« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »

ネゼ=セガン指揮、ロッテルダム・フィルの不思議なブラームス

 131日、サントリーホールで、ヤニック・ネゼ=セガン指揮、ロッテルダム・フィルの講演を聞いた。前半はシューマンの「ゲノフェーファ」序曲と、庄司紗矢香が加わってのプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番。後半はブラームスの交響曲第4番。

今日もまた猛烈に忙しいので、ごく簡単に感想を書く。

ネゼ=セガンは、昨年、ザルツブルク音楽祭で「ドン・ジョヴァンニ」を聞いて圧倒された。その後、あれこれCDを聞いてみた。フランクやサンサーンスなど、実にすばらしかった。私が若手の中で最も聞くのを楽しみにしていた指揮者だ。そんなわけで、大変楽しみにして出かけたのだった。

「ゲノフェーファ」については、私は曲自体がかなり苦手。シューマンのこの種の曲は、どうもわからない。構成が曖昧で、聞いていて気持ちが悪くなる。プロコフィエフについては、ちょっと真面目すぎると思った。もっとモダニスム風にハチャメチャにやるか、ユーモラスにやってほしいと、私は思っている。庄司さんに対しても、それほど圧倒的な力を感じなかった。ちょっと違和感を持ちつつ、後半のブラームスに期待した。

 ところが、ブラームスはもっと異質だった。

 ドイツ音楽とは思えない。ブラームスらしからぬアクセントが付き、不思議なうねりがある。伸縮自在のブラームスといった感じ。まるでフランクの曲を聴いている感じになる。しばしばネゼ=セガンはオケを煽る。盛り上がり、白熱し、音がぴしゃりと決まる。とてもよいオケだと思う。ふくよかな良い音を出している。

しかし、まったくブラームス的ではない。そういえば、昔、ミュンシュの指揮するブラームスのレコードでこのような雰囲気を感じたことがあった。不思議な感覚から抜けきらないまま、曲が終わった。アンコールはブラームスのセレナードから。これも。ブラームスとは思えない。

 今回は、私はちょっとがっかり。次には、この人の指揮する別の曲を聴きたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

新国立劇場「タンホイザー」、少々不満

1月30日、新国立劇場でタンホイザーを見た。少々不満。仕事が重なって猛烈に忙しいので、ごく簡単に感想を書く。

 ヴォルフラムを歌ったヨッヘン・クプファーと牧童の國光ともこが最もよかった。クプファーは伸びのある豊かな声。國光も清楚な輝きを感じた。それから、合唱もすばらしい。

 タンホイザーを歌ったスティー・アナセンは、その昔、ベルリン・シュターツオパーの「パルジファル」コンサート形式日本公演で、風邪をひいたエルミンクの代役で、楽譜を見ながら必死に歌っていた歌手。ここまでの歌手になったのかと感慨深かった。演技力があり、しっかりと歌っている。私は大いに共感を覚える。領主ヘルマンのクリスティン・ジグムンドソン、ヴェーヌスのエレナ・ツィトコーワも十分に満足。ヴァルターの望月哲也、エリーザベトのミーガン・ミラーもいい。女性陣は、容姿的にもきわめて美形。二人の歌手を似た雰囲気にしたのは、エリーザベトとヴァヌスの裏表の関係を強調するためだろう。

私が不満を覚えたのは、コンスタンティン・トリンクスの指揮。ゆっくり、しみじみと、そして繊細に演奏したいのかもしれないが、メリハリがなく、盛り上がりに欠ける。ドラマティックな要素がかなり不足。平板なワーグナー。官能性もあまり感じられなかった。東京交響楽団も、きちんと合わない。ちぐはぐな感じが残った。

 演出についても、何事もないまま終わった印象。バイロイトのような読み替えも困るが、今回のように、何も起こらないも困る。きちんと解釈を示してほしい。

というわけで、深い感動は得られないまま、劇場を後にした。

帰りに若い女性に声をかけられた。かつて、私に小論文を習ったという。大学に入学し、今、編集者だとのこと。私の小論文指導が役に立ったと言ってくれた。とてもうれしかった。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

マウロ・ペーターのテノール、そしてラ・フォル・ジュルネのこと

 1月28日、武蔵野市民文化会館小ホールで、マウロ・ペーターのテノール・リサイタルを聴いた。曲目は、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」。ピアノ伴奏は斎藤雅広。

