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武蔵野寄席、そしてオペラ映像「ナクソス島のアリアドネ」「イドメネオ」「ブルゴーニュのアデライーデ」など

 1015日、武蔵野公会堂で「武蔵野寄席」をみた。出演は、出演順に、柳家さん弥、春、風亭柳好、桧山うめ吉、柳家喬太郎。

多摩大学のゼミ主催で1023日に寄席を行うこともあって、落語を見ておきたいと思った。いや、それ以前に、私はかなり前から柳家喬太郎が好きで、テレビやDVDでもよく見ていた。だから、大いに楽しみにして出かけた。

来年真打に昇進するという柳家さん弥もおもしろかったし、春、風亭柳好も素晴らしかった。そして、俗曲の桧山うめ吉(きれいな女性だった!)も実に良い味を出していた。だが、やはり喬太郎は一味違う。笑いっぱなしだった。演目は「抜け雀」。雀が抜けて、また戻るときの描写に驚嘆。喬太郎の愛嬌のあるふてぶてしさが絵師にぴったり。

が、落語については、素養がないので、あまり語ることはできない。

 

しばらく前から、時間を見つけてはオペラの映像を見ていた。そのいくつかの感想を書く。

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シュトラウス「ナクソス島のアリアドネ」
2013 グラインドボーン音楽祭

 

 チープな雰囲気の写真がDVDの表紙に使われていたので、あまり期待していなかったが、どうしてどうして。これは大変な問題作だと思う。

 まず演奏がとても見事。ウラディーミル・ユロフスキの指揮がきびきびしてドラマティック。ロンドン・フィルはもちろん素晴らしい。このオペラではしばしば、のんびりした余裕のある演奏がなされるが、ユロフスキの手にかかるともっと悲劇性を帯びる。もしかすると、演出に合わせてこのようにしたのかもしれないが。

 歌手陣もそろっている。作曲家のケイト・リンゼイは、張りのある声で序幕を引っ張る。音楽教師がトーマス・アレン。脇にいたるまで見事。アリアドネはソイレ・イソコスキ。現在、シュトラウスを歌わせてこの人の右に出る人はいないのではないか。二つのアリアも情感たっぷりで素晴らしい。ただ、外見がおばあさんっぽくなってしまうのが映像ではつらい。ツェルビネッタはローラ・クライコム。全盛期のグルベローヴァやデセイに比べると弱いが、十分に美しいコロラトゥーラを聴かせてくれる。ただ、この人も、遠目にはよいが、近づいての映像では、どうしても年齢が見えてしまってツェルビネッタらしくなくなる。

 演奏もさることながら、何よりも驚くのは、カタリーナ・トーマの演出だ。

 序幕の前半は、特に何事もなく、通常通りに進んでいく。ところが、序幕の最後、突然、数機の航空機が飛来する。どうやら第一次大戦中ということらしい。そういえば、登場人物の中に軍人ふうの姿が見えた。爆撃機は轟音を立てて舞台を爆撃していく。音楽教師が作曲家に叫ぶ「君が許したことではないか」という言葉に重なって舞台が破壊される。

 そして、「オペラ」が始まると、そこはナクソス島ではなく野戦病院。アリアドネは精神に異常をきたした患者として横たわっている。周囲にも精神のおかしい兵士や負傷した兵士がいる。三人のニンフは従軍看護婦。ツェルビネッタらの道化芝居の面々は、病院を慰問に来た劇団といったところか。序幕の作曲家も患者の一人として舞台上にいる。ニンフたちのやり取り、そしてアリアドネの独白は、病院内という設定とそれほど矛盾はない。そこに、航空兵姿のバッカスが舟ではなく、飛行機の事故にあったらしくてやってくる。病のアリアドネとバッカスの恋が成就する。話としてはとてもうまく辻褄があっていると思った。

 リヒャルト・シュトラウスは、一時期、「サロメ」や「エレクトラ」の前衛的な音楽で古き良き芸術を破壊する方向に音楽の歴史を進めた(「これを許したのは君なんだ」という声はそのようなシュトラウスを連想させる)。音楽は人々を楽しませるものではなくなり、危うい生を描く先鋭的なものになる。ところが、シュトラウスは、そのような時代に背を向けるようになり、第一次世界大戦が起こっているのに、まさにこのオペラのアリアドネのように、過去の世界にしがみつき、古典音楽という閉ざされた世界にとどまり、過去の古き良き芸術を守る方向に転向する。外では戦争が行われ、安定した世界でなくなり、多くの作曲家たちが革新の道を目指して奮闘しているとき、古い音楽を作り続ける。相変わらず、神話の愛を描き、平和な形而上学を歌う。

