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ローマン・トレーケルの「白鳥の歌」 シューベルトの悲劇性

 7月24日、武蔵野市民文化会館でローマン・トレーケル、バリトン・リサイタルを聴いた。素晴らしかった。ピアノ伴奏は原田英代。

 開始時間前後はすさまじい雷雨。私は大学から車で会場に向かったが、途中、大雨で10メートル先もよく見えないほどになった。しかも、突然、停電になって信号が消えてしまった。三鷹駅付近を移動中だったが、交差点では視界の悪い中、恐る恐る車を走らせた。停電は数分で回復したので胸をなでおろした。15分遅れでリサイタルは開始。あれほどの雷雨なのに、ほぼ会場が満席になっていたのには驚いた。もっと遅れてくる人が多いかと思っていた。NHKのテレビ中継が入っていたが、しばしば会場内に雷鳴が聞こえた。放送では雷鳴はどうなるのか少々心配。

 曲目は、すべてシューベルト。「白鳥の歌」「さすらい人」「月に寄す」「墓堀人の郷愁」の後、歌曲集『白鳥の歌』全曲(ただし、私が馴染んだ曲順とは異なり、曲にも異同があるようだ。この歌曲集は遺作なので、版によって異なるということだろう)。

 トレーケル(私はこれまで、「トレケル」と表記してきた)は丁寧に、しっかりと安定した歌唱で歌う。折り目正しく、知的で、音楽の意味を深く掘り下げ、感情に溺れることなく歌う。まさに正統派。フィッシャー=ディスカウを思い出す。そして、そのような歌唱によってシューベルトの悲劇性を浮き彫りにする。「影法師」や「アトラス」での痛ましいまでの悲劇性は感動的。なるほど、これはこのような曲だったのだと納得させるだけの力がある。「愛の使い」や「セレナード」のようなチャーミングな曲も憂いがあふれている。しかも、それを知的に構築するので、胸に響く。「冬の旅」の延長線上にこの歌曲集をとらえているようだ。確かに、トレーケルのように歌うと、そのような要素が強いことが良くわかる。そして、言葉による語りを重視して、人の心の直接訴えかけようとするシューベルトの歌曲の力を再認識する。

 私が初めてトレーケルを聴いたのは99年のバイロイトでの「ローエングリン」だった。伝令の役だったが、上演を見た後、日本人で集まって、トレーケルの素晴らしさを話題にした記憶がある(その中に先ごろ亡くなられた富岡さんもおられたと思う)。ワーグナー10演目が上演された2002年のベルリン・フェストターゲでは、トレーケルの歌うヴォルフラムを聴いた。これも素晴らしかったことを覚えている。今回改めてリートを聴いて、まさしく現代最高の歌手の一人だと思った。

 アンコールは「鳩の使い」(これは、通常、「白鳥の歌」に含まれるはず)と、「音楽に寄す」。いずれも素晴らしい。

 演奏中、外はかなりの大雨だったようだが、リサイタルが終わったころには雨は上がっていた。

 

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