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夏休みあれこれ

 やっと正式に私の勤める大学も夏休みに入った。

 年に30回は講義をするようにという文科省からの指示のため、最近の大学は夏休みに入るのが8月初めになるところが多いようだ。7月の中旬には夏休みになっていた昔の感覚からすると、信じられないほど。祭日の月曜日にも授業のあることが多く、しかも、私の大学では来年は1月4日から授業が開始される。年に20回も授業がなかった昔とは大違い。

 相変わらず、仕事がはかどらない。しなければいけない仕事がたくさんあるのだが、手がつかずにいる。ずっと忙しかったので、もうすこしぼんやりしていたい。

 この数日間したことを簡単にまとめる。

 

 7月27日、ゼミ生の用件を済ました後、音楽関係の知人たちと吉祥寺の「カフェ・ロシア」という店に入った。初めての店。ロシア料理とグルジア料理が絶品。

 前菜の盛り合わせ、水餃子、ピロシキ、ボルシチなど、いずれも実においしい。赤い壁紙も料理にピッタリ。

学生のころ、西荻窪のアパートに住み、吉祥寺にはよく遊びに来ていた。東進ハイスクール吉祥寺校でも仕事をしていた。ひいきの店がいくつかある。今でも時々顔を出す。その中でも、ここはとびっきり美味しく、雰囲気がいい。これから、吉祥寺に来たらここに寄ることにしよう。

 店内でクリテツさんが、ロシア人の発明した電子楽器テルミンの生演奏を聞かせてくれた。目に見えない電波を手で操って音を出す。音程が不安定な不思議な音。「トゥランガリラ交響曲」に使われるオンド・マルトノと少し似ている。サンサーンスの「白鳥」を聴いた。

 

 サンサーンスと言えば、まだこの作曲家を聴き続けている。クリスマス・オラトリオのほか、室内楽も実に面白い。日本語で入手できる伝記をアマゾンを通して購入してみたが、アマゾンのレビューに小谷野敦さんが書かれていた通り、本当に信じられないほど読みづらい。内容が少しも頭に入らない。あまりに読みにくいので、久しぶりに、フランスのアマゾンに注文して、フランス語のサンサーンスの伝記を入手。ざっと読んでみたが、こちらのほうがまだ読みやすいほど。フランス語はかなり忘れたが、思い出すためにもこれをじっくり読んでみようかと思っている。少し暇になったら、訳してみてもいいかなと思い始めた。

 

 私も人並みに、イチローの移籍、松井秀樹の戦力外通告、大津の中学校のいじめ問題、オリンピックに大いに関心を抱いている。オリンピックも今までのところ、柔道、体操、そして北島選手の不振にやきもきしている。

 いじめ問題については、私もなんとひどい学校、ひどい担任、ひどい校長、ひどい教育委員会だろうとあきれてしまう。そして、何よりも、ひどい加害者。しかし、それにもまして、加害者いじめをし、加害者でもない人までも勘違いして攻撃する「正義」の市民たちもなんとひどい連中なのだろうと思う。自分を正義と思っているだけに余計に始末に負えない。私としても、この問題について発言した気がないでもないが、まだ情報が不足しており、真相がよくわからない。まずはしっかりと真相を究明する必要があると思う。

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「黄金時代のカリスマ指揮者たち」、クレメンス・クラウスのこと

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 「黄金時代のカリスマ指揮者たち」(音楽之友社)と題されたムックが先日発売になった。フルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルターをはじめとして、日本で言うところの「明治時代」に生まれた20人の大指揮者たちについて、「聴き巧者が熱く語」っている。フルトヴェングラーを故・吉田秀和先生(ただし、これは書き下ろしではなく、再録)、ムラヴィンスキーを宇野功芳先生が担当するなど、現代を代表する評論家たちが執筆者の大半を占めている。

 音楽関係以外の執筆者はごく少数だが、この私も執筆者の一人に名を連ねている。そのような音楽界の大御所の間にずぶの素人である私が加わることに気が引ける思いをしながら、クレメンス・クラウスについて書かせていただいた。

 実は、中学時代から、フルトヴェングラーとともにクレメンス・クラウスが大好きだった。最初に聴いたのは、クラウスがウィーンフィルを指揮した「サロメ」全曲盤だった。中学3年生のころ、このレコードを聴いて天と地がひっくりかえるような驚きを覚えた。リヒャルト・シュトラウスの交響詩もクラウスを通して知った。70年代末には、バイロイト音楽祭の54年のライブ・レコードを入手した。これも圧倒的な名演奏だ。

 クレメンス・クラウスは典雅で気品にあふれた演奏をすることで知られている。だが、私はクラウスの求心的で緊迫感あふれるドラマ作りが好きだ。ときに、疾風怒濤としか言いようのない激しい表現をする。私はそれがクラウスの最高の魅力だと思っている。その点があまり知られていないので、それについて書いた。いつかクラウスについて書きたいと思っていたので、このような機会が与えられて、実にありがたい。

