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昨日の「電車マナー」のブログ記事について付け加えること

昨日、私は電車内で吊革に傘の柄をかけて手に持っていた女性に怒りを覚えて、強い言葉で注意してしまった話を書いた。もう少し言葉を選んで言えば良かったのだが、怒っていたので、つい皮肉な言い方をしてしまった。

この記事をブログに出して10分やそこらでコメントが三つ入っていたのでびっくり。しかも、そのうちの二つは私を批判するものだった。

ただ、このマナーの件については、私の中で決着がついている。私のいい方は大人げなかったにせよ、傘を吊革にかける行為は間違いなく危険なので、誰かが注意するべきことだ。相手が屈強の男性であれば、傘のせいで乗客が怪我をする確率よりも、注意した私が暴力をふるわれる確率のほうが高いので、身の安全を考えて黙るしかないが、そうでなければ、できるだけ誰かが注意するべきだ。私の考えは変わらない。

私が大いに怒りを覚えたのは、むしろ「常識人」と名乗る人のコメントだった。そこには、「演奏が終わった直後の女性演奏家の控え室にずけずけ乗り込むほうが非常識だ」と書かれていた。

その後、私と「常識人」および「???」と名乗る人の応酬が続いたが、それを読んだ方の中には、事情がよくわからない方も多いだろう。余計なことだとは思うが、少し解説をすることにする。

 

私は、基本的に「2ちゃんねる」などという薄汚れた場所には立ち入らないことにしているが、やはり時々その内容が見えてしまうことがある。そうして、あるとき、私がソプラノ歌手、飯田みち代さんの2010年のラ・フォル・ジュルネのコンサートの後、むりやり控室に乗りこんでいったという、事実とまったく異なる内容が2ちゃんねるで伝えられ、悪意をもって中傷されていることを知った。

反論したい気になったが、2ちゃんねるに関わって自分まで薄汚れた存在になるのは避けたいので、自分のブログの中で少しだけ触れるにとどめ、深入りしないでおいた。

「常識人」「???」と名乗る人物のコメントは、明らかにそのような中傷を真に受けて、私を誹謗中傷しているものと思われた。

 

昨日、悪意あるコメントへの「返事」として書いたことだが、2010年の飯田さんのコンサートの際の状況について繰り返しておく。迷惑がかかるのを恐れて、飯田さんのお名前を出さずにいたが、うそつき呼ばわりされるのは不愉快なので、お名前を出させていただいた(飯田さん、つまらないことに巻き込んで、ごめんなさい!)。

私は、以前から飯田さんとは知り合いだった。二度ほど一緒に仕事をし、飯田さんの歌にほれ込んだ。何度もコンサートやオペラに招待され、そのたびに飯田さんの歌唱力に感嘆し、メールのやり取りの中でそれを伝えて、及ばずながら応援してきた。飯田さんがラ・フォル・ジュルネに出演する時も、前もって連絡を取った。その中で、「コンサートの後、ぜひ控室に来てください」という言葉をもらった。

そこで、私はコンサート直後、約束を守って控室に行った。感動を伝えたいとも思った。確かに、入口でアルバイトの人に「関係者以外は立ち入り禁止です」と言われたような気がするが、私は出演者にじきじきに来るように言われ、約束を守ろうとしているのだから、むしろ、約束を守らないほうが失礼だろう。その場で名前をいうと、私を待ってくれていた飯田さんが、すぐに入るように声をかけてくれた。その後、控室で少し話をした。そして、地下の喫茶室に場所を移して、着替えを終えた飯田さんととても楽しく話した。その後も、何度かメールのやり取りをした。

きっと私が控室に入るところを見ていた人が、私に先入観を持っていたために、事情も知らずに私を一方的に非難したのだろう。そして、それを真に受けて、私を恥知らずだと思いこんでいるウブな人がいるのだろう。

飯田さんと私の関係は、二人の名前をネットで検索すれば、すぐにわかってもらえるだろう。私がウソをついていないことは、飯田さんに確認していただければ、すぐにわかるだろう。ただし、飯田さんほどの名歌手にそのようなことをするのはとても失礼だし、今は大事なコンサートを控えているので、そのようなことはしてほしくないが、私を非難するのであれば、事実を確かめてからにしてほしいものだ。

 

ところで、このことについて、2チャンネルの中傷に反論する必要がありそうだと思いながら、そのままになっていたが、今回「常識人」「???」と名乗る方の悪意あるコメントのおかげで、事実を示す機会ができた。きっと心の中では、コメントの主も、私が事実を語っていることを認めざるを得なくなっているのだろうと思う。このような機会を与えてくれた「常識人」「???」氏にむしろ感謝したいほどだ。

 

それにしても、2ちゃんねるなどで私ごときを中傷したり、ウブにそれを信用して、そこに悪乗りするなんて、何と暇な人たちなんだろうと思う。もっと恵まれた人、もっと大物を相手にすればいいのに。それとも、私は、2ちゃんねるに悪意ある書き込みをする人たちからすると、妬みや羨望の対象になるほど恵まれた存在なのだろうか。もしそうだとすると、ある意味でありがたいことだ。

30代のはじめ、私は地位もなく、金もなく、愛する人もなく、まともな職もなかった。しばしば絶望し、世の中を呪いながら鬱々と生きていた。支えは音楽だけ。きっとずっとこのようにして生きていくしかあるまいと諦めかけていた。

