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エド・デ・ワールト指揮、N響の「第九」

 12月26日、サントリーホールでエド・デ・ワールト指揮、NHK交響楽団の「第九」を聴いた。簡単に感想を書いておく。

第九の前にバッハのトッカータとフーガ ニ短調などのオルガン曲が勝山雅世によって演奏された。演奏した勝山さんには申し訳ないけれど、私にはよくわからなかった。もしかしたら、トッカータとフーガ ニ短調を生のオルガンで聞くのは初めてかもしれない。偽作説のある曲だが、これを聴きながら、「これは絶対にバッハの曲ではないな」と思った。演奏のためかもしれないが、バッハらしくなかった。なんだかよくわからないまま3曲が終わった。

第九については、見事な演奏といって間違いないだろう。細部に至るまでしっかりと神経が行き届いており、緻密に構成され、音も美しい。私は右前のほうの席だったが、コントラバスの音が大きく聞こえた。低弦に至るまでしっかりとコントロールされていると思った。第二楽章は躍動し、第3楽章は最高に美しい。第四楽章も素晴らしい。甲斐栄次郎、望月哲也、加納悦子、中村恵理のいずれもしっかりと声が出て、文句なし。国立音楽大学の合唱もとてもいい。女性の声が大きく聞こえ、男性の声が届かない傾向があったが、それほど気になるほどではなかった。

とはいえ、とてもよくまとまり、しっかりと構築された第九というだけで終わっている感じがした。もちろん、素晴らしいところはたくさんある。が、突きぬけてこなかった。先日のデニス・ラッセル・デイヴィス指揮の読売日響のような「けれんみ」はもちろんなく、昨年のヤンソンス+バイエルンのチクルスの時ほどの奇跡的な完成度ではなく、「とてもよかった」という印象で終わってしまった。最後も大きく盛り上がりはするし、その音楽の運びは素晴らしいのだが、あくまでも理性的で爆発しない。もう少し爆発してほしいのだが、理性の側にとどまっている。

 実は、エド・デ・ワールトの実演は初めて聴いた。リヒャルト・シュトラウスのCDなどからもっとロマンティックな演奏をする指揮者だと思っていたのだが、意外とたんぱくだったという印象を持った。機会を見つけて、また聴いてみたいものだ。

  24日に大学院時代の恩師である渡辺一民先生の通夜に出席し、恩師とのあれこれの出来事を思い出すうち、重苦しい気分に陥り、そのまま重苦しさから抜け切れずにいた。25日には大学で仕事をし、気が紛れたと思って家に帰ったのだったが、また重苦しい気分に戻った。今日(26日)、第九を聴いて、やっと振り切れたように思う。これが、第九の「効用」なのかもしれない。

 

 

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多摩大でのクリスマスコンサート 見事な演奏

 12月23日、多摩大学経営情報学部101教室で、樋口ゼミ主催のクリスマスコンサートが行われた。演奏は山口豊(ヴァイオリン)と大石啓(ピアノ)。

 山口君は、1年で中退して歯科医の道に進んだが、かつての多摩大生。現在はアマチュアのヴァイオリニストとして活躍している。今でも多摩大に愛着を持ってくれているようなので、ぜひ多摩大学で演奏会をしたいと考えていたが、今回実現した。

 曲目は「愛のあいさつ」(エルガー)、「シャコンヌ」(バッハ)、「月の光」(ドビュッシー)、「英雄ポロネーズ」(ショパン)、「アリア」(バッハ)、「アメイジング・グレース」「ツィゴイネルワイゼン」(サラサーテ)、アンコールとして「チャルダーシュ」(モンティ)と 「きよしこの夜」

 初めは少しぎこちなかった。「シャコンヌ」はヴァイオリンのソロ曲の最高峰だが、この演奏は至難の業。名を成したヴァイオリニストでもしばしば破綻する。山口君は、果敢にこれに挑戦して、しっかりと自分の音楽にしていた。多少の失敗もあり、音程が外れたところもあったが、すぐに立て直し、音楽を再構築する。むしろその点に驚嘆。もしかしたら、聴いていた人の中には、この曲の難しさを知らずに不満を持った人がいたかもしれないが、アマチュアでこれほど弾けるのは驚異としか言いようがない。

