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最近見たオペラ映像 日田でのことなど




 このところ、大分県日田市と東京の間を何度も往復している。

 12月中旬に両親が東京の施設に入ることを決意してからこれまで、私だけで5回、家族を合わせると合計10回往復していることになる。移動に半日、費用もそれなりにかかるので、肉体的にも経済的にも、これはなかなかつらい。

 1月27日の午前中に日田に向かい、一昨日の29日、大学の仕事のためにいったん東京に戻った。母の病気のためにいくつもの学務を免除してもらったので、今回こそはきちんと参加しようと思っていたが、大学に問い合わせてみると、これも免除されていた。おかげで2日間、ゆっくり休んだ。明日また日田に向かう。

 この2日間に、買いためていたオペラ映像を2本見た。感想を書いておく。

 

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ベッリーニ 「テンダのベアトリーチェ」 チューリヒ歌劇場 2001年

 これはまさしく稀代のコロラトゥーラ歌手エディタ・グルベローヴァを鑑賞するための映像。フィリッポ役のミヒャエル・ヴォッレ(私はこれまでフォレと表記してきたと思う)の悪役ぶりも素晴らしいし、アニェーゼ役のステファニア・カルーザの声も色香も十分(私もかなり年齢を重ねて、この年代の女性を心から色っぽくて美しいと思えるようになった!)、オロンベッロ役のラウル・エルナンデスも誠実な歌いぶりがとてもいい。なんとレベルの高い映像だと思ってみていたが、ヒロイン役のグルベローヴァが登場して、これはもう別次元としかいいようのない歌唱になる。なんという美しい声、なんという声の張り。なんというテクニック。あまりの素晴らしさに呆然としてしまう。実演で聴くと、どんな凄いことか。

 私は三度ほどグルベローヴァの実演を聴いたが、広いホール全体に響き渡る声に魂が震えたのを覚えている。もっと聴いておけばよかった。

 指揮はマルチェッロ・ヴィオッティ。私はずっとイタリアオペラになじまなかったので、死後になってこの人の演奏を知ることになった。

「テンダのベアトリーチェ」の映像は初めて見た(CDは25枚組のベッリーニ・オペラ全集で聴いた)。ありがちな物語だが、とてもおもしろい。ベッリーニの音楽の毅然として高潔で悲劇的な世界を存分に味わうことができる。あまりに簡素なオーケストレーションにワーグナー好きからすると、かなりの違和感を覚えるが、それを言っても仕方がなかろう。

 

 

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ワーグナー「さまよえるオランダ人」
2013年 チューリッヒ歌劇場

  オランダ人を歌うのはブリン・ターフェル。素晴らしい。とはいえ、この人が歌うとこの上なく人間臭くなって、デモーニッシュなところが薄れるのが、私としては少し不満。ゼンタを歌うアニヤ・カンペは文句なく素晴らしい。美声で声量もたっぷり。容姿もいい。ファンになりそう…。なんとマッティ・サルミネンがダーラントを歌っている。1980年代からのバイロイトの常連なので、もしかするともう70歳を超えているのではないか。かつての声の威力は失われているが、堂々たるダーラント。エリックを歌うマルコ・イェンチュはちょっと硬いがなかなかの美声。

アラン・アルティノグルの指揮ぶりは、あまりワーグナーらしくない。あえてそうしているのだろうが、スケールが小さく、あれこれいじりすぎる気がする。が、「オランダ人」だから、まあこれでいいとはいえるだろう。

この映像で何よりも驚くのはアンドレアス・ホモキの演出。ダーラントや水夫たち、糸紡ぎの娘たちはおそろいのスーツに眼鏡をかけたまさしくビジネス実務者。後ろにアフリカの地図がある。真面目に仕事に励んで帝国主義的伸長を支えた北海を牛耳る貿易会社の社員ということだろう。第二幕で水夫(実際にはビジネスマンの服装をしている)がアフリカ系の男を襲う場面がある。ゼンタはそうした狭苦しい世界になじむことができずにスーツを脱ぎ捨てる。オランダ人はそうした時代に反して野人として生きる存在。ゼンタはそのようなオランダ人に惹かれ、オランダ人の後を追おうとするが、幕切れでオランダ人が見つからず、エリックの手にしていた銃で自殺する。まさに衝撃のラスト! もちろん救済のテーマは演奏されない。

