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オペラ「秘密の結婚」、映画「七夜待」などのDVDの感想

  

 昨日、東芝に修理に出していたdynabookのノートパソコンが戻ってきた。が、実は、「故障はしていない。ウイルスが残っていたので、それが原因かもしれない」とのことで、初期化だけしてもらって、保証期間であるにもかかわらず、お金を取られたのが、ちょっと不満。しかも、やはり調子が良くない。あれこれインストールするのに再起動をする必要があるが、そうしているうち二度ほど、以前と同じように、そのまま元に戻らず、「回復 お使いのPCは修復する必要があります」という表示が出た。修理に出す前は、これが出たまま元に戻らなくなったのだった。今回は二度とも、しばらくして電源をつけたら回復していたが、やはり不安が残る。これはやはり機械そのものの不具合だと思うのだが・・・・。

 

 が、気を取り直して、4月から4回目のPCの設定を行った(2台PCを購入。そのうちの1台であるこのdynabookは一度、初期化してすべて設定をし直した!)。さすがに、これだけやると、windows 8.1にも慣れてきた。

 

 そんな一日だったが、しばらく前からいくつかのオペラや映画のDVDを見た。その感想を簡単に書いておく。

 

 

 

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チマローザ「秘密の結婚」 1968年 ベルリン・ドイツ・オペラ公演

 

 

 

 8月初めに行われる新国立劇場研修生公演の予習としてDVDを購入。このオペラは、以前、クラシカ・ジャパンの放送で見たことがあるような気がしていたが、自宅の録画DVDを探しても見つからないので、もしかしたら、これまで一度も映像を見たことがないかもしれない。

 

1968年、ベルリン・ドイツ・オペラ公演。モノラル録音でモノクロ映像。ドイツ語による歌唱。指揮は先ごろ亡くなったロリン・マゼール。若々しいマゼールの指揮ぶりがみられる。

 

 まず指揮の素晴らしさに圧倒される。切れがよく颯爽とし、実にドラマティック。音楽もとてもおもしろい。ちょっとだけ冴えの不足するモーツァルトといったところだが、まぜーるの指揮で聴くと生き生きとしていて、まったく飽きない。いくつかのモーツァルトの大傑作には劣るかもしれないが、あまり上演されないモーツァルトのオペラに引けを取らない。ロッシーニを思わせるような歌もある。他愛のない話だが、分かりやすく、しかもそれなりに面白いので、十分に楽しめる。演出も、現在からみると、特に目新しいことは何もなされていないが、簡素さがよい味を出している。

 

歌うのは、ヨーゼフ・グラインドル、エリカ・ケート、リザ・オットーなど、当時の大スターたち。芝居もうまく、もちろん歌も素晴らしい。満足の映像だ。

 

 

 

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「七夜待」

 

 河瀨直美監督、長谷川京子主演の映画。不思議な映画だが、とてもおもしろかった。

 

 長谷川京子演じる彩子がタイに旅し、タクシーに乗って眠っているうちに森の中の不思議な家に到着する。いわば異国での眠りによって非現実の世界に入り込んだという設定だ。

 

 この世界には、タイ人女(元風俗嬢という設定のようだ)と、その幼い息子トイ(日本人の男と間にできた子どもらしい)が住んでおり、そこにタクシー運転手が出入りし、正体不明のゲイのフランス人がいる。彩子はそこで寝起きを共にするようになるが、言葉が通じないため、ちぐはぐな会話をしている。彩子は女にタイ式マッサージを習うが、言葉の通じない他者に対して、肉体的接触であるマッサージだけが明確なコミュニケーションをなす。そうこうするうち、女は息子のトイを出家させようとする。タイではしばしば小さな子どもを出家させることがある。女は息子を罪のない世界、聖なる世界に送りたいと思っているらしい(30年ほど前、初めてタイを訪れ、タイ文化についてかなり本を読んだ。それによれば女性は功徳がつめないため、息子に出家してもらって家族全体の罪をあがなおうとするらしい。このタイの女もそうしたのかもしれない)。タクシー運転手はそれに反対していたが、最後には自分もトイとともに出家する。出家の儀式の日、彩子たちは音楽に合わせて浮かれ踊る。それだけの話。

 

 もちろん、これをリアルな物語としてとらえても始まらない。非現実の世界に迷い込んだ女性を用いて、河瀨監督が自分のメッセージを直接的に伝えようとしたのだろう。

 

人と人は言葉によって心を通じ合わせることはできない。肉体的接触があってこそ通じ合える。そして、その奥底にあるのは聖なる世界だ。そこに住む人々は熱帯の森にすむ聖なるものによってつながることができる。そのようなメッセージが映画に込められているようだ。そして、その背後位に存在するのが聖なる世界、精霊の世界なのだろう。

 

タイはもちろん上座部仏教(いわゆる小乗仏教)だが、それがピーという精霊への信仰とないまぜになっていることが知られている。この映画の中のタイ人たちが信仰しているのもそのような精霊だろう。最後、河瀨映画の典型的な終わり方として、カメラが森の中を移ろっていく。これはピーの動きを暗示しているだろう。

 

 

 

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「心中天使」 

 

