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新国立劇場「アラベッラ」 ともあれ満足

5月31日、新国立劇場で「アラベッラ」を見た。2010年に続いて、このプロダクションを見るのは二度目だが、十分に楽しめた。

 ただ、第1幕では、オケ(東フィル)が十分に伸びず、やや欲求不満 。このオペラは、オケがピッタリ合い、精妙な音がしてこそ、最高の効果を発揮する。歌手たちも本調子ではないようで、ギクシャクしていた。難しいオペラだとつくづく思った。第2幕あたりからやっと調子が上がってきたように思う。第3幕はやはりシュトラウスの音楽の力で深く感動した。

アラベッラのアンナ・ガブラーは、清楚にしっかりと歌っているが、欲を言えば、もう少し存在感がほしい。ちょっと地味な印象を持ってしまう。ヴォルフガング・コッホのマンドリーカは存在感はあるが、声が伸びない。ズデンカを歌うアニヤ=ニーナ・バーマンは可憐でとてもいい。少年っぽさも出して、エロティックな雰囲気を漂わせる。マッテオのマルティン・ニーヴァルは、頼りなげでマッテオらしいとは言えるが、ちょっと声が弱い。

 そのほか、日本人歌手たちもフィアッカミッリを歌う安井陽子をはじめおおいに健闘していた。私はとりわけ、エルメルを歌う望月哲也に感銘を受けた。

 ベルトラン・ド・ビリーの指揮は、手堅いという感じなのだが、もうすこしドラマティックでもよいのではないかと思った。第三幕の前奏曲。これはエロティックで衝撃的な場面を描く音楽のはずだが、かなり淡々としていた。もしかすると、そのような場面ではないという解釈なのだろうか。

  演出はフィリップ・アルロー、衣装は森英恵。美術的にはとても美しい。すべての幕がブルーを基調としており、統一感があると同時に、清楚で深い味わいを出している。

 ただ、舞台の奥のほうであれこれと喜劇じみたパントマイムが行われているのは、ちょっとうるさく感じた。喜劇であることを強調したいのだろうが、音楽とマッチしているとは思えない。「アリアドネ」などではやってもよいと思うが、「アラベッラ」の音楽にそのような要素はないと思うのだが。

 しかし、ともあれ第3幕は、まんまとホフマンスタール+シュトラウスの手に乗せられて、心ときめき、感動し、うっとりした。・・・ただ余計なことだが、無二の親友と思っていた人物が実は女であり、しかも、つい今しがた愛を交わした相手だったと知ると、かなり複雑な感情を持つだろうなと思った。今まで見たいくつかの演出では、すぐに納得したように描かれていたが、アルローの演出ではそれほど単純に描かれてはいなかった。納得。

 

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ローザ・フェオーラは世界屈指のソプラノだった!!

 5月30日、武蔵野市民文化会館小ホールで、ローザ・フェオーラ、ソプラノ・リサイタルを聴いた。すばらしい演奏。まだ20歳代の魅力的な女性なのだが、世界屈指のソプラノだと思った。世界最高のソプラノにまったくもって引けを取らない。

 前半は、ドニゼッティとヴェルディとトスティの歌曲。めったに演奏されない曲なので、もともとイタリアオペラに強くない私はもちろん初めて聴く。曲としてもなかなか面白かった。とりわけトスティの曲は歌曲として完成度が高いと思った。

 しかし、それにしても素晴らしい声と表現力。低音も高音もともに美しく伸びる。高音の美しさは格別。会場全体がリンリンと響き渡る。前半、歌曲の割にはあまりにオペラ的なのが気になったが、イタリア歌曲というのはこんなものなのかもしれない。

 後半は有名なオペラアリア。やはり、コロラトゥーラの曲がとりわけすごい。「リゴレット」のジルダのアリアや「ロミオとジュリエット」のジュリエットのアリア、そして、「椿姫」のヴィオレッタのアリアは絶品。正確な音程で、最高に美しい声。しかも、しなやかで表現の幅が大きい。小細工するのではなく、スケール大きく、じっくりと歌う。心の底まで感動させる力を持っている。

「カルメン」のミカエラのアリア「何を恐れることがありましょうか」もとてもよかった。これはコロラトゥーラの声のテクニックというよりも、まさに声の表現力で感動させてくれた。そのような力も持っている。

 ソプラノにこんなに感動したのは、一昨年のザルツブルクのネトレプコ以来だったのではないかと思った。フェオーラはそれほどの力を持っている。

 アンコールは、全く知らない曲だった。ネットで調べたら、ガスラルドン作曲「禁じられた音楽」だとのこと。残念ながら、この作曲家の名前さえ知らない。が、ちょっとミュージカルっぽい魅力的な歌だった。これも美しい声が響き渡った。

 

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「人に好かれる!ズルい言い方」(青春出版)刊行

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 拙著「人に好かれる!ズルい言い方」(青春出版)が刊行された。

 私の知り合いに、口のうまい人がいる。その人から何かを頼まれると、いやと言えない。つい引き受けてしまう。その人が私に対して批判めいたことを言っても、特に気にならない。その人が自慢を口にしても、けっして不愉快にはならない。

 逆に、口下手の人がいる。無愛想で、何かを口にすると不平めいたり批判めいたり聞こえて、不愉快になってくる。その人から頼まれても、してあげようという気にはならない。その人が自慢めいたことを言おうものなら、我慢できなくなってしまう。この二つのタイプの人間の差は大きい。片方はうまく人生を渡ることができ、もう一方は人生において苦労をする。

 実は私はずっと後者の側の人間だった。感じが悪く、無愛想で、人から好かれなかった。私は、自分で言うのもナンだが、かなり善良でやさしくて謙虚で涙もろくて、思いやりのある人間なのだが、それをわかってもらえなかった。

 そのためにどれほど苦労したことか。就職試験でも面接でことごとく落ち、先輩にかわいがられることもなく、しばしば他人と衝突してすごしてきた。そのため、まともな仕事にありつくこともできなかった。こんな生き方ではまずいと気づいて、態度を改めたのは30代後半になってからだった。

 そうして、遅ればせながら、多少は他人に対しておべっかを言う必要があること、時に自慢をしないと、せっかくよい仕事をしても他人にわかってもらえないこと、人に物を頼むとき、ちょっとおべっかを言ったり、情に訴えたり、ときには脅しめいたりすると効果的なことも知った。そして、これは、ある意味で生きる知恵だとも思う。社会人である以上、ある程度、そのような言葉のテクニックを知っておく必要がある。

 本書は、そのようにして私が知ったずるい話し方のテクニックを披露したものだ。もっと簡単に言ってしまえば、口下手で無愛想な人が、口がうまい人になるためのテクニックを示したものだ。依頼したり、抗議したり、謝罪したり、反論したりするとき、どんなテクニックがあるのか、どうすれば、相手に上手に吹き伏せ、しかも感じよくいられるかを説明している。どのようにおべっかを言えばよいのか、どのように脅しを混ぜればよいのか、どのようなことを自慢すれば感じのよい自慢になるのか・・といったテクニックをたくさん紹介した。

これらは私が時々使っているテクニックだったり、他人にまんまと使われてしまったテクニックだったりする。かつての私のような口下手のために苦労している人にぜひ手にとって、多少なりと参考していただきたい。そして、多くの若い人々が、かつて私のような苦労をしないで、上手に世の中を渡ってほしいと思っている。

 同時に、実はこれは「ちょっと意地悪な読み物」としても面白いのではないかと思って書いたものでもある。「人間てこうだよな」「なるほど、言葉によってこれほど人間を動かせるんだな」などと思いながら、にやりと笑って読んでいただけると、著者としてはこんなうれしいことはない。私としては、これは私なりのちょっとした人間観察の成果だと考えている。

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 METライブビューイング「コジ・ファン・トゥッテ」 最高の舞台!!

