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エリシュカ+読響に魂が震えた

 1030日、東京芸術劇場で、読売日本交響楽団の「世界のマエストロシリーズ」、ラドミル・エリシュカの演奏を聴いた。曲目は、前半にスメタナの「売られた花嫁」序曲と、河村尚子が加わってモーツァルトのピアノ協奏曲第21番、後半に「新世界から」。素晴らしい演奏。魂が震えた。

 エリシュカを知ってから、実はまだ間がない。音楽ジャーナリストの岩野裕一さんやヤナーチェク友の会の山根さんが絶賛するので半信半疑で東京フィルを振った「新世界より」を聴いてみたのが、2010年だった。本当に素晴らしかった。それ以来のファンで、一度、山根さんに連れられて楽屋に行き、そのあと打ち上げにも参加して少しだけお話したこともある。物静かで落ち着いた、まさに演奏する音楽の通りのお人柄だった。1931年生まれというから、もう83歳。しかし、音楽は熟成しているが、少し老いを感じさせない。

 まず、「売られた花嫁」の冒頭の弦の音に驚嘆。私は風に吹かれて麦の穂が揺れる畑の様子を思い浮かべた。田舎の自然豊かな風景が目の前に現れるかのよう。厚みがあって、しなやかで、本当に美しい音。ゆるぎなく、確信を持って音楽が展開していく。「売られた花嫁」は実演や映像を何度か見たことがあり、決して嫌いな曲ではないが、この曲がこれほど豊かでこれほど美しい曲であるとは、ついぞ今日まで考えたこともなかった。エリシュカにかかると魔法のように深くてしなやかで美しくて田舎じみた音楽になっていく。

 ピアノ協奏曲も実に美しい。私は河村さんのピアノを聴くは初めて。評判はもちろん多くの人に聞いていたが、なるほど。生き生きとはずんで、音の粒立ちが最高に美しい。まるで音が生き物のよう。第一楽章のカデンツァにびっくり。交響曲第40番の第一楽章のメロディが出てきた。よく使用されるカデンツァなのだろうか。私初めて聴いた。

第2楽章も美しかったが、私はそれ以上に第3楽章の躍動感に惹かれた。エリシュカの指揮するオーケストラも素晴らしい。最高に美しい。

河村尚子のアンコールはモーツァルトのソナタ第12番第3楽章だとのこと。すばしっこくてチャーミングで、まさに生き物のような音の塊。河村尚子というピアニスト、おそるべし!!

 後半の「新世界より」は、前半以上に素晴らしかった。前半よりも厚みを増したスケール感のあるオーケストラ。鳴らすべきところはしっかりと鳴らし、ドラマティックに展開する。オケを完璧に掌握し、ふだん聞きなれない声部を強調することもあるが、すべてが理に適っているのを感じる。音に厚みが増し、しみじみとした美しさを作り出す。しかも、そこに少しも作為を感じさせない。

それにしても第二楽章の美しさときたら。確かにこれは郷愁を歌う音楽だと思う。コールアングレのメロディも弦楽四重奏の部分も、得も言われぬ美しさ。「時間よ止まれ、お前は美しい」といいたくなった。

第3楽章のスケルツォで躍動し、第4楽章で爆発する。第4楽章の最後の部分で、これまでの楽章の断片が現れる、とりわけ第3楽章の冒頭のモティーフが印象的だ。このモティーフは「生命の躍動」のモティーフではないかと、今回初めて思った。

老齢になり、命が燃え尽きようとする。だが、それでも生命の躍動を抑えきれない。そして、もう一度、故郷に戻って自分らしい生活をしたいと願う。故郷を思い、自分の生命の根源を思う。そして命の限り生きようと決意する。第4楽章の最後の部分を聴きながら、そんな心境を読み取ったのは、自分とエリシュカを重ね合わせたためかもしれない。

疲れもあって、ここ数日、沈みがちだった。エリシュカのおかげで気力が湧いてきた。

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モザイク弦楽四重奏団 音楽に乗れなかった

 1026日日曜日、昼間は大学で入試やオープンキャンパスの仕事をし、夜、京都に移動。27日月曜日には平安女学院中学で小論文の特別授業。家に帰りついたのは、夜中の12時半。そして、本日(23)も午前中から授業。そして、夜は武蔵野市民文化会館でモザイク弦楽四重奏団のコンサート。

 先週、親しい人が亡くなったため、気の張りをなくすと落ち込みがちになる。武蔵野市民ホールに向かう間も、疲れのせいもあって気が晴れなかった。

そのせいかもしれない。とても良い演奏だと思ったが、あまり感動しなかった。モザイク弦楽四重奏団は、録音で何枚か聴いて素晴らしいと思っていたので、もっと感動するつもりだったが、それほどでもなかった。

 前半にモーツァルトの「狩り」とシューベルトの弦楽四重奏曲第10番、後半にベートーヴェンの弦楽四重奏曲第2番。モザイク弦楽四重奏団はピリオド楽器で演奏する。ただ、かなり穏やかな演奏。録音で聴いたときはもっとメリハリがあって、もっと弦のからみに爽快感があったような気がするが。

 シューベルトの第10番は若書きの曲らしいが、とても魅力的な曲。初めて聴く曲だと思う。ただ、これも演奏の面からはそれほどの感動は覚えなかった。

 後半のベートーヴェンの第2番はとてもおもしろかった。意図的にスケールを小さく作って、小気味の良い音の世界を作ろうとしているようだ。くっきりと音が立ち上がる感じがとてもいい。リズム感もよく、若きベートーヴェンの力が伝わってくる。

 ただし、これも残念ながら、爆発的な感動にまでは至らなかった。アンコールはモーツァルトの弦楽四重奏曲第15番。きっと、私の気分のせいで音楽に乗れなかったのだと思う。

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ネマニャによるフランクのソナタとツィガーヌに興奮

 10月24日、かつしかシンフォニーヒルズ アイリスホールでネマニャ・ラドゥロヴィチ ヴァイオリン・リサイタルを聴いた。ピアノ伴奏はスーザン・マノフ。素晴らしかった。まだ興奮している。