 残念ながら、私は極度の音楽的才能の欠如のために、音楽家にも音楽評論家にもなれなかった。自分の才能のなさに気づいてから、音楽はあくまでも趣味にとどめようと思った。が、音楽を愛し、音楽によって人生を決定づけられ、音楽によって人生を支えられてきたことは、誰にも負けないと思っている。そのような思いをこの文章の中に書いた。

 よろしかったら、お読みいただきたい。

見本が届いたので、ほかの執筆者の部分も読ませていただいた。ここに取り上げられた20人の指揮者の演奏は、私もこれまでずいぶんと聴いてきた。トスカニーニ、ワルター、クナッパーツブッシュ、クレンペラー、ミュンシュ、ベーム、セルについては、夢中で聴いた時期がある。フルトヴェングラーとヴァントは今も最も好きな指揮者だ。

どの指揮者を取り上げた文章も、執筆者の思いがこもっていてとてもおもしろい。私だけでなく、これらの執筆者にとって、音楽が人生の中心にあり、音楽によって人生が変わったことがよくわかる。そして、ここに取り上げられている指揮者がその人の人生の中心を彩っていることも納得がいく。音楽を愛する人のほとんどがこのような体験と歴史を持っているのだろうと思う。強い連帯意識を覚えた。

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レイチェル・コリー・ダルバのリサイタルは期待ほどではなかった

 7月24日、武蔵野市民文化会館小ホールでレイチェル・コニー・ダルバのヴァイオリン・リサイタルを聴いた。ピアノ伴奏はクリスティアン・シャモレル。

 たまたま買ったイザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタのCDに圧倒されて、私はずっとダルバに注目していた。さきごろのアクセルロッド指揮、NHK交響楽団との「詩曲」と「ツィガーヌ」が期待ほどではなかったので、今日こそはと思って出掛けた。プログラムは、前半にシューマンの2番のソナタとイザイの無伴奏3番「バラード」。後半にイザイの無伴奏ソナタの5番とフランクのソナタ。

 結論を言えば、今日も期待ほどではなかった。もちろん、悪くない。イザイのCDを聞いていなかったら、私は大満足だっただろう。だが、CDの演奏は、火花の散るようなイザイが素晴らしい。私は心から圧倒された。それに比べると、実演はかなりおとなしい。もっと凄まじい演奏を期待していた。期待が大きすぎたともいえるだろう。

 とりわけシューマンについては、かなり不満を持った。私は実はシューマンのヴァイオリン曲はかなり苦手だ。同じことの執拗な繰り返しが多く、メロディを楽しめない。ダルバの演奏は、シューマンの弱点をカバーしているようには聞こえなかった。それに、ピアノとぴたりと合っていなかった。

それに比べれば、イザイとフランクはかなり良かった。情熱的なところは情熱的に、そして美しいところは美しい。だが、残念ながら、私の魂に刺さってこなかった。CDのような激しさがない。それに、構成にも少し難があるように思った。唐突に感じるところが何箇所かあった。

 先日のNHKホールでの演奏の際、ある音楽評論家に、ダルバは指を怪我したために、武蔵野のプログラムをイザイの無伴奏ソナタの全曲演奏からシューマンやフランクに変えたと聞いた。そう言われると、とても納得できる。これがダルバの本調子とは思えない。

 事実、会場でfrench impressionsと題されたダルバのCDを買い、さっそく聞いてみたが、ここに含まれるサンサーンスの3番の協奏曲や詩曲、ツィガーヌもこのたびの実演よりもずっと冴えている。イザイのCDと同じほどに素晴らしい。激しい表現があり、リアルな迫力が素晴らしい。録音技術のせいではないと思う。

このたびの実演は怪我のために実力を出せていないと考えると、つじつまが合う。

 ともあれ、もう少しダルバの演奏を追いかけてみたい。傑出したヴァイオリニストであることは間違いない。

 アンコールは、現代的な曲とイザイの「子どもの夢」。とても雰囲気のある良い演奏だったが、実はこれについても少し物足りなかった。

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N響「夏」2012 東京公演のダルバとアクセルロッド

 7月20日、NHKホールでN響「夏」2012東京公演を聴いた。ジョン・アクセルロッド指揮、レイチェル・コリー・ダルバのヴァイオリン。曲目は、前半に「カルメン」組曲とショーソンの「詩曲」、ラヴェルの「ツィガーヌ」、後半にサン・サーンスの交響曲第3番。

 金曜日は大学でゼミを受け持っている日なので、ふだんはコンサートに行くのは諦めていたのだったが、先日、振替授業を行ったので、今日は休講にしていた。「そうだ、この日はコンサートに行けるんだった!」と突然、数日前に気づいてあわててチケットを入手。レイチェル・コリー・ダルバという若いヴァイオリニストはたまたまイザイの無伴奏ヴァイオリンソナタのCDを購入して知った。凄まじい迫力に圧倒された。指揮のアクセルロッドはナントのラ・フォル・ジュルネでブラームスの交響曲を聴いて感動した。この二人の演奏なら、きっと素晴らしいだろうと思ったのだった。

