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イラン映画を見続けている

 ファルハディ監督の「ある過去の行方」を見て以来、入手可能なDVD(ただ、あまりに高価なものは再発売を待つことにする)を購入してイラン映画を次々とみている。簡単な感想を書いておく。

 

「カンダハール」 

 モフセン・マフマルバフ監督作品。主人公はアフガニスタン出身で今はカナダでジャーナリストになった女性。内戦状態のアフガニスタンから脱出するとき、妹が人形に仕掛けられた地雷にふれたために、父親が死亡、妹は足を失った。そのため、妹を現地に置いたまま一人で出国した過去がある。それから数年。妹から絶望したために日食の日に自殺をするという手紙が届いたために、アフガニスタンに入り、妹の住むカンダハールに行こうとする。だが、タリバンに支配された社会では自由に行けるはずもない。しかも、カンダハールはタリバンの本拠地でもある。現地の女性になりすまし、何人もの人の手助けでカンダハールに向かう。そうした状況を描く。

秘密の潜入によるスパイ映画的な緊迫感も見事だが、やはりそれ以上に、タリバンに支配されたアフガニスタンの状況を描くノンフィクション的な訴える力に打たれる。主人公ナファスを演じるのは、実際にアフガニスタン出身の女性。そのせいもあってノンフィクションのようにリアル。色とりどりのブルカをかぶった女性たち、砂漠を行きかう人々。貧しさのゆえにずるく、いやしい人々。しかし、そうでありながら崇高な精神を持ち合わせている。義足が救援物資としてヘリコプターから投下され、それを追いかける片足の男たちの表情には息をのむ。アフガニスタンの凄まじい現実(実際にはフィクションだが)を見る思いがして、唖然とさせられる。そして同時に、色彩の美しさ、人間の営みの尊さも強く覚える。

 

「パンと植木鉢」

 モフセン・マフマルバフ監督の代表作。とてもおもしろかった。

 マフマルバフ監督は10代のころ過激派として、警察官をナイフで襲って拳銃を奪おうとして、投獄された過去があった。マフマルバフに刺されて人生が狂ってしまった元警官が、有名監督になったマフマルバフの元を訪れ、過去のいきさつを映画にしてもらおうとする。監督は、若かったころの自分や警官を演じる俳優を探す。元警官も、若かったころの自分を演じる若い俳優に演技を指導しようとする。そうこうするうち、現在と過去、現実とフィクションが交錯していく。そうした様子がほのぼのとしたタッチで描かれる。

 事件のあったころ、警官はいつも時間を聞くなどして接触してくる若い女性に好意を抱き、その女性に植木鉢をプレゼントしようとしていた。ところが実は、その女性はマフマルバフの共犯だった。女性が警官に気をそらしているうちに、パンの下にナイフを隠したマフマルバフが拳銃を奪おうとしていたのだった。

 かつての事件の撮影は元警官と監督の2チームに分かれて行われるが、時間的にかみ合わずに何度もやり直す。そうこうするうち、暴漢がナイフを用いて警官の拳銃を奪う場面ではなく、警官が植木鉢を差しだし、男がパンを渡す形になってしまう。そこでストップモーションになって映画は終わる。

 かつて暴力によって社会を変えようとした監督が、自分の過去の映画を作ることによって、そうした態度を改め、植木鉢とパンを交換するような、心と心の交流をめざそうとする。そのようなメッセージが伝わってくる。いわば、これは「過去の改竄」だろう。映画監督は自分の過去の映画を作ることによって、暴力的な場面を、心と心の交流の場に改竄しようとする。そのような心理をにおわしている。

 鮮烈な色を用いて現実の政治の世界を鋭く描いた「カンダハール」と異なって、「パンと植木鉢」は、ほのぼのとしたタッチ。しかも、不思議な映画のマジックで、いつの間にか過去が改竄される。その手法が実に面白い。このような趣向に映画をこれまで一度も見たことがなかったので、とても新鮮。

 

