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ウィーン国立歌劇場公演「フィガロの結婚」は素晴らしかったが、興奮はしなかった

 1023日、神奈川県民ホールでウィーン国立歌劇場公演「フィガロの結婚」を見た。一言で言って、大変素晴らしかった。ただ、興奮するには至らなかった。

 何よりもオーケストラが素晴らしい。最高の音色。音そのものに感動する。こんな音でモーツァルトを演奏されたら、そりゃ感動するのも当然。

 歌手もみんなが高レベル。とりわけ素晴らしいのは、伯爵のカルロス・アルバレスと伯爵夫人のバルバラ・フリットリ。アルバレスは太い声で他を圧倒し、声の演技力も言うことなし。フリットリは実に美しい声で、第三幕のアリアはしみじみとして心の底から感動した。

そのほかは、スザンナのシルヴィア・シュヴァルツは最高に美しい声。声量はないが、ヴィブラートの少ない透明な美声は心に響く。フィガロのアーウィン・シュロットとケルビーノのマルガリータ・グリシュコヴァ、そしてバルバリーナのヴァレンティーナ・ナフォルニータもなかなかよかった。とりわけアンサンブルがとてもきれい。全員の声の質が実にピッタリと合っている。そのほかの役も誰もが満足できるレベル。ただ、ちょっとバルトロのイル・ホンは第一幕は少し不調だったかもしれない。しかし、第二幕以降は不満はなかった。

フリットリもシュヴァルツも容姿もよく、とても美しい。男性陣も登場人物が抜け出したかのよう。最近のオペラ上演は容姿の良い人がそろっている。見る側からするとありがたいことだが、これほどきれいな人たちでなくてもよいような気がする。容姿重視になりすぎているのではなかろうか。

 ペーター・シュナイダーの指揮についても、とてもよかった。自然体で無理がなく、美しく歌っている。ただし、もっと心が浮き立つようなところがほしいと思うところは何箇所かあった。が、もちろん、これはないものねだりだろう。ザルツブルクに何度か行くなどして、耳が贅沢になりすぎている自分を感じる。

 ジャン=ピエール・ポネルの演出については、まさしく定番中の定番。

 それにしても、「フィガロの結婚」を見るたびに思うが、本当によくできたオペラだ。音楽も素晴らしく、台本もおもしろい。落語と同じで、すでにストーリーもセリフもよく知っているのに、また笑ってしまう。

 満足して雨の中を帰った。

 もう少し書きたいことがないでもないが、仕事が忙しい。今日もこれからまた仕事をしなくてはならないので、ブログを書くのはこのくらいにする。

 

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おいしいフレンチ、そして永山学園祭でのゼミ活動

 昨日(10月19日)、ひさしぶりに多摩大学近くのフランス料理の店エル・ダンジュで家族と夕食。絶品だった。これまで何度も行って、常においしいと思ってきたが、昨晩はことのほかおいしかった。「お通し」(とは呼ばないと思うが・・・)で出てきた鯖からして絶品。フォアグラもスズキも牛ロースもおいしかった。家族が食べたので、ちょっとだけわけてもらったオマールも牛ほほ肉のワイン煮もおいしかった。素材もいいが、ソースがすばらしい。

 食材や料理法についての知識もなく、おいしさに関する語彙も持ち合わせないので、ただおいしいとしか言えないのが残念。ミシュランの星付きの店でも何度か食べているが、エル・ダンジュはそれに勝ると断言できる。

 家族みんなで大満足。ただ、車で行くので、アルコールを飲めないのが残念。家族に車を運転させるという方法もあるが、みんなで飲まないとあまり楽しくないので、家族で行くときにはソフトドリンクのことが多い。

 

 今日(20日)は、大学で教授会に出席後、永山駅前で開かれている「多摩大学ゼミナールin 永山学園祭」に顔を出した。このイベントは、グリナード永山会「住民共生事業」として、多摩大学の梅澤ゼミが企画・運営を行うもの。駅前やグリナード永山内で、多摩大学のいくつものゼミが活動を行った。そのイベントの一つに、私たちのゼミも参加させていただいたわけだ。