その私が、今や、一部の人からであれ、妬まれ中傷されている。努力と苦労の甲斐あって、ついに私も妬まれる存在になったのかと考えると、実に感慨深い。

私は音楽の専門家ではなく、単なる愛好者に過ぎないし、今後、ラ・フォル・ジュルネにも深く関わることもできない(何しろ、ナントのラ・フォル・ジュルネが開かれる1月末から2月初旬は、多摩大学の入試の時期なので、入試委員長である私が、この時期に日本を離れ、音楽に浮かれているわけにはいかない)ので、当然のことながら、音楽の世界での私の影はますます薄くなるだろう。私が妬まれ、中傷されるのもあと少しなのだから、それを楽しむというのも一つの考え方ではある。

電車の中のマナーに怒りを覚えて、久しぶりに音楽以外のことをブログに書いたのだったが、これはこれで刺激的だ。思うところがあったら、音楽以外でも、またここに書きこもう。

ついでに付け加えると、尖閣、竹島を発端とする中国、韓国との関係には危機感を抱く。なんとか平和的解決の道はないのだろうか…。今はそれが最も心配だ。

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音楽」カテゴリの記事

コメント

まあ、自分が妬みや羨望の対象になっていると考えるのは気持ちいいのかもしれませんが、現実にはああいうのは日頃親しくしているような近しい者によって行われていたりするものだということを、心のすみに留めておいてください。

投稿: | 2012年9月16日 (日) 09時47分

「つまらないこと」と言いながら、ずいぶんと長々とお書きになっておられるのがことの本質を現していますね。
「つまらないこと」に他人の実名を勝手に出すことも、とても常識的とは言えません。
新横浜の電車内の一件も控え室のトラブルも、自分はどうであれ周囲の人たちがどう考えているかという配慮が欠けているように思えます。

投稿: ゆうこ | 2012年9月16日 (日) 10時23分

ご忠告、ありがとうございます。
十分に心の隅におくことにいたします。
ただ、おわかりいただきたいのですが、もちろん、私がブログの最後に書いたことは、2ちゃんねるに書き込みをする人たちに対する皮肉であると同時に、半ば強がりです。そうとでも考えない限り、誰であっても非難中傷はこたえるものですよ。

投稿: 樋口裕一 | 2012年9月16日 (日) 14時17分

ゆうこ様
コメント、ありがとうございます。おっしゃることを理解して、今後、気をつけたいのですが、おっしゃっている内容がよくわかりませんので、質問させてください。他人を非難なさっているのですから、とりわけきちんと説明する必要があると思います。以下の点をご説明ください。

1 私が「つまらないこと」と書いたのは、飯田さんにとって「つまらないこと」であって、誹謗中傷された私にとって「つまらないこと」という意味ではありません。ですから、私は長い文章を書いて、誤解を解こうと必死になっています。そのことは十分に文脈からおわかりいただけるはずです。このよう長く書くことが「本質」を表しているとおっしゃいますが、どのような「本質」なのでしょうか。その内容、そしてその根拠をお示しください。

2 他人の実名と言いましても、飯田さんはラ・フォル・ジュルネに出演したソプラノ歌手であって、言うまでもなく公人です。そして、ラ・フォル・ジュルネのコンサートは公的な場所です。なお、私はラ・フォル・ジュルネの「アンバサダー」ですので、その場において、私もまた半ば公人として行動しています。2010年のラ・フォル・ジュルネのコンサートの後の私の行動は、公的な場で、公人が公人に対して行った行為でした。実名にすることによって、私的行動を暴いているわけではありません。
しかも、それ以前の付き合いから、私は飯田さんを「仲間」だと認識していますし、飯田さんも同じ思いだということです(今回、このようなことになりましたので、昨晩、飯田さんにメールして、お詫びをしたところ、うれしいご返事をいただきました)。それでも、迷惑になることもあると思い、これまでは実名を伏せていたのですが、私の行為が誤解されることは、同じ行動をとった飯田さんが誤解されることにもつながると思い、実名を示しました。が、これは道義的にまったく問題はないと思っています。
 で、質問です。公的な場における公人の行動について実名を出すのが常識的でないというのは、どのような理由でしょうか。お答えください。私の考えのどこが間違っているのでしょうか。具体的に説明なさってください。

3 新横浜からの電車での私の行動に配慮が欠けているとおっしゃいますが、その根拠をお示しください。吊革に傘の柄をかけることは、私はきわめて危険な行為だと思います。それを注意するべきではなかったのでしょうか。言葉遣いがまずかったことは私自身認めておりますので、「ゆうこ」様のおっしゃるのはそのことではないと思います。では、吊革に傘をかけることに対して注意するべきではなかったのでしょうか。そもそも電車内での危険な行動を見ても、黙っているべきだとおっしゃるのでしょうか。そのような場合、どうすることが配慮したことになるのでしょう。根拠とともにお示しください。

4 2010年のラ・フォル・ジュルネでの飯田さんのコンサートの後の私の行動も配慮に欠けているということですが、私はどうするべきだったのでしょう。「コンサート終了後、控室に来てくださいね」と強く言われていたのですが、断るのが配慮することだったのでしょうか。でも、何度か仕事をした「仲間」なんですよ。断るほうが配慮が欠けていると思いませんか。それなのに、私の行動が配慮不足という理由をお示しください。

 以上の4点、よろしくお願いします。繰り返しますが、他人を非難する場合には、きちんとその理由を示さなければ、それこそ非常識なことだと私は思います。私は「ゆうこ」様を非難しているわけではありませんが、誤解なくわかっていただけるように、できる限り丁寧に説明しているつもりです。

投稿: 樋口裕一 | 2012年9月16日 (日) 14時19分

昨日からのやり取りに、横から失礼します。

前記事コメント欄の「???」さんは

>あなた方は著名人だから名前を出しているのは当たり前

>老婆心から注意してあげている

と弁解なさってますが、相手が特定される中傷は名誉毀損です。実名を書けなどとおっしゃらず、これ以上の中傷は、法的手段も視野に入れてはいかがでしょうか。
「???」さんの論理を使えば、「???」さんが、これ以上多くの方の名誉を毀損なさる前に、老婆心から法的に訴えてさし上げても問題ないでしょう。