「セックスと哲学」  モフセン・マフマルバフ監督

 DVDを買おうとしてネットを検索した際、かなり評価が低いことを知った。実際に見てみたが、確かにあまりおもしろくない。モフセン・マフマルバフが故国イランではなく、タジキスタンで撮影したものだという。確かに、愛について、セックスについて語る映画をイランでは作れなかっただろう。とはいえ、セックスにかかわる映像が実際に映し出されるわけではない。

 ダンス教室を経営する男性が、40歳の誕生日に、同時に付き合っている4人の恋人を呼び寄せ、それぞれとの過去や愛について語る。女性の多くは、自分以外に愛人がいたことにショックを受けて去っていくが、その様子が過去と重なりながら詩的に描かれていく。

 映像は実に美しい。バラやワインの赤、枯葉の黄、そしてあちこちに使われる青や白。ただし、愛について語られる事柄は、単に愛は永遠に続かないということに尽きる。私には少しも説得力がなく、特に惹かれるところはなかった。

 

「私が女になった日」

 脚本はモフセン・マフマルバフ。監督はマルズィエ・メシュキニ。マルマルバフ・フィルウ・ハウスの作品。3話からなる。第1話は、9歳になったために、チャドルを着て大人の仲間入りをする日、最後に子供らしく男の子たちと遊ぶ少女の物語。第2話は、女子自転車レースに紛れて、夫から逃げようとしながら、家族にとらえられる若い女性の話、第3話は遺産が入ったために金にあかせて家事道具一式を買う老女の話。イスラム社会の女性の一生を描いているのだろう。最後の話は、おそらく、これまで何も持たず、何も欲望を満たすことができず、自分らしく生きることができなかった老女が最後になってむなしく夢をかなえる物語といってよいだろう。

 美しい映像、素人風のカメラワーク(パゾリーニの初期の映画「アッカートーネ」の素人っぽさと雰囲気が似ている)、はとても魅力的だが、私としてはちょっと単純すぎてものたりない。時間をかける割に情報量が少なく、ずっと同じシーンが続き、ずっと同じことを語っている印象を持つ。

 

「ブラックボード -背負う人―」

 モフセン・マフマルバフの娘サミラ・マフマルバフが19歳で作った映画。イラン・イラクの国境地帯の子どもたちに勉強を教えるために黒板を背負って方々を歩き回る、いわば宅配の教師たちを扱っている。

 顔の認識が苦手なので、もしかすると間違っているかもしれないが、どうやら二人の教師を追いかけているようだ。一人は岩山の山中で密輸品を運んで暮らしを立てる少年たちちと行動を共にし、銃撃にあって、せっかく心を通い始めた子供を失ってしまう。もうひとりは国境を移動する人々の集団(クルド人らしい)と行動を共にし、ある女性と形だけの結婚をするが、国境付近で集団と別れて独りぼっちになる。

まるで動物の群れのように行動する人々。愚かで、生きることに精いっぱいで、読み書きもできず、しっかりと考えることもできない人々。そして、ちょっと押しつけがましい教師たち。ハリウッド映画のように登場人物に感情移入はできない。ドキュメンタリー・タッチというか、あるいはネオ・レアリスモ風というか。ドラマティックに描かずに、行動の理由についても詳しく説明されずに、淡々と出来事を追いかけていく。しかし、監督が人間たちに共感をもって描いていることはとてもよくわかる。そして、砂漠のような岩山での行動そのものがあまりにリアル。

 どのくらい事実に基づいているのか。イラン・イラク国境付近はこのような状況だったのか。よくはわからないが、ともあれ鮮烈な映像ではある。

 

 

「子供の情景」 

 マフマルバフの末娘ハナ・マフマルバフが19歳のころに撮影した作品。原題は、Buddha collapsed out of shame 。「恥によって崩壊したブッダ」とでも訳すのだろうか。

 アフガニスタンのタリバンがバーミヤンの大仏を爆破した。もちろん、イスラム原理主義者であるタリバンにとって、仏教の偶像崇拝は許されないものだった。仏像の爆破後のバーミヤンに住む少女バクタイの物語。