要するに、ホモキはこの「さまよえるオランダ人」によって貿易によって帝国主義的に侵略していった19世紀の実務家たちを批判し、オランダ人に象徴されるような野人性を失ってしまった現代への失望を描いているといえるだろう。

なかなか面白いとは思うが、ワーグナーの中にこのような思想の片鱗さえもあるとは思えない。ただ単に、ダーラントが北海を舞台に活動する船の船長であり、お金に執着する人間として描かれていることに想を得ただけに思える。私の好きな演出ではない。

 

 なお、ここ数日に私の身に起こったいくつかのことを書き記しておく。

・先ほど書いた通り、あまりに旅費がかさむので、節約の意味で、1月27日は成田発のLCC、ジェットスターを利用して福岡に行った(日田に行くには、福岡空港からバスを利用する)。片道8000円。早朝の時間帯だと5000円台。圧倒的に安い。ずっと前から一度乗ってみたいと思っていたので、良い機会だった。実際に乗ってみて、とても快適だった。バスで飛行機まで行き、タラップで乗り込むが、昔はどこもこうだった。機内サービスが何もないのも気楽で悪くない。また利用したい。

 

・母の入院した日田市の病院はインフルエンザが流行しているために入院患者との面会が禁止になっていたが、27日に私が病院に行くと、看護師さんが気をきかせて母を救急病室の外に車椅子で連れ出してくれた。母は二度ほど絶望と思われたのだったが、意識は戻り、話ができる状態になっていた。ただ、治療を受けている間、悪夢の中にいたためか、それとも別の要因があるのか、記憶が飛んでいたり、思い違いをしていたりするし、もちろん、元気がない。

 女学校時代に使っていた英語教科書を見せた。それがかつて使った教科書だとはすぐにわかって明るい声を挙げて懐かしがって英文に目を凝らしていたが、まだ英語を読む状態にはないらしい。「見てもわからん」ということで、戻された。もっと後でまた見せてみようと思う。

 ともあれ、10日前からするとまさしく奇跡的な回復ぶりに満足することした。

主治医のY先生によると、今、容体が安定しつつあるので、退院してそのまま東京に移動するのがよい、これを逸すると今後も東京にはいけなくなる恐れがあるとのことだった。移動に危険がなくもないが、それはもっと後でも同じことだという。Y先生の勧めに従うことにした。

 

・27日、28日は一時的に日田の高齢者施設に入っている父を手伝い、東京への移動の準備。当初、1月13日に移動する予定だったのですでにほとんどは梱包しているが、一度開いたものも多く、新たに東京に運ぶことにしたものもある。あれこれと慣れない仕事があって大混乱。日田には私のいとこたちが何人もいて手伝ってくれる。感謝。

・29日、午前中にあれこれの準備。午後、帰途に。

博多駅に行く必要があったので、午後の「ゆふ号」自由席を購入。数年前までの常識で、席はがらがらかと思っていたら、ぎっしり混んでいて座れなかった。客のほとんどが韓国からの観光客らしい。大きな荷物を持ち、韓国語でしゃべり、ハングル文字のお菓子を食べ、ハングル文字のゲームをしている。湯布院の帰りのようだ。湯布院は海外への売込みに成功している。日本の各地がこうなることを政府は目指しているのだろう。ともあれ、ありがたいことだ。

私が子どものころは湯布院も日田も、知名度に差はなかった。今では、湯布院はブランド化に成功して日本中のだれもが知る存在になり、それに引き換え、日田はごく一部の知る人のみ知る存在になっている。韓国の観光客たちは列車が日田についているのに、外を見ようともせず、おしゃべりしたり居眠りしたり。日田を故郷に持つ人間としてはちょっと寂しい。

久留米でも席が空かなかったので、いったん降りて、快速電車で博多まで行った。駅で用を済ませて、帰りはJALを利用。

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METライブビューイング「セヴィリアの理髪師」 ロッシーニを堪能

東銀座の東劇でMETライブビューイング「セヴィリアの理髪師」を見た。期待通り、大変楽しかった。ロッシーニを堪能した。

 とりわけロジーナを歌うイザベル・レナードが素晴らしい。歌唱はもちろん、容姿も演技も申し分ない。さすがMET。独唱もさることながら重唱部分も張りがあり、リズム感があり、ワクワク感がある。フィガロを歌ったクリストファー・モルトマンも美声で張りがあり、演技もおもしろい。フィガロらしい遊び心を存分に見せている。バルトロのマウリツィオ・ムラーロもバジリオのパータ・ブルチュラーゼも芸達者で歌も見事。ブルチュラーゼは「陰口はそよ風のように」でほんの少しだが声が割れたのが残念。とはいえ、本番ではこのくらいの事故はやむを得ない。

