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大野和士は押しも押されもしない巨匠だ!!

 1225日、東京文化会館で大野和士指揮、東京都交響楽団の「アルト・ラプソディー」と第九の演奏会を聴いた。第九に関しては、もの凄いとしか言いようがなかった。

「アルト・ラプソディー」(アルトは小山由美)に関しては、あまりおもしろくなかった。どうもちぐはぐで、アルトとオケが合わない印象。どうなることかと思ったが、第九は、それが嘘のように最初からものすごい演奏。

 数日前に聴いた下野+読響はドラマティックに煽る演奏で、それはそれで素晴らしかったが、オケの縦の線が合わずがさがさした感があった。ところが、大野+都響は、びしっと音が合って、もっとずっと研ぎ澄まされた音がする。そして、かなり速めのテンポで、特に煽るわけでもなく、小細工をするわけでもなく進んでいく。だが、そうでありながら、堂々たる音が鳴り響き、スケールの大きな、しかし細かいところにまで神経の生き届いた音楽が展開される。音楽が自然に流れるのに、要所要所で感動を呼ぶ。まさに巨匠の風格。まったく無理をしていないのに、最高の音楽が鳴り響く。すごい!!

 第3楽章も素晴らしかった。至福の時間だった。楽器が美しく絡み合う。都響のレベルの高さに改めて驚嘆。

そして、第4楽章。天羽明惠(ソプラノ)、小山由美(メゾソプラノ)、市原多朗(テノール 佐野成宏さんが怪我のため)、堀内康雄(バリトン)の独唱も素晴らしい。とりわけ女性二人はまさしく最高。合唱も素晴らしい。最後の10分間くらいは、ただひたすら音楽に飲み込まれていた。

 私は残念ながら音楽の素人なので、大野さんの音楽づくりについて分析できない。ただ「すごい」としか言えない。圧倒されて聴き終えた。

 こんなにすごい演奏なのに、あまり大喝采が起こらなかったのは、読響の時と同じように、第九の演奏会であるために、日ごろあまり演奏会に足を運ばない人たちが大勢来ているためだろう。いつもと客層が違うのを感じた。もっと大喝采になって当然の演奏だと思った。

 まっすぐ帰るつもりだったが、すぐ横の西洋近代美術館でゴヤ展が開かれているのを見て、ちょっと寄ってみた。ずっと前からぜひ見ようと思いながら、忘れていた。

 ゴヤは、30年ほど前、マドリッドのプラド美術館で初めて見て圧倒された覚えがある。美術にはほとんど惹かれることのない私だが、ゴヤばかりは感動するしかなかった。とりわけ、晩年の「黒い絵」の作品群の集められた部屋には恐ろしさと感動で足が震えるような思いだった。その時以来、ゴヤはフェルメールとともに私にとって特別の画家になっている。

 残念ながら、今回は着衣のマハといくつかの肖像画、それといくつかの版画集が中心で、いわゆる「黒い絵」の作品群は一作も展示されていなかった。が、やはりゴヤは格別の味わいがある。暴力性、おぞましさ、怪奇な夢。そのような世界を見ると、ゴヤの底知れぬ深みが恐ろしくなる。

 第九の興奮をゴヤで少し覚まして、家に帰った。

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コメント

25日、私も大野さんの第九を聴きました。今まで聴いたことのないスタイルの第九と思いました。
素人なので、たいへん馬鹿げたことを申し上げると思いますが、ご勘弁願います。
私は、第1楽章、第2楽章を地上界、第3楽章を天上界、第4楽章を神界及び神界からの啓示、というような構成が今回の第九にとられていたように聴きました。
第3楽章は人間個人が到達できる無上至福の世界(天上界)のように思われました。美と清浄と安穏。しかし1個人の平和に安住していて良いのか、もう一段階高い世界がある。その世界に入っていくべきではないか。大野さんの音楽は、私にそのように問いかけているようでした。
美しい第3楽章が、第4楽章の冒頭で一気に否定され、別世界への突入を促す。第4楽章の合唱は、神界から、天上界と地上界へ降り注ぎ啓示のように聞こえました。今まで、このように第九の合唱が聴こえたことはありませんでした。そのような意味で圧倒された公演でした。
 私も音楽の素人なので、音楽の技術的なことはまったく分かりませんが、今回の第九はとてつもない世界が表現されたように思われました。
 素人で恐縮ですが、なんとなく書かずにはいられませんでした。失礼致しました。

投稿: 素人で恐縮です | 2011年12月26日 (月) 00時14分

素人で恐縮です様
コメント、ありがとうございます。
大野さんの演奏、本当に素晴らしかったですね。
第四楽章の解釈、とてもおもしろいと思います。もしかしたら、大野さんはそう解釈していたかもしれません。なるほどと思いました。
私も、第四楽章は、第三楽章までの崇高な世界を捨てて、もっと人間的な世界に進もうとした音楽だと思っています。私の第九解釈は「笑えるクラシック」(幻冬舎新書)に書きました。わかりやすくするために、そして「笑える」という点を強調するために、ちょっと大げさに書いていますが、そこでも、そのようなことを書きました。大野さんの演奏、確かにそれが現れていたかもしれません。

投稿: | 2011年12月28日 (水) 07時48分

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