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パヴェル・シュポルツルの凄まじい無伴奏

 4月26日、武蔵野市民文化会館小ホールで、パヴェル・シュポルツルの無伴奏ヴァイオリン・リサイタルを聴いた。最高の音楽だった。感激した。

 シュポルツルを初めて聴いたのは、2009年のナントのラ・フォル・ジュルネだった。曲目は今日とかなり重なる。バッハのソナタ1番と、パルティータ2番、そして、イザイのソナタ4番だった。その時もあまりの素晴らしさに驚いた。青いヴァイオリンとその音色にしびれた。そして、今日も同じ経験をした。

 完璧な音程。クリアで清潔な音。服装もジーンズ姿。気楽な雰囲気で軽々と弾く。だが、出てくる音は、まさしく正統派。ただし、少しもかしこまるところがない。研ぎ澄まされてはいるが、自由で軽やか。天衣無縫という雰囲気で気軽に弾く。誇張もなく、ひけらかしもない。ただひたすらのびのびしていて、実に気持ちがいい。だが、それだけではない。完璧な技術で弾きこなすうち、そこに自由な天空が広がる。バッハの音楽が、実に楽しく自由に響く。しかも、実に深い。

 こんなシャコンヌは聴いたことがないと思った。これまで生で聴いた中で最高のシャコンヌだったのではないかと思った。わざとらしさが少しもない。スケール大きく弾こうとしているわけでもない。感動させようともしていない。だが、あまりに美しく、あまりに自由であまりに完璧なゆえに、聴いているものは日常とは別の世界に連れ込まれる。何度か感動で全身がしびれる思いがした。

 私は、バッハの曲目を演奏した前半だけで十分だと思った。シャコンヌを聞いて、これ以上はなにも必要ないと思った。が、後半もまた素晴らしかった。

 後半は、イザイのソナタ4番と、パガニーニの24のカプリースから、5・9・13・14番。いずれも、呆れるくらいの完璧なテクニック。ひけらかすのではなく、軽やかで自由。音が実に美しい。最後に、ミルシテインのパガニーニアーナ。これも完璧。

 アンコールにバッハのガヴォット。バッハにしては親しみやすく、きっとやさしめの曲。しかし、これも自由で軽やかな境地。研ぎ澄まされ、高貴さを感じさせる。

 かなりの拍手だったが、私としては、拍手の少なさに不満。もっともっと大喝采になり、大騒動になるかと思った。それほど凄まじかった。これは大事件だと思った。今日の客はこのシュポルツルのものすごさを十分にわかってくれていないのではないかと思った。

 興奮して帰途についた。

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九州での3日間

 今日は昨日までの疲れをとるために、一日中、自宅でゆっくりした。

21日から2泊3日で九州にいた。私が塾長を務めている通信添削塾・白藍塾の仕事で大分市に行く必要があったので、それを利用して、両親のいる大分県日田市に寄ったのだった。その間のことを少し整理してみる。

 4月21日。午前中に家を出て、羽田から福岡を経由して、高速バスで日田に向かった。5歳まで私は日田で暮らしていた。実家に着いてすぐに、両親、従姉とともに外に出て食事。

両親は90歳に近いので、昔のようにはいかない。足が弱っているので、歩くのが危なっかしい。無理もできなくなっている。母は手に痛みが走るようで、家事も満足にできない様子。父の食事などのために家事をせざるをえないようだが、大変そう。とはいえ、それ以外に大きな病気もなく、とても元気。安心した。

実家に寄っても、今では面倒を見てもらうどころか、私のほうが面倒をみる立場なのだろうと思うが、ここはあえて昔通り、両親に甘えることにする。私が高齢になったとしても、できるだけ息子や娘に面倒をかけるよりは、いつまでも面倒をみる立場でいたい。両親もそうだろうと勝手に解釈している。ぎりぎりまで、私は親に面倒を見られるわがままな一人息子でいたいと思う。

