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12歳の文学賞受賞式、そして拙著「知識ゼロからのクラシック音楽鑑賞術」発売のこと

 3月28日、小学館本社ビルで12歳の文学賞の受賞式が行われた。私も審査委員の一人として出席した。昨年は震災のために中止だったので、2年ぶりの授賞式。

 審査員はあさのあつこ、石田依良、西原理恵子、そして私の4人。が、残念ながら、石田さんと西原さんは事情があって欠席。あさのさんと私の二人だけの出席だった。

 受賞者とその保護者の方、そして報道関係者の前で、私も審査の経緯と講評を話した。その後、受賞者とともに小さな会食。

 いつものことながら、「レンタルキャット」で大賞を得た工藤みのりさんをはじめ、大人顔負けの素晴らしい小説を書いたのが、こんな小さな子どもたちだということに驚く。

 工藤さんの作品は、言葉の喚起力、構成、人物設定、心理描写などすべてが見事。小学生の作品とは思えない完成度だが、そこにはまさしく小学生の感性がある。豊かな才能に驚く。

 ほかの作品も見事なものがいくつもあった。その中でも私が特におもしろいと思ったのは、前田慈乃さんの「かくれんぼクラブ」と小林陸君の「じいちゃんが」だった。前者はホラー小説。ぞっとするほど怖い。小学生の書いたものに、60歳を超えた私が怖くてトイレに行けなくなるほどだった。後者は、近代小説の約束事を取っ払ったかのようなハチャメチャ小説。元気でおもしろい。もちろん、それ以外の作品もいずれ劣らぬ傑作ぞろい。

 これらの作品は小学館から刊行された「12歳の文学 第6集」に収められている。そのレベルの高さがわかるだろう。単に「子どもの書いた小説」というレベルではない。まさしく「天才」と呼んでよいような才能の文章が並んでいる。

 テーブルを共にして会食したが、やはり相手が子どもたちなので、どのように話をしてよいのかわからずに困った。利発で知的なお子さんたちなのだが、初めて会う人達との会食なので、子どもたちも戸惑っている。とりわけ、あさのさんは、小説を書く子どもたちにとっての大きな憧れの的なので、子どもたちも緊張している様子だった。小学館の方たちが気を遣って、子どもたちに質問したりしていたが、私としても、もう少し上手に話を回せばよかったと反省。

 なお、大賞を受賞した工藤みのりさんは、私の主催する作文・小論文の通信添削塾である白藍塾の会員だ。数年前から、毎回のようにずば抜けた作文を書くようになり、私たちもずっと注目していた。これまでいくつもの作文コンクールに入賞している。

 最終審査会の時、私は工藤さんの作品に最も心惹かれたが、会員の作品なのでひいき目かもしれないと思って、あまり強く推さずにいた。が、石田さんとあさのさんが強く推すので、もちろん私も賛成し、すんなりと大賞が決定したのだった。

 石田さん、西原さんが欠席なのが残念。お二人がいれば、受賞者はもっと嬉しかっただろう。私は文章指導者でしかなく、また大人向けのいわば自己啓発書風の本の著者なので、ほかの審査員と比べて、私は少なくとも小学生の憧れの存在ではなかろう。

 だが、それにしても、小学生たちの豊かな才能と、彼らの未来に頼もしさを感じた。

 この日は、この後、京王プラザホテルに移動。多摩大学の会議に出席し、その後、多摩大学懇親会。関係者と会食した。

51hwxnsg1ql__sl500_aa300_  ところで、幻冬舎から拙著「知識ゼロからのクラシック音楽鑑賞術」が発売になった。昨年の夏、ザルツブルク音楽祭の最中、夕方からのオペラの前にホテルで書いていたものだ。CD付きなので、その選択などに時間がかかり、今の時期の発売になった。

 タイトル通り、まったくの初心者向けに、初めにどのような曲を聴くべきなのか、そもそもクラシック音楽とはどのようなものなのか、コンサートに行くにはどうするかなどを懇切丁寧に説明している。

 わかりやすく書いたつもりだが、本の性質上、どうしても教科書的になって、好き勝手に書くことができず、かなり苦心した。もう少し自由に書きたかった。

 とはいえ、クラシック音楽初心者にはしっかりと役に立つ内容になっていると思う。関心のおありの方は、ぜひお読みいただきたい。

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結婚式に列席。そして、探偵ナイトスクープのこと

 昨日(3月24日)、姪(正確には妻の兄の娘)のアッちゃんの結婚式が行われ、妻と列席。式は新郎の住まいに近い藤沢市の教会で行われた。新郎新婦ともにクリスチャンだとのことで、手作り感の強い式だった。その後、市内のホテルで披露宴。新郎はとてもよい方に見えた。私も下手なスピーチをした。アッちゃんの幸せを祈る。

新婦の父(つまり妻の兄)が泣き崩れていたが、果たして私がそのような立場になったら、どうなるだろう。「娘をいつまでも手元に置いておきたい。嫁にやりたくない」という話を、同世代の男たちからよく聞くが、私はそのように思ったことは一度もない。私は誰にも負けずに娘を愛していると思うが、だからと言って手放したくないとは思わない。そんな私も、いざとなると、そんな父親の一人になるのだろうか。

自分も近いうちに新郎あるいは新婦の父親の役をすることになりそうだという思いをずっと抱いて、式と披露宴を見ていた。

久しぶりに「探偵ナイトスクープ」を大いに楽しんだ。このところ、ちょっとマンネリ気味だと感じていた。が、関東地方で3月24日に放映された3つ依頼はどれも最高におもしろかった。

 幼稚園の送迎バスの運転手の服部さんが、園児に忍者だと誤解され、夢を壊さないために、みんなの前で忍者を演じたいという依頼。これを京都太秦映画村の忍者たちや、マジシャンが協力して、園児を前に忍者を演じる。服部さんの真面目さも園児たちの表情も実に面白い。