 私たちの多摩大学・樋口ゼミは多摩地区の多くの人にクラシック音楽をきいてもらうことをめざしている。そんなわけで、今回は桐朋学園大学の管楽器を専攻する5人の才能ある学生さんに願いして、イベールの管楽器のための3つの小品や、管楽器に編曲したモーツァルトのクラリネット五重奏曲の第1楽章やちょっと短縮した「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」などを演奏してもらった。

ゼミ生5人が演奏家たちと協議して曲目を決定し、曲目紹介を書き、本番ではイベント全体を運営する梅澤ゼミの学生とともに演奏をサポート。リハーサル時間も取れず、制約が多い中、もちろん不手際はたくさんあったが、まずはしっかりやってくれた。私は学生の陰に隠れて、時々口を出す。

人通りが多く、雑音の混じる野外であるうえ、風が出て楽譜が吹き飛ばされそうになる中での演奏。そんな最悪の環境の中で才能ある学生さんたちはとてもよくやってくれた。客は50人ぐらいと予測してプログラムを配布したが、予想を上回る客がいて不足した。ありがたいことだ。

また忙しくなった。ほとんど毎日、仕事の締め切りが押し寄せている・・・

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「ラクメ」と「ドン・キショット」DVD

 昨日まで息をつく暇もないくらい忙しかった。もちろん、コンサートやオペラに行って自分で忙しくしている面はあるが、それにしても、それ以外の時間はずっと仕事をしている。

 今日やっと切羽詰まった仕事がなくなったので、ゆっくりすることにした。自分に仕事を禁じて、オペラDVDを2本見た。

 

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レオ・ドリーブ作曲「ラクメ」 シドニー・オペラ・ハウス

 

このオペラは、以前、ボニング指揮、サザーランドがタイトルロールを歌うLDをもっていたが、今、入手できる映像はこれしかないのではありまいか。その意味ではきわめて貴重。

ただ全体的に、最高レベルというわけではない。オーケストラは合わせているだけといった雰囲気があって、あまり雄弁ではない。指揮はエマニュエル・ジョエル・ホーナク(Emmanuel Joel-Hrnak)も推進していく指揮ぶりではない。それに、音楽そのものも、やはりワーグナーやシュトラウスやヴェルディとは比べようもない。

歌手たちはオーケストラよりも粒がそろっていると思う。図抜けた人はいないが、ラクメのエマ・マシューズ、ジェラルドのアルド・ディ・トーロ、マリンカのドメニカ・マシューズも、ニラカンタのステファン・ベネットも清潔にしっかりと歌っている。が、やはり「健闘している」という感じが強い。「鐘の歌」は、美しい声でとてもいいが、サザーランドやCDによるデセイなどと比べると、やはり輝きがなくてぎこちない。しかし、そんなないものねだりをしても仕方がないだろう。

インドを舞台にしたオペラだが、エキゾチックな雰囲気があって、なかなか楽しめる。主役の二人は美男美女というわけではない(とりわけ、トーロはかなりの年齢に見える)が、映像を見ているうちに、十分にイギリス人将校とインド娘の恋に見えてくる。

 ともあれ、久しぶりにこのオペラを見て、楽しむことができた。

 

 

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ジュール・マスネ作曲「ドン・キショット」 モネ劇場

 マルク・ミンコフスキ指揮、ロラン・ペリ演出のモネ劇場で上演された映像。

 私にとっては、カラヤン時代に大活躍だったジョゼ・ヴァン・ダムを見るためのもの。この上演当時69歳だったという。もちろん、往年の知的で格調高くて奥深い美声を求めるほうが無理だろう。声はかすれ、音程もときとして怪しくなり、かつての豊かな声量もない。だが、見ているうちに、この役はこれでよいと確信してくる。なにしろ、老いたドン・キホーテの滑稽でありながらも高貴な姿を描くオペラなのだから。ほかの人では出せない味を出している。並みの69歳ではない。最後の死の場面は実にリアルで感動的。