22日。叔母や従兄弟たちと顔を合わせ、先日亡くなった叔母の仏前にお参りをした。叔母や従兄弟たちみんなが高齢化しているのを改めて感じる。午後、特急で日田から大分市に移動。すぐにホテルに入って、私が塾長を務める白藍塾のメンバーと合流。

大分市は私が小学5年生から高校3年生までを過ごした土地だ。とはいえ、この土地を離れて40年以上になるので、昔の名残はほとんどない。中心街で雰囲気が比較的変わっていないのは、トキハ付近と竹町商店街だけかもしれない。駅も建て替え中。

夜は、高校以来の友人と二人で食事をし、楽しい時間を過ごした。一慶という寿司店。とてもおいしかった。大分の魚を久しぶりに堪能した。

 23日。午前中から大分市内の岩田中学に白藍塾メンバーと赴いた。岩田中学・高校では白藍塾が小論文指導をサポートしている。その成果も上がり、岩田学園の出身者は論理力に優れ、さまざまなコンクールでも上位に入賞していると聞く。12歳の文学賞の大賞を昨年受賞し、そのほかさまざまな作文コンクールで上位入賞を果たしている工藤みのりさん(工藤さんは、白藍塾で作文の力をのばしてくれたのだった!)もこの中学に在籍している。

 岩田学園の先生方の研修と、中学2・3年生向けの講演を行った。とても気持ちよく話をすることができた。

 昼食は岩田学園の学食で取った。なかなかおいしかった。定食にうどんがついていた。味が似ていたのかもしれない。突然、大分大学付属小学校に通っていたころ、週に一回ほど、大学の学食で食べていた一杯15円の「すうどん」(関東で言う「かけうどん」のことを西日本では「すうどん」という)を思い出した。妙に懐かしい気持ちになった。

 仕事が終わった後、大慌てでタクシーとバスを乗り継いで大分空港に急いで、東京に向かった。

故郷といえる土地ではあるが、いろいろなことがあったので、大分に対しては愛憎半ばする気持ちを抱いている。帰路、ほかの都市に行った時とは別の感慨にひたった。

 

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山本裕康のバッハ無伴奏チェロ組曲2番・6番

 4月20日、九段下の寺島文庫ビルにある「みねるばの森カフェ」で、多摩大学樋口ゼミ主催の山本裕康のバッハ無伴奏チェロ組曲連続演奏の第二回、第2番・6番のコンサートを開いた。第一回にも勝る素晴らしい演奏。小さな空間だが、満員のお客さんが来てくれた。

 なんという人間味あふれるバッハだろう。バッハの無伴奏チェロ組曲は、演奏者の人柄がそのまま表れる。そこがこの曲の素晴らしさであり、恐ろしさでもある。山本さんの音楽はまさに正攻法で、虚飾もゆがみもない。真摯で生真面目で、やさしく率直。そして、その中に秘めた情熱がある。おずおずとだが、激しい情熱がふつふつとわきあがり、ひろがっていく。とりわけ、高音が続き、バッハにしては珍しく本気になって心の内を吐露しているような第6番の中に山本さんのそのような傾向が顕著だった。

 私は、山本さんのバッハは世界最高レベルの演奏だと思う。心の奥深くで感動している自分に気づく。

 

 進行はうちのゼミ生。ゼミ生がコンサートの挨拶をした。ちょっとトチって笑いを誘ったりする場面もあったが、それも愛嬌。しっかりとコンサートを運営してくれた。私のゼミでは、イベントの企画運営をすることで地域に貢献することを目指している。

 ともあれ素晴らしいコンサートだった。このようなコンサートを私たちのゼミで実現できて、こんなうれしいことはない。実に満足。

 あすは九州。今日はゆっくり寝て、疲れをとってから遠出したい。

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ゴムツィアコフの無伴奏チェロ、そして山本裕康リサイタルのこと

