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佐村河内守ゴーストライター事件について思ったこと

 昨日(2月6日)、ずっと家にいた。基本的には原稿を書いていたが、夕方はテレビで佐村河内ゴーストライター事件にかかわる新垣隆さんのインタビューを見た。

 私は、発売直後に交響曲第1番のCDを購入した。私のブログにこのCDを紹介するコメントをくれた人がいたので、好奇心を抱いて聴いてみた。正直に言って、退屈なところもあった。過去の大作曲家たちの語法のつぎはぎだと思った。が、同時に現代日本の交響曲としては見事な出来だとも思った。ところどころ感動的なところがあった。現代の日本人でも交響曲を作れるんだ! と思った。吉松隆さんよりも良いとは思わないが、吉松さんに匹敵する曲だと思った。その後、どんどんと有名になり、知り合いで何人もがコンサートで感動したというので、私も生で聴いてみたいと思ってチケットを購入していた。

 その私がインタビューを見て頭に浮かんだことを、ともあれ書いてみる。

・ゴーストライターだったことを告白した新垣さんの語っていることはほぼ百パーセント信じてよいと思う。きっと新垣さんは、お金にはそれほどの執着がなく、ただ音楽を愛し、俗世間とかけ離れて一人静かに音楽を作るのを無上の喜びとしている人なのだろう。ただそこそこお金を稼がないわけにはいかないので、仕事をあてがわれて、それを不満に思うこともなく、コツコツと音楽を作り続けていた。ゲーム音楽を作るときには、きっとこのようにして作るのだろう。そのつもりで作っていた。ところが、だんだんと話が大きくなって佐村河内守が「現代のベートーヴェン」といわれるようになり、オリンピックでも使われるようになって、恐怖を感じるようになった。そのような新垣さんの話は偽りはないだろう。売名行為などではないだろう。もらった金に対する不満で自己主張をしているのでもないだろう。

・新垣さんに対しては、私は大いに共感する。この人の気持ちはよくわかる。だが、私は新垣さんをあまりに情けないと思う。あまりに世間知らずであり、あまりに生真面目であるところが情けない。もっと強く主張する必要があった。おとなしく人のいいなりになるべきではなかった。

・佐村河内については、初めは軽い気持ちで「全聾の作曲家」を演じていたのだろう。きっと彼は、ちょっとだけ音楽が好きな人であって、作曲の知識や素養もなく、ピアノも弾けないのだろう。そもそも佐村河内という名前も本名ではないのかもしれない。すべて嘘で固められているのだろう。安易な悲劇の作曲家のストーリーを思いつき、それを自分で演じただけだった。だが、思いのほか、それを信じる人が増え、だんだんと話が大きくなり、引っ込みがつかなくなった。それに伴いどんどん図に乗っていった。そこで、新垣さんは恐怖に駆られたのだが、佐村河内は演じることで全能感を覚えるようになった。

・全聾で、しかも目が悪く、そのうえ変人・・・というのは、ベートーヴェンのマネであり、悲劇の人を作りだすということ以上に、人前で音楽に対する無知を晒さないための仕掛けであっただろう。このような状態であれば、人前で楽器を演奏する必要もなく、曲についての批評をしなくて済み、作曲しているところを人に見せなくてよい。何を求められても常に逃げることができる。しかも、障害のある人間ということにしておけば、たとえ怪しまれたところで、追い詰められたりしない。

・実は私は、佐村河内に会ったことのある演奏家たちから「どうも耳は聞こえるようだ」という噂を聞いていた。佐村河内に会った多くの人がそう思っていたようだ。テレビのインタビューを見ていても、まったく耳が不自由だとは思えない。健常者のしゃべり方だし、そもそも質問にふつうに答えている。おそらく演奏家たちやメディア関係者のかなりが、そのような疑いを抱いていただろう。しかし、「全聾の作曲家」として有名な人であり、しかもそのブームに乗って演奏会が開かれ、メディアが騒いでいる。気付いた人々もその流れに加担している。だから、うすうすわかっていながら、あえて声を上げることはなかったのだろう。小さな声で仲間どうしで「怪しいね」というにとどめていた。とはいえ、それらの人たちも「耳は聞こえるのに聞こえないふりをして、自分を売り出そうとしている」とは思っていたのだろうが、まさか他の人が作っているとは思っていなかったと思う。

