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最近思ったいくつかのこと、特に愚痴

 猛烈に忙しい。このところ、仕事がらみのメールだけで一日に30通ほど入っている。そのほかに趣味としての音楽・書籍、そして友人関係のメールも加わるので、メルマガや迷惑メールをのぞいても、1日40通以上のメールが届くことになる。それについて判断したり、返事を書いたりするだけでもかなりの時間と労力を要する。そして、もちろん、メールでやり取りした仕事をこなさなければならない。しかも、私生活的にあれこれ雑用を抱えている。そうこうするうち、一日、一週間がたってしまう。

 そんな中、今日は少しだけ時間の余裕ができたので、最近起こったこと、思ったことをいくつか書きつける。

・いましがた、メールについて書いたが、そこで思い出した。そういえば、このごろ、迷惑メールがほとんど入らなくなった。私のところには、なぜか以前から「なまめかしい」迷惑メールはほとんど来たことはなく、大半が薬関係と高額商品の売り込みだった。それが、それこそ一日に30も40も来ていたが、どういうわけか、一日に1、2通程度に減った。何か原因があるのだろうか。これは私だけではなく、日本のほとんどの人の傾向なのだろうか。

・オーディオ装置の調子が悪い。かなり前から、右のスピーカーに異変を感じていた。びり付くという表現が一番正確だと思う。少し前まで、CDをかけて30分ほどするとほとんど気にならなくなっていたが、徐々に悪化してきた。私はオーディオにはほとんど無頓着な人間で、それほど本格的なものは使っていない。しかも、ほとんど知識がない。いろいろと原因が考えられるが、どうすればよいのかわからない。修理に出すのも大変だし、そもそもどの部分に問題があるのかを発見するのも難しそう。考えるだに、気が重い。

・4月24日の日刊ゲンダイの「私がハマった凄い本」というコーナーに私が登場した。10日ほど前にインタビューを受けたもの。中学生のころから大好きだったドストエフスキーの「罪と罰」の話をした。ペテルブルクで撮ってもらった写真も掲載された。その後、これを見てくれた数人から連絡があった。ある出版社の方からドストエフスキーについての本の執筆依頼があったが、もちろん私は専門知識もなく、ただ好きで少しずつ読んでいるだけなので、残念ながらお断りした。

・昨日(4月27日)、多摩センター駅近くの居酒屋(歴史上のグループ名の名前の付いた店)で多摩大学樋口ゼミの飲み会。ゼミに新たに加わった2年生を歓迎しての会だった。ゼミ生たちと楽しく語り合うことができて、とても有意義だった。が、居酒屋については大いに不満。ゼミ生たちも口々に怒りを表明していた。多くの居酒屋では、「こんなに安い値段でこんな料理を出して、元が取れるのだろうか」と心配になることがあるほどなのに、昨日の店は、「こんな値段をとって、こんなひどい食事を出して、よくぞ詐欺と言われずに成り立っているものだ」とあきれるほどだった。飲み物も水っぽくてろくに味がしない。まずくて、見かけも貧相な料理がいくつかでただけ。終わった後、空腹感と枯渇感を覚えた。何かの手違いでアルバイト店員がメインの2、3品を出し忘れたのではないかと疑うほどだった。こんな店をあるのだというのに驚いた。が、まあ学生たちと居酒屋の悪口をいうことで盛り上がることができたので、よしとしよう。(この「感動的なほどのまずさ」を人に伝えたくなったので、お店の人には申し訳ないが、このブログに書かせてもらった。)

・ラ・フォル・ジュルネが近づいている。私はロシア音楽はあまり得意ではないので、今年は昨年のようにアンバサダーとしての活動はしていないが、コンサートを聴くことはとても楽しみにしている。昨年は、東京のほか、びわ湖、鳥栖にも出かけたが、今年は大学の仕事も大変なので、東京だけにする。

「私は一体ショスタコーヴィチとプロコフィエフのどちらが好きなのか」という私以外の人にはまったく意味をなさない難問を解決するために、いくつか聴いてみようと思っている。

ショスタコーヴィチの交響曲については、あまりに素人っぽい意見なのだろうと思うが、私は5番以外は実はかなり退屈に感じる。ショスタコーヴィチはマーラーの交響曲の後継者なわけだから、これは私のマーラー嫌いと関係があるだろう。交響曲についてはプロコフィエフのほうがずっと好きだ。