「カルメン」組曲は、まずは小手調べ。メリハリの利いた切れの良い演奏。ダルバのヴァイオリンが加わった「詩曲」と「ツィガーヌ」は、悪くはないし、技巧は見事。不思議な色気と味わいもある。だが、イザイのCDの鬼気迫る演奏とはまったく雰囲気が異なる。むしろ優しめで優雅な演奏だった。不思議に思っていたが、休憩時間に知人の音楽評論家に、ダルバは指を怪我したらしいという情報を聞いて納得。それにしても残念。CDのような迫力のダルバを聴きたかった。ダルバはイザイのソナタの5番をアンコールで弾いた。これも、CDに比べると、むしろしみじみとした演奏に聞こえる。NHKホールはこのような曲を聴くには大きすぎる。しかも、指の怪我のせいで、音が届かない。

 後半のサン・サーンスは見事な演奏。スケールが大きく、メリハリがきいている。この交響曲はオルガンが加わるが、オルガンの調べがかなり宗教的に聞こえる。しかも、いかにもサン・サーンスらしくかなり派手。派手な中に不思議な宗教性があって、実におもしろかった。第二楽章後半は、めくるめく音の世界になった。曼荼羅の世界を思いうかべた。

 アクセルロッドという指揮者、とてもおもしろい。第一楽章後半で少しだらけている気がしたが、それ以外は、がっちりと組み立て、観客を興奮させていく。サン・サーンスの世界を堪能。改めて、実の良い曲だと思った。

 アンコールはファリャの「恋は魔術師」から。オーケストラの機能を爆発させて見事。

 ダルバについては少し残念だったが、ともあれ、アクセルロッドはすばらしかった。満足。

 本日、春学期の授業がすべて終了。夏休みに入る。

 

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二人の大先輩の著作 「翔べよ源内」と「悔しかったら、歳を取れ」

 二人の大先輩の著作を立て続けに読んだので、感想を書かせていただく。

519dbvcmdcl__sl500_aa300_  一つは小中陽太郎先生の「翔べよ源内」(平原社)。小中先生とは、このところ、親しくさせていただいている。小中先生の話術とエッセイの語り口の面白さについて常々感服していたが、本書はそれが一層際立っている。

 平賀源内を扱った小説だが、自由で楽しくてハチャメチャな源内の生き方を、まさしく源内にピッタリの自由な語り口で書きつづっている。遊びが多く、脱線が多い。下ネタもあちこちに出てくる。まさしく融通無碍の文体。

従来の小説で多用される描写が極めて少ない。自然や人物、状況について、必要不可欠な情報だけしか与えられない。にもかかわらず、いや、むしろそうだからこそ、登場人物は自由に飛翔する。時代小説愛好者は、時代特有のにおいがないと言うかもしれない。が、それこそが源内の在り方であり、小中先生の生き方でもあるのだろう。良い意味で、実に軽やか。司馬遼太郎に近い歴史的アプローチだが、読後感は全く異なり、もっとずっと自由ですがすがしい。

小中先生は、まさしく現代の平賀源内とでも呼ぶべき存在だと、改めて思った。

 

41ty9guypyl__sl500_aa300_  もう一冊は、野田一夫先生の「悔しかったら歳を取れ! わが反骨人生」(幻冬舎 ゲーテビジネス新書)。野田先生は、私の勤める多摩大学の初代学長であり、現在の寺島学長が就任する前の学長代行だった。「和をもって貴しとなす」という言葉を何より嫌い、反骨を貫いた半生を描いている。

 野田先生は現在85歳。先月だったか、久しぶりに先生にお会いしたが、80歳代とは思えない。お世辞でも何でもなく、60歳以下に見える。背筋をぴんと伸ばし、元気な声で話をされ、速足で歩く。話の内容も、大学生などよりもずっと若々しい。私はこれまでの人生で、野田先生ほど若々しかったことは、20代のころを含めて一度もないだろう。

 本の中身は、私は既に聞いたことのある話が中心だったが、改めて野田先生のスケールの大きさに感服。私が気に入っているのは、足の悪い学生のエピソードだ。

 ある時、教室に遅刻して足を引きずる学生が入ってきた。野田先生は「何だ、その歩き方は」と怒鳴った。野田先生はこのようにしてしょっちゅう怒鳴る。ところが、その学生は生まれつき足が悪かった。学生がそのことを伝えると、先生はこういったという。「ああ足か。足でよかったな。世の中には頭の悪い奴がいっぱいいるが、見えんから、本人も気がつかん。足なんか気にするな。むしろ、頭の悪い奴のことを同情してやれ」