 昨日(5月27日)東銀座の東劇でMETライブビューイング「コジ・ファン・トゥッテ」を見た。ジェイムズ・レヴァインの指揮。最高の演奏。最高に楽しく、最高におもしろかった。

 なによりもレヴァインの指揮が素晴らしい。メリハリの効いたうねりの大きいモーツァルト。他愛のない喜劇というよりも、ドラマティックな要素の強い音楽。しかし、生き生きとして弾むようなので、重くはならない。とりわけ、第一幕の幕切れは圧巻。モーツァルトの音楽を聴く喜びを心ゆくまで味わうことができた。わくわくして、楽しくて、しかも人間的な深みにあふれている。

 歌手は現代最高の顔ぶれ。とりわけ、フィオルディリ―ジのスザンナ・フィリップスとフェルランドのマシュー・ポレンザ―二に心を奪われた。フィリップスは、容姿も素晴らしく、いうことなし。美しい声で自在に歌う。表現の幅が広く、すべてに余裕がある。ポレンザ―二は弱音が最高に美しい。二人で歌うところはこれ以上ありえない美しさ。堪能した。

 グリエルモのロディオン・ポゴソフ、ドン・アルフォンソのマウリツィオ・ムラ―ロ、デスピーナのダニエル・ドゥ・二―ス、ドラべッラのイザベル・レナード、いずれも当代最高の歌い手たちで、まるでモーツァルトの世界から出てきたかのよう。これを見ると、これまで見てきた「コジ」(私は昔から、「コ・ファン・トゥッテ」と表記してきた)が偽物に見えてきそう。演出はレスリー・ケーニッヒ。METらしく、伝統的だが、少しも古臭くなく、安心して楽しめる。色遣いがいい。笑えるところがたくさんある。

 いやはや、メトロポリタン・オペラの充実に改めて驚く。毎回、毎回、心の底から満足させてくれる。

 

 5月25日と26日は、私が塾長を務める白藍塾の仕事で北海道にいた。立命館慶祥中学で小論文の研修を行っていた。かなり寒かった。東京を出るときには30度近くあったが、北海道の夜は10度以下だったと思う。おかげで少し風邪気味。

 

 なお、先日のセルビア洪水への募金の呼びかけに多くの方が応じてくださいました。私たちのネマニャ・ラドゥロヴィチ・ファンクラブ「プレピスカ」は小さな小さな集団ですので、小さな目標を立てていましたが、すでに目標額を達成しています。ありがとうございました。5月末にまとめて、セルビア大使館に渡すつもりでいます。なお、5月末日までまだ数日ありますので、引き続きよろしくお願いいたします。

 セルビアの洪水の被害は甚大ですので、6月以降も、私たちにできることがあれば続けていこうと考えています。よろしくお願いいたします。

 念のため、募金の送金先を記しておきます。

 

●「プレピスカ」を通じて送金なさる場合

募金の受付は下記のとおりセルビア大使館の窓口にもありますが、プレピスカ宛にご送金いただければ、ネマニャのファンクラブからということで取りまとめ、送金いたします。

プレピスカ宛に送金される場合は以下の通りお願いいたします。

金額:1 1,000

締切:5 月末日

振込先: 銀行名) 三菱東京UFJ銀行

支店名) 八重洲通支店

 口座番号) 普通預金 0108063

名義) ネマニャファンクラブプレピスカ ヒグチ ユウイチ

 

振込手数料はご負担ください。

ご送金いただいた際には、お手数ですが、以下のメールを送信ください。

件名「セルビア募金」 

記載事項 お名前・送金金額 ・「プレピスカ」会員の方は会員番号

 

https://sites.google.com/site/nemanjafanclubprepiska/home

 

●在日セルビア共和国大使館に直接送金なさる場合

寄付金専用口座

 ・三井住友銀行

 ・五反田支店(店番号:653)

 ・普通

 ・口座番号:8493085

 ・名前:EMBASSY OF THE REPUBLIC OF SERBIA

 

なお、詳しくは以下のサイトをご覧ください。

http://www.tokyo.mfa.gov.rs/jpn/importanttext.php?subaction=showfull&id=1400465356&ucat=109&template=Frontpage3Cir

 

 

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キアロスタミ監督 「だまし絵」の世界?

原稿の締め切りと締め切りの間のため、少しゆっくりしている。

「ある過去の行方」「別離」「彼女の消えた浜辺」のファルハディ監督に導かれる形でイラン映画を見ることにした。イランの何人かの映画監督が世界的に話題になっていることは知っていたが、実はこれまで一度も見たことがなかった。ネットでDVDやVHSを購入して、何本か見てみた。まずは、アッバス・キアロスタミ監督の映画を4本立て続けに見たので、それについて感想を書く。

 

「桜桃の味」 

 キアロスタミの作品のなかでは、最初にこの映画を見た。キツネにつままれたように思った。

中年男が車で土埃のする不毛の土地を回り、次々と数人の男に声をかけ、「あすの朝、穴の中で寝ている自分に声をかけ、返事がなかったら土をかけて埋めてほしい」と依頼する。依頼された男たちは気味悪がって逃げだしたり、断ったり。それがずっと映し出される。最後に老人だけが引き受けるが、「自分も自殺を考えた経験があるが、死のうとしてふと食べた桑の実のおいしさのために思いとどまった。桜桃の味を味わうべきだ」と話して聞かせる。自殺志願の男はこれでそれまでの決意が揺らぐ。老人を探して、「もしまだ生きていたら、砂をかけないでほしい」というような依頼をする。が、最後、予定通り、穴に行き、目をつむる。暗転。これで終わりかと思ったら終わらない。突然、画面が明るくなり、撮影風景が映し出される。登場人物たちは元気に撮影に参加しており、周囲はそれまでの不毛の土地とは打って変わって、木々があり、緑にあふれている。

老人の言葉に動かされて自殺を思いとどまるのかと思っていたら、そうではなかった。男が桜桃を食べる場面もない。しかも、再び会いに行った老人は、親身になって自殺志願の男の話を聞くというよりも、うるさそうにして、かなり冷淡でいるし、そもそも老人は鳥を殺して剥製を作るという、いわば生命を軽んじる仕事をしている。これでは、桑の実で自殺を思いとどまったという話も、もしかすると出まかせだったのではないかと疑いたくなる。そして、不思議なラスト。

ネットで検索してみたが、多くの人が「生命の賛歌」「人間賛歌」と見なしているようだ。主人公が死を思いとどまるのなら、「生命の賛歌」「人間賛歌」だろう。だが、自殺してしまうようだし、最後には撮影風景が映し出される。これのどこが「生命の賛歌」「人間賛歌」なのだろう。

ほかのキアロスタミ作品を見た後で、これはむしろ観客を裏切り続ける映画ととらえるべきなのではないかと思い返した。まさしく「だまし絵」の世界。生命賛歌に見えて、むしろそれに冷水を浴びせる映画にも見え、最後にはそれすら無に帰して、すべてが虚構であったことを暴露してしまう。それ自体がこの映画のテーマではないのか。そのような謎めいたからくりそのものが人生だとキアロスタミは考えているのではないか。私は、キツネにつままれたような思いがしたのだが、キアロスタミは観客にそう思わせたかったのではないか。

それにしても、演出と映像美は素晴らしい。声をかけられる男たちの戸惑い、死や生についてプリミティブに、そして遠慮がちに語る声やしぐさは実にリアル。私はむしろ、これらの映像、これらの表情、そして映画の作りに世界の不条理そのものが体現されているように思うのだ。

 

 

