« 2014年8月 | トップページ | 2014年10月 »

メッツマッハー+新日フィルのベートーヴェンに興奮

 929日、サイトリーホールで、インゴ・メッツマッハー指揮、新日本フィルハーモニーの演奏で、ツィンマーマンの大オーケストラのためのプレリュード「フォトプトシス」(日本初演)と「ユビュ王の晩餐のための音楽」、そして、ベートーヴェンの交響曲第7番を聴いた。

 ツィンマーマンの曲はなかなかおもしろかった。ザルツブルク音楽祭で、一昨年、メッツマッハーの指揮する「軍人たち」を見て、とてもおもしろく感じたが、この作曲家は、いわゆる「現代曲」になじみのない私のような人間にも十分に味わえる。しかも、これらの曲は、ベートーヴェンの第九やら「法悦の詩」やら、「ワルキューレ」「幻想交響曲」やらの引用が出てくるので飽きない。すさまじい絶望と皮肉が音楽という形をとって吐き出される。すさまじい迫力。フランスの詩人アルフレッド・ジャリの原作に基づく「ユビュ王の晩餐のための音楽」には青森県で活躍する劇作家の長谷川孝治さんのオリジナルの語りが入った。

ただ、私には長谷川さんの語りは、ジャリ原作の「ユビュ王」の世界とかけ離れすぎていると思える。学生のころ読んだきりなので、よく覚えていないが、ジャリの世界は絶望と怒りと皮肉と狂気にあふれていたと思う。ところが、長谷川さんの語りは、きわめて常識的なもの。朝日新聞的な平和主義、あるいは他人の心を思いやることを重視する思想。しかも、仏教に関して言及されるので、むしろ、宮沢賢治の世界に近い。なぜ、このような音楽にこのような語りが入ったのか、私にはまったく理解できない。むしろ正反対の世界だと思うのだが。

後半のベートーヴェンは凄まじかった。メッツマッハーの面目躍如とでもいうか。切れの良い音が重層的に鳴り響き、ぐいぐいと音楽を推進し、論理的に音を畳みかけていく。それぞれの音に表情があるが、それがきわめて理に適っていて、流れも自然。それほど個性的なことはしていないと思うのだが、聞こえてくる音は斬新で生き生きとしている。

私は第一楽章の最初の音から、暗い情念を含みながらも、音そのものはクリアである独特の世界に驚嘆した。ひたすら音楽に引きこまれ、ほとんど興奮状態にいた。

新日フィルも素晴らしいオケだと思った。管楽器の活躍が見事。低弦も実に充実していて、ベートーヴェンのドラマティックな世界を高めていた。

メッツマッハーの振る新日フィルを少し追いかけてみたいと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ブロムシュテット+N響の圧倒的な「悲愴」

 927日、NHKホールで、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮、NHK交響楽団による、モーツァルトの「ジュピター」と、チャイコフスキーの「悲愴」のコンサートを聴いた。素晴らしい演奏。「悲愴」の後半については圧倒的な演奏。

 ブロムシュテットは1927年生まれというから、845歳。まったくそうは見えない。しっかりと歩き、ふつうに立って指揮する。そして、音楽もまったく老いを感じさせない。きびきびと引き締まり、リズム感にあふれ、誇張は少しもないのにドラマティックで美しい。N響も最高に美しかった。よい指揮者に当たったとき、素晴らしいオーケストラだとつくづく思う。指揮にぴったりついて、地味ながらもしっかりと美しい管楽器の音。弦はいつも見事。

「ジュピター」に関しては、私はとりわけ第二楽章の物悲しい音色に打たれた。「ジュピター」はむしろ祝祭的で雄大な音楽だが、第二楽章には晩年のモーツァルト特有の哀しみがかすかに聞こえてくる。その微妙な音色の変化が素晴らしいと思った。第四楽章の音の重なりも、まったく音が濁らず、しかも実にダイナミック。ぐいぐいと音楽を推進する。

