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日生劇場50周年公演「フィデリオ」 飯守泰次郎の指揮に感動

 1124日、日生劇場50周年記念公演「フィデリオ」を見た。指揮は飯守泰次郎。演出は三浦安浩。新日フィル。

 序曲が始まってすぐにオケの精度に不満を覚えたが、それはベルリンフィルを聴いた直後だったせいのようだ。やはり、ベルリンフィルと比べると、かなり分が悪い。

歌手については、私はマルツェリーネを歌った三宅理恵とフロレスタンを歌った今尾滋にかなり惹かれた。三宅は実に可憐。最初のうちこそやや声が上ずっていた(皇太子殿下が来られていたので、ふだん以上に緊張したのだろうか)が、すぐに立て直して、伸びのある声で歌ってくれた。今尾は、ちょっと歌が一本調子の気がするが、素晴らしい美声で音程もしっかりしていて、じつにいい。レオノーレの並河寿美、ヤキーノの升島唯博、ロッコの斉木健詞、ドン・ピツァロの須藤慎吾はとても安定した歌唱だった。

 何よりも素晴らしかったのは、飯守泰次郎の指揮。第2幕は特によかった。レオノーレ第3番に至っては魂が震えた。実にドラマティック。苦悩から歓喜へというベートーヴェンのモットーが鮮明に描かれる。考えてみると、きわめて知的で論理的な展開。私はあちこちに様々な発見させてもらった。なるほど、そのような作りになっていたのかと、何度か思った。だが、飯守の指揮は、音楽が自然にうねり、根底に明確なドラマティズムがあるので、知的すぎることはないし、あざとい感じもしない。本当の音楽が心の奥底に刺さってくる。これこそベートーヴェンだと思った。本当に素晴らしい指揮者だとつくづく思う。

 演出については、ちょっと図式的すぎる気がするが、なかなかおもしろかった。

序曲の場面からしばしば雨が降っている。ドン・ピツァロは傘を持っている。雨というのは、世界が抱える苦悩を意味するだろう。政治的な大事件や自然災害も含まれるかもしれない。傘は権力を象徴する。レオノーレやフロレスタンや囚人たちはまともに雨にあたっているのに、権力者のドン・ピツァロは傘を持ち歩き、ひとり世界の苦悩から逃れている。ドン・ピツァロは傘を持って黙役の女性カメラマンを捕え、言論の自由を弾圧する。そして、第2幕でピツァロが権力を失うと、傘もロッコから取り上げられる。

最後、フロレスタンとレオノーレが解放され、囚人たちも自由になると、雨があがって晴れ渡る。だが、またも雨が降り出す。しかし、今度はすぐに虹が出る。女性カメラマンが再び現れるが、ロッコがカメラマンに傘をさしかけている。

これからも民衆が弾圧されるような政治的な苦悩の時代が来るかもしれない。が、報道の自由が確保され、民衆がしっかりしているかぎり、雨は上がるだろうというメッセージ。ちょっとわかりやすすぎるメッセージだが、このオペラをこのように寓話的に扱うのも、とてもおもしろいと思う。確かにそのような要素がこのオペラにはある。

そして、このような演出から浮かび上がるのは、「苦悩から歓喜へ」というメッセージだ。この演出は、それを「雨から晴れへ」あるいは、「傘のない雨から、傘を持った雨へ」と言い換えたものといっていいだろう。

近年、日本人の演奏するオペラを見るごとに、世界に引けを取らない上演になっていることを痛感する。オペラファンとしてはうれしい限りだ。

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