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「苦手な人もすらすら書ける文章術」刊行 そして近況

51uqtfxi07l__sl500_aa300_  このたび、PHP研究所から「苦手な人もすらすら書ける文章術」という本を出した。文章を書くのがまったくの苦手という人に向けた文章術の本だ。これまで私が書いてきた本よりも、もっとやさしく、もっと基礎から解説したものだ。

 文章を書く機会の少ない人には、このような本が最も必要とされていることに気づいて書いた。少しでも世間の役に立てると嬉しい。

 ちょっと近況を記しておく。

先週の金曜日(24日)に、京都産業大学の集中講義を終えて、東京に戻ってきた。一日3コマ授業をして、その後、あれこれと原稿を書いていたので、かなり疲れた。

 京都では、二度ほど、贔屓の店である新阪急ホテルの地下の美濃吉で夕食を食べた。白みそ仕立てはまさしく絶品。山芋ヒロウスも実にうまかった。一度は四条駅付近のエッセンという店で食べたが、リーズナブルな値段で、なかなかおいしかった。ドイツ風の創作料理というところか。

 明日(27日)、また別件で京都に行く。が、おいしいものを食べる時間があるかどうか、かなり微妙。時間をとれると嬉しいのだが。

 今日(26日)の夕方、多摩大学のゼミ生二人とともに、5月に予定している多摩大学樋口ゼミ主催のコンサートで演奏していただくピアニスト久保山菜摘さんと打ち合わせ。昨年の鳥栖のラ・フォル・ジュルネの無料コンサートで見事な演奏をしている久保山さんに声をかけて、私たちのゼミのコンサートの出演してくれることをお願いし、快諾を得たのだった。久保山さんはまだ桐朋学園大学の1年生だが、すでにあちこちのコンサート活躍している。なんとか、私たちのコンサートも成功させたい。そして、クラシック音楽に感動する人を一人でも増やしたい。

 京都から戻ってからも忙しさが続いている。音楽を聴く時間もないし、ブログを書く時間もとれない。ああ、時間がほしい・・・!!

 そんなわけで、時間がないので、このくらいでブログを切り上げる。

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新国立劇場「沈黙」みごと!!

 2月19日、新国立劇場中劇場で松村禎三作曲のオペラ「沈黙」を見た。もちろん、話には聞いていたが、実際に見るのは初めてだった。素晴らしい作品だと思った。日本を代表するオペラの一つだと思う。

 演奏もとてもよかった。指揮は下野竜也。鳴らすべきところは鳴らして、しっかりとコントロールした指揮。東京交響楽団も破綻なく、この難しい音楽を演奏してくれた。合唱も見事。少女たちもとてもよかった。

 ロドリゴは小餅谷哲雄。この人、私は初めて聴いたと思うが、とてもしっかりした歌で、音程も言いし、聞き取りやすくてとてもよかった。キチジローは星野敦。演技はちょっと大袈裟すぎる気がしたが、コミカルで人間の弱さを描き出してなかなかよかった。フェレイラの久保和範、ヴァリニャーノの成田博之も好演。オハルの高橋薫子も可憐で清楚で素晴らしい。

 演出もおもしろかった。とてもわかりやすく、おそらくは原作に忠実な演出だと思う。人物の関係、その心理が整理されている。ともあれ、日本のオペラとしては最高レベルの仕上がりだと思う。

 遠藤周作の原作を読んだのは40年ほど前だ。久しぶりに原作を思い出した。台本もとてもよくできていると思った。過不足なく、要点をしっかりと示し、音楽の力で十分に主人公の葛藤を観客にわからせられる。

 それにしても、「神の沈黙」という重いテーマをしっかりと2時間半のオペラの中に詰め込んで成功していることに驚嘆した。オペラになじみにくいテーマだと思うが、それをしっかりと語っている。音楽も実に雄弁。信仰、それに対する疑惑、神の沈黙、葛藤、それらを実に鋭く描き出してくれる。

 ただ、このオペラを見ながら、どうしても日本の貧しいキモノを着たキリシタンたちがオペラ調に歌うことに違和感を拭い去れなかった。「キリスト教は日本にはなじまないのではないか」というテーマは、そのまま「オペラは日本にはなじまないのではないか」というテーマと重なって感じられた。