「悲愴」は一層素晴らしかった。初めは少し抑制が強い気がした。正攻法のチャイコフスキー。情緒に流れず、号泣することもなく、しかし、正攻法に音楽を進めていく。そして、第三楽章で大きく盛り上がる。しかし、相変わらず、まったく形が崩れることなく、格調高く、クリアに引き締まっている。しかも、盛り上がりすぎることなく、第四楽章にしっかりと引き継がれていく。よく第三楽章の終わりで拍手が起こることがあるのでひやひやしていたが、そんなこともなく、第四楽章に続いた。しっかりと第四楽章につながることを分からせるような終わり方。

とりわけ第四楽章の沈痛な音楽がとりわけすごかった。弦の音に魂の痛ましさを感じる。チャイコフスキーが自らの人生を振り返り、第三楽章で運命を切り開いて人生に勝利したかに見えたが、第四楽章で悲痛な結末を迎える。そのようなメッセージが聞こえる気がした。

チャイコフスキーにしては、かなりドイツ的で気品にあふれる演奏。しかし、抑制しながらも、そこに激しい情念がこもっている。改めてすごい指揮者だと思った。

| | コメント (10) | トラックバック (0)

石田泰尚のヴァイオリン・リサイタルと黒田官兵衛のこと

9月22日、代々木上原のムジカーザで、石田泰尚のヴァイオリン・リサイタルを聴いた。ピアノ伴奏は中島剛。石田さんのソロを聴くのは初めて。

前半はバッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータ第3番とベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第2番。後半に、ブラームスのF.A.E.ソナタよりスケルツォとヴァイオリンソナタ第3番。アンコールはクライスラー「シンコペーション」、ブラームスのハンガリー舞曲第8番、クライスラー「プニャーニの様式による前奏曲とアレグロ」。

前半のバッハはまだ指が暖まらないようで、少しもつれる感じだったが、徐々に調子が上がってきて、後半は素晴らしかった。とりわけ、ブラームスのソナタと最後のアンコール曲は最高。

音の輪郭が鮮明で思い切りがいい。音がすくっと立ち上がる感じがある。そこに情熱のこもった音楽が展開されていく。ブラームスでは少し遠慮がちだったが、アンコール曲は自在に音楽を動かして、切れの良い大見得を切った演奏。ピシッと決まった。実に躍動感にあふれている。ピアノもしっかりとヴァイオリンを補佐して見事。

このホールに来たのも初めて。120席の小さなホールなので、演奏者といった位になれる。響きもいい。オーナーが井上道義さんの関係者だとのことで、途中から井上さんが後ろの席におられた。

 

ところで、「黒田官兵衛」について一言。実は私はNHKの大河ドラマはほとんど見ない。歴史ドラマを見ると、「これは史実なのだろうか」と気になって仕方がない。オペラくらいデフォルメされていたら、うそだと思って平気で見られるが、テレビドラマとなると、事実でもない脚色に強い違和感を持つ。だから、「黒田官兵衛」もほとんど見なかった。

ただ、舞台が中津になるということを予告で見てから気になり始めた。

大分県中津市は、私が5歳から9歳まで暮らした土地だ(父が転勤族だったため、私は5歳まで大分県日田市で育ち、その後、中津市に移り、小学校5年生から大分市に住んだ)。

小学校のころの遠足だったか、校外授業だったか、赤い壁の寺に連れていかれたことがあった。「侍たちがだまし討ちにあって、大勢が殺された。当時は白壁だったが、血で汚れ、いくら塗りなおしても、恨みのために血が浮き出てきた。そのために、のちに壁を赤く塗った」という説明を受けた。50年以上前に聞いたことだが、そのエピソードは鮮明に覚えている。そして、中津には「如水」という地域があり、「如水会館」という建物がある。鶴姫の話も中津ではしばしば耳にしていた。

だが、小学校4年生で中津を離れたこともあって、それは断片的な知識のままで終わっていた。黒田官兵衛がテレビドラマで扱われるようになってから、如水というのが黒田官兵衛の出家後の号であることを知った。そして、合元寺の赤壁のエピソードは、黒田氏が、それまで中津を支配していた宇都宮氏を討った時のことだと知った。鶴姫が宇都宮氏の人質だったことも知った。