 しかも徐々に調子が上がり、「ツィゴイネルワイゼン」やアンコールの「チャルダーシュ」は、プロとして十分に通用する素晴らしい演奏。ダイナミックで力感にあふれる。

 ピアノの大石さんも、ソフトで繊細なタッチで実にすばらしい。「月の光」の響きは本当に素晴らしい。「英雄ポロネーズ」も繊細な中にも情熱的な面を見せ、まさしくショパンらしい精神を聴かせてくれた。二人の音楽性の違いが面白い。互いに補い合ってしっかりした音楽を作っている。

 もちろん、世界の超一流の演奏に比べれば、弱点はたくさんある。だが、これだけの演奏を生で大学内で、しかも無料で聴けるというのは実にうれしいことだ。多くの学生が多摩大の先輩の演奏を聴いたことにも意味があると思う。

 ゼミ生にはいくつも課題はあるが、ともあれ、私は今回のコンサートは大成功だったと思う。

 これで、今年の授業はすべて終わった。あと数日、学務で大学に行く必要があるが、これからはしばらくの間、基本的に家で原稿を書く仕事が中心になる。

 

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最近聴いたCD そして恩師の訃報

 

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ヤノフスキ指揮 「神々の黄昏」

 

 最近聴いたCDのうち、印象に残ったものについていくつか感想を書く。

 かなり期待して、ヤノフスキ指揮、ベルリン放送交響楽団による「神々の黄昏」のCDを聴いた。序幕の三人のノルンが歌う部分は最高に素晴らしい。見通しの良い大宇宙を思わせるような深くてスケールの大きな音。少しも濁りがなく、しかも深い。だが、わくわくするうち、ペトラ・ラングの歌うブリュンヒルデが登場し、そのあとランス・ライアンの歌うジークフリートが歌い始めて、私としてはかなり失望した。

「ジークフリート」のブリュンヒルデはウルマナが歌っていたので、「神々の黄昏」もウルマナのつもりでいたら、ラングだった。ラングのブリュンヒルデはかなりコンディションが良くないのか、それともこのような歌い方をするのか、音がとても不安定に私には聞こえる。これまで、実演や録音でペトラ・ラングの歌を聞いた記憶はあるのだが、悪い印象はなかった。ところが、今回の歌は私としてはかなり聴くのがつらい。

ライアンのジークフリートは、ラング以上につらさを感じた。ジークフリートとブリュンヒルデの二人の主役が、決して美しいとは言えない声で、苦しげにあやしい音程で歌っていると私には感じられる。これを評価する人がいるのがどうしても私には信じられない。

 二人の主役を除けば、実にすばらしい。ハーゲンはマッティ・サルミネン。先日、BSで放送された今年のザルツブルク音楽祭の「ドン・カルロ」にも出演していた。往年の凄みは影をひそめたが、相変わらず深くて迫力のある声を聴かせてくれる。そして何よりも指揮がいい。ジークフリートの葬送の部分も、じっくりと腰を据えて深々とした音楽を聴かせてくれる。

 二人の主役歌手さえほかの人でいてくれたらなあ・・というのが率直な感想。

 

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ネマニャ・ラドゥロヴィチ(ヴァイオリン) 「パガニーニ・ファンタジー」

 私が若手の最高のヴァイオリニストだと考えているネマニャの最新のCDで、パガニーニの曲を集めたもの。以前、フランスで購入した同僚から借りて聴いたときに、これについて書いた。自分のCDを入手して改めて聴いて、その素晴らしさを確認したので、再び感想を書きつける。

 私は何よりも、3曲納められたカプリース(5番・11番・24番)に魅力を感じる。音程のしっかりした細身のクリアな音。すがすがしいというのを超えて、音そのものは怜悧でもある。その音が大きなスケールで律動する。完璧なテクニック。一つ一つの音がこの上なく美しく、一点の濁りもない。情熱的なのだが、情熱によって音楽がゆがむことはない。メリハリが大きくジプシー風の表現なのだが、そこにしっかりした論理がある。息をのむ演奏といえるだろう。