 一尾直樹監督の映画。河瀨直美監督作品を探しているうちに目について、おもしろそうなので購入した。尾野真千子、國村隼が出演。ただ、残念ながら、私にはあまりおもしろくなかった。天空に何かを見て、今の自分を否定し、どこかに大事なものを置き忘れたものがあるのではないかと思い始めた三人の空虚感と苦しみのようなものを描く。意味ありげな場面が続き、抽象的なやり取りが行われる。確かに、私も若いころ、こんな感覚を抱き、このような映画を作り、このような小説を書きたいと思っていた気がする(かつて私は映画監督になりたい、それが無理なら小説家になりたいと思っていたのだった!)。が、今となっては、それはあまりに青臭く思える。これは芸術好きの若者特有の感覚を描いた映画といえるだろう。

 

 

 

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「少女の髪どめ」 

 

「運動靴と赤い金魚」や「太陽は、ぼくの瞳」を作ったイランのマジット・マジディ監督の映画。前2作と作風はよく似ている。

 

 喧嘩っ早い青年。テヘランの建設現場で下働きのようなことをしている。ところがある日、現場でけがをしたアフガン人の老人の代わりに、その息子だという少年が現れる。青年の仕事が少年に奪われるので、青年ははじめは少年につらく当たるが、少年の部屋を覗いて、それが女の子であることに気付く。恋心が芽生えてやさしくするうち、そのアフガン出身の少女の過酷な生活を知る。青年は自分の持ち金をすべて出し、大事なIDカードまで売って少女の家族をこっそりと助けようとするが、少女は青年に助けてもらっているとは知らないまま(多少は気付いているのだろう)家庭の事情でアフガンに去っていく。

 

とても良い映画だとは思うが、かなり情緒的で、しかも、ありがちな映画であって、私の趣味には合わない。青年も少女も表面的すぎる気がする。あえてそのように描いたのかもしれないが、私には訴える力が弱い。イランのアフガン難民の状況も、これ見よがしに悲惨なので、リアリティをもって感じることができなかった。

 

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河瀨直美「二つ目の窓」は大傑作だ

 7月28日、JR東日本の研修で文章についての指導を行った後、買い物を済ませてから、テアトロ新宿で河瀨直美監督作品「二つ目の窓」を見た。

 テアトロ新宿に足を運んだのは、おそらく40年ぶりくらい。20代のころ、よく通っていた。当時、3本立て270円だったような気がする。階段を下りて地下の映画館に向かったら、当時のことをありありと思い出した。もちろん改装されているが、40年前のままの構造。ひょいと、テアトロ新宿で映画を見た帰りに、ちょっと奮発して三平食堂で夕食を食べていたのも思い出した。安くておいしい定食の外見も、そしてその味までも思い出した。今では途上国でしか見られないような、打ちっぱなしのコンクリートの床の上にガタガタするテーブルを置いただけの店だったが、私は大いに気に入っていた。

 映画については、とてもおもしろかった。「萌の朱雀」や「殯の森」に匹敵する傑作だと思う。河瀨監督が自分で「最高傑作だ」と語っていたことに深く納得する。

 今回の舞台は奄美大島。

 ストーリーの中心になるのは高校生男女の恋の物語。離婚した母と二人で暮らす界人(かいと)。何人もの男と関係を持つ母にいら立っている。その界人に思いを寄せる高校の同級生の杏子は、「ユタ神様」と呼ばれる半分神のような母を病気で亡くす。杏子は母の死の後、界人にセックスを求めるが、界人は母とのわだかまりがあってセックスできない。だが、嵐の日、家に帰らない母を心配するうち、母への愛を思い出す。そして、界人と杏子は愛をかわす。言い換えれば、界人は一皮むけ、それまで嫌っていた海(すなわち、汚いもの、怖いもの、異界のものをひっくるめて存在する生そのもの)を受け入れる。

 そうした愛の物語に、海の大自然、生、死、聖なるものが重なる。人の営みがあり、人が死に、愛をかわし、聖なるものが取り巻いている。残酷でありながら、けなげに生きていく生物たち。生と死が重なり合う世界。

 河瀬監督のこれまでの映画では、生命を具現するのは常に森だったが、今回は海。海も森と同じように、生があり、死があり、セックスがあり、聖なるものが宿り、長い歴史がある。とりわけ奄美大島には、神と一体化する習俗があり、生と死が密着して暮らしている。その中で自分の生を求めて懸命に生きていく人たちが描かれる。それぞれの人物に存在感があり、生きている歴史、その苦悩が伝わってくる。演出力に感服。とりわけ、松田美由紀の演技に圧倒された。

 冒頭と映画の広範に描かれる山羊を殺す場面、松田美由紀演じる母親がガジュマルの木(いかにも生命、そして聖なるものを感じさせる)を見上げる場面、そして、その死の直前、枕元で奄美の歌と踊りが披露される場面、そしてマングローブの林の中での若い二人のセックス、最後の全裸での海での泳ぎ。これらの場面に私は心を奪われた。

 海が舞台なったため、これまでの森が舞台の時と違ったテーマが現れたことが興味深かった。海と一体化し、自分が海とセックスをかわすような気分になる、というテーマ。これは森が舞台の場合には語られなかったことだ。私は「トリスタンとイゾルデ」を思い出していた。その「愛の死」の部分は、まさしくイゾルデ自らの血潮と海の潮が一体化し、自分が大宇宙と合体し、それが聖なるもの、そして性なるものと融合する様子が歌われる。

 河瀬監督はますます深化している。海の場面も、これまでの森の場面と同じように美しい。

 映画が終わった後、主演の村上虹郎と真利子哲也監督、三宅唱監督によるトークショーがあった。途中から杏子役の吉永淳も加わった。面白い情報もあり、それはそれで楽しめたが、「二つ目の窓」に深く感動した後のトークショーとしては、その深いテーマとあまりにかけ離れていることに違和感を覚えた。