4月16日、大学でいくつかの打ち合わせを終えた後、都内に出て、また大学関係以外の仕事に関する三つの打ち合わせ。軽く食事を済ませて、武蔵野市民文化会館小ホールでパヴェル・ゴムツィアコフの無伴奏チェロ・リサイタルを聴いた。ゴムツィアコフは、1975年ロシアの生まれというから、まだ30代の若いチェリスト。ピリスとの共演でショパンのチェロソナタのCDを出している人なので、かなり期待した。曲目はバッハの無伴奏曲4番、2番、6番。

 ただ残念ながら、私の好みではなかった。というか、演奏者が何をしたいのか、よくわからなかった。頭の中が仕事でいっぱいだったせいかもしれない。

 まったく音楽に乗れなかった。バッハの無伴奏の演奏には「楷書体」と「草書体」があるとよくいわれる。私はその幅の中のどの地点で演奏されるかを楽しみ、その個性に感動したり、共感したり、違和感を覚えたりする。だが、私は、このチェリストがどのような立ち位置でどのような音楽を作ろうとしているのか、最後まで見えなかった。一つ一つの音にどのような意味づけがあるのかも、整理できなかった。しばしばかなり速いパッセージになるが、それも意味を理解できなかった。

ひょっとすると、そのように整理できる従来の演奏を否定しているのかもしれない。機会があったら、他の曲を聴いてみないと思った。

 今度の土曜日(4月20日)、九段下の寺島文庫1階の「みねるばの森カフェ」で、多摩大学樋口ゼミ主催の山本裕康によるバッハの無伴奏チェロ組曲リサイタルの第二回を開く。そこでも、第2番と6番が演奏される。

 前回、2月には第1番と5番が演奏された。このブログでも紹介したとおり、素晴らしい演奏だった。その素晴らしさのためもあって、今回はすでに満席になって、申し込みをお断りしている状況だ。私自身、演奏を聴くのをとても楽しみにしている。

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METライブビューイング「パルシファル」 期待以上の物凄さ!

 銀座の東劇でMETライブビューイング「パルシファル」を見てきた(私はふだん「パルファル」と呼ぶのだが、提供者側の表記に合わせる)。さすが、ニューヨーク・メトロポリタン。最高の才能を集めている。

 呼び物は何と言ってもパルシファルをうたうヨナス・カウフマン。これはもう歴代のパルシファル歌手を間違いなく凌駕すると思う。第二幕のクンドリとのキスの後の歌は言葉をなくすほどの迫真力。感動で身体が震えた。これぞ理想のパルシファル! アンフォルタスのペーター・マッテイも素晴らしい歌唱。グルネマンツのルネ・パーペ、クンドリのカタリーナ・ダライマン、クリングゾルのエフゲニ・ニキティン(これまで、ニキーチンと表記してきたかもしれない)も、本当に素晴らしい。それぞれの歌手が最高の歌唱を繰り広げる。

 第一幕は実はちょっと退屈だった。動きのない演出。バイロイトの演出のようにあれこれと意味不明なことをするわけではないので音楽に集中できるとはいえ、これで二時間は少しつらかった。歌手たちは抑え気味だったのかもしれない。が、第二幕からは、ぐいぐいと引き込まれていった。第三幕など、随所で感動に身を震わせた。ただ、4時間半かかるオペラなのに、完全な休憩は合計で25分くらいしかない。前日に上野の文化会館で「マイスタージンガー」を見たばかりということもあって、終わった時にはへとへと。

 指揮はダニエレ・ガッティ。いつの間にか、最高の「パルシファル」指揮者になっていた! もちろん、ドラマティックに押しまくるわけではない。精妙に、そして神秘的に。要所要所をジワリジワリと盛り上げる。ワーグナー特有の不思議な色気もあり、実にすばらしい。第一幕の間は私はあまり音楽に乗れなかったが、第二幕以降は音の表現に心を奪われた。