 これぞ野田流。頑固一徹。頭の回転が速く、当意即妙に警句を吐く。必ずしもだれもが賛同する価値観ではない。反発を覚える人もいるだろう。だが、そこには深い人間観察と温かい人間愛が含まれている。だから、話が面白い。このレベルの警句は、野田先生と話していると、5分に一つくらいは出てくる。この本の中にも、このようなエピソードが現れる。

 この本はとてもおもしろい。しかし、正直言うと、野田先生と話をしていると、もっともっとおもしろい話がたくさん出てくる。野田先生にはこれからももっとたくさんの本を出してほしいものだ。

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六本木男声合唱団倶楽部「最後の手紙」の衝撃

 7月18日、サントリーホールで六本木男声合唱団倶楽部第11回定期公演、三枝成彰作曲「最後の手紙」を聴いた。一昨年の初演、昨年の再演に続いて、これで三度目だ。第二次大戦で死んだ様々な国の兵士たちが愛する人に出した最後の手紙に三枝さんが音楽をつけたもの。今回も大いに感動した。いやはや凄い曲だ。

 六本木男声合唱団は政界、財界、メディア界の有名人の集まるアマの合唱団だ。だから、決して上手ではない。ただ、「最後の手紙」を聴いた感動のあまり、私も入団したくなって練習に行ったが、いくら上手ではないとはいえ、やはり私にはついていけそうもないと実感して、そのままになっている。

二度目、三度目とだんだんと合唱団は上達し、今回は、プロの合唱団と比べて、切れの悪さ、高音の苦しさをのぞけば、気になるところはなかった。音程はかなりしっかりしている。初演の際には、合唱団の中には口パクに近い人もいそうな気がしたが、今回はそのようなことはない。全員がしっかりと、心をこめて歌っているのが伝わってくる。CDで繰り返し聴くには、この演奏は辛いと思うが、実演で聴くには何の不満もない。いや、死んだ兵士たちの最後の手紙という題材であるだけに、むしろ素人臭さが説得力を持つ。真摯でリアルな歌に聞こえる。一般の人の平和の祈りという事実がじかに伝わってくる。

 初演の際にも思ったが、やはり詩とメロディの悲痛さに言葉をなくす。前回、アメリカと朝鮮の人の手紙につけた音楽に心を揺さぶられた。今回もやはりその二つが最も良かった。そのほか、ポーランドの手紙もイギリスの手紙も感動的だった。

そして、最後の片山日出雄氏の言葉はことのほか、強い感動を呼ぶ。「心ならずともこの不愉快な立場に置かれて、私を処刑しなくてならない皆さまに心から同情申し上げます。どうか深刻にお考えならないようにして下さい」という最後の言葉と、そこにつけられた音楽の衝撃は大きい。一つ上の次元に達した精神といえるだろう。

 今回、演奏する側と同様、聴いている私にも余裕ができて、三枝さんの作曲技術などにも耳で追うことができた。専門的なことはわからないが、この合唱団にはかなり難しいはずの技法があちこちに使われているようだ。耳に優しいメロディだが、実は様々な高度な技術が使われているのだろう。現代において、わかりやすい音楽を書くのは、難解な音楽を書くよりもずっと高度な技術を要することなのだと思う。

 終演後、パーティが予定されており、私も招待されていたが、雷が鳴り始めたので、あわてて帰った。出演なさった方の話を伺いたかったが、私の自宅はかなり遠い上、明日は1時限から授業なので、ゆっくりしていられない。

また、この合唱団に入りたい気持ちが起こってきた・・・

ところで、三枝さんが2月に特攻隊を題材にした新しいオペラを発表するとのこと。三枝ファンの私としては、とてもとても楽しみだ。

きわめて個人的な願いだが、三枝さんが辺見じゅんのノンフィクション大賞受賞作「収容所〈ラーゲリ〉から来た遺書」をオペラにしてくれたら、こんなうれしいことはない。これは、シベリア抑留者たちの苦しみと努力と家族への祈りの物語で、涙なしでは読み進めることのできない本だ。三枝さんのオペラにピッタリの題材だと思う。立教大学で教えを得た山本顕一先生のお父様が、この物語の主人公であるために、この本の存在を知ったのだったが、そうした個人的事情は別にして、この題材につけた三枝さんの音楽をぜひ聞きたいと心から思う。

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ゲルギエフの「エレクトラ」CDに圧倒された

 根をつめて仕事をする気持ちになれない。仕事を先延ばしにして、かなりの時間、音楽を聴いた。昔々のこと、受験勉強をしなければならないというプレッシャーを感じつつ、いやでいやでたまらずに、勉強を先延ばしにして本を読んだり音楽を聞いたりしていたが、40年以上たっても同じことをしている!