 そのような違和感を吸収する装置として、松村禎三は、西洋的要素の強い遠藤周作のこの原作をオペラ化しようとしたのだろう。だが、まだ違和感が残る。この違和感は、もちろん、日本の近代化は実は西洋の物まねに過ぎなかったのではないか、単に西洋列強の武力に屈して、その文化を普遍的なものと錯覚しただけではないのかという、オペラに限らずすべての現在の日本人が親しんでいる文化に通底する根底的な疑問につながる。

 それにしても、日本の近代化にとってキリスト教の果たした役割は大きい。明治時代、ヨーロッパの近代文化を日本中に広めたのは、各地に建てられたカトリックとプロテスタントの教会だった。とりわけ、音楽の世界では、教会の礼拝やキリスト教系の幼稚園などを通して西洋音楽が日本社会に入り込み、それが根付いていった。その根本にあったのが江戸時代のキリシタンの存在であることを、今日のオペラを見ながら改めて感じた。

 また、キリスト教、とりわけカトリック教が「普遍性」を根底的な教義にすえるものであることも改めて感じた。たしか、「カトリック」の語源は「普遍」ということだったはずだ。しかし、普遍は実は地域性、個別性、特殊性を破壊する思想でもある。

 ともあれ、いろいろと考えさせられたオペラだった。

 終演後、すぐに京都に移動。今、京都にいる。明日から、京都産業大学で集中講義。講義後も原稿を書かなければならないので、せっかくの京都だが、観光は今回もまたできそうもない。

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ファウスト+メルニコフのベートーヴェン・チクルス最終日

 2月18日、王子ホールでイザベル・ファウストとアレクサンダー・メルニコフのベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏3日目を聴いた。前半に45番、後半に10番。昨日に続いて大いに感動。

 二人の「楽器による対話」がことのほか素晴らしい。それぞれの曲の緩徐楽章に特にそれを感じる。たとえば、第10番の第4楽章。変奏形式だが、それぞれの変奏で二つの楽器がまさしく対話を織りなす。スリリングでありながらも、実に親しげで温かい。まさに二つの楽器で対話し、補いあっている。やや鋭いファウストのヴァイオリンの音と、音の粒立ちが最高にきれいでありながらニュアンス豊かで柔らかいメルニコフのピアノの音が微妙にマッチする。

 第五番「春」は聴きなれた曲だが、ファウストが弾くと、まるでベートーヴェン後期の弦楽四重奏曲のような孤高の精神を描くようにきこえてきた。もちろん、第10番は、まさにベートーヴェンが最後にたどりついた自由で研ぎ澄まされた境地が二つの楽器から描き出されてきた。すごいとしか言いようがない。

 私は完全にベートーヴェンの精神の中を浮遊した。細かいところまで実に神経が行き届き、音の一つ一つが美しく、研ぎ澄まされ、全体の校正も実にしっかりしていて、文句なし。

 アンコールはシューベルトのソナチネと、何とジョン・ケージの「ノクターン」。ジョン・ケージのこの曲は初めて聴いたが、おもしろかった。何だ、わりとふつうの曲ではないかと思った。

 これで3日間にわたるファウストとメルニコフのベートーヴェン・チクルスが終了。大学の授業は終わったが、原稿などで忙しいので、かなりくたびれたが、ともあれ満足。「クロイツェル」だけちょっと不満に感じたが、ほかは期待通りの素晴らしさだった。

 ところで、今年のゴールデンウィークに有楽町の国際フォーラムで開かれるラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンのプログラムが発表された。今年はロシア音楽特集なので、この方面にあまり詳しくない私は、ナントにも行かなかったし、もしかしたら、あまり楽しめないのではないかと心配していた。が、プログラムをみると、実に魅力的。行きたいコンサートが目白押し。

チャイコフスキー、プロコフィエフ、ラフマニノフの交響曲や協奏曲はもちろん、プロコフィエフやショスタコーヴィチの室内楽やロシアの宗教合唱曲を聴きまくりたいと思い始めた。やっぱりナントに行っておけばよかったと強く後悔! 多摩大学の一般入試がちょうどナントのラ・フォル・ジュルネの時期と重なるので、昨年のように公式本(「音楽によって人は輝く」)を書いたわけでもない今年は踏ん切りがつかなかったのだった。それに、来年からは責任ある仕事をすることになっているので、入試の時期には学校の仕事に専念するしかない・・・

 ともあれ、5月が楽しみだ。

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ファウスト+メルニコフのベートーヴェン・チクルス2

 2月17日、王子ホールでイザベル・ファウストとアレクサンダー・メルニコフのベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲演奏の2日目を聴いた。休憩なしで、6・7・8番の3曲のソナタ。これは正真正銘、最高の演奏だった!!

