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長尾洋史のベートーヴェンに魂が震えた

 1月30日、東京文化会館小ホールで長尾洋史のピアノリサイタルを聴いた。長尾さんは数年前に、ピアノ不感症だった私をピアノに導いてくれたピアニストだ。最近、少しずつピアノを聴くようになったのは、長尾さんのピアノの力を知ったからだった。その長尾さんがベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア」を演奏するとあっては聴かないわけにはいかない。

 曲目は前半にロンド ト長調作品51-2、幻想曲ト短調、エロイカ変奏曲。後半に「ハンマークラヴィーア」。期待通りの素晴らしい演奏。何度か魂が震えた。

 最初の曲、ロンドの途中からぐんぐんと調子に乗ってきた。幻想曲は絶品。一つ一つの音が透明で強靭。しかも、即興的な自由な曲想でありながら、完璧に統一がとれている。きわめて知的に音楽をコントロールしているのがよくわかる。だが、知性のコントロールの先に、言葉にならない強い精神がしばしばあらわれる。私はそこに感動する。これが長尾さんの音楽だと私は思う。「エロイカ変奏曲」も、15の変奏のすべてがいぶし銀のような生命にあふれ、抑制された中での魂の爆発が起こる。そこに精神の気高さのようなものが表れる。

 後半のハンマークラヴィーアも本当に素晴らしかった。長尾さんはがっしりと構築し、このとてつもない音楽を完璧に自分のものにしている。ただ、私は第二楽章で長尾さんが何をしたいのかよくわからなかった。とりわけ、最後の音は謎だった。この楽章を諧謔ととらえたのだろうか。これについては機会があったらご本人に聞いてみたい。

第3楽章は、虚飾や大袈裟な表現をなくしたところから出発している。表面的なロマンティズムやリリシズムは拒否している。厳しい音楽を厳しいままに描く。すると、魂の奥底に沈潜し、そこに本当に人生を味わったもののみの表現できるリリシズムが表れる。そして第4楽章の音の洪水のようなフーガ。この醍醐味も素晴らしい。ただ、残念ながら、ピアノを聴き始めて間もない私は、このすごさを表現するすべを知らない。

 こんな凄まじい演奏だったのに、客は満員というわけにはいかなかった。もっと多くの人に聴いてほしかった。

 本日、大学の期末試験監督が終わって、晴れて春休みに入った。まだまだ入学試験業務や来年度に向けての学務はあるが、ともあれ、少し楽になる。

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平林さんの通夜、そしてタヴェルナのリサイタル

 昨晩(1月27日)、大学院時代の先輩である平林和幸さんの通夜に参列した。武蔵大学の前学長のため、武蔵大学と平林家の合同祭ということで、多くの人が参列していた。昔から人望の厚い人だった。この多くの参列者は平林さんの人柄を示している。

数日前のブログにも書いたが、平林さんには大変お世話になった。早稲田一文の演劇科を卒業した後、たんに就職できず、行き先に困ってどうしようもないという理由で立教大学の大学院仏文科に入ったが、学部のころにフランス文学を学んだわけではなかったので、右も左もわからなかった。そこでもいろいろと教えてくれたのが平林さんだった。その後の長い不遇の時代にも、すでに武蔵大学の専任になっていた平林さんがあれこれと力づけてくれた。私の書いた論文や雑文を読んでもらって感想を聞いたのも一度や二度ではなかった。妻と結婚する前、最初に先輩として紹介したのも平林さんだった。その後、私がフランス語フランス文学から離れたために縁が遠くなってしまったのが、今になって悔やまれる。

焼香の後、涙にくれる奥様とお嬢様お二人、そしてお母様を見て胸が熱くなった。65歳というから、まだ若い。ご家族を残してこの世を去るのはどんなに無念だっただろう。

先生、先輩、同輩、そして後輩までが世を去っていく。歳をとるとはこういうことかと改めて思う。合掌。

 