 私はアルマヴィーヴァ伯爵を歌ったローレンス・ブラウンリーの声については好きではない。こもっているように聞こえるし、不安定に聞こえる。大喝采を浴びていたので、きっとこれは私の個人的な趣味の問題だろう。

 指揮はミケーレ・マリオッティ。実演を聴いたことはないが、DVDなどではおなじみ。張りがあって盛り上がりが見事。バートレット・シャーの演出は、「扉」を多用していて、とてもおもしろかった。なるほど、いわれてみれば、のオペラには「扉」がキーワードになっている。ロジーナを閉じ込めている扉、ロジーナが自由になるために開こうとする扉。そうした扉を美しく描きだしていた。

 何はともあれ、METは凄い。

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新国立劇場「さまよえるオランダ人」 第三幕で魂が震えた

2015125日、新国立劇場で「さまよえるオランダ人」を見た。第三幕では魂が震えた。

 とはいえ、実は第一幕はちょっと退屈だった。オランダ人(トーマス・ヨハネス・マイヤー)とダーラント(ラファウ・シヴェク)の場面。もう少し声の迫力がほしいと思った。マイヤーは堂にいった歌いっぷりだが、シヴェクの声がやや不安定。演出的にも、あまりにオーソドックスで、何事も起こらない。

 第二幕になってドラマが増してきた。ゼンタを歌ったカルダ・メルベートが圧倒的。バラードの部分は少し抑え気味だったが、第三幕は美しく強靭な声で激情に響き渡った。もしかしたら、イゾルデもジークリンデも、いやことによるとブリュンヒルデだって歌えるのではなかろうか。期待したい。エリックのダニエル・キルヒはとても抒情的できれいな声。ただ、ちょっとオーケストラと合わない個所があるのを感じた。

 日本人歌手で参加しているのは、マリーの竹本節子と舵手の望月哲也。いずれも、主役陣にまったく引けを取らない。

 演出に関しては、かなりオーソドックス。おもしろかったのは、幽霊船の舵の円形と第二幕の糸車が相似形にされて強調されること。ぐるぐると回転する「永遠」を象徴しているのだろう。なるほど、このオペラの中心的なテーマは「永遠」だということを改めて考えさせられた。終演後、このことについて少し考えたが、今回は面倒なので書かない。

 飯守泰次郎の指揮は、まさしくワーグナーの本道を行くもの。小細工をするのではなく、じっくりとうねり、じわりじわりと巨大な世界を作っていく。ただ、正直言って、まだこのオペラはワーグナーの世界を築くに至っていないので、もう少し小細工をしてもよいのではないかと思った。しかし、それをしないのが、マエストロもマエストロたるゆえんだろうと思う。東京交響楽団については荒さを感じた。とりわけ、金管楽器で音がゆがむことが何度かあった。三澤さんの指揮する合唱は素晴らしいの一言。オーケストラの弱さを十分に補っていた。

 第一幕の後に休憩が入った。休憩なしだろうと覚悟していたのだが、張り紙を見て安堵。新国立劇場の椅子は尻が痛くなる。2時間半以上ぶっ続けでここに座るのはかなり辛い。とはいえ、来季の「ラインの黄金」(大変楽しみにしている!)はさすがに休憩入りというわけにはいかないので、我慢するしかない。

 ワーグナーの実演に接するごとに思う。やはりワーグナーは別格だ。最後には必ず魂が震える。このごろ、オペラといえばロッシーニばかりを聴いていたが、やはり私は「ワグネリアン」なんだと改めて思った。

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神奈川フィル+ゲッツェルのブルックナー9番

2015124日、横浜みなとみらいホールで神奈川フィル定期演奏会を聴いた。

久しぶりのコンサート。母の具合が悪くなってから、音楽どころではなかったが、容体も安定したようで、やっとコンサートに出かける気分になった。とはいえ、やはりなかなか雑念を振り払えなかった。