 曲目は前半にチャイコフスキーの「スペードの女王」より「ポリーナのロマンス」、モーツァルトのヴァイオリン・ソナタ第18番、バッハのシャコンヌ(シューマン編曲によるピアノ伴奏版)。

 モーツァルトのソナタは幸せな気持ちを歌いあげるような演奏。うきうきし、幸福感がみなぎる。こんなに幸福感が湧き上がる演奏初めて聴いた。しかも、おめでたく楽天的というよりも、不幸をかみしめたうえでの幸福感とでもいうか。幸福感の中に深みを感じさせる。素晴らしい演奏だと思った。

シャコンヌはドラマティックでロマンティック。プログラムをよく読まずにいたところ、無伴奏のはずのシャコンヌの演奏なのにマノフが登場してきたので驚いた。現代の編曲によるピアノ伴奏だとばかり思って聞いていた。それにしてもよくできたピアノパートだと思って、あとでプログラムを見たら、シューマンの編曲だという。よくできているはず。そういえば、後半、バッハにしてはあまりにロマンティックなピアノ・パートが現れる。波乱万丈の曲になっており、とてもおもしろかった。何度か心が震えた。

後半はフランクのヴァイオリン・ソナタとラヴェルの「ツィガーヌ」。すさまじい演奏だった。フランクのソナタは言葉をなくすすごさ。

スーザン・マノフのピアノはかなりロマンティック。揺れ動き、感情がこもる。それはそれで素晴らしい。そして、ネマニャとの相性は最高。文字通りに息がぴったり合って、まさしく二人で一つになって音楽を作っていく。が、ネマニャのヴァイオリンはあまりロマンティックではない。もっと現代的で、もっと突き抜けている。情熱によって音楽が揺れることはない。メリハリがあり、緩急があり、時に激情的になり、時に甘美になり、時にすすり泣くようになるが、感情的なところはない。透明で冷静で知的。マノフのロマンティックなピアノと、透明で怜悧な音でありながら魂がこもってほとばしるヴァイオリンが絡み合う。第二楽章と第四楽章では魂の高揚が頂点に達する。

ツィガーヌもそれにもまして素晴らしかった。私は2007年だったか、フランスのナントでネマニャのツィガーヌを聞いた記憶がある。が、その時よりも今回のほうに強い感銘を受けた。

ラヴェルらしい諧謔の心はあまり感じない。フランス的なエスプリもあまり感じない。ヴァイオリニストによっては、もっとフランス的に演奏されるが、むしろ、ネマニャの演奏にはジプシー的な要素を感じる。ジプシーの精神を歌いあげるかのよう。時に卑俗になり、俗謡的になる。が、それをひっくるめて人間賛歌とでもいうべき音楽になっていく。哀しみも苦しみも怒りも喜びも祈りも、すべてがこれらの音楽の中にあるのを感じる。卑俗なものが高貴な世界に統合されていく。

ネマニャはすでに前もって存在している音楽を奏でているのではない。今で来たばかりの音楽を私たちとの対話の中で築き上げていく。ネマニャは私たちと交感し、共演者と交感し、作曲者と交感して音楽を作り上げる。だから、私たちの心の中にぐさりと突き刺さる。

アンコールはモンティの「チャルダーシュ」と最後はジャズの曲。これらも素晴らしかった。

ネマニャは特別の音楽を作る。人の心を揺り動かす。ネマニャは稀有のヴァイオリニストだと改めて思った。今回のような本格的なソナタのリサイタルをこれからももっと聴きたい。

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多摩大寄席とネマニャのイベント

 目のまわるような一日だった。

 大学で2コマ授業をした後で、まったく休む間もなく、多摩大学樋口ゼミ主催の「多摩大寄席」。今回は、ほとんどを学生に企画・運営を任せっぱなしだが、ゼミ指導の教授としては、学生にはできないあれこれのことを準備する必要がある。

そして、16時半に「多摩大寄席」の本番が始まった。200強入る教室がほぼ満員。観客は多摩大生や教員のほか、大学内で行われている特別講座に来て入れている一般の方もおられる。会場中にしばしば大笑いが響いた。

 まずは、漫才のランバカラン。滑舌の悪さが売りのボケと、それを通訳するツッコミ。とてもおもしろい。その場を作り出すアドリブ力も見事。次は柳家喬の字。長めの枕でじわじわと笑いを盛り上げたあと、なじみの古典落語「鮑のし」。典型的なだけにかなり難しいともいえるだろうが、着実に笑いを積み上げていく。

そのあと、漫才のぐりんぱ。世間のあれこれに怒るボケとなだめるツッコミといったところか。「オリンピックの競技に普通のおじさんを混ぜるべき」というネタはとてもおもしろかった。こんなネタがいくつもあって笑える。

最後は鈴々舎八ゑ馬。現代の小噺で大きな笑いをとった後、人情ものの「ねずみ」。前半、笑わせておいて、最後には泣かせていく。語り口が実にうまい。全体的に実に自然に流れ、時々緩急をつけるが、それが実に聞くものの心をつかむ。まさに本格派の語りだと思う。情景が目に浮かび、ここぞというところで笑わせ泣かせる。堪能した。

 4組ともとても素晴らしかった。運営するゼミ生もしっかりしていて、てきぱきと運営していた。今回は、4年生が企画し、2・3年生が手伝う形をとったが、連携もしっかりとれているように見えた。もちろん不手際もあったかもしれないが、このくらいは容赦いただきたい。ゼミ生を誇りに思った。

 終了後、出演者と交流。ただし、実は私はゆっくりしている時間はなかった。すぐに車で移動。

 実は19時から、六本木のデザインKホールで、私がファンクラブの会長を務めているヴァイオリニスト、ネマニャ・ラドゥロヴィチのミニ・コンヴェンションが行われていた。音楽マスコミ関係者やファンクラブのメンバーによってネマニャの新譜の紹介が行われ、数曲の演奏が行われた。ピアノはスーザン・マノフ。ファンクラブの会長としては欠席できない。

 多摩大寄席の日時を学生に任せていたため、ネマニャのイベントと重なってしまった! もう少し前に気付いていれば、多摩大寄席を別に日に設定したのだが、気づいたときにはもう決定後だった。そんなわけで、ゼミ生が企画している多摩大寄席を途中で抜けるわけにもいかず、終了後、大慌てで車を飛ばして六本木に向かった。