 樽の積み木を10段積み上げるまでの努力の「事件」もおもしろかったが、出色は最後の事件。夢の中に出てくる少女に恋してしまった中年男が妻への愛との間で葛藤する。が、夢の中に出てきた少女の似顔絵は愛する妻の20歳のころの姿だったというオチがつく。この中年男に催眠術をかけて、夢の中の少女を探ろうとするが、この男は催眠術がかかる前に熟睡してしまって、何度試みても、まったくかからない。最後、妻が「これは私の20歳のころの絵」と語っているのに、この中年男、それに納得できずにいる。そんなところが実にリアル。いったい、この番組、どのような仕掛けで制作しているのだろう。「やらせ」とは思えないリアリティなのだが、「やらせ」でなくて、どうして、こんなオチがうまくつくのだろう。いずれにせよ、見事な番組!!

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シルヴィア・シムズという女優さん

 50年ぶりくらいの再会、というのは大袈裟だが、そんな気分になった。

 私が初めて映画館で洋画(今はこの言葉も死語になりつつある)を見たのは、小学校を卒業して中学に上がる前、つまり1963年のことだったと思う。今でもよく覚えている。大分市のスカラ座(たいそうな名前だが、中心街から少し離れた洋画専門の小さな映画館だった。ついでに言うと、大分市の当時の人々は「スカラ座」といえば、だれもがミラノ・スカラ座ではなく、この映画館のことだと思っていた!)でかかっていた「ローマの女戦士」だった。もう一本、同時上映だったと思うが、それはよく覚えていない。誰と行ったのかも記憶していない。たぶん、一人ではなかったと思う。

 一つだけよく覚えているのが、女戦士を演じたシルヴィア・シムズという女優さんだった。あまり有名だったわけではない。が、多感な少年だった私は、この女優さんに魅了された。映画を見た後も何度か映画館に行ってスチール写真をうっとりしてみていたのを覚えている。その後、多くの西洋の女優さんの名前を知ることになるが、シルヴィア・シムズというのが私が最初に名前を知った西洋の女優さんだった。あれから、50年近くになるが、今でも、この名前ははっきりと覚えている。その後、この名前は聞かなかったので、特に思い出そうとはしなかったが、しかし、記憶の奥にきちんと残っている。

 そして、昨日。私はアガサ・クリスティがかなり好きで、たぶんすべての作品を読んでいる。NHK-BSでミス・マープルの新しいシリーズが始まったので、録画して、時間のあるときに見ようと思っていた。そして、時間を見つけて、「殺人は容易」という回を見始めた。

 始まったばかりのとき、ひょいと、出演者の中に、Sylvia Symsという名前が目に入った。もしかして!と思ったが、とりあえず、何度も中断しながらも、今朝やっと最後まで見終えた。彼女らしい人物は登場しなかったので、間違いかもしれないと思いつつ、もう一度出演者名を確認し、ネットで検索してみた!

 出てきた! ネットには、かつての若く美しい女優さんとともに、今回のミス・マープルのドラマが始まってすぐに殺される田舎の太ったおばあさんの写真が出ていた! きっ同一人物なのだろう。

イギリスではそこそこに有名な女優さんなのだろうと思う。だから、時間とともにだんだんと老けてきたのをイギリスでは多くの人が見ていたのだろう。だが、50年ぶりに、突然見るとその変貌に驚く。が、ネットに出てきたたくさんの画像を見ると、確かに変貌の跡を写真でたどることができる。

 かつての美しい女優さんもこうなるのかというちょっとしたショックも覚えたが、同時に、とても懐かしい気持ちになった。そうか、この人は実はかなり有名な女優さんで、その後もしっかりと仕事をし、イギリスの人たちに愛されていたのかと思った。世界的な女優さんに向かって大変失礼だが、昔憧れていた近所のお姉さんが、その後、有名になっていたことをしばらくして知ったような気分になった。

 今日はこれから自宅で少し仕事をして、京都に行かなければならない。京都も寒そう・・・。

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「社会人になる前に知っておくべき12カ条」発売! そして「エルナニ」のこと、エレナ・モンティのこと

517urj6vrpl__sl500_aa300_  拙著「社会人になる前に知っておくべき12カ条」(PHP研究所)が発売になった。

 大学で教えたり、通信添削という形で受験生と接したりしていると、今の若者のあまりの子どもっぽさにあきれることがある。これでは、社会人として生きていけないだろう、そもそも就職できないだろう、そのうちひどい目にあわされるだろうと思うことがある。

 私自身、いつまでも書生気分が抜けなかった記憶がある。そのために、かなりひどい目にあい、いくつもの損をしてきた。だからこそ、今の若者にはかつての私のような失敗をしてほしくないと思う。

そこで、社会に出る前に最低限知っておいてほしいこと、大人として身につけておいてほしいことをまとめたのが、本書だ。

12カ条のうちのいくつかを挙げると、「人と人は本当の意味では理解し合えない」「大人である限り、自分の行動が外からどう見えるか、どんな影響を与えるかについて、考えて行動しなければならない」「人間行動の基本はギブ・アンド・テイクである」などだ。大人にとっては当然のことであっても、若者には理解できていないこと、誰も教えてくれないことを、できるわけ読みやすく、わかりやすくまとめたつもりだ。

もしかしたら、すでに社会人として過ごしている人にも、いくつかは役に立つ項目があるかもしれない。

関心のある方には、ぜひ、目を通していただきたい。

319日、銀座の東劇でメトロポリタンオペラ、ライブビューイング(まあ要するに、ニューヨークのメトロポリタン・オペラ上演を実況中継したオペラ映画)のヴェルディ作曲「エルナニ」を見た。

