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「別離」「彼女が消えた浜辺」「ローンレンジャー」

 WINDOWS 8.1をとりあえず設定したが、使いこなせない。私はマニュアル通りに一つ一つマスターしていく・・・というのが大の苦手で、つい自分勝手にあれこれいじってみたくなる。そうこうするうち、取り返しのつかないことになってしまう、ということがこれまでも何度もあったのだが、また性懲りもなくやってしまった。「8」は「7」などとかなり違うとは聞いていたが、ここまでとは! 使いこなすにはまだしばらく時間がかかりそう。

 うんざりしながら、パソコンをいじるのをやめて、購入した映画DVDを数本見た。感想を記しておく。

 

993 「別離」

 先日、京都シネマで「ある過去の行方」を見て大いに感動したので、同じアスガー・ファルハディ監督・脚本のイラン映画「別離」のDVDを見てみた。とてもよかった。

妻・シミン(レイラ・ハタミ)が、イランを出て外国で暮らしたいと言い出したため、アルツハイマー病の父親を置いて出国することをためらう夫・ナデル(ペイマン・モアディ)は離婚を決意する。そのため、父の介護を別の女性(サレー・バヤト)に依頼することになるが、女性が介護を怠ったために乱暴に家から追い出したところ、女性は流産してしまう。その原因をめぐって争いになる。

「ある過去の行方」と同じような展開を遂げる。妻の離婚申し立てをきっかけにそれまで表に出なかった問題が噴出してくる。登場人物全員にしっかりとした言い分がある。それぞれに正しいし、だれもが他人を思いやり、やさしい気持ちを持ち、何とか理解しあいたいと思っている。だが、どの人物にもそれぞれの理想やエゴがあるために、うまく理解し合えないで、どんどんと溝が深まっていく。結局は、子ども(サリナ・ファルハディという少女を演じる。もしかして監督の娘さん?)がそのような両親の状況に巻き込まれて苦しむことになる。

私は夫・ナデルにもっとも共感し、妻や介護の女性を身勝手だと思ったり、情けないと思ったりする。だが、介護する女性の乱暴者の夫や、証言者の教師を含めて全員の気持ちがとてもよくわかる。私自身、このようなことを日常的に体験してきたし、気付かない所でもこのようなことがあったのではないかと思う。いや、そもそもこれが人生の縮図だとも思う。

「ある過去の行方」の冒頭、ガラス壁のために元夫婦の声のやり取りが聞こえない場面があったが、「別離」の最後では、左右に分かれた離婚直前の夫婦の中に、まるで壁のように配役のクレジットが流れていく。ともにSEPARATION(この映画の英語題名)を象徴しているのだろう。

ところで、「ある過去の行方」では、なぜ主人公がかつてフランス人の妻と別れて故国イランに戻ったかという大きな謎が、最後まで明かされないのと同じように、「別離」では、盗まれたとされるお金はどうなったのかも、そして娘が両親のうちのどちらを選ぶのかも、最後まで明かされない。そのような謎のまま残されるのも、またとても魅力的。私の人生の中でも、謎のままに残されていること、あえて真実を暴こうとしないままにしていることがいくつもあるのだから。

それにしても、映画の中の様々な場面から、イランの人々の日常生活のあちこちに理不尽な宗教的タブーがあり、とりわけ女性がいかに不自由な生活を送っているかを痛感する。主人公の家庭はかなり西洋化されているのだろうが、それでも自由に生きることができない。とはいえ、このような葛藤の多い社会であるからこそ、次々と映画の名作が生まれるのだろう。

 

085 「彼女が消えた浜辺」

 同じアスガー・ファルハディ監督のイラン映画。これも素晴らしい傑作。

 ヴァカンスの時期、カスピ海沿岸の避暑地に10数人の家族ぐるみで付き合う仲間たちがやってくる。その中心になっている女性セピデー(ゴルシフテェ・ファラハニー)は、離婚したばかりのアーマド(シャハブ・ホセイニ)に、子どもの保育園の先生であるエリ(タラネ・アリシュスティ)を紹介しようとしている。エリがみんなとなじみ始めた時、子どもの一人が海に溺れそうになった前後に、エリの姿が消える。子どもを助けようとしてエリまでも溺れてしまったのか、何かの事情がありそうだったエリはそのまま立ち去ったのか。そもそもエリは何者だったのか。