本日(1月28日)、武蔵野市民文化会館でアレッサンドロ・タヴェルナのピアノリサイタルを聴いた。ごく若いピアニスト。目を見張るような鮮烈な演奏。

ヴェネツィアや水をイメージした曲を集めたリサイタル。前半には,メンデルスゾーンの無言歌「ヴェニスの舟歌」、ショパンの「ヴェニスの謝肉祭」、ラヴェルの「海原の小舟」、リストの「ヴェネツィアとナポリ」(「巡礼の年第2年「イタリア」補遺」。ラヴェルとリストが圧倒的にすばらしい。完璧なテクニック。浮ついたところのないしっかりと落ち着いた音で知的に構築する。揺らぐところがなく、しかも音が明確。スケールも大きく、大きく律動する。しかも、十分にロマンティック。情緒的にならないのに、きわめて知的な抒情性にあふれている。すごいピアニストだと思った。

後半はリストの「悲しみのゴンドラ」、ラヴェルの「水の戯れ」、そしてストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」から3曲。最後の曲が圧倒的だった。知的に、そして立体的に構築されていく雰囲気。論理的興奮を覚えた。

アンコール2曲。タヴェルナ自身が曲名を語った。最初の曲はドビュッシーのようだったが、ピアノ曲に疎い私の知らない曲だった。2曲目はジャズっぽい現代曲。

私は長い間、ピアノ曲はあまり聴かなかった。最近聴き始めたばかり。だから、実を言うと、まだよくわからない。が、タヴェルナの演奏はピアノ不感症の私の心にもビンビンと響くものだった。

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最近聴いたCD ユロフスキ「トリスタン」、ティーレマン「リング」。そして、先輩の訃報!

 最近聴いたCDを2組紹介する。2組といっても、枚数にすると15枚。

 

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「トリスタンとイゾルデ」 
2009年グラインドボーン

 指揮はウラディーミル・ユロフスキ。かなり個性的な演奏といってよいだろう。しばしばドラマティックに盛り上がる。これまでの指揮者では聞き覚えのない音が聞こえてくるところもかなりある。ハッとするところも多いのだが、肩に力が入りすぎている感じで、じっくりと落ち着いて聴けない。私がこのオペラで大好きな滔々と流れる音楽の中で官能が盛り上がり、心が揺れ動き、宇宙と一体化する魂の昇華が成し遂げられると・・・といった要素はあまり感じられない。ユロフスキは好きな指揮者の一人だが、「トリスタン」を振るのは早すぎるのではないかという印象を持った。

 トリスタンを歌うのはトルステン・ケルル。独特の声と歌い回し。余裕たっぷりの歌いっぷりがちょっと嫌みな感じがする。嫌いな歌手ではないのだが、私の抱くトリスタンのイメージと合わない。アニャ・カンペのイゾルデはきれいな声だが、余裕がなく、かなり苦しい。サラ・コノリーのブランゲーネ、アンジェイ・ドッベルのクルヴェナール、ゲオルク・ツェッペンフェルト のマルケ王はいずれもそろっている。

 実演で聴けばかなり感動すると思うが、CDで聴くと、それほど音楽に乗れなかった。

 

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「ニーベルングの指環」 ウィーン国立歌劇場 クリスティアン・ティーレマン(指揮)

 さすがティーレマンというべきか。まぎれもないワーグナーの世界を聴かせてくれる。じっくりと腰を据え、ためを作り、盛り上げるべきところを盛り上げる。ユロフスキの指揮する「トリスタン」の後にティーレマンを聴くとワーグナー指揮者としての力量の違いを感じざるを得ない。やっぱりワーグナーはこうじゃなくっちゃなと思う。

 歌手もそろっている。ブリュンヒルデは、「ワルキューレ」ではカタリーナ・ダライマンだが、「ジークフリート」と「神々の黄昏」はリンダ・ワトソン。ヴォータンはアルベルト・ドーメン、ジークフリートはステファン・グールド。いずれも現代最高のワーグナー歌いといえるだろう。ただ、グールドについては、2008年にバイロイトで聴いた時のような鮮烈な印象は受けなかった。

 ミーメを歌うのはヴォルフガング・シュミット。私が1997年に初めてバイロイトで「リング」を見たときにジークフリートを歌った歌手だが、ミーメのほうが声質に合っている。芸達者なミーメで、憎々しくてとてもいい。ジークリンデを歌うのはヴァルトラウト・マイヤー。今も歌っているのがうれしい。ちょっと声に年齢を感じないでもないが、相変わらずの迫力。エリック・ハーフヴァーソンがフンディングとハーゲンをうたっているが、これもなかなかいい。