 初日の「クロイツェル」には少し不満だったことは、このブログに書いた。だから、今日は、ちょっと不安に思いながら聴き始めた。

が、6番、7番と上り調子に良くなるのを感じた。7番は緊張感にあふれ、張りがあり、二人の息がぴったり合い、まさしく知的な高揚にあふれた演奏だった。誇張するでもなく、技術をひけらかすのでもなく、ただひたすら音楽そのものに真摯に立ち向かう。そこに緊張感にあふれ、しかも豊かで初々しい音楽が立ち上がってくる。本当に素晴らしい。

 8番も実にチャーミング。この第二楽章の掛け合いが最高におもしろかった。ユーモアにあふれ、しかも深い。なるほど、こんな音楽だったのかと納得した。第三楽章も、溌剌とし、しかも力強く、私は音楽の世界に取り込まれた。

 音楽の専門知識がないために、こんな素晴らしい演奏をうまく表現することができないのが、もどかしい。「感動した!」という陳腐なことしか言えない。

「クロイツェル」もこのような演奏を望んでいたのだが、私の耳にはそうは聞こえなかった。あるいは、私は「クロイツェル」については、自分なりに強いイメージを持っているので、そのために十分に感動できなかったのかもしれないと、思い返した。

 アンコールはシューマンの3つのロマンスから第2番。とてもチャーミングでよかった。

 ともかく、今日は大満足。

 ところで、私はこのコンサートの途中で、むせてしまって苦しい咳をしてしまった!! 周囲の方に不快な思いをさせたかもしれない。不快に思われた方がこれを読んでいたら、お詫びしたい。本当に申し訳ない。が、意図的に出したわけではなく、素晴らしい音楽の邪魔をするくらいなら、しばらく息を止めておこうと必死の思いでこらえようとしたのだが、漏れてしまった。何卒ご容赦願いたい。

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イザベル・ファウスト+アレクサンダー・メルニコフのベートーヴェン・チクルス

 2月16日、王子ホールでイザベル・ファウストとアレクサンダー・メルニコフによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲の第一夜に出かけた。前半、ソナタの1・2・3番、後半に9番「クロイツェル」。素晴らしい演奏だったが、実を言うと、もっともっと感動するつもりで出かけたので、ちょっと期待外れ。

 繰り返すが、もちろん素晴らしい。まずファウストの求心的で切れの良い音色が素晴らしい。細かい音の処理が完璧で、小刻みな音が上下する時、その切れのよさに私は圧倒される。外面的な効果を狙うことなく、あくまでも生真面目に音楽そのものに肉薄していく。しかも、感情に引きずられず、あくまで知的。まさしく知的に高揚していく。

 そして、ファウストにも増してすごいのがピアノのメルニコフ。柔らかくて深い音。「含蓄に富んだ音」とでも表現したくなる。完璧な技巧で切れがよいのだが、それ以上に深いニュアンスを感じさせる。ファウストのやや攻撃的な音を包み込むかのよう。

 二人の息もぴったり。最高のデュオといえるだろう。

 前半はともあれ満足して聴いていた。1・2・3番をこんなにニュアンス豊かに、しかも切れよく生で聴いたのは初めてだった。初々しく生き生きとした若きベートーヴェンがたちあらわれた。後半が楽しみだった。

「クロイツェル」も第一楽章の途中まで、私はその世界に酔っていた。ところが、その後、私がファウストの醍醐味と思っている「知的高揚」が爆発しなかった。敢えてスケールを大きく取らずに演奏しているのだとは思うが、もっと魂を揺り動かしてほしかった。いや、その一歩手前まで、私は感動するのだが、爆発しなかった。

 私はまったくの音楽の素人なので、専門的なことはわからない。私の判断の基準はあくまでも私のきわめて肉体的、生理的な反応による。だから、私が疲れているとき、仕事で気になることがあるときには感動しない。そんな状況も考えられないではないが、ともあれ、私はそれほど深く感動しないままだった。

