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都知事選の結果について、そして、ワイダ監督「菖蒲」のこと

 都知事選が終わった。結果について、私はとても残念に思っている。これによって、東京都民は、原子力発電所の再稼働にゴーサインを出してしまった。そのつもりはなかったのだろうが、そうみなされ、その方向に進むだろう。

今回の都知事選は、将来的に原発を廃棄する最後のチャンスだった。ここで即時停止を選択してこそ、将来的に廃止になったはずだ。それをしないと、なし崩し的に再稼働され、また同じことが繰り返される。

大震災後のあの反原発の盛り上がりは一体何だったのか・・・。そして、田母神候補があれほどの票を取ったことにも、非常な危険を感じる。ますます右傾化すると、大変なことになるのではないかと危惧する。

このブログにはできるだけ政治的な話も仕事の話も書かないつもりなのだが、今回ばかりは少しだけ書くことにした。

建国記念日の今日は一日骨休みをした。これまで仕事と遊びに忙しい毎日だった。今日は一歩も外に出ないで、CDを聴き、DVDを観た。

その中の一つ、アンジェイ・ワイダ監督の映画「菖蒲」の感想を書くことにする。

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 ワイダは大好きな映画監督だ。「灰とダイヤモンド」「地下水道」「夜のおわりに」「カチンの森」はいずれも映画史に燦然と輝く大傑作だと思う。ほかに「白樺の林」「約束の土地」「ヴィルコの娘たち」「聖週間」なども大好きだ。そんなわけで、今回、DVDを購入して、「菖蒲」を見た。これまで見て大好きだった映画に匹敵する。

 重病のために死を前にした初老の女性と若者の交流を描くヤロスワフ・イヴァシュキェヴィチ(「尼僧ヨアンナ」の原作者)の短編小説をもとにした映画を中心に、その映画を撮影しようとする映画チーム(ワイダ監督が出演)と、夫を亡くしたばかりの主演女優クリスティナ・ヤンダの独白からなっている。

 菖蒲は濃厚な香りがすると同時に、泥にまみれた死の臭いがするという。それが題名の由来のようだ。

 舞台は1960年前後のポーランドの小さな村。医師の妻である女主人公は、体調がすぐれない。死が間近であることが夫の診察でわかるが、本人はまだ知らずにいる。そんなときに、村の青年にひかれ、近づく。その若い肉体にひかれ、同時におそらくかつてワルシャワ蜂起で亡くした息子たちと重ね合わせているのだろう。男のほうもヒロインと親しくするのを嫌わない。二人で川に泳ぎに行き、飾りにする菖蒲を青年がとるうち、青年が溺れる。ヒロインは助けようとするが間に合わない。

 その物語が美しい川の風景とともに情緒豊かに展開される。そこに、ヒロインを演じるヤンダ(これがあの、「大理石の男」の颯爽としたヒロインなのかとちょっと驚いた!)が亡くしたばかりの夫(ワイダの親しい映画仲間でもあったカメラマン)について語るモノローグが重なり、映画撮影中のヤンダの行動が映される。

 死を前にした老齢の女性が輝くような若い生命に惹かれるが、その若い生命も川によって死を迎える。死という避けようのない宿命。ありふれたテーマだが、それが淡々と身に迫ってくる。そのテーマが、演じられるドラマだけでなく、演じている女優の側からも語られることになる。生と死、現在と過去、現実と虚構が入り混じって、すべてが死を語る。

 村の風景、川の情景が素晴らしい。淡々として、誇張がなく、しっとりとしてリアル。これだけで詩の世界を生きることができる。

 これを見ながら、私が思ったことがもう一つある。私は、故郷である大分県日田市の昔の風景と重ね合わせてみていた。1960年代に60歳前後に見える主人公たちは私の祖父母の世代に設定されているのだろう。東洋と西洋なので、風景はかなり異なる。人々の容貌も服装も異なる。だが、私が子どものころの田舎の川辺の様子を思い出した。三隈川(みくまがわ)やその支流の風景を思い出した。当時の祖父母たちの心の中も見える気がした。

 当時の私には、大変な年寄りに見えていた祖母は確か62歳で胃がんで死んだ。私はすでにその年齢になっている。子どもだったので、祖母の女性としての心の中など考えてもみなかった。この映画を見て、突然、50年以上前に死んだ祖母が一人の女性として私の頭の中によみがえった。

 

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コメント

私も都知事選には同様に大失望です。
また社会の右傾化は芸術を衰退させます。日展や書展の見るに耐えない事件も、右傾化がもたらしたのではないかと思いたくもなります。
ベートーベンもナポレオンに失望(激怒したのかな)しました。
先生が日田のことを書かれていますが、私の久留米市山本町の原風景を思いました。
私は今月末から10日間ばかりスメタナとドヴォルザークに会いにプラハに行きます。あそこへ行けば、私が嫌悪する今はやりの演出に遭遇せずに楽しめると思っています。

投稿: 豊島健次 | 2014年3月 9日 (日) 10時09分

豊島健次 様
コメントありがとうございます。
おっしゃる通り、右傾化は芸術を衰退させますね。とりわけ、他者に対して不寛容になっている状況を危惧します。
久留米は日田からすぐ近くですので、もちろん私にもなじみの土地です。とくに川沿いには同じ音、同じ色、同じ匂いを感じます。
プラハに行かれるのですか。うらやましい限りです。私も2度ほど訪れたことがありますが、旧市街の美しさにはひきつけられます。また行ってみたいと強く思っている都市です。プラハのオペラは日本公演などをいくつか見た記憶がありますが、確かに突飛な演出はありませんでしたね。お楽しみになってください。

投稿: 樋口裕一 | 2014年3月11日 (火) 07時44分

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