そして、先週と今週の2回、続けてNHKの「黒田官兵衛」を見た。長い間、忘れていた子どものころ聞いた物語が、テレビドラマのおかげでやっと鮮明になった思いがする。

 

| | コメント (4) | トラックバック (0)

オペラDVD「エレクトラ』「ジークフリート」「神々の黄昏」を見た

 締め切りに追われての仕事からしばし解放されて、少しゆっくりしている。とはいえ、大学の秋学期の授業が始まったので、それはそれでかなり忙しい。そんな中、購入したままでなかなか見られなかったオペラのDVDを3本見たので、感想を書いておく。

 

822jpg


「エレクトラ」 サロネン
+パリ管

 これはもうとてつもない名演。

 まず、エレクトラを歌うエヴェリン・ヘルリツィウスが言葉をなくすような熱演。声の伸びも素晴らしいし、演技もすごい。ぐいぐいと引き込まれる。エレクトラが生きているのを感じる。クリソテミスを歌うのはアドリアンヌ・ピ。エチョンカ。清楚でありながらも強い声で見事に役になりきっている。そして、クリテウネストラはヴァルトラウト・マイヤー。少しも衰えず相変わらずの声の威力と美貌。エギストのトム・ランドル、従者のフランツ・マツーラも見事。ドナルド・マッキンタイアの顔が見えたので、びっくり。かなり昔から高齢に見えていたが、まだ歌ってたんだ!

 しかし、圧倒的なのは、エサ・ペッカ・サロネンの指揮。豊穣でドラマティックで精緻で生き生きとしていて、しかも表現主義的で刺激的。なんというすごい音楽であることか。パリ管弦楽団も精緻で美しい音色を作り出している。

 そして、演出は故パトリス・シェロー。召使女たちが雄弁に動きまわり、フランツ・マツーラ演じるエギストの従者がまるでアガメムノンの亡霊のように舞台上で立ち尽くす。それだけでも、場面に意味が生まれ活気がでる。音楽の一つ一つに演技があっている。

 私は高校生のころ、日本盤が発売されておらず、歌詞も知らずにレコードを聴いていたころから「エレクトラ」が大好きだった。一時は、すべてのオペラの中で最も好きな演目だった。が、これほど充実した上演は初めて。

名演奏の映像が生まれたことが本当にうれしい。

 

892jpg


「ジークフリート」 2012年 スカラ座 バレンボイム指揮

 これまでもこのブログに書いてきた通り、私はランス・ライアンという歌手がまったくわからない。声を伸ばすときに音程が不安定になるように感じるし、歌い方があまりに雑で、しかも声も美しくない。あえて言葉を選ばずに言わせてもらえば、あまりに下品に聞こえる。もちろん下品でバイタリティのあるジークフリートという役作りではあるのだろうが、それにしても声まで下品である必要はなかろうと思う。

よってジークフリート役のライアンが登場するたびに不快に感じる。ところがもちろんこのオペラではジークフリートはごく一部を除いてずっと登場している。したがって、最初から最後までのほとんどの部分が、私には聞くに堪えないことになってしまう。

 私にはこの歌手が引っ張りだこであることが理解できない。そして、この歌手を評価する人がかなりいることも信じられない思いだ。私と同じような感想を抱いている人に出会ったことがあるが、あまり多い数ではなかった。かつて私はヘルガ・デルネッシュというソプラノ歌手に我慢がならなかったが、ランス・ライアンについても同じような思いがしている。

 ブリュンヒルデのニナ・シュテンメは素晴らしい。ミーメのペーター・ブロンターも、うまい。が、ファフナーのアレクサンドル・ツィムバリョクは音程が不安定でかなり弱いし、さすらい人のテリエ・ステンスヴォルトもライアンと同じような声の質で、私は好きになれない。

 指揮のダニエル・バレンボイムはもちろん素晴らしいし、ミラノ・スカラ座管弦楽団も見事。ギー・カシアスの演出も、特に目新しい解釈はないが、視覚的にとても美しく退屈しない。

が、繰り返すが、ライアンがジークフリートを歌うと、私にはすべてぶち壊しに聞こえる。バイロイトでもほかの劇場でも、録音でも、ライアンが主役として登場する状況は、私には実に困ったものだ。