 この大戦の中での野戦病院での神話の愛の物語は、そのようなシュトラウスの姿を批判的にとらえるものといえるだろう。だが、演出家はシュトラウスを否定しているわけではない。オペラの最後、それまで精神病患者の中で途方に暮れていた作曲家は自分の音楽の着想を得てピアノのほうに向かう。「現代音楽」という不毛な音楽の方向に進まずに、閉ざされた古き良き時代精神の中で音楽を作ることに可能性があることを、最後の作曲家の姿は示していると私は考える。

 私は自分のシュトラウス観(拙著「音楽で人は輝く」「ヴァーグナー ヨーロッパ近代の終焉」に少しまとめて書いている)をこの演出に反映して見た。そして、シュトラウス解釈を反映したとても興味ある演出だと思ったのだった。ほかの方々はどうとらえるのだろう。気になるところだ。

 

 

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・モーツァルト「イドメネオ」 ミュンヘン、レジデンツ・クヴィリエ劇場 バイエルン国立歌劇場管弦楽団 ケント・ナガノ(指揮)

 

 先日、二期会の「イドメネオ」を見て、昔、LD時代にレヴァイン指揮で、パヴァロッティがイドメネオを歌うメトロポリタンのこのオペラの映像ソフトを持っていたのを思い出した。が、考えてみると、それ以降、映像ソフトを購入した記憶も見た記憶もない。そこで、ケント・ナガノ指揮の映像を購入。

素晴らしい上演だと思う。歌手陣にまったく穴がない。イドメネオのジョン・マーク・エインズリー、イダマンテのパヴォル・ブレスリク、アルバーチェのライナー・トロストも素晴らしいし、それ以上にイリアのユリアーネ・バンゼとエレットラのアネッテ・ダッシュの女性陣がいい。容姿の面からも、全員が適役。ディーター・ドルンの演出に関しても、イドメネオが日本の剣道着姿で現れるので驚くが、全体的にはとても美しい。新しい解釈をしているわけではないが、とても楽しめる。そして、何よりケント・ナガノの指揮が生き生きしていて実にいい。

改めてなかなかの名曲だと思った。ダ・ポンテ三部作や「魔笛」には劣るかもしれないが、美しい音楽がふんだんに合って、とても楽しい。

 

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・ロッシーニ 「セヴィリアの理髪師」 パリ・オペラ座 コリーヌ・セロー演出 ブルーノ・カンパネッラ指揮

 映画監督のコリーヌ・セローが演出したので話題になった上演だが、それを抜きにしても、これは最高の「セヴィリアの理髪師」だと思う。

 最高に楽しい。何よりもブルーノ・カンパネッラの指揮がいい。まさしくこれがロッシーニの醍醐味。躍動感があり、楽しく明るい。最初から最後までまったく緊張感が途切れず、ずっと楽しい。

 フィガロのダリボール・イェニス、アルマヴィーヴァ伯爵のロベルト・サッカ、バルトロのカルロス・ショーソン、バジーリオのクリスティン・ジグムンドソンなど、役者がそろっている。が、やはり圧倒的なのは、ロジーナを歌うジョイス・ディドナート。

 最初から最後までずっとイスラム圏の物語として展開されるのが、この演出の趣旨。アルマヴィーヴァもフィガロもロジーナもみんなイスラムの衣装を着ているし、舞台はいかにも中東。セヴィリアは長い間サラセン帝国の支配下にあり、イスラム文化の残ったところなので、このような演出にしたのかもしれない。確かに、ストーリー的には違和感はない。ロジーナはバルトロの屋敷に幽閉されているわけだし、いかにもイスラム的な雰囲気。演出家の「キリスト教圏の人間は、自分たちはイスラム教圏と違って女性も自由を得ていると思っているが、ほんの少し前まで、イスラム圏と変わりがなかったのだよ」というメッセージなのだろう。私には十分に説得力がある。

 ともあれ、ディドナートを中心とする強力な歌手陣と目を見張る指揮のおかげで、私には特別の一枚といえる映像ソフトだ。

 

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・ロッシーニ 「チェネレントラ」 バルセロナ、リセウ大劇場 パトリック・サマーズ(指揮)

 

 いやあ、ロッシーニは実に楽しい。私がクラシック音楽を聴き始めたころは、「『セヴィリアの理髪師』以外のロッシーニのオペラには見るべきものがない」といわれ、ロッシーニの音楽はいくつかの序曲が演奏されるだけだった。「チェネレントラ」も「シンデレラ」と呼ばれて、珍しいオペラとしてごくまれに上演されるだけだった。ところが、まさしくロッシーニ・ルネサンスが起こって、今や「チェネレントラ」はオペラの定番。隔世の感がある。

 チェネレントラを歌うジョイス・ディドナートが圧倒的。最後のアリアなど、うっとりしてしまう。ドン・ラミロを歌うのはフアン・ディエゴ・フローレス。どうもこの声質は好きになれないが、ともあれ輝かしい声で歌いまくる。ドン・マニフィコのブルーノ・デ・シモーネは、彼としては少し生彩を欠く感じがするが、もちろん見事。アリドロのシモン・オルフィラがとてもいい。

 ジョアン・フォントの演出も実に楽しい。絵本から出てきたような舞台。パリのオペラ座らしく、彩りが鮮やか。着ぐるみの鼠たちがしばしば登場する。西洋の人たちにはかわいらしく見えるのだろう。ただ、ブルーノ・カンパネッラの「セヴィリアの理髪師」を聴いた後に、このパトリック・サマーズの指揮を聴くと、ちょっとおとなしすぎて物足りなく思ってしまう。もっともっと溌剌としていてほしい。

 

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・ロッシーニ 「ブルゴーニュのアデライーデ」
2011年ペーザロ・ロッシーニ音楽祭

 2011年のペーザロ音楽祭の目玉だった公演。めったに上演されないオペラで、もちろん私も初めて映像を見るし、初めて音楽を聴く。

 10世紀のイタリアを舞台にした史実に基づく物語。ヨーロッパの人にはなじみの物語かもしれないが、私はこのエピソードについてはまったく知らなかった。裏切りによって夫である王を殺され、未亡人になったアデライーデは、裏切者ベレンガリオの息子アデルベルトとの結婚を迫られるが、それを拒んで幽閉されている。フランク王国のオットーネ(歴史に出てくるオットー大帝のことらしい)がアデライーデを救い、愛し合うようになって結婚し、あくまでも刃向うベレンガリオとアデルベルトを降伏させる。そのような物語。

 ロッシーニの音楽がとてもいい。私はロッシーニが大好きだということを改めて痛感する。うきうきしてくる。技巧的な歌も楽しい。これほどの音楽がふんだんにあふれるロッシーニのオペラが長い間埋もれていたのが実に不思議だ。

 歌手陣が素晴らしい。オットーネを歌うのはズボン役のダニエラ・バルチェッローナ。これはもう名人芸というしかない。アデライーデはジェシカ・プラット。バルチェッローナにまったく劣らない歌を聴かせてくれる。張りがあって声が美しい。アデルベルトのボグダン・ミハイも見事。ドミトリー・ユロフスキの指揮もワクワクうきうききびきびで、ロッシーニにふさわしい。背景に映像が映し出されて雰囲気を作り出す。演出はわかりやすくて、美しくて、初めて見るオペラとしては実にありがたい。このソフトに日本語字幕がついているのはうれしいが、よく意味のわからないところが何か所かあったのが残念。

 少し前まで、私の大好きな作曲家は、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ワーグナー、ブルックナー、ブラームス、リヒャルト・シュトラウス、ヤナーチェクだったのだが、その一角にロッシーニが入ってきそう・・・。

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コメント

樋口先生 グラインドボーンのアリアドネは僕も以前海賊版のDVDで見て衝撃をうけました 巷では批判的な評が多かったと聞いていますが、大変深い読みだと思います 僕はいつも初演時の作者の置かれていた状況や社会背景は作品解釈を考慮することは演出上、(慣習に盲目的に従うことより)はるかに大切なものだと思っていますが、あの演出はアリアドネがなぜ長い時間をかけて書き直されなくてはなかったのかという事実をしっかりベースにしていると思います プロローグのエンディングは衝撃ですよね しかし、シュトラウスのある意味作曲家への残酷なフィナーレをあの演出のインパクトはうまく現代に伝えているような気がします 三浦

投稿: 三浦安浩 | 2014年10月19日 (日) 00時38分

三浦安浩 様
コメント、ありがとうございます。
実は、三浦さんにこのDVDについてのご意見を伺いたいと思っておりました。演出家にほかの演出家についてのご意見を、このような場で伺うのはいかがなものかとためらっているうちにコメントをいただいて、とてもうれしく思います。おっしゃる通り、実に深い読みだと私も思いました。そして、セリフの多くが野戦病院の舞台とまったく違和感がないのに驚いたのでした。同時に、これほどまでに演出家の想像力をかきたてるシュトラウスのオペラの魅力を改めて感じました。

投稿: 樋口裕一 | 2014年10月19日 (日) 22時55分

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