 サンショ・パンサを歌うヴェルナー・ヴァン・メヘレンは忠実で愚直な感じが出ていてなかなかいい。納得できないのが、デュルシネを歌うシルヴィア・トロ・サンタフェ。ヴィブラートが強くて、私はかなり聴くのがつらい。しかも、エディット・ピアフのようなシャンソン的なヴィブラート。私には美しい声に思えないし、むしろ下品な感じがしてしまう。容姿も高貴な感じはしない。なぜこの人を選んだんだろう。

 指揮のミンコフスキは例によって生き生きとした表情の音楽に仕立てている。ただ、これまでのミンコフスキのようにいたずらにきびきびした感じでなく、優雅で繊細な部分も出そうとしているのがよくわかる。ロラン・ペリの演出については、実にしゃれていて、見ていて飽きない。

 

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ウィーン国立歌劇場来日公演「サロメ」は私好みの「サロメ」ではなかった

 1014日、東京文化会館でウィーン国立歌劇場日本公演、「サロメ」を見た。

 出かける前、「サロメを歌う歌手の名前は何だっけ?」と思ってネットで調べてびっくり。指揮はウェルザー=メストだとばかり思って楽しみにしていたのだが、怪我をしたとのことで、ペーター・シュナイダーに変更になっていた! 数日前に発表になったようなので、ほとんどの人は知っていたのだろうが、私は初耳。このところめっぽう忙しくて、情報から遠ざかっていた。もちろん、シュナイダーはとてもいい指揮者だが、今回は、ウェルザー=メストの生きのいい「サロメ」を聞きたかったので、とても残念。ショックな気分を抱いたまま会場に行った。

 そのせいもあったかもしれない。シュナイダーの指揮に少々不満を抱いた。

 シュナイダーは、バイロイト音楽祭や日本での公演で何度か聴いた。毎回、とても素晴らしかった。新国立の「ローエングリン」などとりわけよかった。が、今回は、どうも私は乗り切れなかった。

 流麗でどっしりとした演奏。自然体で、あまり音楽を推進していかない。スケールの大きな「サロメ」。が、悪く言うと、少々、大味なところがある。ワーグナーや「ばらの騎士」ならこれでいい。これで十分に味が出る。が、「サロメ」をこのように演奏したら、メリハリがなくなり、だらけてしまう。私が「サロメ」の曲を覚えたのは、クレメンス・クラウス+ウィーンフィルのきりりと引き締まって緊迫感あふれ、その中で狂気が叫びを挙げ、エロスが爆発する録音だった。それ以来、私は疾風怒濤の「サロメ」が大好きで、「サロメ」というのはそんなオペラだと思っている。ところが、シュナイダーが指揮すると、あまりドライブが効かない。悪く言うとだらけた音になる。もちろん、さすが、ウィーン国立歌劇場管弦楽団だけあって、最高に美しい音が渦巻く。そして、これがシュナイダーの考える「サロメ」なのだろう。もちろん世界最高レベルのオペラ上演であることは間違いない。だが、これでは私の好きな「サロメ」にはならない。ちょっと退屈してしまった。

 歌手たちも図抜けた人はいなかった。サロメを歌ったグン=ブリット・バークミンは容姿はいいし、声も出ているが、声の処理にちょっとザツなところを感じた。それに歌の演技力という点で、まだまだ若さが出ているように思った。ヨカナーンのマルクス・マルカルト、ヘロデのルドルフ・シャシンクもなかなか良いのだが、圧倒的というほどではなかった。ただ、小姓を歌ったウルリケ・ヘルツェルがどすの利いた声で私はかなり魅力を覚えた。

