« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »

第7回12歳の文学賞について

 昨日、小学館本社で第7回「12歳の文学賞」受賞式が行われた・・・はずだ。「はずだ」というのは、私は審査員のひとりでありながら、仕事が重なって授賞式には参加できなかったからだ。大変残念に思う。

 最終審査会も大事な大学の会議が重なって出席できなかった。ただし、もちろん通過作品はすべて読み、私の評価は審査員の先生方に伝えてもらって、最終結果の参考にしてもらった。最終結果と私の判断はまったく同じだったので、すんなりときまったようだった。

 今年もまた傑作ぞろいだった。たまたまよい小説が書けたというのではなく、コンスタントに小説を書くだけの力を持った小学生が増えている。感服した。

 そんな中、大賞を獲得した西堀凛華さんのホラー小説「人形」は、完成度が高かった。何気ない描写をしても、そこに妖しさが宿り、読む者の興味をかきたてていく手腕は大人顔負け。たくさんの人形が登場し、それぞれに名前がつき、それぞれに個性があるが、そうした個性をしっかりと描きわけている。ストーリー展開も実におもしろい。

 2作の優秀賞受賞作の一つ、松崎成穂さんの「コミック・トラブル」にも驚嘆した。まさしく本格的な文芸作品の味わい。多くの人物が登場し、複数の視点から一つの物事が追われていくので、読者は自分で客観的事実を探り当てていかなければならない。しかも、かなり複雑なストーリー。ただ、やはり小学生が中年男の視点で描くのは無理がある。その点で少し説得力が不足。これから人生経験を積んだ後、どんなすごい小説を書くかが楽しみだ。

 もう一つの優秀賞受賞作、仲川晴斐くんの「くもの糸その後」は、芥川龍之介の短編のパロディ。おしゃか様とえんま大王の立場が逆転して実に皮肉のきいたストーリー。ひねりがあり、そこに人間観察の裏付けがある。しかも、悪ふざけではなく、品格もある。オチも見事。言葉のセンス、皮肉のセンスに脱帽。個人的には、今回の全作品の中で最も好きな作品だった。

そのほか、飯沼優さんの「寄宿人の生活」(樋口裕一賞受賞作)に私は大いに興味をひかれた。映像が目に浮かばない個所や納得のいかない説明があるのだが、つじつまの合わないところがあるのに、深いところで作者の肉声を響かせている。不思議な小説だと思った。

 

 今回の授賞式に出席できなかったことでも明らかな通り、今の私の状況では、審査委員という責務をまっとうできないと判断せざるを得ない。

 そもそも、昨年の4月に多摩大学経営情報学部の入試委員長になってからというもの、年に12回の入試と10回を超すオープンキャンパス(来年度はもっと増える)に関する仕事に忙殺され、自分の原稿も停滞し、多摩大学以外の業務でも私が忙しいがゆえに大きなミスが増え、何度か計画した旅行もすべて直前になってキャンセルせざるをえなくなり、コンサートのチケットを何枚も無駄にした。しかも、このところ、時折目が見えづらくなる(眼科で見てもらったところ、白内障という診断を受けた。まあ、要するに、老化現象!)。そんなこんなで、私自身の負担を少しでも減らすために、12歳の文学賞の審査員は今回限りで終わりにさせていただくことにした。

 審査員の末席を占めさせていただいている間、子どもたちの優れた作品をたくさん読み、あさのあつこさん、西原理恵子さん、石田衣良さんらと交流して、とても充実していた。小学館のスタッフの方々にも大変お世話になった。感謝申し上げる。今後もこれまで以上に、多くの小学生の豊かな才能が発揮されることを祈る。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

最近聴いて驚嘆したCD ヤノフスキの「タンホイザー」など

 やっと大学の仕事がひと段落して、少しだけ時間が取れるようになったので、購入したまま聴けずにいたCDを何枚か聴いた。ほとんどがワーグナーなどの重いオペラのCD。大好きなオペラであるにもかかわらず、いや、むしろそうであるからこそじっくり聴きたいと思って、その時間が取れずにいるうちに、こんなに遅くなってしまった。しばらく前からのものも含めて、いくつか紹介しよう。