ショスタコーヴィチの協奏曲や室内楽については、怨念のようなものが耳につき、聴いた後、不快な気持が残る。が、やはり心を動かされ、深く感動する。うんざりしながらも感動せずにはいられない。一方、プロコフィエフの協奏曲や室内楽は、わくわくして大好きなのだが、ショスタコーヴィチのような重苦しいメッセージがないだけに物足りなさも感じないではない。

ラ・フォル・ジュルネでこの二人の作曲家の曲をいくつか聴いた後では、私の気持ちに変化は現れるだろうか。

思いつくままに書いたら、なんだか愚痴が多くなった。ストレスの多い忙しい状況が気持ちに反映しているのかもしれない。が、忙しい分、生活が充実しているともいえるだろう。そう思って、少し仕事に精を出そう・・・

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新国立劇場「ドン・ジョヴァンニ」はアガ・ミコライにうっとり

 4月22日、新国立劇場で「ドン・ジョヴァンニ」を見た。とても楽しめた。昨晩、札幌から帰ったばかりでかなり疲れを感じていたが、オペラを見ているうちに元気が出てきた。

 ドン・ジョヴァンニを歌ったマリウシュ・クヴィエチェンとドンナ・アンナを歌ったアガ・ミコライが図抜けていると思った。とりわけ、私はミコライの声の美しさにうっとりした。透明で芯が強い。高音が実にきれい。色気があってとても魅惑的。名前に覚えがあると思って、自分のPCを検索してみて思い出した。先日聴いた「四つの最後の歌」のCDを歌っていた歌手だ。このCDも素晴らしかった。この名前は覚えておこう。

ドン・ジョヴァンニのクヴィエチェンもはじめのうちこそ少し不安定だったが、堂にいった歌と演技。きびきびとした歌と演技。声もよく通り、悪の魅力にあふれていた。素晴らしい。

 今回は日本人歌手が多く含まれるが、彼らもドンナ・エルヴィーラを歌ったニコル・キャベルにまったく引けを取らない。レポレッロの平野和、騎士長の妻屋秀和、マゼットの久保和範は本当に健闘していた。とりわけ、平野は声の輝きこそ、世界の一流に劣ると思うが、堂々たるレポレッロだった。ツェルリーナの九嶋香奈枝は少し不調だったのではないかと思う。少し声がかすれていた。第二幕ではだいぶ持ち直して、かなり良かったが、まだ本調子ではない感じだった。

ドン・オッターヴィオのダニール・シュトーダは今回のメンバーの中でもっとも声量がなく、音程も不安定。絶不調だったのかもしれない。このくらいの歌手だったら、わざわざ外国から呼ぶ必要はないと思った。

指揮はエンリケ・マッツォーラ。初めはすこし一本調子で、メリハリが不自然だと思ったが、だんだんとドラマティックに盛り上がって行った。きびきびとして明快な指揮。後半、私は大いに心惹かれて聴いた。これまで新国立の指揮者にはかなり不満を感じてきたが、今回はまったく不満を覚えなかった。東京フィルもしっかりと指揮について、まったく不満なし。合唱も見事。

演出はグリシャ・アサガロフ。このオペラの舞台は確かセヴィリアだったと思うが、この演出はヴェネツィアとみなしている。プログラムにあったように、ドン・ジョヴァンニをカサノヴァと重ね合わせたのだろう。それなりの雰囲気はあるが、私としては、スペインの雰囲気を残してほしかったと思う。

が、ともあれ実に満足した。

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札幌の読売新聞北海道支社での講演

 4月20日金曜日、大学でのゼミが終わってすぐに札幌に向かった。ホテルに泊って、昨日(21日)、午後から読売新聞社北海道支社ホールで講演。「学力は新聞で伸びる」という題で、新聞の効用、小中学生にうまく新聞を読ませる方法について1時間ほどお話しした。

 (このブログには音楽のことばかり書いているが、私の本職は、小論文指導。そして、小学生から大学生までの「教育」なのです!)