演奏的にはかなり満足できるレベルだった。とりわけシルヴァを歌うフェルッチオ・フルラネットが素晴らしい。歌がうまく、演技力があるという以上に、圧倒的な存在感。国王を演じるディミトリ・ホヴォロストフスキーも素晴らしい歌唱。そして、アンジェラ・ミードも見事。名前は以前から聞いていたが、初めて歌を聴いた。「エルナニ」で2008年に衝撃のデビューを遂げたらしい。澄んだ声なのだが、迫力がある。テクニックも最高レベル。肝心のエルナニを歌ったマルチェッロ・ジョルダーニがほかの歌手たちよりも少し印象が薄かった。

「エルナニ」というオペラ、特にそのストーリーに私はやはり納得できなかった。原作はヴィクトル・ユーゴーで、フランス文学を勉強していたころ、翻訳で読んだ記憶がある。おもしろかったことを覚えている。だが、少なくとも、オペラの台本は腑に落ちないところばかり。「イル・トロヴァトーレ」ほどではないが、見ながら、いちいち「突っ込み」を入れたくなる。そうこうしているうち、エルナニに少しお感情移入できなくなる。

あまり感動できないままだった。

320日。多摩大学の卒業式。私の最初のゼミ生たちもめでたく卒業を迎えた。卒業生に感謝のしるしとしてプレゼントをもらった。「義理」かもしれないが、ともあれ、うれしいことだ。頼りない教師に頼りない学生たちのゼミだったが、ともあれ、社会人として成長してほしい。

 10時から11時半まで式。その後、ゼミ生や保護者と少し話をして、午後は多摩センター駅付近の京王プラザホテルで謝恩会に出席。ただし、残念ながら、謝恩会の料金が高いということで、学生の出席はあまり多くなく、ゼミ生は二人だけだった。残念。

謝恩会が終わった後、大学に戻って少し仕事をして、車で武蔵野市民文化会館に向かって、エレナ・モンティのソプラノ・リサイタルを聴いた。ピアノは斎藤雅広。

かなり若い歌手だった。最高に美しく、しかも強い声。音程もしっかりしている。容姿もいい。前半はバロックオペラと、リスト「おお、私が眠るとき」、ラフマニノフ「美しい人よ、私のために歌わないで」。後半は、「コシ・ファン・トゥッテ」や「ジャンニ・スキッキ」「ラ・ボエーム」などのアリア。イタリア語、フランス語、ロシア語を操る。アンコールは「ルサルカ」だからチェコ語。どの歌もうまい。

アンコールの「ルサルカ」はかなり良かったが、ほかの曲は、最高レベルには、あとほんの一味足りないと思った。すべての歌をさらっと歌って、本当の意味で心に染みない。

「エルナニ」のライブビューイングのインタビューでフルラネットがヴェルディを歌うコツを聞かれて、「歌詞の意味をしっかりと理解して、その役になりきることに尽きる」と答えていたが、まさにそれがまだほんの少しエレナ・モンティには欠けているのではないかと思った。が、将来の超大物であることは間違いない。近いうちに世界のプリマ・ドンナとして名を知られるようになることを期待したい。

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我が家のイチジクの木、そして多摩フィル

 我が家の庭にあるイチジクの木。大分県日田市の山里にある母の実家から接ぎ木したものだ。接ぎ木して4年、やっとおいしい実をつけ始めた矢先、昨年の台風で倒れてしまった。生き残った幹があるように見えたので、なんとか今年も実をつけるのではないかと期待していたが、やはり無理だったことがわかった。

 植木屋さんに頼んで剪定してもらおうとしたところ、幹が腐っており、ほとんど立ち枯れの状態にあると告げられた。

 庭の別のところに接ぎ木したもう一本も根付かなかった。どうやら、母の実家のイチジクを東京の我が家に接ぎ木すること自体が無理のようだ。

 大好物のイチジクだが、庭になっているのを食べるという贅沢を味わうのは諦めることにしよう。残念だけど!

 今日は、朝から大学で会議が3つ。そして、その間に雑誌の取材を受けた。その後、稲城市立iプラザホールで開かれたフィルハルモニア多摩の第10回定期演奏会に行った。

 フィルハルモニア多摩は、私たちのゼミでしばしば演奏をお願いしている多摩地区のプロのオーケストラ。以前、その力量の高さに驚き、また音楽監督の今村能さんの見事な指揮ぶりにほれ込んで、機会のあるごとに聴くことにしている。とりわけ、今回は、多摩大学の学園祭で演奏してもらったファゴットの湯本さんがソロで協奏曲を演奏するというので、ぜひ聴きたいと思った。

 曲目は前半にヴェーバーの「魔弾の射手」序曲とファゴット協奏曲。後半にベートーヴェンの交響曲第7番。

「魔弾の射手」序曲の前半は、オケの縦の線が合わずに、かなりぎこちなかったが、徐々に安定してきた。後半はしっかりとヴェーバーの世界を作り出した。ファゴット協奏曲は見事だった。とりわけ、ファゴット・ソロの湯本真知子さんは素晴らしい。感情に流されず、実に知的。だが、十分にロマンティック。一つ一つの音が美しい。指揮の今村さんの力もあるのだろうが、音楽の組み立ても理にかなっていて、私は音楽に引き込まれた。

 ベートーヴェンの第7番も見事な演奏だった。今村さんの指揮にしっかりしたメリハリがあり、盛り上げるところは盛り上げて、実にいい。とりわけ、第三楽章スケルツォからフィナーレにかけて、リズムが躍動し、無理なく自然に大きな爆発に導いていく。

 金管楽器がずっと苦しそうだったのが、残念だったが、このレベルの演奏を、稲城駅前のホールで聴けるのは実に幸せだ。もっともっと多摩フィルが地域に根づいてくれることを祈る。