 そして、15分ほど遅れて会場の到着。すでにネマニャの初めの演奏が終わるところだった。その後、オヤマダアツシさんの司会でインタビューなどがあって、再び演奏。今度はモンティのチャルダーシュ。結局、私が聞けたのはこの曲だけだった。

 実に素晴らしい。ちょっと間違うと技巧ばかりの品の悪い曲になるところを、ネマニャが弾くと、技巧を聴かせ、メリハリをつけ、緩急をつけて引きながらも決して下品にならない。高貴な研ぎ澄まされた音で魂の躍動を奏でる。興奮した。

 その後、ネマニャを中心にしての写真撮影、サイン会。私はまだ一応はファンクラブの会長だが、この種のことはほかのメンバー優先にして、私は裏方に甘んじたい。私はむしろ片隅でじっとネマニャの音楽に耳を傾けたい。

 終了後、同行した娘とサントリーホール前のフレンチの店オ・バカナルで食事をして、車で帰った。とてもおいしかった。

 目のまわるように一日だった。最高の一日でもあった。一昨日、最高に悲しい出来事が起こったが、おかげで気が紛れた。

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マリボール国立歌劇場公演「アイーダ」 少々退屈した

 10月21日、武蔵野市民文化会館大ホールでスロヴェニアのマリボール国立歌劇場公演「アイーダ」を見た。

 実は、「アイーダ」の実演を見るのは初めて。もちろん40年以上前から録音や録画には触れてきた。が、初めて聴いた時から、「カルメン」や「ラ・ボエーム」などとともに、これのどこが名曲なのかよくわからなかった。つまり、「アイーダ」は私の苦手なオペラの一つ。何度聞いても、何度見ても、あまりおもしろいと思わないまま現在に至っている。そのようなわけだから、大枚はたいて「アイーダ」を見る気が起こらず、武蔵野で低料金で上演されるのを機会に見てみようと思ったのだった。

 で、結論を言うと、やはりあまりおもしろいと思わなかった。そして、どうせ見るのなら、超一流の劇場の上演を見るべきだったと反省した。

 歌手はそろっていた。ラダメスのレンツォ・ズーリアンは声量たっぷりの美声。出演者の中では図抜けていると思った。アイーダのアンダ=ルイゼ・ボクザも声量があり、声も美しかった。アムネリスのイレナ・ペトコヴァも美しい声。女性陣は容姿も魅力的。ただ、全体的にいえるのだが、どの歌手も細かい処理がちょっと雑な感じで、びしりと決まらない印象は残った。だから、アリアでも、せっかく声は出ているのに、強い感動を呼ばない。

 私としては、オーケストラに大いに不満を抱いた。かなり大雑把な音楽づくりで、細かいところが合わない。オケのバランスも崩れるし、オケと歌もピタリと合わない。楽器が音をはずしたところも数か所あった。合唱も出だしがそろわない。めいめいが勝手に演奏している感じで、指揮者(フランチェスコ・ローザ)がコントロールできていない。演出は昔懐かしいタイプ。きわめて当たり前の演出だった。

 そのような演奏だったせいもあるかもしれないが、私はやはりアイーダにもラダメスにも感情移入できない。ストーリーにも納得できない。感情移入できずにいるのに、音楽が煽り立てるので、居心地が悪くなる。ヴェルディのオペラで時々起こる現象だ。今日もそれが起こって、少々退屈した。

 近いうち、最高レベルの演奏で「アイーダ」を見ることにしよう。それを見てからでないと、私にとっての「アイーダ」の真価について判断できない。

 コンサート疲れしている。10月は調子に乗ってチケットを購入しすぎた。なんだか、コンサートに追われている感じ。仕事がたまっている。

 

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ネマニャ 相変わらずの凄み!

1019日、兵庫芸術文化センター管弦楽団第73回定期演奏会を聴いた。指揮はメキシコ出身の美人指揮者アロンドラ・デ・ラ・パーラ。金曜日から3日間連続の講演で、本日が最終日。

私がなぜ兵庫まで足を運んだかというと、もちろん、2曲目に登場したソリスト、ネマニャ・ラドゥロヴィチを追いかけて。私はこの若きヴァイオリニストのファンクラブ「プレピスカ」の会長でもある。

アロンドラ・デ・ラ・パーラの名前を知らなかった。少し前、とてつもない美人指揮者が登場したことを読んだ記憶があるが、それがこのデ・ラ・パーラだったのだろう。確かに、ハリウッドの有名女優といっても誰も疑わないほどの美貌。

最初の曲はコープランドの「エル・サロン・メヒコ」。メキシコの有名なダンスホール「エル・サロン・メヒコ」を描写したもの。私は、エドゥアルダ・マータ指揮、ダラス交響楽団の録音を数回聞いたことがあるだけ。ともあれ、なかなか色彩的で面白い曲。ただ、それ以上は何も言えない。

 そして、いよいよネマニャ登場。曲目はパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番。指揮はとても自然。ネマニャはソロが始まる前から第一ヴァイオリンのパートを弾いていわば準備体操。

 そして、ソロが始まる。相変わらず、細身で鋭くて、しかも思いのこもった音。おそろしく音程がよく、一筋の光のように伸びていく。そして、ときに祈りにも似た音楽に聞こえる。第一楽章のカデンツァも見事。技巧をひけらかすのではなく、音楽そのものに寄り添っている。第二楽章は深い思いをたたえ、最終楽章は劇的に爆発する。

 私は2006年からネマニャを聴いてきたが、かつての少年らしいがむしゃらさは影をひそめ、ずっと本格的になった。ひけらかさず、音楽に深く沈潜する。かつてのあまりに激動的な演奏に惹かれた人間としてはちょっと寂しいが、しかし明らかに深みを増している。

 ネマニャのアンコールはパガニーニのカプリースから。これはもう言葉をなくす凄さ。とてつもない技巧もさることながら、テンポを自由に動かし、表情にも変化をつけながらも形が崩れないのがこの人のすごさだと思う。どんなに自由自在に演奏しても、まとまりができ、精神的な高貴さを感じさせる。圧倒された。