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ローマン・トレーケルの「白鳥の歌」 シューベルトの悲劇性

 7月24日、武蔵野市民文化会館でローマン・トレーケル、バリトン・リサイタルを聴いた。素晴らしかった。ピアノ伴奏は原田英代。

 開始時間前後はすさまじい雷雨。私は大学から車で会場に向かったが、途中、大雨で10メートル先もよく見えないほどになった。しかも、突然、停電になって信号が消えてしまった。三鷹駅付近を移動中だったが、交差点では視界の悪い中、恐る恐る車を走らせた。停電は数分で回復したので胸をなでおろした。15分遅れでリサイタルは開始。あれほどの雷雨なのに、ほぼ会場が満席になっていたのには驚いた。もっと遅れてくる人が多いかと思っていた。NHKのテレビ中継が入っていたが、しばしば会場内に雷鳴が聞こえた。放送では雷鳴はどうなるのか少々心配。

 曲目は、すべてシューベルト。「白鳥の歌」「さすらい人」「月に寄す」「墓堀人の郷愁」の後、歌曲集『白鳥の歌』全曲(ただし、私が馴染んだ曲順とは異なり、曲にも異同があるようだ。この歌曲集は遺作なので、版によって異なるということだろう)。

 トレーケル(私はこれまで、「トレケル」と表記してきた)は丁寧に、しっかりと安定した歌唱で歌う。折り目正しく、知的で、音楽の意味を深く掘り下げ、感情に溺れることなく歌う。まさに正統派。フィッシャー=ディスカウを思い出す。そして、そのような歌唱によってシューベルトの悲劇性を浮き彫りにする。「影法師」や「アトラス」での痛ましいまでの悲劇性は感動的。なるほど、これはこのような曲だったのだと納得させるだけの力がある。「愛の使い」や「セレナード」のようなチャーミングな曲も憂いがあふれている。しかも、それを知的に構築するので、胸に響く。「冬の旅」の延長線上にこの歌曲集をとらえているようだ。確かに、トレーケルのように歌うと、そのような要素が強いことが良くわかる。そして、言葉による語りを重視して、人の心の直接訴えかけようとするシューベルトの歌曲の力を再認識する。

 私が初めてトレーケルを聴いたのは99年のバイロイトでの「ローエングリン」だった。伝令の役だったが、上演を見た後、日本人で集まって、トレーケルの素晴らしさを話題にした記憶がある(その中に先ごろ亡くなられた富岡さんもおられたと思う)。ワーグナー10演目が上演された2002年のベルリン・フェストターゲでは、トレーケルの歌うヴォルフラムを聴いた。これも素晴らしかったことを覚えている。今回改めてリートを聴いて、まさしく現代最高の歌手の一人だと思った。

 アンコールは「鳩の使い」(これは、通常、「白鳥の歌」に含まれるはず)と、「音楽に寄す」。いずれも素晴らしい。

 演奏中、外はかなりの大雨だったようだが、リサイタルが終わったころには雨は上がっていた。

 

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新居由佳梨の高貴で凄みのあるラヴェル

 7月23日、王子ホールで新居由佳梨のピアノリサイタルを聴いた。「ラヴェル ピアノシリーズ」の第二回。ラヴェルを中心にドビュッシー、スクリャービンのピアノ曲が演奏された。素晴らしい演奏だった。

 新居さんのピアノの音が大好きで、かなり前から追いかけている。クラシック音楽のコンサートを企画運営している多摩大学の樋口ゼミの記念すべき第一回のコンサートにも、新居さんに演奏してもらった。以前から新居さんのピアノは実に高貴で繊細で研ぎ澄まされて美しかった。だが、それだけでなく、ここ数年、ダイナミックさが備わってきた。もはや、日本を代表する名ピアノストだと思う。しかも、容姿の美しさにも改めて感嘆した。

 私が圧倒的に素晴らしいと思ったのは、やはりラヴェルの曲だった。ソナチネと「夜のガスパール」が特によかった。とりわけ、最後に演奏された「夜のガスパール」は凄味が出てきた。

 前回、文化会館小ホールでの「ラ・ヴァルス」はまさしく圧倒的な名演だった。「夜のガスパール」もそれに匹敵すると思う。華麗にしてドラマティック。そして、おどろおどろしさが漂う。とりわけ最終曲「スカルボ」は、「醜い子鬼」を描くが、それがいかにもすばしっこく、しかも不気味。だが、音が洗練されており、鮮烈で美しいので、おどろおどろしく不気味であるにもかかわらず、下品にはならない。素晴らしい個性だと思う。そして、これこそがラヴェルの世界だと思う。新居さんはラヴェルが大好きだというが、きっとこの諧謔的で、時に心の中に強い毒を抱いたとしても、知性を失わず高貴な精神を持ち続けるところが、新居さんにぴったりなのだろうと思う。

 前後したが、前半に演奏された「亡き王女へのパヴァーヌ」のような優雅でロマンティックでありながら、冷めたところのある音楽もまた見事だった。

 新居さんのピアノを初めて聴いたのは2005年だったと思う。あれから9年。新居さんの音楽はますます成熟してきた。これからがますます楽しみだ。

  昨日書いた映画「パガニーニ」の感想に付け加えておく。書き忘れていたことがある。

 シャーロットが歌の練習として歌っていた曲は、シューベルトの「糸をつむぐグレートヒェン」。いうまでもなく、「ファウスト」の一場面であって、悪魔に魂を売って若さを手に入れたファウストを思ってグレートヒェンが一途な思いを歌う歌。これはこの映画全体を象徴しているだろう。この映画はまさに「ファウスト」の別ヴァージョンといえるだろう。