 大植英次指揮のRAI国立交響楽団が伴奏をするパガニーニの協奏曲第1番も、素晴らしい。振幅の大きな演奏で、ネマニャと大植の息もぴったり合っているのを感じる。私は、パガニーニの曲はアルヴァトーレ・アッカルドがデュトワ指揮ロンドン・フィルと共演したCDしか持っていない(アッカルドのパガニーニは、その昔、昭和女子大人見記念講堂で聴いた記憶がある)が、それと比べると、まるで別の曲のような印象を受ける。もっとずっと力感にあふれ鋭く切り込む。ヴァイオリンのテクニックは冴えわたっているが、曲全体としては平板な印象のあるパガニーニの音楽が、がぜん生き生きとして流動し、すきあらば攻撃してくるような龍に変貌した印象を持つ。

 これを聴くと、ネマニャにカプリースの全曲、そしてパガニーニの協奏曲全曲の録音をしてほしいとつくづく思う。いや、その前に、バッハとイザイとバルトークの無伴奏の全曲、そして正統派の大作曲家たちのソナタや協奏曲の録音をしてほしい。 

 ここまで書いて、朝刊に目を通して愕然。大学院時代の恩師・渡辺一民先生の訃報が出ていた。私はもともと地道な「研究」などにはまったく向かない人間であり、先生の指導にも逆らうばかりだった。それでも渡辺先生は期待をかけてくださり、連絡を取るごとに、「君は本来、文学研究をするべき人間だ。つまらない本ばかり書いていないで、本来の文学研究をしろ」というお叱りをいただいていたが、それも私は裏切ってばかりだった。生涯の恩師であった米川良夫先生もすでに亡く、私を叱ってくれる人はいなくなってしまった。合掌。

 

 

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デニス・ラッセル・デイヴィス+読響の第九、第4楽章に特に感動

 12月19日、サントリー大ホールで、読売日本交響楽団の第九を聴いた。指揮はデニス・ラッセル・デイヴィス。素晴らしかった。

 きわめて個性的な演奏。低弦が強いために、どっしりした音楽になっているが、けれんみたっぷり。しばしば煽り、ドラマティックな効果を出そうとする。ヤンソンスなどの正統派とはまったく異なるアプローチ。まるでゴシック様式の建物を思わせるような音楽だと思う。ポリフォニックに音を構築し、骨太な線でがっちりと描いていく。繊細さには少し欠ける(そのため、私は第3楽章には少しだけ不満を抱いた)が、ほかの楽章はスケールの大きな目を見張るような世界を作り上げる。自然な雰囲気ではないが、それはそれできわめて構築的。オーケストラも指揮にしっかりついて実にしっかりとした音を出す。

 第4楽章は特にすばらしかった。テノールの独唱の後の音のうねりは圧倒的だった。まさしく祝祭。しかも、うわっついたところのない、苦悩を見えすえたうえでの歓喜。後半、ただただ興奮して音楽を味わっていた。

 歌手たちが素晴らしい。バリトンの与那城敬は世界の大歌手に少しも引けを取らない堂々たる歌唱だと思う。風格のある美声でホール全体をひきつける。テノールの高橋淳も劣らず素晴らしい。張りのある強い声がこの曲にぴったり。この難しい歌を朗々と歌いきる力は世界でも有数だと思う。ソプラノの木下美穂子とメゾ・ソプラノの林美智子も現在の日本が誇る最高レベルの独唱陣だと思う。合唱は三澤洋史指揮の新国立劇場合唱団。これも見事。

 今年最初の第九。大満足。改めて、第九を聴く喜びをかみしめた。

 報道陣がたくさんいると思ったら、天皇・皇后両陛下が出てこられてびっくり。そのために、演奏者たちも気合が入っていたのかもしれない。第4楽章は、両陛下の前での演奏にふさわしい完全燃焼の音楽だった。

 

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23日に樋口ゼミ主催コンサート、そして最近聴いたCD「さまよえるオランダ人」のことなど