 後半はリムスキー=コルサコフの「シェエラザード」。先ごろ、山田和樹指揮のスイス・ロマンド管弦楽団の演奏を聴いて圧倒されたばかりだった。それに比べると、指揮の面でもオーケストラの技量の面でも、やはり凡庸さを感じざるを得なかった。スケール大きく演奏しているのが感じられるが、細部がしっかりと決まらないために、盛り上がりに欠ける気がした。が、これについては、それほど山田指揮のスイス・ロマンドがすごかったということだ。

 アンコールはマルケス作曲の「ダンソン第2番」だという。もちろん知らない曲。メキシコの曲だという。タンゴというのか、私たちが南米風と考えているリズムがふんだんに聞こえ、明るくて色彩的な音に満ちていた。

 ところで、この日、兵庫芸術文化センターで配布されたプログラムのなかの「超絶技巧について」の文章を寄稿しているのは私。今年の夏に執筆依頼があり、ザルツブルク音楽祭に向かう途中のフランクフルト、ミュンヘンで書いたものだ。ファンクラブの会長として、ネマニャについて書けばよいのかと思っていたら、「超絶技巧」について書くことを求められて、ちょっと困った覚えがある。

 ともあれ満足。来週は、ネマニャを何度か聞くことになる。

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武蔵野寄席、そしてオペラ映像「ナクソス島のアリアドネ」「イドメネオ」「ブルゴーニュのアデライーデ」など

 1015日、武蔵野公会堂で「武蔵野寄席」をみた。出演は、出演順に、柳家さん弥、春、風亭柳好、桧山うめ吉、柳家喬太郎。

多摩大学のゼミ主催で1023日に寄席を行うこともあって、落語を見ておきたいと思った。いや、それ以前に、私はかなり前から柳家喬太郎が好きで、テレビやDVDでもよく見ていた。だから、大いに楽しみにして出かけた。

来年真打に昇進するという柳家さん弥もおもしろかったし、春、風亭柳好も素晴らしかった。そして、俗曲の桧山うめ吉(きれいな女性だった!)も実に良い味を出していた。だが、やはり喬太郎は一味違う。笑いっぱなしだった。演目は「抜け雀」。雀が抜けて、また戻るときの描写に驚嘆。喬太郎の愛嬌のあるふてぶてしさが絵師にぴったり。

が、落語については、素養がないので、あまり語ることはできない。

 

しばらく前から、時間を見つけてはオペラの映像を見ていた。そのいくつかの感想を書く。

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シュトラウス「ナクソス島のアリアドネ」
2013 グラインドボーン音楽祭

 

 チープな雰囲気の写真がDVDの表紙に使われていたので、あまり期待していなかったが、どうしてどうして。これは大変な問題作だと思う。

 まず演奏がとても見事。ウラディーミル・ユロフスキの指揮がきびきびしてドラマティック。ロンドン・フィルはもちろん素晴らしい。このオペラではしばしば、のんびりした余裕のある演奏がなされるが、ユロフスキの手にかかるともっと悲劇性を帯びる。もしかすると、演出に合わせてこのようにしたのかもしれないが。

 歌手陣もそろっている。作曲家のケイト・リンゼイは、張りのある声で序幕を引っ張る。音楽教師がトーマス・アレン。脇にいたるまで見事。アリアドネはソイレ・イソコスキ。現在、シュトラウスを歌わせてこの人の右に出る人はいないのではないか。二つのアリアも情感たっぷりで素晴らしい。ただ、外見がおばあさんっぽくなってしまうのが映像ではつらい。ツェルビネッタはローラ・クライコム。全盛期のグルベローヴァやデセイに比べると弱いが、十分に美しいコロラトゥーラを聴かせてくれる。ただ、この人も、遠目にはよいが、近づいての映像では、どうしても年齢が見えてしまってツェルビネッタらしくなくなる。

 演奏もさることながら、何よりも驚くのは、カタリーナ・トーマの演出だ。

 序幕の前半は、特に何事もなく、通常通りに進んでいく。ところが、序幕の最後、突然、数機の航空機が飛来する。どうやら第一次大戦中ということらしい。そういえば、登場人物の中に軍人ふうの姿が見えた。爆撃機は轟音を立てて舞台を爆撃していく。音楽教師が作曲家に叫ぶ「君が許したことではないか」という言葉に重なって舞台が破壊される。

 そして、「オペラ」が始まると、そこはナクソス島ではなく野戦病院。アリアドネは精神に異常をきたした患者として横たわっている。周囲にも精神のおかしい兵士や負傷した兵士がいる。三人のニンフは従軍看護婦。ツェルビネッタらの道化芝居の面々は、病院を慰問に来た劇団といったところか。序幕の作曲家も患者の一人として舞台上にいる。ニンフたちのやり取り、そしてアリアドネの独白は、病院内という設定とそれほど矛盾はない。そこに、航空兵姿のバッカスが舟ではなく、飛行機の事故にあったらしくてやってくる。病のアリアドネとバッカスの恋が成就する。話としてはとてもうまく辻褄があっていると思った。

 リヒャルト・シュトラウスは、一時期、「サロメ」や「エレクトラ」の前衛的な音楽で古き良き芸術を破壊する方向に音楽の歴史を進めた(「これを許したのは君なんだ」という声はそのようなシュトラウスを連想させる)。音楽は人々を楽しませるものではなくなり、危うい生を描く先鋭的なものになる。ところが、シュトラウスは、そのような時代に背を向けるようになり、第一次世界大戦が起こっているのに、まさにこのオペラのアリアドネのように、過去の世界にしがみつき、古典音楽という閉ざされた世界にとどまり、過去の古き良き芸術を守る方向に転向する。外では戦争が行われ、安定した世界でなくなり、多くの作曲家たちが革新の道を目指して奮闘しているとき、古い音楽を作り続ける。相変わらず、神話の愛を描き、平和な形而上学を歌う。

 この大戦の中での野戦病院での神話の愛の物語は、そのようなシュトラウスの姿を批判的にとらえるものといえるだろう。だが、演出家はシュトラウスを否定しているわけではない。オペラの最後、それまで精神病患者の中で途方に暮れていた作曲家は自分の音楽の着想を得てピアノのほうに向かう。「現代音楽」という不毛な音楽の方向に進まずに、閉ざされた古き良き時代精神の中で音楽を作ることに可能性があることを、最後の作曲家の姿は示していると私は考える。