 まず心理ドラマとして実によくできている。みんな善良で優しい人たちで、心から仲よくしているのだが、ことが起こってしまうと責任のなすりあいになる。それでも何とか人を傷つけまいとし、だんだんと明らかになる真実を糊塗しようとするが、そうすればするほど傷は広がっていく。真実を知る者は、みんなを傷つけてしまうために真実を言うことができなくなってしまう。

そうした中で、二転三転しながら、まるでミステリーのように徐々に真実が明らかになっていくが、そこで明るみに出されるのは、女性の意思を通すことのできない社会、そして男としての意地を通すしかない厳しい社会の状況だ。言葉当てゲームや凧あげの場面のミリの生き生きとした表情、そしてその映像が本当に素晴らしい。自然な演出で、生きる喜び、桎梏から解放されようとする喜びが表現されている。

 ファルハディ監督の手腕に引き込まれっぱなしだった。

 

815 「ローン・レンジャー」

 もう一本は正真正銘の娯楽映画。2013年公開のディズニー映画「ローン・レンジャー」。監督はゴア・ヴァービンスキー。ローン・レンジャーがアーミー・ハマー、トントをジョニー・デップ。劇場で観たいと思いながら、時間が合わなかったのでDVDを購入してみた。あまりヒットしなかったと聞いたが、なかなかおもしろかった。

 銃を使わずに法を守ろうとする頼りない若い検事が、保安官である兄を殺され、原住民トントに助けられながら、ローン・レンジャーとしてだんだんと自立していく物語。悪と法と資本が一体となって庶民を苦しめる社会を正すには覆面をつけてアウトサイダーになるしかない。覆面にそのような意味を持たせている。そこに、自分たちの国を奪われ、白人に騙され収奪される原住民の悲しみを重ね合わせている。

 トントを演じるジョニー・デップが目立ってしまい、肝心のヒーローが最後まであまりかっこよくないという欠点が確かにある。トントに重点が偏りすぎている。かつてのテレビドラマのファンとしては、もっとローン・レンジャーの颯爽とした活躍を見たかったという思いを禁じ得ない。それに、20世紀の少年と老いたトントの(幻想の?)対話にもあまり意味があるとは思えない。ローン・レンジャーの物語が、過去の完結した物語ではなく、現在にまで通じる物語だというメッセージだと思うが、痛快娯楽ドラマなのだから、もっと仮想の世界にどっぷりつかってよかったのではないかと思う。それに、悪ふざけというか遊びというか、そのような場面が多くて肝心のヒーロー物語がかすんでしまっている。そんな問題点は確かにある。

 が、ともあれ、ドジなヒーローが原住民のおかれた状況を知り、正義が不確定であることを知り、ついに腹を決めてヒーローとして生きようとして、そこにあのウィリアムテル序曲がかかる・・・というのは実に感動的だ。

 昔のテレビドラマのウィリアムテル序曲がよみがえったせいか、この曲を契機にクラシック音楽に傾倒していった小学5年生の自分の姿を思い出したせいか、不覚にも、ウィリアムテル序曲をバックにローン・レンジャーが颯爽とシルバーにまたがって悪を追う場面に涙を流してしまった。

 

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コメント

 別離 の最後、ふたりは別れたのか別れなかったのか、解らず仕舞いでした。題名のとおり、でしょうか。

投稿: 椿姫 | 2014年7月26日 (土) 17時19分

 別離 の最後、ふたりは別れたのか別れなかったのか、解らず仕舞いでした。題名のとおり、でしょうか。

それにしてもDVDを買う男性のうちの息子たちも含めてですが金銭感覚が解らない。私達の間では夫が週刊誌を買うのも不思議のひとつなのです。ブログネタができました。

投稿: 椿姫 | 2014年7月26日 (土) 17時42分

椿姫 様
コメント、ありがとうございます。
そうですね、確かに、私もDVDを結構購入します。レンタルはどうも抵抗を感じます。よいものは手元においておきたいと、どうしても思ってしまいます。コンサートに行くと女性が多いのに、CDを購入するのは男性が圧倒的に多いようです。それも同じ習性なのかもしれません。

投稿: 樋口裕一 | 2014年8月 2日 (土) 08時33分

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