 ただ、「ジークフリート」「神々の黄昏」にところどころ少し緊張感が薄れているような部分を感じたのだが、気のせいだったかもしれない。大学でくたびれる仕事をした後、ほかの仕事との間隙をぬって音楽を聴いているので、そのときの疲れ具合によって音楽が違って聞こえる。そのせいかもしれない。

 とはいえ、全体的にはワーグナーの深く豊かな世界に浸ることのできる素晴らしい演奏。

またも新聞で訃報を知った。

大学院時代の先輩で、前武蔵大学学長の平林和幸さん。不遇の時代、大変お世話になった。引越しの手伝いをしてくれたこともあった。先ごろ、共通の指導教授である渡辺一民先生が亡くなり、通夜に参列したが、平林さんがおられないのを不思議に思っていた。闘病中だとはまったく知らなかった。フランス文学の世界と離れてしまったため、かつての仲間たちと距離を置いていたうえに忙しくてずっと不義理を重ねてしまった。合掌。

 

 

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センター試験感想、そしてアバド訃報

 18・19日はセンター試験の監督業務を行った。経営情報学部の入試委員長という立場なので、責任者の一人として行動しなければならない。私は予備室を担当し、健康上などの理由で通常の教室で受験できなくなった受験生がいた場合のみ監督を行うことになっていた。それがなければ本部で待機し、何かが起こったら、責任者数人で話し合うことになっている。18日は途中から予備室使用に該当する受験生が現れたために、急遽、監督の仕事をした。19日は、最後まで出番なし。ずっと、何事もないことを祈りながら本部で待機していた。

 センター試験監督は大学教員にとって1年で最も大変な仕事といってよいだろう。ミスがあってはならないし、不公平があってはならないので、すべてをマニュアル通りに運営しなければならない。学生に向けての発言は一字一句定められており、それ以外のことを言ってはならない。してはならない。なにかあっても自分で判断できずに、前もって厚いマニュアルを読みこんでおいて、それを実行しなければならない。何かミスがあると、大学名が日本中で報道されることになる。

ときどき、頭の中で「万一こんなことが起こったら、どうするんだろう」というマニュアルに記載のない行動についての疑問がわいてくるが、考えれば考えるほど混乱してくる。結局、何も起こらないことを願うしかない。

 とりわけ、英語のリスニングの試験では、機材を受験生自身に操作してもらい、時に機材に故障があるので、とりわけ気を使う。しかも、監督中、音を出さないように細心の注意を払わなければならない。

 ふだん学生たちに「マニュアルに頼るな。自分で考え、自分で判断して行動しろ」と教えている人間としては、かなりつらい。

 リスニングの試験前には、監督者が「これから機材を配ります。まだ袋から出さないでください。…袋から出してください。…次に○○を差し込んでください。…これから、…をしてください・・・」という指示を出し、受験生はそれに従う。それに従わない受験生は試験を受けられない。日本中の試験場でそのようなことが行われている。

私としては、監督者も受験生もマニュアルに沿って一律的に行動する試験でよいのだろうかという疑問が頭をよぎる。なかには、「オレ、こんなことをするの、いやだよ」という受験生はいないのだろうか。芸術系の大学を受ける受験生もおとなしく従うのだろうか。それに従えない受験生はセンター試験を使用する大学に入学できないのだろうか。今のセンター試験は、そのような受験生を切り捨てて、おとなしくて従順なマニュアル的人間を大量生産しているように思えてならない。もっと多様な人間を認める試験にできないのか。

 かといって、現在文科省で考えられている形式のほうが今のセンター試験よりも良いかどうかとなると、それも問題だが。

 ともあれ、今年度のセンター試験も無事終わってほっとした。

 何をしたわけでもないのに疲れ切っていたので、昨日(20日)は、仕事は少しだけにして、ゆっくり休んだ。

夜になってファイスブックをのぞいているうち、テノール歌手の高橋淳さんの書き込みによってアバドが亡くなったことを知った。健康状態が悪いと聞いていたし、昨年の日本公演が中止になったので、もしかしたら深刻な状態ではないかとは思っていたのだったが、大変残念だ。偏愛した指揮者というわけではなかったので、実演は4回しか聴いていない。だが、いずれも素晴らしい演奏だった。とりわけ、最後に聴いたルツェルン祝祭管弦楽団によるブルックナーの交響曲第4番は最高の演奏だった。ポリーニとのブラームスの2番の協奏曲も凄かった。近年、私はドイツ系オペラ一辺倒をやめてイタリアオペラになじむようになったため、アバド指揮のロッシーニやヴェルディのオペラのCDを立て続けに聴いてみた。いずれも驚異的な演奏だった。もっと前にこれを聞いていればよかったとつくづく思っているところだった。合掌。