 私は自分のシュトラウス観(拙著「音楽で人は輝く」「ヴァーグナー ヨーロッパ近代の終焉」に少しまとめて書いている)をこの演出に反映して見た。そして、シュトラウス解釈を反映したとても興味ある演出だと思ったのだった。ほかの方々はどうとらえるのだろう。気になるところだ。

 

 

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・モーツァルト「イドメネオ」 ミュンヘン、レジデンツ・クヴィリエ劇場 バイエルン国立歌劇場管弦楽団 ケント・ナガノ(指揮)

 

 先日、二期会の「イドメネオ」を見て、昔、LD時代にレヴァイン指揮で、パヴァロッティがイドメネオを歌うメトロポリタンのこのオペラの映像ソフトを持っていたのを思い出した。が、考えてみると、それ以降、映像ソフトを購入した記憶も見た記憶もない。そこで、ケント・ナガノ指揮の映像を購入。

素晴らしい上演だと思う。歌手陣にまったく穴がない。イドメネオのジョン・マーク・エインズリー、イダマンテのパヴォル・ブレスリク、アルバーチェのライナー・トロストも素晴らしいし、それ以上にイリアのユリアーネ・バンゼとエレットラのアネッテ・ダッシュの女性陣がいい。容姿の面からも、全員が適役。ディーター・ドルンの演出に関しても、イドメネオが日本の剣道着姿で現れるので驚くが、全体的にはとても美しい。新しい解釈をしているわけではないが、とても楽しめる。そして、何よりケント・ナガノの指揮が生き生きしていて実にいい。

改めてなかなかの名曲だと思った。ダ・ポンテ三部作や「魔笛」には劣るかもしれないが、美しい音楽がふんだんに合って、とても楽しい。

 

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・ロッシーニ 「セヴィリアの理髪師」 パリ・オペラ座 コリーヌ・セロー演出 ブルーノ・カンパネッラ指揮

 映画監督のコリーヌ・セローが演出したので話題になった上演だが、それを抜きにしても、これは最高の「セヴィリアの理髪師」だと思う。

 最高に楽しい。何よりもブルーノ・カンパネッラの指揮がいい。まさしくこれがロッシーニの醍醐味。躍動感があり、楽しく明るい。最初から最後までまったく緊張感が途切れず、ずっと楽しい。

 フィガロのダリボール・イェニス、アルマヴィーヴァ伯爵のロベルト・サッカ、バルトロのカルロス・ショーソン、バジーリオのクリスティン・ジグムンドソンなど、役者がそろっている。が、やはり圧倒的なのは、ロジーナを歌うジョイス・ディドナート。

 最初から最後までずっとイスラム圏の物語として展開されるのが、この演出の趣旨。アルマヴィーヴァもフィガロもロジーナもみんなイスラムの衣装を着ているし、舞台はいかにも中東。セヴィリアは長い間サラセン帝国の支配下にあり、イスラム文化の残ったところなので、このような演出にしたのかもしれない。確かに、ストーリー的には違和感はない。ロジーナはバルトロの屋敷に幽閉されているわけだし、いかにもイスラム的な雰囲気。演出家の「キリスト教圏の人間は、自分たちはイスラム教圏と違って女性も自由を得ていると思っているが、ほんの少し前まで、イスラム圏と変わりがなかったのだよ」というメッセージなのだろう。私には十分に説得力がある。

 ともあれ、ディドナートを中心とする強力な歌手陣と目を見張る指揮のおかげで、私には特別の一枚といえる映像ソフトだ。

 

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・ロッシーニ 「チェネレントラ」 バルセロナ、リセウ大劇場 パトリック・サマーズ(指揮)

 

 いやあ、ロッシーニは実に楽しい。私がクラシック音楽を聴き始めたころは、「『セヴィリアの理髪師』以外のロッシーニのオペラには見るべきものがない」といわれ、ロッシーニの音楽はいくつかの序曲が演奏されるだけだった。「チェネレントラ」も「シンデレラ」と呼ばれて、珍しいオペラとしてごくまれに上演されるだけだった。ところが、まさしくロッシーニ・ルネサンスが起こって、今や「チェネレントラ」はオペラの定番。隔世の感がある。

 チェネレントラを歌うジョイス・ディドナートが圧倒的。最後のアリアなど、うっとりしてしまう。ドン・ラミロを歌うのはフアン・ディエゴ・フローレス。どうもこの声質は好きになれないが、ともあれ輝かしい声で歌いまくる。ドン・マニフィコのブルーノ・デ・シモーネは、彼としては少し生彩を欠く感じがするが、もちろん見事。アリドロのシモン・オルフィラがとてもいい。

 ジョアン・フォントの演出も実に楽しい。絵本から出てきたような舞台。パリのオペラ座らしく、彩りが鮮やか。着ぐるみの鼠たちがしばしば登場する。西洋の人たちにはかわいらしく見えるのだろう。ただ、ブルーノ・カンパネッラの「セヴィリアの理髪師」を聴いた後に、このパトリック・サマーズの指揮を聴くと、ちょっとおとなしすぎて物足りなく思ってしまう。もっともっと溌剌としていてほしい。

 

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・ロッシーニ 「ブルゴーニュのアデライーデ」
2011年ペーザロ・ロッシーニ音楽祭

 2011年のペーザロ音楽祭の目玉だった公演。めったに上演されないオペラで、もちろん私も初めて映像を見るし、初めて音楽を聴く。

 10世紀のイタリアを舞台にした史実に基づく物語。ヨーロッパの人にはなじみの物語かもしれないが、私はこのエピソードについてはまったく知らなかった。裏切りによって夫である王を殺され、未亡人になったアデライーデは、裏切者ベレンガリオの息子アデルベルトとの結婚を迫られるが、それを拒んで幽閉されている。フランク王国のオットーネ(歴史に出てくるオットー大帝のことらしい)がアデライーデを救い、愛し合うようになって結婚し、あくまでも刃向うベレンガリオとアデルベルトを降伏させる。そのような物語。

