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ちょっと微妙なザルツブルク音楽祭の「カルメン」

 8月19日、ザルツブルク音楽祭、祝祭大劇場で、歌劇「カルメン」を見た。指揮はサイモン・ラトル、演出はアレッタ・コリンズ。演奏はウィーン・フィル。

「微妙」という言葉が最も私の気持ちを表している。

演奏はもちろん悪くない。悪かろうはずがない。ウィーン・フィルは美しい音を出している。歌手たちも見事。だが、私の知っている「カルメン」ではない。「カルメン」の魅力も感じない。

まず、カルメンを歌ったマグダレーネ・コジェナーが、カルメンに見えない。知的で神経質。色気はまったく感じない。カルメンが叫ぶところは、我が強くて頭のいい神経質な女がヒステリックにわめいているように見えるし、そう聞こえる。体臭がむんむんとしながらもあらがいがたい魅力を放つカルメンを感じなかったのは、私だけではないだろう。どうもコジェナーは何を演じても知的になりすぎるきらいがあるように思う。

ドン・ホセを歌うヨナス・カウフマンは素晴らしい歌と演技。CDやDVDで最高の歌をいくつか聴き、楽しみにチケットを買いながらずっとキャンセルされていたカウフマンを初めて聞いて、その見事な声に感嘆。しかし、これまた知的で凛としており、カルメンに首ったけで人生を台無しにするダメな男には見えない。だから、ドン・ホセがカルメンを刺し殺す最後の場面もリアリティを感じない。

そして、それに輪をかけて、ラトルの指揮が明快で知的。「カルメン」の魅力である下品さ、色気、地中海的情熱、やるせなさというものを感じない。なるほど、このような「カルメン」をラトルはやりたかったのか、とは思うが、これでは「カルメン」好きを納得させるのは難しいのではなかろうか。私はまったく「カルメン」好きではないが、やはりこれでは、「カルメン」に魅力を覚えない。

そのなかで、ミカエラを歌ったゲニア・キューマイヤーが清楚で美しい声で、いかにもカエラらしかった。素晴らしい歌手だ。エスカミーリオを歌ったコスタス・スモリギナスも立派な歌唱で、十分にエスカミーリオに見えた。

演出はまずまずだと思った。セヴィリアということをかなり強く意識した演出。第一幕に出てくる子どもたちが、煙草をかすめ取る悪童たちだったり、第二幕の最後、ホセがピストルでスニガを殺したり、第三幕が地下道になっているなど、驚くようなところはあったが、独自の解釈言うほどのものではなさそう。

というわけで、まさしく微妙。昨日と同じように、不完全燃焼の気持ちで会場を後にした。

 

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