 ところで、このブログに書いたとおり、先日、スクロヴァチェフスキ指揮、読売日本交響楽団のコンサートで隣に座った人に私が演奏を聴きながら頭を動かしていることで注意された。それ以来、音楽を聴くのが怖くなっていた。もしかしたら、私は音楽を聴きながらいつも首を振っているのではないか、周囲の人に迷惑をかけていたのではないか。そんなわけで、今日は自由席だったので、人様の迷惑にならないように一番後ろの席に座った。そして、時々我に返りながら、自分が頭を動かしているかどうか気をつけていた。

 が、どうやら私は、ベートーヴェンの第7番というリズムの権化のような曲を聴いてさえ、頭を動かしているわけではなさそうだ。スクロヴァチェフスキの演奏を聴いて、頭を動かしたのは、ほんとうにたまたまつい音楽に夢中になってしまったかららしい。

 ちょっと安心した。同時に、また我を忘れたら、頭を動かすのではないかと心配になった。

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「サロメ」「カプリッチョ」「カルメン」の映像

 明日以降、また忙しくなるが、昨日から少しだけゆっくりしている。ちょっとした時間を使って、いくつかオペラの映像を見た。簡単に感想を記しておく。

778 まずは、シュテファン・ゾルテス指揮、バーデンバーデン祝祭劇場の『サロメ』のBD(ブルーレイディスク)。DVDからBDに切り替えつつある。今回もBDを見た。

かなり前に売り出されているのをレコード店の店頭で気づいていたが、すでにオンラインで予約注文していたので、到着を待っていた。オンラインでほかのCDと一緒に注文したら、その発売日が遅かったため、なかなか届かなかった(これは、オンラインで買う時に注意しなければいけないことだ!)。

 全体的にはとても良かった。サロメを歌うのはアンゲラ・デノケ。実に立派な歌唱。細身なのに、しっかりした声を出し、歴代のサロメ歌いにまったく引けを取らない。容姿もいいし、大歌手になったものだと思った。ただ、そそるような色気がなく、もちろん少女には見えない。先日、NHK-BSで放送された昨年のザルツブルク音楽祭の「マクロプロス事件」(私は、この実演をザルツブルクで見て、演出のひどさに憤りを覚え、そのことをこのブログにも書きつけた!)でもそうだったが、デノケにもう少し色気が出てきたら、正真正銘の大プリマドンナになるだろうにと思った。

 ヘロデを歌うキム・ヘグリー、ヘロディアスを歌うドリス・ゾッフェルも実にいい。ヨカナーンのアラン・ヘルドは少し弱いと思った。声も演技もヨハナーンに思えない。不思議なヘアスタイルをしていたが、何か意味があるのだろうか。

 ニコラス・レーンホフの演出は、今となっては極めておとなしいもの。現代に近い時代に設定されており、卑猥な踊りがあるわけではない。シュテファン・ゾルテスの指揮ももちろん、悪くないのだが、はっとするような鋭さはなかった。むしろ、音楽的な美しさを重視しているようだ。が、私は『サロメ』には、もっと「衝撃」を求める。とはいえ、先日の二期会のコンヴィチュニーのような独りよがりのスキャンダラス演出はご免こうむりたいが。

 

798 ・アンドリュー・デイヴィス指揮 メトロポリタン歌劇場の「カプリッチョ」

 本当にメトロポリタン歌劇場のこのところの充実ぶりには驚く。ヨーロッパのオペラハウスがすべて奇をてらった演出を売り物にしているのに対して、穏当な演出、最高レベルの歌手陣をそろえ、誰にも満足できるオペラを見せてくれる。

「カプリッチョ」は、パリ・オペラ座のDVDも良かったが、それに劣らず素晴らしい。マドレーヌを歌うのは、ルネ・フレミング。これはもうほかの人は考えられないほどのはまり役。シュヴァルツコップを超えたマドレーヌ歌いだと思う。最後のアリアなど、実にしみじみとして、シュトラウス晩年の味をしっかりと出している。フラマンのジョセフ・カイザー、オリヴィエのラッセル・ブローンも実にいい。演出はジーン・コックス。ちょっと当たり前すぎると思うが、ともあれ安心して見ていられる。この不思議なテーマのオペラが実に自然に楽しく展開される。

161 ・ヤネック・ネゼ=セガン指揮 メトロポリタン歌劇場の「カルメン」DVD

 私は「カルメン」好きではないので、それほどたくさんの映像を見たわけではないが、これまで私が見た「カルメン」の映像の中で最も感銘を受けた。カラヤンのものよりクライバーのものよりもいい。

 カルメンを歌うエリーナ・ガランチャとドン・ホセを歌うロベルト・アラーニャ、ミカエラを歌うバルバラ・フリットリが、歌唱も演技も容姿も理想的。エスカミーリョがちょっと魅力に欠けるが、もちろん悪くない。脇役も実にしっかりしている。

そして、何よりも、ネゼ=セガンの指揮が素晴らしい。生きがよく、ぐいぐいと音楽を引っ張っていく。厚みがあり、エネルギッシュな官能性がある。自由奔放で悪に魅力にあふれるカルメンを描くのにぴったり。メトロポリタンなので、演出も極めて妥当なもので、すべてにおいて納得がいく。いたずらにエロティックにしていないが、十分にエロスを感じさせる。

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スクロヴァチェフスキ+読響のベートーヴェン

 3月13日、サントリーホールで、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮、読売日本交響楽団のコンサートを聴いた。曲目は、ベートーヴェンのレオノーレ3番と交響曲4・5番。素晴らしい演奏だった。

 前にも書いたとおり、私はスクロヴァチェフスキが好きではなかった。むしろ苦手な指揮者だった。とてもよいと思うこともあるのだが、どうしても「外面的」という気がして、好きになれない。いじくりまわして音楽が崩れていると感じることもある。逆に、あっさりしすぎて、まったく面白くないと思うこともある。私とは相性が良くないのでもう聴くのはやめようと思いつつ、どうも気になって、もう一度聴いてみたいと思ってしまう。そんなわけでまたも足を運んだのだった。