 

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・シュトラウス「エレクトラ」 ワレリー・ゲルギエフ指揮、ロンドン交響楽団・合唱団のCD。

発売されたばかりのCDを購入。

凄まじい! まぎれもなく超名演。歌手もそろっている。エレクトラを歌うジャンヌ=ミシェル・シャルボネが、まず素晴らしい。何やら名前に覚えがあると思って調べたら、2008年にパリ国立オペラが来日して「青ひげ公の城」を上演した時のユディットを歌った歌手だったようだ。とてもよい歌手だった記憶があるが、エレクトラはそれ以上に圧倒的。エレクトラにふさわしい強い声だが、絶叫ではなく、とても美しい。アンゲラ・デノケのクリソテミスも可憐でありながら、しっかりしている。クリテムネストラはフェリシティ・パーマー。この歌手もどすがきいてなかなかいい。この三人の女性のかけあいは言葉をなくすほどに迫力がある。オレストを歌うマティアス・ゲルネも強い声で頼もしい。

 しかし何よりも、ゲルギエフの凄さ! この複雑きわまりない音楽を凄まじい迫力で振りきる。様々な楽器の音が絡み合いながら、どす黒い情念や復讐、怒りの表現をものの見事にたたきだしていく。そして、カタストロフへと突き進む。一部の隙もなく音の洪水が押し寄せ、情念が音楽を推し進めていく。あっけにとられるようなオーケストラの威力。ロンドン交響楽団も素晴らしい。録音も最高。

 私は、これまでゲルギエフのドイツものには時として違和感を覚えてきたが、これは、そんな違和感はまったく抱かなかった。ただただ引き込まれて聴き終えた。ただ、これまで聴き覚えのないパッセージが何箇所かあったように思う。別のヴァージョンなのか?

「エレクトラ」は高校時代から私の大好きなオペラであって、CD、DVD合わせて30種ほど持っているが、思うに、これほど迫力のある演奏はこれまで聴いたことがなかった。

 

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・サン・サーンス 「サムソンとデリラ」 メトロポリタン歌劇場 1998年の公演のDVD。指揮はレヴァイン。演出はイライジャ・モシンスキー。

このブログにも書いたとおり、このところ、サン・サーンスを次々と聴いている。その一環として、このオペラのDVDを購入した。かつて、サンフランシスコ歌劇場のルーデルの指揮で、ドミンゴ、ヴァーレットの歌うLDを見ていたが、久しぶりに、このオペラを見たくなった。

近年の流れからすると、近いうちにこのオペラもフランス語の発音を尊重して「サンソンとダリラ」と呼ばれることになるのかもしれないが、いちおう「サムソンとデリラ」と呼んでおく。

 期待通りの素晴らしさ。やはりサムソンを歌うプラシド・ドミンゴが圧倒的。きっと伝説として長きにわたって語られると思われるような歌唱と演技。私にわかる限りでは、フランス語も実にしっかり発音している。デリラ役のオルガ・ボロディナもいい。官能的で妖艶な魅力が伝わる。この人もフランス語が実に美しい。ヘブライ人を歌うルネ・パーぺも相変わらず味がある。ただ、ダゴンの大司祭を歌うセルゲイ・レイフェルクス がフランス語とはいえないような発音で歌いまくるのはいただけない。

 レヴァインも素晴らしい。サン・サーンスは、厚いオーケストレーションであっても、ドイツ風に重苦しくならない。不思議な色気のようなものがある。それをレヴァインはうまく出してくれていると思った。演出も、いかにもメトロポリタン歌劇場らしく伝統的でわかりやすく、しかもスペクタクルにあふれている。満足。

 

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 映画のDVD「心中天網島」「ソドムの市」「インビクタス」

 急ぎの仕事が終え、次の仕事(実をいうと、これも締め切りが迫っている!)に手をつける気が起こらないので、しばし休息している。

 昨日は買いためておいた映画のDVDを3本見た。感想を書く。

 

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・篠田正浩「心中天網島」

 大分市の高校生だった私が大学に入学して東京に移り住んだのが、1970年。その年、ATG映画として評判の高かったこの映画を見た。大いに感動した。篠田監督の映画を見るのは初めてだったが、いっぺんに篠田監督が大好きな監督になった。もしかしたら、今見なおすと、古びて見えるのではないかと心配だったが、まったくそんなことはなかった。今見ても、十分に鮮烈だった。篠田監督の最高傑作だと私は思う。

 近松門左衛門の浄瑠璃をかなり忠実に映画化したものだが、小春とおさんの両方を岩下志摩が演じることや、背景にしばしば粟津潔の絵が使われること、そして何より登場人物の中に黒子たちが現れて、まるで浄瑠璃のように登場人物の横について、その動きを手助けするなど、驚くような仕掛けがなされている。

黒子たちは、登場人物たちが死を選ぶ様子を黙って見つめ、紙屋治兵衛が首をつるための紐を鳥居にかけるのを手伝う。主人公の二人は、がんじがらめにされた世界から自由の世界へと逃げようとして死を選ぶのだが、黒子たちは運命の導き手であるかのように、そのような主人公たちの決断までも、人の手の届かない運命にしてしまう。