 ロッシーニの音楽がとてもいい。私はロッシーニが大好きだということを改めて痛感する。うきうきしてくる。技巧的な歌も楽しい。これほどの音楽がふんだんにあふれるロッシーニのオペラが長い間埋もれていたのが実に不思議だ。

 歌手陣が素晴らしい。オットーネを歌うのはズボン役のダニエラ・バルチェッローナ。これはもう名人芸というしかない。アデライーデはジェシカ・プラット。バルチェッローナにまったく劣らない歌を聴かせてくれる。張りがあって声が美しい。アデルベルトのボグダン・ミハイも見事。ドミトリー・ユロフスキの指揮もワクワクうきうききびきびで、ロッシーニにふさわしい。背景に映像が映し出されて雰囲気を作り出す。演出はわかりやすくて、美しくて、初めて見るオペラとしては実にありがたい。このソフトに日本語字幕がついているのはうれしいが、よく意味のわからないところが何か所かあったのが残念。

 少し前まで、私の大好きな作曲家は、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ワーグナー、ブルックナー、ブラームス、リヒャルト・シュトラウス、ヤナーチェクだったのだが、その一角にロッシーニが入ってきそう・・・。

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ナレク・アフナジャリャンのチェロ 素晴らしい演奏

 1014日、武蔵野市民文化会館小ホールでナレク・アフナジャリャンのチェロ・リサイタルを聴いた。ピアノはオクサーナ・シェフチェンコ。連日の武蔵野市民文化会館小ホール。

 曲目は前半にシューマンの幻想小曲集作品73とベートーヴェンのチェロ・ソナタ第5番、後半にチャイコフスキーの「6つの小品」より夜想曲とカプリッチョ風小品ロ短調。そのあと、ショスタコーヴィチのチェロ・ソナタ。

 アフナジャリャンはまだ20代前半の若者。ピアノのシェフチェンコも20代の可愛らしい女性。しかし、演奏する音楽は本格的。見事な演奏だった。

 アフナジャリャンは凄まじいテクニックでバリバリ演奏するが、根っこではとてもロマンティックな人と見た。シューマンやチャイコフスキーの曲をとてもロマンティックに鳴らす。形が崩れかけるところが、シューマンやチャイコフスキーらしい。だが、感傷に堕することなく抑制されている。とても好感を持った。

 ショスタコーヴィチは凄まじい迫力。若い力を出し切る。ピアノも見かけによらず、強くてしっかりした音。ただ、私の受けた印象では、アフナジャリャンのほうが、ピアノのシェフチェンコよりもずっとロマンティックな感性を持っていそう。ショスタコーヴィチのヒステリックなまでの切迫感にもロマンティックな要素が混じる気がする。とても魅力的。

 アンコールはパガニーニの「ロッシーニの『エジプトのモーゼ』の主題による変奏曲」、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」、最後にエルガーの「愛のあいさつ」。パガニーニが圧巻。とてつもない技巧。元気があり、華やか。昨日、ツェートマイヤーの凄まじいパガニーニのカプリースを聴いたばかりだが、凄まじい技巧を持っていることは共通するが、まったく音楽性が異なる。アフナジャリャンは若々しく、技巧が表に出る感じ。私の好みとしてはツェートマイヤーだが、もちろんアフナジャリャンもまたいい。

 このところ、ずっと「ハズレ」がない。素晴らしい演奏に出会い続けている。実に充実した毎日。ただ、仕事がたまっているので、ブログに書くのはこのくらいにしておく。

 

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ツェートマイヤーの凄まじいカプリース

 10月13日、武蔵野市民文化会館小ホールでトーマス・ツェトマイヤーのヴァイオリン・リサイタルを聴いた。曲目はパガニーニのカプリース全曲。凄まじかった! ものすごいヴァイオリニストだと思った。

 これまでなぜか私はツェートマイヤーにはほとんど触れてこなかった。特に避けたわけではなかったが、先入観を抱いていたような気がする。これまで触れてこなかったことを強く恥じる。

 とてつもないテクニック。この凄まじい難曲をいともやすやすと弾きこなす。第1曲の冒頭からして、あまりの指使いに度肝を抜かれた。まさしく鮮烈。指がまったくもつれることなく、のびやかで強くて美しい音を奏でる。

 が、単に技巧だけのヴァイオリニストではない。クリアで冷徹なまでに正確な音の奥に、突き抜けた自由な精神のようなものが感じられる。まったく形を崩していないのに、音が美しく、のびのびした空気が流れている。そして、たった一台のヴァイオリンで、音楽にドラマが生まれていく。厳しくも美しい波乱万丈のドラマ。しかもきわめて高貴。

パガニーニの音楽がバッハの高みを持っている。いや、バッハよりもいっそう自由な精神があふれているだけに、ある意味での崇高ささえ感じる。 

こんなカプリース初めて聴いた。同時に、今まで私が抱いていたパガニーニ像は間違っていたのではないか、もしかするとバッハやベートーヴェンに匹敵するような作曲家なのではないかとも思った。

アンコールは、ツィマーマンの無伴奏ソナタ、そして、イザイのソナタ第3番、最後にバッハのソナタの第三番。これらも完璧。唸ってしまった。

まったくおもねるところのない硬派のヴァイオリン。それでいて、底光りするロマンティックな精神がある。

遅ればせながら、ツェートマイヤーのCDを購入してみよう。

車で武蔵野市民文化会館に行ったが、帰りには台風のために大雨になっていた。今、外は暴風雨になりつつある。

 

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多摩大寄席、25周年記念ミニ・コンサート

 私が指導する多摩大学経営情報学部の樋口ゼミでは、以下の企画が進んでいる。多くの人においでいただきたいと思い、ここに紹介させていただく。

 

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多摩大寄席

 樋口ゼミは、クラシック音楽のコンサートを企画運営してきたが、「古典」つながりということで、古典落語にも活動の幅を広げることになった。その第一回として、多摩大学内で寄席を行う。

出演は、実力派の若手落語家として頭角を現している柳家喬の字と鈴々舎八ゑ馬、そして漫才のぐりんぱ。とランバカラン。場所は、多摩大学多摩キャンパス101教室。なんと入場無料。落語の演目は今のところ、柳家喬の字「鮑のし」、鈴々舎八ゑ馬「ねずみ」が予定されている。

 多摩大生に落語のおもしろさを味わってもらいたいとの思いから企画したものだが、もちろん学外者の来訪も大歓迎。お近くの方、ぜひお越しいただきたい。ただし、駐車場は使用できないので、公共交通でおいでいただきたい。

 

出演 鈴々舎八ゑ馬 柳家喬の字 ぐりんぱ。 ランバカラン

会場 多摩大学多摩キャンパス 101 教室 (聖蹟桜ヶ丘、小田急・京王 永山よりバス) 

日時 10 月23日(木) 入場料:無料!

