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チェジュ島で考えたこと

 済州平和フォーラムを終え、昨晩帰国。

フォーラムの会場は、済州島(チェジュ島)のヘビーチホテル(Haevichi Hotel)だった。昨日は、多摩大学の学生と教員を中心とする日本訪問団は、午前中にバスで出発し、観光がてら空港に向かった。まずはホテルの近くにある民俗村を観光。NHKで放映されていた韓国歴史ドラマ「チャングムの誓い」の撮影場所にもなったところだった。昼食を終えて、次に城山日出峰(ソンサンイルチュルボン)へ。2007年に世界自然遺産に登録された岩山。10万年前に海底噴火によってできたい火山で、海に突き出している。高さ90メートルで、30分ほどで登れるということで、私も挑戦してみたが、普段の運動不足を痛感して、途中で断念。多くの訪問団メンバーは頂上までいったようだった。諸橋副学長もその一人。その体力に感服。

その後、上りに見えるのに実は下り坂だという「おばけ道」(見た位置がよくなかったのか、私にはどこがどう「おばけ」なのかよくわからなかった)を経て空港へ。そのまま無事、帰国した。

済州平和フォーラムについての感想を付け加えておく。

私は22人の多摩大学の学生の引率をしつつ、自分の見聞を広め、観光も楽しもうと思ってこの済州平和フォーラムに参加した。

多摩大学の学生は予想以上にフォーラムにきちんと参加し、ノートをとり、そこから何かを得ようとしたようだ。学生も東アジアの平和と繁栄を考える手がかりになったはずだ。鳩山元総理や下村文部科学大臣と話をしたり、写真を撮ったりという経験は社会に目を開く機会としても大事だろう。成果は大いにあった。

 

そんな中、私が個人的に強く感じたことがある。それについて記しておく。

私はずっと前から、自由貿易か保護貿易か、グローバル化を推進するか、国家の枠組みを残すかという点について、態度を決めかねていた。これらについて書かれた本は、まったくの素人でありながらももちろん何冊も読んでいた。そして、グローバル化は危険が多いとは思っていた。だが、自由貿易主義にも一理ある。とりあえず、保留にしておきたいと考えていた。

そして、あるセッションに参加した。まさにそうしたことが問題になっていた。これまで文章で読むだけだった主張を目の前で実際に人間の口によって語られるのをはじめて目にした。

7、8人のパネラーだった。中国、カンボジア、ベトナム、タイ、韓国などを国籍にする人々(日本人は参加していなかった)が、自由貿易か保護貿易か、グローバル化を推進するか、国家の枠組みを残すべきかについて語っていた。使われている言語は英語。イヤホンでの同時通訳がついた。

一人を除いて、自由貿易を強く推進し保護貿易を批判していた。

 語られている内容については、どちらにも一理ある。だが、語っている人については、私は、保護貿易の必要性を語り、グローバル化の危険を示そうとする人に強い共感を覚えた。逆に、反対派の人に強い違和感を覚えた。

保護貿易を唱える人は、少しためらいながら、間を置きながら、グローバル化が弱い国、弱い人々にとって一層事態を悪くすることにつながる、理念はよいにしてもそう急に進めるべきではないと語っていた。

ところが、自由貿易を強く主張する人々は、そろいもそろって全員が、会場全体を圧倒するような大声で機関銃のようにまくし立て、まさしく立て板に水というのか、口角泡を飛ばすというのか、ものすごい勢いでしゃべりまくる。すさまじい自己主張ぶり。確か10分ほどで語ってほしいという依頼だったと思うが、一人が15分から20分以上ほど、1秒の間が空くこともなく言葉を発した。どういう頭をしていれば、母語でないはずの英語、しかも専門用語にあふれた高度な内容の言葉がこれほど次から次に口から出てくるのか、その知能の高さに驚嘆するばかりだった。そのうえ、そろいもそろって自信たっぷり。

これを見ながら、自由競争を主張する人たちは、このような人たちだったのかという思いを強めた。自らが競争に勝ち抜き、相手を圧倒し、弱者を踏みつけてきた人たち。とてつもなく優秀で、弱者の存在に目がいかず、強者が勝てば弱者も潤うはずであると信じている人たち。

現実にこのような人を目の前にすることによって、私は絶対にこの人と同じ立場には立ちたくないと思った。このような人たちの理想の社会が私にとって住みやすい社会であるはずがないと思った。どちらが正しいかは私はまったくの専門外であるから、わからない。だが、彼らが主張するような社会になることを、私は断固として阻止するべき立場に立つしかないと思った。

私は講演はあまり好まない。パネルディスカッションも好きではない。そんなものを聞くよりは、講演者、パネラーの本を読むほうが正確に深く理解できる。そう思っている。だが、今回、パネルディスカッションを聞いて、文章ではわからないことがわかった。

あまりに素人じみてはいるが、これが今回の平和フォーラムに出席して、私が得た最も大きな収穫だった。

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コメント

パネルディスカッションの様子、目に見えるようです。なるほど、そうなのかと、よくわかりました。新聞などの報道ではわからない現実ですね。ありがとうございました。

投稿: Eno | 2013年6月 4日 (火) 22時29分

貿易というのも一種の投資のひとつと考えると、先に出てきました投資家の方と、結果よったりの人たちということがいえると思います。

自由競争というのはようするに力勝負と情報の勝負です。ですがこれはひとつ度を超すと、それこそイナゴの大群が穀物地帯を襲うのと大差のない状況を引き起こす危険性もあります。そのとき自由貿易という名で資源が枯渇し国土が荒廃、そして国民の中でそのことにより憎しみ合うような構図ができる可能性もあります。もちろん自由貿易にも長所はふんだんにあるでしょうが、あまりにもそういう短所から目を背けたりする動きには、けっきょくのところ自分たちへの利権の誘導、そして投資とその回収と利益の確保というものに対する飽くなき欲求というものを強く感じさせられるものがあります。

平和フォーラムですか…。何か投資無き平和など存在しないというこを念押ししたような内容に感じられてしまいます。ある意味、それはそれでひとつの真理なのかもしれませんが。

投稿: かきのたね | 2013年6月 4日 (火) 22時41分

Eno様
コメント、ありがとうございます。
本当に凄まじいパネルディスカッションでした。「こんな頭のいい人にはなりたくないな」と、生まれて初めて思いました。

投稿: 樋口裕一 | 2013年6月 5日 (水) 23時51分

かきのたね様
コメント、ありがとうございました。
「平和と繁栄を考える」フォーラムだったのですが、「自由と平等」とおなじように、「平和と繁栄」もまた、対立概念ではないのかとふと思ったりしました。繁栄が闘争や搾取とは結びつかず、平和に結びつくというのは、なかなか難しいことのように思います。

投稿: 樋口裕一 | 2013年6月 5日 (水) 23時54分

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