 今回は、自然に音楽が流れ、鳴らすべきところはしっかりと鳴らし、クリアに音が重なり、リズム感もよく、緊迫感にあふれ、本当に素晴らしい演奏だった。私の聴いたスクロヴァチェフスキの演奏の中で一番感銘を受けたと言えるかもしれない。

 まさしくオーソドックス。変な小細工はしていないと思う。ひたすらに引き締まった音楽。それが実にいい。こういう演奏だったら、むしろ私の好きなタイプの指揮者ではないかと思いなおした。

オケも実に見事。木管が特に美しい。ティンパニも素晴らしいと思った。大いに感動して聴いた。第4番の第1楽章と終楽章、第5番の終楽章のきわめて論理的な音に重なりに圧倒された。

 ただ、実はショックなことがあった。なんと、隣の席の人に、「身動きしないでくれ」と注意されたのだ! 私は、時々腹が鳴ることがあるものの、声を立てることもなく、音を立てることもないので、模範的な客だと自分で思っていたのだったが!

 曲の間に聞いてみると、どうやら私は音楽に合わせて首を振っていたらしい。もちろん、まったく意識していなかった。すぐに謝って、できるだけ体を動かさないように気を付けた。

 これまで、一度もそのようなことを言われたことがなかった。遠慮のない関係の人とも席を隣にしてコンサートを聴いたことも何十回とあるが、それでも、そんな注意をされたことがない。

 が、ベートーヴェンを聴きながら、気付いた。確かに、私はベートーヴェンを聴くとき、首を振ってリズムをとろうとしているようだ!! とりわけ、演奏に感動すると、身体が動いてしまう。おそらく、ほかの作曲家の場合はそんなことはないと思う。大好きなワーグナーもブラームスも、むしろじっくり耳を傾ける。が、どうもベートーヴェン、とりわけ4番、5番、7番に関しては、小学生のころレコードを聴いていたころから、音楽に乗ってくると体でリズムをとって聴く癖がついているような気がする。確かに周囲の人は迷惑に感じるだろう。

 注意してもらってよかった。もしかしたら、これまで何人もに迷惑をかけてきたかもしれない。猛省!! これから、こんなことがないように気をつけよう。

 それにしても、自分の欠点には本当に気付かないものだ。恐ろしいことだと思う。

 音楽の素晴らしさに酔いつつも、大いに反省して帰途に就いた。

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新国立劇場「さまよえるオランダ人」にはかなり不満を抱いた

 3月11日、新国立劇場で「さまよえるオランダ人」の公演を見た。かなり不満を感じる舞台だった。

 オランダ人を歌ったエフゲニー・ニキティンとゼンタを歌ったジェニファー・ウィルソンはかなりよかった。ウィルソンのほうはちょっとコントロールしきれずにいるところを感じたが、ニキティンはさすがにしっかりしている。エリックのトミスラフ・ムツェックもしっかりしたきれいな声だった。

 ダーラント役のディオゲネス・ランデスはだんだんと調子が上がってきたものの、ずっと本調子でない様子だった。とりわけ第一幕は音程も不安定。マリーの竹本節子、舵手の望月哲也は主役にまったく劣っていなかった。このダーラントくらいの歌手は日本人に何人もいるのではないかと思った。

 私が大いに不満を抱いたのは、指揮のトマーシュ・ネトピルだった。序曲の冒頭は少し期待を抱かせたが、その後がいけない。歌わせどころになるとぐっとテンポを落として、抒情的にしてしまう。第二幕のゼンタのバラードも、途中からゆったりとしてテンポにして、イタリアオペラの「歌」の雰囲気になる。これではワーグナーにならない。

 しかも、緊迫感がなく、音量を上げるところも迫力が出てこない。私には弛緩しているようにきこえた。ワーグナーのうねりがなく、深みも厚みもない。まるでベッリーニのようだった。もしかしたら、これまでのワーグナーの演奏を改めて、ベッリーニ風のワーグナーにしたかったのかもしれない。

 だが、「オランダ人」は、その後のワーグナーの傑作群とは完成度もドラマとしての迫真力も比べようのない作品だとはいえ、それでもワーグナー作品には違いない。それをこのように演奏されると、ワーグナー好きとしては、かなり怒りを覚えてしまう。

 東京交響楽団は頑張っていたが、金管群がときどき苦しそうだった。せっかくのオランダ人のアリアやゼンタのバラードなのに、指揮のために、私は少しも感動できなかった。歌手は悪くなかっただけに残念。合唱はとてもよかった。今回の公演は、合唱によって救われた感じがした。

 演出はかなりオーソドックス。ただ、ところどころで台本と異なるところがあるが、わざわざ変える意味がよくわからなかった。第二幕の、台本では、オランダ人に初めて会って驚く箇所は、なぜかオランダ人の肖像画が落ちて驚くことになっていた。幕切れは、ゼンタを乗せたオランダ人が船に乗らないで地上に残され、そこで死を迎える(つまり、永遠の劫罰から救われる)という設定。意図はわからないでもないが、目の前で死を迎えるのを見ていると、それを「救済」とは感じられなくなってしまう。

 

 今日は、3・11。あれから1年がたつ。新国立劇場で上演前に黙祷があるのかと思ったが、行われなかった。こうして、時間が過ぎていく。

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ベトナム旅行最終日、そして帰国

 3月9日、ベトナム時間の23時55分にハノイを出発して、10日の早朝、成田に到着。バスで自宅に帰ってきた。ホーチミンまでの行きは少し遅れて離陸したので7時間近くかかったが、帰りは追い風ということもあり、ハノイからということもあるのだろう、4時間半ほどのフライトだった。行きに比べてずっと楽だったが、機内で一睡もできなかったのがつらかった。