 

883jpg


「神々の黄昏」2013年 スカラ座 バレンボイム指揮

 これについても「ジークフリート」と同じ印象。ランス・ライアンが歌いだすたびに私は耳をふさぎたくなる。しかも、ブリュンヒルデがシュテンメからイレーネ・テオリンに代わっているので、主役二人がかなり雑だという印象を覚える。テオリンは嫌いなソプラノではないが、ヴィヴラートの強さがときに気になる。

 むしろ、ハーゲンのミハイル・ペトレンコ、グンターのゲルト・グロホウスキ、グートルーネのアンナ・サムイルの悪役たちのほうがずっと端正で、私はこちらのほうにずっと本質的な凄みを覚える。

 全体的な印象として、ともあれランス・ライアンが引っ張りだこになってジークフリートを歌っているうちは、私は「リング」にはなるべき近づかずにいるしかなさそう。ライアンが歌っているBDやDVDを購入しても、結局は無駄になりそう。

それにしても、私にこれほどひどく聞こえるテノールがなぜ多くの人の支持を得ているのか、実に不思議。私の耳がどうかしているのか。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東京03単独公演「あるがままの君でいないで」に笑い転げた

 9月15日は岩手県北上市のホテルに宿泊。16日、岩手県立水沢高校で高校2年生を相手に「クリティカル・シンキング」についての講演、というか特別授業。とても楽しく授業ができた。

 919日、大学の秋学期の授業開始。

 授業終了後、大学から車で草月ホールに一目散に駆けつけて、東京03単独公演「あるがままの君でいないで」を見た。

娘が東京03ファンで、DVDボックスも購入している。私も以前からテレビで見てとてもおもしろいと思っており、DVDも娘に借りてみて、大いに笑った。そんなわけで、娘に誘われて、単独公演を見ることにした。コントのライブを見るのは初めて。若い人ばかりかと思っていたらそうでもなく、年配の男性や女性もかなりいる。

 大変おもしろかった。笑い転げた。

 最初の「先輩の土下座」は最高におもしろいと思った。土下座を絶対にしない豊本、何かというと土下座をする角田、ここぞというときに土下座する飯塚。その対比によって、対話ごとに三人の敵対の組み合わせが変化し、そこに人間観察が加わり、センスの良いつっこみの言葉が入る。

 そのほか、「旅の打ち合わせ」も大いに笑えた。何かがキャンセルになったときの激しく落胆する人とすぐに立ち直る人。それに対する人間の感覚。心の機微をついたテーマだと思う。2対1でセンスが違うための孤独感を描く「新オフィス」も、オフィスで不倫の場を目撃してしまった時の反応を描く「終業後」も実に楽しかった。ただ、「センスなきゆえに」は、ほかのコントと少し異質で私にはあまり笑えなかった。そして、コントとコントのあいだの音楽は、やはりクラシック音楽人間にはつらい。ここに見に来ている人の中にクラシック音楽好きはほとんどいないだろうから、まあ仕方がないけれど。

 本編が終わった後、佐藤隆太をゲストに迎えて「マカオの夜は大混乱」。テレビでも二枚目を演じる佐藤が大げさにコミカルに演じてくれた。コントは初めてだという。コントの演技とは少し異質だったが、テンションが高く、正体不明の男をうまく演じて笑えた。

 東京03のコントは、日常的に誰もが経験しそうなばつの悪さ、心の違和感、ちょっとした不快感、誰もが思っているが、口に出して言うことははばかられる心情、そのようなものを三人のキャラクターをうまく割り振ることによって上手にえぐり出す。そして、日常生活そのものがある意味でシュールな相貌をまとうことになる。そのあたりが実に決まっている。

 ぜひまた東京03のコントのライブを見たいものだ。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

二期会「イドメネオ」 素晴らしい上演

 9月14日、新国立劇場でアン・デア・ウィーン劇場との共同制作による二期会公演「イドメネオ」を見た。実に素晴らしかった。

 主役三人がとりわけ素晴らしい。イドメネオの与儀巧は伸びのある美声で、余裕を持って歌う。声量もあり、演技も見事。私はこの人の歌を初めて聴いたが、世界に通用する本格的なテノールが出てきたことに驚いた。これからいろいろな役に挑んでほしい。