演出はかなり伝統的。どこと言って新しさを感じなかった。舞台全体が青い色で統一されており、異空間であることを強調している。淫靡で不気味で神経症的な舞台なのだが、シュナイダーの音楽とは少々異質に思えた。

やはり、ウェルザー=メストの指揮で聴きたかった。そして、バイロイトやザルツブルクにちょっと慣れてきて、伝統的な演出に不満を覚えている自分を発見。行きすぎた読み替え演出も困るが、あまりに伝統的なのも、おもしろみを感じない。

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新国立の「ピーター・グライムズ」について

 108日、新国立劇場でベンジャミン・ブリテン作曲のオペラ「ピーター・グライムズ」を見た。このオペラの映像はいくつか見た記憶があるが、実演を見るのは初めて。なかなかおもしろかった。

 歌手は最高レベルでそろっている。ピーター・グライムズを歌うのはスチュアート・スケルトン。バイロイトだったか、ローエングリンを見た記憶がある。理想的なピーターだと思った。孤独で武骨な漁師をうまく演じている。最後の幕の錯乱した歌もなかなかいい。声もしっかり通って文句なし。エレンを歌うスーザン・グリットンも、ヴィブラートの少ない澄んだ声でしっかりと歌う。バルストロード船長のジョナサン・サマーズもアーンティを歌うキャサリン・ウィン=ロジャースも実にいい。日本人では、セドリー夫人を歌う加納悦子が嫌味な老女を実に的確に歌って、外国人勢に負けない日本歌手の実力を見せてくれた。そのほかの日本人歌手も合唱もすばらしい。

 リチャード・アームストロングの指揮については、私はブリテンのオペラについて云々する知識も見識も持ち合わせていないが、とてもよいと思った。東京フィルも、この難しい曲をしっかりと演奏していた。

 ウィリー・デッカーの演出もとても美しい。ずっと舞台は傾いている。表現主義的な雰囲気。背景も暗く、登場人物の全員が黒い服を着ている。ゴヤの暗い絵のシリーズを思わせるような雰囲気。とても説得力のある舞台だった。最後の場面で、エレンまでもがピーターの苦しみに目をそむけ、疎外する側に回ることがほのめかされる。

 ただ、正直に言うと、私はブリテンという作曲家にはあまり感銘を受けない。

 私はこのオペラを見ながら、ヤナーチェクを思い出していた。田舎の社会の閉塞的で息苦しい状況は、「カーチャ・カバノヴァ」や「イェヌーファ」に通じる世界だ。だが、音楽はヤナーチェクほど緊迫感にあふれていないし、ヤナーチェクほど息苦しくも重苦しくもない。ヤナーチェクほど狂気に至るまでの凄まじさがない。英語という言語のせいかもしれないが、音楽の中に、どこか理知的で客観的な要素が強く残っているような気がする。

 私はそのあたりに中途半端さを感じてしまう。良き市民の中にとどまろうとしている雰囲気がブリテンの音楽にはある。もちろん、私はブリテンについて何も知らず、音楽もそれほど聴いたことがないので、なぜそのように感じられるのか説明はできないのだが、そう感じてしまう。群衆のヒステリックな叫びもピーターの狂乱も、ベルクのヴォツェックやヤナーチェクのカーチャやコステルニチカほどの迫真力を私は感じることができない。

 逆にいえば、そのあたりの中途半端なところが、ブリテンの魅力なのかもしれないとは思うが、私にはベルクやヤナーチェクのほうがずっと魅力的に思える。

 が、ともあれ、よい演奏で珍しいオペラの実演に接することができて、とても満足。その意味では文句なしの上演だった。

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シュヴァルツコップ友の会できないかなあ・・・

 昨日、「エリーザベト・シュヴァルツコップ その声楽人生」を自費出版なさった佐藤勝宏さんと新宿でお会いして昼食を御一緒した。シュヴァルツコップについて楽しく話をした。佐藤さんは、私よりも10歳以上年上の、今は悠々自適の暮らしをなさっている男性。大学時代にシュヴァルツコップのレコードに出会い、その後、愛し続けておられる方で、シュヴァルツコップについての愛情の深さと知識の多さに脱帽。