指揮はサッシャ・ゲッツェル、前半はコルンゴルトの組曲「シュトラウシアーナ」とソプラノのチーデム・ソヤルスランが加わって、リヒャルト・シュトラウスの「四つの最後の歌」。後半にブルックナーの交響曲第9番。後期ロマン派の作曲家たちの最後の曲を集めたコンサートということだろう。「四つの最後の歌」とブルックナーの第9番は大好きな曲だ。

シュトラウシアーナ」はヨハン・シュトラウスを模した曲。後期ロマン派風なので、ときどきリヒャルト・シュトラウス風になるところがおもしろい。

 ソヤルスランはかなり若くて、かなりきれいな女性。美しい声と正確な音程でしっかりと歌う。誇張することなく、実に清潔に歌う。声の威力で聴かせるのではなく、微妙な歌い回しで聴かせるタイプ。私としてはかなり好きなタイプの歌手だ。ただ、誇張しないだけに、死を間近にした諦観という雰囲気は伝わってこない。もう少し狭いホールで聴くほうがこの人の歌の魅力が伝わるだろうと思った。

ゲッツェルという指揮者の意図なのか、神奈川フィルの持ち味なのかわからないが、あまり感情移入をしていないように聞こえる。「眠りにつきとき」の石田泰尚さんのソロも、情緒纏綿としたところがなく、むしろもっとさっぱりした抒情。私の好きなタイプだ。

ブルックナーもとてもおもしろかった。時々感動に震えた。久しぶりのブルックナー。10年ほど前までブルックナーのCDばかり聴いていたが、このごろは歳のせいか、ブルックナーのCDを家で聴くことはほとんどなくなった。コンサートも実に久しぶり。

それにしても、盛り上げ方が一種独特で実に心地よい。オーケストラ全体が盛り上がり、間違いなく私の考えるブルックナーの音がする。宗教的な雰囲気はないが、ブルックナー特有の深みがある。ただ、全体の統一感という面で私は少し疑問を覚えた。とはいえ、やはりどうしてもブルックナーのような長い曲になると、現在の私の心配事の多い状況では集中力が途切れる。そのせいで統一感を感じられなかったのかもしれない。

残念だったのは、空席が目立ったこと。もっと客席も一体となって盛り上がれば、もっと感動しただろう。

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昭和10年代の英語教科書が手に入った そして母のこと

 先日、このブログに、昭和2年生まれの母が女学校時代に使った英語教科書について書いた。母は、今もいくつかの文章を暗誦し、もう一度この教科書を見てみたいと熱望していた。そのため、どなたか心当たりはないかと考えて、ブログに記したのだった。

 多摩大学図書室の方々、教科書図書館の方々、そして本ブログを読まれて個人的に連絡をくださった方々の情報によって、その教科書がTSUDA ENGLISH READERS 1 だったことが判明。しかも、それを販売している古書店もわかって、現在、私の手元に現物が届いた。古びてはいるが、昭和初期のものとは思えないきれいな状態で保存されている。情報を下さった方々に感謝するばかりだ。

 ただし、中身を見てみると、母が暗誦していた文章とは少し異なる。母はまったくとぎれずに、I get up at 6 o’clock. I wash my face and hands. I go to my father and mother, and say “ good morning”と暗誦したが、教科書では以下のようになっている。

 Bessie gets up at half past six 6 o’clock every morning. She puts on her clothes quickly. She cleans her teeth. She washes her face and hands with soap and water. She combs her hair with a comb. She goes to her parents and say  ”Good morning ,Mother.”…

 

 母の記憶と少しずつ違うのはどういうことだろう。別ヴァージョンの教科書があったのか。あるいは、当時の先生が、教科書の文章をもとに、各生徒の事情に合わせて一人称で一人一人に作文させ、それを覚えさせたのか。

 この教科書を母に見せて、この点をきいてみたいところだ。母はともあれ、この教科書をみたら大喜びするだろう。

 ・・・ただ、残念ながら、母は現在、まだそれを見る状況にはない。

 両親は1月13日に大分県日田市を離れて、東京のサービス付き老人向け住宅に入居する予定だった。が、移動日前日の12日、荷物の発送が終わった後、親族全員が重症ではないと信じていた母の容体が急変して意識をなくした。救急車を呼び、病院に同行したのは私だった。

 二度の危機的状態が訪れた。一時は絶望と思われた。私は仕事のために東京に戻っていたが、一昨日、覚悟を決めて日田に赴いた。幸い、大きなリスクを覚悟で行った治療が効果を挙げて、危機を乗り越え、数値も改善されていたので安堵した。そのとき面会して、入手したばかりの英語の教科書を見せたが、反応はなかった。快方に向かっているとはいえ、まだ会話できる状態ではない。

 母は快方に向かっている。私はそう信じている。母が一日も早くしっかりとした意識を取り戻し、教科書を見てなつかしみ、かつて口癖のように言っていた通りに、もう一度英語を勉強する気持ちになってくれるように天に祈るばかりだ。

 このような私的なことをブログに書くのをためらったが、昭和10年代の英語教科書についての報告をしたかった。そして、ここ10日間、私の生活の中心をなしていることをここに書かなければ、私の人生が先に進まず、この後のブログの文章も私の本心を反映するものでなくなってしまうような気がした。そこであえて書くことにした。

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大分オペラフェスティバル「フィガロの結婚」は見事だった

 様々な事情があって、大分県に来ている。

が、ともあれ本日は大分オペラフェスティバルの第一弾「フィガロの結婚」をiichiko総合文化センターiichikoグランシアタで楽しんだ。

 主催するのは、大分県立芸術短期大学と文化庁。大分二期会が協力。東京二期会理事長でもある大分県立芸術短期大学の中山欣吾学長の尽力で実現した大掛かりな事業だ。中山さんは私の高校の大先輩であり、以前から親しくさせていただいている。私の故郷である大分県、そして私が小学校5年生から高校3年生まで過ごした大分市でこのような本格的なこのフェスティバルが行われることは実にめでたい。心から応援したい。以前から中山さんにこのフェスティバルの話を聞いて、ぜひとも足を運びたいと思っていた。

 全体的に、とてもレベルの高い上演だった。多少、不安定なところや、こわごわ演じているところを感じないでもないが、このレベルの「フィガロの結婚」が地方都市で上演されるはきわめて稀だと間違いなく言えるだろう。

 歌手陣は若手中心。全員が大健闘。私はとりわけ、女声陣が気にいった。伯爵夫人の上田雅美はとてもきれいな声でしみじみとした情感が見事。スザンナの小林朋代は第一幕では少し不安定だったが、第二幕では自在に歌う感じで持ち味を発揮。ケルビーノの中川美和も可愛らしい雰囲気を出してとてもいい。そして、マルチェリーナの石井藍も安定したきれいなアルト。男声陣では伯爵の馬場眞二が迫力のある声。バルトロの河野鉄平もしっかりした声で不思議な雰囲気を出していた。フィガロ役の安藤常光は懸命に歌って演技しているのが伝わりすぎて、フィガロらしいユーモアやゆとりが不足しているのが気になった。

 何よりもよかったのは、オーケストラ。大分芸術短大の学生やOBを中心としたメンバーだというが、きれいな切れの良い音で、しかもワクワク感が十分にある。指揮は大分芸術短大准教授の森口真司。指揮についても、もっと思い切りよく鳴らすところがあってもよいように思ったが、しっかりとまとめている。

 飯塚励生による演出は簡素な舞台によるオーソドックスなもの。様々な障害をクリアするためにこのような演出にしたのだと思う。とても美しく、わかりやすい。ただ、第一幕で笑いが不発だったのが惜しまれる。

 東京のオペラの客に比べて年齢層が圧倒的に若いのに驚いた。小学生や中学生も見かけた。若者もかなりいた。販売担当者がいかに苦労したかがしのばれる。初めてこのオペラを見る人が大多数のようで、まさにプリミティブな反応が多かったが、私としては初々しくてうれしかった。日本中のクラシック公演がこのように若い人の集まる場であったら、どんなにいいだろう。

 大分で「フィガロの結婚」公演を見るのは、私としては実に感慨深い。

 今から半世紀近く前の1968年、大分県民オペラが始まり、その第一回目に「フィガロの結婚」が上演されたのだった。

 大分県は、滝廉太郎が育った土地であり、日本のオペラ界をリードした中山悌一、藤原義江の故郷(つまりは、日本の二つの大きなオペラ組織である二期会と藤原歌劇団の両方とも、その中心的な創設メンバーが大分県関係者だった)でもあって、保守的な風土のわりにクラシック音楽の土壌がある。「県民オペラ」が行われたのも大分が最初だった。大分県民オペラは、その後、清水脩作曲の「吉四六昇天」という名作オペラを誕生させ、今も続いている。大分県の誇りの一つだと思っている。

1968年の大分県民オペラ公演でフィガロを歌ったのは、当時の日本のオペラ界の大スターで、紅白歌合戦にも出演するほど一般的な人気も高かった立川澄人(のちに立川清登と改名。大分市の出身で、私の小学校・中学校の大先輩にもあたる)で、それ以外は大分県在住のアマチュアの歌手たちだった。オーケストラは大分交響楽団というアマチュア・オーケストラ。

 そのころ、私は高校生。すでにオペラの全曲盤のレコードもかなり聴いており、レコード店に入りびたりだったので、招待券をもらって大分文化会館に出向いた。これが私のオペラの実演を鑑賞した最初の経験だった。正直に言って、立川澄人だけが突出して、そのほかはかなり低いレベルの上演だった。が、生のオペラの力に圧倒されたのを覚えている。

それに比べると、本日の上演のレベルは圧倒的に素晴らしい。隔世の感がある。

大分オペラフェスティバルの第一回の『フィガロの結婚』は大成功だったといえるのではないか。これからも、フェスティバルの成功が続くことを祈る。そして、大分でオペラが、そしてクラシック音楽がもっと盛んになってほしい。切にそう願う。

オペラを見た後、両親のいる大分県日田市に移動。

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正月もロッシーニのオペラ映像で過ごした

 冬休みが終わって、いよいよ2015年の新学期が始まった。

正月の間、ずっと前に書き始めて途中で挫折していた原稿を再びとりだして、少しずつ書いていた。出版社に依頼されたわけではないし、本になるかどうかもわからないが、そろそろ考えをまとめておきたいと思ったのだった。これをきちんと書くには、もう少し勉強しなければならない。春休みになったら、再開することにして、本日から数週間は依頼された仕事にかかることにする。

 正月中、ロッシーニのオペラ映像を何本か見た。本当にロッシーニは楽しい。ワーグナーには心の奥底から感動し、シュトラウスにはうっとりとなり、ロッシーニにはその溌剌とした生気にワクワクする。簡単に感想を書く。

 

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「セヴィリアの理髪師」ヴェネツィア、フェニーチェ劇場 
2008

  芸達者な歌手たち。とりわけ、フィガロのロベルト・フロンターリ、バルトロのブルーノ・デ・シモーネ、アルマヴィーヴァ伯爵のフランチェスコ・メーリがいい。ただ、役柄から言うと、フィガロが少し年を取りすぎている点で少し違和感はある。ロジーナのリナ・シャハムは溌剌としていて、容姿的にも歌唱的にもとても魅力的。バジーリオのジョヴァンニ・フルラネットもまるでフランツ・リストのようないでたちでおもしろい。ベッペ・モラッシによる演出はきわめてオーソドックス。色鮮やかで楽しい舞台。指揮のアントニーノ・フォリアーニもとてもよいが、私としては、もう少し躍動感がほしい気がする。

 

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「セヴィリアの理髪師」 ミュンヘン・キュヴィリエ劇場 バイエルン国立歌劇場管弦楽団
1959

 かなり前に購入したが、モノクロ画面で音声もモノラル。しかも、ドイツ語による歌唱ということに恐れをなして見ないままだった。正月を機会に見てみた。

優雅でゆっくりとした、かなり古風な演奏。しかも、歌の後に大拍手があり、歌手たちは舞台に戻って客にお辞儀をする。そういえば、私が初めて「セヴィリアの理髪師」を知ったころ、ロッシーニのオペラといえば、このように上演されていたものだ。ロッシーニ演奏の歴史的変遷を強く感じる。カットされた部分もかなり多い。

 だが、当時の演奏様式としてまさしく最高。録音状態もかなり良い。ドイツ語の歌唱には初めのうちこそ違和感を覚えるが、音を聴く限りでは、それはそれでとても良くできたドイツ語訳だと思う。

まずアルマヴィーヴァ伯爵のフリッツ・ヴンダーリヒのあまりに格調高い歌と容姿に圧倒される。稀代のテノールだったことを改めて認識。中学生のころ、すでにFM放送やレコードで「魔笛」や「ドン・ジョヴァンニ」などの演奏を知っていた私は、数か月遅れで彼の事故死の報道を読んで強いショックを受けたのを覚えている。

 フィガロを歌うヘルマン・プライも若々しく溌剌としてユーモアにあふれ、まさしくフィガロそのもの。この人こそ最高のフィガロ歌手だった。しかも、バジーリオを歌うのは私にとっては一時期、神様同然だったハンス・ホッター。不気味で滑稽なバジーリオをうまく演じている。ワーグナーやシュトラウスやシューベルトやブラームスだけでなく、ロッシーニも歌えたんだ!とびっくり。実演で聴いたプライとホッターを懐かしく思いだす。

 ロジーナを歌うのはエリカ・ケート。私はこの人の歌うレコードもかなり聴いてきた。ただ、音程に不安定さを感じるし、あまりにドイツ系のオペレッタ風の歌い回しに少し違和感を覚えないでもない。

指揮はなんとヨーゼフ・カイルベルト。オケは少し荒いが、ともあれちゃんとチャーミングな魅力を出している。最高に楽しめる。歴史的価値があるだけでなく、音楽としても素晴らしい。メリハリがあり、実に楽しい。

往年の野球ファンが、川上、長嶋、王、野村、張本、金田の活躍する昔のオールスター戦の映像を見た気分。やはりこの人たちは凄かった、と改めて思った。

 

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「ひどい誤解」 2008年 ペーザロ・ロッシーニ・フェスティヴァル 

 富豪の娘と婚約した軽薄男が、「あの娘は実は去勢した男」と聞かされ、それを真に受けて破談になり、別の誠実な男性が娘の心を射止める・・・という喜劇。とてもおもしろい。音楽もいいし、演奏も実に洒落ていておもしろい。

 ガンベロットを歌うベテランのブルーノ・デ・シモーネ以外はかなりの若手だが、実力者ぞろい。声、容姿ともに申し分ない。エルネスティーナを歌うマリーナ・プルデンスカヤは華麗で溌剌。ブラリッキーノを歌うマルコ・ヴィンコは軽薄な男を、エルマンノを歌うディミトリ・コルチャクは純な男をうまく演じている。二人ともかなり若い、ウンベルト・ベネデッティ・ミケランジェリの指揮もメリハリがあり、溌剌として素晴らしい。エミリオ・サヒの演出は、時代を現代に移したものだが、まったく違和感なく、笑いながら見ていられる。色彩が美しく、センスの良さを感じる。ボルツァーノ・トレント・ハイドン管弦楽団。

 

「エルミオーネ」 2008年 ペーザロ・ロッシーニ・フェスティヴァル

 以前、NHKで放送されて録画していたもの。放送直後に見たのを思いだしたが、ほとんど初見に近い。

 古代ギリシャを題材にしたストーリー。アンドローマカ(マリアンナ・ピッツォラート)はピッロ王(グレゴリー・クンデ)に捕らわれ、息子の命を救うために、心ならずもピッロの求愛を受け入れる。ピッロを愛するエルミオーネ(ソニア・ガナッシ)は、アンドローマカが色仕掛けで王の心を奪ったと思いこみ、怒りにかられてピッロを殺すことをオレステ(アントニーノ・シラグーザ)にもちかける。が、それが実行されると、オレステをなじり、いっそう錯乱する。歌手はみんな素晴らしい。とりわけ、ガナッシの迫力、ピッツォラートの色気と気品、クンデの悪漢ぶりがとてもいい。シラグーザは、あまりに甲高い声で少し違和感を覚えるが、きっとそれは私がワーグナー的歌唱から抜け出せないせいだろう。ダニエレ・アバド演出、ロベルト・アバド指揮。つまり、クラウディオ・アバドの息子と甥の「いとこ同士」によるプロダクション。ただ、私はこのタイプのストーリーはかなり苦手。エルミオーネの愚かさにイライラしてしまって、あまり感情移入できない。とりわけ、今回のガナッシのように迫真の演技をされると、いっそう愚かに見えてしまう。とはいえ、音楽には満足。

 

「トルヴァルドとドルリスカ」 2006年 ペーザロ・ロッシーニ・フェスティヴァル

 クラシカ・ジャパンで放送されたもの。録画したままになっていた。

 ストーリー的には、ベートーヴェンの「フィデリオ」を思わせる。ドン・ピツァロのような悪漢オルドウ伯爵(ミケーレ・ペルトゥージ)に横恋慕された女性ドルリスカ(ダリーナ・タコヴァ)は、夫婦愛によって夫トルヴァルド(フランチェスコ・メーリ)に救われる。まるでロッコのような人物も登場する。ストーリーもわかりやすく、音楽もおもしろい。ロッシーニらしさ満載。マーリオ・マルトーネの演出はかなりオーソドックス。ただ、歌手については、フランチェスコ・メーリ以外はかなり弱い。とりわけドルリスカ役のダリーナ・タコヴァが音程が不安定で声が伸びない。指揮はヴィクトル・パブロ・ペレス。溌剌としていて、なかなかドラマティック。

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2014年ベートーヴェンは凄い!の凄まじい第九で2015年になった

 年が明けて2015年になった。昨年はいくつものうれしいことがあり、いくつもの大変なことがあった。今年はどうなるのか予断を許さない面があるが、昨年よりもよい年になることを祈る。

 昨日(20141231日大晦日)、例年通り、東京文化会館で「ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会」を聴いた。私にとって2014年の104回目のコンサート(ラ・フォル・ジュルネを含む。途中退場は含まず)。この忙しい仕事の合間によくぞコンサート通いしたものだ。指揮は小林研一郎。オーケストラは篠崎史紀をコンサートマスターとする岩城宏之メモリアル・オーケストラ。

 初めは力をセーブ気味。交響曲の第1・2番はいつもの「コバケン」の熱気がない。数年前、のっけからものすごい熱気だったのに驚いた記憶があるが、今回はそんなことはなかった。マエストロもお歳のせいで、先のことをセーブすることを考えるようになったということだろう。が、第2番の終楽章あたりから気合がこもり始めた。

 奇数番号の交響曲はいずれも凄まじかった。とりわけ第5、7、9は、まさしく白熱の演奏。疾風怒濤にして、速く激しくドラマティック。しかも一つ一つの音に気合がこもり、全身全霊で演奏。マエストロのとてつもない気合がメンバー全員に乗り移ったかのよう。

 オーケストラは、日本のプロのオケからの選抜メンバーとあって、まさに超日本レベル。世界の一流オーケストラにまったく引けを取らない。あの激しい指揮に少しもたじろぐことなく、最高に美しい音で指揮者の音楽を音にしていく。日本の常設オケに比べて、管楽器は実に美しい。ティンパニもいいし、弦楽器ももちろん素晴らしい。

 前回聴いたときにも感じたのだが、「コバケン・スタイル」に変化が生まれているのではないだろうか。かつてのように気合をもめて浪花節的に音楽に没入して白熱の音楽に耽溺するのではない。きわめて構築的で知的な要素が強い。音楽に耽溺するのではなく、もう少し距離を置いて論理的に音楽をとらえているのを感じる。「田園」など、構築性の弱いこの曲に構築的な要素を加えようとしているのを強く感じた。第一楽章と第二楽章を、スケールを小さくし、できるだけ柔らかい音で始めたのもその工夫の一つだろう。

 考えようによっては、かつての白熱のコバケンの要素が少し薄れることになるが、しかし、いまなおマエストロは進化しているということだと思う。

 それにしても、第九の第四楽章の最後の5分間に関しては、小林研一郎はフルトヴェングラーやテンシュテットをも凌駕する祝祭性、ディオニュソス性だと思う。涙が出てきた。

 第九の独唱陣も素晴らしかった。ソプラノは森麻季。清澄ですっきりと伸びる最高に美しい声。アルトは山下牧子。これも安定した美声。森さんと山下さんは、私の大好きな歌手だ。2014年と2015年をまたいで、この二人の歌を聴けたのは実にうれしい。テノールの錦織健、バリトンの青戸知ともにしっかりと声が伸びていい。青戸さんは宗教曲の歌い方を、おそらく意識的に排してオペラ風に歌う。この曲はそれがふさわしいのかもしれない。

 とまあれ、2014年も圧倒的に素晴らしいコバケンの第九で一年が終わった。この幸せな気持ちが2015年も続いてほしい。続くように努力したい。

●今年の目標・・・コンサートに行く回数を減らす! 音楽を聴きすぎて、時間が作れず仕事に支障が出ている。今年こそはコンサート回数を減らして、仕事に力を入れたい!

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