 チラシに「ヴンダーリヒの再来」とあったので興味をひかれたのだった。かなり若い歌手。ヴンダーリヒほどではないにしても、確かにみごとな美声。声も伸びているし、声のコントロールも素晴らしい。まれにコントロールが崩れるが、この若さでこのくらいの失敗は当然だろう。

 端正な容姿というところもヴンダーリヒを思わせるが、ヴンダーリヒのような知的な雰囲気はない。ペーターはかなりの大男で、ちょっと素朴な印象を抱いた。

 音楽的には、あと少し成熟がほしい気がした。しっかりとコントロールして、とても良い声なのだが、少なくともヴンダーリヒにはもっと凄味があった。第7曲「いらだち」のように激しい曲は実の率直な表現で説得力があるのだが、次の「朝の挨拶」のようなしっとりした曲で、それほど強い感銘を与えることができない。もう少しこのような曲で深い感動を与えられるようになったら、世界最高の歌手になるだろう思った。

 全体的に、素晴らしい歌手だが、ヴンダーリヒやフィッシャー=ディスカウの域にはまだ達していないのも間違いなさそう。とはいえ、これからが楽しみ。

 それにしても、武蔵野市民文化会館に登場する歌手たちのレベルの高さに驚嘆する。常にあまり名前の知られていない人でありながら、聞いてみると、ほとんどが最高レベル。プロデュースしている栗原一浩さんの見る目の確かさに改めて脱帽。

 ところで、そろそろナントのラ・フォル・ジュルネの季節。我が家に、今年の案内が届いた。知人がナントに向かって出発するというニュースも聞いた。

多摩大学で入試委員長の大役を引き受けていなかったら、ぜひともフランスに出かけたいところだが、そうはいかない。このところ、入試業務に明け暮れている。

 今年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンのテーマは「パリ、至福の時」とのこと。今回取り上げられる中で、ベルリオーズ、サンサーンス、フォーレ、ラヴェル、サティ、プーランクは好きな作曲家なので、とても楽しみ。コルボのフォーレ「レクイエム」をまたぜひ聴きたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

森美代子+松尾俊介のデュオコンサート近づく! そして大島監督死去・・・

 1月18日に今年度の授業はすべて終了。後は定期試験のみ。とはいえ、入試委員長である私としては、入試業務に責任があるので、いつまでも気が休まらない。ゼミ活動もまだまだ続く。

 そんな中、多摩大学樋口ゼミが主催するいくつかのコンサートが近付いている。その一つが、ソプラノの森美代子とギターの松尾俊介さんのデュオコンサート。

 森さんは、昨年、東京文化会館で上演されたチャイコフスキーのオペラ「王女イオランタ」で主役を歌った話題のソプラノ。コロラトゥーラが素晴らしい。私のゼミで何度か出演してもらい、モーツァルトの夜の女王のアリアなどのコロラトゥーラの美声で観客を驚嘆させてきた。松尾さんは、先ごろリリースされたポンセの作品集が「レコード芸術」誌の特選に選ばれ、注目を集めている。一昨年、私のゼミ主催のコンサートでも演奏してもらったが、繊細で実にやさしく音楽の本質に迫る音楽に心打たれた。

 今回またお二人の演奏が聴けるのが、私としては何よりうれしい。

 前回は九段の「みねるばの森」で演奏してもらったが、今回は多摩市永山駅付近で、ジブリの音楽も交えて演奏してもらえる。

・曲目

ヘンデル「私を泣かせて下さい 」「樹木の陰で(ラルゴ)」

ドリーブ「カディスの娘たち」

ヨハン・カスパル・メルツ 「ハンガリー風幻想曲」

武満徹 「翼」「小さな空」

グノー オペラ「ロメオとジュリエット」より「私は夢に生きたい」 

アントニオ・カルロス・ジョビン 「フェリシダージ」

スペイン民謡 「愛のロマンス」~映画「禁じられた遊び」のテーマ

久石譲 「もののけ姫」より  「千と千尋の神隠し」より「いつも何度でも 

「耳をすませば」より 「カントリー・ロード」

ローラン・ディアンス 「タンゴ・アン・スカイ」

アリャビエフ 「夜鳴きうぐいす 

 

・演奏者 森美代子(ソプラノ) 松尾俊介(ギター)

・日時 2013年2月3日 18時30分開場 19時開演

・会場  多摩市永山公民館ベルブホール (京王線・小田急線永山駅より100メートル)

・料金  一般1000円、学生800円、中学生以下500円。

・予約申し込み先 wanokokolo@softbank.ne.jp

 

