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「クリティカル・シンキング」セミナーのこと、そして映画「愛して飲んで歌って」のこと

 227日での東京会場に続いて、36日には大阪駅付近の会場で学研教育出版主催による「クリティカル・シンキング」セミナーで講演を行った。

「クリティカル・シンキング」は、数年前から私が問題作成の主幹となって開発している中学生・高校生向けの教材だ。「勉強」とは考えずにゲーム感覚で楽しんで解きながら論理力や批判力を養うことを目的としている。センター試験後に予定されている新テストにも、かなり前から話題になっているPISA型学力の向上にも、そして、社会に出て生きる力をつけるためにも最も有効な教材だと信じている。ぞくぞくの多くの中学・高校に採用いただいて、実にうれしい限りだ。

セミナーでは、私がこの教材の目的などについて説明し、教材を使ってくださっている中学・高校の先生方に活用実例を発表していただいている。227日には普連土学園中学校と洗足学園中学校、36日には三浦学苑高校での取り組みを紹介していただいた。実際の生徒さんたちが楽しみながら意欲的に問題に取り組んでくれている様子が発表されて、問題作成の主幹としては実にうれしい。先生方が、私たちの狙い通りに、いや、それ以上に効果的に使用してくださっていることに驚きさえも感じている。本当にうれしいことだ。先生方が間違いなく、生徒さんの伸びを実感してくれているのを強く感じる。

 が、仕事の話はこのくらいにしよう。

 大阪に向かうのぞみ号のなかで、3月5日に岩波ホールでみたアラン・レネの遺作「愛して飲んで歌って」のことをぼんやりと考えていた。見終わった後、納得できないことだらけでずっと気になっていた。が、考えるうち、少し納得できた気がするので、ここに書きつける。

 レネは私の学生時代の憧れの映画監督の一人だった。90年代以降の作品は見ていないが、それ以前のものは、「24時間の情事」や「去年、マリエンバードで」をはじめ、「夜と霧」などの初期の短編も含めてほとんどの作品をおもしろくみた。

 今回の「愛して飲んで歌って」はかつてのレネからは考えられないような軽めの喜劇。

 三組の初老のカップルが登場する。初老の男女が仲間うちで素人劇を上演しようとしたところ、一人が出演できなくなったことから、がんのために余命半年ほどだと宣告された共通の友人ジョルジュに代役を頼もうとする。ところが、稽古を始めると、関係する三人の女性(そのうちの一人はジョルジュの元妻、一人は元恋人)全員がジョルジュへの愛を感じ始める。そればかりか、一組のカップルの娘ティリーまでもが同じようにジョルジュを愛し、面倒を見ようとする。ジョルジュは結局がんではなく、事故で死ぬが、その棺を墓に納める場面で映画は終わる。

 このような物語が書き割のような芝居じみた舞台で展開され、しばしば劇中劇が挿入される。登場人物が長く独白する場面が何度かあるが、そのたびに背景はリアルさを失って線画のようになる。たびたびイラストが挿入される。しかも、最大の特徴は、まるで「ゴドーを待ちながら」のように、この映画の中心人物であるはずのジョルジュがまったく画面に登場しない! ほとんどすべてが室内劇のように3組の男女の会話から成っている。

 私があっけにとられたのは最後の場面だった。これまでジョルジュと同じように、名前はしばしば語られながら一度も登場しなかった娘ティリーが最後の最後になって登場して、ジョルジュの墓に写真を供える。ついにジョルジュの正体が明らかにされるのかと思って写真を見ると・・・なんとその写真に写されているのは死神のようだ。そこで、私は途方に暮れたのだった。

 で、のぞみ号の中で考えた結論はというと、「これはレネの『ファルスタッフ』なんだ!」ということだった。そう思ったとたん、私には納得できた。

 ヴェルディはずっと悲劇的なオペラを作曲し続けた。主人公のほとんどが非業の死を遂げる。ところが、最後の最後、シェークスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」を原作とする軽妙な喜劇「ファルスタッフ」を作曲する。自分が「モテ男」だと思いこんだファルスタッフがひどい目に合わされるが、最後にはめでたしめでたしになり、「世界はすべて冗談」という全員の歌で終わる。

 若いころ難解で生真面目な映画を作っていたレネが最後になって「人生ってのは、愛と死をめぐってのドタバタ喜劇なのさ」という達観した思いをこめて作ったのが本作なのだろう。まさしくこれは愛と死を巡ってのドタバタ喜劇。「太陽と死を直視することはできない」(ロシュフーコー)のだから、ジョルジュはスクリーンに映らない。タイトルの「愛して飲んで歌って」はヨハン・シュトラウス2世のワルツ「酒、女と歌」に基づくが、そこでは「ワイン、女、歌を愛さないのはなんと愚かな人生だ」と歌う。これこそがまさしくアラン・レネの最後の境地だったのだろう。

「人生、いろいろあったし、苦しんだり嫉妬したりしたけど、まあいいじゃないの。これが人生だよ。人生なんて愛と死をめぐる冗談だよ」、これがこの映画の言いたいことなのだろうと思った。

 翻って考えるに、私はまだレネやヴェルディの境地には達せそうもない。人生のただなかでジタバタしている。

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