 12月23日、多摩大学経営情報学部101教室で、樋口ゼミ主催のクリスマス・コンサートを行う。入場料無料。外部の方も歓迎する。ぜひ多くの方においでいただきたい。

 演奏するのは、ヴァイオリンの山口豊、ピアノの大石啓。

山口豊君は、桐朋学園大学在学中に元ベルリンフィルのコンサートマスターに才能を絶賛された逸材で、一時期、多摩大学に在学し、現在、朝日大学歯学部在学中。数々のコンクールに上位入賞している。私も一度実演を聴いて、その実力に舌を巻いたことがある。これまで、カール・ズスケ氏、サシュコ・ガヴリロフ氏、岩崎淑氏、岩崎洸氏とも共演している。

 大石啓氏は、岩崎淑氏、ルース・スレンチェンスカ氏に師事し、数々のコンクールに上位入賞したピアニストで、海外の音楽祭にも参加している。

 曲目は、以下の通り。

・ エルガー 「愛のあいさつ」

・ バッハ 「シャコンヌ」

・ ドビュッシー 「月の光」(ベルガマスク組曲より)

・ ショパン 「英雄ポロネーズ」

・ バッハ 「アリア」

・ アメイジング・グレース

・ ツィゴイネルワイゼン

 

 12月23日は、天皇誕生日だが、多摩大学では通常通りの授業を行う。多摩大学経営情報学部は、聖蹟桜ヶ丘や永山駅からバスで15分ほどのところにある。

 

 ところで、急ぎの仕事を終え、AO入試・推薦入試もひと段落して、昨日からゆっくりしている。あえて自らに仕事をすることを禁じ、録りためたテレビドラマの録画を見たり、音楽CDを聴いたり、落語のDVDを見たり(必要のために見ている。近日中に落語DVDについても書く予定)して、2日間を過ごした。

 ただ、今日は、PCCドライブが容量いっぱいになったために、CドライブにあったiTunesのファイルをDドライブに移動させたところ、プレイリストが消えてしまい、その復元のために、あれこれと試してみたり、サポートセンターに電話をして聞いたりして、午後いっぱいを使ってしまった。しかも、プレイリストは復元できなかった。ふだん外出時にはiPadを愛用しているので、これはじつに困る。近日中に何とか手を打たないと・・・。

 ともあれ、聴いたCDについて簡単な感想を書き記しておく。

 

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さまよえるオランダ人など

 ルーヴル宮音楽隊をマルク・ミンコフスキが指揮した不思議なCD。4枚組で2つのオペラが含まれていて、1つはワーグナーの「さまよえるオランダ人」の初稿版、もう1つはピエール・ルイ・ディーチュというほぼワーグナーと同時代の作曲家の「幽霊船」。「さまよえるオランダ人」はフランスでは「幽霊船」という名前で知られているので、このフランスの会社のCDは2つの「幽霊船」のオペラを収録したということだろう。

 ワーグナーの伝記には、「さまよえるオランダ人」の作曲当時、よく似た題材の「幽霊船」が先に上演されたためにワーグナーが困ったという話が出てくる。まさか、そのオペラを今になって聴けるとは思わなかった。昨年、ザルツブルク音楽祭で「魔笛」の続編としてヴィンターという作曲家の作曲した「迷宮」を見たが、それと同じようなものだ。

 まず、「さまよえるオランダ人」だが、これはミンコフスキらしくきびきびしてエネルギッシュな演奏なのだが、それがデモーニッシュな雰囲気を出して、実に初期のワーグナーにふさわしい。すさまじい推進力でぐいぐいと聴き手をひきつける。ただ、かつてのトスカニーニがそうであったように、そのような音楽が2時間を超して続けられると、ちょっと一本調子を感じないでもない。舞台を見ていれば気にならないのだろうが、CDを聴いていると、もう少し別の雰囲気がほしい気になった。