 そういえば、楽章の間、ファウストはかなり長い時間をかけて調弦していた。もしかしたら、ファウスト自身、弦の状態に違和感を覚えていたのかもしれない。

 アンコールはウェーバーのソナタ。もちろん初めて聴いた。ファウストは「作品10」と言っていたように思ったが、ウィキペディアで調べたら、それはフルート・ソナタのようだ。フルート用のソナタをヴァイオリンで演奏したということなのだろう。チャーミングな曲だった。ぴったりと息があって心地よかった。

 大きな期待をしないで出かけていたなら、感動に包まれて帰っただろう。が、期待が大きかっただけに、ちょっと残念な思いで家に向かった。

 近況を付け加える。12日の昼間、高校~大学時代の友人が大分から上京。駅まで迎えに行き、駅付近で二人で昼食を済ませて、我が家に案内した。その友人と妻は同じ大学の出身なので、妻を交えて話をした。が、彼は仕事があるとのことで、1時間ほどで帰った。あとはずっと自宅で仕事。

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イザベル・ファウスト+N響のプロコフィエフの協奏曲、ド・ビリー指揮「ザ・グレート」

 2月12日、NHKホールで、NHK交響楽団の定期公演を聴いた。前半はドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」と、イザベル・ファウストがソリストをつとめてプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番、後半はシューベルトの交響曲第8番「ザ・グレート」。全体的にとてもよかった。

 目当ては、イザベル・ファウスト。昨年のバッハが素晴らしかったので、ぜひ聴きたいと思った。知的で形が崩れないのに高揚し、リアルな音で迫ってくるところが、実に凄い。プロコフィエフにぴったり。この第二楽章のスケルツォが私は大好きだ。若いころのプロコフィエフに特有のモダニズムの音楽。このうきうき感がたまらない。ファウストの演奏も、切れがよく、しかもうきうき。

ただ、欲を言うと、もっともっと感動させてくれるかと期待していた。が、この会場で、しかもかなり空席が目だったので、ファウストもあまり乗らなかったのかも。

 ファウストはバッハのパルティータの2番の「サラバンド」をアンコール。これはプロコフィエフ以上に素晴らしかった。が、しっとりと小さな音で弾いたので、NHKホールではあまり響かなかったかもしれない。私は、こんなこともあろうかと1列目(ただし、補助席が出ていたので、実際には2列目だった)の席をとっていたので、しっかりと聴くことができた。感動的な個所がいくつもあった。

 後半の「ザ・グレート」も素晴らしかった。ド・ビリーは実にいい指揮者だ。あまり大袈裟に個性を打ち出さないが、ここぞというところにアクセントをつけて音楽を生き生きとさせてくれる。延々と「歌」の続くこの曲を、うまく起伏をつけ、整理し、豊かな流れの音楽にしてくれる。大人の指揮者という感じ。

 満足して帰った。

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ネマニャ ファンクラブ「プレプスカ」の活動は続く! そして、重大な覚悟!!

 セルビア生まれの天才ヴァイオリニスト、ネマニャ・ラドゥロヴィチのファンクラブである「プレピスカ」(セルビア語で「交流・対話・交感」を意味する)が発足して約1年がたつ。2月11日、ファンクラブの総会を都内某所で開いた。会員は100名を超しているので、それなりの大所帯になった。私は会長ということになっているが、特になにをするでもない。ネマニャの熱狂的なファンから成る事務局の方々の献身的な活動によって、成り立っている。

 役員の選出で、これまで通り、私が会長を続けることになった。あまり活動実態のない会長だが、それなりのお役には立てるかもしれないので、ありがたく続けさせていただくことにする。

 10月と11月にネマニャは来日して、コンサートを開くので、その前後にこれまでの2回と同様、何らかのファンイベントを開く予定だ。ファンクラブの活動をもっと盛んにし、クラブを発展させていきたい。

 総会の後、食事会。10名ほどで近くの居酒屋で食事しながら談笑。とても楽しかった。

 ところで、私の状況に大きな変化が起こった。

私の勤務する多摩大学で、4月から学内の重要な委員長を務めることになった。これまで、できる限り大学内の役職には就かないように逃げまくってきたが、さすがに、そうも言っていられなくなった。覚悟を決めて、学務にあたるしかない。いつまでもわがままは言っていられない。私に能力があるかどうかあまり自信はないが、できるだけのことをしようと思う。