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METライブビューイング「ファルスタッフ」 楽しい人間賛歌

 1月14日、銀座の東劇でMETライブビューイング「ファルスタッフ」を見た。

 休養していたジェイムズ・レヴァイン復帰の第一作。車椅子に乗っての指揮。メトロポリタン歌劇場だから、よくないわけがない。歌手たちの力量は最高。このオペラには最高度の演技力も要求されるが、それも見事。最高に楽しい。

 やはり、ファルスタッフ役のアンブロージョ・マエストリが自在な歌唱と演技で素晴らしい。これまでもその時代時代にファルスタッフを歌うために生まれてきたような歌手がいたが、マエストリはその一人。まさに現代のファルスタッフ。

クイックリー夫人のステファニー・ブライズ、アリーチェのアンジェラ・ミード、ともに文句なしの歌。明るくて楽しくて溌剌としている。ナンネッタのリゼット・オロペーサとフェントンのパオロ・ファナーレは若い歌手だったが、これも若々しくてとてもよかった。メグを歌うジェニファー・ジョンソン・キャーノもしっかりした声で、演技がとてもいい。

演出はロバート・カーセン。カーセン自身が映像の中で語っていたが、「人間賛歌」として描いている。舞台を1950年代に設定し、ハリウッド映画全盛期の幸せなブルジョワ家庭の楽しいごたごたを描いたドラマのような作りにしている。楽しそうに食べるシーンが何度も現れ、食欲賛歌にもなっている。

おそらくカーセンも意識していたのだと思うが、主たる三人(ファルスタッフ、クイックリー夫人、フォード夫人)がそろっていずれ劣らぬ巨体。この3人が主役を演じるとすれば、食欲賛歌にせざるを得ない。ただ、二人の女性はファルスタッフの巨体をしばしばなじるが、「あんただって、他人のことを言える体型ではないだろうに」という「ツッコミ」がどうしても頭の中をよぎってしまう。が、美男美女が登場するハリウッド映画の肥満版パロディの人間賛歌だと思えば、意図はわからないでもない。ほほえましくも愉快。

やはり第三幕は圧巻。第二幕まで、実はレヴァインの指揮に多少の不満を感じていた。復帰戦としてはもちろんとてもいいのだが、野球に例えて言えば、復帰後の最初の試合でノーヒットノーランというわけではなく、ランナーを出しながらも何とか抑えている雰囲気だった。が、やはり第三幕になると、観客を圧倒する力を持っている。人間賛歌が高らかに鳴り響いて終わった。

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クリスチャン・ツィメルマンのベートーヴェン 格調高い精神の遊びの世界

 1月10日、武蔵野市民文化会館でクリスチャン・ツィメルマンのベートーヴェンのピアノ・ソナタ30、31、32番のリサイタルを聴いた。オーケストラ曲やオペラや弦楽器の曲が好きな私としては、久しぶりのピアノ独奏のコンサート。

 しばしば、なんだかわけがわからずに魂が震えた。特に盛り上がるところでもないのに、「あ、なんと美しいんだ。時間よとまれ、音楽は美しい!」、そう言いたくなる瞬間が何度かあった。

30番と31番もよかったが、特に31番は素晴らしいと思った。

 緻密に組み立てられているのはよくわかるが、その中で、ベートーヴェンが最後にたどりついた自由な境地を明確に示してくれているように思った。とりわけ第2楽章の、研ぎ澄まされ、この上なく覚醒した精神によるジャズの世界にも通じるような、自由闊達で何ものにもとらわれない世界は素晴らしかった! しかも、なんと格調高いことか。無意味な音が何一つなく、いたずらに感情を掻き立てることなく、くっきりと孤独で自由な音が紡ぎだされる。最晩年のベートーヴェンの精神世界とはこんなものだったのかと初めてわかった気がした。