 初稿版ということで、あちこちで覚えのないメロディ、聞きなれているのとは異なるオーケストレーションが出てくる。とりわけ、最後の音はかなり衝撃的。

歌手はそろっている。オランダ人のエフゲニー・ニキーチンとゼンタのインゲラ・ブリンベリが素晴らしい。ドナルト(ダーラントという名前ではない!)のミカ・カレス、ゲオルク(エリックではない!)のエリック・カトラーも見事。全体的には実にすばらしい演奏。「さまよえるオランダ人」は、なぜか名盤が少ないが、これは名盤の一つと言えるだろう。

ディーチュ作曲の「幽霊船」については、かなり他愛のない曲。ワーグナーのあとで聴くと、同じテーマを扱っているとは思えないほど軽い。歌手がフランス語だということもあるが、のどかで抒情的な雰囲気が漂う。

とはいえ、それなりには楽しめる。マニュス(エリックに当たる人物)のアリアもミンナ(ゼンタに当たる)のアリアも、軽やかでとてもおもしろい。ワーグナーに比べると、トロイル(オランダ人に当たる)もバルロー(ダーラントに当たる)も毒気なく、実にのんきに歌っているように思える。逆にいえば、それほどワーグナーはドラマにあふれているということだろう。こちらも、ワーグナーに比べるとリリック名声の歌手たちで占められているが、こちらもよくそろっている。

 

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・ベスト・オブ・ディドナート

 メトロポリタン歌劇場などで大活躍中のジョイス・ディドナートのアリア集。いくつかのCDや放送を聞いたところあまりにすばらしいので、彼女の名演奏を集めたCDを購入してみた。ヘンデル、モーツァルト、ロッシーニなどの得意な曲が中心。ディドナートの声の威力に圧倒される。強くて明晰で、明るく、しかも迫力のあるメゾの声。表現力も豊かで、心を打たれる。久しぶりに表れた大型メゾ・ソプラノだ。

 とりわけ、ネゼ=セガンの指揮で歌う「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・エルヴィラの凄さには、全曲盤のCDで知っていたが、あらためて圧倒された。それともうひとつ、大野和士指揮のリヨン国立歌劇場で歌う「ナクソス島のアリアドネ」の「作曲家」にも驚嘆した。この二つの曲は指揮も実にすばらしい。

 

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・ヤノフスキ指揮 ベルリン放送交響楽団「ジークフリート」

 かなり前に購入していたが、夏休み中からずっと大学の仕事が忙しくて、ゆっくりと聞く時間が取れなかった。やっと精神的な余裕ができて、CDを手に取った。

 ヤノフスキの指揮とオーケストラに関しては、予想にたがわぬ素晴らしさ。きびきびしているばかりか、十分におどろおどろしさもあって、ぐいぐいと引き込まれる。スケールが大きく、しかも焦点がびしっとあった音楽とでもいうか。音の一つ一つの神経が行き届いている。CDの音質も最高。

 ただ、私はどうもジークフリートを歌うランス・ライアンと相性が良くない。以前にCDや映像で聴いたものよりはかなり良くなっているとは思うのだが、それでも私にはこの声はジークフリートにふさわしいとは思えない。ドイツ語を解さない私は時々ミーメと聞きわけができなくなる。しかも、歌い回しが雑に感じるし、しばしば苦しげな声になる。音程もときどきあやしくなるように思うのだが、私の気のせいだろうか。

 そんなわけで、私としては、ライアンの登場しない場面はぞくぞくするほどの感動を覚えながら聞いた。ジークフリート登場前の第二幕の森の場面の凄みには魂が震えた。ブリュンヒルデを歌うのは、ヴィオレータ・ウルマナ。しっかりした声でとてもいい。「神々の黄昏」が楽しみだ。これについては、あす以降に聴く予定。

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ポール・メイエ+アルティ弦楽四重奏団 期待ほどの感動はしなかった

 12月11日、文京シビックホールで、ポール・メイエのクラリネットとアルティ弦楽四重奏団によるモーツァルトとブラームスのクラリネット五重奏曲を聴いた。

 モーツァルトとブラームスのクラリネット五重奏曲は私の大好きな曲だ。それに、メイエの演奏するブラームスの五重奏曲は、ナントのラ・フォル・ジュルネでモディリアニ弦楽四重奏団の伴奏で聴いて心の底から感激した記憶がある。同じような感動を味わえるのではないかと期待して、会場に赴いた。