 50名くらいの参加者だったが、とても熱心に聞いてくださった。とても気持ちよく話をすることができた。もちろん、読売新聞社の方々のしっかりしたサポートがあってのこと。ありがたい。

 その後、15分の休憩をはさんで、読売新聞社の中西さんに司会していただいて、学校法人立命館常務理事の川崎昭治先生(前立命館慶祥中学校高等学校校長)と対談。新聞の効用、これからの教育のあり方、小論文の意義、立命館慶祥のこと、私が塾長を務める白藍塾のことなどを自由に話した。川崎先生とは8年前からの付き合いで、少なくとも私はとても気の合う友だと思っている。対談もとても気持ちよく進めることができた。聞いている方にも問題提起する内容がたくさん含まれていたと確信する。

 川崎先生の持論である「脳の活性化のためには、生徒に好きなことだけをやらせるのではなく、嫌がることもやらせなければならない」という主張に改めて納得。

 その後、川崎先生と札幌駅ビルの6階にある回転ずし「花まる」で早い夕食をとった。本当はもうすこし高級な寿司店で食べようと考えていたが、その時間は近くの店は空いていなかった。が、回転寿司としてはとてもおいしくて、しかも、味のわりに異常に安い。二人で短時間にたらふく食べた。実に満足。

 その後、すぐに新千歳空港に向かって、夜、10時過ぎに自宅に帰った。

 札幌では講演をしただけで、観光らしいことは何もしていない。雪が残っていた。気温は、到着した時、4度くらいだった。かなり寒さを感じた。

 先週から今週の初めにかけては大分、そして週末は札幌だった。今週はかなり疲れた。そのせいか、腰痛がぶり返してきた。金曜日の昼間は最悪だった。札幌のホテルで依頼したマッサージ師さん(かなりのお歳の女性)の腕がかなり良かったので、とりあえずは無事に仕事を終えたが、札幌から東京に戻ったら、また少し痛みを感じ始めた。先がちょっと心配・・・・

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「バカに見える日本語」早くも重版決定!

 4月14日、大学の会議を終えて、すぐに羽田に向かって福岡空港へ。16日の朝から大分市で仕事があるため、ついでに両親のいる日田市に寄ることにした。

福岡空港からバスで日田に移動。到着後、すぐに家族と「花門」という和食の店で夕食をとった。なかなかおいしかった。私も含めてみんなが高齢化したが、両親も叔母も従姉たちもみんな元気。一泊して、翌15日「ゆふいんの森」号で大分に向かった。大分市は私が小学校5年生から高校3年生までを過ごした地だ。ホテルでひと仕事してから、市内で昔からの友人たちと会った。先日、この世を去った小学校以来の友人を偲んで市内で飲み食いした。

16日は朝から白藍塾スタッフと合流して、大分市内の岩田中学・高校で研修の仕事。私が塾長を務める白藍塾は岩田学園と契約して、岩田学園の先生方が小論文を指導する際のサポートを行っている。なお、今年、小学館主催の12歳の文学賞の大賞を受賞した工藤みのりさん(白藍塾の受講生でもある)は今年、この岩田中学校に入学したとのこと。

午後、岩田高校の2・3年生によるディベート(白藍塾の小論文指導の一環として、課題を与えてディベートしてもらった)を見てから、簡単な講演をした。岩田高校の生徒たちのディベートは実に見事。イエス・ノーの側に分かれての論戦だが、どちらの側にも説得力があった。中学生のころから小論文指導を受けている生徒がほとんどだが、その成果が上がっていると思った。それにしても、将来頼もしい生徒たちだった。

 16時ころに岩田学園を出て、空港に向かい、夜、東京に戻った。夕食は大分空港内の寿司の店「海甲」で軽くすませた。大分のすし屋としてはかなり値がはるが、実においしい。とりわけ関アジと車エビは最高だった。

 かなり疲れて帰宅。

41lxnhhisl__sl500_aa300_  ところで、ちょっと新聞広告風に言うと、先日発売になった「バカの見える日本語」(青春新書インテリジェンス)が早くも重版決定した!