 

424


「タンホイザー」 マレク・ヤノフスキ指揮、ベルリン放送交響楽団。

 昨年から立て続けて発売されているヤノフスキによるワーグナー全曲シリーズの一つ。私はまだこのシリーズを一枚も聴いていない。まずは「タンホイザー」を聴いてから、よかったらシリーズをすべて購入しようと思っていた。かつてヤノフスキが指揮した「指環」全曲のCDはとても良い演奏だった。ちょっと淡白すぎるし、歌手にちょっと弱い人がいるので、最も好きな「指環」のCDというわけではなかったが、大いに気に入った一つだった。だから、もちろん今回も期待して聴いた。が、その期待をはるかに上回る演奏。前回の録音から一回りもふたまわりもヤノフスキは大きくなっていた!

 これは本当に素晴らしい演奏。オーケストラのなんと雄弁なこと。音が生き生きしていてまさしく鮮烈。音が完璧にコントロールされて、見事に音が立ち上がってドラマを作っていく。若々しく、ドラマティック。引き締まっていて、芯が強く、スケールも大きい。揺るぎのない明確な輪郭を持つ。ちょっとエロスの不足を感じないでもないが、ないものねだりをしても仕方がないだろう。が、オケに色気が少し不足する分、ヴェヌスを歌うマリーナ・プルデンスカヤとエリーザベトを歌うニーナ・シュテンメに色気があるので、まったく不満はない。それにしても、シュテンメは実に美しく、女性的でしかも声に芯がある。ヘルマンを歌うアルベルト・ドーメン、ヴォルフラムを歌うクリスティアン・ゲルハーハーも文句なし。昨年のバイロイトでのトリスタンではまったく声の出ていなかったロバート・ディーン・スミスもとてもいい。そして、何よりも録音の素晴らしさも特筆もの。

 

603


「トリスタンとイゾルデ」 マレク・ヤノフスキ指揮、ベルリン放送交響楽団。

「タンホイザー」があまりに素晴らしかったので、もう一つ買ったままになってまだ聞いていなかった「トリスタン」も聴いてみた。

 これも素晴らしい。「タンホイザー」と同じように、引き締まった音楽づくり。緻密に音を重ねて、見事にコントロールされた演奏。胸のすくような音の躍動がある。歌手もそろっている。とりわけ、イゾルデを歌うシュテンメが圧倒的。女性的な色気を保ちながらも強靭。理想的なイゾルデといえるだろう。スティーヴン・グールドのトリスタン、クワンチュル・ユンのマルケ王、ヨハン・ロイターのクルヴェナール、ミシェル・ブリートのブランゲーネも文句なし。

ただ、ヤノフスキの指揮はかなり腰の据わったものなので、「揺らぎ」や「たゆたう」というのがこのオペラの最大の特質だと考えている私からすると、少し違和感がある。第一幕は船の中の場面なのだから、もっと揺れがあってよいし、第二幕以降も、心の揺らぎがあってよいような気がする。が、もちろん、これはこれで要所要所には素晴らしい効果を発揮する。何度も魂の震える個所があった。

未購入だったヤノフスキのワーグナーのシリーズをすべて注文した。このシリーズは実に楽しみ。

 

899


「ドン・ジョヴァンニ」 ヤニック・ネゼ=セガン指揮、マーラー・チェンバーオーケストラ

 これも素晴らしい。ともあれ、歌手たちがすごい。ダルカンジェロのドン・ジョヴァンンニ、ダムラウのドンナ・アンナ、ディドナートのドンナ・エルヴィラは言葉をなくすほど。いずれも圧倒的な存在感。まさしく現代を代表する名歌手たちだ。ピサローニのレポレッロも、ヴィラゾンのドン・オッターヴィオも、モイカ・エルトマンのツェリーナもそれに劣らぬ素晴らしさ。大スター達による圧倒的な声の饗宴とでもいおうか。

