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バティアシュヴィリのショスタコーヴィチに興奮

 2月13日、サントリーホールで、アラン・ギルバート指揮、ニューヨーク・フィルの演奏を聴いた。大変見事な演奏。

最初の曲はフィデリオ序曲。機能性抜群の、いかにもアメリカのオケらしい音。弦楽器のほとんどが女性(しかも、アジア系が目立つ)なのに、力感あふれ、びしっとアンサンブルのあった音。しかも、ギルバートの指揮は構成感があり、しなやかでダイナミック。十分にヨーロッパ的な味わいがある。

次の曲は、リサ・バティアシュヴィリのヴァイオリンが加わってのショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番。これは言葉を失うほどの凄まじさ。私は大いに興奮した。音が美しく、しかも繊細。まったく弛緩することなく、完璧な緊張感にあふれている。しかも、ショスタコーヴィチ的な「狂気」が宿っている。単なる美しい音を奏でる美しい女性ではない。人生を知り、苦悩を知った人間が人生への思いをヴァイオリンの音に載せて語りかける。そして、興奮し、高揚していく。それを完璧なテクニックで行う。

 アンコールにバッハの無伴奏ソナタ第2番のアンダンテ。深く沈潜した音で何げなく始まるが。徐々に内面的に高揚していく。その研ぎ澄まされ、しかも抑制した高揚が素晴らしい。

 後半はベートーヴェンの交響曲第1番とガーシュインの「パリのアメリカ人」。実に見事な演奏。第1番をなぜ演奏曲に選んだのか、これを聴くとよくわかる。しっかりとベートーヴェンらしさを出し、その魅力を存分に伝える。スケールの大きな、まぎれもないベートーヴェンの交響曲として演奏された。「パリのアメリカ人」も、豪華で明るい音。まさにアメリカ。

 ただ、バティアシュヴィリの加わらない曲に関しては、私は実は少し違和感を覚えた。やはり、私の好きなベートーヴェンではない。アメリカのオケを聴くとどうしても思ってしまうが、私の最も愛する肝心なもの、「神聖さ」と呼ぶべきものが感じられない。どうしても、軽い音楽に聞こえてくる。

 ところで、ちょっと異様に思ったのは、私がホールについた演奏会の始まる20分ほど前にはほとんどすべてのメンバーがステージ上の席にいて、思い思いに練習をしていた。そして、そのまま本番に移行した。ほかのオケのように、直前になってステージに登場するのではない。このような光景は初めて見た。大教室で学生たちが大声で私語を交わし、そのうちチャイムが鳴って先生が登場し、授業が始まる…それと同じような雰囲気。

休憩中も、曲と曲の間も、メンバーは思い思いに楽器をかき鳴らす。あるいは、大声で近くの人と話している。そして、指揮者がタクトを振りだしたとたんに音楽を演奏し始める。

後半、ヴィオラの二人の女性奏者は演奏の始まる直前まで大声で話をしていた。険しい顔で話していたので、何か口論していたのかもしれない。演奏が終わったとたんにまた話し始め、次の曲の始まりまで話を続ける。そして、また曲が終わると、その途端に話し始める。その二人は極端だったが、ほかのメンバーも、指揮者がタクトを振り下ろす直前までおしゃべりをしていて、指揮者が降っている時だけ音楽を演奏する。

気のせいかもしれないが、そこにこのメンバーの音楽性のようなものを感じてしまう。音楽がビジネス的で、そこに神聖さが感じられない。神聖な音楽を演奏しているという意識が希薄だ。聞こえてくる音楽も、確かに実によくできているのだが、神聖さを感じない。私としては、ベートーヴェンの中に神聖さを求めているのだが、それがない。

アンコールは2曲。アラン・ギルバートが日本語で紹介。メノッティの曲だと言って説明があったが、曲名は忘れた。もう1曲はシューベルトの「ロザムンデ」から。これらについても同じ印象を持った。

ともあれ、初めてなまのバティアシュヴィリを聴けただけで最高に満足。

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音楽」カテゴリの記事

コメント

別に珍しくはない光景です。木村某という指揮者によれば、こういうスタイルをニューヨーク・スタイルといい、アメリカらしい光景だとある公演のプログラムに書いていました。ゲルギエフが振ったロッテルダム・フィルも、同様のスタイルでしたね。自由で、音楽することをなにも特別なこととは思わない、普段着の姿勢の表れだと思います。ところが、日本で同じことをやると、うるさいとか不真面目だとか、必ず抗議が来るそうです。樋口先生も同じでしょうか。でも、僕(木村某)のオケではそういう風にやるから、勘弁してほしいという論調でした。自分は、そっちのほうが好きです。

投稿: アリス | 2014年2月14日 (金) 23時04分

アリス様
コメント、ありがとうございます。
そうですか、アメリカではふつうのこととは知りませんでした。
普段着であることそのものは少しもかまわないのですが、演奏するベートーヴェンに「聖なるもの」が失われてしまうと、私としてはとても残念に思います。演奏にそのようなものが欠けていたのは、私の先入観のせいではないと思います。そのような演奏になった原因の一つとして、「さあ、これから本番だ!」という意識の欠如があるのではないかと思ったのでした。
繰り返しますが、初めからステージにいること自体には、私は特に問題を感じていません。それが音楽に悪影響では困ると思っているのです。

投稿: 樋口裕一 | 2014年2月16日 (日) 10時56分

いつも楽しく拝読させて頂いております。私は以前にニューヨークに数年住んでおりまして、ニューヨークフィルは毎週のように聞きにいっていました。今回も久々に東京で懐かしい響きと同時に、ご指摘のようなステージマナー(というのでしょうか?)に触れ、これまた懐かしい思いでした。ニューヨークではカーネギーホールにヨーロッパの一流オーケストラや演奏家もひっきりなしにやってきます。そして全米のオーケストラも定期的に来るのですが、開演前に整然と舞台に出てくるよりも、開演直前までバラバラに出てきては、舞台上で練習したり音出ししたりおしゃべりするオーケストラが多かったようです。やはりアメリカンスタイルなんでしょうね。しかし、ウィーンフィル、ベルリンフィル初め、ヨーロッパのスタイルに慣れると、やはりこれはこれで何となく落ち着かない感じは否めません。カーネギーホールでも、ウィーンフィルやベルリンフィルが客演に来る時には客席もなぜか雰囲気が違っていました。
多かれ少なかれ、演奏に影響が出てくるのでは?というのは私も(誰にも話したことはなかったのですが)感じていたところです。
でも、そういう事を逆に興味深く見てみるのも、一つのコンサートの楽しみ方とも言えそうですね。

投稿: Piyo | 2014年2月18日 (火) 21時55分

Piyo様
コメント、ありがとうございます。
アメリカのオーケストラの公演にはあまり行かないものですから、事情を知りませんでした。それにしても、ニューヨークでの生活というのは羨ましいですね。ドイツやオーストリアに暮らすよりも充実しているのでしょうね。ただ、私としましては、音楽の中身までもが悪い意味での普段着になってしまうと困るとは思ってしまいます。

投稿: 樋口裕一 | 2014年2月20日 (木) 08時25分

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