・音楽、とりわけ言葉のない純音楽には、作曲家の物語がまとわりつくものであることを改めて思った。健常者の作った曲だとしたら、おそらくこれほどの感動を呼びはしなかっただろう。感動した人がたくさんいたということは、そのことを示している。多くの人がクラシック音楽に物語を求めている。

・どうも現代の作曲というのは、私たちが思っているような、一人の人間が最初から最後まですべてを作るのとは違うようだ。漫画家がアシスタントを使っていることはよく知らているが、工房のような形で作られているのかもしれない。とりわけ、ポップスやゲームの音楽がそうなのだろう。それが芸術音楽の分野にも入り込んでいる。その曖昧さが今回の事件の発端にある。

・もちろん、このような工房を作って分業するというのは、音楽が商品として売り出されているということだ。芸術音楽に関してはこのようなことはないと思っていたのだが、佐村河内という人物は、芸術音楽にまとわりつく悲劇のストーリーを作り上げ、それを自分で演じることによって完璧な商品にしてしまった。

・佐村河内が新垣さんに最初に示したというプラン図のようなもので「作曲」と言えるのなら、私もあのようなプランを示して「作曲」したいものだと思った。私のほうがたぶん佐村河内よりもたくさんの曲を聴いているだろう。あのくらいのプラン図なら書ける。だれか有能でおとなしく生真面目な作曲家を見つけて、一緒に組んで作曲してみたいものだ。

・交響曲というジャンルについても考えさせられた。おそらく新垣さんは自分自身の曲ではなく、佐村河内という架空の人間のフィクションとしての曲であるから、壮大な交響曲を作曲できたのだろう。自分の曲としてであれば、このような曲にならなかっただろう。言い換えれば、現代における交響曲はフィクションとしてしか成り立たないということかもしれない。神聖で悲劇的で激しい自我の葛藤を持った人間というフィクションと交響曲は切っても切り離せない。大きな物語をなくして社会の中の小さな個人を意識せざるを得ない現代人には交響曲を作るのは難しい。

・私としては、せっかくの才能を生かして、新垣さんにこれから本当の自分の曲を作曲してほしい。今回の事件では、道義的な責任はあるにしても、法的な責任はないだろう。今回の事件による苦悩と、それなりの社会への認知は決して彼の音楽を大成させるのにマイナスにはならないと思う。ただ、今のような小心者であれば、それはできないかもしれないが、もっと図太くなってぜひ自分の音楽を書いてほしい。ぜひ、新しい交響曲を書いてほしい。

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音楽」カテゴリの記事

コメント

じつは個人的にものすごく憤りを感じています。それは新垣さんという音楽だけの中で生き、音楽のみを考えていたような人が、あるきっかけから長年佐村河内氏に翻弄され、そして先日あった記者会見からは、今度はこの件をスクープした週刊誌と作家の方に翻弄されていると、そういうふうに感じられてしかたがないのです。

自分には、佐村河内氏も週刊誌側も同じ人種にみえてしかたがありません。ただ新垣さんにかかわる人たちが交代しただけで、状況はじつはあまり変わっていない。変わったとすると、今まで裏方に徹していた新垣氏が、佐村河内氏と週刊誌側の両方から押し出される形で、ひとり矢面に立たされているという、いびつな図式になったことくらいでしょうか。

もちろん新垣さんにも何の責任もない、単なる被害者ではすまされない部分もあると思いますが、とにかく自分は今のこの図式にとても理不尽かつ強い憤りを感じています。そういう人はじつに少数ではあると思いますが。


>だれか有能でおとなしく生真面目な作曲家を見つけて、一緒に組んで作曲してみたいものだ。

今のタイミングでは不謹慎な発言ととられる危険性もありますが、おそらく日本中のクラシックファンの多くが、似たことを思ったことでしょう。私はむしろ頭の中で考えた演奏を、そのままデータ化していつでも自由に聴けるようなソフトができたらいいなあと思ってます。まあ、同じような発想ではありますが。

