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ヴェネツィアとヴェローナ観光

 1970年代、私は一人旅の途中,ウィーンからヴェネツィアに夜行列車で入った。早朝、ヴェネチア・サンタ・マリーア駅に到着し、すぐに観光を開始したのを覚えている。35年以上前のことだ。まさしく海の上に浮かぶ街。圧倒された。

 ところが、あまりよい印象はない。まず、すさまじい悪臭に閉口した。嗅覚に自信のない私が我慢できないほどの悪臭だった。ヴェネツィアには、年に何度かそのようなことがあるらしい。たまたまその日に当たっていたようだ。

 しかも、サンタ・ルチーア駅を出て、サン・マルコ寺院に行こうとするが、水上バスの乗り方がわからず、そのほか、様々な事柄の仕組みがわからない。表示はイタリア語ばかり。サン・マルコ寺院まで歩くことにした。ところが、167世紀の街並みがそのまま残された狭い道を行くうち、何度も迷子になった。なかなかつけなかった。だが、とりあえず、サン・マルコ寺院には到着。広大な敷地、高大建物に感動した。

 大変だったのはそのあとだった。どこに行くにも迷子になる。ワーグナーの終焉の地であるヴェンドラミン宮殿などにも行ってみたいと思っていたが、結局、そこにはたどり着けなかった。そして、そろそろ駅の近くにあるインフォメーションでその日泊まるホテルを探そうとして、駅に戻る段になっていよいよ本格的に迷った。同じような古い建物、同じような狭い道。途方に暮れた。行きはそのような旅を楽しんでいたが、帰りにそんな余裕はなくした。しかも、周囲はみんなカップルか家族連れかグループ。一人旅はほとんどいない。困り切って、その土地の人らしい女性に道を聞いたら、私の服装がよほど怪しかったのか、口のきき方が悪かったのか、邪険にされた記憶がある。人にも聞きたくなくなった。

 もうこんなところにはいられない。1泊しようと思っていたが、もうごめんだ。そう思って、なんとか切符の買い方などを調べて、水上バスにほんの少しだけ乗って、そこでヴェネツィア泊を諦めて、午後の列車でボローニャに向かったのだった。ホテル代が当時の私の一日の宿泊費に比べて、あまりに高かったのもあきらめた一つの理由だった。

 それから35年。もう一度、きちんとヴェツィチアを訪れたい、あの時のリベンジをしたいと思っていた。ところが、その矢先、娘がヴェツィチアに行きたいという。だったら、その機会にヴェネツィアを見直そうと思ってやってきたのだった。

 そして、今回の旅行。昨日(818日)にパリからヴェネツィアに到着。ホテルはネストレ駅の近くにとって、ホテル着後、すぐにヴェネツィア島に向かった。

 幸い、それほどの悪臭は感じない。駅に到着する前から目を奪う海と船と、そこに浮かぶ家。古い建物を建てこむ旧市街。数々の運河にはゴンドラがあり、ゴンドラ乗りがいる。

 同じように何度も迷子になった。何度も親の権威を失った。この場所の一人旅の難度が高いことは、改めて感じる。ほかの都市で獲得した旅のサバイバルのノウハウが通用しない。道に迷いそうなときは広い道に出る、高い建物を目印にする、どうしようもなくなったらタクシーに乗る・・・ということができない。広い道はないし、高い建物は見えないし、タクシーは通っていない。イタリア特有というのか、ヴェネツィア特有というのか、そのようなルールがたくさんあって、よくわからない。35年前についにめげてしまった時の気持ちを思い出した。

 が、今回は一人でなく、娘がいる。誰かが一緒にいるのは心強い。迷子になっても、途方にくれない。それを楽しむことができる。もし、娘ではなくこれが恋人であれば、もっと楽しいのだろう。迷子になって、そこに古い教会が現れ、美しい形の橋が見え。趣のある路地に出くわす。迷うこと自体がヴェネツィアの旅なのだ。実際にそうやって私たちもあれこれの発見をした。