1月15日、大島渚監督が亡くなった。大好きな映画監督だった。学生時代、ほとんどの映画を見て、その知性と切り込みの鋭さに驚嘆した。「愛と希望の街」は衝撃的だった。イヨネスコ的でありながらも社会性を表に出した「絞死刑」と「儀式」は最高傑作だと思った。「日本春歌考」「東京戦争戦後秘話」もおもしろかった。「愛のコリーダ」はノーカット版をフランスでも何度か見た。

 一度、お会いしたことがある。学生時代、映画監督かシナリオライターか映画評論家になりたいと思っていた私は、こっそり書いたシナリオ(実はシナリオ・コンクールで一位なしの二位だった。一位になれば映画化されるはずだったが、実現しなかった!)を大島監督に送ってみたところ、遊びに来るようにという手紙が来た。事務所に会いに行くと、シナリオをとてもほめてくれた。が、「君のシナリオは完成されすぎていて、映像を必要としない。小説を書くほうが向いているので、ぜひ小説を書け」と言われた。

あまりに適切な指摘、見る目の確かさ、部分部分の評価の的確さに舌を巻いた。「わかりました。そうします」と答えたのだが、その後、行きづまったまま、40年近くたってしまった。傑作小説を書いたら、大島監督にお会いして、「あの時、監督に言われたおかげでこうなりました」と言いたいとずっと思ってきたのだったが、その機会を永遠に失ってしまった。

 ご冥福をお祈りしたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

メッツマッハー+新日フィルの「未完成」に大感動

 118日、パルテノン多摩大ホールで、新日本フィルハーモニー多摩定期公演を聴いた。インゴ・メッツマッハー指揮で、シューベルトの交響曲第7番「未完成」と、ブルックナーの交響曲第9番。要するに、シューベルトとブルックナーの二つの未完成の交響曲。

 メッツマッハーについては、昨年のザルツブルク音楽祭でツィンマーマンのオペラ「軍人たち」でその力量の程を見せつけられて以来、生で聴くのは二度目だった。

  シューベルトについては文句なしに素晴らしいと思った。遅めのテンポでじっくりと鳴らしていく。緩急の変化をつけ、歌うところは歌わせ、鳴らすところは鳴らす。音の重なりが鮮烈。音そのものが生きている。新日フィル見事! とりわけ、第一楽章のフォルテの部分が素晴らしい。シューベルトの人生への行き場のない怒りや悲しみをたたきつけるかのよう。第二楽章は、シューベルトのあきらめにも似た挽歌に聞こえた。あまりの素晴らしさに涙が出てきた。 

 シューベルトはどちらかというと苦手な作曲家であって、シューベルトに感動したことは数えるほどしかない私が、今日はずっと感動しっぱなしだった。何度か、全身がふるえるような感動を覚えた。「未完成」をきいてこれほど感動したのは、ヴァントの最後の来日の時以来。あのときも、今日と同じ二つの「未完成」のプログラムだった。

 後半のブルックナーもとてもよい演奏だった。シューベルトと同じようなアプローチといえるだろう。

 しかし、ついあの一言をいいたくなった。私はずっと、この言葉を言うのを自分に禁じてきたのだが、やはり今日ばかりは言わざるを得ない。「これはブルックナーではない」という言葉だ。

少なくとも、メッツマッハーのブルックナーは、間違いなく、私の好きなブルックナーではなかった。

 私はマーラー嫌いなので、実はよくマーラーを知らない。が、まるでマーラーのようなブルックナーと言えるのではないか。昨年だったか、同じパルテノン多摩で聴いたハーディングと新日フィルのブルックナーの8番も同じように感じた。とりわけ今日の第三楽章はまるでマーラーそのもののように思えた。私の好きなブルックナー特有のじっくりと構えて徐々に高揚して宗教的法悦が爆発する醍醐味がない。そもそも宗教的雰囲気は皆無。音の処理は素晴らしいと思うし、ところどころはっとする部分はあるが、全体的にはどうも強い違和感を覚えた。

 というわけで、ブルックナーに対しては、前半の「未完成」ほどには感動できなかった。ただし、これがメッツマッハーのブルックナーなのだろう。それはそれで素晴らしい演奏なのだと思う。ただし、繰り返すが、私の好きなブルックナーは、まったく浮かびがって来なかった。