投稿: かきのたね | 2014年2月 8日 (土) 01時43分

かきのたね様
コメントありがとうございます。
私はジャーナリスト的な気質を持っていますので、週刊誌側にはあまり怒りは覚えません。もし私がこの事実を知ったら、このノンフィクションライターと同じようにしたと思います。ただしもちろん、あくまでも新垣さんの利益を優先し、その同意の元ですが。むしろ私は新垣さんの態度に身につまされる思いです。たくさんの音大卒の才能ある、しかし収入のない人々、そして、音楽以外の領域の同じように低収入にあえぐ才能ある人々。その集約を見ている思いです。

投稿: 樋口裕一樋口裕一 | 2014年2月 9日 (日) 08時31分

『わかりやすい文章を書く技術』には、

可能な限り、「短いひとつの文」で「ひとつの事柄」だけを書く

とあります。(25ページ)

これに従えば、

>ただ、今のような小心者であれば、それはできないかもしれないが、もっと図太くなってぜひ自分の音楽を書いてほしい。

は、次のようにすべきではありませんか。

>ただ、今のような小心者であれば、それはできないかもしれない。しかし(だが)、もっと図太くなってぜひ自分の音楽を書いてほしい。

投稿: おせっかい | 2014年3月 7日 (金) 22時03分

おせっかい 様

コメント、ありがとうございます。
おっしゃる通りだと思いますが、私が示した文章の原則は、あくまでも原則です。原則に反することは、私自身の書いたものの中にも山のようにあると思います。ご指摘いただいたような「違反例」は私の分の中にそれこそ数千、数万とあると思いますし、そのほかにも、たとえば、私は「一文は短く。60字以内が望ましい」と言っていますが、時と場合によって、文章の雰囲気によって、100字、200字を超す文を書く場合もあります。(まさに、今書いたこの文も、原則に反していると思います。しかし、それで読む方には違和感はないはずですし、この場合にはこのほうが雰囲気にふさわしいと判断します)。
ただ、原則については常に意識し、それを踏まえたうえで、あえてその原則に違反することが大事だと思っています。

投稿: 樋口裕一 | 2014年3月 9日 (日) 10時54分

>あえてその原則に違反することが大事だと思っています。

表記が不適切です。

原則を主張しておきながら、その原則に反することが大事だというのは、論理展開が破たんしています。これでは読み手が面食らうのは当然です。

ここは、次のように言うべきではありませんか。

>あえてその原則に違反することも大事だと思っています(原則に反することもあっていいと思います)。

http://ononobu.exblog.jp/9231185

投稿: おせっかい | 2014年3月10日 (月) 11時53分

おせっかい 様
確かにおっしゃる通りです。私の書き方が軽率でした。そのように書くほうが正確でした。つい軽率になってしまいました。文章を指導する人間としては、恥ずかしい限りです。