それでも私は、樋口さんの厭味ったらしい論理展開と自己正当化には、ほとほと萎えました。

>傘を吊革にかける行為は間違いなく危険なので、誰かが注意するべきことだ。

>その共同体の安全を壊す人に対しては団結して闘うべきだ

マナーや常識を根拠に、団結して(いるように見え)闘っているのが、樋口さんが嫌悪している2ちゃんねらーの姿ではないのですか。樋口さんが煽っているのは2ちゃんねらーと同じ事ですよ。

晴れた日の人ごみの中で日傘は差すことが危険であっても、雨の日であれば危険であるとは認識されません。晴れた日であっても、人ごみの中でないのなら問題になりません。
「傘を吊革にかける行為は」危険かもしれませんが、「間違いなく危険」とは言えません。マナー違反であっても、危険性の議論の余地はあるのです。
その女性と話の噛み合わなかった最初の点は、ここではないですか。
状況を限定せずに、最初の部分から「べき論」を使っていては、自己正当化にしか映りません。
これは、昨日の「???」さんと同じ論理展開です。


>ただ、おわかりいただきたいのですが、もちろん、私がブログの最後に書いたことは、2ちゃんねるに書き込みをする人たちに対する皮肉であると同時に、半ば強がりです。

このような逃げ道を用意なさっていている方とは、往々にして会話になりません。会話の道を閉ざしていらっしゃるのは貴殿です。

最後に、目の前で傘を吊革にかける行為は不愉快ですし、晴れた日の人ごみの中で日傘は差す行為には気を使ってもらいたいと、私は考えております。

投稿: 卒 | 2012年9月16日 (日) 16時28分

卒様
コメント、ありがとうございます。
まず、この場を借りて、昨日のブログ面に、飯田みち代さんご本人からのコメントが入って、証言くださっていることをお知らせします。飯田さんに、私のブログにまでおいでいただいて、本当に恐縮しています。
飯田さんご本人でないといい出す人もいるかもしれませんが、きちんとお調べになれば、きっとお分かりになると思います。
ところで、もしかしたら、私の描写がよくなかったのかもしれません。傘の件ですが、もう少し詳しく説明いたします。
満員ではないものの、立っている人もかなりいる電車の中です。雨は降っていませんが、曇り空で、その女性は念のために雨傘をもっていたのでしょう。そこで、女性が、人が何人も座っている席の前の吊皮に傘の柄をかけて、傘の本体を握ってぶらぶらさせているのです。傘の先端は、もう少しで座っている人の顔に届きそうになっています。少し揺れて、席に座っている人が前のめりになると、頭が傘にぶつかる状態です。目をつきそうな恐怖も感じます。
これは明らかに危険です。不愉快というレベルではありません。マナーというレベルではありません。だから、私は注意したのです。
ところで、私はマナーや常識を根拠にしてあおっているわけではありません。公共の場で人を危険に陥れるものに対しては、公共を成り立たせる人間は危険に対して闘うべきであるという、至極当たり前の市民社会の原則を語っているのです。あくまでも、「けがを負わせる危険性がある」ということを問題にしています。ご理解ください。
私の使用する論理展開、おっしゃる通り、かなり卑怯で変則的す。が、今回、このような相手ですので、敢えてこのような手段をとらせていただきました。

投稿: 樋口裕一 | 2012年9月16日 (日) 17時37分

樋口様

ご返答、ありがとうございます。
お話は、1,控え室でのこと 2,電車内でのこと に分けられますが、1については私は特に関心ございません。
ただ、かなり粘着されていらっしゃるようなので、法的手段をお示しになることも肝要かと思いました。
まだ尾を引くようでしたら、当記事に付け足すような記し方ではなく、正式に当時の状況を記す記事をお書きになり、投稿日時を一例として2020年にし、ブログのトップに表示されるようになさってはいかがでしょうか。

2についてですが、上記の樋口様の説明なさった状況と、私の想起した状況には少々違いがあるようです。
マナーというレベルではないおっしゃりつつ、当記事のタイトルに「電車マナー」とある点が引っかかりますが、2ちゃんねらーと同一視した点は不適切でした。その点、お詫びいたしたく存じます。


それでも、私は、樋口様の理屈に違和感を覚えます。

>公共の場で人を危険に陥れるものに対しては、公共を成り立たせる人間は危険に対して闘うべきであるという、至極当たり前の市民社会の原則を語っているのです。

樋口様の上記コメントの説明に則れば、女性を注意なさったことは立派なことだと思います。上記の原則論と照らしあわせても全くおかしな事ではないでしょう。
気になるのは、あくまでも原則論を語っているとされますが、樋口様は記事の中で、相手が屈強の男性であれば、その場では闘わないとお続けになっていらっしゃる。
このようなことをお書きになるのは、樋口様の謙虚さの表れなのでしょうが、この場合、原則論から現実論へ話を進めていらっしゃるわけです。
これは、現実問題として、「闘うべき」だけでは解決できないという主張と受け取れます。
ここで私が疑問に思うのは、そもそも「闘う」とはどのようなものになるのか、です。
結論を言えば、それは議論しかないのではないでしょうか。それを経ない以上、根拠は常識やマナーの範疇になるのです。
公共の安全のためだと一方が主張しようとも、議論を経ない以上、マナーや常識を武器として相手をやり込めるしかないのです。

