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東京オペラ・プロデュース公演「ミレイユ」、そして佐村河内事件について(その2)

20年に一度という大雪の中、新国立劇場中劇場に行き、東京オペラ・プロデュース公演「ミレイユ」を見た。

 昨年のラ・フォル・ジュルネでコルボ指揮のグノーのレクイエムを聴いて以来、グノーに関心を持っている。しかも、「ミレイユ」はミストラルの小説に基づくオペラ。昔、杉富士雄訳のこの小説を読んで、すがすがしさを感じた記憶がある。プロヴァンスの明るくのどかな自然を舞台にした悲劇は鮮烈だった。ぜひ聴きたいと思っていたら、東京オペラ・プロデュースが上演してくれるので、楽しみにしていた。

 一言で言って、やはりフランスものは難しい。歌手もオケも合唱もみんな健闘している。大変な努力だっただろう。だが、歌手たちの歌は、私の耳にはほとんどがカタカナ・フランス語に聞こえる。歌手によっては、ヴィブラートが強くて言葉らしいものが聴きとれないことも多かった。だから、グノーを聴いている感じがしない。ヴァンサンの高野二郎など素晴らしい美声だと思うのだが、朗々とイタリアオペラのように歌うので、違和感が付きまとう。日本でフランス語のオペラを聴くたびに、この不満を覚える。何とかならないだろうか。

 そんな中、私の耳に自然に聞こえたのは、ヴァンスネットの岩崎由美恵とアンドルルーの北嶋信也だった。フランス語らしい響きがあって安心した。

 オーケストラは東京オペラ・フィルハーモニック、指揮は飯坂純。音を外したり、歌手と合わないところなどもときにあったが、全体的にはとてもよかった。演出は池田理代子。とてもきれいな舞台で、話も分かりやすく見せてくれているが、あまりにありきたりのメロドラマになってしまっているように思った。しかも、ヴァンサンがあまりに女性的で、少女漫画を見ているような気がして仕方がなかった。かつてミストラルの小説を読んで思い浮かべたプロヴァンスの風景や不思議な情緒を十分に表現されていないように思った。

 オペラそのものについても、やはり作品として弱いと言えそうだ。ストーリーも不自然。魔女タヴァンの位置づけがよくわからない。ウーリアスがなぜ死ななければならないのか、そもそもミレイユも最後、なぜ死ぬのか。きれいなメロディはいくつもあるのだが、うまく全体像を結ばない。そもそも、このオペラは何を言いたいのか。よくわからないまま終わってしまった。

 ちょっと欲求不満が残ったが、ともあれグノーの珍しいオペラが見られたことはとてもうれしかった。これからも珍しいオペラの上演を望む。ただ、繰り返すが、フランス語の発音は何とかならないものか・・・

 

 ところで、昨日に続いて、佐村河内ゴーストライター事件について少し書く。

 その後、ネットで佐村河内守問題について検索していたら、一部で「新垣さんの記者会見は売名行為。お金がほしくて言っている。フィギュアスケートの高橋選手のことを考えれば、今告白なんてありえない」という意見があることを知った。

そのように主張する人は、おそらくシビアな世界で暮らして、ご自分が有名になること、お金をもうけること、ビッグになることを何よりも重視しているのだと思う。だからほかの人も同じような野望を持っているのだと思うのだろう。だが、世の中には、そのような野望を持たない人がたくさんいる。とりわけ、クラシック音楽を学ぶ人たちの多くが、そのような人たちだ。

もちろん、そのような人も、かつては大演奏家になりたいとは思っていたのだろう。だが、さすがにそれはすでにあきらめている。だが、自分の技術を磨き、音楽性を高め、少しでもよい音楽を作りたいと思って、日々精進している。子どものころから莫大なお金を使って音楽のレッスンを受け、かなりの才能があったために音大に行き、楽器に途方もない金を使ってきたのに、音大を出ても音楽では食えず、それでも音楽にしがみついている人々。そんな人々が、音楽をこよなく愛し、音楽以外のことは何も知らず、必死に音楽を続けている。

新垣さんはそのような人の一人だ。そんな人が、大それたペテンに加担したことに恐怖を覚えて告白した。それを売名行為とみなすことはできない。

オリンピック前に告白すると高橋選手に申し訳ないというが、それは反対だ。オリンピックで世界レベルにこのペテンが広まる前に何とか食い止めるほうが大事だ。世界に広まると、高橋選手にも傷がつく。恥は日本だけでおさめておいて、世界に広まるのを止めることは、高橋選手にとっても好ましいことだ。それに、フィギュアの音楽の作曲者がどうこうということで、滑りに変わりはなかろう。

私は、新垣さんの姿の中に大学非常勤講師の悲哀も感じる。私も長い間、大学の非常勤講師として安い時間給で暮らしてきたが、新垣さんもその一人らしい。もしかしたら、家庭が裕福であって経済的には困っていないのかもしれないが、もし桐朋学園大学の非常勤の1コマだけしかないとすると、年収は50万円にも満たないのではないか。繰り返すが、子供のころから大変な才能に恵まれ、莫大な投資をして音大に入り、音楽家になった結果がそのような収入の状況なのだ。そのような人が、生活のために音楽アシスタントをしたとしても当然のことだろう。気が弱いために、そして、貧しくてお金が必要なために、とんでもないことに巻き込まれて何も言えなくなったとしても、同情の余地はある。

 新垣さんは、きっと佐村河内守のゴーストとして、全聾の作曲家を「演じた」がために優れた交響曲を作曲できた。ともあれ、新垣さんは交響曲作曲のコツを見つけたのではないか。昨日書いたことだが、繰り返す。私は新垣さんにぜひ自分の名前で交響曲を作曲してほしい。ここでつぶされずに、もっと名曲を書いてほしい。それが、この事件に巻き込まれた人に対して、新垣さんが行うべき最大の自己弁明だと思う。

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