投稿: 樋口裕一 | 2014年3月11日 (火) 07時45分

御無沙汰しています。権兵衛です。
 3/10、作村河内の記者会見は「謝罪会見」のように見えながら、実は小さい私怨を吐露するだけの締まりのないものに終始したような感がありました。
◇ 佐村河内は、作曲については「指示書」を示して作曲を依頼したので、恰も作品が「協同制作」のような印象付けをしようと強弁していたようでしたが、あの抽象絵画のような「指示」で果たして(現代音楽ならともかく?)人を感動させるような調性音楽が作曲出来るものかどうか、私のような素人でも甚だ疑問に思えます。
 「指示」をするとすれば、せめて「旋律」の一部を示し、これの続きを書け、あるいは、変奏曲を作れ、と言うのなら理解出来ますが。
 ベートーヴェン「運命」交響曲第1楽章は極めて単純なモチーフを基に作り上げられた傑作ですが、あの簡単なモチーフをこなせるのは一人ベートーヴェンの才能があればこその話で、佐村河内はその真似すら出来ない程度のレベルであったことは明らかです。
 モーツアルトは「レクイエムを」という依頼人の一言だけで、なんら指示書を必要とせずに大傑作を作曲しましたが。
◇ 佐村河内の算段は、専ら「事実でない話がある」として新垣氏を名誉毀損で訴えることに集中している点が、我々素人にも納得しがたいところです。
 あれだけ世間を騒がせ、他人の作品にオンブして虚名と印税を手に入れ、広島市民、東北被災地の人々、レコード会社、報道機関、CD購入者、自分をパパと呼ばせた少女、高橋選手、多くの一般大衆等を欺いた彼に「守るべき名誉」が一体どこにあるのか----- 潔くない、男らしくない、というのが私の印象です。
◇ 今度の事件が厄介なのは、相手が掴まえどころのない、所謂「高尚な」クラシック音楽である点です。今になって「俺もオカシイと思っていた」とか「ペテン師だ」とか、いろいろな声が喧しいですが「美談」に弱い我々の体質は(ミーハーの私もそうですが)そう変わるものではなく、今後とも続くと考えておいたほうがよさそうです。
 真偽を見抜く目を持て、と言われたところで、どうすればよいのでしょうか。
◇ 新垣氏の今後
 彼は「共犯」とまでは言えないと思いますが、相当の返り血を浴びてしまい、これでは学生たちの慰留運動があっても、桐朋大学には居辛くなってしまうのではないか、と思います。
 好奇の目に晒され、再び実力が評価されて世に出るまでに、辛い日々が続きそうです。
 しかし、クラシックは、俗に言うような「高尚」そのものの世界ではなさそうだ、そこに居るのは我々と同じ煩悩に満ちた一般人だ、という事実を世に啓蒙してくれた点は買っていいのではないかと思いますね。
 評論家/曾野綾子氏は新垣氏(佐村河内)の交響曲第1番を聞き、佳曲だと評していました。その背景として、昨今の作曲界の弊を指摘されているようでした。つまり、現代音楽のみを良しとして、シーベルト、ドヴォルザーク風の素晴しい調性音楽をないがしろにする傾向です。
 何故、大衆が喜んで迎えようとする音楽が軽視されなければならないのでしょうか。この点にもっと大きな関心が払われて然るべきではないでしょうか。
 新垣氏に期待したいと思います。
◇「美談に弱い体質はそう変わるものでは」と、さきほど申しました。
 佐村事件を取り上げた週刊文春に、早速、面白い記事が出ています(2014.3.13)。
東北の大震災での倒壊家屋の木材と「奇跡の一本松」を材料としたヴァイオリンが、復興のシンボルとして有名になり、皇太子殿下が演奏(ヴィオラ)され、天皇陛下も用いられる御予定(チェロ)だとあります。
 一方で、この制作を着想し、楽器を制作した人の経歴がどうだとかが批判がましく報じられているのですが、復興のシンボルとして、その音楽が東北の人びとの慰安とも心の支えともなるのならまずは「美談」とされるのも良いと思います。
 問題は楽器の制作者を「美談」に寄りかかったもの、として報じようとしている記事内容です。これはともかく「美談」だからヴァイオリンにも値打ちがある、と誤解させるような記事ではいけませぬ。
 言うまでもなく、ヴァイオリンに、聞く人の心を癒す効果があるのは勿論ですが、その価値は「美談」とは別次元で語らなければならないものでしょう。
 ここで使われる楽器は、津波(塩水)に侵されていますから、ヴァイオリン本来の音色はまず発揮しえないものと思われます。
 イタリアに名器が生まれたは、イタリア特有の地勢のみが生み出せた良材によるものです。私はストラデイヴァリのような傑作が再現出来ない理由はここにあるのではないか、と思っているくらいです。
 しかし、塩水に漬かった弦楽器を再生させたという実話(美談)があります。 
 その昔、タイタニックが沈没する寸前まで、乗客を元気付けようと、甲板で弦楽合奏を続け、船と楽器と運命をともにした演奏者たちがいました。
 後日、楽器が引き上げられ、バラバラになっていたものが修復されて演奏されたわけですが、これは楽器の質にかかわりなく「美談」として通用します。
 東北でも津波に漬かったピアノが再生され演奏されたという話があり、ピアノは交換可能な部品が多いために、再生は可能だと思われます。しかし、木材が中心となるヴァイオリンの完全修復は、まず難しいと見なくてはなりますまい。
 