事実、樋口様は先の記事で

>「そうだ、そうだ、この人の言うとおりだ。傘を吊革にかけるなんて非常識だ」と言ってほしかったのに、知らんぷり。

と記されていらっしゃいます。

投稿: 卒 | 2012年9月16日 (日) 21時44分

樋口先生こんばんは。

今、出張先から最終の新幹線で東京へ向かっている時にこの欄を拝読いたしました。
1、2共にいろいろ思う事はありますが、またの機会にしたいです。

こうした話題のレスポンスの多さに比べ、バイロイトでの話題にはレスがほとんどないのはさみしいですね。

YouTubeで、先日ティーレマンの1998年1月日本公演「オランダ人」を観ました。
実際に公演舞台も観たが、この時よ進化しているでしょう。

投稿: 白ネコ | 2012年9月16日 (日) 23時58分

卒様
 コメント、ありがとうございます。
 ご助言、ありがとうございます。そうですね、例の方が、無礼を詫びずに、これからも私の名誉を傷つけ粘着するようでしたら、法的措置も考えたいですね。
 確かに、私もちょっと興奮してブログ記事やコメントを書いていましたので、あちこちで整合性をなくしてしまったようです。タイトルは「電車マナー」とするべきではありませんでした。
 ところで、私が電車で行為についてイメージしていたのは、以下のようなことです。
 電車の中は一つの社会をなすと思うのです。ただし、一般社会と異なって、成員が流動的です。一般社会であれば、秩序を危険に陥れる存在に対しては、民意によって警察という暴力装置を設立して、対抗します。ところが、流動的な電車社会ではそうはいきません。危険な存在に対して、有志が闘う必要があります。その際、たとえば屈強の男性が危険な行為をしていると、それに対して有志が一人では立ち向かうことができません。そこで、警察機構の代わりとして、成員が団結して闘う必要があると思うのです。
 私は怒りのあまり、図らずも有志として危険な存在に立ち向かいました。幸い、相手が女性でしたので、私も他の成員との団結がなくても、一人で対応できたのでした。が、それでも、団結の意思は示してほしいと思ったのでした。団結の意思が示されれば、たとえ屈強の男性を相手にしても、誰もが危険な存在に対して闘えると思うのです。
電車のような流動的社会の理想はそのような形だと思います。もちろん、それがふつうに考えて機能するはずがないのは、よくわかっているのですが。
ですから、原則と現実問題が入り混じった点はあったかもしれませんが、基本的には原則論を中心に語ったつもりでした。
 しっかりと考えた末ではないのですが、私が屈強の男性を持ち出したのは、おっしゃる通り、謙虚さを示して、私がそれほど勇気ある男性ではないことを示すためでもあり、また以上のようなイメージを喚起するためでもあったように思います。
 よく考えないまま、筆に任せて書いてしまいましたので、あちこちで混乱しておりますが、ご容赦ください。
 ところで、どうやら、「屈強の男性に対してなら、黙っている」と書いたことが悪意を持った人や、文章の前後を読みとれなかった人にとっての格好の攻撃対象になってしまって、まるで私が弱いものをいじめているかのように歪められてしまったようです。そこまで悪意を持って曲解する人がいるとは思っていませんでしたので、実は、この点は、文章を書く上でちょっと計算違いでした。
ブログを書くとき、悪意を持って読む人や読みとり能力が極端にない人までがスキがあれば攻撃してこようとしているということは頭においておくべきだと、今回、改めて学びました。が、そのようなことまで考慮して文章を書くと、レトリックを使えず、中学生相手のような文章になってしまって、おもしろくなくなってしまいますね。残念なことです。

投稿: 樋口裕一 | 2012年9月17日 (月) 00時01分

白ネコ様
PCを閉じて、そろそろ寝ようとして、白ネコ様のコメントを見つけました。今日は、コメントを書くのに時間を取られて、予定の仕事が終わらず、困ってしまっています!
おっしゃる通り、バイロイトについてほとんどコメントがなく、それに引き換え、電車の話題は沸騰で、私も意外であり、ちょっと残念でもあります。
ティーレマンの98年の「オランダ人」、実は私は、「ひどい演奏だ」と思って、大いに失望したのでした。それに比べますと、今年は比べ物にならないくらいの素晴らしさだと思いました。
音楽の話題で一日を終えられそうで、とてもうれしく思います。ありがとうございました。

投稿: 樋口裕一 | 2012年9月17日 (月) 00時07分

樋口先生、ご無沙汰しております。二期会のパルジファルの感想でも書いてないかと思って伺いましたが、また詰まらないことで、炎上ならぬ、小火騒ぎになっていますね。

屈強な・・・ってところは、さすがに印象悪いです。言うべきことなら、相手によらず言うべきです。たとえ自分が殴られようとも。怖いもの知らずの僕は、そう思ってしまいます。自分も泥酔しているのか、車内で横たわっていた男性を軽く蹴っ飛ばすというか、踏んづけて起こしたことがあります。驚いたことに、泥酔していたんではなくて、注意されると、ちゃんと立っていられるのですよ。どうなってるんだ、ニッポン?