 そんなわけで、バスで自宅に帰ってから、すぐにたまっていた仕事を仕上げてから、午後、ひと眠りして、やっと人心地ついた。

 ともあれ、ベトナム旅行は満足だった。ざっと振り返ると・・・

実は、この旅行、JALパックの「夫婦の記念日」というようなタイトルのついたツアだった。妻と私は、昨年、ある記念の年を迎えたが、忙しかったので何もできなかった。今年は、下の子どもの就職が決まり、親としての肩の荷が少し下りて、この旅行を計画した。そのため、これまでと違ってホテルは高級なほうを選んだ。ホーチミンはシェラトン、ハロン湾はノヴォテル。ついでに言うと、シェラトンは無線ランが高いのを除けば文句なし(無線ランはロビーだけ無料だったので、室内での使用はしなかった)。ノヴォテルはホテル自体はとてもよかったが、洗面所や浴室がデザイン重視のため、おしゃれではあるものの、かなり使いにくかった。

このようなツアーなので何組かの夫婦と一緒になるものと思っていたら、ほかの客はなく、ずっとガイドと運転手つきの乗用車での個人旅行に近い形だった。かなり自由にできて、ありがたかった。

9日以降の行動をまとめておく。

朝のうちにハロン湾近くのホテル(ノヴォテル)を出て、ハノイに向かった。途中、有料道路も含めて3時間近い道のり。ハロン湾に向かったときと同じ運転手さんだった。前ほど急いでいなかったようで、そんなに「ぶっ飛ばした」わけではなかったが、それでも、かなりのスピードを出し、前の車と車間距離はほとんどとらず、パッシングしながら、反対車線にはみ出して、次々と前の車を追い抜く。が、その私たちの車の後ろから、パッシングしながら追い抜いていく車もあるので、この運転手さんが特別に乱暴というわけではなさそうだった。

水田が広がっている地域もあった。今が田植えの時期らしい。牛を農作業に使っているところもある。ほかは手作業で機会はほとんど見かけない。昭和30年代に日本では消え去った農作業風景だった。私はかろうじて、このような農村の風景の記憶がある。

途中、お土産物屋と陶磁器の村であるバチャン村に寄った。ツアーなのでお店に寄ってお茶を出され、そうこうするうちにお土産を買う仕組み。お土産物屋では、停電を経験した。ベトナムは電力不足のため、停電がときどき起こるらしい。日本がベトナムに新幹線と原子力発電所を売り込み、結局、新幹線は断られて原発を受け入れることになったと言うが、為政者の判断からすると、当然の成り行きだろうと思った。この国では、残念ながら新幹線よりも電力、しかも手っ取り早い原子力発電所が必要とされているのだろう。

陶器の町では、もしかしたら、相場よりもちょっと高いかもしれないが、個人でこんな所にはなかなか来れないし、茶碗はとても趣味がよく、きれいなのでいくつか買った。

 出発から3時間以上かけて昼過ぎにハノイ到着。昼食(これまた実においしかった!)を済ませてから市内見物。

初めてのハノイだった。ホーチミンとの気候の違いは大きい。ホーチミンは晴れ間が多く、昼間は33度前後だった。ところが、ハノイはずっと曇りがちで気温も15度前後。薄手のジャンパーでは寒かったので、東京を出発した時に同じ薄地のコートを着ていた。

ホーチミン廟(ただし、休みだということで中には入れなかった)、一柱寺(小さい、11世紀にたてられたという由緒ある寺。とてもこじんまりして美しかった、文廟(孔子を祀る廟。大学施設として使われていた建物もあった。中国的な寺だが、趣があった)などをみた。

 世界遺産の城跡があると聞いていたが、時間不足ためと思われるが、ツアーに含まれていなかったようだ。

 とりわけ緑色をしたホアンキエム湖は、ベトナムの歴史に関わる剣の伝説のあるところらしく、おもしろかった。赤塗りの橋を渡ってその湖の中にある玉山祠に行ったが、市民や観光客でにぎわっていた。

その後、その湖のすぐ近くの劇場で水上人形劇を見た。1000年以上前から続いている人形劇のスタイルらしい。客席は、日本人、韓国人、中国人、フランス人、アメリカ人、スペイン人などの観光客でいっぱいだった。

 水上人形劇とはどんなことかと思っていたら、舞台の全体に水が張られており、人形がすべてそのうえで動く。伝統的な楽器を用いた音楽に合わせて、水田の祭り、釣り人と魚の攻防、そして、おそらくベトナム人なら誰でも知っている民話など、水に関わる類の物語が描かれる。人形の動きで物語が展開しているようだが、一貫したストーリーはなさそうだった。一つ一つの物語も、ストーリー自体、私にはよくわからなかった。が、1時間程度の上演なので、退屈しないで見ていられた。ともあれ、民族音楽(アンプを使っているため、音がつぶれて、ニュアンスが伝わらなかったのが、残念。生の音を聞きたかった!)と人形の動きがおもしろかった。

2012_0309_175535img_0355  しかし、それにしても、どのようにして人形を操っているのだろう。背後からにしては、人形が舞台の前方に出てくるところもある。人形の下の水の中に人が潜って操っているのか。が、潜ってあのような動きをさせるのは至難の技だろう。上演が終わった後、舞台の水をのぞいてみたが、それでもわからずじまいだった。

なお、客席から写真を撮った。目の前の人の禿げ頭が大きく写っているが、その向こうに見えるのが水上人形劇。写真には映っていないが、舞台の左側で10人程度が伝統音楽を演奏している。

その後、自由時間をもらって、少し妻とゆっくりした。が、どこに行っても、道路の喧騒が凄まじく、大勢の人でごった返しているので、ゆっくりした気分になれない。道を横断するのが命がけなので、遠くに行くのが怖い。結局、公園を少し散歩し、カフェに入るしかなかった。