それにしても、道行きの場面の映像の美しいこと。白黒だが、それが静謐でありながらも激情的な世界を作り出している。

音楽は武満徹。今聴いても、素晴らしい。脚本は冨岡多恵子。これも実にこなれていて、しかも、運命の導きで心中しか選べなくなっていく心情を見事に描き出している。当時の日本を代表する若き俊英たちが結集した映画作品だと思った。

 

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・ピエル・パオロ・パゾリーニ 「ソドムの市」

 パゾリーニは私の人生で最も大きな意味を持つ映画監督だった。高校生の頃、彼の「アポロンの地獄」を見て衝撃を受け、大学に入ってから見た「奇跡の丘」「王女メディア」にもそれ以上に感動した。それがきっかけで文学部の演劇科に行きたいと思うようになり、パゾリーニの作品を翻訳しておられたイタリア文学者の米川良夫先生のお宅に押し掛けて、先生に人生上の決定的な影響を受けたのだった。

 パゾリーニの映像のうち入手できるものはほとんどすべて入手していたが、「ソドムの市」だけは購入していなかった。料金が異常に高かったこともあったが、それ以上に、封切り時に見て、大いに失望したのが触手が動かない理由だった。「デカメロン」「カンタベリー物語」「アラビアンナイト」の生の三部作は、それ以前の作品ほどの衝撃は受けなかったが、それでもかなりおもしろいと思った。が、「ソドムの市」はついていけなかった。このたび、かなり安くなって、リマスタリングされたというほかの映画と3本セットで売り出されたので、購入に踏み切った。

 今回見直して、やはり同じ印象を持った。原題は「サロ」。サロというのは、第二次大戦の末期、ムッソリーニのファシズム政権がローマを追われた後、ナチスの協力を得て作った臨時政権のあった都市。ファシスト政権の権力者三人が、政権末期に美男美女を集め、放蕩と暴虐の限りを尽くそうとする。その内容はマルキ・ド・サドの「ソドムの120日」を基にしている。若い男女をいたぶり、性的に暴行し、拷問する。ただひたすらサディスティックな場面が続く。サドの原作はエロティックで刺激的であると同時にきわめて思想的で、私は以前とてもおもしろいと思って読んだが、この映画はやはりあまりの残虐さ、あまりの悪趣味に辟易した。

 封切時も思ったが、今回も、なぜパゾリーニはこんな映画を撮ったのだろうという疑問に駆られた。そして、今回もその謎を解くことはできなかった。日本で封切された時、この映画にも出演したという若者にパゾリーニは虐殺されたので、パゾリーニ自身による説明は聞けなかった。

 自らの滅亡を悟った権力者たちの暴虐ぶりを否定的に描いているのか、最後に登場するファシストの若者に何らかの未来への希望を託しているのか、人間というのはしょせんこのような暴力的な存在だと言いたいのか。良くわからない。どの登場人物にも感情移入できないので、見ていて途方に暮れてしまう。もしかしたら、新しいタイプの映画への挑戦だったのかもしれないが、今となっては謎のままだ。

私は卒論にもパゾリーニを取り上げ、様々な謎を解明したつもりでいた。「テオレマ」「豚小屋」に隠されたメッセージも理解しているつもりでいる。が、「ソドムの市」だけはお手上げだ。今見直したら、もしかしたらわかることがあるかもしれないと思ったが、成果はなかった。

いずれにせよ、私にとってこの映画は、大好きなパゾリーニのよくわからない作品、あまり触れたくない作品のまま残りそうだ。

 

 

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・クリント・イーストウッド 「インビクタス 負けざる者たち」

 私は実はハリウッド映画はあまり見ないのだが、イーストウッドは別。イーストウッドは好きな俳優であり、好きな映画監督でもある。ただ、ずっと気になりながら、「インビクタス」は見る機会がなかった。はじめて見て、やはりおもしろかった。

 南アフリカのマンデラが長い牢獄生活の後、初代の黒人大統領に就任し、国民の融和のために、それまで白人のスポーツだったラグビーを国民みんなのスポーツと位置付け、応援し、ワールドカップ優勝に導く物語。大統領(モーガン・フリーマン)とラグビーチームのキャプテン(マット・ディモン)の視点から描かれる。最後には、全国民がラグビーに夢中になり、黒人と白人の融和が進んでいく。

 フリーマンら、名優たちの演技の力も大きいと思うが、やはりイーストウッドの演出に驚いた。人物の造形が実に的確。そして、何よりも、白人と黒人の対立、文化の違いをしっかりと、しかしきわめて自然に手際よくわからせる腕にも感嘆した。汚い競技場では黒人たちがサッカーをし、道を隔てた向かい側の設備の整った競技場では白人がラグビーを行い、その間の道路をマンデラ大統領の車が通過するという最初のシーンがすべてを物語っている。白人を一方的に非難して黒人びいきになるのではなく、実に客観的な視点で人間たちを描いていく。ちょっと理想主義的すぎる気もするが、そこは娯楽映画なのだから当然だろう。