 演出はフランソワ・ジラール。近未来に時代設定をしている。モンサルヴァットの人々は黒いズボンに白いワイシャツという姿。第二幕は登場人物全員が、舞台上に張られた血の海で演技をする。登場人物たちの服は血で汚れる。血は業としての生命の象徴だろう。人間であるからには、性欲を持ち、生きる意欲を持ち、業にまみれながら生きるしかない。クンドリもクリングゾルもパルシファルも同じように業にまみれる。そのなかで、愚かで純粋なパルシファルだけが、業を理解しながらもそこから身を離すことができる。

 第三幕では、モンサルヴァットは廃墟のようになっている。まるで一幅の絵画のような情景。美術には詳しくないが、ゴヤの絵にこのような情景があったような気がする。ともかく、実に美しい。光に満たされて終わりを迎えるが、まだまだ暗雲が垂れこめている。希望を持ちながらも苦難があることを象徴しているのかもしれない。バイロイトの演出のように舞台上に「意味」が充満するわけではない。だが、舞台が実に美しく、しかもしっかりとメッセージを伝えている。これこそが、あるべき現代演出の一つの姿だと思った。

 手元には、注文していたヤノフスキ指揮のワーグナーのCDがどっさり届いている。が、すでにワーグナーで満腹気味。ヤノフスキのワーグナーを聴くのは、少し休憩してからにしよう。

 

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東京春祭「ニュルンベルクのマイスタージンガー」大いに感動

 4月7日、東京文化会館で東京春祭「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(コンサート形式)を見た。

 セバスティアン・ヴァイグレが指揮をし、ヴァルターをクラウス・フロリアン・フォークトが歌うということで、これは見逃すわけにはいかない。しかも、ポーグナーは昨年のバイロイトですばらしい声を聞かせてくれたギュンター・グロイスベック。

 で、実際に聴いて、期待通りの素晴らしさ。

 フォークトとグロイスベックと、ハンス・ザックスをうたったアラン・ヘルドに圧倒された! 現在、世界できける最高の三人だと思う。フォークトのヴァルターは2009年にバイロイトで聴いて以来。相変わらず、よく通る美声。ヘルデンテノールとしてはちょっと丁寧すぎるが、ヴァルターにはぴったり。グロイスベックは太くて美しい声。若い歌手だけに、これからの領主や王様の役に引っ張りだこになるだろう。ヘルドはしっかりとザックスの役を自分のものにして、自在に歌っていた。

 そのほか、ベックメッサーをうたったアドリアン・エレートは実に芸達者。コンサート形式なのに、小心者で猜疑心が強く、ねじれた性格のきわめて人間臭いベックメッサーを見事に演じていた。ダフィトのヨルグ・シュナイダー、エファのアンナ・ガブラー、マグダレーネのステラ・グリゴリアンも文句なし。マイスターを演じた日本人たちも堂々たるもの。

 第三幕の五重唱がとりわけ圧倒的だった。涙が出てきた(昨年のザルツブルク音楽祭のマーラー・ユーゲント・オーケストラのコンサートのアンコール曲は、「マイスタージンガー」からの一部分だとはわかったものの、こんなオーケストラ曲の場面があったっけ?と思っていたのだが、思い出した。この五重唱をオーケストラ版にしたものだった)。

 NHK交響楽団はさすが。とてもまとまりがよく、弦楽器も管楽器もとても美しい。ただ、ヴァイグレの指揮に関しては、それほど強い感銘は受けなかった。もちろん、悪いとは思わないし、第三幕ではかなりドラマティックに盛り上げていたが、全体的にはもう少し強い個性を発揮してほしいと思った。

 とはいえ、まさしく世界最高レベルの「マイスタージンガー」だった。ワーグナーの音楽を堪能した。

 録音だけで聴いていたころ、「マイスタージンガー」は決して好きではなかった。が、舞台を見るようになってから、だんだんとこの楽劇のよさがわかるようになってきた。実によくできた台本、素晴らしい音楽。ただ、字幕を見ながら、いろいろと疑問が生じてきた。発見もあった。が、あれこれと忙しいので、今回はそれについては書かない。