学校に行く隣の年上の男の子アッバスをうらやましく思い、家の卵を売ってノートと鉛筆を買って学校に行こうとする。だが、卵が割れ、ノートだけしか買えない。しかも、男の子だけの学校からはのけ者にされる。女子の学校を探すうち、タリバンのまねをして戦争ごっこをする少年たちの一団につかまる。やっと逃げだして女子の小学校に到着するが、すぐに追い出される。そして、またタリバンを気取る男の子たちに追いかけられ、アッバスの「死んだほうが自由になれる」という声とともに死んだふりをするところで映画は終わる。

 気の強いバクタイの表情が素晴らしい。演技とさえ言えないだろう。まさに自然。どのような演出したのかわからないが、ほとんどドキュメンタリーのように思える。子供らしい表情が随所に出る。意地を張るところ、けんかするところ、悲しそうにするところ、まさに幼児がそのような感情を持つときに浮かべる表情。そして、気の弱そうなアッバス、タリバンを気取る残酷な少年たち。演技と思えない表情を見せる。アメリカ文化に毒された人間を目の敵にして、本当に人を殺してしまうのではないかと思わせる。

 タリバンが力を持った時代の愚かな人間たちの行動に翻弄される子供の世界を、まさしく子供の視線から描いて見せてくれる。しかも、土色の荒野を背景にした人々の生活のリアリティもすさまじい。ただ、アフガンやイスラム教徒の生活習慣や社会背景をよく知らない私には、謎に思えるところはたくさん残る。学校はいったいどのように機能しているのか、大人たちはどう考えているのか、本物のタリバンはどこにいるのか・・・・など。

 最後の場面、誇り高く生きる気の強いバクタイも、残虐な少年たちに囲まれて、死んだふりをするしかないということなのか。しかも、それを見ている大人たちは、バクタイを助けようともしないで黙々と農作業をするばかり。

「私が女になった日」や「ブラックボード」と雰囲気はとても良く似ているが、子供たちの表情とテーマの衝撃力によって、私はこの映画も最も深い感銘を受けた。

 

「運動靴と赤い金魚」

 マジッド・マジディ監督作品。ちょっとした不注意のために、妹の靴をなくしてしまった少年。家が貧しいために、新しい靴は買ってもらえないどころか、なくしたことも秘密にして、少年の靴を妹と交互に使ってすごす。そんなある日、マラソン大会の三等賞の商品が運動靴であることを知って、大会で三等賞を狙う。ところが、日ごろから走っていたために一等賞になってしまって、靴は手に入らない。ただ、どうやら父親が給料で二人分の靴を買ったようなので、その日のうちに二人は靴を手に入れることになるだろう。

 それだけの話だが、イランの貧しい家庭の状況を手際よく描き、子供の気持ちも手に取るようにわかる。手法としては、きわめてオーソドックスで、まるで一昔前のハリウッド映画を見るよう。

 最後、少年がマラソン大会で疲れた足を休めるために、公園のプールに足を入れると、赤い金魚が、疲れた足をいたわるように寄ってくる。そこで映画は終わる。貧しい中、肩を寄せ合い、愛を示しあって生きる人々の生き様が伝わってくる。ただ、かなり当たり前の愛の物語であって、私としてはあまり心を動かされなかった。

 

「太陽は、ぼくの瞳」

「運動靴と赤い金魚」と同じマジット・マジディ監督。テヘランの盲学校で学ぶモハマド。再婚しようとしている父にとって盲目の息子は邪魔でしかない。長期休暇に入って生徒たちは故郷の村に戻るが、父はなかなか迎えに来ない。遅れてくるが、不機嫌。故郷に到着後、祖母や姉、妹には優しく接してもらえて、幸せに暮らすが、父はやはり邪見にする。そして、父は独断でモハマドを盲目の彫刻家に預けて弟子入りさせようとする。それを知った祖母は怒るが、雨に濡れたのが原因で寝込んでしまい、ついには死んでしまう。父親の再婚相手は、不吉として結婚を断る。父は預けていた息子を家に連れ戻そうとするが、嵐の後だったために途中でモハマドは馬もろとも川におぼれる。父は必死に助けようとするが、海岸に打ち上げられた息子を見つけ、抱きしめる。最後、抱きしめられたモハマドの手が動くが、光の具合が非現実的なところを見ると、実は息があった・・・というのではなく、天に召されたということだろう。