 イダマンテは山下牧子。実は私の大好きな歌手の一人。安定した声で伸びもあり、言うことなし。とりわけ二重唱のうまさは特筆ものだと思う。エレットラの大隅智佳子もものすごい迫力。この人も私のひいきの歌手だ。エレットラにぴったりの声。駄々っ子のようなエレットラの人物造型も面白く、それをコミカルに、しかも魅力的に演じていた。

 イリアの新垣有希子もとても可憐でよかった。初めのころ、少し緊張気味のような気がしたが、徐々にほぐれて、最後は実にのびのびと美しく歌ってくれた。

 そして、指揮の準・メルクルもメリハリのあるとてもよい演奏。とてもわかりやすく、しかも美しい。しっかりとまとめて、東京交響楽団の美しさを引き出していた。フルートの音にほれぼれした。

 演出はダミアーノ・ミキエレット。

 靴の散乱した舞台。靴は死体を暗示しているのだろう。このオペラはトロイ戦争後、多くの人が犠牲になった後の話であり、民衆の多くが怪獣の犠牲になる。そうした中、「死」がテーマとなって重苦しく、ドラマティックにオペラは展開する。

 実は私はこのオペラの実演を見るのは今回が初めて。録音や映像でも、あわせて10回くらいしか聴いたことがないと思う。あまり上演されないだけあって、やはりオペラとしてあまりおもしろくないと思っていた。台本があまりに平板。ところが、この演出は台本の平板さを上手に補って、ドラマティックで起伏のあるオペラにしている。

 イリヤのお腹が大きいので、てっきり新垣さんがおめでただとばかり思っていたら、演出だったらしい。どうやらイリヤはイダマンテの子どもを宿しているということのようだ。最後には、なんと舞台上でイリヤがお産をする! こんなストーリーにしていいんだろうか、そもそも最後にこんな音楽はあったんだっけ?・・・という疑問はさておき、それはそれでとてもおもしろい。このオペラを父と子の物語、そして、子供の独立の物語にしている。イダマンテは父との確執を乗り越え、自分の子どもを持つ一人の大人になっていく。なるほど、モーツァルト自身も、このオペラを作曲した25歳のころ、父レオポルトとの間で同じような思いを抱いていただろう。確かにこのオペラにそのような要素がある。それを実に手際よく、おもしろく、わかりやすく、ドラマティックに見せてくれている。

 いつもの二期会の公演のとおり、歌手は全員が日本人。世界のオペラハウスに引けを取らないと思う。本当に素晴らしい上演だった。

 ・・・というわけで、今日もオペラを見てしまって、しかも、ブログにまで書いて、肝心の仕事がはかどらず。これは実は非常にまずい状況・・・

| | コメント (0) | トラックバック (0)

フレディ・ケンプ、見事な「展覧会の絵」

 原稿がたまっているので、それどころではないのだが、ずっと前に購入したチケットを無駄にしたくない。そんなわけで、9月12日、東京芸術劇場でフレディ・ケンプのピアノリサイタルを聴いた。

 ごく簡単に感想を書く。

 最初はベートーヴェンの30番のソナタ。かなり自由なタッチ。厳格なベートーヴェンというよりもしなやかで繊細。だが、ダイナミックなところではかなりダイナミックになる。が、風通しがよくのびやか。そのあと、シューマンの抒情小曲集。様々な曲の表現を聴くことができた。後半は、シューマンの「トッカータ」、そして最後に「展覧会の絵」。

 やはり「展覧会の絵」が素晴らしかった。鮮烈でダイナミック。「キエフの大門」は圧巻。形式的にがっちりしたものよりも、もっと自由でしなやかな演奏がこの人にはあっているようだ。アンコールは、ケンプ自身が日本語で紹介。最初の曲はラフマニノフのプレリュード変ホ長調といっているように聞こえた(恥ずかしながら、ピアノ曲が得意でない私はこの曲を知らない)、最後の曲はベートーヴェンの「悲愴」の第二楽章。