「オリーブの林をぬけて」 アッバス・キアロスタミ監督

 ある映画製作チームが大地震に見舞われた村で映画を撮ることになり、登場人物の一人に撮影助手のホセインが選ばれる。ところが相手役の女性は、かつてホセインが求婚して断られた相手タヘレだった。ホセインは、字も読めず、家もなく、貧しい。それでも誠実に愛を通し、機会あるごとに愛を告げる。しかも、撮影中の映画の中で二人は新婚夫婦を演じる。しかし、タヘレは冷たくするばかり。そうして、二人の出演する映画の撮影が終わった時、オリーブの林を通り抜けて、ホセインはタヘレを追いかける。映画のラスト、遠景になるので、二人のやり取りはわからないが、平和で幸福感にあふれるチマローザのオーボエ協奏曲がかかり、二人の姿が重なり、一人が勢いよく走りだすところから、ホセインの愛は受け入れられたらしいことが想像できる。映画というフィクションの中で夫婦を演じるうち、現実にもそのような心が少しずつ芽生えたということだろうか。

 が、ふと疑念がよぎった。チマローザののどかな曲がかかっているから、この結末はハッピーエンドに思える。しかし、もっと激しい曲、狂気を思わせるような暴力的な曲がかかっていたら、どうだろう。ホセインは意を決してタヘレを追い、暴力的に襲う。タヘレは必死に抵抗する。ホセインは逃げ出す・・・という残虐な結末にも見えなくもない。

「トスカーナの贋作」を見た後で考えると、これはむしろ、どちらの見方もともに正しかったのではないかと思う。監督は、大地震の後のイランの人々の心の復興を願いながらも、悲しい行く末もまた視野に入れているのではないか。深読みかもしれないが、そう思った。

 それにしても、車の中での対話のカメラワークは、「桜桃の味」のように実にすばらしい。おそらくプロではない俳優たちの自然な演技もいい。私の好きなタイプの映画ではないが、大いに楽しむことができた。

 

「トスカーナの贋作」

 ある著述家(ウィリアム・シメル)のオリジナルと贋作についての講演から映画は始まる。その場を訪れた骨董屋を営むフランス女性(ジュリエット・ビノシュ)が著述家を誘いドライブに出かける。簡単に言ってしまうと、二人の会話は「オリジナルと贋作は同価値ではないか」という贋作の復権に集約できる。二人は「トスカーナのモナリザ」と呼ばれる贋作の絵画を見る。200年以上本物と思われ、最近になって贋作と判明しながらも、本物よりも美しいことで知られている。そして、その後、二人はカフェに入るが、そこで女性店主に夫婦と間違われ、そのまま話を合わせる。そこから映画自体が突然、変化をはじめ、二人は徐々に、誤解された通りの夫婦として行動することになる。初めのうちは、たんに夫婦のふりをしているだけ、とりわけ男のほうは女の風変わりな演技に付き合っているだけにも見えるが、徐々に15年間よりそって倦怠期になって、亀裂が入りかけている中年夫婦そのものの物語になる。

 まさしく「だまし絵」の世界。エッシャーのだまし絵のように、どちらが本物の世界なのかわからない。本物と偽物が並立し、観客は目の回るような思いをする。

 この映画の趣向としてはそれだけだろう。それで十分だ。それにしても何と美しい映像であることか、すべてが一幅のイタリア絵画のよう。そして、そのような画面またオリジナルの絵画のものまね、すなわち贋作でもあるのだろう。

 

「ライク・サムワン・イン・ラブ」

 キアロスタミが日本を舞台にして監督した映画。とてもおもしろかった。

 元大学教授の老人(奥野匡)が、デートクラブで働く大学生(高梨臨)を自宅に呼ぶ。女性はこのようなアルバイトをしていることを恋人に感づかれそうになっており、後ろめたく思っている。老人は知的で常識をわきまえた人間で、まるで娘や孫を相手にするように接する。翌日、女性を車で送って大学に行き、女性が恋人らしい男(加瀬亮)と言い合いをしているのを目撃。男は老人を女性の祖父だと思って話をする。三人は合流して車で移動するが、老人と孫という役割をぎこちなく演じる。だが、ほどなく男は事実を知ったらしく、女性は暴力を振るわれ、それを介抱しようとした男性の家に男が押し掛け、ドアを激しくたたき、車に乱暴し、窓に石を投げる。これから厄介なことになりそうだと暗示して、映画は終わる。

「トスカーナの贋作」と同じような、偽の人間関係というテーマが現れる。映画の後半、老人と女性は、祖父と孫のようにふるまう。しかし、「トスカーナの贋作」とは異なって、これは最後には「偽の関係」が崩れる。二人だけであれば、その関係が成り立っていたのだろうが、女性の恋人という第三者の存在によって、それが崩壊するわけだ。あるいは、第三者の存在のために、「だまし絵」が成り立たずに、真実が露わになるというべきか。

 なるほど、実査の生活もこのようにして成り立っているな・・・と思った。私たちは様々な人格を演じ、場面場面で別の人間になり、別の関係を作る。が、しばしば他の人間によってそれが壊される。

 老人がなぜ女性を呼んだのか、かつて実際の妻子とどのようなことがあったのかは明らかにされない。それもまた面白い。そして、ストーリーを遮る意味のない多くのセリフ、車の中の光の反射など、実にリアル。役者たちもとてもいい。老人と娘のふたりともまったく覚えのない役者だが、とも実に魅力的。

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セルビア救援のための募金のお願い

 フェイスブックやテレビ報道などでご存知の方も多いと思いますが、東欧の国セルビアは現在、大きな洪水に襲われ、救援を必要としています。

 私が会長であるセルビア出身の若手ヴァイオリニスト、ネマニャ・ラドゥロヴィチのファンクラブ「プレピスカ」では、募金を呼びかけています。ネマニャ本人からも救援の要望が届きました。

苦しむセルビアのために、11000円の寄付をお願いできませんでしょうか。何卒よろしくお願いいたします。

なお、セルビアは月収4万円程度の国であるにもかかわらず、東日本大震災の際には、世界第5位、欧州第1位の義援金を送ってくれたことで知られています。

 

 

●「プレピスカ」を通じて送金なさる場合

募金の受付は下記のとおりセルビア大使館の窓口にもありますが、プレピスカ宛にご送金いただければ、ネマニャのファンクラブからということで取りまとめ、送金いたします。

プレピスカ宛に送金される場合は以下の通りお願いいたします。

金額:1 1,000

締切:5 月末日

振込先: 銀行名) 三菱東京UFJ銀行

支店名) 八重洲通支店

 口座番号) 普通預金 0108063

名義) ネマニャファンクラブプレピスカ ヒグチ ユウイチ

 

振込手数料はご負担ください。

ご送金いただいた際には、お手数ですが、以下のメールを送信ください。

件名「セルビア募金」 

記載事項 お名前・送金金額 ・「プレピスカ」会員の方は会員番号

 

https://sites.google.com/site/nemanjafanclubprepiska/home

 

●在日セルビア共和国大使館に直接送金なさる場合

寄付金専用口座

 ・三井住友銀行

 ・五反田支店(店番号:653)

 ・普通

 ・口座番号:8493085

 ・名前:EMBASSY OF THE REPUBLIC OF SERBIA

 

なお、詳しくは以下のサイトをご覧ください。

http://www.tokyo.mfa.gov.rs/jpn/importanttext.php?subaction=showfull&id=1400465356&ucat=109&template=Frontpage3Cir

 

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新国立の「道化師」に興奮

521日、新国立劇場で、マスカーニ作曲「カヴァレリア・ルスティカーナ」とレオンカヴァッロ作曲「道化師」を見た。とりわけ「道化師」に興奮。

「カヴァレリア・ルスティカーナ」は、ヴァルテル・フラッカーロの歌うトゥリッドゥは素晴らしかった。きれいで張りのある声が伸びる。声量も十分。サントゥッツァのルクレシア・ガルシアについては、声量は十分で、特定の声域では素晴らしいのだが、時々音程があやしくなるのを感じた。アルフィオの成田博之、ローラの谷口睦美も十分に外人勢に対抗していた。