 ともあれ、サン・マルコ広場に到着し、周囲を散策。周辺の壮麗な建物、そして、運河の向こうの美しい街並みを堪能した。

 暗くなってから、徒歩で駅に戻ろうとした。さすがに、夜になって人影が少なくなり、ホテル(サンタ・マリーア駅の隣のメストレ駅付近にホテルをとった)に戻る時間が心配になった時には焦ったが、ともあれホテルに戻れた。

 

 819

 雨模様。気温は20度前後。雨は強まったり、やんだり。

 午前中、再びヴェネツィア観光。水上バス(ヴァポレット)でレアルト橋に行き、そこから徒歩でサン・マルコ広場へ。サン・マルコ寺院の中に入ろうとしたら、入場を待つ人の数百人の大行列。いったんあきらめて列がその五の一程度のドヵーレ宮殿に並んだが、そこでも30分以上待たされて、中に入った。ドヵーレ宮殿はヴェネツィアを治めた総督の政庁で、12世紀から14世紀にかけての建物だという。当時の権勢を誇る政治に用いられた壮麗な部屋の数々、そして数々の絵画を見た。ティントレットの「天国」の異様な力には圧倒された。

 ここで、いったんヴェネツィアを離れ、列車で1時間ほどのところにあるヴェローナへ。私にとっては、毎年音楽祭のおこわなれるとしだが、もちろん「ロミオとジュリエット」の舞台になった都市としても有名。本来はここも恋人と訪れるべき場所なのだろうが、娘に見せたくて行くことにした。

 ヴェローナは人口25万人ほどの都市だが、ヴァカンスの時期にはかなりにぎわうようだ。こじんまりしたきれいな街。冷たい雨の中、ヴェローナ・プルタ・ヌオーヴァ駅からアレーナまで歩いた。幸い、すぐに小降りになり、市内観光中はほぼ雨が上がっていた。

 アレーナは修復中であちこちが工事中だったが、ローマ時代の姿を見せてくれた。ここでもまた長い行列を作ってやっと入場券を購入し、中に入る(たった一人の係員が切符の対処をしている。あまりに効率が悪い。もう少し工夫すれば、サン・マルコ寺院はともかく、ドゥカーレ宮殿やアリーナはほとんど列を作らずに入場できるはず)と、グノーの「ロメオとジュリエット」の舞台装置の準備中だった。観客席を歩いた。たくさんの観光客に混じって、ローマ時代の席に合わせて現代の椅子を置き、オペラを見やすいようにしている。だが、雨でぬれているせいもあって、滑りやすい。濡れていなくても、石段は昇りにくい。オペラ見物の高齢者には大変だろうと思った。

 その後、大勢の観光客らしい人々の流れに乗って、「ジュリエットの家」(ジュリエットのモデルになった女性の住んでいた家)に行き、家の前の中庭を見た。当時のままの形で残されている。例のバルコニー、そして、ジュリエットの銅像が人気を集めている。銅像を撮影する人、銅像とのツーショットを望む人などの各国から来た観光客で大混乱。通勤時間帯の電車の中並みの込み具合。ヴェローナの町では日本人はあまり見かけなかったが、さすがにこの大集団の中にはかなりの日本人がいたようだ。人のにされる形で外に出た。ほかにロミオの家やスカラ家の廟、市内の主要な建物を見物。観光客でごった返しているが、静かで緑にあふれ、古い歴史の中にたたずむ町であることが良くわかる。その後、夕食を済ませて、ホテルに戻った。

 ヴェネツィアもヴェローナも、それほど深く味わったわけではないが、ともあれあちこち訪れることができ、その雰囲気を知り、ポイントを堪能している。

 ホテルのネット状況は改善されないが、使うコツはつかんだので、ここにブログを更新する。

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