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佐村河内守氏の会見のことなど

 昨日(3月7日)、テレビを見ている余裕がなかったので、録画して夜中に帰宅してから、佐村河内守氏の会見の様子を見た。話が音楽以外のところに行っている感じなので、もはや私の関心外なのだが、これまで何度かこの問題についてこのブログで触れてきたので、簡単に感想を書く。

 まず、容姿の変わりようにびっくり。佐村河内氏がどうこうという以上に、髪型やひげやサングラスでこれほどまでに人の印象が変わるということ自体に驚いた。人間は何と外観によって惑わされてしまうものなのか!

「全聾の作曲家」として自ら強烈に売り出したこと自体がすべてウソだったのであり、東日本大震災や義手のヴァイオリニストにかかわる美談もすべてウソだったことが判明しているのであるから、彼には抗弁の余地がないはずだ。平謝りに謝るしかないと思う。小さなところで新垣さんの言うことに不満があっても、それは黙って耐えるしかない。裁判にでもなったら自分を守る必要はあるかもしれないが、会見の場では、「新垣さんの言うことに私と認識の違いがあるが、それについては今は語らない」とするのが大人のあり方だ。それなのに、謝罪はさっさと済ませ、後半はずっと自己正当化。これでは、この人の社会的な未成熟を強く印象付けるだけのことだ。

 多くの医者の証言にもある通り、全聾だった人間が聞こえるようになることはあり得ないという。それなのに、「3年前から聞こえるようになった。それ以前は聞こえなかった。聞こえたかのように語る新垣氏はウソをついている。新垣氏はお金に執着した」などといっても笑止千万。ばれてしまったウソについては言い繕うことができないので認めて謝罪するが、ばれていない点については何とかウソを守ろうとして、むしろ「名誉棄損で訴える」などと攻撃に出る。天性のウソツキというのはこのようなものなのだろう。事実が暴露されてからひと月ほど、ずっとこのような作戦を立てて準備してきたのだろう。

 もちろん、新垣さんが聖人だとは思わないし、もしかしたらお金に執着した部分もあったかもしれない(私が新垣さんのような立場だったとしても、同じようにしたのではないかと強く思う)が、そんなことは問題ではない。新垣さんも間違いなく共犯であり、その社会的な思慮不足は非難されてしかるべきだが、新垣さんを攻撃するための場ではないはずだ。

 社会的に未成熟な人間の作った幼稚なフィクションを、善良でまじめな人たちが、あまりにプリミティブなウソであるがゆえに真に受けてしまい、それを真実として社会に広めてしまった。フィクションに加担していた気弱で社会的にいっそう未成熟な芸術家が、その大それたウソが恐ろしくなり、「現代のベートーヴェン」の美談が我慢ならなくなって告白した。それだけのことだ。

 むしろ私の関心は、新垣さんが今後、良い曲を書いてくれることだ。調性があって、人々を感動させる現代曲を、なぜ新垣さんは佐村河内作曲という仮面のゆえに作曲できたのか。なぜその曲は多くの人を感動させたのか。ペテンというだけでは済まされない部分があると思う。ここに交響曲というものの秘密があるのではないかとさえ思う。そうしたところに関心がある。

 

 実は昨日の午後から夜にかけて京都に出かけ、京都産業大学付属中学高校の辻村先生の通夜に参列していた。付属中学高校を立ち上げ、国語課をまとめ、教頭・副校長として活動なさってきた方だ。私が塾長を務める白藍塾にとっては、私たちの小論文指導を高く評価してくださり、付属中学校での指導に取り入れてくださった恩人だ。文章教育についての思いを同じくしていたので、何度か楽しく話をさせていただいた。御病気だとは聞いていたが、ここまで深刻だとは思っていなかった。私には突然の悲報だった。まだ50歳代。残されたご家族の悲しみ、そしてご本人の無念が胸に刺さる。年下の方の他界は本当につらい。

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