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ヤルヴィ+N響のシュトラウス 素晴らしくも空疎な音響の世界

 2015218日、サントリーホールでNHK交響楽団の定期演奏会を聴いた。指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。前半はシュトラウスの「ドン・ファン」と、ピョートル・アンデルジェフスキのピアノが加わってモーツァルトのピアノ協奏曲第25番。後半には、シュトラウスの「英雄の生涯」。

 クリアで繊細でしかも爆発力を持った美しい音。ヤルヴィはN響の最高の音を引き出している。N響の金管がこんなに素晴らしいとは、これまであまり感じたことがなかった。もちろん、弦も素晴らしい。まさしく最高の音響の世界。

 私は、シュトラウスを音楽の世界のドン・キホーテだと考えている。ドン・キホーテが中世の騎士に憧れてそのまねをしたように、シュトラウスは神聖なるベートーヴェンに憧れる。だから、ベートーヴェンのように音楽によって聖なるものを作りだしたい。音楽によって人間の真実、物事の背後にある芯の世界を描きたい。だが、ニーチェ以後の神を信じなくなった時代において、音楽の中に聖なるものを作りだすことは難しい。シュトラウス自身、神を信じていないし、真実などないことも知っている。かくなる上は、パロディとして英雄を信じるふりをし、英雄になったふりをすることしかできない。「英雄の生涯」は、まさしくシュトラウスが、それをパロディだと十分に意識しながらも大真面目に英雄を演じる大芝居だといえるだろう。ついでに言うと、交響詩「ドン・キホーテ」はシュトラウスの自画像にほかならないと私は考えている。

 ヤルヴィの指揮は、私の考えるシュトラウスを理想的に演奏してくれた。そこに無理やり「真実」を作りだそうとしない。音に精神性を込めない。真実を描こうとしない。徹頭徹尾、形而下的に、散文的に音楽を作る。そして、大真面目にパロディを演奏する。その意味では素晴らしい演奏だった。

 ただ、そうであるだけに、シュトラウスの交響詩の弱点が現れてしまったことは否めない。 私は中学生のころからの、ということはつまり50年ほど前からのシュトラウス・ファンなので、もちろんシュトラウスの交響詩にはなじんできたが、交響詩を名曲だと思ったことはない。シュトラウスの曲で名曲と呼ぶに値するのはオペラや歌曲であって、オペラや歌曲に比べたら、交響詩はあまりおもしろくない。やはり、音楽から精神性や「真実」を排除すると、空疎になってしまう。オペラや歌曲であれば、セリフやストーリーがあるのでそこに「真実」が宿るが、オーケストラ曲ではそうならない。私は今日のヤルヴィの演奏にそのような空疎を感じた。

 前半のモーツァルトの協奏曲も素晴らしかった。アンデルジェフスキはクリアな音できわめて繊細にして知的。研ぎ澄まされた純粋なイデア世界で遊ぶような趣がある。もっと聴いてみたいピアニストだ。

 

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音楽」カテゴリの記事

コメント

大切な時間とお金を無駄にされたようですね。本当に残念なことです。

投稿: | 2015年2月21日 (土) 19時14分

シュトラウスの交響詩とハイドンの交響曲はそれぞれの世紀後半に出現した、オーケストラの音そのものだけで本質をつくりあげる音楽という意味で、とても共通したものを感じます。それは精神云々というものとは別の、音楽のもつ造形とそこからもたらされる響きと陰影による、音楽のもつ形の美しさからくるもうひとつの本質みたいなものといいますか。

自分がこの二人の演奏で理想とするのは、聴いてる時もそしてその後も、精神的と言う言葉がそこに介入する余地がない演奏(例えばトスカニーニ)なのですが、樋口さんの今回のそれを読んでいてとてもこの演奏に興味がでてきましたが横浜公演には行けませんでした。残念。