 いくら「真偽を見抜く目を持て」と言われても難しいことですね。
<余談>
 最近のクレモナ(ストラデイヴァリを生んだヴァイオリン製作のメッカ)の現状と問題点を調査研究した研究レポートがインターネット上で発表されました。「クレモナにおけるヴァイオリン製作の現状と課題」(大木裕子ほか。京都産業大学)。これは公的資金による依託研究のようですが、こうした面にまでサポートが及ぶことは歓迎すべきことと思われます。
(*)日本学術振興会科学研究費補助金。
 レポートの結論として、名器制作については、更なる研究が必要、とされていましたが、楽器は工業製品ではないので、こうした結論に導かれるのは自然なことかもしれません。
 私の存じ寄りの制作者(故人)は、クレモナのヴァイオリン制作コンクール「音色」部門金賞を獲得された方です。その工房を訪ね、制作過程の一部を拝見したのですが、例えば板を切り出すのに、日本のノコギリを用いるなど、伝統的な手法を遵守されておられました。工作機械を用いるなどは、この世界ではタブーとされているようです。
 イタリアは楽器制作のメッカであるのみならず、演奏面では弦楽四重奏の国際コンクールも行われております。
 他の類似コンクールと異なる点は、私が最も敬愛するイタリア弦楽四重奏団第1ヴァイオリン奏者の逝去に伴い、その盛名を冠して創設されたということです。
 このカルテットは「黄金の響き」という異名を誇っており、そのハーモニーの美しさと「歌」は比類がありません。


 
 

投稿: 権兵衛 | 2014年3月12日 (水) 15時02分

権兵衛様
ご無沙汰しております。コメント、ありがとうございます。ブログを拝見しました(佐村河内以外についての記事も含めまして)。
おっしゃっていること、私の感想とかなり重なっているようで、ほとんど同感です。かなり多くの音楽愛好者が同じように思っているのではないかと思います。
ただ私はこの問題をヴァイオリンの偽作や美談とは結びつけて考えませんでした。むしろ気になったのは、音楽にまつわるエピソードの問題でした。
入門書をいくつか書いている人間としましては、どうしてもエピソードで興味を引くことを考えます。私自身はあまりエピソードには関心がないのですが、多くの人にクラシック音楽に関心を持ってもらうには、エピソードの面白さ、その物語性は欠かせません。これから先、入門書を書こうとするたびに、あれこれと迷ってしまいそうです。

投稿: 樋口裕一 | 2014年3月16日 (日) 07時55分

この事件に関して、野口剛夫「全聾の天才作曲家 佐村河内守は本物か」、「佐村河内問題とは何だったのか」、「佐村河内問題とフルトヴェングラー」、千住明「作曲家の立場から見た佐村河内守[代作問題]」、西澤健一「自称[共犯者]の問いかけたもの」を読みました。
まず、野口の文章全3点はどれも「子どもの作文」で、内容ゼロです。やたら、佐村河内、新垣両氏を攻撃するだけで、おまけにフルトヴェングラーも持ち出す始末、読むもバカバカしくなりました。
千住氏、西澤氏の文章は客観的、かつ理性的な内容で論理的でした。こちらの方が大いに説得力がありました。千住氏は、佐村河内、新垣両氏がプロデューサー、作曲家という関係だったらなぜ、こうした関係を公表しなかったか、公表すればこんな騒ぎにならなかったと指摘しました。西澤氏は、佐村河内守氏がゲーム音楽の作曲家だったことにも言及しました。千住、西澤両氏とも作曲家が一人前になるにも古今の作曲家を研究し、自らのものにして成長するものだと述べたことに、改めてその意義を感じました。
野口に関して、インターネットの中で、
「才能のある人物をペンの暴力で貶め、扇動し、自分が有名になりたい憐れなヤッカミだ。」
と書き込んだ人もいます。私は、その通りだと思います。多くの人たちはこんな事件を下らないものだとして、相手にしていません。それが世の中です。
結局、この事件はフルトヴェングラー・マニア、野口剛夫の売名行為にすぎません。こんな人物の文章に「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を出すとは、日本のジャーナリズムも落ちたものです。

投稿: 畑山千恵子 | 2015年3月 7日 (土) 21時12分

畑山千恵子 様
コメント、ありがとうございます。
実はほとんど佐村河内事件関係の本は読んでおりません。むしろ、私の関心は、「現代に交響曲は可能か」という点にありますので、現在出ている本はあまり私の関心を満たしてくれるものではなさそうな気がしておりました。機会がありましたら、ご指摘なさっている本を読んでみようと思います。