 しかし、最高に素晴らしい「未完成」が聴けただけでも満足。昨日のジンマン+N響に引き続き、今日も、目当ての大曲に少々不満を抱き、前半の曲に強く感動した。

 それにしても、パルテノン多摩大ホールには、空席が目立った。半分くらいしか埋まっていなかったかもしれない。この曲目では、多摩では人が集まらないのだろうか。

 ・・・明日はセンター入試の監督。受験生にとって特別の日だが、試験監督をする人間にとっても、大変気をつかう一日だ。何事もなく、無事に終わってくれればいいが・・・

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ジンマン+グリモー+N響のブラームスにちょっと欲求不満

 117日、サントリーホールで、NHK交響楽団定期公演を聴いてきた。指揮はデーヴィッド・ジンマン。前半はブゾーニ作曲の「悲しき子守歌」とシェーンベルクの「浄められた夜」。後半は、エレーヌ・グリモーが加わってブラームスのピアノ協奏曲第2番。私としてはちょっと欲求不満。

 ブゾーニの曲は、実はかなり退屈だった。録音も含めて、この曲を聴くのは初めてだが、私はどうもこういう曲はかなり苦手。暗くて、とりとめがない感じがして、よくわからなかった。

「浄められた夜」は素晴らしかった。少なくとも、私と波長がぴったり合った。私は前から3列目だったが、弦の精妙な重なりがしっかり聞こえて、実に素晴らしい。ジンマンの指揮はかなり機能的な感じがするが、機能的であればあるほど、この曲は官能的になる。妙に思い入れをしていない様子なのに、ぞくぞくするようなエロティシズムがある。N響メンバーの音の重なりも実にいい。音に酔っているうちに、あっという間に曲が終わった。

後半はブラームス。不思議なブラームスだった。重心の低い、低音を強調したブラームスなのだが、まったくロマンティックではなく、あっさりと流れていく。ふつう、ブラームスの低音を強調すると、重くて思い入れの強いロマンティックなブラームスになりがちなのだが、ジンマンの指揮は、低音が強調されているのに、少しも重くない。

グリモーのピアノも、重くならず、ロマンティックになりすぎず。第一楽章と第二楽章は、スタッカート風の音の切り方にちょっと違和感を覚えたが、ともあれ、かなり満足して聴いていた。ひとつひとつの音が美しく、盛り上がりもとてもよかった。ところが、第三楽章以降、どうもあっさりしすぎて、少しも盛り上がらなくなった。第三楽章はロマンティックに演奏しないと、存在の意味がないように思えるのだが。第四楽章も、少しも燃焼しないまま終わった。何が起こったのか。もしかしたら、このような音楽を意識的に作ろうとしたのか。どうもよくわからない。私には、第三楽章以降、突然、音楽がちぐはぐになり、息が合わなくなったように思えた。

ともあれ、私としては今日の最大の収穫は「浄められた夜」だった。それについては、とても満足。

 

ところで、一昨日(115日)、銀座の東劇でMETライブビューイング「仮面舞踏会」を見た。グスタヴのマルセロ・アルヴァレスの声に威力に圧倒された。レナートのディミトリ・ホヴォロストフスキーとウルリカのステファニー・プライズの歌の迫力にも驚いた。アメーリアを歌ったソンドラ・ラドヴァノフスキーもとてもいい歌手だと思った。指揮のルイージもとてもいい。ともあれ、満足。ただ、どうも私はこのオペラにはそれほどの感動を覚えない。今さらこのようなことを言うのも野暮なのだが、ストーリーに無理があるように思えてしまう。文学部出身者の性(さが)というべきか、どうもオペラのストーリーに関して寛大になれない・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

大雪、そしてロッシーニ「ビアンカとファッリエーロ」に驚嘆!

 本日、関東地方は大雪。神奈川県のある高校で行われる成人の日の行事で講演を行うことになっていたため、昼過ぎに出かけた。午後3時半から私の出番だったので、当初、1時過ぎに家を出る予定だったが、念のため早目に出発。すでに雪が10センチ近く積っていた。ふだんなら20分かからないところを40分近くかけて駅まで歩き、大幅に遅れた電車を乗り継いで、ようやく目的の駅に近づいて電車がスピードを落としたとき、携帯に「行事中止」の知らせが入った。

そのまま引き返した。そしてまた、大幅に遅れた電車を乗り継ぎ、20センチ近く積もった雪の中を歩いて家に帰った。

 疲れた。時間を無駄にしてしまったが、天気のせいなので、いたしかたない。今日は、多くの人が私と同じような目に会ったことだろう。

 仕事をする気にならず、半ばヤケ気味に、ロッシーニのオペラDVDを2本見た。

 