 指揮のレナート・パルンボはメリハリがあり、スケールが大きくてとてもいい。東フィルの良さも十分に引き出している。管楽器がとりわけ美しい。ただ、「カヴァレリア・ルスティカーナ」に関しても、もう少しじわじわと迫力が高まるような指揮でもよかったのではないかと思った。ちょっと大味な感じがしないでもなかった。

「道化師」は、ヴィットリオ・ヴィテッリの前口上からして、実にすばらしい。伸びがあり、深みがあり、このオペラ特有の悲しみ、怒りのこもった歌が見事。

カニオのグスターヴォ・ポルタ、ネッダのラケーレ・スターニシ、ペッペの吉田浩之、シルヴィオの与那城敬はいずれも最高のキャストだと思った。与那城は歌唱だけでなく、容姿的にも西洋人にまったく引けを取らない。ネッダとシリヴィオの二重唱は、これまでに世界の名舞台と変わりないほどの説得力だった。道化芝居の場面のカニオ、ネッダ、トニオ、ペッペ、シルヴィオの声には息をのんだ。とはいえ、やはりグスターヴォ・ポルタの声の張りと名演技は圧倒的だった。「衣装をつけろ」のアリアは絶品。

 指揮に関しても、素晴らしかった。振幅が大きく、ドラマティック。文句なし。三澤洋史指揮の合唱も見事。それぞれのオペラの雰囲気をよく出して、声量、表現も見事。演出は2本ともジルベール・デフロ。いずれもとても納得できる演出。「カヴァレリア・ルスティカーナ」はシチリアを表に出した演出で、海岸の雰囲気。「道化師」は群衆をうまく使って力感を出していた。

 ドイツ系のオペラを中心に聞いて、イタリアオペラがかなり苦手な私も、「道化師」にはただただ引き込まれてみるばかりだった。新国立のこれまでの上演の中でも最高レベルだったと言えるのではないか。私は大いに感動し、興奮した。

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  ところで、私は1階の前方の通路側の席に座っていたところ、客席まで繰り出した旅回りの一団の芝居のチラシを手渡された。表と裏を写真に撮って転載しておく。

 帰宅が遅くなったので、このくらいにする。ともあれ、とても満足。

 

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「別離」「彼女が消えた浜辺」「ローンレンジャー」

 WINDOWS 8.1をとりあえず設定したが、使いこなせない。私はマニュアル通りに一つ一つマスターしていく・・・というのが大の苦手で、つい自分勝手にあれこれいじってみたくなる。そうこうするうち、取り返しのつかないことになってしまう、ということがこれまでも何度もあったのだが、また性懲りもなくやってしまった。「8」は「7」などとかなり違うとは聞いていたが、ここまでとは! 使いこなすにはまだしばらく時間がかかりそう。

 うんざりしながら、パソコンをいじるのをやめて、購入した映画DVDを数本見た。感想を記しておく。

 

993 「別離」

 先日、京都シネマで「ある過去の行方」を見て大いに感動したので、同じアスガー・ファルハディ監督・脚本のイラン映画「別離」のDVDを見てみた。とてもよかった。

妻・シミン(レイラ・ハタミ)が、イランを出て外国で暮らしたいと言い出したため、アルツハイマー病の父親を置いて出国することをためらう夫・ナデル(ペイマン・モアディ)は離婚を決意する。そのため、父の介護を別の女性(サレー・バヤト)に依頼することになるが、女性が介護を怠ったために乱暴に家から追い出したところ、女性は流産してしまう。その原因をめぐって争いになる。

「ある過去の行方」と同じような展開を遂げる。妻の離婚申し立てをきっかけにそれまで表に出なかった問題が噴出してくる。登場人物全員にしっかりとした言い分がある。それぞれに正しいし、だれもが他人を思いやり、やさしい気持ちを持ち、何とか理解しあいたいと思っている。だが、どの人物にもそれぞれの理想やエゴがあるために、うまく理解し合えないで、どんどんと溝が深まっていく。結局は、子ども(サリナ・ファルハディという少女を演じる。もしかして監督の娘さん?)がそのような両親の状況に巻き込まれて苦しむことになる。

私は夫・ナデルにもっとも共感し、妻や介護の女性を身勝手だと思ったり、情けないと思ったりする。だが、介護する女性の乱暴者の夫や、証言者の教師を含めて全員の気持ちがとてもよくわかる。私自身、このようなことを日常的に体験してきたし、気付かない所でもこのようなことがあったのではないかと思う。いや、そもそもこれが人生の縮図だとも思う。

「ある過去の行方」の冒頭、ガラス壁のために元夫婦の声のやり取りが聞こえない場面があったが、「別離」の最後では、左右に分かれた離婚直前の夫婦の中に、まるで壁のように配役のクレジットが流れていく。ともにSEPARATION(この映画の英語題名)を象徴しているのだろう。

ところで、「ある過去の行方」では、なぜ主人公がかつてフランス人の妻と別れて故国イランに戻ったかという大きな謎が、最後まで明かされないのと同じように、「別離」では、盗まれたとされるお金はどうなったのかも、そして娘が両親のうちのどちらを選ぶのかも、最後まで明かされない。そのような謎のまま残されるのも、またとても魅力的。私の人生の中でも、謎のままに残されていること、あえて真実を暴こうとしないままにしていることがいくつもあるのだから。

それにしても、映画の中の様々な場面から、イランの人々の日常生活のあちこちに理不尽な宗教的タブーがあり、とりわけ女性がいかに不自由な生活を送っているかを痛感する。主人公の家庭はかなり西洋化されているのだろうが、それでも自由に生きることができない。とはいえ、このような葛藤の多い社会であるからこそ、次々と映画の名作が生まれるのだろう。

 

085 「彼女が消えた浜辺」

 同じアスガー・ファルハディ監督のイラン映画。これも素晴らしい傑作。

 ヴァカンスの時期、カスピ海沿岸の避暑地に10数人の家族ぐるみで付き合う仲間たちがやってくる。その中心になっている女性セピデー(ゴルシフテェ・ファラハニー)は、離婚したばかりのアーマド(シャハブ・ホセイニ)に、子どもの保育園の先生であるエリ(タラネ・アリシュスティ)を紹介しようとしている。エリがみんなとなじみ始めた時、子どもの一人が海に溺れそうになった前後に、エリの姿が消える。子どもを助けようとしてエリまでも溺れてしまったのか、何かの事情がありそうだったエリはそのまま立ち去ったのか。そもそもエリは何者だったのか。

 まず心理ドラマとして実によくできている。みんな善良で優しい人たちで、心から仲よくしているのだが、ことが起こってしまうと責任のなすりあいになる。それでも何とか人を傷つけまいとし、だんだんと明らかになる真実を糊塗しようとするが、そうすればするほど傷は広がっていく。真実を知る者は、みんなを傷つけてしまうために真実を言うことができなくなってしまう。

そうした中で、二転三転しながら、まるでミステリーのように徐々に真実が明らかになっていくが、そこで明るみに出されるのは、女性の意思を通すことのできない社会、そして男としての意地を通すしかない厳しい社会の状況だ。言葉当てゲームや凧あげの場面のミリの生き生きとした表情、そしてその映像が本当に素晴らしい。自然な演出で、生きる喜び、桎梏から解放されようとする喜びが表現されている。

 ファルハディ監督の手腕に引き込まれっぱなしだった。

 

815 「ローン・レンジャー」

 もう一本は正真正銘の娯楽映画。2013年公開のディズニー映画「ローン・レンジャー」。監督はゴア・ヴァービンスキー。ローン・レンジャーがアーミー・ハマー、トントをジョニー・デップ。劇場で観たいと思いながら、時間が合わなかったのでDVDを購入してみた。あまりヒットしなかったと聞いたが、なかなかおもしろかった。