 結論からいえば、期待ほどの感動は得られなかった。

 もちろん、すばらしい演奏だと言える。メイエの演奏についてはまったく文句なし。何よりクラリネットの音が美しい。輪郭がはっきりしていて、明晰で知的でしかも十分にロマンティック。凛としたメロディがクラリネットによって響き渡る。そして、もちろん、日本の弦楽器の名手を集めたアルティ弦楽四重奏団も悪かろうはずがない。美しい音。破綻などまったくなく、自然に音楽が進んでいく。

 ただ、二つの曲でどんな音楽を作ろうとしているのかが、私には伝わってこなかった。このコンサートに気づいて購入したのが売り出しからかなりたってからだったため、1階の後ろから2列目の席しかなかったのも、そのひとつの原因かもしれない。私のところまでは、音と音の緊密な積み重ねによるひとつの世界の構築が聞こえてこない。クラリネットと弦楽器の間に遠慮のようなものがあるような気がした。そもそも二つの曲の雰囲気の違いも、十分に伝わらなかった。ナントでは、焦点のぴったり合った緻密な音に展開の中に濃密な陰りの世界が現れたのだったが、ブラームスの五重奏からそのようなものが浮かびあがらなかった。

 もしナントでのモディリアニ・カルテットとの演奏を聴いていなければ、これに満足したかも知れない。だが、同じような感動の再現はなかった。少し残念。逆にいえば、ナントでのあの時の演奏がことのほか素晴らしかったということだろう。

 それにしても、会場が満員で、しかも若い客が多いことに驚いた。どのような理由でこのようになっているのかわからないが、ともあれ、クラシックのコンサートで若い方や、初めてクラシックに触れるような方がたくさんおられるのはとてもうれしい。高齢者や音楽通と呼ばれる人たちばかり集まるコンサートに慣れていると、このようなコンサートがとても新鮮に感じられる。こちらのほうこそが本来のコンサートのあり方だと思った。

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METライブビューイング 「トスカ」 アラーニャとギャグニッザのすごさ

 このブログを読んでいただいている方はご存じだろう。私はプッチーニがどうも苦手だ。これまで一度も感動したことがない。歌手の声にゆすぶられることはたびたびあるが、音楽やドラマ性には、ついていけない。ただ、多少なりとプッチーニ嫌いを直さなければ、わざわざ音楽祭に行って、すばらしい歌手たちで聞いているのに、一人楽しめないことになってしまって、実に残念だ。昨年のザルツブルク音楽祭の「ラ・ボエーム」はまさにそうだった。そう思って、METライブビューイング「トスカ」を見に出かけた。

 さすがメトロポリタン。現在考えられる最高のキャストだろう。カヴァラドッシを歌うロベルト・アラーニャが圧倒的。伸びのある声、なりきった演技力、それより何より自在な歌い回し。ほれぼれした。スカルピアを歌ったジョージ・ギャグニッザも負けていない。ナポレオンを悪者にしたような風貌で、凄まじい迫力の悪を演じる。声の威力が素晴らしい。この人の名前は初めて知ったが、これからが楽しみ。ドン・ピツァロやハーゲンなどのドイツオペラの悪漢もどしどし歌ってほしいものだ。

 二人に比べると、トスカを歌ったパトリシア・ラセットはちょっと弱い。誇り高くもけなげなトスカにしては少し地味な感が否めない。だが、十分に声は伸びドラマティックに歌っていた。ほかの歌手たちも最高にその役になりきっている。

 指揮のリッカルド・フリッツァについては、プッチーニにそれほどの馴染みのない私が語る資格はない。ただ、破綻するところはなく、しっかりと音楽を鳴らしていた。リュック・ボンディの演出はメトロポリタン・オペラらしい豪華で堅実で原作に寄り添ったもの。安心して見ていられる。