開場 16:10 開演 16:30 

◆予約・問い合わせ TEL 090-6168-5556  Email  21011324km@tama.ac.jp

 

 

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・創立
25
周年記念ミニ・コンサート

 多摩大学は今年、創立25周年を迎え、学内に25周年記念会館(T-Studio)も完成した。それを記念して、1129日(土)14時から約1時間のミニ・コンサートを予定している。

 出演は日本を代表する若手ギタリスト松尾俊介と、将来嘱望されるソプラノ逸材である岸七美子さん。岸さんは、来年の9月に群馬交響楽団70周年記念《蝶々夫人》(指揮:三ツ橋敬子)にヒロイン役で出演が予定されている。

 お二人にオペラのアリアや日本歌曲、そしてギターの名曲を演奏していただくことになっている。私はこれまでにお二人の素晴らしい演奏は何度か聞かせていただいて、このブログにも感想を書いた。私自身、何よりもお二人の名人芸を楽しみにしている。

 入場無料で、ミニ・コンサートの後、多摩市の音楽団体の交流会を行いたいと考えているが、もちろんコンサートは外の方にも開かれているので、多くの方においでいただきたい。ただし、このコンサートについても、駐車場は使用できないので、公共交通をご利用いただきたい。

 

出演 松尾俊介(ギター) 岸七美子(ソプラノ)

会場 多摩大学多摩キャンパス (25周年記念会館T-Studio(聖蹟桜ヶ丘、小田急・京王 永山よりバス)

日時 1129日(土) 

開場 1330分 開演14時 (約1時間)  

入場無料

◆予約・問い合わせ TEL 080-1223-6597  Email 21211083rk@tama.ac.jp

 

 

曲目 (出演者の都合により変更されることがあります)

ヴェルディ:オペラ「椿姫」より乾杯の歌

武満徹:小さな空

平井康三郎:親船小舟、追分、びいでびいで

作曲者不詳:ふじの山

フェルナンド・ソル:「魔笛」の主題による変奏曲(ギターソロ)

ヴェルディ:オペラ「海賊」より「あの人はまだ帰ってこない」

ヨハン・シュトラウス2世:オペレッタ「こうもり」より

 

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新国立劇場「パルジファル」は世界最高レベルだった!!

飯守泰次郎が新国立劇場芸術監督に就任しての第一作「パルジファル」をみた。バイロイトの上演に引けを取らないレベル。素晴らしいの一言。これまで、新国立劇場の上演を見て、私はたびたび「世界の一流歌劇場に引けを取らない」という表現をしてきたが、今回はそのレベルではない。世界の最高峰といって間違いない。これまでの新国立劇場の上演の歴史の中でも最高ランクの一つではないかと思う。

 まず歌手が素晴らしい。とりわけ、グルネマンツのジョン・トムリンソンとクンドリーのエヴェリン・ヘルリツィウスが圧倒的。トムリンソンはかつてのバイロイトの常連。私は彼の演じるヴォータンやハインリヒを何度か聴いた。絶頂期ほどではないのかもしれないが、声の威力はさすが。場内に響き渡る声で、しかも音程もよいし、表現力も素晴らしい。ヘルリツィウスはいわずとしれた大歌手で、最近もバイロイトに出演している。最高に美しい強靭な声。ぞくぞくする素晴らしさ。

そのほか、クリングゾルのロバート・ボーク、パルジファルのクリスティアン・フランツ(私はこの人の歌うジークフリートをバイロイトで聴いた)、アムフォルタスのエギルス・シリンスも世界の最高レベル。世界のワーグナー指揮者であるマエストロ飯守の実力のおかげでこのような大歌手たちを結集できたのだろう。

ティトゥレルの長谷川顯をはじめ、三宅理恵、鵜木絵里、九嶋香奈枝、國光ともこ、池田香織らの日本を代表する歌手たちも出演して、立派な歌唱を聴かせてくれるが、やはり世界の大歌手たちに比べると声の力が弱いのはいかんともしがたい。

歌手も素晴らしかったが、私がそれ以上に圧倒されたのは、マエストロ飯守。世界最高の堂々たるワーグナー。東京フィルハーモニー交響楽団も素晴らしい。ゆったりとしたテンポでうねりながら、まったくごまかしなしのワーグナーの音を聴かせてくれる。細部にいたるまで完璧にコントロールされており、いい加減な音が一つもない。一つ一つの音が確固として安定しており、深みがあり、甘美でもあり宗教的でもある。「パルジファル」の理想の音だと思った。それほどのワーグナーを日本人が演奏していることに改めて驚く。「パルジファル」をこれほどまでに演奏できる人は、日本にはほかにいないだろうし、世界にもほとんどいないのではなかろうか。

演出はハリー・クプファー。その昔、「パルジファル」を宇宙船の中に設定にしたのはクプファーの演出だったと思う(いくら何でも、宇宙船の中で白鳥が弓で撃たれるのはおかしい!と思ったのを覚えている)が、かつて最前衛だったクプファーもかなりおとなしくなったといえるのかもしれない。地理的時間的な流れを象徴するようなジグザグのブリッジ風のものを多用して、色彩豊かにおもしろく見せてくれる。

特に大きな読み替えはないが、第一幕と第三幕に袈裟を着た三人の僧侶が出てくる。ワーグナーが仏教の影響を受けていたことはよく知られている。そして、確かにクンドリーに体現される輪廻転生や「パルジファル」の中に色濃く表れる「苦しみを共にする」「慈悲」という思想はきわめて仏教的。そして、敵と味方を峻別するのでなく、ともに苦しむ存在として一元化しようとするのも仏教的な考え方だといえるだろう。最後、パルジファルは仏教に帰依したようで、クンドリーにもグルネマンツにも袈裟を着せる。モンサルヴァットの住人たちは僧侶のほうへ歩み寄っていく。

ワーグナーが仏教に救いを求めたことを示すと同時に、現在のキリスト教社会の閉塞状況から逃れて、仏教的な慈悲の心を求めようというクプファーの意思の表れでもあるのだろう。

ブロムシュテット+N響、メッツマッハー+新日フィル、戸田弥生の無伴奏バッハ、風の丘ホールの「道化師」、そして今日の「パルジファル」。このところ素晴らしい演奏が続いている。実に幸せ。

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風の丘HALLの「道化師」 驚くべき活動!