だが、私がそれにもまして感動するのは、ネゼ=セガンの指揮。昨年のザルツブルク音楽祭でのこの指揮者の演奏する「ドン・ジョヴァンニ」を聴いて驚嘆したのだったが、その時のことを思い出した。悪のエネルギーが渦巻き、まさしくディオニュソス的な激しさがある。表面だけを美しく整えるのではなく、中身が詰まっている印象。ある種の凄味がある。内的な深いドラマが渦巻いている。ぐいぐいと引き込まれて、最後まで聴いた。

 

 ほかにも心ひかれたCDが何枚かあった。それについては、明日か明後日にでも書きたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

映画「愛、アムール」を見た

映画「愛、アムール」を見た。

私が毎日のように映画館に通っていたころ、つまり1970年代、ジャン=ルイ・トランティニャンは大スターだった。「男と女」「Z」「暗殺の森」、そしてアラン・ロブグリエが監督した「危険な戯れ」など見て、実にいい役者だと思った。そして、マルグリット・デュラス原作・アラン・レネ監督の「二十四時間の情事」に主演していたエマニュエル・リヴァも大好きな女優だった。繰り返しこの映画を見て、リヴァの知的な美しさにうっとりしたものだ。

トランティニャンとエマニュエル・リヴァが共演する映画が話題になっているとあっては、見に行かないわけにはいかない。しかも、クラシック音楽もふんだんに出てくるという。今日、時間を見つけて、近くの映画館に見に行った。

それにしても、重い映画だった。八十歳を過ぎた老夫妻。夫はある時、妻の精神の変調に気づく。そして、徐々に状態は悪化する。妻は下半身マヒになり、痴呆が始まり、言葉も切れ切れになり、寝たきりになっていく。夫は必死に介護する。妻の痛々しい姿を娘にも見せまいとし、妻の尊厳を守ろうとする。そして、愛のあまり・・・、という物語。

いたずらに泣かせようとするのでもなく、淡々とじっくりと、そして実にリアルに、老夫婦の生活を描いていく。全編にわたって水道の音、皿の音、椅子の音などの生活音が大きく響くが、それは生活=生命を象徴するだろう。生きることの尊さ、重さ、宿命。知的で、品行方正で、経済的にも余裕があり、人々の尊敬を得ている老夫婦にも、その重い宿命が押し寄せる。

トランティニャンとエマニュエル・リヴァの演技が素晴らしい。もちろん、ミヒャエル・ハネケ監督の手腕も驚くべし。

迫ってくる老いに対しても凛として生きようとしつつ、徐々に敗北していく姿が痛々しい。同時に、それを食い止めようとしながらも、最後には受け入れざるを得なくなっていく「愛」の重さにも感動する。きっと世界中にこのような思いでいる夫婦はたくさんいるだろう。

映画はコンサートの場面で始まる。そして、シューベルトの即興曲が何度か聞こえる。ハ短調の曲はまるで「運命」のように響く。

ピアニストが登場する。なんだか見覚えのある顔で、いかにも本物のピアニストっぽいし、実際にピアノを弾いているように見えるなあと思いながら、最後のクレジットを見てびっくり。アレクサンドル・タロー本人が、老妻の弟子の役で出演していた。

とてもいい映画だったが、自分の両親が90歳に近く、私もシルバー料金で映画を見ている立場だから、他人ごとではない。見た後、つらい気持ちになった。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日下紗矢子のヴァイオリンに興奮

 今年に入って、ずっと猛烈に忙しかった。私の勤める多摩大学の業務、私が塾長を務める白藍塾の仕事、そして原稿を書く仕事。そのいずれもでさまざまな難題をかかえ、仕事が立て込んで、まったく動きが取れなかった。しかも、時々コンサートに行くものだから、いっそう仕事が滞る。

