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オッフェンバック「ロビンソン・クルーソー」

 2月10日、東京新国立劇場中劇場で東京オペラプロデュース公演、オッフェンバック作曲「ロビンソン・クルーソー」日本初演を見た。オッフェンバック上演の難しさを改めて感じた。

 私はオッフェンバックがかなり好きだ。とりわけ、「地獄のオルフェウス」と「パリの生活」が大好き。うきうき、わくわくして、からりとしていて、実に爽快。カンカン踊りの音楽も、最高だと思う。だから、時間が合えば、実演はなるべく見ることにしている。

そんなわけで、今日は、かなり楽しみにして、東京オペラプロデュース公演「ロビンソン・クルーソー」を見に行った。

 デフォーの「ロビンソン・クルーソー」の物語とはかなり違う。確かに、ロビンソンが無人島であれこれと工夫するところはオペラにならないだろう。両親の反対を押し切って船に乗るまでが第一幕。第二幕では、すでに無人島で暮らして6年がたっている。確か、デフォーでは20年以上、無人島で暮らしたと思うが、オペラではこの時点でかつての恋人や友人たちがやってきて人食い人種やら海賊やらと戦って島を脱出する。

 歌はフランス語、セリフは日本語で進んでいく。セリフまでフランス語にするのは、歌手が日本人であるからには、かなり難しいだろう。が、日本人の歌手が日本語でオッフェンバックの、かなり洒落の利いた芝居をすると、どうにもサマにならない。かなり間延びして、どうしても学芸会風になってしまう。そもそも台本自体、当時のフランスの人々を楽しませようとしたものなので、現在の日本で上演するにはかなり無理がある。歌手たちは頑張っているし、工夫の跡は確かに見えるが、違和感はぬぐえなかった。

 しかも、歌だけであったとしても、日本人にはフランス語はかなり難しい。Je t’aime. をまるでJou t’aimou.と歌うのでは、フランス語のオペラにはならない。何人もの歌手がまったくのカナカナのフランス語だったのではないか。鼻母音らしい音もほとんど聞こえてこなかった。これだと、オッフェンバック独特の洒脱な雰囲気がまったく出ない。とはいえ、たった一度だけの上演のために、歌手がフランス語を基本からしっかり勉強するように強制するのも、酷かもしれないが・・・

 そんななか、スザンヌをうたった岩崎由美恵の歌が、私にはもっともフランス語らしく聞こえた。歌い回しがフランス風で違和感がない。声も伸びて、明快。とても楽しく聞けた。トビーの古橋郷平も私は大いに楽しめた。エドヴィージュを歌った垣岡敦子は、とても声が美しかった。

 オーケストラと合唱に関しては、やはり練習不足を感じざるを得なかった。おそるおそる音を出している雰囲気が伝わってくる。いろいろの制約から、これもやむを得ないのかもしれない。制約が多い中、最大の苦労をしているのだと思う。

  いっそのこと、全部、日本語にして、不必要な部分は大胆にカットして、時事ネタなどのギャグを入れて、完全に日本化してしまうほうが、練習も楽になり、観客の違和感もなくなるのではないか。事実、私が一番面白くて、オッフェンバックっぽいと思ったのは、時事ネタなどを入れて軽妙に演じた海賊の親玉ウィル・アトキンス役の村田孝高だった。ジム・コックスの石川誠二とともに、とても芸達者で、楽しめた。

 そんなわけで、オッフェンバックを現在の日本で上演するのは、かなり難しそうだと感じつつ、帰途についた。

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