 何よりもラグビーのワールドカップ決勝戦の迫力は見事。ラグビーにまったく関心がなく、ルールさえも知らない私も、つい興奮してみて、優勝が決まったときには、登場人物たちと一緒になって涙を流していた。

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時間に余裕ができたので、「マイスタージンガー」「美しきエレーヌ」「アレコ」のDVDを見た

 先週は相変わらずの忙しさだった。月曜日には京都に行き、その後は大学の仕事でぎっしり。その間、私の郷里である大分県日田市が洪水に襲われ、両親の住んでいる地域がもう少しで避難勧告地域に入るところだったらしい。テレビで見てびっくりして、両親に何度か電話した。とりあえず、おおごとにならなくて良かった。

 昨日の夜、仕事が一息ついて、やっと少しだけ余裕ができた。今日は、オペラのDVDをいくつか見た。

 

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・ワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 ニュルンベルク国立劇場。

 素晴らしい舞台。演奏も見事。マルクス・ボッシュの指揮が特に素晴らしい。がっしりとしていながら、重ったるくなく、きびきびと音楽が進んでいく。しかもまぎれもなくワーグナーの音がする。第3幕第5場など、はっとするほど、美しく、切れが良く、しかも軽くない音が広がる。かなり若い指揮者だが、私の知るところでは、ネゼ=セガンと双璧をなすのではないか。大注目指揮者だと思った。これまで知らなかったことを恥じた。

 歌手にも知っている名前はない。ニュルンベルクで活躍している歌手たちらしい。確かに、図抜けた人はいないし、圧倒的な迫力の人はいないが、粒がそろい、みんながしっかりと歌っている。音程も確かで、何よりも若々しい。ダヴィッド(ティルマン・リヒディ)やエファ(ミヒャエラ・マリア・マイヤー)はまるで役柄そのもの。そうか、こんな若い人たちの登場する楽劇だったのだ、と改めて思った。二人の若い歌手がしっかりと歌って、実に気持ちがいい。

 ザックスを歌うアルベルト・ペーゼンドルファーが、歌手たちの中では一番良かった。堂々たる歌いっぷり。ベックメッサーを歌うヨッヘン・クプファー(この歌手の顔に間違いなく覚えがあると思うのだが、どこで見たのか思い出せない)もよかった。ただ、ヴァルター役のマイケル・パッチはちょっと生彩を欠いた。ヘルデン・テノールとしては弱い。

 ダフィト・モウフタール=サモライの演出もいい。色遣いが素晴らしい。いわゆる読み替えはしていない。第三幕は、要するに老いも若きも一緒になって伝統を尊重しつつ新しい文化を築こうというメッセージなのだろう。これまでに「マイスタージンガー」のように物々しくも大袈裟な舞台ではなく、若々しい舞台。そこがいい。

 

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・オッフェンバック「美しきエレーヌ」 パリ・シャトレ座2000。

 実に楽しい。音楽的にも演劇的にも、実に充実している。これぞ、甘いも酸いも知った大人の娯楽。エレーヌを歌うのはフェリシティ・ロット。大写しになると年齢は隠せないが、スタイルもよく、エレーヌ(ギリシャ神話のヘレネ)という世界を揺るがす美人に十分に見える。歌は言うまでもなく気品にあふれ、演技力もあり、ユーモアも十分。ミシェル・セネシャルやフランソワ・ル・ルーなどの懐かしい顔も見える。パリスを歌うのはヤン・ブロン。名前に覚えがあるが、初めて聴いた気がする。とてもいい。出てくる歌手みんなが芸達者で歌も見事。

 指揮はマルク・ミンコフスキ。きびきびとして実に楽しい指揮ぶり。演出はローラン・プティ。これも素晴らしい。しゃれていて、躍動的で、ユーモアにあふれている。いかにもフランス。

 私はオッフェンバックが大好きなのだが、やはりこの人のオペレッタは、ギリシャ神話のエピソードがたくさん出てくるので、その方面の知識がないと、日本人にはついていけないところが多い。フランス人なら大笑いするだろうところが、ピンとこない。ギリシャ神話ネタを上手にカットするようなヴァージョンを作って、日本人向けにもっと上演することはできないだろうか。少々カットしても、オッフェンバックだったら許してくれそうな気がする。

 

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・ラフマニノフ「アレコ」、リムスキー=コルサコフ「不死身のカシチェイ」 ソ連制作のオペラ映画。録音はともにモノラル。