「悲愴」がとても良かった。かなり抒情的だが、音の切れがよく情緒に流されない。私の好きなタイプの演奏。

 明日は大学で仕事。明後日、また購入しているチケットがある。うーん・・・。仕事に励まなくっちゃ・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

最近見た映画ソフト 「小さいおうち」「「私」の人生(みち)」「ハンナ・アーレント」など

 実はとても忙しい。3つの仕事の締め切りが今週から来週に重なってしまった。一つをやっとの思いで仕上げると、次の仕事が締め切り間際という状態。とはいえ、もはや年齢のせいかぶっ続けで仕事をする体力を失って、ちょくちょく休憩している。そうやって、休憩中にいくつか映画を見たので感想を書いておく。

 

723


「小さいおうち」

 山田洋次監督らしくしみじみとよい映画。日本が先の戦争へと向かう時代、女中奉公することになったタキ(黒木華)の視点から、その家の主人の妻、時子(松たか子)と、その家に出入りするようになった芸術家肌の青年、板倉(吉岡秀隆)の許されぬ恋の行方が語られる。タキ自身も板倉に好意を抱いているが、それを抑えて、二人の不倫を見守る。板倉に召集令状が出た翌日、時子は何が何でも板倉に会いに行こうとするが、周囲の目が厳しくなっている状況を察したタキは時子をとどめて手紙を書くように促し、その手紙を板倉に届ける約束をするが、その手紙を板倉に渡さない。板倉はそのまま戦地に向かうが、タキはその後、そのことに罪の意識を抱き続ける。そのようなストーリーが、老いたタキ(倍賞千恵子)の書いた自叙伝という形で進められる。

 不倫の関係になる時子と板倉は、ともに時局に迎合できず、西洋文化を好む人間として描かれる。舞台となった赤い屋根の小さな家も、とても西洋的な家。ストコフスキーの指揮するチャイコフスキーの交響曲第5番や、チェロのリサイタル(演奏されている曲は何だろう? 聞き覚えのない曲だった)が、二人の恋のきっかけになる。

西洋への憧れが軍国主義の時代に抑圧され、その発露として不倫があったとも読みとれる。いわば、一つの家庭に舞台を設定して、近代における西洋的なものと日本主義との葛藤を恋愛という形で描いたともいえるだろう。女中のタキは、そのような都市の近代化の道を、前近代生まれの視点で憧れを持って見ることになる。

 原作を読んでいないので何とも言えないが、映画を見る限りでは、現代を舞台にしての後日譚はなくてもいいのではないかと思った。西洋化が一層強まり、西洋の論理で物事を考えようとする現代(現代の青年を演じる妻夫木聡は、まさに西洋の論理を用いる)との比較によって、戦争前の時代を描きたかったのかもしれないが、あまりに因縁めいていて、リアリティを感じない。時子の不倫を書いたタキの自叙伝を読んだ青年が、時子の息子(先ごろ亡くなった米倉斉加年が演じている)に読ませようとし、だれが考えても時子が板倉にあてたとわかる手紙を息子の前で開封するのも不自然。

 しかし、松たか子と黒木華の演技がとてもいい。黒木華の目の表情がとりわけ素晴らしいと思った。

 

450jpg


「「私」の人生(みち)」 

 精神科医としても受験指導者としても名高い和田秀樹の「受験のシンデレラ」に続く第二作。前作はモナコ国際映画祭グランプリをとったが、今回は同じモナコ国際映画祭で主演女優賞や主演男優賞、人道的作品賞を獲得している。和田さんは本当に何をやっても天才的。和田さんとお会いした時、このDVDをねだるようなことを言ってしまって、送っていただいた。

 シェークスピア研究家である名誉教授(橋爪功)が、認知症を患い、徐々に自分の感情をコントロールできなくなっていく。そして、長女(秋吉久美子)に感情をぶつけるようになる。が、次女(冴木杏奈)が老人ホームで教えるタンゴを通して、家族の心が通い合うようになる。

