーザベトの世界とヴェヌスの世界の対比が明確でなかったように思います。エリーザベトがあまり清純に見えないせいもあって、対比が曖昧になってしまい、タンホイザーの苦悩やその芸術の源泉がよくわからなかったように思います。
もうひとつ、少し疑問に思ったのですが、第二幕の歌合戦の場面で、ワーグナー風のベレー帽をかぶった人物がちらちら見えますが、あれはタンホイザーだったのでしょうか。見落としてしまった場面があったのか、よくわかりませんでした。第三幕でヴォルフラムが同じようなベレー帽をかぶっていましたが、それにどんな意味があったのでしょう。
このようなコンセプトで演出するのでしたら、私だったら、最初からタンホイザー=ワーグナーをはっきりと示し、ヴェヌスとエリーザベトの対比も明確にするだろうと思います。また、カタリーナ・ワーグナーのバイロイトの「マイスタージンガー」を真似て、ブラームスやコジマやハンスリックやヒトラーなど、ワーグナーにまつわる人物の着ぐるみを登場させるのもおもしろいのではないかと思います。
いずれにせよ、私もコペンハーゲンでリングなどの上演をぜひ見てみたいですね。バイロイトよりももっと刺激的だと思いますので。

投稿: | 2011年12月13日 (火) 08時29分

おお!樋口先生に読んで頂いてたとは光栄です。
コペンハーゲン・リングは、私にとっては、舞台であるとか鑑賞とかの範疇を超えて「自分の人生でずっと欲しかったもの」をくれた体験になっています。またコペンハーゲンで観たトリスタンとイソルデも、自分の中にある抑圧や願望に気付かされた経験でした。彼らは実に創造的な仕事をしてると思います。是非コペンハーゲンで鑑賞されることをお薦めします。不思議なのは、演出だけでもなく音楽だけでもなく、全てがピタッと嵌ってそういうものを受け取ることです。あれほどの一体感は、他所の劇場ではそうそうないと思います。

あのエリーザベトは、舞台で観るといい感じに見えると思うのですけどね。アップに向かない人でしたね。それを言えば、アナセンの童顔と老けが同居した顔も、舞台の距離では問題ないのですが(笑)。

歌合戦でベレー帽を被っているのはタンホイザーです。ヴォルフラムがベレーを被るときは、同時にタンホイザーの上着も着るのですが(この上着はヴィヌスとお揃いで創作活動の象徴でもあります)、これは彼が歌合戦でタンホイザーに反発しつつも惹かれ、近づこうとしていることを表しているのだと思います。だから夕星の歌は、金星=ヴィヌス=タンホイザーです。私は、初見のときは、結構ヴォルフラムに感情移入して観てしまいました。圧倒的な才能を目の当たりにして反発しつつ惹かれ、憧れつつも圧倒的な差を見せ付けられた凡才の哀れというか。それでもヴォルフラムはタンホイザーの芸術を理解出来るだけ他の人々よりは芸術的なのだが、同時にまるで到達できないことも分かってしまう不条理が、身に覚えがあり過ぎました。彼はタンホイザーの芸術を理解して惹かれると同時にタンホイザーが犠牲にしているものも知って(エリザーベトの死と、その間に創作していたタンホイザーの姿)、ラストは、生きている間は評価されず死んだ後で評価される芸術家の人生、彼の作品を賞賛する人々と省みられない本人(達)の姿を、ヴォルフラムだけはずっと見ていたということだと思います。

この読替(ヴィーヌス=創作・芸術、エリーザベト=愛情・社会生活)は、性や貞節に対するタブーが薄くなった現代社会(特に北欧は婚姻関係は複雑で再婚が当たり前)でかつてのそれに相当するものと考えると、まさにその通り!と思ったのですが、最後があっけなくて理解が付いていかないのと、ヴィーヌスとの結びつきはすごくよく分かったのですが、エリーザベトとの結びつきがなにか弱いように、私には感じられました。エリーザベトが妖艶に見えて清純ではないというのは、さすが男性の感想だなあと思いました。どこが分からなかったという指摘は、逆にすごく参考になります。

私には、ワーグナーの人生というよりは、もっと芸術家の一般論を描いているように感じましたが、初演時の批評ではワーグナーというのが多かったです。なるほどと思いました。もうちょい考えて、本人達に伝えてみようと思います。またお気づきの点があったら教えてください。

そうそう、コペンハーゲンの今シーズンのワーグナーはキース・ウォーナー演出のパルジファル(3~5月)で、来シーズンはこのタンホイザーの再演とパルジファルの再演です。ここの芸術監督だったホルテンは、今シーズンからROHの芸術監督に移りましたが、年に一度はコペンハーゲンの演出を続けるそうです。

投稿: starboard | 2011年12月14日 (水) 03時21分

starboard様
コメント、ありがとうございます。
ベレー帽の謎、よくわかりました。とても説得力があります。ヴォルフラムの位置もとてもよくわかりました。おっしゃる通りだと思います。
が、一度見ただけでは、それに気づくのは難しいでしょうね。私は映像で見ましたが、舞台では余計にわからないと思います。誰もがわかるように、もう少し工夫してほしいですね。
それで思ったのですが、エリーザベトはきっとコジマなんですね!! ヴォルフラムはもしかしたら、ハンス・フォン・ビューローなのかもしれません。そう考えると、ヴォルフラムの仕草、エリーザベトの服装なども納得できます。
かなりワーグナーの人生を絵解きする演出に思えます。
このレベルの上演をしているコペンハーゲンのオペラ劇場、ぜひ行ってみたいですね。ちょっと考えてみます。

投稿: | 2011年12月15日 (木) 07時47分

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