 銃を使わずに法を守ろうとする頼りない若い検事が、保安官である兄を殺され、原住民トントに助けられながら、ローン・レンジャーとしてだんだんと自立していく物語。悪と法と資本が一体となって庶民を苦しめる社会を正すには覆面をつけてアウトサイダーになるしかない。覆面にそのような意味を持たせている。そこに、自分たちの国を奪われ、白人に騙され収奪される原住民の悲しみを重ね合わせている。

 トントを演じるジョニー・デップが目立ってしまい、肝心のヒーローが最後まであまりかっこよくないという欠点が確かにある。トントに重点が偏りすぎている。かつてのテレビドラマのファンとしては、もっとローン・レンジャーの颯爽とした活躍を見たかったという思いを禁じ得ない。それに、20世紀の少年と老いたトントの(幻想の?)対話にもあまり意味があるとは思えない。ローン・レンジャーの物語が、過去の完結した物語ではなく、現在にまで通じる物語だというメッセージだと思うが、痛快娯楽ドラマなのだから、もっと仮想の世界にどっぷりつかってよかったのではないかと思う。それに、悪ふざけというか遊びというか、そのような場面が多くて肝心のヒーロー物語がかすんでしまっている。そんな問題点は確かにある。

 が、ともあれ、ドジなヒーローが原住民のおかれた状況を知り、正義が不確定であることを知り、ついに腹を決めてヒーローとして生きようとして、そこにあのウィリアムテル序曲がかかる・・・というのは実に感動的だ。

 昔のテレビドラマのウィリアムテル序曲がよみがえったせいか、この曲を契機にクラシック音楽に傾倒していった小学5年生の自分の姿を思い出したせいか、不覚にも、ウィリアムテル序曲をバックにローン・レンジャーが颯爽とシルバーにまたがって悪を追う場面に涙を流してしまった。

 

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ジル・ヴォンサッテルの透明なピアノの音

516日、武蔵野市民文化会館小ホールで、ジル・ヴォンサッテル ピアノ・リサイタルを聴いた。1981年生まれというから、まだ30代前半。スイス生まれのアメリカ人だという。とてもよい演奏だった。

曲目は、前半にラヴェルのソナチネ、ベートーヴェン「月光」、リスト「エステ荘の噴水」「葬送」、後半にシューマン「アラベスク」、ドビュッシー「映像」 2巻「葉ずえを渡る鐘の音」「そして月は廃寺に落ちる」「金色の魚」、ラヴェル「ラ・ヴァルス」。フランスとドイツのピアノ名曲集とでもいったところ。ピアノ曲をあまり聞かない私でも、さすがにこれらの曲は知っている。

あまりに透明な音にまずは驚いた。一つ一つの音は繊細だが、細身の透明な音で知的に肉薄していく。あまりロマンティックに歌うタイプではない。「月光」の最終楽章は透明な音の迫力に圧倒された。リストの曲も、実に音が美しい。どうして同じピアノからこんな透明な音が出るのだろう・・・ときわめてプリミティブな疑問を抱きたくなるほど。

「ラ・ヴァルス」も圧巻。ただ、ラヴェル特有の流動性がなく、きわめて分析的。メロディ線が表に出ないで、あまりワルツらしくない。むしろ音の構築性が強く感じられる。もう少しワルツの雰囲気が強いほうが私の好みだ。アンコールは、ベートーヴェンのバガテル ト長調 とドビュッシー「動き (ムーヴマン)」。これも同じ雰囲気。

私はとても気に入ったが、もう少し歌の心があるほうが感動につながるとも思った。もちろん、これがこのピアニストの持ち味なのだろうが、ちょっと表現が消極的すぎる気がする。

ところで、少し近況を付け加える。

4月以降、大学の入試委員長という役職を離れたので、昨年に比べると、コンサートにもかなり通っている。ただ、原稿を書く仕事が迫っていたので、先月から今週の火曜日まではずっと時間に追われていた。ラ・フォル・ジュルネがあり、購入済みのチケットがあり、魅力的なコンサートがあるので行かざるを得ない。が、行けばいくほど、ますます時間が取れなくなって、机の前ではパニック状態だった。おかげで、ひと月前に買ったパソコン2台の設定をする時間もまだ取れずにいる。

やっと今週の火曜日に完成原稿を編集者に送付して、一息ついた。ほかにもいくつか原稿はあるが、締め切りに余裕があるので、少しゆっくりしたい。

514日には山形に行き、山形学園高校で県内の高校の国語の先生方の前で講演。「クリティカル・シンキング」の重要性、私たちの作成した教材についてお話した。とても充実した会だった。なお、講演前、山形駅付近で昼食に山形牛のステーキを食べたが、実においしかった。値段も手ごろ。

火曜日に原稿は出したが、その後もあれこれの仕事やらコンサートやらで、ゆっくりした時間はとれなかった。今日と明日はゆっくりしたい。まずは、2台のパソコンの設定をしなければ・・・。

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METライブビューイング「ラ・ボエーム」に心ならずも感動

 銀座の東劇でMETライブビューイング「ラ・ボエーム」を見た。

 実は私は30年来のプッチーニ嫌い。しかし、何とかプッチーニを理解しようと、最近、機会があるごとにプッチーニに触れることにしている。その一つとしてみることにした。

 ゼフィレッリ演出の古典的な舞台。何人もの歌手で見た記憶がある。しかし、定番だけあって、やはり実にこなれている。ミミのクリスティーヌ・オプライスは、出演予定だったハーディグが風邪のため、当日の朝、連絡を受けて、前日「蝶々夫人」を歌ったばかりなのにこの役を引き受けたという。第一幕はセーブ気味だったが、第二幕以降、本領発揮。第3幕、第4幕は圧巻。細身の美しい声で、まさにミミにぴったり。いかにもかよわげ。しかし、リリックでしかもドラマティック。容姿も美しく、言うことなし。

 ロドルフォのヴィットーリオ・グリゴーロももちろん素晴らしい声。ムゼッタのスザンナ・フィリップスも輝かしい声と可憐な容姿がすばらしい。まさにロドルフォとムゼッタにぴったり。マルチェッロのマッシモ・カヴァレッティも実にいい味を出している。第3幕の四重唱は実に美しかった。そのほか、ショナールのパトリック・カルフィッツィ、コルリーネのオレン・グラドゥスもはまり役。

 指揮はステファーノ・ランザーニ。手堅くオケをまとめ、勢いのある音楽を作り出している。私は大いに気に入った。プッチーニ嫌いの私が、なんと第4幕は不覚にも感動の涙を流しそうになった。プッチーニのお涙ちょうだいの甘ったるいメロディや、歌をそのままなぞるオケには抵抗を感じるのだが、そんなことは忘れて、歌手たちの声の力と演技に酔った。それにしても、メトロポリタン・オペラ恐るべし。すべてが最高レベル。

 4人の若者(実際に歌うのは、もちろんかなりの年配の歌手たちだが)のおふざけを上手に使って悲劇を引き立たせ、しかも、これがあるためにお涙ちょうだいのメロドラマが、しつこくて甘たっるすぎるメロドラマにならずに済んでいる。そのプッチーニの手腕には改めて感服。

 本場メトロポリタン・オペラを見たい気持ちが高まった。これまでバイロイト、ザルツブルクにばかり目が向いていたが、ニューヨークにも足を運びたいと強く思った。

 

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ミロ・クァルテットの「ラズモフスキー」3曲

 5月10日、第一生命ホールでミロ・クァルテットの演奏で、ベートーヴェンの「ラズモフスキー」全3曲を聴いた。2月に予定されていたが、メンバーの都合で延期になったのだった。いかにもアメリカの弦楽四重奏団という印象を持った。