 ただ、ピアノソロをあまり聞かない私としては、これ以上のことは言えない。ともあれ、至高の世界に触れたと思った。

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ウィーン・シュトラウス・フェスティバル・オーケストラ

 1月7日、武蔵野市民文化会館でウィーン・シュトラウス・フェスティバル・オーケストラの演奏を聴いた。今年最初のコンサート。

ヴァイオリンと指揮はヴィリー・ヴュッヒラー。曲目は、ヨハン・シュトラウス2世とヨゼフ・シュトラウス。

 私はベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー、ワーグナー、リヒャルト・シュトラウスなどの、かなり重めの音楽をこよなく愛しているのだが、オッフェンバックやヨハン・シュトラウスもかなり好きだ(この頃、浅草オペラやエノケンのCDも楽しんでいる)。さすがにウィーンにまでニュー・イヤー・コンサートを聴きに行く気はないが、武蔵野でやるのならぜひ聴きたいと思って出かけた。

 とても楽しかった。ウィーン・フィルなどと比べると、オケの性能がかなり劣るのは間違いない。最初の音にはちょっとがっかりした。が、指揮のヴュッヒラーの力なのか、オケの力なのかよくわからないが、曲目が進むうちに確かにウィーンの雰囲気があふれてきた。特有のリズムが実に心地よい。もしかすると、ウィーンの人以外にはまねのできないリズムなのかもしれない。ちょっと下品だが、下品になりすぎることはなく、おしゃれで気が利いていて、ともかく楽しい。ちょっと音楽がよどみかけると、即座に反応して、すぐに生き生きと動き出す。これが伝統なのかと思う。ヴュッヒラーの指揮も切れがよく、しかもしなやかでなかなかいい。

 私は前半の最後の「雷鳴と稲妻」が切れがよくてとても気に入った。「美しき青きドナウ」も実に手慣れたもの。アンコールはカッコウや鳥の声の入るヨハンの曲(確か、「クプラフェンの森で」という題)。演奏には、ニュー・イヤー・コンサートらしく、遊びが入って、手拍子があって、それはそれで楽しい。最後にアンコールとして、ヨハン・シュトラウス1世のラデツキー行進曲。これも観客による盛大な手拍子が入った。

 ベートーヴェンやブラームスやワーグナーもいいが、ヨハン・シュトラウスも捨てがたい・・・

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2014年のはじまり

ここ数年、大晦日は「ベートーヴェンは凄い!」を見て一年の終わりにしていたのだが、今年はお休みした。ぜひ聴きたかったのだが、腹具合が最悪のため断念。残念だった。

 正月の間、いつものようにずっと仕事をしていたが、それでも普段よりは余裕を持てたおかげで腹痛は完治したようだ。

年末から正月にかけて、何枚かDVDを見た。感想を書いておく。

 

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「パルジファル」 ティーレマン指揮・2013年ザルツブルク音楽祭

演奏については素晴らしい。まず、言うまでもなくティーレマンの指揮がいい。スケールが大きく、しっかりとうねり、音の絡まりを魔法のように描き出していく。ただ、ちょっと官能性が不足しているような気がする。どうもこの指揮者、まじめすぎる。オケはドレスデン・シュターツ・カペレ。これまた素晴らしい。

歌手は、グルネマンツを歌うシュテフェン・ミリングがいい。深い声で実に安定している。クンドリーを歌うミヒャエル・シュースターも、不気味な雰囲気をまきちらしながらも妖艶。歌い回しも見事。パルジファルのヨハン・ボータは声そのものはとてもいいのだが、やはり、この体型ではパルジファルの役は難しい。動き回れないために演技を一切していない。これでは歌の表情も伝わらない。オペラ映像としてはつらい。ヴォルフガング・ コッホがアンフォルタスとクリングゾールの二役。前半はとてもよいのだが、後半少し疲労した感じ。

ミヒャエル・シュルツの演出にはかなり問題を感じる。アンフォルタスの分身(いわゆる侏儒と呼ばれる人)らしい黙役の人物が登場し、あれこれとアンフォルタスの心を演じる。また、同じく黙役の二人のキリストが登場し、クンドリーがキリストの重荷を背負いながら生きてきたこと、パルジファルによって、その重荷を吹っ切ることができ、新たなキリストを愛し始めることが暗示される。音楽そっちのけでたくさんのパントマイムがなされるのを、私はかなりうるさく感じる。もっと音楽に集中したい。