 今回、和田監督が最も苦心し、最も工夫したのが、痴呆老人という重くて悲劇的なテーマを娯楽作品としていかにおもしろく、そして美しく描くかということだっただろう。名優橋爪功も、女性の痴呆患者を演じる松原智恵子(今も大変お美しい!)も、実際の痴呆老人とはかけ離れている。苦しむ家族も、みんな美しく、しかも服装もおしゃれで、悲惨な現場に見えない。だが、もちろんそれは和田監督も計算のうちだろう。あえてそのように描いて、希望のある娯楽映画にし、痴呆老人の問題に未来を与えている。そして、それに成功している。見事。ただ、私としては、やはりもう少しリアルな場面がある方が、一層感動したのではないかとも思った。

 

201jpg


「ハンナ・アーレント」

 岩波ホールで上映されているころから見たいと思っていたが、行こうと思い立った時には大人気で、満員で座れないかもしれないとのことで、時機を逸してしまった。先ごろ、やっとBDを購入して見た。監督はマルガレーテ・フォン・トロッタ。主演はバルバラ・スコヴァ。

 アーレントについては、きちんと著作を読んだことはない。「全体主義の起源」のおおまかな内容やアイヒマン裁判についての事件をぼんやりと知っているが、それ以上の知識はない。映画を見るともっと深く彼女の思想を知ることができるかと期待していたが、それについては特に収穫はなかった。まあ、映画を見るくらいで哲学者の思想がわかるはずがないのは当たり前といえば当たり前だが。

 が、映画としてはかなりおもしろかった。アイヒマンの罪を「考えることを拒んだ凡庸な人間の罪」とみなし、むしろそこに危機感を持つアーレントと、それを理解しない人々の対立の描き方は実にリアル。アーレントを特に美化することもなく、まさにアーレントの精神そのもののように、事実だけ冷静に描いている。いたずらに情緒的にせず、メロドラマにしないで、しっかりとアイヒマン論争を描いている。そして、そこにアーレントの姿を浮かび上がらせている。

 

 ところで、8月にヨーロッパの行きと帰りに機内で見た映画の感想も加えておく。

・「相棒 劇場版Ⅲ 巨大密室!特命係 絶海の孤島へ」

 実は私はテレビドラマ「相棒」はかなり好きで、欠かさず見ている。だから、期待していたのだが、期待外れだった。右京さんの推理もそれほど冴えていないし、「再軍備化」というテーマも少々安易に扱われすぎている印象を抱いた。絶海の孤島で訓練をする人々にあまりリアリティを感じなかった。テーマ自体はとてもアクチュアルで訴える力が強いと思う。もう少し説得力のある思想の持ち主にしていれば、もっと面白かったのではないか。

・「美しい絵の崩壊」

 アンヌ・フォンテーネ監督のオーストラリア・フランス合作映画。主演はナオミ・ワッツ。海辺で仲良く暮らす二つの家族。母親同士も親友、息子同士も親友。美男美女で、まさに美しい絵をなしている。ところが、ひとりの息子が親友の母親(母親の親友でもある)を愛すようになる。別の息子も親友の母親と関係を持つ。歳の離れた二組のカップルが誕生した時から状況が変わり、破局を迎える。・・・うーん。男としては立場がない。美しい映像であり、とても魅力的な人物たちなのだが、私は残念ながら人物の中のだれにも感情移入できないし、客観的になって、ここに何らかのメッセージを読み取ることもできない。まあ、一言で言えば、私のような年配の男がみるべき映画ではなかったのだろう。

・「トランセンデンス」

 人工知能を研究する天才科学者(ジョニー・デップ)が反人工知能の組織のテロにあって重い病にかかり、ついに死に至る。残された恋人は、その天才科学者の頭脳を、世界中に張り巡らされている人工知能の中枢の意識として用いようとする。ところが、天才科学者の意識を持った人工知能は世界を支配する絶対的な権力者として行動するように見える。が、最後には、もっと自然にあふれ、人間的な心が取り戻される。そんなストーリー。途中までとても面白く思えたが、天才が世界に張り巡らされた情報網の中枢の意識になったとすれば、もっと万能だろうし、もっと別のことができるだろうという疑問を持った。そのころからストーリーにリアリティを感じられなくなってしまった。