 現代の社会で誰もが何気なく使っている言葉も、聞きようによってはバカと思われる、本人はよいつもりの言葉も周囲に人にはバカに見えているかもしれない・・・というコンセプトで作った本だ。

以前ベストセラーになった「頭がいい人、悪い人の話し方」の系列の本であり、何気なく言葉を使っている人に、ちょっとだけ自分の言葉を振り返ってもらうための本と言ってよいだろう。さっそく、ラジオ出演の依頼が舞い込んだりして、ちょっとびっくり(ただし、時間が合わずにお断りした)。

軽い気持ちで読んでいただけると嬉しい。

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亡き友を偲ぶ

 ひとりの友が世を去った。昨日、共通の知人からのメールで知らされた。電話でも確認したが、間違いないらしい。詳しいことはわからないが、どうも自ら命を絶ったようだ。

不思議な因縁の友だった。

 小学校5年生の時、私は大分県中津市の小学校から、大分市の大分大学付属小学校に編入した。そのとき、同じクラスに彼はいた。

 担任の先生の影響で私はクラシック音楽に夢中になった。同じように夢中になったクラスメートが私のほかに二人いた。そのうちの一人が彼だった。

 小学校だけでなく、同じ中学校、高校に通った。何度も同じクラスになった。彼はクラシック音楽を聴くだけでなく自ら演奏をする方向に向かった。フルートを吹き始めた。育ちの良い邪気のない人間だった。その通りのフルート演奏だった。学校の文化祭などでも、何度か彼のフルートを聴いた。私は彼のフルートが大好きだった。

 高校では疎遠になっていたが、大学時代、偶然、私鉄駅付近で出会った。歩いて10分くらいのところに住んでいることがわかって、再び親しく付き合い始めた。

 学生時代が終わって、また疎遠になった。広告代理店に就職が決まったことは知っていたが、互いに別の生活が始まったので、連絡は取らなかった。

 そして、10年ほど前、今度は偶然、京都のホテルで出会った。互いに仕事で京都を訪れたところだった。再び、交流が始まった。

 その後も不思議なことに何度も偶然の出会いがあった。確か二度ほど、近くの駅で出会った。「この駅で降りることはめったにないのに、たまに降りると、樋口に会う」と彼は話していた。

その後、彼は仙台に引っ越したが、彼の妹と、私のたった一人の仙台の知人の奥さんが親しくしていることが判明した。そこでまた再会した。仙台に何度か行く機会があったが、そのたびに出会った。

 精神的な病に苦しんでいたらしいことは、本人に聞かされた。仕事を辞め、仙台から別の地域に引っ越したことも電話で聞いた。ときどき、電話で話した。メールも来た。私のこのブログも読んでくれていて、時々感想を言ってくれた。

 最後に電話がかかったのは、先日の多摩大学の卒業式の日だった。式典の最中に携帯が鳴った。日曜日だったので、私が暇だと思って電話をくれたのだろう。私は、電話をとることができず、しばらくして、空き時間にこちらからかけた。「久しぶりにクラシックの話でもしたいと思って…」と彼は話していた。が、私は、その後すぐにまた別の用があった。そのことを言うと、彼は遠慮して早々に電話を切った。

 もっと話せばよかった。それが最後になった。

 思うところはたくさんある。そんなに深刻な精神状態だとは知らなかったので、あまり親身になってあげられなかった。私が親身になったからと言って状態が変わったとは思えないが、それでももう少し何かできたのではないか。昨晩は、彼のことが頭から離れずに、ほとんど眠れなかった。

 彼のことをブログに書くことにはためらいがあった。が、このブログを読んでくれていた彼なので、私は敢えてここに書きたいと思った。冥福を祈る。

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東京・春・音楽祭の素晴らしい「タンホイザー」

 4月8日。午前中、都内で用を済ませて、午後、上野に向かった。オペラまで少し時間があったので、上野公園を歩いてみた。桜が満開だった。上野駅から上野公園にかけて花見客でラッシュ時の駅並みの混雑。公園も茣蓙を敷いて酒を楽しむ人、道を歩く人でごった返していた。

 上野という土地柄もあるのかもしれないが、花見客のなかに外国人がたくさん混じっていた。周囲で中国語、韓国語が聞こえてくる。白人もインド系の人も東南アジア系の人も大勢見かけた。観光で日本に来たついでに花見に来た人もいるだろうし。定住している人もいるだろう。いずれにせよ、時代の変化を感じた。