 ともあれ、今日はワーグナーの感動に浸ることができて、実に幸せ。

 

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おもしろかったCD ゲルギエフの「ワルキューレ」など

 時間を見つけては、合間合間に実はかなり大量にCDを聴いている。カーステレオやipodで聴くことも多い。素晴らしい演奏もいくつもあった。最近聞いておもしろかったものを3枚ほど書くことにする。

 

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「ワルキューレ」全曲 ヴァレリー・ゲルギエフ指揮、マリインスキー劇場

歌手たちは全員素晴らしいと思った。とりわけ、ジークムントのヨナス・カウフマンとブリュンヒルデのニーナ・シュテンメはほれぼれする。歴代最高レベルのジークムントとブリュンヒルデだと思う。カウフマンは高貴で知的で野性味もある。シュテンメは強靭な声なのに十分に女性的。そのように感じるのは単に容姿を知っているせいではあるまい。

ジークリンデのアーニャ・カンペ、フンディングのミハイル・ペトレンコ、ヴォータンのルネ・パーペ、フリッカのエカテリーナ・グバノヴァも、遜色ない。

ただ強い違和感を覚えるのは、ゲルギエフの指揮とオーケストラ。私はずぶの素人なので、具体的にどこが違うのかよくわからないのだが、どこか違う。私の好きなワーグナーではない。いや、2006年に日本で見たこの指揮者とオケによる「指環」全曲公演のときよりはずっとワーグナーらしい音になっていると思う。それなのに、音の重なり、うねり方、間(ま)などが微妙に私の求めるワーグナーと違って、いつもは感動する場面に差し掛かって、しかも歌手が最高の声で歌っているのに、私の心は盛り上がらない。スイッチが入らないというべきか。もちろん、随所にすばらしい音楽が鳴るのだが、違和感が先に立つ。

 結局、歌手の声に感嘆するだけで終わってしまった。

 

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ミア・パーション(ソプラノ)によるシューマン夫妻の歌曲集

 621日に、「TAMA女と男がともに生きるファスティバル」の一環として、多摩大学樋口ゼミにより、多摩市の関戸公民館ヴィータホールで女性作曲家を中心にしたコンサートを開く予定でいる。そのための予習として、クララ・シューマンやファニー・メンデルスゾーンの曲を集めて聴いている。ただし、CDショップに行っても見当たらず、ネットで注文してもなかなか届かないのが難点。とはいえ、聞いてみると、これがなかなかいい。

 その中でも素晴らしいと思ったのが、このパーションの歌曲集。「女の愛と生涯」も美しい声でしっかりとうたっている。そして、購入目的であったクララの歌も素晴らしい。注目すべき歌手だと思う。

 そのほか、女性作曲家の曲では、エベーヌ弦楽四重奏団によるファニー・メンデルスゾーンの弦楽四重奏もとてもチャーミング。バティアシュヴィリ(ヴァオリン)とアリス・紗良・オット(ピアノ)によるクララ・シューマンの3つのロマンスも素晴らしい(このCDのメインはティーレマンが指揮したブラームスのヴァイオリン協奏曲だが、これもなかなかいい)。

 

・笠松泰洋作曲 「メディア」 李明姫、飯田みち代、笠松康洋による演奏

 縁あって、今年の初めに、多摩大学樋口ゼミで、笠松さんと飯田みち代さんの小さなコンサートを企画支えていただいた。それで知って聞かせてもらったCD。蜷川幸雄演出の「メディア」の舞台音楽。複雑な音楽ではない。調性のある音楽(だと思う)。が、まったく古臭くなく、時代を超えた美しさがある。「ラクリモーザ」が李明姫による朝鮮歌唱法と飯田みち代による西洋歌唱法の両方で聴ける。どちらも大変すばらしい。名曲だと思う。

 

 今日はこれから京都に出かけて仕事。雨なので、少々億劫・・・。

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