・「THE OHER WOMAN

 女性弁護士(キャメロン・ディアス)が未婚と偽っていた熱愛の相手が既婚者だと知り、その男の妻や別の愛人と親しくなって、男を痛めつける話。それなりには面白いし、痛快だが、これまた男の立場としては、そう楽しんでばかりもいられない。いや、そもそも三人の女性が意気投合する場面にかなり無理を感じた。ま、深く考えずに飛行機の中で時間つぶしに見るには、特に不満はない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

METライブビューイング「ドン・ジョヴァンニ」、そして「エル・ダンジュ」閉店のショック!!

 銀座の東劇でMETライブビューイングのアンコール上映で「ドン・ジョヴァンニ」を見た。METらしく、すべてが最高レベル。マイケル・グランデージの演出はきわめてオーソドックスだが、まったく古臭くなく、とてもドラマティックでおもしろい。こうなると、台本と映像がぴたりとあって、実に自然。そうか、こんな話だったんだよな、と改めて本来のストーリーとテーマを確認した次第。

 まず、指揮のファビオ・ルイージが凄まじい。チェンバロの演奏もルイージが担当。切れの良いドラマティックな音楽づくり。序曲の最初の音から、ドラマの世界に引きずり込む。まったく緊張感が途切れない。

 歌手陣も容姿を含めて理想的。ドン・ジョヴァンニはマリウシュ・クヴィエチェン。悪漢の役をうまくこなしているし、声も美しく張りがある。レポレッロのルカ・ピサローニ は同じ役をザルツブルクで聴いたばかり。今、この役はこの人が最高なのだろう。軽妙で、しかも張りのある美声。ドンナ・エルヴィーラのバルバラ・フリットリも素晴らしい。第一幕は抑え気味だと思ったが、第二幕で実力発揮。第二幕にアリアはとりわけ圧倒的だった。 ドンナ・アンナのマリーナ・レベッカは迫力のある美声。素晴らしい声だと思うが、ちょっと音程が不安定だと思えるところがあったが、気のせいか。ツェルリーナのモイツァ・エルトマン(ちょっと線が細いが、実に可憐)、マゼットのジョシュア・ブルーム(若そうなので、将来が楽しみ)、騎士長のステファン・コツァン(すごい迫力!)はいずれも役にぴったり。

とりわけ素晴らしいと思ったのは、ドン・オッターヴィオのラモン・ヴァルガスだった。ドン・オッターヴィオはこのオペラの中では存在感のない損な役なのだが、それを逆手に取って、存在感のない悲哀をしっとりと情緒たっぷりに歌って、むしろ見事な存在感を示していた。2009年にミラノ・スカラ座と来日してドン・カルロを歌った時には不調だったが、このドン・オッターヴィオは素晴らしい。

メトロポリタンはすごい! と改めて思った。

ところで、悪いニュースが飛び込んできた。多摩市聖蹟桜ヶ丘のフランス料理の店「エル・ダンジュ」が閉店したとのこと。閉店の理由の書かれた丁寧なお知らせが大学の私の研究室に届いていた。このニュースは家族にすぐに伝え、家族全員でショックを共有した。

とてもおいしいお店で、私の家族はしばしば利用させていただいていた。ミシュランの星付きのフランス料理の店でも何度か食べたこともあるが、「エル・ダンジュ」はまったくそれに劣らないと私は思う。むしろ、この店のほうがおいしいと思ったことも多い。感動的なほどおいしいことも何度かあった。

かつて相模原市にあった「ブルージュ」というベルギー・フランス料理の店も贔屓にしていた。その店も、10年ほど前だったか、閉店になった。それに続いてのショック。いずれの店も、素晴らしくおいしいのに、場所的な問題もあって、あまり客が入っていなかったように思った。本当に残念。我が家は祝い事があるときにちょっと奮発して食べに行く店をまたも失うことになる。

またいつの日か、この店が復活して、あのおいしい料理を再び味わせてもらえることを願う。

| | コメント (8) | トラックバック (0)

« 2014年8月 | トップページ | 2014年10月 »