 「エリーザベト・シュヴァルツコップ その声楽人生」は年ごとにシュヴァルツコップの活動やエピソードをまとめたもので、初めて知る事実も多く、とてもおもしろく読ませていただいた。コンサート記録、ディスコグラフィもついて、実にありがたい。

 私がシュヴァルツコップの声を初めて聴いたのは、中学生のころ、カラヤン+フィルハーモニア管弦楽団の演奏によるベートーヴェンの演奏会用アリア「おお、裏切り者よ」だった。交響曲第四番のレコードの余白に入っていた。「へえ、ソプラノって、こんな声で歌うものなんだ・・・」と思いつつ、第四番の交響曲を聴くついでに必ず聞いていた。そのせいか、今でも、第4番の交響曲が終わると、頭の中で反射的に「おお、裏切り者よ」の冒頭が聞こえてくる。

 次に聴いたのが、カラヤン+フィルハーモニアの第九。その次が、フルトヴェングラー+バイロイトの第九。そこで、完璧にシュヴァルツコップを強く意識するようになり、ベーム+ウィーンフィルの「コシ・ファン・トゥッテ」、カラヤン+フィルハーモニアの「ばらの騎士」に至って、完全に虜になった。それが中学3年生の時だった。その後、モーツァルトやシューベルト、ヴォルフの歌曲集、「ナクソス島のアリアドネ」「こうもり」「魔笛」「四つの最後の歌」などの絶品の数々を知ったのだった。考えてみると、母よりも年上の女性だったが、高校生時代の私は、シュヴァルツコップの写真を持ち歩き、ほとんど恋焦がれていた。

 1968年、シュヴァルツコップが福岡で公演をするというニュースが飛び込んできた。大分市に住む高校生としては、福岡市は遠かった。が、必死の思いで両親に頼みこんで、チケットを購入。父に車で福岡まで送ってもらって、リサイタルを聴いた。

 あの時の感動は今も忘れない。アンコールにシュトラウスの「献呈」。感動のあまり声をあげて泣いたのを覚えている。

 70年、東京に出て、あの伝説のザルツブルク音楽祭の「ばらの騎士」のオペラ映画をみて、ますますシュヴァルツコップにこがれた。ただ、残念ながら70年の2度目と3度目の来日の時には、私は経済的にまったく余裕がなく、聴くことができなかった。74年の4度の来日時には、上野の文化会館の最前列中央の席に座って、シュヴァルツコップにうっとりしながら聴いた。ヴォルフ、シュトラウスの歌曲の世界に酔った。

 シュヴァルツコップよりも美しい声の歌手は山のようにいる。シュヴァルツコップはそんなに美声でもないし、音程も時々不確かになる。とりわけ、晩年のステレオ録音の中には、かなり衰えの感じるものもある。だが、心の襞を歌い、音楽に即した絶妙の歌い回しで人の心に訴えかける力は、圧倒的だと思う。マリア・カラスに匹敵するほど、ぐいぐいと心の中に入り込んで、感動させ、圧倒させる。とりわけ、モノラル期の録音には圧倒的な名演がたくさん残されている。とりわけ、リートの世界での彼女の表現力たるや、他の人の追随を許さない。唯一、それに匹敵するのはフィッシャー=ディスカウくらいだろう。

「私の歌を聴く前と聴いた後では、人間が変わっていなければならない」(曖昧な記憶によるので、かなり言葉としては不正確かもしれない)というようなことをシュヴァルツコップは語っていたが、まさにその通り。少なくとも、私の人生はシュヴァルツコップを聴くことによって大きく変わった。もし、シュヴァルツコップに出会わなかったら、オペラ好き、シュトラウス・ワーグナー好きの人生を歩まなかったのではないかと思う。