投稿: かきのたね | 2015年2月21日 (土) 20時21分

「かきのたね」さんともう一人の方にコメントをいただきました。ありがとうございます。
私としましては、ヤルヴィの演奏に決して不満ではないのです。
私は、シュトラウスの交響詩はいわば「音楽から精神性をなくしても、音楽として成り立つか」という実験だったと思っています。私自身としては、時代思想の流れから言って、そのような音楽になっていくのは必然だったと思うのですが、実際にこのような素晴らしい演奏を聴いてみると、精神性のある音楽でないとどうしても空疎になってしまうんだなという印象を抱いたのでした。
ですから、その意味では、あれこれ考えさせられて大変有意義なコンサートだったと思っています。

投稿: 樋口裕一 | 2015年2月23日 (月) 09時47分

シュトラウスの音楽が、他の作曲家と比べても映像的で実験的かつ精神もあると思うんですが・・・ うちの嫁は、プロコフィエフが一番いいと言っています。けんかにはなりません。

投稿: お好み焼 | 2015年2月24日 (火) 16時08分

僕は、シュトラウスの交響詩も素晴らしいと思いますが、まだ若く経験が足りないかもしれません(僕はまだ高校生なので!)。僕は、Bプロのカメラ席が未販売(レコーディングの為?)だったので横浜まで行ってきました。ラジオで聞いた初日より演奏の精度が良かったと思います。僕は「英雄の生涯」は原典版の方がシュトラウスの諦念が感じられるので好きです。先生はどうですか?

投稿: がんばれ!公共放送NHK | 2015年2月25日 (水) 19時27分

お好み焼き様
がんばれ!公共放送NHK様

お二人のコメント、拝見しました。
誤解のないように言っておきます。私はシュトラウスの交響詩を「名曲」だとは思いませんし、「私の選ぶシュトラウスの名曲ベスト10」には絶対に交響詩は入ってこないのですが、中学生のころから好んで繰り返し聴いているのです。ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーほどではありませんが、もちろん好きな曲の部類に入ります。ただ「やっぱり空疎であることは否めないなあ」と思いながら、やはり好きで聴いているのです。そして、私の感じるシュトラウスの「精神」は、それ以前の形而上学的な「精神」とは異質のものであると考えています。もしよろしかったら、「音楽で人は輝く」(集英社新書)を読んでいただけると、私のシュトラウスについて考えを分かっていただけると思います。
プロコフィエフは私もかなり好きです。「英雄の生涯」オリジナル版は聴いたことがありますが、ずっと現行版になれ過ぎていて肩透かしを食らった気がしました。それにしても、「がんばれ!公共放送NHK」さんがまさか高校生とは思ってもいませんでした!

投稿: 樋口裕一 | 2015年2月26日 (木) 07時57分

ヤルヴィについて一言、ちょっと話題から外れますが、ただの好事家の話です。
ミョンフン・N響のベルリオーズ幻想交響曲を聴いてしばらくしてヤルヴィ・パリ管弦楽団の同曲を聴いたのですが、N響はさすがにうまいなあと思いましたが、パリ管のはこぶしが(特に弦楽)まわっている、音がうねっていて思わず聴き入ってしまいました。
これは彼らが浪花節を唸れないように(私でも風呂で広沢虎造の真似??はできます)私たちはベルリオーズの節回し(DNA)が解らないのかと思いました。
そこで今回ヤルヴィさんがN響の指揮者になられたので、ベルリオーズのプログラムがあったら是非聴きたいと思っています。
N響だいすき人間 豊島健次


投稿: 豊島健次 | 2015年2月26日 (木) 15時36分

豊島健次 様
コメントありがとうございます。
私もヤルヴィの「幻想」をぜひ聴いてみたいと思います。ヤルヴィのフランス物を聴いたことがありませんが、一度実演で聴いてみたいですね。フランクやサンサーンスの交響曲なども、きっと面白いと思うのですが。

投稿: 樋口裕一 | 2015年2月28日 (土) 11時14分

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