 要するに、目の不自由な息子を邪魔に思っていた父だったが、息子が溺れる段階で必死に助けようとするが、それでも失ってしまう話。

 とても良い映画には違いない。村の色彩が美しい。ただ、話の展開がハリウッド映画風で、ほかのイラン映画のような圧倒的なリアリティを感じない。それに、考えてみると、ほんの少し間に母親と息子をなくし、再婚も破談になってしまう父親があまりに不幸で、私はむしろあまり説得力を感じない。

 

「明日へのチケット」

 イラン映画というよりも国際映画。エルマンノ・オルミとアッバス・キアロスタミとケン・ローチの3人の監督によるオムニバス映画。チケットをもってヨーロッパの列車に乗る人々にまつわる3つの物語による。

 オルミ(私の好きな監督の一人。「木靴の木」はこれまで見た映画の中で最も感銘を受けたうちの1本だ)の短編は、他人にあまり干渉しないできた老教授が、テロによる厳戒態勢の列車の中で、チケットを手配してくれた女性に淡い恋心を抱き、車内で聞こえるショパンの前奏曲をきっかけに昔の恋心を思い出し、困っている子どもを助けようとする話。どうということのない話だが、過去と現在が交錯し、人間関係に臆病な老教授のおずおずしつつも他者に心を開こうとする様子が私的に語られて、私は多い言感銘を受けた。

 キアロスタミの映画は、兵役奉仕(というのがどういうものなのかよくわからないが)のために、列車内でかつての上官の横暴で支配的な未亡人の理不尽な指示に従わされていた青年が、横暴に耐えかねて未亡人を一人置き去りにして逃げ出す話。青年は列車の中で二人の少女と出会い、別人に間違われ、そのままその人間になりきって話を合わせる。現在の自分とは異なる自分を夢想しているうちに逃げ出す決意をしたということだろうが、二重人格的なところがいかにもキアロスタミの映画らしい。

 ローチの短編は、サッカーチーム、セルティックを応援にローマに向かうスコットランドの3人組の青年の話。切符をアルバニアの難民に盗まれるが、その苦労話にほだされて、自分たちのチケットを譲ってしまい、無賃乗車で捕まることになる。平凡だが気のいい3人の演技が素晴らしい。演出力のすごさというべきだろう。「ちょっといい話」としてみごとな仕上がり。

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コメント

マフマルバフ、面白そうですね。どうやって観るかが問題です。
運動靴と赤い金魚、明日へのチケットは観終わった途端に忘れる私でも印象に残る映画でした。ケン・ロ-チ、キアロスタミ、好き好き好き。友達のうちはどこ もキアロスタミだったでしょうか。

 私はパソコンを買って9か月目、ブログを始めて3か月ですが、訪問者が若いらしくて団塊の世代にさえ外れてしまう身はどこを目指せばいいのか途方に暮れています。若作りもほどほどにしたいのですが。

投稿: 椿姫 | 2014年7月26日 (土) 17時09分

椿姫様
コメントありがとうございます。
「友だちのうちはどこ」もキアロスタミですね。ただ、DVDがあまりに高価でしたので、まだ見ておりません。レンタルもないようでした。キアロスタミもマフマルバフもいいのですが、私はなんといってもファルハディが好きです。
ブログ、拝見しました。不思議な魅力のあるブログですね。「人間観察」とてもおもしろく拝見しました。

投稿: 樋口裕一 | 2014年7月27日 (日) 09時01分

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