 はじめは違和感を抱いた。ともかく、あまりにアメリカ流。高度な技術でバリバリ演奏。アンサンブルは素晴らしく、しかも音がしなやかで、歌わせるところは歌わせる。どこといって文句はないのだが、あまりに前に張り出してくる。もう少し内面的で内省的な面がほしい気がしてくる。先日のボストン交響楽団のチャイコフスキーのロシア臭さがまったくなかったと同じように、ウィーンらしさがない。恐ろしく上手な人たちが仕事としてベートーヴェンを演奏している・・・という印象だった。

 前半に弦楽四重奏曲第7番、後半に第8番・第9番が演奏されたが、私は後半になってから、やっと納得し始めた。とりわけ、最後の第9番は圧倒された。第4楽章の音の積み重ねのものすごさ。そして音楽そのものの持つ愉楽。ヨーロッパ的な「精神性」のようなものはあまり感じられないが、音楽そのものの楽しみが感じられるのは間違いない。のめりこみすぎず、音楽にメッセージを込めようとはせず、かなり即物的に音楽を作っていくが、そこに音楽そのものの美しさ、音楽そのものの醍醐味が現れる。私の大好きなタイプの演奏家というとそうではないが、このようなベートーヴェンもまた素晴らしいと思った。

 アンコールは弦楽四重奏曲第13番のカヴァティーナの楽章。精妙で息が合っていて、これもまた満足。

 

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デュトワ+ボストン交響楽団のチャイコフスキー

 5月8日、東京芸術劇場で、シャルル・デュトワ指揮、ボストン交響楽団のコンサート(都民劇場)を聞いた。曲目は、前半にムソルグスキーの「はげ山の一夜」と、ジャニーヌ・ヤンセンが加わってのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、後半にチャイコフスキーの交響曲第5番。アンコールはハンガリー舞曲。

 マゼール来日のつもりで購入したチケットだった。デュトワに変更になって、実は少々残念だった。が、聴いた後では十分に満足。

 ロシア臭さのあまりないムソルグスキーやチャイコフスキー。とりわけ、チャイコフスキーは、特有の「やるせなさ」や「むせび泣くような情緒」もあまりない。むしろヨーロッパ的で音の色彩が強調されている感じ。

 初め、少し不満を抱きながら聴いていた。やはりチャイコフスキーはもっとチャイコフスキーらしいほうが楽しめる。あく抜きのチャイコフスキーのような感じ。が、聴き進めるうち、ぐいぐいと引き込まれた。ヤンセンのメロディの歌わせ方が実に美しい。ロシア臭くはないが、実に情緒があり、歌心がある。やるせなさよりも、むしろもっと楽しげで歌にあふれている。それはそれで素晴らしい。

 交響曲も同じ感じ。これもチャイコフスキーらしくはないが、十分に説得力がある。実に色彩的で音の爆発がドラマティック。第二楽章の盛り上がりもいいし、第四楽章の最後のファンファーレも胸がときめいた。

 ただ、ラ・フォル・ジュルネが終わったばかりで、実は音楽疲れしている。とても感動して聴いたが、忙しさもあって、ブログに詳しく書く気力がない。このくらいにしておく。

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2014年ラ・フォル・ジュルネ5月5日

 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン最終日。本日も充実。素晴らしい演奏の連続だった。大満足。

 

・モディリアーニ弦楽四重奏団 ドヴォルザーク 弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」、バーバー 「弦楽のためのアダージョ」

 

俗っぽさを排した「アメリカ」。精密で精妙。完璧な音程。メロディを歌わせようとしているのはわかるが、それだけではドヴォルザークらしくならない。特に第二楽章は別の音楽。まるでバルトークのような雰囲気。ただこれはこれでおもしろい。バーバーは絶品。悲しみにあふれ、音が精妙に重なる。こんなバーバーの「アダージョ」を聴いたのは初めて。この曲の良さも改めてよくわかった。

 

・ミシェル・コルボ(指揮)ローザンヌ声楽アンサンブル

ブラームス「ドイツ・レクイエム」(ピアノ伴奏)

ピアノ伴奏であるだけに合唱の素晴らしさが際立つ。最高に美しい声の重なり。ドラマティックでもある。バリトンのファブリス・エヨーズエヨーズもいいが、それ以上に、ソプラノのレティツィア シェレールが素晴らしい。最高に美しい声で祈りの世界を歌い出す。ただ、オーケストラ伴奏に慣れた耳には、やはり物足りない。

 

・ミシェル・コルボ(指揮)、ローザンヌ声楽アンサンブル

ドヴォルザーク「スターバト・マーテル」(抜粋)

 

 よみうり大手町ホールに移動して聴いた。同じコルボとローザンヌ声楽アンサンブルの演奏。これも素晴らしい。静謐で穏やかで祈りの心と愛情に溢れている。ドヴォルザークが自分の子供なくして作曲したと言われるが、それがよく伝わる。ドヴォルザーク特有の親しみやすいメロディもふんだん。ただ、ちょっと同じような雰囲気が続きすぎる気がする。抜粋版ながら、ちょっと疲れた。とはいえ、本当に素晴らしい演奏。至福の時間だった。マリー・ヤールマン(ソプラノ)、マリー=エレーヌ・リュシェ(アルト)、クリストフ・アインホルン(テノール)、ピーター・ハーヴェイ (バリトン)の歌手たちもそろっている。

 

・マリナ・シシュ(ヴァイオリン) シンフォニア・ヴァルソヴィア ジャン=ジャック・カントロフ(指揮)

 ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲

 

話題のシシュのヴァイオリン・ソロ。びわ湖のラ・フォル・ジュルネではソロは聞けなかった。じゃじゃ馬という感じのヴァイオリン。素晴らしい美しい音色、見事な技術。だが、テンポが動き、感情が一定しない。まさに見かけどおりの一筋縄ではいかない美女。振幅が大きく、鋭く切り込んだり、大胆に鳴らしたり。それはそれで魅力だが、私の好みではない。私らしくない俗な言い方だが、こんな女に惚れたら苦労するだろうな・・という印象を持った(私は上品な人間ではないが、普段、このようなたとえは使わない。が、シシュについては、このような表現をしたくなる)。

 

・仲道郁代(ピアノ)、モディリアーニ弦楽四重奏団 モーツァルト 弦楽四重奏曲第6番 ピアに四重奏曲第1番ト短調

 今年のラ・フォル・ジュルネは、モーツァルトのト短調のピアノ四重奏で終わりにすることにした。モディリアニ・カルテットは今回のラ・フォル・ジュルネではフル回転。毎回、見事な演奏を聞かせてくれた。このコンサートも実にすばらしい。ぴたりと息が合い、若いモーツァルトの世界を作り出してくれた。とりわけ、仲道さんが加わってのト短調のピアノ四重奏曲が絶品。モーツァルトのト短調を堪能できた。明るい雰囲気になりながらも、まだ深く沈鬱な心が残る第三楽章の表現が見事。

 

 びわ湖と東京のラ・フォル・ジュルネを聴き終えて、大変満足。

 企業からのお金が集まらず、資金難だと聞いていた。ラ・フォル・ジュルネを開けないのではないかとまで噂されていた。あちこちで経費節減の影響が見えた。出演者に若手が多かったのもそのためだろう。だが、若い才能が驚くべき名演奏を聞かせてくれた。トリオ・レ・ゼスプリ、トリオ・アライアンスのメンバーは、室内楽を演奏してくれるだけでなく、ソリストとしても活躍した。今後、世界中で活躍する演奏家になるだろう。

 実は私は、426日から今日まで、関西と都内に泊まり込んでおり、自宅では2泊しかしていない。久しぶりに自宅に帰った。めくるめく毎日だったが、ともあれ疲れた。それにそろそろきちんと本職の仕事をしなくては・・・

 

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2014年5月4日ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン

 5月4日のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン。素晴らしい演奏にいくつかであった。昨日よりは1時間ほど早くコンサートは終わったが、既に夜遅い。ごく短く感想を記す。