投稿: 樋口裕一 | 2015年3月12日 (木) 09時30分

>>【楽壇からの嘲笑】「新垣隆の単独曲は佐村河内の調性音楽のパクりに過ぎないw新垣隆に独自性なし!」調性音楽どころか路線まで佐村河内のパクりwwwwww

>>【新垣隆=天才の嘘】「作曲家界では新垣隆は凡才!佐村河内に高評価!」東京芸術大学准教授:小西公大

>>【新垣隆の嘘】佐村河内は指示書だけでなく作曲音源を新垣に渡していた事が『Mr.サンデー』で証明!新垣隆は佐村河内守から渡された《交響曲HIROSHIMA》の楽曲シンセ音源を隠している説が濃厚に!『FAKE』の楽曲の独自性が《交響曲HIROSHIMA》と完全一致!新垣隆は嘘をついている!!!

>>【新垣隆の嘘】健聴者にすら聞き取れない小声で有名な新垣隆。人の半分しか聴力がなく、しかも感音性難聴の佐村河内守が新垣隆の会話を普通に聞いていたなど1万%有り得ない!新垣隆は大嘘つきだ!!!

>>【訃報】文春編集長、新谷学の悪事調査の話は本当だった!新垣隆と神山典士の化けの皮も近く暴かれる!

>>【日本メディア糾弾へ】世界のジャーナリストら疑惑の新垣隆氏を持ち上げた日本メディアの捜査を開始!

>>【始動】日本最強弁護士・弘中惇一郎が遂に始動!新垣隆、神山典士から全メディアまで一斉告発へ!

>>【FAKE】あのラストの見事などんでん返し!佐村河内さんはよく長い間我慢しましたね!By:田原総一朗

>>【現代の魔女裁判】黒と断定された人物は、よってたかって血祭りにあげられる。まるで現代の魔女裁判である。ここに一人「魔女裁判」にかけられて深く傷ついた人がいる!映画『FAKE』より。小説家:桐野夏生

>>新垣はオリコン取材で『佐村河内から逃げ回っている』理由をすり替えてるな!真相は悪事発覚への脅え!

>>【訃報】追う森達也、逃げる新垣隆と神山典士!「聞かれて何か都合の悪い事があるのか?!」町山智浩

>>【逃げ回る訳】新垣隆は森達也に疚しい部分を突かれたくなかったから逃げた!映画監督:松江哲明

>>【絶賛!】『FAKE』は宙吊りにされてどこも触ることの出来ないような真実の恐怖映画だ!糸井重里

>>【『FAKE』評】世間がFAKEと決め付けた人の実像は途轍もない『怪物』だった!談:茂木健一郎

>>【ラスト12分】観客の胸ぐら掴んで「おい、何が見える?」と問い詰める真に恐ろしい映画!白石晃士

>>【佐村河内氏楽曲がCD化へ】日本映画の大プロデューサー奥山和由氏が佐村河内守の新曲を大絶賛!

>>【映画『FAKE』を試写で見た】驚くべき結末だった!素晴らしすぎる!!!作家:高橋源一郎

>>【FAKE】人のイメージなどメディアを通せば簡単に操作できる。凄まじい傑作!皆見るべし!津田大介

>>【ナイラ証言】ヒル&ノウルトンはナイラに嘘の証言をさせたのではないのか?!【この謎……解けますか?】

>>【新垣証言】ヒル&ノウルトン(神山典士と文春)はナイラ(新垣隆)に嘘の証言をさせたのではないのか?!

>>映画『FAKE』を観て確信したよ。新垣隆と神山典士と文春はグル!

>>新垣隆に文春テーマ曲委嘱!文春編集長の新谷学「仁義なき戦いやロッキー入れて!」馬鹿なのかw

>>【海外敏腕ジャーナリストたちが注目!】佐村河内氏への攻撃を止めない事件告発ライターに疑惑の目!


悪事密談テープが公開迫る

投稿: 正継 | 2017年6月 6日 (火) 08時56分

>>【悲報】小出恵介を罠に嵌めた少女と新垣隆は酷似している!私欲の為に弱者を装い虚偽暴露!【真犯人】

これが正解ね。

投稿: まるちゃん | 2017年6月14日 (水) 18時21分

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