 15時から、東京文化会館で東京・春・音楽祭の「タンホイザー」を見た。素晴らしかった。久しぶりにワーグナーを堪能した。

 指揮はアダム・フィッシャー。官能性を求める演奏ではなく、むしろ切れがよく鋭利でびしっと決まった演奏。これはこれで素晴らしい。このようなアプローチも「タンホイザー」は悪くない。

 背後に映像を流してのコンサート形式。余計な演出がないだけ、音楽の集中できてなかなかいい。バイロイトもこのようにしてくれるほうがずっと感動できるのではないかと思うほど。馬鹿げた演出がいかに音楽を邪魔しているか、音楽だけでいかに雄弁かを改めて感じる。

 歌手も全員がとてもよかった。とりわけ、タンホイザーのステファン・グールドとヴォルフラムのマルクス・アイヒェが超一級。バイロイトでもこのクラスの歌はなかなか聴けない。グールドの素晴らしさはこれまで何度も聴いて知っていたが、アイヒェは初めて聴いたと思う。知的な歌い回しだが、嫌味ではない。美声で音程もしっかりし、情感もある。すごい歌手だ。

 領主ヘルマンのアイン・アンガーもとてもよかった。初めのうち、少し音程が不安定なのではないかと思ったが、その後、まったく危なげなかった。不安定に思ったのは、もしかしたら、私の勘違いかもしれない。

 エリーザベトのペトラ=マリア・シュニッツァーとヴェーヌスのナディア・クラスティーヴァはいずれもなかなかの歌い回しで容姿もいいのだが、グールドやアイヒェほどの感銘は受けなかった。だが、もちろん、バイロイトで歌ってもまったく通用するレベルであることは間違いない。

 三人の日本人歌手(牧童の藤田美奈子、ハインリッヒの高橋淳、ラインマールの山下浩司)は出番は外国人歌手よりもずっと少なかったが、まったく引けを取らないと思った。日本人歌手のレベルも確実に上がっている。

NHK交響楽団もさすが。実に美しい音。ほかの日本のオケではここまでの音は出せないだろうと思った。ホルンが何度か音を外したのは、残念。それと、私の席のせいだと思うが、トロンボーンがあまりに大きく響いて、ほかの楽器がよく聞こえなかった。

ともあれ、実に満足。このレベルのワーグナーを日本にいながらにして見られるようになったということの幸せを改めて感じる。

明日までに仕事を仕上げなければならない。ブログを書くのはこのくらいにしておく。

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カロリン・ヴィットマンの無伴奏ヴァイオリン

 4月2日、武蔵野市民文化会館でカロリン・ヴィットマンによる無伴奏ヴァイオリン・リサイタルを聴いた。

 知的な雰囲気の美貌の女性ヴァイオリニスト。最初にバルトークの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ。一言で言って、私の好きなバルトークの無伴奏の演奏ではなかった。達者な演奏だが、厳しさも鋭さも感じられない。きれいな音で流麗に音が続くだけ。少しも心が動かさず、かなり退屈だった。

 次に、シャリーノという現代作曲家の「ヴァイオリンのための 6 つのカプリチオ」。パガニーニの「24のカプリース」のインスピレーションを得た作品だという。最初から最後までフラジオレットを用いた超絶技巧の作品。弓を弦に直角に当てるのではなく、弦に沿って擦る奏法が使われているのは初めて見た。が、それにしても完璧な演奏。この難しい曲を余裕を持って演奏している。すばらしかった。

 後半はバッハのパルティータ第2番。これもバルトークと同じように、私には少しもおもしろくなかった。とりわけ、最高傑作のはずの「シャコンヌ」がまったく心に響かない。これもバルトークと同じように、達者な音で流麗に弾いているだけという印象を受けた。ほかのヴァイオリニストの演奏で感じるような深い感動も激しい震撼も、宇宙的なスケールの大きさも感じなかった。

 アンコールはイザイの無伴奏ソナタの第2番(「怒りの日」の入ったもの)。これはとてもよかった。切れがよく、ズバズバと音が決まる。

 要するに、私はバルトークとバッハといった精神的に深い曲については、まったくもって退屈し、シャリーノとイザイというに関しては、とても感動した。簡単にまとめると、精神的に深いタイプの曲については、私はこの演奏家の演奏は受け入れがたいということのようだ。

 2012年度もあと数日で授業が始まる。まだまだ忙しさが続いている。

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