飯田さんは、日生劇場のメデアですよね。ご存じのように、彼女はとても素晴らしいソプラノですし、Bの大隅さんと二枚看板で、期待しています。彼女と親交があるなんて、うらやましいですな。ただし、この公演に関しては、どうしてライマンの直弟子である森川栄子がキャスティングされなかったのかは疑問に思います。

投稿: アリス | 2012年9月17日 (月) 01時38分

樋口先生

実はさきのメールをお送りした後、ハプニングがありました。

最終新幹線で東京駅へ着き、JRへ乗り継いだ車内で、隣の男性がすっかり寄りかかってきて寝て(?)いるのです。注意しても知らんふり。実力で思いっきり突いてもまたしばらくして寄りかかる! なぜかその人物は自分の降りる予定(?)の駅でしっかりと眼をさまし降りてゆきました。
私自身が降りる際、荷物を持っていたので、最初は「すみません降ります}と声かけで混んだ車内を進もうとしたのだが、女性も男性もいっこうに道を開けてくれない!というか、聞かぬふり。結局、ここも実力行使で思いっきり突いて降りざるを得ませんでした。アリス様もお書きになられていたように、いったいどうなってるんだ、ニッポン!ですね。
思い起こせば20代のころだったか、割り込んだ男性に注意したところ、掴みかかってきたので応戦し、あっという間にホームは黒山の人だかり。駅員が仲裁し落着したのですが、今思うと無謀で怖い者知らずの年代でした。

楽屋訪ねのことですが、「関係者」が金科玉条の日本では、トラブルを避けるためにも、受付付近の方(切符もぎりの人ではなく、公演担当者が会場の要所へ張り付いていますので)に、事前に「出演者もぜひとおっしゃっているので、後で楽屋を訪ねたいのだが」と申請しておけば、もし扉の前で拒否されても「事前にお話し済みなので」、とやんわりおっしゃればまず問題ないでしょう。

投稿: 白ネコ | 2012年9月17日 (月) 12時08分

アリス様
お久しぶりです。
「パルジファル」から帰ってきたところです。
「屈強の男」については、「卒」様のコメントの返事に書いたとおり、意識的に使ったのですが、これが「小火」を招いたようです。これから気をつけたいと思います。といっても、もう不用意なことは書かないという意味ではなく、もっと戦略的に使うという意味ですが。
飯田さんは本当に歌唱力のある素晴らしい歌手です。メデアもきっと素晴らしいと思います。ふだんからとても魅力的で、おもしろい方ですよ。うらやましいでしょ?

投稿: 樋口裕一 | 2012年9月17日 (月) 22時00分

白ネコ様
コメント、ありがとうございます。
本当に、日本はどうなっているんでしょうね・・・。そう思うのは、歳のせいではないと思います。
ところで、飯田さんの控室を訪ねた時、もちろん、係りの人に、そのように言ったのです。私が、係り員が留めるのも聞かずに押しいることなど、あるはずがありません。むしろ、私は普通以上に遠慮がちで、引っ込み思案の人間です。確か、その時、飯田さんご自身から声を掛けられ、係り員も了解したうえで、中に入ったはずです。ですから、悪意を持たずにきちんと見ていたら、誤解のしようはないはずです。最初に、私が無理やり入ったといいだした人物(たぶん、2ちゃんねるに書きこんだ人物)は、意図的に私を悪者にしたのだと思います。そして、「常識人」と名乗る「非常識人」がそれを真に受けたのでしょう。
このようなことについても、いったい日本はどうなっているのと思ってしまいます。

投稿: 樋口裕一 | 2012年9月17日 (月) 22時07分

ご丁寧なレスポンスをいただきありがとうございます。「周囲の人たちがどう考えているかという配慮」についてまったくご理解されていないようなので再度書き込みさせていただきます。

控え室の揉め事の際に「悪意を持たずにきちんと見ていたら」ということですが、なぜ「悪意を」持って先生のことをその方(あるいは複数かもしれません)が見られたのでしょうか?そのことを深く考えられたことがありますか?

その「悪意を」持った原因は書き込みをした方(々)にのみ起因するのでしょうか?
と申しますのも、私の友人たちのコンサートゴーアーにきいても、控え室のことで先生への同情する声はごく少なく、多くは「やっぱりね」「とうとう出たか」という反応でした。それは当時だけでなくいまもそうです。

私は今回初めてコメントさせていただき、レスポンスもいただいた身分で恐縮ですが、長々しい文章の中に、彼らおよび彼女らの反応を打ち消すだけのものを見ることができなかったことまことに残念でした。

このスレッドで私の前にコメントされた方のポイントも同様のこととを含んでいるおられるのではないでしょうか。

もういちど申し上げますが、「周囲の人たちがどう考えているかという配慮」について今一度お考えなさってください。

夜分遅くなりましたのでこれにて失礼させていただきます。

投稿: ゆうこ | 2012年9月18日 (火) 00時25分

ゆうこ様
そろそろ寝ようと思ってPCを確認して、コメントを発見しました。
私の質問に少しも答えてくださらず、しかも今回も内容が曖昧で、根拠もまったく示されていませんので、私には何のことやらまったくわかりません。
このような意味不明のやり取りをしても、お互い消耗だと思いますので、今後、私のブログに立ち寄らないようにお願いします。
今回もまた面倒な質問を私がするよりは、そのほうがあなたにとってもいいでしょう? あなたも、もう私には関わりたくないでしょうから。
人間には、お互いに相手がバカに見える存在がいるものです。いたし方がないことであって、そのような人間は関わりを持たないのが一番です。
もちろん、よほど言いたいことがない限り、私のこのコメントに返事を下さる必要もありません。

投稿: 樋口裕一 | 2012年9月18日 (火) 00時47分

樋口様

樋口様のコメントのお陰で、私自身よく自覚できていなかった違和感の正体が分かった気がいたします。
まず、2つお伝えいたしたいことがございます。
1つ目は、鉄道警察隊という組織が存在していることです。私は遭遇したことはありませんが、警察内の一組織で電車内の巡回も行なっているとアナウンスを聞いたことがあります。
2つ目は、日本の各鉄道事業者には「旅客営業規則」というものが存在することです。迷惑行為や乗車拒否の基準等も書かれているものです。各駅の駅舎で閲覧可能です。