 映画を見ながらこのことを考えていたのだが、昨日、書き忘れていたので、ここに加えておく。

 

 

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映画「パガニーニ」のことなど

 7月21日は、びわ湖ホールで「ラインの黄金」を見て、そのまま大津に泊まり、7月22日、京都の平安女学院中学で小論文を指導。私が塾長を務める白藍塾は日本各地の中学・高校の小論文指導をサポートしているが、平安女学院もその一つ。ふだんは先生方が小論文を指導するための手助けをしているが、今回は、私自身が生徒さんに授業をすることになった。初めて顔を合わせる、しかも女子中学校の生徒ということで、ちょっと緊張。例年、この学校の生徒さんたちは活発で積極的だったので、そのつもりでいたら、とてもおとなしい生徒たちで、少し困った。が、ともあれ、よく私の話を消化してくれたと思う。

 仕事が終わるとフリーになったので、少し京都市内を歩いた。祇園祭の山鉾巡行はすでに終わっているが、今年から「後祭」があるとのことだったので、四条あたりは祭りの雰囲気があるのではないかと探してみたが、それらしいものはなかった。

 その後、京都シネマで映画「パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト」を見た。監督はバーナード・ローズ。

 ヴァイオリニストであるデイヴィッド・ギャレットが俳優としてパガニーニを演じるというので話題になっている映画。ギャレットについては名前を知っている程度で特に関心はなかったが、パガニーニは、その昔、アッカルドの実演を聴いて以来、かなり関心を持ってきた。もちろん、アッカルドの演奏したパガニーニ6枚組のCDは時々取り出して聴いている。ただし、ベートーヴェンやワーグナーやブラームスに対するほどの熱意や知識はない。

 映画としてとてもおもしろかった。ハラハラしながら、最後まで見た。どのくらい史実に基づくのかわからないが、私の知るパガニーニの物語やパガニーニの音楽から感じられるものとの大きな隔たりはない。

 超絶的なテクニックと革命的な音楽性を持っていながら、音楽ビジネスに無関心であるためにうだつのあがらずにいるパガニーニの才能を、謎の人物ウルバーニが見つけ、「悪魔のヴァイオリニスト」として売り出す。そんな中、ロンドンで公演が行われ、公演を企画した指揮者はパガニーニとウルバーニに振り回される。指揮者の娘の可憐な娘シャーロットははじめはパガニーニに嫌悪を抱いていたが徐々に惹かれ、愛に落ち、パガニーニのコンサートで歌手としてデビューする。だが、パガニーニを利用しようとするウルバーニらは、二人を引き離し、パガニーニを悪魔的な人間に仕立て上げる。パガニーニの真意を疑ったシャーロットは愛を秘めながらもパガニーニから離れて生きていくことを決意する。

 パガニーニ作曲や編曲による曲やゆかりのある曲がちりばめられていて、音楽好きにはとても楽しめる。ウルバーニの悪巧みの場面でたびたびシューベルトの「魔王」の断片がまるでライトモティーフのように鳴り響く。そして、最後にパガニーニ自身による「魔王」のヴァイオリン編曲ヴァージョンが全曲演奏される。まさしく魔王に操られる音楽が聞こえる。

 ハイドンの時代までは音楽家は教会や王侯貴族に操られていた。パガニーニの時代のころから、それに代わって音楽ビジネスによって操られ、売り出しのための物語が作られていく。パガニーニは神の支配からは逃れ、人間として独立して生きていこうとするが、売り出すための魔王からは逃れられない。これは現代にも通じる出来事でもある。

 俳優たちはみんな見事。ウルバーニ役のジャレット・ハリスの存在感は圧倒的。シャーロット役のアンドレア・デックも可憐。ただ、ちょっと歌はクラシックファンからすると「イマイチ」。最後のクレジットで「ヘルムート・バーガー」という文字が出てびっくり。バーガーシュ卿を演じていたのは、あのヘルムート・バーガーだった!! 見ている間はまったく気付かなかった。最後に「ケン・ラッセルに捧げる」という文字が出て納得。確かにケン・ラッセル風の毒のある映画。映像が音楽の本質に届き、きれいごとではない芸術のありようを感じることができる。

 夜11時過ぎに自宅に戻った。

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びわ湖「ラインの黄金」 意欲的試み

 

 721日、びわ湖ホールで、「ラインの黄金」を見た。子どもも楽しめるようにと、日本語の訳詞による上演。確か「アラベッラ」公演の時だったと思う。新国立劇場で演出家の三浦安浩さんとお会いして、びわ湖ホールでのこのオペラの上演を知った。ちょうどうまい具合に仕事で関西に行く用ができたので、これ幸いに見に来た。