 よって、これまでのようにコンサート三昧はできなくなる。チケットの手配をしたので、夏のバイロイトとザルツブルクは予定通りいくが、それ以外は昨年までのようにはいかないだろう。新国立劇場のセット券も、考えた末、泣く泣く購入をあきらめた。せっかくチケットを購入していても、行けなくなることが多くなりそう。

 が、昨年、144のコンサートに行って、ちょっと行きすぎたと感じていたので、これをよい機会だと思うことにしよう。コンサート通いがまるで中毒のようになっていた。

 実は、そんなこともあって、ネマニャファンクラブの会長という役目も辞退しようかと思っていたが、なんとなく言いそびれた。今でもそれほどの仕事をしているわけではなく、まあ「お飾り」みたいなものでもあるし、それなりには「お飾り」としての役に立っているようなので、このまま続けさせていただくことにする。

 というわけで、3月までは心おきなく音楽を楽しもうと思う。いや、連休中のラ・フォル・ジュルネまでは、昨年同様に楽しみたいものだ・・・

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ミランダ・キースのリサイタル、そして「アンナ・ボレーナ」と「ダナエの愛」のBD

 2月10日、大学で教授会などに出席。その後、会議などを行った後、武蔵野市民文化会館に行って、ミランダ・キースのソプラノ・リサイタルを聴いた。なかなかよかった。

 キースというソプラノ、もっと若い人かと思っていたら、かなりのお歳。ハイヒールを履いていたとはいえ、ピアノ伴奏の斎藤雅広さんが肩ぐらいしかないほどの大柄な女性だった。メンデルスゾーンの「新しい恋」に始まり、歌曲とオペラが入り混じって歌われた。最初は大柄なおばさまのわりにはかわいらしい声に聞こえたが、徐々に迫力を増していった。小ホールが迫力ある大声でビンビンと響く。

シュトラウスの「夜」や「万霊節」「献呈」やシベリウスの「逢引から帰った乙女」もよかったが、後半の英語の歌(クイルター「愛の哲学」、コープランド「心よ、彼のことは忘れよう」、バーバー「この輝く夜にきっと」、ブリッジ「愛はペガサスの翼に乗って」)が一番良かった。

が、全体的には、やや一本調子。声もきれいだし、声量も見事で、十分に良い演奏なのだが、あと少しの感動が薄い。どの曲も雰囲気にあまり違いが感じられない。音楽の深い世界がたちあらわれてこない。もったいないと思った。ピアノの斎藤さんはいつも通り、実に素晴らしい。歌曲の伴奏者として、これほどすべてに一流の音楽をつけるのは凄いことだと思う。

ところで、オペラのBDを2本見た。それについても簡単な感想を書いておく。

796 ・ドニゼッティ「アンナ・ボレーナ」。ウィーン国立歌劇場。

 私はドニゼッティ好きではないのだが、アンナ・ボレーナをネトレプコが歌っているので購入した。このオペラ、CDで一、二度聴いた覚えがあるが、ほとんど親しんでいない。

ジョヴァンナはエリーナ・ガランチャ。エンリコ8世を歌うのはイルデブランド・ダルカンジェロ。この三人は、期待通り、文句なし。容姿、声とも大迫力。演技力という面ではガランチャが少し劣るかもしれないが、それに勝る容姿がある。

 指揮のエヴェリーノ・ピドを初めて聴いたと思うが、とてもいい指揮者だと思った。歯切れがよく、音が生きている。しかも、存分に歌わせる。演出はエリック・ジェノヴェーゼ。きわめてオーソドックスな演出だと思う。

636 ・シュトラウス「ダナエの愛」ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団&合唱団。

 ネットを探しているうちに、このBDの存在を知ってあわてて購入。私は14歳のころから(つまりは、46年ほど前からの!)シュトラウス・ファンだ。シュトラウスのオペラについては、可能な限り見聞きしてきた。CDやDVDもめぼしいものはすべて入手している。「ダナエの愛」は、タイトルだけは40年ほど前から知っていたが、ずっと聴く機会がなかった。近年になって、やっとCDが発売されたので、そのいくつかは購入したが、日本版ではなかったために、ストーリーさえよくわからなかった。ベルリン・ドイツ・オペラの映像が発売されたとあらば、見てみないわけにはいかない。

