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ネトレプコをもってしても、私のプッチーニ嫌いは治らなかった

 8月18日、ザルツブルク音楽祭、大祝祭劇場での「ラ・ボエーム」を見てきた。一言でいって、ネトレプコをもってしても、私のプッチーニ嫌いは治らなかった。

 歌手たちは素晴らしい。やはりネトレプコが圧倒的。まったく無理をしていない。まったく声を張り上げていない。それなのに、会場中に透明で澄んだ声が鳴り響く。驚異としか言いようがない。そのため、瀕死のミミの状況も無理なく演じられる。ちょっと心配だった体型も、服のおかげで十分に痩せて見える。脚が細いためだろう。しかも、演技力があるので、観衆をひきつける。ネトレプコが一声出したとたんに会場が突然、劇空間になるのは、私がネトレプコのファンだからというわけではあるまい。すべてのアリア、二重唱も絶品。

 ロドルフォを歌ったピョートル・ベチャワも素晴らしい。超一流のテノール歌手になったのがよくわかる。ムゼッタのニノ・マチャイゼも実に魅力的。マルチェッロのマッシモ・カヴァレッティも文句なし。現代最高のメンバーだと思った。

ウィーンフィルは実に美しい。プッチーニの指揮については、私はまったくわからないが、指揮のダニエレ・ガッティについても、私に文句はない。

演出はダミアノ・ミキエレット。現代のパリの市内を強く意識した演出で、ロドルフォの部屋は今時のパリの若者の「ステュディオ」を模している。第二幕は、カルチェ・ラタンっぽい。パリの地図が舞台いっぱいに張り出されているが、そこに20世紀フランス文学を学んだ人間にはなじみ深い「シェークスピア・アンド・カンパニー」(シェークスピア書店)が大きく出ているが、まさしくその付近がこのオペラの舞台なのだろう。第三幕はパリの高速道路の高架下の雰囲気。ただし、私にわかる範囲では、特に目新しい解釈はなさそう。

そんなわけで十分に感動してしかるべきなのに、やはり私はプッチーニに感動できない。

今さらいっても始まらないのだけど、プッチーニの甘ったるいメロディ、これみよがしの盛り上げ方、お涙ちょうだいの台本、そして何よりも歌のメロディ線に沿って流れるオーケストラのメロディ。これらのせいで感動のスイッチが入らない。歌手たちの声にゾクゾクするところはたびたびある。が、プッチーニのオーケストラが出てくると、萎えてしまう。歌のメロディは今のままでいいから、オーケストレーションをリヒャルト・シュトラウスか誰かにやり直してほしい・・・と本気で思ってしまう。プッチーニ好きはこのオーケストレーションが好きなのだろうが・・・

ネトレプコのおかげで私のプッチーニ嫌いも治るか、もしかしたら今日は私の人生で初めてのプッチーニに感動した日になるかと思って出かけたのだったが、無理だった。

 そんなわけで、周囲の大熱狂にもかかわらず、いたって冷静に会場を出た。

 それにしても、ザルツブルク音楽祭の客は、演奏中も実によくしゃべる。二人以上で来ている客で話をしなかった客は私の周囲に一人もいなかったほど。間違いなく、みんながしゃべる。ザルツブルクの客に物見遊山のスノッブがたくさん混じっているせいなのか、それともヨーロッパのクラシック音楽ファンは演奏中にしゃべるのが当たり前なのか。疑問に思った。

 今日はプッチーニのせいで欲求不満。

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コメント

ご無沙汰しておりますが、プッチーニが樋口先生の好みに合わないのは仕方がない事ですね。僕はプッチーニのオーケストレイションは大好きですが、人によってはイヤなものだろうと想像がつきます。こってりした肉が好きか嫌いかの違いと例えるのは違うかも知れませんが。
それはともかく、先生が完全に満足出来なかったのは残念ですが、ネトレプコ(昨年のメト来日キャンセルは置いておきましょう)のミミと同時に、ウィーン・フィルのプッチーニをナマでお聴きになったというのは、両方好きな僕には実に羨ましい事です。僕も、ウィーン・フィルそのものでなくてもシュターツオパー管ででも、ヴェルディかプッチーニのオペラ全曲を、いずれはナマで聴いてみたいと思います。ところでいよいよ今年の10月には、シュターツオパーの来日公演があり、ヴェルディやプッチーニのオペラはやらないけれども、(実質)ウィーン・フィルならではのレパートリーである『サロメ』を聴くのが楽しみです。現在クラウスからベーム、カラヤン、シノーポリ辺りまでの全曲レコードやビデオを楽しみながら予習しています。今度の公演では、ユーゲントシュティールを思わせる舞台装置も期待出来ますね。それにしても、『サロメ』の原作者は、子供の頃読んだ『しあわせのおうじさま』と同じとは…。それぞれ歪んでいるか普遍的なものかと全く違った形ですが、愛をテーマにしたという点が共通しているでしょうか?

投稿: 崎田幸一 | 2012年9月 7日 (金) 21時46分

崎田幸一様
コメント、ありがとうございます。
崎田さんはプッチーニがお好きですか。でしたら、ザルツブルクの「ラ・ボエーム」をご覧になっていたら、きっと最高に楽しまれていただろうと思います。ただ私としては、これで凝りましたので、今後、ひいきの歌手が歌っても大枚はたいてプッチーニを見るのはやめようと決意したのでした。
ウィーン・シュターツオパーの来日公演、私も楽しみにしています。「サロメ」は中学生のころから大好きなオペラですし、ウェルザー=メストは好きな指揮者ですので、特に楽しみにしています。

投稿: 樋口裕一 | 2012年9月 8日 (土) 10時13分

プッチーニに感動できないのは無粋ですね!(笑)
とても賢い方なのでしょうが、変わり者、偏屈だからかな。
いまのままでは 人生の楽しみは半減ですね☆

プッチーニに感動できるようになれば
人生の幸せが広がりますよ。頑張って!!

投稿: 文キャン | 2014年9月 6日 (土) 09時01分

文キャン 様
コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、私は昔から、変り者、偏屈者といわれてきました。まあ、そのおかげで中学、高校のころからワーグナーやリヒャルト・シュトラウスが大好きだったのですが、確かに、そろそろもっと視野を広げてもいいですね。
そう思い、機会があれば、これまで敬遠してきたものにも触れようと思っています。先日は、METのライブビューイングの「トスカ」や「ラ・ボエーム」に感動したのでした。頑張ろうと思っております。

投稿: 樋口裕一 | 2014年9月 7日 (日) 15時41分

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