 今日314日、やっと、正月から掛かりきりだった原稿を書き上げて、出版社に送った。少し肩の荷が下りた。時間さえたっぷりあれば1週間か10日くらいで仕上がるはずだったが、他の仕事で外に出ることが多く、なかなか執筆に時間を割けず、完成が今になってしまった。すぐに次の仕事があるが、あと数日だけでもゆっくりしたい。

 少しだけ軽い気持ちになって、夕方、武蔵野市民文化会館小ホールで日下紗矢子ヴァイオリン・リサイタルを聞きにいった。素晴らしかった! 興奮した。

前半にバッハのヴァイオリン・ソナタ ホ短調とベートーヴェンの「クロイツェル」。ドイツ本流の音楽。バッハもとてもよかった。細身の清潔な音。小ざっぱりした雰囲気なのだが、ここぞというところで鋭く切り込む。そのため、スケールが大きく、魂を深く揺さぶる。オズガー・アイディンのピアノも、ピタッと寄り添って実にいい。平板ではなく、まさしく立体的な音で、弾むような雰囲気。

「クロイツェル」は凄まじかった。繰り返すが、ヴァイオリンは細身で清潔な音だ。それなのに、私は、不思議なうねりの世界を感じる。大きくうねって、聞く者をベートーヴェンの世界に巻き込んでいく。精神が大きくうねっていく。第一楽章と第三楽章のスケールの大きく情熱的な部分が実にすばらしい。適度に荒々しく、美しいところは限りなく美しい。

 後半は初めにメシアンの「主題と変奏」。初めて聞く曲。その次にフランクのソナタ。前半がドイツ音楽なのに対して、後半はフランス的な世界が展開される。

フランクも「クロイツェル」と同じように素晴らしかった。4つの楽章を通して一つの物語を語るかのように展開していく。第一楽章は抑え気味、第二楽章で情熱が掻き立てられ、第三楽章、第四楽章である種のエクスタシーに達する。ここでもかなりうねるが、前半のドイツ音楽を弾く時とは少し異なる。フランス風の、やや都会的なうねりとでもいうか。それが深い興奮に導く。何度か感動のために身体に震えが走った。終楽章では、全身がふるえた。

アンコールはバッハのアリオーソとG線上のアリア。興奮した魂を鎮める音楽。まさしく、前半にドイツ、後半にフランスで、それぞれの魂の情熱の高まりを聞かせ、最後にそれを鎮める・・・というコンサート全体もしっかりと計算しつくされ、物語が作り上げられている。みごと。

日下のヴァイオリンは2、3年前に一度聞いた記憶がある。とてもよかった記憶があるが、興奮するほどではなかった。が、今回は心の底から感動した。素晴らしいヴァイオリニストになったものだと思った。

 

ところで、一昨日(12日)は仕事で京都に行った。京都駅前のメルパルクで講演。開始時間よりも少し早目について、タクシーで智積院に行って、長谷川等伯と息子久蔵の絵を見た。等伯の楓の図と久蔵の桜の図は生命そのものをひしひしと感じる。見るたびに心を奪われる。先日、京都で叔母の死を知り、無性に等伯の絵を見たいと思ったが、時間が合わなかった。今回、見ることができてよかった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ハイティンク+ロンドン響のベートーヴェン第7に感動

3月9日 、サントリーホールでベルナルト・ハイティンク指揮、ロンドン交響楽団を聴いた。

 前半には、まず、ブリテン作曲の「ピーターグライムス」から「4つの海の間奏曲」。好きなタイプの曲ではないが、演奏は見事。アンサンブルがきれい。音楽の作りもよくわかった。退屈しないで聞けた。

 そのあと、マリア・ジョアン・ピリスが加わって、モーツァルトのピアノ協奏曲第17番。ピリスの音は本当に素晴らしい。ピリスが加わったとたん、かぐわしい世界が広がった。しなやかで芯が強い。ほどよく叙情的。かつて、ピアノにはさして関心のない私がデュメイ目当てにコンサートに行き、むしろピリスに感激したことがあったが、あの時のことを思い出した。