617


 1本目が「ビアンカとファッリエーロ」。これは凄い! 2005年、ペーザロ、ロッシーニ・フェスティヴァルの映像。

 ロッシーニの大傑作だと思う。私はこのDVDを購入する前、このオペラの存在を知らなかった。これほどの作品をこれまで知らなかったことを恥じる。これまで見たロッシーニのオペラ・セーリアの中では、もっとも強い感銘を受けた。とりわけ、この映像の演奏は最高に素晴らしい。全体的に実にドラマティックで、緊迫感にあふれる。最初から最後まで、ぐいぐいと引きこまれて見続けた。

 ビアンカは、父に気に染まない相手との結婚を強制されるが、それを拒否して、愛する男性ファッリエーロとともに逃げようとする。最後にはめでたしめでたしとなる。それにしても、すべての歌が実に技巧的でわくわくする。最後のビアンカのアリアなど、あまりの素晴らしさに全身が震えた。

 ビアンカのマリア・バーヨとファッリエーロ(いわゆるズボン役)のダニエラ・バルチェッローナが圧倒的。父親のフランチェスコ・メーリ、カッペリオのカルロ・レポーレも実にいい。難しい歌をやすやすと歌いこなし、張りのある声でドラマを作り出す。

 このドラマティックな音楽づくりは、レナート・パルンボの指揮とガリシア交響楽団の功績が大きいのだろう。ジャン=ルイ・マルティノーティの演出もわかりやすく、しかも美しい。

 ロッシーニは昔から大好きな作曲家だ。イタリアオペラはずっと毛嫌いしてきたが、その間もロッシーニだけはずっと愛し続けていた。とはいえ、ロッシーニがこれほど凄い作曲家だったとは! そう思わせる映像だった。

 

845


「イタリアのトルコ人」 カルロ・フェリーチェ劇場管弦楽団&合唱団 ジョナサン・ウェブ指揮 2009年

「ビアンカとファッリエーロ」に比べると、かなり感銘度は弱い。少し前に見た「アルジェのイタリア人」のDVDに比べても弱い。セリムを歌うシモーネ・アライモとフィオリッラを歌うミルト・パパタナシウ、ドン・ジェローニオを歌うブルーノ・デ・シモーネの三人はとても芸達者で歌もいい。が、ほかの歌手たちはちょっと不安定。それに、やはり音楽的に、「アルジェのイタリア人」のほうがおもしろい。とはいえ、ロッシーニのオペラブッファを十分に堪能できる。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

飯田みち代+笠松泰洋デュオコンサート。主催者でありながら、感動!

 1月9日、九段下の寺島文庫Café「みねるばの森」で多摩大学樋口ゼミの卒業生制作コンサートとして、飯田みち代+笠松泰洋デュオコンサートを開いた。軽食とドリンクのつく気軽なコンサート。私は主催者側の人間なのだが、テーブルの端っこで聴かせていただいた。

 30人ほどしか入らない小さなカフェで、目の前で飯田さんが歌う。笠松さんがシンセサイザーで伴奏。シューベルティアーナと呼ばれるシューベルトを囲むサロンはきっとこうだっただろうと思われるような親密な空間。飯田さんと笠松さんの気心の知れた二人が和やかな中に独特の世界を作って行く。

 飯田さんとお仕事をご一緒するのは3度目。以前、帝国ホテルとパレスホテルでサロンコンサートを飯田さんにお願いして歌ってもらった。そして、今回。相変わらず、飯田さんの独特の世界に酔った。

 飯田さんは和服姿で登場。それが実に似合っている。美人は何を着ても美人だということを改めて実感。 飯田さんはほかの歌手たちよりもずっと深い情感を込めて歌う。しかし、その情感は、いわゆる日本的な情感ではない。べったりした感じにならず、もっとダイナミックになる。しかも、詩の内容を把握したうえで歌うので、声が魂に響く。 シューベルトの「野ばら」も、飯田さんが歌うと、深く恋の心を歌いあげたドラマティックな曲になる。いわゆるドラマティックな声の質ではないのだが、表現が本質的な意味できわめてドラマティック。