 

・アダム・ラルーム(ピアノ)、モディリアーニ弦楽四重奏団 ブラームス ピアノ五重奏曲

 

 端整で繊細で細身の演奏。しかし躍動感があり、ダイナミックでもある。きわめて機能的な動物の精悍な動きを見るよう。魂が躍動した。とりわけ第34楽章に圧倒された。ピアノも素晴らしいが、弦も素晴らしい。モディリアーニ弦楽四重奏団の力のほどを思い知った。

 

・「手紙からひも解くモーツァルト歌曲の世界」 天羽明惠(ソプラノ)、中田淳也(ピアノ)、村上信夫(朗読)。

「春への憧れ」「すみれ」「クローエに」「夕べへの想い」など。

  手紙によって時代ごとのモーツァルトの精神を紹介し、それを歌で表現していく。前半、清純できれいな歌が続くが、後半、モーツァルトの死が近づくにつれて深い精神の世界になる。そうなると、天羽さんの本領発揮。天羽さんらしい迫力のある歌。コンサートの後でお見かけしたので、挨拶して感動を伝えようと思ったが、食事中だったので遠慮した。

 

51b6nsoksjl__aa160_  この後、ラ・フォル・ジュルネ公式本「ときめきのクラシック」の著者として、会場内で小さなサイン会を行った。心配していた通り、あまり客が来なかった。残念。この本、これまでの日本のラ・フォル・ジュルネの歴史、そこで活躍した人々についても説明しているので、ラ・フォル・ジュルネのファンには楽しめる内容になっているはず。よろしかったら、購入いただきたい…とここで少し宣伝させていただく。

 

・ラファエル・セヴェール(クラリネット)、プラジャーク弦楽四重奏団

モーツァルト:アダージョとフーガ ハ短調 、クラリネット五重奏曲

 

 しみじみとした良い演奏。第2楽章は特に心にしみた。私はこの曲に特別の思いを抱いている。昔見たフランス映画「幸福」を思い出す。最初の曲アダージョとフーガも「幸福」につかわれていた。愛のはかなさ、生きる悲しみがふつふつと湧き上がる。それが私自身の人生にも重なる。しみじみと感動した。ただ、ちょっと音楽を小さく作りすぎているのではないかと思った。これではセゼールスケールの本領が発揮できないのではないか。

 

 ・アダム・ラルーム(ピアノ)、横浜シンフォニエッタ、ジョシュア・タン(指揮)

 「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」モーツァルト ピアノ協奏曲第24

  文句なく素晴らしい演奏。若い演奏家たちの実力を実感。タンの指揮も見事。しっかりとオケをコントロールし、ニュアンスをつけ、自然に流れるように、しかもメリハリをつけて演奏。オケも素晴らしい。それにもまして、ラルームの絶妙のニュアンスの粒立ちの美しい音に驚嘆。濃淡の付け方が見事。音楽のなかに没入できた。

 

・オーレリアン・パスカル(チェロ)、ジュヌヴィエーヴ・ロランソー(ヴァイオリン)、クレール・デゼール(ピアノ)

 初めに、ロランシーのヴァイオリンでドヴォルザークのヴァイオリン・ソナタ。ちょっと平凡。特に際立ったところのない演奏だった。次に、パスカルのチェロでドヴォルザークの「静かな森」と「ポロネーズ イ長調」。かなり深く歌わせるタイプのチェロ。パスカルは昨日、シューマンの五重奏曲を「フォル・ジュルネ・カメラータ」の一員として演奏しているが、その時はチェロが一人だけ深々と歌わせるのに違和感を覚えた。が、一人で演奏するのであれば、これはなかなか味があっていい。

 

・アブデル・ラーマン・エル=バシャ(ピアノ)

 ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第30番、第29番「ハンマークラヴィーア」

 

  よみうり大手町ホールに移動して聴いた。とても響きのよいホール。500人程度の収容。エル=バシャの演奏は見事。情緒に流されることもなく、集中力が途切れず、これらの名曲を演奏しきった。孤高の精神を歌いあげている。自由すぎず、かといってかしこまってもいない。達観した境地を描きだす。きっと素晴らしい演奏なのだろう。ただ、残念ながら、私はずっとピアノ曲になじまないで生きてきた。ベートーヴェンの後期のソナタを十分に理解していない。しばしば深く感動しつつ、しばしば音楽の流れに戸惑った。

 

・小菅優(ピアノ) ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第19番・20番・21番「ワルトシュタイン」

 素晴らしい演奏。とりわけ「ワルトシュタイン」は圧巻。音楽の構成がしっかりして、実に自然でドラマティックに音楽が流れる。力感にあふれ、躍動感にあふれている。一つ一つの音も実にニュアンス豊かで美しい。第一楽章と第三楽章はしばしば魂が震えた。すごいピアニストだと思った。

 

・プラジャーク弦楽四重奏団、ジュリエット・ユレル(フルート)

 モーツァルト 弦楽四重奏曲第20 「ホフマイスター」、フルート四重奏曲第4番・第1

 「ホフマイスター」については、きれいにまとまっている印象。ただ、それ以上はあまり感じなかった。フルートのユレルはきわめて率直な演奏。細かいニュアンスを込めようとはしないで率直に吹く。が、それが実に心地よい。若いモーツァルトの世界を描き出す。のびやかで明るくて若々しい。フルート四重奏曲の第1番は躍動する素晴らしい演奏だった。

 

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2014年ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン初日 

 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンの2014年の初日。すべて終わったのが23時30分。ごく簡単に今日聴いたコンサートの感想を書く。

 

・トリオ・レゼスプリ ・・・梁美沙(ヴァイオリン)、ヴィクトル・ジュリアン=ラファリエール(チェロ)、アダム・ラルーム(ピアノ)

ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第6番、ピアノ三重奏曲第5番「幽霊」

 

 素晴らしい演奏。梁の演奏は数年前に聴いた記憶がある。その時は、前に押し出してくる強い演奏だったように思う。強い感銘を受けた。今日の演奏は、表に張り出してくる力は弱いが、その分深みがまし、弱音の緊張感が高まっているように思った。「幽霊」も張りがあり、リズムが生き生きとしており、言うことなし。

 

・リチェルカール・コンソート・・・ルイス=オタビオ・サントス(ヴァイオリン)、 マルク・アンタイ(トラヴェルソ)、フランソワ・ゲリエ(チェンバロ)、フィリップ・ピエルロ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)

 ヴィヴァルディのトリオ・ソナタ ホ短調、ヴァイオリンとヴィオラ・アッリングレーゼのためのソナタ、ソナタ集 「忠実な羊飼い」、トリオ・ソナタ ニ短調 「ラ・フォリア」など。

 

 これも素晴らしい。稠密な空間。バロック時代が目の前に再現されるかもよー。ピエルロのヴィオラ・ダ・ガンバが素晴らしい。ただし、このような楽器編成の古楽器の演奏を聴くには、よみうりホールは広すぎる。もっと狭いホールでこのコンサートをしてほしかった。

 

・ローザンヌ声楽アンサンブル、シンフォニア・ヴァルソヴィア ミシュル・コルボ指揮  フォーレ「レクイエム」

 

 期待通りの素晴らしい演奏。しなやかで柔和で、信仰心にあふれ、清らかで美しい。とりわけ合唱が素晴らしい。ただ、ファブリス・エヨーズのバリトンが少し不安定。とはいえ、特に不満というほどではない。時々涙が出そうになった。

 

・ルートヴィヒ チェンバー プレイヤーズ

 ベートーヴェン 七重奏曲 変ホ長調

 これも満足。まさしく大人の演奏。誇張することなく、ごく普通に演奏する。だが、若きベートーヴェンの初々しい精神があふれ出す。ヴァイオリンが美しい。そして、管楽器の安定度に抜群。しみじみと良い曲だと思った。