 佐藤さんと話すうち、そのような私とシュヴァルツコップの関わりを思い出した。佐藤さんも同じようにしてシュヴァルツコップを愛し続けてこられた方だった。

 私の知らないシュヴァルツコップの録音、エピソードを佐藤さんにたくさん教えてもらった。

 今の日本には、実際にシュヴァルツコップに出会われた方がたくさんおられるだろう。私よりももっとシュヴァルツコップの影響を受けけた人もたくさんおられるに違いない。厳しいことで定評のあったレッスンを受けられた音楽家もおられるだろう。そのような人と楽しく話ができたらいいなあ・・と思い始めた。

 マリア・カラスのCDは今も人気だ。書籍も多く、映画にもなっている。ところが、カラスに匹敵するシュヴァルツコップの存在は今や忘れられつつある。もっとCDを出してほしい。佐藤さんによれば、一度もリリースされたことのない録音がいくつも存在するそうだ。そのようなCDを出してほしい。エリーザベト・シュヴァルツコップ友の会のようなものができて、もう一度盛り上がって、それが圧力になって新しいCDがでるようなことになると、こんなうれしいことはない。

 これを読まれた人の中に、シュヴァルツコップ・ファンの方がおられたら、そのうち集まってみませんか?

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メトロポリタン・オペラの「ニーベルングの指環」DVD

 台風の被害もなく、無事、通り過ぎた。今日は朝から近くの病院で「人間ドック」。結果はしばらく後になるが、まあ心配なさそう。

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 この
1週間、少しずつ、メトロポリタン・オペラの「指環」全曲のDVDを見ていた。演出はロベール・ルパージュ、指揮は「ラインの黄金」と「ワルキューレ」はジェイムズ・レヴァイン、「ジークフリート」と「神々の黄昏」は、ファビオ・ルイージ。METライブビューイングで公開されていた映像。

 私は、METライブビューイングの「指環」のうち、実際に見ることができたのは、「ワルキューレ」だけだった。ほかは、日にちが合わずに見られなかった。8月に再上演されたが、その際も、ちょうどザルツブルク・バイロイトに行っている時期と重なっていた。そんなわけで、ほかの3作は初めて見た。

 全体的に、予想にたがわず素晴らしい。バイロイトなどのヨーロッパのワーグナー上演が演出偏重になって、「読み替え」が盛んなのに対して、こちらはかなり穏当な演出なので、安心して見ていられる。歌手は超一流。しかも、メトロポリタン歌劇場管弦楽団も、一昔前に比べてぐっとレベルが上がって、ヨーロッパのオケにまったく引けを取らない。

 ただ、やはりヨーロッパのワーグナーに比べて、あまりに散文的な演出と演奏であることは間違いない。歌手たちの顔の表情もまさしく人間ドラマを思わせる。ヴォータンを歌うブリン・ターフェルやブリュンヒルデを歌うデボラ・ヴォイトの表情豊かな演技は、まるでハリウッド映画、あるいはもっとはっきり言ってしまうとディズニーのアニメを思わせる。ヴォイトは楽天的で余裕のある顔つきなので、どうも切迫感を感じないし、そもそも神話世界という感じがしない。バイロイトの演出は敢えて脱神話的にしている傾向を感じるが、メトロポリタンのものは根っから世俗的。

 とはいえ、ルパージュの演出は本当に見事。ほとんど台本通りに物事が起こるが、古臭さはまったく感じない。数十枚のパネルを使った仕掛けも実におもしろい。パネルに様々な映像が映し出され、様々に変容する。森の中の生命の動き、火のめらめらと燃え上がる様がパネルに映し出される。まるでパネルが生命を得たかのよう。世界全体が命を吹き込まれて生きている。まさにアニミズムの世界。「神々の黄昏」では、木の年輪がパネルに大きく映し出され、まさしく「生命の円環」を象徴する。ハリウッド的なエンターテインメントの路線を守りながらも、そこにしっかりとワーグナー特有の世界を打ち立てている。