 ハイティンクの指揮はまさにハイティンク。無理がなく、でしゃばらないが、十分に雄弁。大好きなタイプの指揮だ。オケも素晴らしい。フルートのなんという美しさ! 弦も厚みがあって美しい。

 本領発揮は、後半のベートーヴェンの交響曲第7番。どっしりした音。重心が低く、誇張せず、慌てず焦らず、じっくりと音楽を聞かせてくれる。ティンパニのどっしりした音がまさにハイティンク風。そしてじわじわと感動が広まっていく。ハイティンクを聞くと、ヤンソンスまでがあざとい指揮者に思えてくる。特に何も工夫していないように聞こえる。オケを煽っているようにも見えない。煽りたくなる曲だと思うが、少しも煽らない。それでいて徐々に盛り上がり、最高潮に達する。生き生きとして深いベートーヴェンが鳴り続ける。これぞ至芸。第四楽章は魂が震えた。

 アンコールは、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」のスケルツォ。このようなチャーミングで諧謔的な曲もハイティンクの手にかかるとちょっと奥ゆかしくなる。これみよがしに器用なところを見せるのではなく、しっかりと人生の根を下ろした音楽とでもいおうか。いやはや本当に素晴らしい。

 ただ、私の前の席の高齢の女性が、ずっと演奏中に居眠りをしているのが気になった。目を覚ましていたのは休憩中だけで、音楽が始まると、うつらうつら始める。頭が揺れ、身体が動く。時々目を覚まして、姿勢を直し、身体でリズムを取ろうとする。が、すぐにまたうつらうつら始める。それを私の目の前、つまり私とハイティンクの後ろ姿を結ぶ直線上でずっとやられるのだから、気になって仕方がなかった。その女性はマスクをしているようだったので、もしかしたら花粉症の薬のせいで眠気に襲われているのかもしれない。お互いさまなので非難する気はないが、やはり気になる。

 第3楽章で、携帯の呼び出し音も鳴り響いた。これは非難しないわけにはいかない。緊張感が途切れてしまった。

 

 しかし、演奏そのものには私は大いに感動した。今となっては当たり前のことだが、ハイティンクは押しも押されもしない大巨匠だと改めて思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

オライオン弦楽四重奏団はなかなかよかった

 3月8日、多摩大学で入試委員長としての仕事を終えた後、聖蹟桜ヶ丘駅前の多摩市女性センターで、6月に行われる「TAMA 女と男がともに生きるフェスティバル」(ともフェス)男女共同参画フェスティバルの準備会議にちょっとだけ参加。多摩大学の私のゼミも、この活動に加わって、クラシック音楽コンサートを行う予定。ゼミ生の女子三人が主体的にかかわっている。

 会議を途中で抜け出し、車で大慌てで武蔵野市民文化会館に急いだ。ぎりぎりに到着。ちょっと焦った。

 オライオン弦楽四重奏団のコンサートだった。前半はベートーヴェンの第16番とシューマンの第3番。後半はシューベルトの第14番「死と乙女」。

 正直言って、ベートーヴェンは何をしたいのかよくわからなかった。とりわけ精緻でもなく、激しいわけでもなく、深みがあるわけでもなく、中途半端な印象を受けた。アンサンブルはかなり良いと思うが、あと少しの切れ味を感じない。ちょっとがっかり。

 が、シューマンはかなり良かった。シューマンらしいロマンティックな曲だが、感情移入しすぎないで、かなり精緻に演奏。しかし、そこはかとないロマンが香る。この曲の特に第一楽章に私はチャイコフスキー的な哀愁を感じる。ベートーヴェンよりも、私はこの曲のほうに共感を覚えた。