 

・セルゲ・ツィンマーマン(ヴァイオリン)、伊藤恵(ピアノ)

ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第5番 「春」、第9番 「クロイツェル」

 

 実は少し期待外れだった。偉大なるヴァイオリニストの息子だというので、父親を超える才能かと思っていたが、少なくともまだ十分に開花していないように思えた。まだ学習途中という雰囲気で、自分の表現になっていないように思える。とりわけ「春」にそう思った。クロイツェルの第一楽章はとてもドラマティックになったので期待したが、第二楽章は平板になった。もう少ししてから、また聴きたい。

 

・クレール・デゼール(ピアノ)、フォル・ジュルネ・カメラータ・・・正戸里佳(ヴァイオリン)、クレモンス・ドゥ・フォルスヴィル(ヴァイオリン)、 コランタン・アパレイー(ヴィオラ)、オーレリアン・パスカル(チェロ)

シューマン ヴァイオリン・ソナタ第1番 ピアノ五重奏曲

 

 デゼールと正戸のソナタはとてもよかった。鋭すぎない音で正攻法で演奏。このわかりにくい曲をよくまとめていると思った。ただ、五重奏曲いついては、急ごしらえのメンバーだというのを強く感じた。とりわけチェロのパスカルがほかの楽器とかなり違和感がある。それはそれでとても存在感のある見事な音楽なのだが、ほかの楽器と異質。ピアノも全体をリードしてまとめている様子がない。ちぐはぐな感じがした。

 

・戸田弥生(ヴァイオリン)、アブデル・ラーマン・エル=バシャ(ピアノ)

シューマン:ヴァイオリン・ソナタ第2

 

 素晴らしい演奏。私はシューマンの曲を聴くと、しばしば狂気を感じる。先入観ではないと思う。「くどい・しつこい・こだわりすぎ・偏執」と思う。戸田さんはシューマンの狂気を再現してくれた。戸田さんとお話しすると、とても温和で気さくな人なのだが、きっとこの人は狂気を持っている。私としては、これは最大限の賛辞のつもり。本当に素晴らしかった。

 が、残念ながら、シューマンを聴いた時点で退場。私は、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンのアンバサダーを務めているわけだが、やはり、そうである以上、今回の最大のビッグイベントに参加しないわけにはいかない。

 

・アルゲリチ、ギドン・クレーメル、堀米ゆず子らオールスターによる2台のピアノ(アルゲリチと酒井茜)による「春の祭典」と「動物の謝肉祭」

 

 これが今回最高のイベント。Aホールが異常な空気に包まれた。アルゲリチとクレメルという現代最高の演奏家が加わっただけで、全体に張りが生まれ、生き生きとして美しく、しかも最高に楽しい演奏になった。「春の祭典」もなんという美しいピアノの音。酒井も素晴らしかった。「動物の謝肉祭」は、名人たちの遊びが楽しめた。

 

 本日は、最初から最後まで見たコンサートは7本。全体的には大変満足。ただ、とても疲れた。聴くだけでも十分に疲れる。

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2014年ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン前夜祭

 2014年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンが始まる。本日、有楽町の東京国際フォーラムで、プレナイト「アメリカの夜」が開かれた。ナントの今年のテーマは「アメリカの音楽」だったので、そのエッセンスを演奏してくれたのだろう。

 ジャン=ジャック・カントロフ指揮のシンフォニア・ヴァルソヴィア。最初は、小曽根真(ピアノ)が加わって、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」。ピアノg大活躍のヴァージョン。小曽根さんの即興だろう。素晴らしい。

 そのほか、バーンスタインの『ウエストサイド物語』より「シンフォニック・ダンス」、ウィリアムズ「スター・ウォーズ」、カンダー&エブ「ニューヨーク・ニューヨーク」など、アメリカ音楽が続く、いかにもアメリカ的な楽天的でショー音楽的な曲。そのあと、打って変わって、バーバーの弦楽のためのアダージョ。ヨーロッパ音楽好きの私にすると、この曲が一番、しっくりくる。美しい。オーケストラもとても美しい。

 そのあと、カスタネットのルセロ・テナが加わってヨハン・シュトラウス世の「スペイン行進曲」。カスタネットはまさに神業。アンコールは、ファリャの「はかなき人生」の中のカスタネット入り。これがもっとすごい。単なるカスタネットのはずなのに、様々な音色があり、それが正確に、しかし複雑なリズムによって音を刻む。躍動を生み、律動を生む。いったん、帰りかけたが、ルセロ・テナ一人が表れて、カスタネットのみのアンコール。これまたすごい。

 前夜祭にふさわしい音楽だった。

 

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2本の映画「ワレサ」と「ある過去の行方」

 京都滞在中、時間を作って京都シネマで2本の映画を見た。両方ともとても大きな感銘を受けた。とりわけ「ある過去の行方」は、近年まれにみる傑作だと思った。

・「ワレサ」

 アンジェイ・ワイダの監督作品。ポーランドのグダンスクの造船所の労働組合「連帯」の委員長だったワレサの連帯での活動を描いている。

 同時代を生きたので、ワレサには大いに関心を持っていた。1985年に東ヨーロッパを旅行し、ポーランドにも5日回ほど滞在したが、そこでも連帯のビラなどを見かけた。そして、映画にも描かれる当時の経済危機も身をもって体験した。レストランに行っても食べるものがろくになく、肉が手に入らず、何を買うにも長い列を作らなければならず、商品そのものがなかった。私自身としても実にリアルに映画の内容を感じることができた。

 ワレサを英雄としてではなく、困ったところもある一人の男として描いている。その描き方にまず感服。ワイダのリアリズムによって、完璧なまでに時代が再現され、当時の人々の生活感、心の中までが目の前に現れる。それだけでも素晴らしいと思った。

 イタリア人女性のインタビューを受ける形で話し手が展開する。はじめはワレサに警戒心を抱いていたインタビュアーも徐々にワレサに惹かれていく。このような話の作り方にすることによって、軸を作り、話を整理し、人間性を描き出している。実に手際がいい。

・「ある過去の行方」

 最初から最後まで引き付けられてみた。途方もない傑作だと思う。

 フランス女性と数年間の結婚生活を送っていたイラン人男性が、しばらく母国イランで過ごした後、妻と正式の離婚をするためにフランスにもどってくる。それによって、それまで表に出なかった過去のいきさつが突然動きだし、フランス女性の最初の夫の間の子供たちやフランス女性が新たに結婚しようとしている男性に亀裂が生じてくる。その顛末を描く。フランスでは離婚・再婚が日常的で、二度や三度の結婚をして、連れ子と生活するのが珍しくないということなので、このようなことはかなり当たり前のことなのかもしれない。

 子供たちを含めて、すべての人物の心の中が痛いように理解できる。どの人物も悪くない。みんな自分のエゴを抱えながらも、十分に善意を持っている。他者を気遣う。自分が同じ立場なら同じように感じ、同じようにするだろうと思う。だが、いかんともしがたく衝突が起こり、すれ違いが起こる。誰もが現状に居心地の悪さを感じる。そして、まるでピランデッロの戯曲のように、登場人物の言い分や、その人にとっての現実がそれぞれ微妙に異なっており、なかなか過去の真相がわからない。が、まるで上質のミステリーのように徐々に過去がはっきりした形を取り始める。誰もが板ばさみに苦しみ、過去から切り離されなくなる。なるほど人生ってこうだよな・・・とつくづく思う。

 監督はアスガル・ファルハディ。主役は「アーティスト」のベレニス・ベジョ。元夫がアリ・モサファ、新しい恋人がタハール・ラヒム。素晴らしい演技。生活観にあふれる家庭の中、自然な演技をする子どもたち。静謐な演出なのだが、何も語られなくてもそれぞれの人物の心情が伝わる。映像も実に美しい。

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