しかも幕の最後、騎士たちがキリストを磔にしてクンドリーにマグダラのマリアの役を押し付けようとする(?)場面が描かれる。演出家が何を言いたいのかは私にはよくわからないが、クンドリーを無理やりマグダラのマリアに仕立て上げようとするワーグナーへの批判なのだろうか。あまり説得力を感じなかった。

 

 

713


「パルジファル」 ベルナルト・ハイティンク指揮・チューリッヒ歌劇場

部屋を掃除したら、このDVDがひょいと出てきた。しばらく見ていない気がしたので、見ることにした。2007年の映像。

ハイティンクの指揮については、やや中庸を行き過ぎる感じがする。もう少し激しく切り込んでもよいのではないか、もっとどす黒く描いていいのではないかと思うところが多々ある。だが、それをしないで、じっくりと描いていくところがハイティンクだろう。長い楽劇なので、もちろんこれはこれでじっくりと味わえる。あまりいじられると、むしろ疲れてしまう。

歌手については、グルネマンツを歌うマッティ・サルミネンがやはり素晴らしい。このころ、すでにかなりの年齢だと思うが、いかにもワーグナー歌い。パルジファルのクリストファー・ヴェントリスもクリングゾールのミヒャエル・ヴォレもとてもいい。ただ、クンドリーを歌うイヴォンヌ・ナエフはかなり弱い。声に強靭さがないし、歌も一本調子。容姿を重視しすぎた人選といえるかもしれない。演出はハンス・ホルマン。色彩的にとてもきれい。

 

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「パルジファル」 98年バイロイト音楽祭 シノーポリ指揮

これも掃除しているときに目に入ったもの。ついでに見たくなった。99年にバイロイトでみたものと同じプロダクション。実演を見て素晴らしいと思った。

あらためて見ると、やはり実にいい。まず、ジュゼッペ・シノーポリの指揮が最高に素晴らしい。びしっと締まり、しかもしなやかで繊細で官能的。昔のクナッパーツブッシュなどのような雄大さはないが、シノーポリの演奏を聴くと、こちらのほうが「パルジファル」らしいと思えてくる。演出はヴァルフガング・ワーグナーなので、きわめて妥当。安心して見ていられる。

歌手はみんながいい。とりわけ、アンフォルタスのファルク・シュトルックマンとクリングゾールのエッケハルト・ヴラシハが素晴らしい。グルネマンツのハンス・ゾーティン、パルジファルのポール・エルミング、クンドリのリンダ・ワトソンもまったく文句なし。第二幕のひしひしと押し寄せる官能と苦悩は圧倒的だ。

今回立て続けに3本見た「パルジファル」の中で、私はこれが一番好きだ。指揮は同点、歌手と演出でシノーポリのバイロイトのほうが感銘度が高い。

 

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「アラベラ」 クリスティアン・ティーレマン指揮・メトロポリタン歌劇場

 このDVDも片づけの副産物。購入したままで見た記憶がないので、正月を機会に見てみた。メトロポリタンであるだけに、まさしくオールスターキャスト。悪かろうはずがない。1995年の録画というから、もう20年以上前の記録だ。

 アラベラはキリ・テ・カナワ。表現力に弱さを感じて好きな歌手ではなかったが、こうしてみると、やはりとても魅力的。これはきれいだし、やはり容姿の美しさは他の歌手にまねできない。ズデンカを歌うマリー・マクローリンも実にかわいらしい。美人役でよく映像に登場した歌手だが、歌もチャーミング。

マンドリーカはヴォルフガング・ブレンデル。とてもいいのだが、マンドリーカ役にしてはちょっと都会的すぎる。とはいえ、これがこの人の個性なので、致し方ない。ヴァルトナー伯爵はドナルド・マッキンタイア、アデライーデはヘルガ・デルネシュ。そして、なんとミリはナタリー・デセー。よくもまあこんなスターたちを集めたものだ。

演出はオットー・シェンクなので、ごくまとも。いかにもメトロポリタン・オペラらしく豪華で楽しく、美しい。

第三幕冒頭のティーレマンの棒さばきは本当に素晴らしい。映像で見ていても、特に何かをしているようには見えないのだが、出てくる音に驚嘆する。シュトラウス特融に音の絡まりを美しく、ダイナミックに描き切る。満足。

昨年は、大学の最も忙しい役職に就いたために、すべてが中途半端になってしまった。今年は役職から離れて、もう少し自由にしたい。昨年よりももう少し気合を入れて様々な仕事にあたりたい。

 

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