今回、映像で見て、ストーリーは理解できた。神話を扱ったオペラだが、今回の演出は現代に時代が移されている。とはいえ、ストーリーを理解するのに、それほど違和感はない。だが、よくいわれる通り、あまり出来の良い台本ではないと思う。話がわかりにくいし、無駄があまりに多いと思う。音楽については、シュトラウスらしい素晴らしいところがたくさんある。ストーリーを理解できたうえで音楽を聞くと、これまでと違って聞こえてくる部分があった。

歌手たちの水準はあまり高くない。ダナエを歌うマヌエラ・ウールもユピテルを歌うマーク・デラヴァンもミダスを歌うマティアス・クリンクも、まさしく「いまいち」。声が不安定で、時々苦しさがのぞく。メルクールを歌うトーマス・ブロンデレが、主役格の中では最も良かった。

全体的に日本の新国立劇場での公演と同じくらいのレベルといえるかもしれない。逆に言うと、日本の新国立は、ベルリン・ドイツ・オペラの通常の公演に決して劣らない水準に達しているということだろう。

指揮はアンドリュー・リットン。悪くはないのだが、ほかの人が指揮したら、もっと良いのではないかという気がしないでもない。演出はキルステン・ハームズ。初めてみるオペラなので、演出については何とも言えない。

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三ツ橋敬子+読響の「イタリア」など

  2月9日、すみだトリフォニーホールで、三ツ橋敬子指揮による読売日本交響楽団の「深夜の音楽会」を聴いた。前半、リヒャルト・シュトラウスの13管楽器のためのセレナードと、読響の首席オーボエ奏者である蠣崎耕三によるオーボエ協奏曲、後半、メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」。この演奏は、そのうち日本テレビで放送されるはず。忙しくて時間がないので、ごく簡単に感想を書いておく。

 三ツ橋敬子の指揮は二度目。前回は、びわ湖のラ・フォル・ジュルネで、日本センチュリー交響楽団を指揮しての「運命」と「合唱幻想曲」を聴いた。とてもよい演奏だったので、今度も聴きたい気になった。

 前半のシュトラウスのこの2曲は難しい。一つ間違うと、とりとめのない曲になってしまう。そして、ある種、そのとりとめのなさが魅力でもある。オーボエ協奏曲には晩年のシュトラウスの境地が表れている。今日の演奏は、それをまずは無難にまとめた感じ。うまく処理していたが、深い感動を呼ぶには至らなかった。オーボエに関しても、なかなかの腕だが、あと少しの爆発がほしいと思うのは、ないものねだりだろうか。読響の管楽器のメンバーはとても充実。

 後半の「イタリア」はかなり良かった。第一楽章と第四楽章のきりりとひきしまって生き生きとしたところが実にすばらしい。スケールが大きく、形式感もしっかりしている。メリハリの付け方にちょっと癖があるが、それが私にはとても魅力的。ただ、第二・三楽章がちょっと退屈だった。この曲そのものにそのような傾向があるので、仕方がないかもしれないが。

 アンコールは「ピチカート・ポルカ」。手際のよい指揮。

 ともあれ、とてもいい指揮者なので、これからも聴きたいと思った次第。

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エベーヌSQ、エリシュカ、そしてネゼ=セガン おっ!と驚いたCD、DVDのことなど

 忙しい! 年末から現在まで、まったく余裕なく過ごしている。学務のほか、立て続けに3冊分の本の校正をし、新たに原稿を書き、大学や企業の研修で書いてもらった大量の文章を添削し、新企画の本の準備をし、講演を行い、その合間にコンサートやオペラに行っている。そのため、年賀状も書かず、いただいた年賀状の返事もほとんど書く時間がなく、そのまま2月に突入してしまった。

しかも、12月からずっと作ってきた教材を全面的に書き改めなければならなくなったので、これから先もしばらく余裕のない状態が続く。暗い気持ちになっている。

昨年の今の時期はナントのラ・フォル・ジュルネに行って、音楽を楽しんでいたが、今年は仕事が忙しく、しかも今年の特集であるロシア音楽は大の得意というわけではないので、ナントには出かけないことにした。