 上演の前に三浦さんの話があった。子どもに親しませる工夫としては実によくできている。

 演奏に関しては、なかなかの健闘というべきだろう。三人のラインの娘たち(飯島幸子・田中千佳子・本田華奈子)はいずれもレベルが高い。彼女たちの登場で、このオペラ上演がかなりのレベルであることを示してくれた。アルベリヒの砂場拓也にも、私はとても惹かれた。毒のある役を実にうまく歌っている。ヴォータンを歌う林隆史は外見的にも声に質も気品があって、実に神様らしい。フリッカの森季子も伸びのある声で見事。ローゲを歌う古屋彰久は難しい役を的確にこなしている。五島真澄(ファゾルト、的場正剛(ファフナー)のふたりの巨人もどっしりとしていかにも巨人らしい。ミーメを歌う青柳貴夫も、いかにも卑屈でうまい味を出している。

 指揮は大川修司、管弦楽はザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団。どういう団体なのかよく知らないが、やはり少し弱い。ところどころ心細い音が出てくる。オーケストはピアノにより補強されており、編曲とピアノを受け持つのは寺嶋陸也。大オーケストラでなく、このような簡易版による上演もあってしかるべきだと思った。ともあれ、全体的にはまったく違和感なく、ワーグナーの音が出ていた。

 三浦さんの演出については、とてもわかりやすかった。子どもでもわかるようにということで、凝った解釈は示されない。私の周りにも子どもはたくさんいたが、心から楽しんでいる様子。何人もの子どもたちが、カーテンコールで盛大な拍手を送っていた。ワーグナーのかなりとっつきにくい楽劇なので、いくらなんでも無理ではないかと思っていたが、まったくそんなことはない。このオペラが子どもでも楽しめるものであることを証明して見せてくれた。私にはちょっとしたうれしいショックだった。

 私が驚いたのは三浦さんによる訳詞だった。音楽にぴったり合っている。日本語として不自然なところは残っているが、しかし、ほとんどの部分で驚異的に音楽に合致している。音楽に合わせるために、たとえば、「声が聞こえる」としないで、「聞こえる。声」というような訳詞(ただし、ここに例を引いたのは、単なる例であって、本当にこのようなセリフがあったかどうかは定かではない)にしている。うまい工夫だと思った。

 ともあれ満足。これを4000円ほどでみられたのは実にうれしい。こんな試みが増えることを祈る。

 実はこの1週間ほど散々だった。

 不快の最大の原因はパソコン。4月に2台購入。Windows8.1を使いこなせずに苦労し、5月になってやっと少しずつ使いはじめた。ところが、そのうちの1台であるメインで仕事に使っているdynabookが不調。「自動修復中です」「回復」「このPCは修復が必要です」などの表示が度々出る.何度もサポートセンターに電話して丁寧に対応してもらい、一度は全部を消去して初期化した。そして、再びデータをいれ直したが、また同じような症状。ついには、pdfが読めなくなり、それを回復するために色々といじっているうちに、Outlookも呼び出せなくなり、メールが読めなくなった。

 出かける間際にメールが読めないことに気づいたため、かりかりしながら車で家を出たら、早くハンドルを切りすぎてしまい、我が家の車を止めるスペースの前の門扉を車の側面でこすってしまった。車に傷がつき、門扉はゆがんで使えなくなった。大損害!!

 パソコンについは、どうしようもなくなって出張サポートの方に来ていただいた。だが、それでも直らず、むしろ、「そもそもハードディスクに問題がありそうなので修理にだすほうがよい」とアドバイスされた。

 そしてもう一つ厄介なのは、家の壁に蜂の巣ができているのを妻が発見したこと。これも何とか対応しないことには。

 16日の朝刊で、朝日新聞社の元取締役で、「アエラ」の初代編集長だった富岡隆夫さんが亡くなったことを知った。

 富岡さんとは、1999年にバイロイト音楽祭ツアーで知り合った。朝日新聞の元社長の中江利忠さんご夫妻もご一緒だった。とても親しくさせていただいた。中江さんとともに日本に戻ってからも何度かお会いした。カラオケで中江さんの見事な歌を聴いたのも富岡さんのはからいだった。知的であり、しなやかでユーモアに溢れていた。いろいろとお世話になり、いろいろと教えていただいた。療養中だとは聞いていたが、亡くなられたと知って残念。楽しかったバイロイト音楽祭のことを思い出した。通夜に参列する予定でいたが、仕事が長引いていけなかった。合掌。

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「グランド・ブダペスト・ホテル」、クリティカル・シンキング研修、マゼール逝去

 715日、新宿のシネマカリテで映画「ブダペスト・グランド・ホテル」を見た。監督はウェス・アンダーソン。とてもおもしろかった。

 ほとんど客の来ない老朽化したホテル「グランド・ブダペスト・ホテル」のオーナーであるムスタファが、ホテルを手に入れたいきさつを逗留する作家に語る。その物語は実に波乱万丈。

 東ヨーロッパにあるらしい架空の国のホテル。第二次大戦勃発の前後、ナチス時代のドイツを思わせる国が戦争をはじめ、その波乱の中、ホテルのコンシエルジュ(レイフ・ファインズ)が殺人事件に巻き込まれながらも莫大な資産になる名画を相続し、それを手助けしたムスタファがホテルを手に入れる。

 その波乱万丈の物語が、リアルなタッチではなく、ちょっと喜劇的なデフォルメされたタッチで描かれる。そのリアルと非リアルの綱渡りが実におもしろい。かつてのフランス映画「アメリ」やトム・ハンクスの「フォレスト・ガンプ」などの作風を思わせる。

 最後のクレジットで、「シュテファン・ツヴァイク」という名前を見つけてびっくり。自宅に帰ってネットで調べたところ、この映画はツヴァイクの影響のもとに着想されたらしい。とはいえ、この映画の原作がツヴァイクだということではなさそうだ。