 音楽に関しては本当に非の打ちどころがない。まず、レヴァインの指揮がいい。スケールが大きく、劇的でダイナミック。ワーグナー的なうねりにあふれている。ルイジの指揮はレヴァインの比べるとスケールは小さいが、つぼを押さえて、しっかりと盛り上がる。レヴァインに比べるとかなり鋭角的で現代的。繊細なところが特に素晴らしいが、ちょっと昔ながらのワーグナー演奏とは異なるのは間違いない。

 歌手たちは脇役に至るまで、ほとんどが素晴らしい。とりわけ驚いたのは、ヴォータンを歌ったターフェル。初めてのヴォータン役だというが、まさしく堂々たる歌。ただ、先ほども書いたとおり、演技があまりにマンガじみている(演出なのか、意識的な演技なのか、それとも単にそういう癖があるのか不明)気がするが、歌に関しては、ただただ圧倒される。そのほかの歌手たちも、いずれも見事。歌手の選択に容姿も加わっているようで、見た目も麗しい人が多い。逆に言えば、容姿もよいのに、まったく歌の面でも損なわれないところが、さすがにメトロポリタンだと言えるだろう。

 

 それぞれの楽劇ごとに簡単に感想をまとめる。

「ラインの黄金」については、私は歌手たちの見事さに舌を巻いた。エリック・オーウェンズのアルベリヒ、ブリン・ターフェルのヴォータン、ステファニー・ブライズのフリッカ、リチャード・クロフトのローゲ、ウェンディ・ブリン・ハーマンのフライアをはじめ、すべてがそろっている。

「ワルキューレ」は、ジークムントを歌うヨナス・カウフマンとジークリンデを歌うエヴァ=マリア・ヴェストブルックがあまりに魅力的。第一幕は本当に夢のように進んでいく。第二幕以降のターフェル(ヴォータン)、ブライズ(フリッカ)、ヴォイト(ブリュンヒルデ)もいいが、これについては、先ほど書いたとおり、あまりに表情豊かな人間ドラマであることに、私は少々違和感を抱いた。

「ジークフリート」は話題の新人ジェイ・ハンター・モリスがジークフリートを歌っている。あまりヘルデンテノールらしくない声なのが気になる。欲をいえば、もっと透明でよく通る高貴な声であってほしいのだが、ちょっとザツな感じ。だが、まあそんなジークフリートだと思えば、それもいいだろうという気にはなる。第三幕は圧巻。モリスとヴォイトの掛け合いが素晴らしい。モリスは実にタフで、くたびれることなく大声で歌い続ける。ミーメを歌うゲルハルト・ジーゲルもいい。

「神々の黄昏」もほかの作品に劣らず素晴らしい。ヴォイトとモリスのほか、ハーゲンを歌うハンス=ペーター・ケーニッヒ(ファフナー、フンディンク、ハーゲンを一人で演じている!)が太い声で悪漢を歌いあげる。イアイン・ペイターソンのグンターも、ウェンディ・ブリン・ハーマー(「ラインの黄金」ではフライアを歌っていた)のグートルーネも文句なし。最後は、舞台いっぱいに木目が広がり、そこに火が燃え移る。そして、水が押し寄せてすべてが水中に没して終わる。

 ルイージの指揮も、ドラマティックできびきびしていて実にいい。もう少し凄味があるともっといいのだが、そこまで要求するべきではないだろう。ただ、ここでも歌手たちにやはりアメリカらしさを感じた。形而上学的なところまで行かず、あくまでも人間ドラマで終わってしまう。それにヴォイトの顔の表情に余裕がありすぎて、ブリュンヒルデの悲劇が伝わらない。とはいえ、これほどの演奏、これほどの演出を非難したら罰が当たるだろう。

 ともあれ、これまで発売されてきた「指環」の映像の中では、最も充実した一つであることは間違いない。私は大いに満足した。そして、「指環」を見にメトロポリタンに行きたくなった!!

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