代わりに、夏にバイロイトとザルツブルクに行こうかと計画中。実は、バイロイトには、ワーグナー生誕200年である来年に行きたいと思っていた。来年、何とネトレプコがエルザを歌うと言うではないか! だが、来年はどうもチケットの入手が難しそう。そんな折、今年、バイロイトに行き、ついでにザルツブルクにも行かないかと音楽友だちに誘われて、その気になった。

そんな中、なんとか暇を見つけてCDやDVDを聴いている。特に耳をひかれたいくつかの演奏について書くことにする。

375 ・エベーヌ弦楽四重奏団 モーツァルト弦楽四重奏曲K421、K465「不協和音」など。

 先日、武蔵野市民文化会館であまりにすばらしい演奏を聴いたので、CDを入手してみた。K421の最初の2、3小節であまりの美しくも研ぎ澄まされた音に驚く。余計な思い入れなどまったくないが、そうであるだけにモーツァルトの書いた音楽のそのままの力が迫ってくる。「不協和音」も、もやもやしたところのまったくない、あまりに明晰な音で始まるが、その後の展開の美しさは言葉をなくすほど。素晴らしい名演奏だ。

 同時にドビュッシー、フォーレ、ラヴェルの弦楽四重奏を集めたCDと、ブラームスの1番の弦楽四重奏と山本亜希子のピアノを加えてのピアノ五重奏曲のCDも購入した。こちらもとてもいいが、フランスものはちょっと緻密すぎて、もう少し「遊び」がほしいと思った。

060 ・ラドミル・エリシュカ指揮 札幌交響楽団 ドヴォルザーク 交響曲第6番など。

 先日、このエリシュカとNHK交響楽団の演奏で同じ曲を聴いたばかり。素晴らしい演奏だったので、札幌交響楽団とのドヴォルザークの交響曲の録音を3枚購入した。確か、この3枚、発売を知ったと同時にどこかにネットで注文した記憶があるのだが、商品は届かず、そのまま忘れていた。どうなっていたんだろう?

 解説を書いている音楽ジャーナリストの岩野裕一さんと日本ヤナーチェク友の会の代表の山根英之さんがエリシュカの音楽に惹かれ、力を尽くして販売にこぎつけたCDがこれだ。このCDによって、それまで隠れた存在だったエリシュカの名前が日本中に広まった。

 N響との演奏を聴いた後で山根さんは「札響との演奏がチェコ風だとすると、N響との演奏はドイツ風」と話していた。その時はピンとこなかったが、このCDを聴くと、まさにその通りだと思う。こちらのほうが、エリシュカの作りたい音楽そのものなのだろう。

 何と懐かしい音の響きだろう。N響を聴いてもそう思ったが、札響との演奏はそんなものではない。まさに田舎の風景が目に浮かんでくる。ひなびて、しなやかでくすんで柔らかい。N響との演奏も素晴らしかったが、こちらはもっと素晴らしい。

 ドヴォルザークの5番と7番のCDも同じくらい素晴らしかった。本当にいい指揮者だ。

798 ・グノー「ロメオとジュリエット」DVD 2008年ザルツブルク音楽祭 ネゼ=セガン指揮。

 先日、メトロポリタン・オペラのライブビューイングで同じネゼ=セガンの「ファウスト」を見たばかりだったが、「ロメオとジュリエット」のザルツブルクのDVDも凄い。

 ロメオはロランド・ヴィラゾン。ジュリエットはニーノ・マチャイゼ。ともに文句なし。実に美しく輝きのある声。ローラン役のミハイル・ペトレンコ、キャプレット卿役のファルク・シュトリュックマン(何度見ても、私はこの人の顔の識別ができない! 声を聞いて、あれ、もしかして?と思って配役表を見てやっと確信が持てる)も実にいい。

 が、やはりそれ以上に圧倒的なのが、ネゼ=セガンの指揮。張りがあり、ドラマティック。しかも、意味もなく力んだり、いたずらにドラマを盛り上げようとするのでなく、実に正統な音楽に即している。中身の詰まった音がする。そして、私はディオニュソス的なものを強く感じる。これまで私はグノーという作曲家に惹かれることはほとんどなかったが、ネゼ=セガンの指揮を聞くと、これは凄い作曲家なのだと認識する。

 ともかく、ネゼ=セガンの指揮ぶりに酔った。

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