 フォーレの「リディア」や「夢の後で」を飯田さんは、まるでワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のように、深い声でゆっくりと歌った。ほかの歌手たちがフランス歌曲をこのように情感を込めて歌うと、歌の世界が崩壊する。ゆがんでしまって聴くに堪えなくなる。ところが、飯田さんが歌うと、豊かでドラマティックで深い世界が広がって行く。もしかしたら、これらの曲は、本来、このように歌うように作られているのではないか。ほかの歌手たちは、このように表現することができないために、仕方なしにフランス風に、あまり情感を込めずに軽く歌っているのではないかとさえ思えてきた。

 ドナウディの「私の愛の日々」という歌を初めて聴いた。これもとても美しくドラマティックな曲。深く感動した。もっと声の美しい歌手はたくさんいる。だが、飯田さんほど、表現力豊かで、魂の奥深くに訴えかける力を持つ日本人歌手はほかにいないのではないか。

 笠松さんの作曲した「ラクリモーザ」はしっとりした名曲だった。19歳の時に作曲したという「足羽川」も初々しくて美しい。フォーレの初期の歌曲のような味わいがある。もう少し笠松さんの曲を聞いてみたいと思った。

 ゼミ生もよく働いてくれた。最初に4年生の企画が上がったときにはどうなることかと思ったが、学生たちが「冬から春へ」というテーマを決め、飯田さんと相談して曲目を決め、これだけの質のコンサートを実現できた。きっと、たくさんの不備があったのだろうが、私の目からは、ともあれ合格点。来てくださったお客様にも感謝したい。お客様は、皆さん感動して、とても満足してくれた様子だったので、ゼミ活動としては大成功だった。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

飯田みち代+笠松泰洋デュオコンサート迫る、そしてロッシーニオペラDVDのこと

1354193551472


 多摩大学樋口ゼミ主催の飯田みち代+笠松泰洋デュオコンサートが近づいた。

私のゼミは多くの方にクラシック音楽を聴いてもらうことを目的に活動している。これまでにも、多くの一流演奏家によるコンサートを運営してきた。その一環としてのコンサートだ。

 飯田みち代さんは、芸術祭の音楽部門の大賞を受賞したライマン作曲のオペラ「メデア」日本初演の主役を歌って大きな感動を巻き起こした日本を代表するソプラノ歌手。笠松泰洋さんは、蜷川幸雄氏の舞台音楽を手掛ける話題の作曲家。笠松さんの作曲した歌も飯田さんが歌う。40人ほどの狭い空間で飯田さんの歌を聞けるのは最高のぜいたくだ。

 

・演奏曲目

 シューベルト 「楽に寄す」「野バラ」

 笠松泰洋「ラクリモーザ」「足羽川」

 山田耕筰「さくらさくら」「からたちの花」

 フォーレ「リディア」

 ドナウディ「私の愛の日々」

 マスカーニ「友人フリッツ」より「わずかな花を」

                  (ただし、変更の可能性あり)

・演奏者 飯田みち代(ソプラノ) 笠松康洋(シンセサイザー)

・日時 2013年1月9日 19時開演

・場所 寺島文庫Café「みねるばの森」 九段下駅5番出口徒歩3分

・料金  4000円(軽食ドリンク付き)

・予約申し込み先 08046041560(浅島)add9_imagine1560@i.softbank.jp

 

 多くの方に聴いていただきたい。

 

 ところで、正月の間、ずっと原稿を書いていた。そして、疲れてきたら、ロッシーニのオペラのDVDを見ていた。いくつか感想を書く。

 

483


ロッシーニ「オリー伯爵」 2011年のメトロポリタン・オペラ公演

 「オリー伯爵」はロッシーニとしては最後に近いオペラ作品。フランス語で歌われる。

 メトロポリタンのオペラは期待にたがわず、間違いなく楽しませてくれる。これもそんな映像だ。アデールを歌うディアナ・ダムラウとイゾリエを歌うジョイス・ディドナートが、言葉を失うくらい素晴らしい。ダムラウは実演も映像もCDも何度も聴いているが、現在最高のコロラトゥーラであることは間違いないだろう。ディドナートは初めて聴いたが、声がきれいで、音程がしっかりしていて、実に素晴らしい。

ただ、どうも私は、大人気テノール、フアン・ディエゴ・フローレスについては、なぜこの歌手に人気があるのかよくわからない。何に原因があるのかよくわからないが、私はこの人の声を「甲高い」と感じて、乗り物酔いになったような気分に陥る。

全体的に「ランスへの旅」とそっくりのメロディが続く。きっと作曲が間に合わなくて、転用したのだろう。が、ロッシーニに対して硬いことを言うのはよそう。ともあれ、楽しい。ともあれ、わくわくする。それで十分。

 

4988026822881


・「絹のはしご」 マルク・アンドレーエ指揮、スイス・イタリア語放送管弦楽団

だいぶ前に中古店で購入し、そのまま見ないでいたDVD。原題がScala di Seta。買ったときにはしっかりと認識していたはずだが、長らく放置するうち、この「スカラ」という文字面から、ついスカラ座公演だと勘違いしてしまったようだ。序曲が始まってすぐ、スカラ座らしからぬ音に驚いて、記載を確かめた。1983年の公演。最近の演奏とかなり雰囲気が異なる。80年代はロッシーニをこのように演奏していたのだということにむしろ驚く。最近の演奏のようなはじける生きの良さをあまり感じない。ハイドンのオペラでも見ている感じ。演出もきわめてオーソドックス。全体的に決して悪くないのだが、むしろ、この30年の間にどれほどロッシーニの上演がこなれてきたかを感じる。

今の歌手たちのようにロッシーニ歌いという雰囲気はない。が、歌手のレベルはかなり高い。ジューリアのカルメン・ラヴァーニ、ジェルマーノのロベルト・コヴィエッロ、ドルモンのトゥリオ・パーネ、ブランザックのマリオ・キアッピ、ドルヴィルのエルネスト・パラシオなど、とても美しい声のしっかりとした歌。

ともあれ、イタリアの地方の歌劇場のロッシーニ公演という感じの映像だ。

 

・「チェネレントラ」 ブルーノ・カンパネッラ指揮、ヒューストン交響楽団。チェネレントラを歌うのは、チェチーリア・バルトリ、ドン・ラミーロをラウル・ヒメネス、ドン・マニフィコをエンツォ・ダーラが歌う。これは実に楽しいオペラ・ブッファ。バルトリはもちろん、ダーラもヒメネスも実に芸達者でおもしろい。歌も最高。ロッシーニのオペラブッファの楽しさを存分に味わえる。ただ、ちょっと映像が古くて不鮮明なのが珠に傷だが、音楽的には文句なし。

 

465


「アルジェのイタリア人」 ブルーノ・カンパネッラ指揮、パリ・オペラ座公演。

 イザベッラのジェニファー・ラーモアの歌と演技、そして容姿が素晴らしい。ムスタファのシモーネ・アライモ、リンドーロのブルース・フォードも歌、演技ともに見事。ともかく楽しい。アンドレイ・セルバン演出の色彩的で動きのある舞台も見事。ブルーノ・カンパネッラの指揮もいうことなし。私は、ワーグナーやシュトラウスに対してはあれこれ言いたくなるが、ロッシーニについては、ともあれ楽しみたい。その意味では、演奏も舞台も文句ない。正月は、ロッシーニのオペラ・ブッファがいい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年始まる 2012年の「ベートーヴェンは凄い」もこれまで以上に凄かった

 2013年元旦。

 今年も家族が健康に過ごせますように。知人たちに不幸がありませんように。日本が、世界が平和で豊かになりますように。

 昨日、すなわち2012年1231日、東京文化会館で「ベートーヴェンは凄い」を聴いた。小林研一郎指揮、篠崎史紀さんをコンサートマスターにした岩城宏之メモリアル・オーケストラ。私がこのイベントを聴くようになって5回目だと思う。毎回、凄さに圧倒されてきたが、今年も素晴らしかった。

 交響曲第1番が始まった時、これまでのマエストロ・コバケンとかなり印象が異なることに気付いた。オーケストラはこれまで同様、日本のほかのオケでは聞けないような見事な音。サイトウ・キネンに匹敵するのではないか。ところが、コバケン特有のテンションの高さをあまり感じない。昨年までのように、猛烈な速度でテンション高く演奏するのではなく、むしろゆっくり演奏している。第4楽章になってかなりハイテンションになった。

 第2番も同じ雰囲気。緩急の差が大きく、ゆっくりしたところは丁寧に歌わせる。昨年までは、ちょっとザツではあるが、ともあれテンションの高さで押し切るといったところがないでもなかったが、そんなことはない。そのため、音楽が立体的になり、メリハリがついている。ただ、昨年までの元気がないので、もしかしたら、体調が悪いのではと、ちょっと心配になった。