 10月5日、風の丘HALLで、オペラ「道化師」をみた。風の丘HALLは、千葉市の新検見川駅から徒歩10分ほどのところにある小ホール。小空間オペラTRIADEがこの場所で意欲的にオペラ公演をしている。

 歌手はみんなとてもいい。カニオの上本訓久は実に美声で表現力も豊か。「衣装をつけろ」のアリアも絶品。トニオの押川浩士も豊かで劇的な声。前口上も素晴らしかった。ネッダは江口二美。美しい声であるだけでなく、劇的な迫力もあるし、清純さもある。ペッペの笹岡信一郎も表現力があり、声も整っている。シルヴィオを歌った党主税もまったく文句なし。村人も子どもたちもしっかり歌っていた。

 みんなの演技も見事。真に迫った演技。舞台上の色遣いもおもしろい。ちょっと表現主義的な、しかしイタリア的に明るくてドラマティックな舞台で、ドラマとしても楽しめた。

 オーケストラはつかず、瀧田亮子のピアノ。とてもしっかりした音色豊かなピアノだった。ただ、ちょっと難を言うと、全員が声の威力を聞かせようとして、常に全力投球をしているように聞こえた。もう少し弱音がほしいし、声に大きさの変化もほしい。そうした操作が増えると、もっと表現の幅が出ると思った。

 演出は三浦安浩。音楽が始まる前、村人たちの黙劇が入る。屈託なく楽しそうに子供らしい遊びをする人々。ピストルを持ったやくざ風の男も登場するが、このピストルがおもちゃであることがのちにわかる。

 ボールが意味ありげに使われる。子どもたちは無邪気にボールで遊ぶ。大人たちから子どもたちにボールがパスされる。白い服を着たネッダがボールを見つめる。おそらくボールは、「無垢」のしるしだろうと思った。最後、カニオは嫉妬のゆえにネッダとシルヴィオを殺した後、絶望した表情でボールを見つめ、それを自分の頭に押し付ける。無垢を失ってしまった自分に気付いて絶望を覚えているのではないか。

「道化師」は、いわば子どもの無垢を失ってしまった大人の物語だといえるだろう。現実ではない空想の世界に遊ぶのではなく、カニオは、道化芝居という愉快であるはずの舞台に無粋な現実を再現し、自由な魂を否定しようとする。その無念さが胸に突き刺さる。

 最後の場面には私はかなり興奮した。レオンカヴァッロにふさわしい劇的な迫力。歌劇の力を改めて思い知った。

 しかし、それにしても、小空間オペラTRIADEという集団はこれほどまでに高いレベルの公演をやってきたのだろうか。私は初めてこの集団の公演を見たが、恐るべきことだと思った。同時に並大抵の努力ではなかっただろうとも思った。

 第二部は、第一部で村人たちの合唱に加わっていた若手歌手たちによるオペラギャラコンサート。若々しい声で好感が持てるが、もちろん、第一部で役を歌った人々に比べると、声が熟しておらず音程が怪しかったり、表現が甘かったりする。だが、素質についてはみんな十分。最後は千葉ジュニアオペラ学校卒業生の歌。「好きさ 好きさ」と「花は咲く」、とても楽しく終わった。

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戸田弥生によるバッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ・リサイタル、圧巻!

 10月4日、九段下の寺島文庫ビル3階で、多摩大学の私のゼミが戸田弥生によるバッハ無伴奏ヴァイオリン・ソナタ・リサイタルを開いた。多摩大学樋口ゼミは、クラシック音楽のコンサートを企画・運営しているが、その一環として開いたもの。

 当初、寺島文庫ビル1階のみねるばの森カフェでコンサートを開くことにしていたが、戸田さんご自身の希望もあって3階でコンサートを開くことにした。

 休憩なしで、ソナタの1番3番2番の順に演奏。戸田さんは、お話しすると物静かで優しい雰囲気の方だが、いったん音楽が始まると、凄まじい集中力を発揮し、鬼気迫るまでの音の世界を繰り広げる。

 いずれも圧巻だったが、私は第1番のフーガとプレスト、そして、第2番の第一楽章グラーヴェにとりわけ心を奪われた。まったく流麗ではない。女性的でもない。美しい音でもない。ガサッという雰囲気で弓と弦が擦れる。そして、聴いているものの心をわしづかみにする。音の上下によって人の心を揺り動かす。これこそバッハの醍醐味。

 しかも、このホールは40人程度しか入れない。戸田さんの音楽そのものがまさに目の前で繰り広げられる。弓が弦に触る瞬間のかすかな音までがしっかり聞こえ、戸田さんの息遣い、戸田さんの心の動きまでが手に取るようにわかる。演奏者と聴く者が一体になれる。いや、戸田さんの音楽そのものが立ち現れるかのよう。

 全3曲があっという間だった。

 以前、みねるばの森で山本裕康さんのバッハの無伴奏チェロ組曲の連続リサイタルを多摩大学樋口ゼミ主催で行った。それに続いての戸田さんのヴァイオリンだったが、ゼミ生は入れ替わっている。ゼミ生にとっても、このような日本を代表するヴァイオリニストのリサイタルを企画し、運営するのはとても良い経験だったと思う。

 私は主催者の代表だったわけだが、そのようなことは忘れて戸田さんの音楽に酔った。

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