 で、プッチーニ嫌いが治ったかというと、それについては何とも言えない。まだまだ違和感を覚える。ほかの作曲家のように中に入り込めない。ただ、スカルピアという悪漢が登場するだけに、悪漢好き(「リング」の登場人物の中で最も愛するのは、ブリュンヒルデとハーゲンであり、モーツァルトのオペラの中で最も好きな人物はドン・ジョヴァンニ。ほかに夜の女王、ドン・ピツァロも大好きだ)の私として、「ラ・ボエーム」や「蝶々夫人」よりも、ずっとなじみやすい。十分に楽しんだ。

 幕の途中、元気を回復したレヴァインが車椅子に乗って「ファルスタッフ」のリハーサルをしている場面やテレビでのインタビューが流された。元気そうなレヴァインの姿がみられて実にうれしい。

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新国立「ホフマン物語」、その後、ワーグナー協会例会

 12月7日、新国立劇場にて「ホフマン物語」を見た。素晴らしい上演だった。

 何よりもフィリップ・アルローの演出が美しい。色鮮やかでわかりやすく、実に楽しい。しかも、ホフマンの悲劇性もしっかりと描いている。かつて同じ演出を見たはずだが、よく覚えていない(ちょっと、記憶力に自信をなくした・・・・)。

 私はオッフェンバックは大好きなのだが、好きなのは不真面目なオペレッタのほうで、「ホフマン物語」には実はあまり深い思い入れはない。とても楽しいオペラであるし、機会があるごとに見ているが、過去にレコードやCDで繰り返し聴いたという経験はない。だからもちろん、ふだん以上に、演奏について論評できる立場にはない。

 歌手は全体的に大変充実していた。とりわけ素晴らしかったのは、リンドルフなどを歌ったマーク・S・ドス。張りのあるバスで悪役を見事に演じている。実に存在感がある。ホフマンのアルトゥーロ・チャコン=クルスもニコラウスのアンジェラ・ブラウアーもよく通る声でしっかりと歌っていた。

 三人のヒロインは全員が日本人の女性歌手。特にオランピアの幸田浩子に私は惹かれた。外国人勢にまったく遜色がない。声が美しく、役柄通りに機械的で躍動感がある。難しい役だと思うが、見事に演じていた。アントニアの浜田理恵もしっとりとした声で切々とした情緒を出していた。ジュリエッタの横山恵子もよく声が出ていたが、どうも私の耳にはフランス語らしく聞こえない気がした。声域のせいなのだろうか。アントニアの母やステッラと歌った山下牧子も、少ない出番ではもったいないくらいの素晴らしさ。ルーテルの大澤建、スパランツァーニの柴山昌宣も遜色なし。

 とりわけ素晴らしかったのが、フランツなどを歌った高橋淳。アクの強い歌を歌わせたら、日本にはこの人にかなう人はいないと思う。日本人離れした強い声とコミカルな演技はこのオペラを断然光るものにしている。久しぶりに高橋さんの声を聞けて、実にうれしかった。

 指揮はフレデリック・シャスラン。とてもよい指揮だと思った。盛り上げるところは盛り上げ、美しく仕上げている。新国立劇場合唱団も相変わらず見事だし、東京フィルについても見事。特に不満はない。

満足のできる上演だった。

ただ、「ホフマン物語」は、完成させずにオッフェンバックが死んだために、さまざまな版があり、見るたびに細かいストーリーも音楽もエピソードの順番も異なる。だからこそ楽しめるともいえるが、このオペラに特に思い入れのない私としては、よくわからずに困る。

 

終演後、半蔵門駅近くの「いきいきプラザ一番町」のカスケードホールで開かれた日本ワーグナー協会第351回例会の参加。私はワーグナー協会の会員ではない(過去に2度会員になったが、2度とも会費を払わずに退会になった)が、私の書いた「野球とワーグナー」というエッセイがワーグナー生誕200年記念のワーグナー協会賞エッセイ部門の一作に選ばれたので、授賞式に出席。その後、コンサート。田中三佐代さんと岸七美子のソプラノ、小栞寺美樹さんのピアノでシュトラウスやワーグナーの曲を。最前列で聞くとすごい迫力。大いに楽しめた。その後、ワーグナー教会の忘年会に出席。名前を知っているだけだった諸先生方、オペラの場などで顔をしばしばお見かけする方たちと歓談した。

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