 

 その後、私学会館で行われた、私が学研や白藍塾とともに開発している「クリティカル・シンキング」教材の研修会に参加。この教材は今年4月に刊行し、すでに全国で50以上の中学、高校、大学で採用されている。本日は、この教材を使ってくれている三つの学校(三浦学苑高等学校、片山学園中学校・高等学校、松戸市立松戸高等学校)の先生方の実例発表。

 私はこの教材を、生徒たちがゲーム感覚で楽しく説いていくうちに、発信力、問題解決力、語彙力、論理的思考力、社会性がつくように工夫して作った。そのために、答えが一つでなく、時には答えのない問題にしている。3校の先生方は、私たちの意図を理解したうえで実に見事に授業を展開してくれていた。

もくろみ通り、生徒たちがほかの教材ではありえないほどに楽しみながら問題に取り組んでいるという。そして、先生方の予想以上に、生徒たちが力を伸ばしてくれているという報告もあった。3校の先生だけでなく、何人もの方に、「画期的な教材だ」というお褒めの言葉をいただいた。そして、それ以上に、先生方が私の予想以上に教材をいかして工夫してくださっていることに驚いた。私自身大いに勉強させてもらった。

 

 ところで、昨日、新聞でロリン・マゼールの死を知った。今年の5月、来日してボストン交響楽団を振るのを楽しみにしていたが、指揮者がデュトワに変更になった。チケットを購入して楽しみにしていたのだが、残念だった。病気が相当悪いのではないかとは思っていた。またも世界は大天才を失った。合掌。

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山田和樹+スイス・ロマンド管弦楽団 語り口のうまさに舌を巻いた!!

 7月10日、東京芸術劇場で山田和樹指揮によるスイス・ロマンド管弦楽団の「都民劇場音楽サークル」の演奏を聴いた。都民劇場の一つとしてチケットを購入したものの、台風も来ていることだし、曲目がまったくもって好みではないので、「今日はやめようかな」という思いが一瞬よぎったが、行ってよかった。すばらしい演奏だった。

 前半はオネゲルの交響的運動第1番「パシフィック231」、藤倉大「Rare Gavity」、ビゼー「アルルの女」組曲より。後半「シェエラザード」。

 スイス・ロマンド管弦楽団の実力にも驚いた。色彩的で繊細で、しかも音がダイナミック。アンセルメ時代の音をなまで聴いたことはないが、全盛期はこうだったのではないかと思わせるほど。管楽器が実に美しい。「アルルの女」の「メヌエット」のフルート・ソロも抜けるような音で素晴らしかったが、ほかの楽器も負けてはいなかった。

 山田和樹の指揮はナントのラ・フォル・ジュルネで聴いたことがあり、とても良い指揮者だと思ったのだったが、今日聴いて、そんな生易しいものではないと思った。

「パシフィック231」では、オーケストラの完璧なコントロールを聞かせてくれた。音が濁ることなく重層的に響きあう。「アルルの女」では、表現の幅の広さ、描写や雰囲気を作り出す巧みさを聞かせてくれた。のどかな南フランスの田園風景が広がるような音。こんな雰囲気の演奏を聴いたことがなかった。しかも構成感がしっかりしているので、雰囲気の変化が実に自然でしなやか。「ファランドール」も実に爽快でダイナミック。まさしく音楽絵巻が展開される。

「シェエラザード」も、音そのものが表情豊かで、それぞれの表情付けが実に自然。楽器の音の美しさを存分に引き出している。まったく退屈せずに聞かせてくれる。

 ビゼーやリムスキー=コルサコフは好きな作曲家ではない。今日の演目は、正直言って私が「つまらない曲」と思っているものばかり。ところが、その私が「アルルの女」に感動し、「シェエラザード」では何度か魂が震えた。まるでブルックナーに感動した時のように。

 山田和樹は1979年生まれというから、まだ35歳ほど。それなのに、まるでカラヤンやヤンソンス並みの語り口のうまさではないか! 末恐ろしいとしか言いようがない。

 アンコールは知らない曲2曲だった。張り紙を見たら、シュレーカー作曲、舞踏劇「ロココ」よりマドリガルと、コルンゴルトの「シュトラウシアーナ」だという。これも見事な演奏。

 ともあれ、山田和樹という若い指揮者のすさまじい才能を思い知ったコンサートだった。

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ジギスヴァルト・クイケンのヴィオロンチェロ・ダ・スパッラ、前半はやや失望

 7月8日、武蔵野市民文化会館でジギスヴァルト・クイケンのヴィオロンチェロ・ダ・スパッラの演奏で、バッハの無伴奏チェロ組曲3・4・6番。2夜連続演奏の二日目。昨日は、「ホフマン物語」を先に購入していたために、2日目だけ聴くことになった。

 ジギスヴァルト・クイケンの演奏なので、無伴奏ヴァイオリンの演奏だとばかり思い込んでいたら、ヴィオロンチェロ・ダ・スパッラによる無伴奏チェロ組曲の演奏だった。この「肩掛けチェロ」を聴くのは、寺神戸さんの演奏に次いで二度目。慣れのせいに違いないが、チェロに比べて響きが少ないのが、少し物足りない。

 実は前半の3番と4番に関してはかなり不満だった。時々音程が怪しくなった。しかも、「汚い音」(どういうときにプロでもこんな音が出るのかわからないが、ともあれ、ほかにどう表現すればよいのかわからないので、こう表現する)が時々混じる。それにあまり深い表現を感じなかった。クイケンほどの大演奏家らしくないと思った。