 ラフマニノフとリムスキー=コルサコフの2本の短いオペラを収録したDVD。

「アレコ」は、ドミトリ・キタエンコ指揮。モスクワ国立交響楽団&国立放送合唱団。最初と最後に、ラフマニノフのオペラとは無関係の映像が含まれている。

アレコを歌うのが、エフゲニ・ネステレンコ。このネステレンコだけが、映像にも登場しているが、そのほかは歌っている歌手と、映像に出ている役者は別の人物。ネステレンコだけが大スターなので、このようなことになったのだろう。ただ、率直に言って、ほかの俳優さんがみんな実に役にピッタリで、ゼムフィーラもその新しい恋人も若くて美形なのに、ネステレンコだけが老年なのが、何とも違和感がある。しかも、1986年のソ連映画のはずなのに、まるで1950年代の映画のように古めかしい。音楽の音質も良くない。とはいえ、演奏は悪くない。ネステレンコはさすが。この曲はラフマニノフが19歳のころのオペラだが、とてもおもしろい。もっと上演してほしいものだ。

「不死身のカシチェイ」は、「アレコ」の翌年の1987年に作られた映画のようだが、いっそう古めかしい。しかも、かなり安っぽい。まるで学生の作った映画の雰囲気。演奏も、冴えを感じない。レニングラード・ドミトリ・ショスタコーヴィチ交響楽団、指揮はA.トリフォノフとの表記がある。この映画も、歌手と演じている役者が別の人物のようだ。魔法使いの出るおとぎ話だが、あまり感動は覚えなかった。

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拙著「出だしの一文」発売、そしてイタリアオペラのCDボックスのこと

 忙しさが続いている。コンサートに出かける予定だったが、今日中に仕上げなければならない仕事があって、残念ながらチケットを無駄にするしかなかった。かなり疲労を覚えていたが、夕方、どうやら仕事に片がついたので、行きつけのマッサージ店に行ってじっくりとマッサージをしてもらい、一息ついた。私は疲労がたまると、強烈に肩が凝り、腰が痛ってくる。それさえ薄れれば、楽になる。

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 数日前に、拙著「日本の名作 出だしの一文」(日本文芸社)が発売になった。

 夏目漱石、芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫などの名作小説の出だしの一文を抜き出し、それについて分析したものだ。

 私は日本文学の専門家ではない。だから、この本の企画を持ちかけられた時、正直言って少し躊躇した。私ごときがそんな大それた本が書けるか、的外れのことを言ってしまって文学の専門家に冷笑されはしないかと心配になったのだった。

が、小学生から社会人までの文章指導を続けてきた人間として、日本を代表する大作家たちの書いた模範的な文章の例として出だしの一文を挙げ、それがいかなる理由で人々の心を引き付けるかを分析してみることは意義があるに違いないと思った。私のような人間が書くほうが、専門家が書くよりも、多くの人に興味を持ってもらえるのではないかとも思った。

それに、何しろ私は最近でこそ本を読む時間よりも本を書いている時間のほうがずっと長い状態だが、本来は大の読書家であって、中学生のころから、世界文学、日本文学のかなりの作品を読みあさってきた。出だしの一文についても、あれこれといいたいことはある。一般にはあまり知られていないが、ぜひとも多くの人に紹介したい日本の名作もいくつかある。そんなわけで、この仕事を引き受けたのだった。

とはいえ、不安も大きかったので、20年来の友である井上佳世さんにあれこれと助力を仰いだ。おかげで、日本文学の素晴らしさとそれぞれの小説の出だしの文の魅力について私なりに伝えることができたと考えている。多くの人に読んでもらえると、こんなうれしいことはない。

 

 ところで、最近、立て続けにイタリアオペラのCDを購入した。私はこれまでイタリアオペラをあまり聴いてこなかった。私は、CDとDVDを含めて、ワーグナーだけで1000枚以上所有しているが、イタリアものとなると、その10分の一程度しか持っていないのではないかと思う。とりわけプッチーニは好きでないので、手元にはほとんどない。が、オペラ好きを自称しているからには、「イタリアオペラは聞きません」とも言っていられなくなった。そこで、百科事典代わりと思って、ロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニ、プッチーニのボックスセットを手元に持って必要に応じて聴いてみる必要があると感じたのだった。

全部で54枚。料金が何と15千円程度。一枚300円くらいの計算になる。あまりの安さにあきれて、ちょっと計算してみた。

私がレコードを買い始めたころ、LP1枚が2000円ほどした。今の7倍前後だ。50年ほど前、小学生だった私の「年収」は今の年収の3000分の1にも満たない。つまり、今の私にとってCD1枚の価値は、当時のレコード1枚の価値の21千分の1ということになる。逆に言うと、小学生だった私は、今のCDの実質的に2万倍以上の値段のするレコードを少ない小遣いの中からやっとの思いで買って、必死に聞いていたわけだ。

こんな計算をしているうち、けなげな田舎の小学生だった自分をなんだかほめてやりたくなった。

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