 後半のシューベルトは、第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンが交代しての演奏。これはかなり素晴らしかった。これもあまり感情移入しない演奏だが、アンサンブルが美しく、構成が崩れない。ただ、私としては、もう少し強いものがあってよいように思った。三曲の中では一番良かったが、大感動したというほどではなかった。

 アンコールは「シューベルトのメヌエットの何々・・・」とヴァイオリン奏者が語ったが、シューベルトが特に好きな作曲家ではない私にはあまりなじみのない曲。

 全体として、ともあれ、なかなか良い演奏だった。

 途中、食事をして自宅に帰ったら、テレビでWBCの台湾戦の放送中だった。白熱した試合。最後まではらはらしながら見た。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

私はtwitterをやっていない!

 一昨日、ブログに「マミ」さんという方からコメントをいただいた。私の名前と写真を使ってツイッターで発言をしている人がいるという報告だった。大変驚いた。Yuichi Higuchiと検索すると、最初にその人のツイッターが出てくるようだ。

 もちろん、これは私ではない。そもそも私はツイッターを使用していない。このような発言を私がするはずもない。私のキャラクターとは全く異なる発言だ。

ここに使われているプロフィール写真は、一昨年だったか、私が読売新聞の取材を受けた時のものだ。写真はネット上に出回っているので、それを使ったのだろう。これが世にいう「なりすまし」なのだろうか。

 ツイッターで「なりすまし」されるのは、有名タレントなどに限ると思っていのだが、私ごときまでその被害は及んでいたようだ。直接的な被害を被っているわけではないが、このツイッターを私の発言だと思い込む人がいるという点で、それは極めて悪質といえるだろう。私のことを知っている人であれば、このようなツイッターを読んでもまさか私の発言とは思わないだろうが、知らない人にこれが私の発言と誤解されては心外だ。

 ともあれ、ツイッターでの私の写真を張り付けたYuichi Higuchi の発言を私の発言だなどと誤解しないでいただきたい。同時に、なりすましをしている人物に強く抗議したい。すぐになりすましをやめていただきたい。

 ネットによって、恐るべき世界が到来してしまったと、いまさらながら思う。

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ヨゼフ・シュパチェクのヴァイオリンに魂を震わせた

 3月4日、武蔵野市民文化会館でヨゼフ・シュパチェクの無伴奏ヴァイオリン・リサイタルを聴いた。素晴らしい演奏だった。

 1986年生まれというから、まだ20代。チェコフィルのコンサートマスターに最年少で抜擢されたという。

 前半はバッハの第1番のパルティータとイザイのソナタ第2番、後半には、クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース」、プロコフィエフの無伴奏ソナタニ長調、イザイのソナタ第5番、最後にミルシテインの「パガニーニアーナ」。

 前半と後半のイザイの2曲のソナタがとりわけすごかった。超絶技巧でバリバリと弾きまくる。細身の実に美しい音。しかし、技巧をひけらかすというよりも、端正で知的。構成がしっかりして、崩れることがない。バリバリ弾きまくるように見えて、音楽の真実に肉薄していく。前半のイザイの2番は「怒りの日」がたびたび出てくる曲だが、まさに聴く者を震撼させるかほどの凄味がある。いや、もっと正確に言うと、少しも誇張せず、ただ端正に弾きながら、そこに凄味がにじみ出てくる。これは本当にすごいことだ。後半の5番も美しく躍動する。

 アンコールはチェリスト(この人も素晴らしかった)が加わって、ヘンデルのパッサカリア。圧倒的な音楽性。

 私の大好きなネマニャ・ラドゥロヴィチが異端の典型だとすると、シュパチェクは正統の典型だが、同じほどに圧倒的な力がある。

 これほどすばらしいと、音楽の素人としては、どのように形容してよいのかわからない。ともあれ、感動し、震撼させられ、心を奪われ、満足した。

 このところ、大学の仕事で猛烈に忙しく、気苦労が絶えない。しばしの間、現実を忘れてヴァイオリンの音に酔うことができた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