 そして、第3番。第1楽章のスケールの大きさに圧倒された。まさしく巨匠風の演奏。しかも、実に構築的。情念で押すのではなく、曲の構造を見極めたうえで、がっしりと音を作り出していく。もちろんオケは素晴らしい。弦楽器も管楽器もティンパニも機能的に文句なし。しかも、よく歌う。第2・3・4楽章も巨匠風に大きく描いて、圧倒的名演だった。

 実は第4番はきちんと聞けなかった。この曲の終了直後に、このイベントの主催者である三枝成彰さんとトークをすることになっていたため、楽屋に移動して聴いた。正面で聴けなかったのが残念。

 ところで、第4番の後、私の出番であるトーク。三枝さんに舞台上で話をするように依頼されたのは、2週間ほど前だったと思う。音楽をゆっくり聞けないし、しゃべりは上手ではないので気が重いと思ったが、現存の人物の中で最も尊敬する三枝さんの依頼を断ることはできない。今回のプログラムにも執筆した私の所有する270枚を超す第九のCDについて話した(プログラムでは265枚となっているが、数え忘れたもの、その後に購入したものを含めて、270枚を超えている。ただし、未整理のため、重複もかなりあると思われる)。

 とはいえ、私が第九のCDをたくさん持っているのは、CDが発売されるようになった当時から、音楽好きの素人として、目についたCDをとりあえず購入して聴いているうち、それが年間10数枚ずつだったらしく、25年ほどの間に250枚を超えていた・・・というだけのことであって、特に整理しているわけではないし、そもそも専門家ではない。だから、たいした話はできなかった。浅くてまとまりにないことを言っただけだった。が、ともあれ、フルトヴェングラーやテンシュテットの演奏の凄さについては伝えることができたし、三枝さんの楽しい話が聞けたので、それで良しとしよう。

 第5番以降は、トークのことを考えず(ただ、ちらちらと「バカなことを言ってしまったのでは?」という反省が頭をよぎった!)に音楽に集中して聞くことができた。

 第5と第7は言葉をなくすような名演だった。まさしく巨匠。昨年までのように突っ走るのではなく、丁寧に音を構築していく。そして、テンションの高いところはかつてと同じように。そうすると、実に深くて大きなベートーヴェンが浮かび上がる。

 昨年の「ベートーヴェンは凄い」以来、マエストロ小林の演奏を聴いていなかったので、気付かなかったが、まさしく巨匠。素晴らしい。

 第6は難しい曲。三枝さんによると、「曲の出来が悪い」とのこと。私も実は感動したことがない。見事な演奏だったが、大感動には至らなかった。

 第7の途中からハイテンションのコバケンの面目躍如。第8はそのまま突っ走った。それはそれで素晴らしかったが、これも巨匠風に演奏してくれるともっと凄かったのではないかと思った。

 最後が第九。マーラーによるオーケストレーション補足版。

 楽器を大量に増やし、あれこれの楽譜に手を入れ、スケールを大きくしたオーケストレーションに私はかなり違和感を覚えた。これは、クリスチャン・ヤルヴィ指揮、トーンキュンストラー管のCDで聴いたことがあったが、そのときの印象も変わらなかった。スケールを大きくすればするほど、曲そのものが持っている本質的な迫力が失われ、むしろ安っぽくなってしまう気がするのは、私がもともとマーラー嫌いであるためではあるまい。まさしくマーラーみたいなベートーヴェンで、私には受け入れがたいものだった。

 ただ演奏は素晴らしい。青戸知(バリトン)はリート的に語りかけるようなソロで、とても説得力がある。錦織健(テノール)もこの難しいソロを完璧に歌いこなし、朗々と声を響かせる。アルトの竹本節子もソプラノの岩下品子も文句なし。

 終演後、ロビーで有志による「美しく青きドナウ」を聞くうち、2013年を迎えた。その後、関係者のパーティに参加して、何人かの知り合い(コバケンさんともお話しできた!)と話をした後、車で、深夜の正月を自宅に急いだ。

私自身のしゃべりはともかくとして、最高に満足なコンサートだった。このような圧倒的名演で昨年を締めくくることができて、実にうれしい。ただ、パーティの席で、冗談なのかもしれないが、マエストロ小林が、「もう限界。来年はお断りしようか」と言われていたのが心配。まさか本気ではないと思うが、マエストロ小林のほかに、1番から9番までを一晩で振ってこれほどの名演をしてくれる指揮者がおられるとは思えない・・・

| | コメント (5) | トラックバック (0)

« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »