« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »

あまりにすばらしい岸七美子さんと松尾俊介さんの演奏!!

 本日、多摩大学の25周年記念館T-Studioで、樋口ゼミ主催・多摩大学25周年記念コンサートを行った。演奏は、岸七美子さんのソプラノと松尾俊介さんのギター。開演前、多摩地区はかなりの大雨だったせいもあって、客は予定よりもかなり少なかったのが残念。あまりに素晴らしいコンサートだった。自分たちが主催したコンサートとしてではなく、これまで聴いてきた世界の超一流の演奏を含むコンサートの中でも高いレベルに間違いなく入る演奏だった。こんな間近でこれほどの演奏を聴けて、実にうれしい。主催者としてではなく、単なる聴き手として感動していた。

 始まりは、「椿姫」の「乾杯の歌」。岸さんの最初の声で、会場にいる人は驚かれたと思う。強くて美しい声。迫力があるのに、華やかさもある。狭い会場にビンビンと響く。そして、ギターの音色も美しく、歌にぴったりと寄り添う。オーケストラ部分をギターが受け持つという神業を松尾さんは見事に成し遂げてくれた。

 ダウランドの「カム・アゲイン」。打って変って16世紀の素朴な歌。これもギターが素朴な味わいを出し、ソプラノが見事に心情を歌いあげる。次に平井康三郎の3つの歌曲。実は私は今回、初めて平井康三郎の歌を聴いたが、日本的な心情を繊細に、しかもドラマティックに歌いあげて、とてもいい曲だと思った。松尾さんは、伴奏するときには、しっかりとソプラノを立てて補佐をする。

 ジョビン作曲、ディアンス編曲の「フェリシダージ」とソルの「魔笛による変奏曲」の2曲は松尾さんのソロ。どちらも素晴らしかった。聴いているだけでは良くわからなかったが、指を見ているとそのすさまじい難度が良くわかる。すべての指が絶え間なく動いている。そして、すべての指が重なり合って美しい音を奏でている。私は「魔笛」の変奏の巧みさに舌を巻いた。それにしても、松尾さんはそれを最高の音で再現する。派手に自己主張するのではなく、じわじわと感動をかきたてる演奏。こんなすごい人に、私のゼミのミニコンサートで演奏していただいて、本当に感謝にたえない。

 岸さんの歌う「こうもり」のアデーレのアリアも、ヴェルディの「海賊」のアリア「あの人はまだ帰ってもない」も、ドニゼッティの歌曲「ジプシー女」も、最高の音楽。強くて深い声なのだが、アデーレのアリアのような可愛らしい歌も実にチャーミングに歌いこなす。ドニゼッティでは、超絶技巧も聴かせ、しかもジプシー女の強い心を激しい情熱で歌う。すごい歌手だと思う。

 ゼミ生もしっかりとコンサートを運営してくれた。頼もしく思った。

 客が少なかったのがかえすがえすも残念。私たち樋口ゼミの力不足を思う。これほど素晴らしい演奏をしてくれたお二人に本当に申し訳ない。これほど素晴らしい演奏をもっと多くの人に聞いてほしかった。が、今日のところは、このお二人のあまりに素晴らしい演奏を間近で聴けた贅沢を喜ぶことにしよう。

 コンサートの後、岸さん、松尾さんを交えて、多摩管弦楽団の方たち、多摩大学の諸橋副学長と交流会。コンサートに感動した人たちとの楽しい音楽談義ができて、とても楽しかった。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

ダン・タイ・ソンとウィーン弦楽四重奏団 

  20141125日、武蔵の市民文化会館で二つのコンサートを聴いた。午後は、ダン・タイ・ソンのピアノリサイタル、夜はウィーン弦楽四重奏団。

まず、ダン・タイ・ソン。素晴らしかった。

 これまでなんどもこのブログに書いたとおり、私はピアノのソロ曲はあまり聴かない。だから、ダン・タイ・ソンを聴くのも、録音も含めて初めてだと思う。もちろん名前はずっと昔から知っていた。1992年に初めてベトナムに行った時、ベトナム人ガイドに誇らしげに「ダン・タイ・ソンを知っているか」と聞かれたのをよく覚えている。

 前半はラヴェル。「高雅で感傷的なワルツ」「ソナチネ」「亡き王女のためのパヴァーヌ」「水の戯れ」「ラ・ヴァルス」。いずれもかなり硬質な演奏。かなり速めで、フランス的エスプリのようなものも、風雅な雰囲気もあまり感じない。飾りをすべて排し、本質だけを取り出したかのよう。強くて透明な音で、音だけをとりだす。が、結果的に高貴な音楽が生まれ出る。とりわけ、「ラ・ファルス」が凄まじかった。これまで私が聴いてきたこの曲はもっと色彩豊かで、もっと香りにあふれていた。が、ダン・タイ・ソンの演奏はもっと男性的で強くて透明。あまり色彩や香りは感じない。だが、力感があり躍動があり魂のうごめきがある。

 私は、音楽雑誌などを読んだ記憶から、ダン・タイ・ソンというのはもっと感情移入の激しい音楽を作る人かと思っていたのだが、今日の演奏を聴く限り、あまりそんな感じはなかった。むしろ抑制的で強靭な印象が強い。ダン・タイ・ソンの音楽性が変化しつつあるのか、あるいは今日の演奏だけがそうだったの、あるいは、私の受け取り方に問題があるのか。

 後半のスカルラッティのソナタも、ショパンのノクターン変ホ長調 op.55-2、ハ短調 op.48-1、そしてポロネーズ第2番、ポロネーズ第6番「英雄」も同じように感じた。「英雄ポロネーズ」はまさしく「ラ・ヴァルス」のような演奏。一般に良く演奏される飾りの多いショパンとはまったく異なる。感傷もない。本質を抉り出し、不要なものをすべて排した中にロマンティズムをつかみだしたようなショパン。すさまじい迫力だった。

 アンコールは、ショパンのノクターン第2番とプロコフィエフ「つかの間の幻影」第10番だとのこと。これも見事。

 

 夜は、顔ぶれは少し変わっているが昔から馴染んできたウィーン弦楽四重奏団。メンバーみんながかなり老けていることにある種の感慨を覚えた。

が、演奏が始まると、出てくる音の響きは、まさしくウィーン弦楽四重奏団。昔、ウェストミンスターの録音で聴いたヴェラー弦楽四重奏団やらウィーン・コンチェルトハウス弦楽四重奏団と同じような響きがするではないか。昨日聴いたヴォーチェ弦楽四重奏団となんという違い。古めかしい趣があり、厚みがあり、香りがある。まさにウィーン情緒。素晴らしい音。この音だけでうっとりする。

 演奏曲目は、前半にハイドンの「皇帝」とドヴォルザークの「アメリカ」、後半にシューベルトの「死と乙女」。いずれもニックネームのついた弦楽四重奏曲。

 とても良い演奏だったと思うが、実は、私はあまり深い感動を覚えなかった。響きは素晴らしい。が、あまり躍動しなかったし、おとなしすぎるように感じた。現代風のメリハリの強い、劇的な要素の強い演奏に慣れ過ぎてしまったのか、このようなウィーン情緒にあふれる演奏を物足りなく思う。もっと躍動し、もっと爆発し、もっと感情をぶつけてもよいのではないかと思ってしまう。とりわけ、「死と乙女」の第二楽章を物足りなく思った。

それに、音程の甘さを何度か感じたのは、私の耳のせいだったのだろうか。

弦楽四重奏曲第17番「狩」より第3楽章。これもよい演奏だったが、私は深く感動するには至らなかった。

そうはいうものの、このレベルのコンサートを二つ聴いて、今日は実に幸せ。充実した一日だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ヴォーチェ弦楽四重奏団 美しい音

 20141124日、武蔵野市民文化会館小ホールで、ヴォーチェ弦楽四重奏団のコンサートを聴いた。曲目は前半に、モーツァルトの「不協和音」とヤナーチェクの「内緒の手紙」、後半にベートーヴェンの「ラズモフスキー2番」。いずれもニックネームのついた弦楽四重奏曲。とてもよかった。

 ヴォーチェ弦楽四重奏団は2004年に結成されたフランス人を中心にした若い弦楽四重奏団で、ヴィオラを除いてほかは女性。第一ヴァイオリンのアラ・ダイヤンがリーダー。ほかの女性2人はもしかしたら20代ではないかと思った。

 体調が悪かった(胃の調子が悪くて、夜中、あまり眠れなかった)ためもあって、「不協和音」の前半は眠気を感じていた。が、第三楽章あたりから、その素晴らしい演奏のために目がさえてきた。一人一人の楽器の音が美しく、アンサンブルがみごと。それぞれの楽器の音質がとても良く似ているのを感じる。女性三人なので、繊細で音楽の作りが丁寧。しかし、十分に力感があり、鋭く切り込むべきところは切り込む。ひところ流行した「上手すぎる」弦楽四重奏団ではない。テクニックを表に出すのではなく、あくまでも音楽性を大事にしているのが良くわかる。派手さはないが、的確に音楽を作ってくれる。

 ヤナーチェクも、甘美さと生命の疼き、いら立ちのようなものを美しく演奏。ただ、私としては、ちょっと美しすぎるように感じた。ヤナーチェクはもっとガサツなところがあってよいのではないか。ちょっと都会的過ぎる。が、逆に言えば、とても都会的な魅力の音楽をこの団体は作るといえそうだ。

「ラズモフスキー2番」(すなわちベートーヴェンの弦楽四重奏曲第8番)も、鋭く切り込みながらも、全体的には極めてバランスのとれた美しい演奏。スケール感はないが、リズムが良く、音が磨き抜かれ、論理的に知的に音楽を作っていく。切れがよく、ともかく美しい。

 アンコールはトゥリーナ作曲の「闘牛士の祈り」。スペインらしい曲。なかなかおもしろかった。

 きっとこれからどんどんと活躍していく団体だろうと思った。これからが楽しみだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

METライブビューイング「フィガロの結婚」に興奮

 東銀座の東劇でMETライブビューイング「フィガロの結婚」をみた。映像であるにもかかわらず、あまりのすごさに興奮。

 指揮はジェイムズ・レヴァイン。序曲からして、スケール大きくドラマティックに演奏。第一幕の間は、歌とオケが少しずれるのを感じるところがないでもなかったが、その後はまったくそのようなことは気にならなくなった。うねりがあり、ドラマがあり、歌がある。第二幕と第四幕の幕切れの重唱は、あまりにわくわくして、私はほとんど躁状態になった。

 歌手たちは全員が当代最高の人たち。フィガロのイルダール・アブドラザコフと伯爵のペーター・マッテイは演技も歌唱も圧倒的。細かい演技、細かい歌唱にいたるまで完璧。スザンナのマルリース・ペーターセンはヴィブラートの少ない美しい声。この人の演技も素晴らしい。ケルビーノのイザベル・レナードもまさしくケルビーノ。

 そして、伯爵夫人のアマンダ・マジェスキー。初めて知った歌手だが、私はこの人にほとんどほれ込んだ。容姿的にも美しいが、それ以上に声の力に圧倒された。リリックな細い声だが、気品があり、人をひきつける力を持っている。第二幕と第三幕のアリアには心がしびれた。

 そのほかのすべての登場人物が最高の歌と演技を行う。全員がまさに役そのもの。バジーリオもマルツェリーネも歌手たちを見て納得。「そうか、こんな人物だったんだ!」と思った。

 演出はリチャード・エア。時代を1930年代に移しているが、まったく違和感はない。細かいところまで実に計算しつくされ、笑いを呼び、しかも品格が落ちない。アメリカの劇場の演出の力はすさまじいと改めて思う。これまで何度も見てストーリーもよく知っているのに、またも大笑いした。ヨーロッパのような頭でっかちの「解釈」ではなく、まさしく最高の娯楽として楽しませてくれる。そうであるがゆえに最高の芸術になっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

松尾俊介の素晴らしいアランフェス協奏曲、中島良史の指揮による「カルミナ・ブラーナ」

 2014年11月16日、東京芸術劇場で東日本大震災被災地支援コンサート「カルミナ・ブラーナ」を聴いた。演奏は中島良史の指揮によるカルミナ祝祭管弦楽団・カルミナ祝祭合唱団。このオーケストラは、指揮者・中島の個人的なつながりによって各地のプロの演奏家が結集した臨時編成ということらしい。

 このコンサートには私が大のひいきにしている演奏家が二人出演している。一人は、ロドリーゴ作曲「アランフェス協奏曲」のギター・ソロを受け持つ松尾俊介さん。これまで二度、多摩大学樋口ゼミの無謀な要望を受け入れて私たちの企画するコンサートに出演してくださり、二度とも深い感銘を観客に皆さんに与えてくれた。

 もう一人は、「カルミナ・ブラーナ」のテノールを歌う高橋淳さん。私はこの人の歌うオペラをかなり聴いてきた。「ナクソス島のアリアドネ」のテセウスや「リング」のミーメなど日本で間違いなく最高の歌を聴かせてくれた。脇役を歌っても強い存在感を示す日本では珍しいタイプの歌手だ。

 まず、アランフェス協奏曲。松尾さんのギターが最高に美しい。一つ一つの音が実にきれいで繊細。細かいところまで神経が行き届いて、一つの音も無駄がない。第二楽章の美しさは言葉をなくすほど。松尾さんは、ふだん話をすると、ちょっとおっちょこちょいの関西の青年という感じの人なのだが、ひとたびギターを奏でると、一つの音も妥協しないで最高に美しい音を紡ぎだす。実に高貴。ただ、ホールが広すぎるため、繊細な音の響きをすべて聞き取ることができないのが残念。

 休憩後、「カルミナ・ブラーナ」。私の大好きな曲の一つだ。歌手たちが素晴らしい。バリトンの春日保人は柔らかくて美しい声。音程もいいし、音量も十分。私はこの人の名前をこれまで知らなかったが、すごい歌手がいるものだと思った。ソプラノのオクサーナ・ステパニュックもほれぼれするような美しい声。そして、高橋淳。これはもう独壇場というほかない。ほかのだれもまねできない世界。単に酔っ払っているというだけでなく、真っ黒に焼かれてしまう白鳥の悲哀を表現。しかも、単に悲哀というのではなく、激しい自己主張と自己卑下を織り交ぜる。ほかの人がすると浮いてしまって様にならないことも、この人は平気でやるところがすごい。合唱団も健闘。オーケストラもとても美しい。

 今回の「カルミナ・ブラーナ」は少年合唱団を加えて200名以上の大合唱団と大オーケストラによる大曲として演奏された。指揮も、運命に真正面から対決する曲としてとらえているようだ。それはそれで説得力のある解釈だと思うし、決まるところはびしりと決まって、実に壮大な演奏。だが、私は実は違和感を抱いた。

私はこの曲を、もっとこじんまりとし、もっと敏捷で、もっとユーモアがあり、もっと皮肉がきいて、もっと機動力のある曲だと思っている。中世の人の日常的な悲しみや喜びを等身大で伝える音楽だと思うのだ。大上段に運命について語るのではなく、酔っ払って羽目を外し、泣き上戸になり、春を喜び、運命を感じる。そんな曲だと思う。それを大掛かりで壮大な音楽にすると、どうしても敏捷性に欠け、各部のニュアンスが薄まる。もっと肩の力を抜いて演奏してこそ、私はこの曲本来の魅力が生まれると思うのだ。今回の演奏を聴きながら、そのような思いを禁じ得なかった。

 とはいえ、久しぶりに「カルミナ・ブラーナ」を聴けて実に良かった。この曲の素晴らしさを改めて感じた。

 なお、11月29日に私たち多摩大学樋口ゼミは、松尾俊介さんの出演するコンサートを企画している。今日は広いホールでしか聴けなかったが、11月29日には、狭い部屋ですぐ近くで松尾さんの素晴らしいギターが聴ける。

 多摩大学のコンサートの内容は以下の通りだ。関心のおありの方にはぜひおいでいただきたい。

 

 

多摩大学創立25周年記念ミニ・コンサート

出演 松尾俊介(ギター) 岸七美子(ソプラノ)

会場 多摩大学多摩キャンパス (25周年記念会館T-Studio(聖蹟桜ヶ丘、小田急・京王 永山よりバス)

日時 1129日(土) 

開場 1330分 開演14時 (約1時間)  

入場無料

 

曲目 (出演者の都合により変更されることがあります)

・ヴェルディ 歌劇「椿姫」より 「乾杯の歌」

・ダウランド come again

・平井康三郎 「びいでびいで」「親船小舟」「追分」

・アントニオ・カルロス・ジョビン 「ア・フェリシダージ」(ギターソロ)

・ヨハン・シュトラウス2世:オペレッタ「こうもり」より「侯爵様、あなたようなお方は」

・フェルナンド・ソル:「魔笛」の主題による変奏曲(ギターソロ)

・ヴェルディ 歌劇「海賊」より「あの人はまだ帰ってこない」

・ドニゼッティ 歌曲「ジプシーの女」

・武満徹 「小さな空」

 

 なお、席に限りがありますので、おいでくださる方は、以下の担当者に予約をいただけると助かります(もちろん、予約なしのご参加も歓迎です)。

 21211083rk@tama.ac.jp

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

松本美和子による日本歌曲の夕べ 変わらぬドラマティックな声

 1114日、Hakujuホールで松本美和子による日本歌曲の夕べを聴いた。ピアノは椎野伸一、筝は吉原佐知子。

松本さんの演奏はかつてずいぶん聴いたものだ。今でも覚えているのは、ヴィオレッタやジュリエッタ(「ホフマン物語」)の歌声。その美しくてドラマティックな声と可憐な容姿に魅了された記憶がある。その松本さんも73歳だとのこと。

  曲目は、歌と箏とピアノによるメドレーに始まり、新美徳英の「花に寄せて」、大恩中「しぐれに寄する抒情」、小林秀雄「落葉松」、そして、後半に、畑中良輔「八木重吉による5つの歌」、三善晃「四つの秋の歌」、別宮貞雄「淡彩抄」より。

 確かに、とこどき声がかすれるし、音程が怪しくなる。しかし、73歳というお年を考えるとまさに驚異。ドラマティックな箇所になると全盛期を思い出させるような強くハリのある声が場内に響く。いや、日本歌曲においては、ビシッと音程が合って朗々と歌うよりは、むしろ水入らずの中でしっとり歌う雰囲気のほうがよい。松本さんは、しっとりとした雰囲気とドラマティックな曲想をうまく使い分けて歌っていく。

「落葉松」という歌は初めて聴いたが、しっとりとしながらも徐々にドラマティックに盛り上がっていくとても良い曲だと思った。大恩中の「しぐれに寄する抒情」はまさに抒情の歌。何気ない表情の中に深い抒情が聞こえた。畑中良輔の歌もとても親密な空間を作り出して美しい。そして、プログラムの最後の別宮の作品は、松本さんにぴったりの歌だと思った。静かな中にドラマティックに盛り上がる。素晴らしかった。アンコールは山田耕筰「砂山」と中田喜直「おやすみなさい」。これもとてもよかった。

 ただ、私には筝の伴奏については、よく理解できなかった。もちろん、お二人の演奏そのものはとても良い。とりわけピアノの椎野さんは見事だと思った。が、ピアノとギターというよく似た音の二つの楽器で伴奏が行われ、真ん中でソプラノが歌われるのには、かなり違和感を覚えた。また、ピアノと筝の二重奏曲も、私には納得できなかった。ちょっと大げさに言うと、ギターとマンドリンの二重奏曲という感じ。楽器同士が音を補い合っていないように、私の耳には聞こえる。

 ともあれ、松本さんの声を久しぶりに聴けて満足。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

キエフ国立交響楽団 得意のチャイコフスキー

 2014年11月11日、武蔵野市民文化でキエフ国立交響楽団のコンサートを聴いた。指揮はヴォロディーミル・シレンコ。前半、「イーゴリ公」序曲とヴラジーミル・ミシュクのピアノによるラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。後半、チャイコフスキーの交響曲第4番。

 前半は少し不満だった。音がピシッと合わず、ちょっと雑な感じがする。よく知っている曲ではないので何とも言えないが、指揮も一本調子ではないかと思った。それに、ミシュクのピアノも私にはあまり魅力がわからなかった。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番は、たぶん実演で聴くは初めてだと思う。録音でも数回しか聴いたことがないだろう。ピアノ好きでもなく、ラフマニノフも好きな作曲家ではないので、ほとんどなじみのない曲。そのせいもあって、少々退屈だった。

 後半のチャイコフスキーで本領発揮。キエフなので、「ロシア」ではなく、それどころか今ロシアと対立しているウクライナなのだろうが、やはりロシア物は得意なのだろう。ロシアのオーケストラと同じように金管の威力が凄まじく、オーケストラ全体の音量が半端ではない。とてつもなく派手でエネルギッシュでスケールの大きなチャイコフスキーだった。大味といえば大味で、先日、テレビで聴いたブロムシュテット指揮、NHK交響楽団のきわめてドイツ的な抑制的で知的で躍動感あふれるチャイコフスキーの交響曲第4番とは対照的で、大掛かりでかなり大袈裟。

が、これはこれでとても説得力がある。好きな演奏ではないが、確かにこれが本場のチャイコフスキーなのだろうと思わせるだけの魅力を持っている。感情をかきたて、聴いている人に興奮をもたらす。盛り上がるところでは、私も大いに興奮した。ラ・フォル・ジュルネで聴いたリス指揮のウラル・フィルのチャイコフスキーとやはり雰囲気が似ている。

 アンコールはまったく知らない曲。ツイッターで見たら、スコリク作曲の「メロディ」だとのこと。恥ずかしながら、スコリクという名前すら聞いたことがない。あまり良い曲とも思わなかった。

 ともあれ、これだけの演奏を3000円で聴けるのはうれしい。あちこちのホールで演奏して、もっともっと多くの人にクラシック音楽の素晴らしさを伝えてほしいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ロッシーニのオペラ映像を数本見た

 あれこれと仕事があって常に忙しいといえば忙しいが、ともあれ、しばらく締め切りの迫った仕事がない。久しぶりに精神的、時間的に余裕がある。ロッシーニのオペラ映像を何本か見た。ロッシーニは実にいい。感想を簡単に記すことにする。

 

565jpg


「デメトリオとポリビオ」 
2010年 ペーザロ、ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァル

 ロッシーニの最初のオペラ。作曲したのは14歳とも18歳とも言われているらしい。いやはやモーツァルト並みの早熟の天才だと思う。14歳のころに作曲された弦楽のためのソナタも素晴らしいが、これも傑作だと思う。のちのロッシーニらしさが存分に発揮され、モーツァルトの延長でありながら、もっと生き生きとして、もっとオペラ的。天性の劇場人だと思う。

 国王どうしの争いということになっているが、要するに、生みの親と育ての親のあいだで争いが起こり、生みの親が子どもを奪うが、最後には和解するというストーリー。そこにとても魅力的な音楽が加わり、ドラマティックに展開する。

 リジンガを歌うソプラノのマリア・ホセ・モレーノが図抜けている。美しくて強靭な声でテクニックも見事。シヴェーノのヴィクトリア・ザイチェヴァ、エウメーネの中国人テノール、シー・イージェ、ポリビオのミルコ・パラッツィはかなり若手らしく、まだ少しぎこちない。が、豊かな将来性を感じさせる。指揮はコッラード・ロヴァリス。知らない曲なので、指揮の良しあしについては何も言えない。が、生き生きとしてとてもおもしろく聴かせてくれる。

 ダヴィデ・リヴェルモアの演出はかなり凝っている。「オペラ座の怪人」よろしく、オペラの登場人物はすべてオペラ座に住みつく幽霊という設定。おそらく、これらの登場人物がロッシーニのその後のオペラに出没する影のような存在だということを暗示しているのだろう。登場人物が炎を手にしているが、生気のない薄気味悪い幽霊ではなく、情熱にあふれた亡霊たちであることを示しているのだろう。

 ともあれ、とても楽しめる映像ソフトだ。まったく退屈しなかった。

 

294jpg


「シジスモンド」 
2010年 ペーザロ、ロッシーニ・オペラ・フェスティヴァル

 

指揮はミケーレ・マリオッティ。まず、序曲の気迫のこもったドラマティックな演奏に圧倒される。まさに全力投球。指揮者とオーケストラの並々ならぬ思いが伝わってくる。これは間違いなく埋もれた傑作。

愛する女性が裏切ったと信じ込まされ、その女性を死刑に処し、その後、正気を失った王シジスモンド(ダニエラ・バルチェッローナのズボン役)、実は死を免れていた女性アルディミーラ(オルガ・ペレチャツコ)、陰で陰謀をたくらむラディスラオ(アントニーノ・シラグーサ)の三つ巴の物語。音楽は素晴らしい。ロッシーニらしいというべきか、「セヴィリアの理髪師」や「チェネレントラ」に出てくるパッセージがいくつもあるが、それはそれで楽しい。演奏も最高。三人の主役の声に堪能する。

ただ、台本にはかなり問題がありそう。登場人物のほとんどがあまりに愚かで、悪漢にいいようにしてやられるばかり。真相が明らかになるのも、単に悪漢が最後に突然自白を始めたからでしかない。波乱万丈の筋書きだが、ストーリー展開に欲張りすぎて登場人物の心理も納得できない。タイトルロールも、ずっと狂気の中にいるので、せっかくバルチェッローナが歌っているにもかかわらず、本領発揮できるのは最後のほうだけ。

ダミアーノ・ミキエレット演出は、狂気を描き出す。シジスモンドの妄想の中の人物という設定なのだろうが、不気味な人々やアルディミーラの分身たちが黙役として登場。狂気から抜け出すと同時に、その人物たちも遠ざかっていく。おもしろい演出だと思うが、歌っている最中に黙役の不気味な人々に体をいじられる歌手たちには同情したくなる。

ともあれ、ストーリー的に納得できないうちにオペラが終わってしまい、せっかく素晴らしい音楽、素晴らしい演奏なのに、もったいない気がする。もう少し台本が良ければ、きっともっと感銘が高まるだろう。

 

898jpg


「オテロ」 
2012年 チューリッヒ歌劇場

 ロッシーニの「オテロ」を初めてみた。これは大変な傑作だと思う。とても魅力的な音楽が続く。ストーリーは、シェークスピアの「オセロ」ともヴェルディの「オテロ」ともずいぶん違う。確か、シェークスピアもヴェルディも、デズデモーナはオテロの妻だったと思うが、ロッシーニでは、まだ結婚していない。イヤーゴの策略によってオテロがデズデモーナを殺し、自らも死を選ぶのは共通するが、細部はかなり異なる。

 聞きこんだわけではないので何とも言えないが、私はヴェルディの「オテロ」よりも、ロッシーニのほうが好みだといえそう。ロッシーニのほうは悲劇であるにもかかわらず、もっとさっぱりしている。ウェットなところがないのがいい。私は音楽に限らず、文学も映画もウェットなものが大嫌い(例えば、今や国民の愛唱歌となっている「故郷」など、あまりにじめったくて怖気を覚えるほど嫌いだ!)なのだが、ロッシーニはその対極にある。デズデモーナがあきらめの境地で歌う「柳の歌」もロッシーニの手にかかると、技巧的でドラマティックになる。ヴェルディのデズデモーナほどには感情移入できないところが実に私好み。

 歌手たちは最高度にそろっている。全員が素晴らしいが、やはりデズデモーナのチェチーリア・バルトリがとりわけ圧倒的。太くて生き生きとした声の威力。そのほか、オテロのジョン・オズボーンも容姿を含めて見事。エルミーロのペーター・カールマンも風格があり、ロドリーゴのハビエル・カマレナも勢いのある美声。イヤーゴのエドガルド・ロシャは実に嫌味な役を強い声で歌いきる。エミーリアのリリアーナ・ニキテアヌも清純でいい。すべて最高レベル。後半の、オテロとロドリーゴ、オテロとイヤーゴのテノール同士の二重唱、そして、オテロによるデズデモーナ殺戮の場面は最高に聴きごたえがある。

 ムハイ・タンの指揮する古楽器アンサンブルであるラ・シンティッラ管弦楽団もとても生き生きとしていて文句なし。現代に時代を移した演出(モーシェ・レイザとパトリス・コリエ)も、まったく違和感がなく楽しめた。

 

861jpg


「なりゆき泥棒」  シュヴェツィンゲン宮殿内ロココ劇場(シュヴェツィンゲン音楽祭、シュトゥットガルト放送交響楽団

 

 勘違いあり、人違いあり、なりすましあり、服の取り換えありの実に楽しいオペラ・ブッファ。

 ただし、92年の録画だけに、画像ももちろん、演奏様式も少し現在のロッシーニ演奏と異なるように思う。指揮はジャン・ルイージ・ジェルメッティで、生き生きとして溌剌。とても良いのだが、最近のロッシーニほどの躍動感はないし、歌手たちも、現在からみるとやや遠慮がちに聞こえる。

 歌手に図抜けた人はいないが、全体的にそろっている。その中では、ドン・エウサリオを歌うステュアート・ケイルとエルネスティーナを歌うモニカ・バチェッリがとても躍動感のある歌を聴かせてくれる。マルティノを歌うアレッサンドロ・コルベッリは実に芸達者。ロバート・ギャンビルはちょっと不安定。不調だったのかもしれない。私はこの人の歌うワーグナーを何度か聞いたことがあるが、ワーグナーのほうが私にはずっといい。

 ミヒャエル・ハンペの演出はかなりおとなしめで伝統的。台本通りの服装で、ストーリーも特にいじっていない。

 

708jpg


「チェネレントラ」グラインドボーン歌劇場、ピーター・ホール演出、ウラディーミル・ユロフスキ指揮

 

ピーター・ホールの演出。舞台そのものが美術品のように格調高く美しい。チェネレントラをうたうのはルクサンドラ・ドノーセ。歌もさることながら、演技が素晴らしい。容姿も魅力的。ドン・カミロ役のマキシム・ミロノフは、容姿はまさに王子然としているが、歌は少し弱い。とはいえ、もちろん不満ということはない。十分に楽しめる。ドン・マニフィコのルチアーノ・ディ・パスクワーレ、ダンディーニのシモーネ・アルベルギーニは芸達者で、実に楽しい。ユロフスキの指揮もメリハリがあり、リズム感にあふれている。ただ、ロッシーニ特有のワクワク感はちょっと乏しいように思う。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

クロエ・ハンスリップ 無伴奏ヴァイオリン・リサイタルの超絶技巧

 117日、武蔵野市民文化会館で、クロエ・ハンスリップ無伴奏ヴァイオリン・リサイタルを聴いた。とてもよかった。

 ハンスリップは25歳の、どちらかというと小柄な女性。ナクソス・レーベルからすでに多くのCDをリリースしているとのこと。私は名前も知らなかった。

ものすごい技巧でバリバリと弾く。曲目は、前半にバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第一番と、タヴナーという20世紀のイギリスの作曲家「ヴァイオリンとテープのための『私はいつでもあなたを見つめている』」。元気なバッハだった。素晴らしいとはいえるが、ちょっと元気すぎる。タヴナーの曲は、録音したヴァイオリンとの二重奏曲といったところ。ただ、現代曲を特に好んで聞くわけではない私としては、なんだかわからない曲だった。

後半は、プロコフィエフとバルトークの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ。これもバリバリと弾きこなす。とりわけ、バルトークの曲では超絶技巧が強調されて演奏された。現代曲を得意とする人らしく、実に小気味いい。曲の中に思想をこめようとするよりも、バリバリと弾いて、音響世界を構築しようとするタイプだと思う。そこに爽快感があり、音の構築そのものの楽しさがある。

が、私としては、少し物足りない気がしないでもない。バルトークの無伴奏ソナタは、かつて戸田弥生さんの演奏で聴いた。戸田さんは、ハンスリップのようにバリバリと弾きこなすわけではない。だが、そこにバルトークの思いがこもる。あまりに重くて、聴いていて辛くなるような思いだが、そこに凄みがある。が、ハンスリップの音楽にはそのような魂の奥底を揺り動かすような凄みがない。もちろん、好みの問題ではあるが。

アンコールは、ツイッターによれば、プラキディス「ツー・グラスホッパーズ・ダンス」とパガニーニのカプリース第24番。カプリースは、この難曲をいともたやすく弾きこなし、音そのものの世界と作り上げる。それはそれで素晴らしい。

 ともあれ、満足。様々なタイプの音楽を聴くことができて、こんな幸せなことはない。

 

| | コメント (6) | トラックバック (0)

ユンディ・リのベートーヴェン クールな情熱に感動

 11月4日、武蔵野市民文化会館でユンディ・リのリサイタルを聴いた。

 リのピアノを聴くのは、実は録音も含めて初めて。私はあまりピアノを聴かないのだが、武蔵野でやってくれるのなら聴いてみようと思った次第。

 前半にベートーヴェンの「月光」と「悲愴」。後半にショパンのノクターンの第1・2番、そのあとベートーヴェンの「熱情」。超有名曲集。素晴らしかった。感動した。

 気張ることなく自然体でさりげなく弾き始める。曲と曲の合間もほとんどとらない。ベートーヴェンも誇張することなく、さらさらと演奏していく。しかし、一つ一つの音に芯があり、輝きがある。だから、心の奥底に響く。音はあくまでもクール。情熱を表に出すようなことはしない。形も崩れない。しかし、そうでありながら盛り上がっていく。クールな情熱とでもいうか。不思議な魅力だと思う。

 ショパンも過度にロマンティックではない。抑制され、これもかなりクール。テンポも動かさないし、思い入れもない。だが、一つ一つの音に歌があるので、実に心地よい。こういうショパンなら、私は大好きだ。

「熱情」はとりわけ圧巻だった。透明で鋭くて強靭な美音が響き渡る。情緒に訴えるというよりも、もっと奥深くに訴えてくる。技術は完璧、構築性も文句なし。鮮烈でヴィヴィッドで芯の強いベートーヴェン。

 ピアノに疎い私は、単に外見による先入観で、ユンディ・リというのは、もっと華やかで外面的な演奏をするのかと思っていた。が、とんでもない。きわめて内面的で知的な演奏をする人のようだ。

 アンコールは、twitterで見たら、任光/王建中編「彩雲追月」と青海民謡/張朝編「遥か遠くのそのまた彼方」、そして最後がリスト「タランテラ」。リストがすごかった。超絶技巧の曲をあっさりと、これもクールに弾きこなす。完璧な技巧で、十分に華やかなのだが、それにも増して、研ぎ澄まされた精神世界が描き出される。決して外面的なだけの華やかさではない。圧倒された。

 ピアノのソロ曲を避けていた私も、このような演奏を聴くと、ピアノ音楽の虜になりそう・・・

| | コメント (2) | トラックバック (0)

多摩管弦楽団、そしてMETライブビューイングの「マクベス」

113日、パルテノン多摩、大ホールで多摩市に拠点を置くアマチュア・オーケストラ、多摩管弦楽団の第39回定期演奏会を聴いた。

 曲目は、前半にヨハン・シュトラウスII 世の「ジプシー男爵」序曲、ワルツ「南国のバラ」、ポルカ「雷鳴と稲妻」、皇帝円舞曲、後半にブラームスの交響曲第2番 。指揮は高橋俊之。

なかなかの力演。もちろんアマチュアだから限界はある。音程が良くないし、金管楽器はしばしば音を外すので、どうしても音が濁る。が、弦はとても綺麗だし、木管楽器も数人とてもみごとな腕前の人がいる。指揮の高橋さんはメンバーの力量を知って、無理のない範囲で音楽を作る。制約の中で、じっくりと丁寧にスケールの大きな音楽を作る。縦の線はしっかりそろい、盛り上がるところは盛り上がる。しばしば感動的なところがあった。日本のアマチュア・オーケストラの実力を改めて実感。

 都内で片付けたい用があったので、ブラームスが終わったところでホールを出た。

 所要を済ませた後、東銀座に移動して、東劇でMETライブビューイング、「マクベス」を見た。今シーズン最初の演目だ。

 メトロポリタン・オペラの実力はすさまじい。今回もまさしく世界最高の舞台。

 歌手たちは現在これ以上は考えられないほどの豪華なメンバー。とりわけ、マクベス夫人を歌うアンナ・ネトレプコが言葉をなくすような凄さ。私の大好きな歌手だが、かつてのリリックな声ではなく、ドラマティックな声。悪女になりきり、激しい気性で歌いまくる。そして、その声が強靭で美しく、狂気がこもっている。すべてのアリア、すべての重唱が圧倒的。舞台の奥に向かって歌う場面が何度かあったが、かつてNHKホールでネトレプコの歌うヴィオレッタを聴いた経験からして、おそらくそれでも完璧に客席にまで声が届いているのだろう。

 マクベスを歌うのはジェリコ・ルチッチ。歌については、歴代のマクベス歌いを凌駕するほどではないと思うが、その演技力と風貌はまさしくマクベス。素晴らしい。バンクォーを歌うルネ・パーペもネトレプコ並みにドラマティックで声の威力が圧倒的。マクダフを歌ジョセフカレーヤも実に美声。声の競演に酔った。

 しかし、私がそれ以上に驚嘆したのが指揮のファビオ・ルイージだった。ヴェルディ初期の、親しみやすいアリアの少ないこのオペラを、まるで表現主義オペラのように緊迫感にあふれ、凝縮した、いわば狂気のオペラにしていた。冒頭の音からして、これまで演奏されてきたどの指揮者とも違って、悪魔性のこもった鋭利な音だった。常に押しっぱなしなので、はじめのうちは一本調子に感じたが、これで全体を通すと、それはそれで異様な世界が現出する。確かに「マクベス」は狂気のオペラだということを再認識。

 エイドリアン・ノーブルの演出は20世紀に舞台を移して、現代に通じる権力者のあり方を描こうとしているが、まったく違和感はないし、大いに楽しむことができる。

 ともあれ大満足。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「悪童日記」「グレート・ビューティ」など

・「悪童日記」

 アゴタ・クリストフ原作の小説をヤーノシュ・サース監督が映画化したもの。私の記憶が確かなら、かなり忠実な映画化だと思う。

 原作は翻訳された直後に読んで圧倒された記憶がある。あまりに凄まじい世界が淡々とした筆致で描かれる。そのあと、三部作をすべて読んで、次々と前作が否定されていくのには目くるめく思いに駆られたものだ。まさかこれが映画化されるとは思わなかった。これほど映画化しにくい作品はないだろうと感じていた。

 実際に映画を見て、見事に映画化されているのに驚いた。とりわけ双子の少年たちについては、原作を読んで想像していた以上にそのままのふたりであることに驚く。よくぞ、このような双子が現実にいたものだ。原作の凄まじい世界がそのまま映像として展開され、原作の衝撃が再現される。

 映像化されて、いくつか驚いた点がある。私が狭い日本で暮らす人間であるというところに起因しているのだろうが、祖母の家があれほど大きな敷地にあることは予想していなかった。そのほか、もろもろの点で映像化されて初めて、「ああ、なるほど、こういう風景だったのか!」と納得できた。やはり、日本人は、ヨーロッパの小説を読んでいてさえ、日本で見慣れた光景に置き換えて想像してしまうことを改めて思い知った。

 それにしても、人間性の虚偽をすべてはがしたうえで残ったぎりぎりの生命を見据えようとするクリストフの姿勢に圧倒される。祖国に捨てられた、親に捨てられた、世界に捨てられたという認識の上で、自分を捨てた祖国にも親にも世界にも甘えずに、手探りで自分の信じられるものをつかみ取ろうとする双子の生き方は、クリストフ自身のものでもあっただろう。私が双子の生き方に共感するのはそのような精神世界だ。だから、二人の冷酷で残忍な行動にも共感する。日本で生きる私にはこのような世界は縁遠いが、これが一つの人間の姿だろうと思う。それを輪郭のはっきりした言葉で描くクリストフ(一応、フランス語の原作を少し読んでみた)の文学の凄みと、そこからあふれ出してくる独特の詩情を、この映画は鮮烈な映像に置き換えて描いている。登場人物の表情や風景に、原作の言葉と同じような輪郭の明確さと世界に対する挑戦的な姿勢を感じる。

 ともあれ、衝撃的な映画。多くの人に見てほしいものだ。

 

・「グレート・ビューティ」

 パオロ・ソレンティーノ監督のイタリア映画。

 ヨーロッパの映画になじんだ人間であれば、だれもがフェリーニの映画を思い起こすだろう。とりわけ、全編にわたって「甘い生活」を彷彿とさせる。主演のジェップを演じるトニ・セルヴィッロもマルチェッロ・マストロヤンニの軽妙な演技を思い出させる。

 ストーリーを簡単にまとめると。40年以上にわたって筆を折って、軽薄なローマの上流社会で遊びまわっていた65歳のジェップが、何人もの死に出会い、新たな経験をするうち、再び書く意欲を取り戻す・・・ということになるだろうか。

 だが、そのようなストーリー以上に、フェリーニばりの映像美、軽薄で退廃的な上流の人々の乱痴気騒ぎ、垣間見える宗教的な思いが魅力的。映像に魅惑され、主人公とともに、どうしようもなく軽薄であり、ときに醜悪でもありグロテスクでもありながらも、やはり愛すべき人間たちの行動の描き方に魅惑される。すべてが無意味。人は死に、すべてに空虚が訪れる。その中で人々は自分のむなしい生活を営んでいく。人を愛し、失恋し、おかしなものにこだわり、嘘をつき、ごまかし、自己主張して生きていく。時折、懸命に、そして素直に純粋に生きている人の姿が見える。そういう作りに心を動かされ、ほろりとし、うきうきする。

 退廃的で享楽的な生き方とは正反対にいる人間として、禁欲的な聖女が描かれるが、それもいかにも胡散臭い。映画の中でも語られる通り、「すべてがトリック」。シェークスピアは「すべてが喜劇」だが、ここでは「すべてがトリック」。怪しげで、うそくさく、ごまかしにあふれているが、そうであるが故にその胡散臭さの中に真実がある。そのような世界観が映像からあふれ出る。

 

・「アメリ」

 かつてBSで放送されているのを見て、とてもおもしろいと思った。それどころか、久しぶりのフランス映画の傑作だと思った。夏に娘とパリを訪れた際、「アメリ」好きの娘につきあってサクレ・クールや映画の舞台になったカフェを訪れた。娘がクレーム・ブリュレを食べるのを見ていた(私は満腹だった)。ところが、娘と話すうち、映画の細かい部分を忘れてしまっていることに思い当たって、改めて見直してみた。

 やはりとてもおもしろい。現実と虚構の距離の取り方が絶妙。監督はジャン・ピエール・ジュネ。ハリウッド映画はあまりにうそくさい。もはや、意識的な映画作家はハリウッド映画風に映画を作ることはできない。そこで逆手にとって、もっと虚構にあふれ、空想的な映画にしたのがこの映画だろう。そして、それを自然にするために、主人公に空想癖のあるエキセントリックな女性という設定にした。しかも主演のオドレイ・トトゥが実にいい。そうして、美しい映像のちょっとしたおとぎ話が出来上がった。私はストーリーの面白さ、一つ一つのエピソードのセンスの良さ、そして色遣いの素晴らしさに酔う。

 ジュネ監督の新作がもうすぐ公開されるらしい。楽しみだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2014年10月 | トップページ | 2014年12月 »