ハノイの交通状況は凄まじい。ホーチミンでは以前に比べて交通ルールを多少守るようになっていたと思ったが、ハノイでは交通ルールなどまったくないに等しい。公共交通が発達していない(市内電車や地下鉄はない。路線バスもほとんど見かけない)し、電力不足のために信号も少ないので、このような状況になるのだろう。

信号のない交差点では、誰もが我先にと進もうとして大混乱。どうやら、強いもの(大型車、そして乗用車)が勝ち、バイクが道を譲るというルールらしい。バイクも警笛を鳴らしまくり、車やバイクの間をすりぬけていく。携帯電話で話しながら、二人乗りでバイクに乗って、しかも危険なすりぬけをしている人も多いので驚く。逆走バイクも見かける。信号無視もかなり多い。ベトナム旅行中、一度も事故を見かけなかったが、それが不思議。最近、障害物に反応して停止する車のCMを見かけるが、ベトナムでこのような車があったら、立ち往生のしっぱなしだろう。車の数センチ先を次々とバイクがすりぬけていくのだから。もちろん、だからと言って乗用車のほうもおとなしく運転しているわけではなく、警笛を鳴らし、追い越し、すり抜けしていく。

ハノイにいる間、ずっとけたたましい警笛とバイクの爆音に付きまとわれていた。カフェに入ると、今度はものすごいおしゃべりの声。静けさとは縁遠い都市だ。たまたま通ったところの印象なのかもしれないが、ホーチミンは西洋化が進み、喧騒が少しおさまったように見えたが、ハノイは相変わらずアジア的喧騒の頂点にいるように思える。

ところで、最近どこに行っても感じるが、韓国の存在感が大きさも改めて感じた。ヒュンダイのバスやトラックが走り、サムスンの電化製品があちこちにある。韓国人の観光客を日本人以上に見かける。日本人観光客は高齢者(特に、女性の高齢者を多く見かけた!)なのに対して、韓国人はもう少し若い人が多い感じ。余計に韓国人のパワーが目立つ。

 ハノイ・オペラ座の隣にあるフランス料理の店で夕食。フランスが植民地時代に建設したオペラハウスと言うので期待してのぞいてみた。だが、オペラハウスというのは名ばかりで、クラシックはほとんど演奏されないらしい。ただ、ちょうどその日は、「ドイツオペラの夕べ」が上演される予定だった。ベトナム国立管弦楽団(本名徹次さんが常任指揮者をしている楽団だと思う)、指揮はJonas Alber。歌手はベトナム人で、「魔笛」「フィデリオ」「さまよえるオランダ人」などからの抜粋が演奏されるようだった。もちろん、演奏者に私の知る名前はなかった。オペラハウスの中には入れなかった。

 ちょっと聞きたかったが、時間がないので、そのまま夕食(これもかなりおいしいベトナム風フランス料理だった。途中から、日本人と中国人の観光客がどっと押し掛けてきて、フランス料理の高級点らしからぬ雰囲気になった)を済ませて、空港に向かった。

 かくして、ベトナム旅行は無事終わった。私はほとんど毎年、海外に遊びに行くが、ほとんどが一人旅。子どもが中学生くらいまでは家族で海外に何度か出かけたが、最近では、それもなくなっていた。たまには夫婦二人だけの旅行もいいものだと思った。

 なお、私の文章力では表現できなかったハロン湾の島の状況を写真で示しておく。ただし、見渡す限り奇怪な島の広がる湾の様子を示すことは写真でも難しい。

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ベトナム旅行4日目 ハロン湾クルーズを楽しんだ

 3月7日、午前中、ホーチミン市内をざっと見物した。20年前に見たところばかりだが、戦争証跡博物館の奇形の写真には衝撃を受けた。これらの写真は20年前にはなかったかもしれない。ベトナム戦争の写真も衝撃だが、これは、それ以上。

 夕方、ホーチミン空港を発ってハノイ空港に到着。そのままツアーで用意された車でハロン湾に急いだ。3時間半かかるといわれているところを、ずっと100キロ近いスピードを出し、パッシングをしまくって次々と車を追い越して、2時間半ほどで到着。温和そうな運転手さんだったが、車を運転すると人が変わるタイプかも。が、みんながけたたましい警笛を鳴らしながら乱暴に運転をするベトナムで実に、この運転手さん、手際よく運転する。

 ハロン湾のバイチャイ地区に到着した時は辺りは真っ暗だったが、ホテル付近は日本の熱海や別府を思い出させる雰囲気だった。ネオンがあり、ホテルがあり、カラオケ店があり、リゾート施設がある。夕食を食べた店は、2階ではカラオケの声が響いていた。

 一晩寝て、8日、ベトナム最大の観光地であり、世界遺産に指定されているハロン湾のクルーズに出かけた。船着き場には、数十、数百の大小の観光船が出入りし、大勢の観光客が押し掛けている。私たちが参加したのは、6時間コース。十数人の客(同じツアーというわけではないが、全員が日本人)と数人のガイド、数人のスタッフが乗り込んで、湾を走る。

 あいにくの曇り空で、遠くの島々ははっきりとは見えない。この時期はほとんどいつもこのような天気だという。真夏には快晴になるが、その分、猛烈な暑さらしい。今日は、たぶん、15度くらいで、長袖のシャツの上に薄地のジャンパーを着て、ちょうどよいくらいだった。

20分ほど走ると、次々に不思議な形をした島が見えてきた。まさしく墨絵に描かれた渓谷が海から突き出した風景。岩肌が垂直に近い形で切り立っており、その上に緑の木々が生えている。大分県中津市に育った私からすると、まさしく耶馬渓のような風景。ただし、そのような切り立った島がいくつかあるというのではなく、何十、何百と海に浮かんでいる。小さな岩も加えると、全部で2000の奇岩が並んでいるという。船で海上を走ると、次から次にそのような島が通り過ぎていく。