 が、後半の第6番はとてもよかった。一休みして指が温まったのか、それとも、後半に照準を合わせていたのか。この曲のほうがずっと技術的に難しいはずなのに(実際、5本の弦で演奏されていた)、前半のようなことはなく、表現も深く、私は大いに感動した。この曲らしい高音がヒステリックにならず、とても美しく、深い。この第6番はこの楽器にあっているのかもしれない。

 ただ、ジギスヴァルト・クイケンの無伴奏ヴァイオリン曲のCDを愛聴している私としては、もっと圧倒的な名演を聴けるのではないかと心を弾ませていたが、それほどの感動を覚えることはなかった。

 

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リヨン歌劇場公演「ホフマン物語」 大野の指揮に感動

7月7日、Bunkamura25周年記念フランス国立リヨン歌劇場公演「ホフマン物語」を見た。指揮は大野和士、演出・衣裳はロラン・ペリー。素晴らしかった。

ホフマンを歌うのはレオナルド・カパルボ。なかなかの健闘。あと少しの声の伸びと演技力がほしいと思ったが、十分に感動を与えてくれた。オランピア、アントニア、ジュリエッタ、ステッラのすべてをパトリツィア・チョーフィが歌った。すべてを歌うのは最近ではかなり珍しいのではないか。声も美しく、容姿も良く、表現力もある。リンドルフなどの役を歌うのはロラン・アルバロ、ミューズなどを歌うのはミシェル・ロジエ。ともに文句なし。声を響かせ、見事に役を演じる。フランツなどの役を歌ったシリル・デュボアも実に芸達者でおもしろい。歌手たちは、圧倒的というほどではないが、間違いなく超一流。合唱も素晴らしい。声が揃っていて、しかもかなりの迫力。序幕の男たちの合唱はぞくぞくした。堪能した。

 が、私が最も感銘を受けたのは、大野の指揮だった。

9列目のチケットを購入したつもりだったが、実際に行ってみると、オーケストラピットがはみ出しているために、2列目だった。大野さんの横顔が見える位置。作ろうとしている音楽がとてもわかった。キレがよく、スケールが大きく、すべての音が生き生きとしている。表情が豊かで、メリハリのある音楽が自然に流れて行く。しかも、徐々に盛り上がり、場面の切り替えではがらりと音の雰囲気が変わる。重くなりすぎないが、十分に迫力がある。ところどころ、魂が震えた。改めてすごい指揮者だと思った。

 ペリーの演出もおもしろかった。いかにもフランス的でもエスプリに溢れ、おしゃれ。オランピアの動きがおもしろい。いったいどうやっているのか。ローラースケートのようなものに乗っているのか。オランピア、アントニア、ジュリエッタの人物造形も説得力がある。ワーグナー演出のような無理な読み替えがないのもいい。視覚的にとてもおもしろくて飽きない。

 ただ、このオペラの宿命というべきか、話がよくわからないし、何を言いたいのかも不明。意味不明のセリフが続く。そうでありながら、十分に感動させるのだから、不思議なオペラだ。きちんと研究すれば、もしかしたら謎が解明できるのだろうか。ちょっと本気で調べてみたくなった。「ホフマン物語」研究は老後の楽しみにいいかもしれない。

 ともあれ、満足。オッフェンバックの楽しさを堪能した。

 

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戸田弥生によるバッハ無伴奏ソナタ・パルティータ連続演奏会が決定!

 多摩大学樋口ゼミでは、1993年にエリーザベト王妃国際音楽コンクール優勝以来、日本を代表するヴァイオリニストとして世界で活躍している戸田弥生さんを招いて、バッハの無伴奏ソナタ・パルティータ連続演奏会を開くことになりました。

 これまでもバッハの無伴奏曲の凄まじい集中力と深い精神性を示す演奏によって多くの人に感動を与えてきた戸田さんの演奏会を行うことを、私たち樋口ゼミは大変名誉なことと思っています。戸田さんの演奏によって、バッハを愛する音楽通の方にも、そしてクラシック音楽初心者の方にも新たな深い感動をお届けしたいと考えています。

 会場は、九段にある、寺島実郎(多摩大学学長)監修の知の安らぎと刺激の場「みねるばの森」です。40席ほどの落ち着いたカフェですので、目の前で演奏される渾身のバッハ演奏が堪能できます。休憩中に軽食と飲み物も付きます。

参加希望者は下記アドレスにお名前、ご本人様の連絡先(メールアドレス)を記述になってご連絡ください。後日、返信を持ちましてご連絡致します。なお、当日券もありますが、座席数が少ないため、満員の場合は入場できない場合がありますので、ご容赦ください。

 

参加希望・お問い合わせ連絡先 

tama-higuchisemi@googlegroups.com または、090-9683-5398

(なお、問い合わせなどありましたら、本ブログでも受け付けます)

 

★第1回 10月4日(土) 19時開演

バッハ : 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 全3曲

 

★第2回 12月13日  19時開演

バッハ : 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 全3曲

 

★料金  1回券  4,500円  2回券 8,000円

    (すべて軽食付きの料金です)

 

★演奏場所 寺島文庫café みねるばの森 [03-5215-2950]

(地下鉄九段下駅5番出口より徒歩3分)

 

 

 

 