樋口様の上記コメントで理解できたことは、樋口様が原則論とおっしゃっていたことは、電車内において、制限される「べき」危険行為を行なっている者に遭遇した場合、市民は団結してそれを止めさせるべきだという「流動的社会の理想」論の一事例だったということです。
私が違和感を覚えていたのは、下の2点が明らかにされていなかったためです。
1点目は、制限されるべき危険行為という認定は誰がどうようにして行うのか。
2点目は、「団結して闘う」行為に何ら制限が示されていない点です。

当然のことですが、日本国は「流動的な電車社会」であっても、正当化された暴力は、国家という暴力装置に独占されております。そして市民社会とは、警察を含めた国家という公権力の暴走に対抗、牽制する革命権にも通ずる概念と私は理解しております。
「警察という暴力装置」に対置される市民社会の概念をお使いになり、団結して闘うべきだという樋口様の主張は、「警察という暴力装置」の及ばない「流動的な電車社会」における「秩序を危険に陥れる存在」に対し、市民であっても警察という暴力組織に準ずる行為が許されてしまう、とも読めてしまいました。しかもそれは、上の2点が明確でないにもかかわらず。

樋口様が遭遇なさった女性の行為に、いくら危険性が感じられても、明文化された法や「旅客営業規則」に抵触していなければ、鉄道員は強制的に止めさせることはできません。警察組織は法を犯していなければ取り締まることができません。では、我々市民には何ができるのか、が重要になるのですが、それは、法や「旅客営業規則」を念頭に置き、慣習に照らし合わせながら秩序の維持のために何ができるのかを考え、行動していくことだと思うのです。
結局のところ、私には、市民社会といった概念を持ち出し、団結して闘おうと訴えずとも、公共空間である電車内における秩序の維持や慣習のためには、市民が能動的に働きかける必要がある場面もある、程度に表現を抑える必要があると思うのです。あと私は、べき論や理想論といった論理展開は、発言者の矜持や美学への陶酔を許し、それに準じない人間に対する誹謗を暗に示している点が好かないのです。

最後になりますが、樋口様が市民社会を警察組織を補うようなものだと説明なさった意図が、法の範囲外であっても市民にはなすべきことがある、という主張を、暗に示していらっしゃったのなら、それは、樋口様と私の思想哲学の違いなのだと考えます。


クラシック音楽は、自宅で鑑賞して一人でアナリーゼごっこをするだけですが、コンサートでは神経症的な方々に囲まれて鑑賞しなければならないかと思うと、ハードルが高そうです。「記事」や「エントリー」ではなく「このスレッド」とお書きになるあたり、2ちゃんねる等の匿名掲示板の住人なのでしょうか。
私は「団結して闘う」という表現が好かなかったのですが、それは「彼らおよび彼女ら」とか「周囲の人たち」といった圧力のみを使って、自説や自分自身の正当性を補強し、脅迫する、唾棄すべき行為に容易に繋がってしまうからです。おそらく当人に悪意はなく、正義感にでも燃えいるのでしょう。周りの人間と共有できる価値基準を一つくらい見つけて、それは準じて連帯感や存在意義でも確認しているのでしょう。
何というか、こうした方々の人権も尊重しなければならないのが市民社会ですね。

投稿: 卒 | 2012年9月18日 (火) 02時47分

私は樋口さんに同情的だったんですが、ゆうこさんへの回答はいかがなものかとおもいます。お互いに馬鹿にみえるから書かないでくれ、では会話が成り立たないですね。

投稿: 世話人 | 2012年9月18日 (火) 07時44分

世話人様
コメント、ありがとうございます。
ゆうこ様に対して、そうするのが最も良いと思ったのですが、コメントを読んで、ちょっと心配になりました。
ゆうこ様は、前回の私の質問に少しも答えてくれず、また曖昧な「悪口」を書いてこられています。
これに対して私がきちんと対応しようとすると、また前回と同じように、「具体的にはどういうことか」「なぜ、そう思われるのか」を質問することになるでしょう。ゆうこ様にとっても、私のそのような反応はうっとうしくて、嫌味に思われることだと思います。そして、もちろん次回、その答えは返ってこないと思います。おそらく、今度は違うタイプの曖昧な内容の「悪口」がコメントに出てくるでしょう。
そうなると、お互いきわめて不毛になります。
お互いに理解し合おう、相手に納得してもらおう、相手を説得しようという気持ちがなければ、コミュニケーションは成り立ちません。私としては、相手を納得しようとして言葉を尽くしたつもりでしたが、対応してくれませんでしたので、コミュニケーションを、ゆうこ様の側から拒否されているのだと判断しました。
そうだとすれば、言葉のやり取りをして、コミュニケーションが成り立たないことを確認するよりは、初めからコミュニケーションをしないほうが、お互いの精神や時間を考えて、むしろ好ましいと考えるのです。
「バカ」という言葉を使ったのは、もちろん意識的なものでした。が、ゆうこ様が私に言っていることも、要するに、「あんたはものを理解しないバカだ」ということに尽きると思います。そして、その内容も理由も伝えてくれないのですから、「もう、言いあうのはやめましょうよ」というのが、最も建設的ではないでしょうか。そのような意味で、ちょっと皮肉も混ぜて、私はコメントしたのでした。
ご意見をお聞かせください。もちろん、納得した場合には、ゆうこ様への態度は変更したいと思います。

投稿: 樋口裕一 | 2012年9月18日 (火) 08時24分

私はその問題のコンサートに偶然行っておりまして、樋口さんのお姿も確認し、終演後も樋口さんが楽屋の方へ行かれる姿をずっと見てましたが、(舞台横にドアがありましたね。私はすぐそばの席でした)特に大きく揉めた様子もなく、何故こんなに叩かれているのかと驚いております。あのコンサートはショパンの歌曲をポーランド語で歌うという、ものすごく珍しいコンサートで本当に価値のある演奏会だったと記憶しております。
出演者と約束をして終演後お会いになった。
ただそれだけのことだと思うのですが。