 が、これをいくら文章で表現しても、この不思議な形の山を想像してもらうのは難しいだろう。ゆっくりブログを書いて、詳しく描写する時間もないので、このくらいにしておく。

 その後、ダウゴー島にあるティエンクン洞という鍾乳洞を見物。ハロン湾にはほかにもいくつか鍾乳洞があるというが、これが規模的に最大だという。鍾乳洞特有の不思議な光景が続く。ただ、これまで見たことにある鍾乳洞はいずれも湿っていたが、ここは乾ききっていた。

 再び、船に乗って移動し、400段の階段を上がって、ハロン湾の見晴らし台にいった。韓国人の観光客が大勢やってきていた。彼らとともに階段を上った。見晴らし台からのハロン湾は格別だったが、曇っていたので、絶景というわけではなかった。

ともあれ、疲れ切った。鍾乳洞もかなりの階段を上り下りしたが、展望台への階段はその比ではなかった。そのせいで、今も足ががくがくしている。

 帰りの船の中で昼食。本当においしい。ベトナムで食べた料理は、一度を除いて、最高においしい。ベトナム料理は世界最高水準だと確信する。ベトナム到着以来。ずっと満腹状態が続いている。お腹は空かないが、料理が出されるので食べてみる。あまりにおいしいので、つい大量に食べる。その繰り返し。

 船を下りてから、バンチャイ橋を渡ってホンガイ地区の行き、ハロン市場をのぞいた。洋服や日用品、金物などの2,3メートル四方くらいの小さな店がぎっしりと3階建ての建物の中に並んでいる。どの店も、店の前にいすをでんと据えて店番が座っている。ほとんどが若い女性。その人たちが、ものを食べていたり、しゃべっていたりする。この市場には、食べ物屋はなかった。ホーチミン市で見た市場は、同じような雰囲気だったが、魚や野菜や果物があって、激しい周囲が充満していた。その点、ここには匂いは強くなかったが、色とりどりの服(たぶん、かなりが中国製)があって、色彩面で激しい存在感を示していた。日本人が買いたくなるような趣味の服は一着もないといって、間違いないと思う。よくもまあ、こんな色彩の服ばかり揃えているものだと、日本人としてはあきれてしまう。

 その後、非常な疲れを感じたので、マッサージ店に連れて行ってもらって、75分コースのマッサージを受けた。私は日本でしばしばマッサージを受けているが、全くやり方が違っていて、おもしろかった。かなり心地よかったが、最高レベルというほどではなかった。が、問題は、今日の展望台まで歩いた疲れが、どれほど取れているか・・・。なにしろ私は、センター試験の際、階段状になっている大教室の一番高い所を担当しただけで、翌日、筋肉痛に苦しんだほどの運動不足。明日が怖い・・・

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ベトナム旅行中 2日目

今、ベトナムのホーチミン市にいる。

実は、ベトナム旅行を考えていたので、このひと月、ことのほか忙しかった。仕事に片を付けて出発しようとしていたため、コンサートにも行けず、CD、DVDもほとんど楽しめなかった。

昨日(3月5日)の夕方、日航機で成田を出発して、夜の11時前(日本時間の6日午前1時前)に空港の到着。一晩寝て、今朝(6日)、さっそくメコンクルーズに出かけた。

ホーチミン市を出て、国道一号線を車で走って、ミトーに向かった。ミトーというのは、ホーチミン市から車で1時間半ほどのところにあるメコンデルタの入り口の町で、果物が豊富なことで有名らしい。

 車で走るうち、20年ぶりのホーチミンの変りように驚いた。

20年前には、空港にはまだ戦争の後と思えるような塹壕めいたものがあった。アメリカとの関係を修復したばかりで、街の中で英語を見かけることもほとんどなかった。アオザイを着た女性がたくさんいて、自転車とバイクがごった返していた。車はちらほら。道は交通ルールを守らない大量の自転車やバイクで大混乱。歩行者が道路を渡るのも命懸けだった。一台に4,5人乗ったバイクも珍しくなかった。

ところが今は、道は舗装され、新車がいきかい、道路に英語が溢れている。アオザイ姿の女性をほとんど見かけない。車とバイクがごった返しているが、自転車はほとんどない。自転車に乗っているのは、バイクの免許をとれない少年少女のみといってもよいほど。バイクに高級なもの、安いもの、壊れかけたものといった差はあるが、ともあれ、老いも若きも、男性も女性も、ほとんどの人がバイクに乗っている。その多くの人が、マスクやタオルで口の周りを覆っている。

中心街にはビルがたくさん見える。日本、韓国、中国、台湾、アメリカの企業名もあちこちに見える。少し中心街を離れると20年前を思わせる薄汚れた小さな店が立ち並んでいる。が、20年前の貧しさからは考えられないほどの変わりようだった。

ミトーに到着し、メコン川を小型の舟に乗って中洲のひとつに行った。ロン島だったと思う。そこで自生する木々、果物を見ながら散策。休憩所で果物を食べた。食べているうち、ベトナムの民族音楽を演奏するグループが登場。初めて見る一弦の楽器や二弦の楽器などがあって面白かったが、演奏としてはほとんど素人。音楽的にも、どのくらい民族性に基づくものなのかは分からなかった。

その後、二人が手でこぐボートでジャングルの中の水路を二〇分ほど進んで船着き場まで戻り、そこからミトーに戻った。

ミトーで昼食。メインはこの地方の名物料理であるエレファント・フィッシュ(象耳魚)のから揚げをライスペーパーに巻いたもの。これは実においしかった。また、チャーハンに薄味のスープをかけて食べるあんかけ炒飯(というよりも、ほとんどチャーハンのお茶漬けというべきか)もおいしかった。ベトナム料理はさすがにおいしい。

その後、車でホーチミン市内のホテルに戻って、一休み。あわててこの文章を書いた。少々疲れた。

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