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イザベル・ファウスト+アレクサンダー・メルニコフのベートーヴェン・チクルス

 2月16日、王子ホールでイザベル・ファウストとアレクサンダー・メルニコフによるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全曲の第一夜に出かけた。前半、ソナタの1・2・3番、後半に9番「クロイツェル」。素晴らしい演奏だったが、実を言うと、もっともっと感動するつもりで出かけたので、ちょっと期待外れ。

 繰り返すが、もちろん素晴らしい。まずファウストの求心的で切れの良い音色が素晴らしい。細かい音の処理が完璧で、小刻みな音が上下する時、その切れのよさに私は圧倒される。外面的な効果を狙うことなく、あくまでも生真面目に音楽そのものに肉薄していく。しかも、感情に引きずられず、あくまで知的。まさしく知的に高揚していく。

 そして、ファウストにも増してすごいのがピアノのメルニコフ。柔らかくて深い音。「含蓄に富んだ音」とでも表現したくなる。完璧な技巧で切れがよいのだが、それ以上に深いニュアンスを感じさせる。ファウストのやや攻撃的な音を包み込むかのよう。

 二人の息もぴったり。最高のデュオといえるだろう。

 前半はともあれ満足して聴いていた。1・2・3番をこんなにニュアンス豊かに、しかも切れよく生で聴いたのは初めてだった。初々しく生き生きとした若きベートーヴェンがたちあらわれた。後半が楽しみだった。

「クロイツェル」も第一楽章の途中まで、私はその世界に酔っていた。ところが、その後、私がファウストの醍醐味と思っている「知的高揚」が爆発しなかった。敢えてスケールを大きく取らずに演奏しているのだとは思うが、もっと魂を揺り動かしてほしかった。いや、その一歩手前まで、私は感動するのだが、爆発しなかった。

 私はまったくの音楽の素人なので、専門的なことはわからない。私の判断の基準はあくまでも私のきわめて肉体的、生理的な反応による。だから、私が疲れているとき、仕事で気になることがあるときには感動しない。そんな状況も考えられないではないが、ともあれ、私はそれほど深く感動しないままだった。

 そういえば、楽章の間、ファウストはかなり長い時間をかけて調弦していた。もしかしたら、ファウスト自身、弦の状態に違和感を覚えていたのかもしれない。

 アンコールはウェーバーのソナタ。もちろん初めて聴いた。ファウストは「作品10」と言っていたように思ったが、ウィキペディアで調べたら、それはフルート・ソナタのようだ。フルート用のソナタをヴァイオリンで演奏したということなのだろう。チャーミングな曲だった。ぴったりと息があって心地よかった。

 大きな期待をしないで出かけていたなら、感動に包まれて帰っただろう。が、期待が大きかっただけに、ちょっと残念な思いで家に向かった。

 近況を付け加える。12日の昼間、高校~大学時代の友人が大分から上京。駅まで迎えに行き、駅付近で二人で昼食を済ませて、我が家に案内した。その友人と妻は同じ大学の出身なので、妻を交えて話をした。が、彼は仕事があるとのことで、1時間ほどで帰った。あとはずっと自宅で仕事。

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