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ベルリン交響楽団の演奏にかなり不満を抱いた

 7月3日、武蔵野市民文化会館大ホールでベルリン交響楽団の演奏を聴いた。指揮はリオル・シャンバダール。

ベルリン交響楽団というのは、昔、ザンデルリンクが指揮をしていた東ドイツにあったオーケストラだとばかり思ってチケットを購入したのだったが、直前になって別の組織だと知った。

 前半は「エグモント」序曲と、ピアノのヴァレンティーナ・リシッツァが加わって、ベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」、後半はベートーヴェンの交響曲第7番。私はすべてにおいてかなり不満を抱いた。

 オーケストラはローカルな音を感じた。弦の音はきれいだが、管楽器はちょっと物足りない。が、それ以上に問題を感じたのは指揮。ほとんど何も起こらないといった指揮だった。今時、これほど刺激のない演奏も珍しい。かなり一本調子で、メリハリがなく、かなり穏やかに流れていくように私の耳には聞こえる。音が大きくなるところはあるが、少なくとも私は少しも高揚しない。予定調和の世界。

 ピアノも同じ雰囲気を感じた。かわいく魅力的な若い女性で、バリバリとピアノを弾くのだが、音楽を作るというよりも、音楽にやっとのことでついて行っている感じがする。技術はあるのだが、音楽そのものにメリハリがなく、何かを表現をしているように感じない。それにリズムが不均一でかなり不安定。私はピアノはあまり聴かないので、評価することはできないが、私の耳にはよい音楽に聞こえない。

「皇帝」の後、ピアノのアンコールとして、シューベルトの「アヴェ・マリア」やリストの「ラ・カンパネッラ」やショパンのノクターンなど全部で4曲が演奏され、その大サービスぶりに会場は大喝采をしていたが、私はまったくの無感動。「ラ・カンパネッラ」に関していえば、関戸公民館で多摩大樋口ゼミの協力で演奏してもらった久保山菜摘さんの演奏のほうがリズムも正確で、圧倒的に美しく華麗だった。

 最後にオーケストラのアンコールとして、「ペールギュント」の「朝」や「フィガロの結婚序曲」やブラームスの「ハンガリー舞曲」などが演奏されたが、これらも一本調子で、しかも無意味に表情をつけるために品の悪さを感じた。私は楽しめなかった。酒を飲みながら楽しむ気楽なコンサートならこれでよいだろうが、ベートーヴェンを聴きに来た人間としては大いに不満を覚えざるを得ない。

 まあ、こんな日もあるだろう。

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集団的自衛権について思うこと

 このブログには基本的に政治的な意見を書きたくないと思っているが、これほど世論が熱しているからには、少しだけ私も書き込みたくなった。

 私はどちらかというと左翼の側に属すると自分では思っているが、集団的自衛権については微妙な立場にいる。一言でいえば、理念としての集団的自衛権については賛成、ただし、現政権における現状での自衛権容認、そしてその閣議決定には危惧を覚える。その意味で、反対デモに加わるほどの強い反対意見を持つわけではないが、安倍政権を支持するつもりもない。

 私は集団的自衛権そのものを認めるのは当然だと考える(先に書いたとおり、私は左翼の側にいるが、10代のころから一度も「非武装論者」だったことはない)。日本の平和と安定を脅かして攻撃してくる国があれば、武力を用いて撃退する必要がある。冷戦時代以来ずっと他国の軍隊と核の傘のもとに守られている状態は、独立国家としてあり得ない姿だと思う。しかも、冷戦後の国際情勢の中、一国で行動することは不可能であり、当然、同盟国とともに共通の敵に対してにらみを利かす必要がある。無防備な平和主義はあまりにお人好しであり、あまりに無責任だと思う。

 だが、今回の閣議決定によって、現憲法の解釈を変えることは、あまりの暴挙といわざるを得ない。あの憲法第9条の文を集団的自衛権が認められていると解釈することは絶対に無理だ。個別的自衛権も、もちろん自衛隊の存在も、あの条文では認められているとは読み取れない。あの条文を安倍政権のような解釈にしてしまうと、まさしく立憲主義の崩壊でしかない。なんでもありの条文解釈になり、憲法、そして法律そのものの意味をなくしてしまう。きちんと憲法改正の議論をした後に決定するべきことだ。

 しかも、現状での集団的自衛権の容認は、対米追随になりかねない。イスラム世界への派兵にもつながりかねない。安倍総理はそのようなことはあり得ないと語っているが、一旦、集団的自衛権を認めてしまうと、何が起こっても不思議はない。たとえば、日本が尖閣を中国に攻撃されて米軍に助けてもらうようなことがあった場合、その後、アメリカからイスラム世界への派兵を要請されれば、同盟国として無碍に断るわけにはいかなくなる。そのうえ、安倍総理はきわめて右翼的な思想の持ち主であり、中国を敵視しているので、好戦的になりかねない。

 そのような理由で、歯切れが悪いながら、私は理念として集団的自衛権には賛成、安倍政権のごり押しには反対ということになる。現在、安倍総理が語っている以上の状態に絶対にならないように、拡大解釈が絶対に起こらないように監視していくしかないと思っている。

 そして、理想としては憲法を改正するべきだと考えるが、現行憲法を堅持したまま憲法解釈を変えるというのであれば、それならそれで「憲法があるから、これ以上のことはできない」という口実でアメリカからの要請があっても、派兵を拒否する方策をとるべきだと思う。

 特に目新しい意見ではないので、わざわざ書く必要もないと思うが、一応は自分の立場を表明しておくべきだろうと思って書いた。

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