« ネゼ=セガン指揮、ロッテルダム・フィルの不思議なブラームス | トップページ | 森美代子+松尾俊介デュオ、素晴らしい演奏 »

三枝成彰作曲 オペラ「KAMIKAZE-神風-」のカタルシス

 2月2日、東京文化会館で三枝成彰作曲のオペラ「KAMIKAZE-神風-」世界初演(ただし2日目)を見た。原作は堀紘一。演出は三枝健起。第三幕では不覚にも涙を流して、感動に震えた。特攻隊員の死という重苦しいテーマなのに、強いカタルシスを覚えた。

 昭和という時代は、太平洋戦争の死者の礎の上に成り立ってきた。現在の繁栄も平和も、太平洋戦争の兵士と銃後の人々の屍の上に成り立ったものだった。そうした戦死者たちの中でもっとも悲劇的でもっとも戦争の理不尽を象徴するのが、特攻隊員だ。

 三枝さんは、昭和に生きた人間であるからには、特攻隊の生と死について考えを巡らすのが義務だと考えておられるのだろう。それこそが昭和に生きた者の原罪のようなものと考えておられるのだろう。特攻隊の生と死を、日本人の魂を象徴する桜と重ね合わせて、まさしく一つの神話として描こうとする。

 第一幕と第二幕は、ありきたりのセリフが多く出てくる。昭和を生きた人間であれば、これまで特攻隊の話として何度も聞かされてきたエピソード。しかも、しばしば軍歌の代表のような「同期の桜」がうたわれる。背景には大きな桜の木が映し出されている。まさに日本人にとっての「ありきたり」を絵にかいたかのよう。

 しかし、この「ありきたり」の物語が、音楽の力によって、普遍的な神話になる。日本人が持つべき共通の過去になる。逆にいえば、このような普遍的な神話性を作り出すために、あえて「ありきたり」のエピソードを連ねているのだろう。

 私はずっと「トリスタンとイゾルデ」を重ね合わせてみていた。 光司と知子の愛の二重唱があり、最後には愛の死が展開される。純粋な愛の物語。「トリスタンとイゾルデ」が西洋人にとっての形而上学的な愛と死の原型を描くとすれば、「神風」は、昭和の人間の心の奥に潜む愛と死の原型を描き出す。

 音楽的には、第二幕がおもしろかった。専門的なことはまったくわからないが、「同期の桜」という音楽的に他愛のない軍歌を違和感なく挿入し、その音楽を昇華し、深く美しい世界に仕立て上げていく。

 三枝オペラはいつもそうだが、あえて「現代音楽」を否定し、調性のあるわかりやすいメロディで魂を歌いあげようとする。センチメンタルなメロディを多用する。情緒的なメロディにもあふれている。「現代音楽」を好む多くの人が三枝さんのこのような態度を批判するだろう。しかし、「現代音楽」では絶対に日本人の魂の原型を描くことはできない。それを普遍的な神話にすることはできない。しかも、少し聞いただけでわかるが、調性のない音楽よりももっとずっと複雑で精緻。途方もないテクニックを持っているからこそ、このようなわかりやすい音楽が書ける。

 最初と最後、ラテン語、英語、フランス語、イタリア語、ロシア語、中国語、韓国語などのさまざまな言語で平和への祈りが合唱によって歌われる。まさしく鎮魂。しかも、こうすることで日本人の魂を描くオペラがインターナショナルな広がりを持つ。ジョン健ヌッツォが主役であることも、このオペラを日本だけのものでない広がりを持たせている。

 演奏も素晴らしかった。神埼光司少尉をうたうジョン健ヌッツォもみごと。そのほかでは、知子を歌う小川里美、木村愛子を歌う小林沙羅、冨田トメを歌う坂本朱の三人の女性にとりわけひかれた。

 音楽のことばかり書いてしまった。舞台もよかった。CGを使った背景の戦闘機、そしてなによりもまさしく生きた桜の木のセンスのよさに驚嘆。何よりも、幕切れの桜の花びらで舞台一面が覆い尽くされる場面は感動的だった。昭和の日本人の心の原型が映像として定着するような舞台だった。日本のずば抜けた才能が結集してこの新作オペラが出来上がっていることがよくわかる。

 

 

 

|

« ネゼ=セガン指揮、ロッテルダム・フィルの不思議なブラームス | トップページ | 森美代子+松尾俊介デュオ、素晴らしい演奏 »

音楽」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/532807/56684160

この記事へのトラックバック一覧です: 三枝成彰作曲 オペラ「KAMIKAZE-神風-」のカタルシス:

« ネゼ=セガン指揮、ロッテルダム・フィルの不思議なブラームス | トップページ | 森美代子+松尾俊介デュオ、素晴らしい演奏 »