投稿: あの場所にいました | 2012年9月18日 (火) 17時10分

「あの場所にいました」様

あの時のコンサートについて証言してくださり、本当にありがとうございます。
おっしゃる通りなのです。何のトラブルもない、ごくありふれた状況だったのです。ところが、なぜか叩かれて、私もおおいに当惑しているのです。私にしてみれば、とんだ風評被害です。
私は音楽のド素人なのに、たまたまラ・フォル・ジュルネが始まったころにベストセラーの本を書いていたために「アンバサダー」になって、ちょっとだけ特別扱いされているような立場なのですが、思うに、それが2ちゃんねるに書きこむタイプの音楽マニアの気に障るのでしょう。そのために私が何をしても傍若無人で傲慢ということにされ、ウブな人たちがそれを信じて、私を悪者扱いします。その結果、「常識人」「???」「ゆうこ」などという人物が次々と書き込みをして何の根拠もなしに私を侮辱していくわけです。
証言してくださったこと、感謝します。せっかくの証言も、「やらせだ」「自演だ」という人がいるかもしれませんが、できることなら、飯田みち代さんの昨日の証言と、今回の証言をきちんと読んで、これまで私を侮辱してきた人たちは態度を改めてほしいものです。

投稿: 樋口裕一 | 2012年9月18日 (火) 22時29分

偶然私も。。。
実は当日の様子を知っていたのでときどきこちらは覗いてはいたのですが、カミングアウトされた方が出たので私もコメントさせていただきます。
私の席は扉からは離れていましたが、先生がボランティアの男性に入れる入れない、とやりとりされているときの横顔を見てしまいました。
詳しくレポートするには忍びないのですが、もう少し毅然とした
態度をされたほうが良かったのでは?2ちゃんも見ましたけど、面白おかしくは書かれていたでしょうが、とっさのことといえあの表情はご自分で注意されるべきでしたね(もっとも自分も人様のことをいえるほど度量はありませんが)
ちなみにあの時は本編のみでは時間が短くてシューマンの歌曲を急遽挟んだ
ように記憶しています。飯田さんとピアニストの方の演奏にはまったく感服しました。

投稿: あの場所にいましたその2 | 2012年9月18日 (火) 22時33分

「あの場所にいましたその2」様
コメント、ありがとうございます。ブログをいじっているうちにコメントが入りましたので、すぐに返事させていただきます。
「毅然」としていなかったとは、つまり、係員に「入らないでください」と言われたため、飯田さんに来てくれと言われていた私としては、驚いてしまって、うろたえていたということでしょうか…
そうかもしれません。
私は「傲慢不遜で傍若無人」といわれているようですが、実は気が弱くて、すぐにうろたえ、おどおどしてしまう人間なんです。
あの時も、「え、約束してたんだけど、どうして???」と思って、うろたえたのを覚えています。
だからきっと、それをおもしろがって、悪意ある人が、中傷するんですかねえ。
これから、もっと毅然とするべく努力します。
が、二人の証言があれば、私がずけずけと控室に入ったわけではないことは、わかっていただけるはずですよね。
もちろん、飯田さんは本当に素晴らしい歌手です。そして、ピアノも素晴らしかったですね!

投稿: 樋口裕一 | 2012年9月18日 (火) 22時53分

卒様
大変、納得のできるコメント、ありがとうございます。
きちんと理解し合おう、相手にわかってもらおうとして根拠を示しつつコメントをやり取りすることが、いかに心地よいことか、「卒」様とのやり取りの中で改めて感じます。自分に欠けていたもの、自分の考えの特性に気づき、それまでの考えを見直すことができます。
しばらく前から、根拠を示さずに罵ったり、質問に答えなかったり、すり替えたり、事実を認めなかったり、「周囲のみんなが言っている」式の根拠にならない根拠を示したり(しかも、どうも「周囲」というのは2ちゃんねる内を指しているように思われます)といった悪意あるコメント(おっしゃる通り、本人は悪意と思っていないところに大きな問題がありそうです!)への対応に消耗しておりましたので、いっそううれしく思います。
さて、ご指摘の点ですが、おっしゃる通り、私がまったく考えていなかったところです。その後、自分なりに整理してみました。なお、言うまでもなく、これは「卒」様に反論しようというのではなく、私がどう考えていたのかを整理するものでしかありません。
第一点目、危険行為を誰が認定するかという点ですが、それはコモンセンスとしか言いようがありません。一定の基準を決めて明文化したところで、流動的な場においては、その場その場でまったく異なる危険が生じるのですから、実際の適用は困難でしょう。ですから、その危険を察知した一人が問題提起をし、周囲にいる人がそれに同意するかどうかが問題になります。それがその場でのコモンセンスとして機能せざるを得ません。
逆に言えば、「電車社会」のうちの誰かが危険を察知して声をあげたら、周囲の人々はそれに対する賛否を示す暗黙の義務が生じると思うのです。私が、傘の女性に注意した時、周囲の人が無関心であることに不満を感じたのは、まさにこの理由によります。そのとき、私は自分は間違いなく正義を行使しているのに周囲の人間の同意を得られなかったことに不満を抱いたのでした。傘のぶらぶらする前にいた数人は間違いなく、何らかの危険は感じていたはずですので、おそらく、心の中では同意してくれたと思うのですが、それを表明しませんでした。それは、いうまでもなく「電車社会」というのが虚構の理想態でしかなく、それが存在しえないからではあります。ただし、繰り返しますが、そのような理想態を私は原則論として考えていたようです。
第二点目、団結して闘うことについてですが、これも同じように、虚構の理想態の社会において、その社会の成員を危険に陥れるようなことがあれば、総意で解決に当たるのが原則だという意味です。
ただし、私も「団結」ということについては、本来、強い拒否反応を覚えます。できる限り多様な価値観を認め合うべきだと考えています。したがって、電車において様々なマナー違反の行為については、あくまでも本人の自覚によるものであって、個人がマナー違反者に注意するにしても、それは個人の責任で個人の社会意識に訴えかけるものだと思っています。が、他人に危害を及ぼすことに関しては、断固許してはならない、そこは自衛のために闘わなければならないと思うのです。
問題は、「マナー」と「危険」の境目はどこにあるかということですが、ここでまたコモンセンスということになってしまいます。
もちろん、「卒」様から見た私の論理の弱点は、わからないでもありません。この境目に美学や個人の価値観が入り込み、明文化できない曖昧な領域になってしまい、実際には機能しないということでしょう。
「卒」様と私の発想の違いは、もしかすると、法学と文学の発想の違いかもしれません。失礼ながら、「卒」様は法学系の勉強をなさってその方面の仕事についておられる方だとお見受けします。私は文学系の出身で、どうしても明文化された法ではなく、理念を重視します。そこはいかんともしがたい人間の発想の相違であろうと思います。
まとまりのない文章で大変申し訳ありません。そして、社会科学的に説得力のあるものではないこと、「卒」様を納得させるものではないことも理解しています。が、これが少なくとも、ブログ記事を書いた時に、私の頭の中にあったことだと考えています。

投稿: 樋口裕一 | 2012年9月19日 (水) 21時52分

世話人様
コメント、ありがとうございます。
せっかくのコメントですし、私に対しての心からのアドバイスを下さったのだとは思いますが、削除させていただきました。申し訳ありません。
私のブログ内で、コメントを下さった方同士の争いに発展する恐れがあると判断したためです。
私に対する批判でしたら、私自身が対応しますが、私のブログが、私自身が直接に関与していない事柄についての争いの場になってしまうと、私としては大変悲しく思います。
ご理解ください。

投稿: 樋口裕一 | 2012年9月20日 (木) 08時12分

卒様
世話人様

大変申し訳ありません。お二人のコメントを削除させていただきました。私のブログが、私自身が当事者ではない件で、言い争いの場になることを認めることはできません。せっかく書いていただいた文章を削除するのはしのびありませんが、どうかご理解ください。
私は、2ちゃんねるに書きこむ人のだれもが低劣な人間とは思っておりません。優れた人もたくさん書きこんでおられることは承知しています。私が2ちゃんねるを嫌い、「薄汚れた場所」と表現したのは、しばしば不毛な衝突が起こり、他者への敬意のない文が飛び交うからです。そして、私がその中傷の対象にされてしまっているからです。
私のブログがそのような場になることを、私は何よりも恐れます。
削除してしまったことについてはお詫びいたします。繰り返しますが、どうかご理解ください。

投稿: 樋口裕一 | 2012年9月21日 (金) 00時06分

初めて樋口様のブログに偶然行きあたりました。同じ音楽好きとして興味あるコメントが多く、面白く読んでおりました。電車のマナーについての書き込みも、そうだそうだまったくだ、と共感して読んだのです。私も公共の場所で不愉快なことに出会うと、ついつい文句を言いたくなる方です。音楽会で私語するヤカラ、混んだ電車内でも足を投げ出して座るヤカラ、道にたばこや紙くずをポイ棄てするヤカラ、何度か注意したことがあります。家内からは逆ギレされるかもしれないから危険だと言われていますが、それでも言わずにおられないときがあります。樋口様の、相手が屈強な男でないことを確認してから注意に及んだとのくだりには、ユーモアの色合いを持たせたホンネだと、いたく共感したものです。
しかしながら、その書きこみに共感のコメントはごく少なく、批判的なことや皮肉っぽいコメントばかり並びました。びっくりしました。共感こそすれ、批判や皮肉がくることは予想もしませんでした。それらに丁寧に応える樋口さまの抑えた反論には、これまたそうだそうだと思いましたが、その反論に対する皮肉屋達の反応たるや、もう読むだけで腹が立つような斜に構えたものばかり。これではせっかくの楽しい「電車のマナー」の書き込みが、書かなきゃよかったというものになりかねません。これに懲りて、「電車マナー」のような書きこみが書けなくなるとしたら残念です。思うに、あの書きこみに関して声を挙げたのは少数の批判屋で、大多数の樋口ブログファンは私と同じ感想を持ったのではないかと思われます。あのような輩は、何を言ってもまともに取らず、常に皮肉でしか返ってきませんので、無視した方が時間の無駄をされずに済むと思います。
この書き込みに対しても皮肉っぽい批判が予想されますが、批判には何を書かれても反応しません。肯定的なレスがあれば、大喜びで読みますよ。

投稿: ル・コンシェ | 2012年10月 4日 (木) 16時51分

ル・コンシェ 様
コメント、ありがとうございます。そして、私のブログを、読んでほしいと思っている通りに読んでいただき、とてもうれしく思います。私も、もちろん、おっしゃる通りの気持ちであの記事を書き、その反応にとても驚いたのでした。
が、その後、あれこれ考え、今回の「小炎上」のおかげで、ネット社会について、現代社会についていろいろなことが分かったような気がしています。そのうち、それをまとめてみようと思っています。もしかすると、また「小炎上」が起こるかもしれませんが、それも仕方がないことでしょう。
このようなコメントをいただくこと、取れも励みになります。ありがとうございました。

投稿: 樋口裕一 | 2012年10月 4日 (木) 23時09分

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