オペラ研修所公演「カルディヤック」のこと、サヴァリッシュ氏の訃報

 3月1日、新国立劇場中劇場にて、オペラ研修所公演、ヒンデミット作曲の「カルディヤック」を見た。とてもおもしろかった。

 かなり前にポネル演出、サヴァリッシュ指揮のこのオペラの映像を見て、大いに興味をひかれ、ぜひ実演を見たいとずっと思っていた。今回、初めて見ることができた。なかなかの傑作だと思った。もっと上演されていいオペラだ。「ヴォツェック」やヤナーチェクのオペラとも通じる、内的に激しいドラマ。ドイツ表現主義の典型と言えるような作品だ。

 ストーリーもさることながら、何よりも合唱の扱いがおもしろい。凶暴で、感情に動かされやすい群衆をうまく描いている。ナチス勃興前夜のドイツの不安な精神状況がよくわかる。

 新国立劇場オペラ研修所の公演だが、レベルはかなり高い。見事な演奏。

 私は特に、貴婦人を歌った柴田紗貴子、カルディヤックの娘を歌った倉本絵里の声が心に響いた。そのほか、士官の日浦博章、騎士の伊藤達人、衛兵隊長の大久保充哉、カルディヤックの村松恒夫もとてもよかった。指揮は高橋直史。オケは、トウキョウ・モーツァルト・プレーヤーズ。理想的とはいえないかもしれないが、十分に鮮烈でキレのある音をだしていた。ただ、もっともっと表現主義的な激しさがあってもよいように思った。合唱は栗友会合唱団。これもとてもよかった。

 演出は三浦安浩。プログラムに本人が書いていた通り、まさしくフィルム・ノワールを意識した演出。ただ、私としても、どうせ映画を意識するのなら、「カリガリ博士」などを意識するほうがもっとずっと鮮烈だったのではないかと思う。ただ、きっとそのようにすると、いかにもドイツ表現主義的になって陳腐になると、演出者は考えたのかもしれない。三人の黙役が登場する。プログラムの演出家自身の言葉によれば、「影」ということらしいが、実は私には納得できなかった。

とはいえ、全体的には不気味で、退廃的で、しかも不思議なエネルギーにあふれていて、とても魅力的な舞台だった。

 ヒンデミットという作曲家には、大いにひかれる。「カルディヤック」のDVDを持っていたはずなので、もう一度見てみようと思って探すのだが、見つからない。我が家には1万枚近いCDとDVDがあるので、一度見当たらなくなると、なかなか出てこない。

 ともあれ、何とか見つけ出してみてみよう。

 数日前、サヴァリッシュ氏の訃報を見た。特別に好きな指揮者というわけではなかったが、もちろん何度となく感動的な音楽を聞かせてもらった。バイエルン国立歌劇場によるワーグナーやシュトラウスのいくつかのオペラは素晴らしかった。

 1984年、日本リヒャルト・シュトラウス協会が発足したとき、私も早速協会員になって、発足パーティに出席した。気軽な気持ちで当時愛用していたインテルメッツォのロゴのついたラフな上着(専門用語で何と言うか知らないが、私の知っている言葉でいえばジャンパーに近い)を着て出かけた。周囲の方がみんな正式の礼服やスーツを着ているのにびっくり。小さくなっていた。すると、名誉会長だったサヴァリッシュ氏が挨拶にたった。「さきほど、インテルメッツォの服を着た男性を見かけたが、インテルメッツォが私たちのシュトラウスの優れたオペラの題名だとご存知の方は、それほど多くないだろう」というように話を切り出した。きっと私のことだろうと思った。「もちろん、シュトラウスのインテルメッツォのことは知ってますよ。だから、この服を買ったんですよ」と後でサヴァリッシュ氏に弁明しに行こうと思ったが、もちろん、ドイツ語ができるわけでもないので、その勇気が出ないまま、すごすごと帰った。

 私がもっともサヴァリッシュ氏に個人的に最も近付いたのがこのときだった。合掌。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »