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ネマニャ 相変わらずの凄み!

1019日、兵庫芸術文化センター管弦楽団第73回定期演奏会を聴いた。指揮はメキシコ出身の美人指揮者アロンドラ・デ・ラ・パーラ。金曜日から3日間連続の講演で、本日が最終日。

私がなぜ兵庫まで足を運んだかというと、もちろん、2曲目に登場したソリスト、ネマニャ・ラドゥロヴィチを追いかけて。私はこの若きヴァイオリニストのファンクラブ「プレピスカ」の会長でもある。

アロンドラ・デ・ラ・パーラの名前を知らなかった。少し前、とてつもない美人指揮者が登場したことを読んだ記憶があるが、それがこのデ・ラ・パーラだったのだろう。確かに、ハリウッドの有名女優といっても誰も疑わないほどの美貌。

最初の曲はコープランドの「エル・サロン・メヒコ」。メキシコの有名なダンスホール「エル・サロン・メヒコ」を描写したもの。私は、エドゥアルダ・マータ指揮、ダラス交響楽団の録音を数回聞いたことがあるだけ。ともあれ、なかなか色彩的で面白い曲。ただ、それ以上は何も言えない。

 そして、いよいよネマニャ登場。曲目はパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番。指揮はとても自然。ネマニャはソロが始まる前から第一ヴァイオリンのパートを弾いていわば準備体操。

 そして、ソロが始まる。相変わらず、細身で鋭くて、しかも思いのこもった音。おそろしく音程がよく、一筋の光のように伸びていく。そして、ときに祈りにも似た音楽に聞こえる。第一楽章のカデンツァも見事。技巧をひけらかすのではなく、音楽そのものに寄り添っている。第二楽章は深い思いをたたえ、最終楽章は劇的に爆発する。

 私は2006年からネマニャを聴いてきたが、かつての少年らしいがむしゃらさは影をひそめ、ずっと本格的になった。ひけらかさず、音楽に深く沈潜する。かつてのあまりに激動的な演奏に惹かれた人間としてはちょっと寂しいが、しかし明らかに深みを増している。

 ネマニャのアンコールはパガニーニのカプリースから。これはもう言葉をなくす凄さ。とてつもない技巧もさることながら、テンポを自由に動かし、表情にも変化をつけながらも形が崩れないのがこの人のすごさだと思う。どんなに自由自在に演奏しても、まとまりができ、精神的な高貴さを感じさせる。圧倒された。

 後半はリムスキー=コルサコフの「シェエラザード」。先ごろ、山田和樹指揮のスイス・ロマンド管弦楽団の演奏を聴いて圧倒されたばかりだった。それに比べると、指揮の面でもオーケストラの技量の面でも、やはり凡庸さを感じざるを得なかった。スケール大きく演奏しているのが感じられるが、細部がしっかりと決まらないために、盛り上がりに欠ける気がした。が、これについては、それほど山田指揮のスイス・ロマンドがすごかったということだ。

 アンコールはマルケス作曲の「ダンソン第2番」だという。もちろん知らない曲。メキシコの曲だという。タンゴというのか、私たちが南米風と考えているリズムがふんだんに聞こえ、明るくて色彩的な音に満ちていた。

 ところで、この日、兵庫芸術文化センターで配布されたプログラムのなかの「超絶技巧について」の文章を寄稿しているのは私。今年の夏に執筆依頼があり、ザルツブルク音楽祭に向かう途中のフランクフルト、ミュンヘンで書いたものだ。ファンクラブの会長として、ネマニャについて書けばよいのかと思っていたら、「超絶技巧」について書くことを求められて、ちょっと困った覚えがある。

 ともあれ満足。来週は、ネマニャを何度か聞くことになる。

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コメント

 樋口先生、権兵衛です。いつもながら多彩な文筆活動に啓発させられております。ネマニヤについては、メンデルスゾーンのCDを聞いています。音程の良さを指摘されておられますが、これは学習の成果というよりは、先天的なものに左右されるのではないか、と思っています。
 先生の「多彩な文筆活動」にあやかりたいものと思っているのですが、この方面について、最近、面白いエッセイを目にいたしました。
 ------ 音楽人には二種類あって、演奏専門の「技術系」、それに楽理専門の「音楽学系」。それで「技術系」は音楽について言葉にするのを嫌うばかりか反発する傾向すらあるとのことです。音楽評論や作曲分野の方が文筆をよくされるのは当然のように思われますが、日頃残念に思うのは、この演奏専門の「技術系」の方の音楽に関する文筆活動が特に「少ない」のではないか、ということです。
 このエッセイを拝見して、やはりそうなのか、と半分納得させられたような気持でいます。
(*)筆者は人文科学系の研究者(音楽学)であるところが面白いと思いました。音楽大学の先生からはなかなか出てこない発想ではないか(失礼)、という点においても。
 しかし、それで良いとも思われないところが残念というわけです。
 私の記憶では、印象残るものとしては、僅かにN響第1ヴァイオリンを退職された鶴我裕子/「バイオリニストは肩が凝る」ぐらいしかありません。
 エッセイの筆者は「技術系」の方が、特に言葉を必要とする教師になられら時、それで務まるだろうかと御心配です。学習は単に音楽への愛情とか根性だけではどうにもならないからです。
 最近では、子供の英才教育------ ヴァイオリン学習を外国人教師の英語で行わせるという試みも耳にします。
 英語と楽器の学習を一挙に英語で賄おうという発想なのでしょうが、まず日本語による学習抜きでは、英語もヴァイオリンも、その上、日本語までも危うくなってしまうのではないか、と懸念される向きもおられます。
(*)上記のことを、私の拙いブログで少し長く扱ってみました。
辻栄二
http://d.hatena.ne.jp/e-tsuji/ (「権兵衛の領分」)

 先生の益々の御発展を祈念申し上げます。

投稿: 権兵衛 | 2014年10月20日 (月) 09時35分

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