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ザルツブルクの「マイスタージンガー」、マドリード王立劇場の「イオランタ」などの圧倒的なオペラ映像

 何本かオペラのDVD、BDを見た。感想を書く。

 

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「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 2013年ザルツブルク音楽祭

 ダニエーレ・ガッティの指揮、ステファン・ヘアハイム演出、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による2013年ザルツブルク音楽祭の上演。

 演奏もとてもいい。やはり圧倒的なのはザックスを歌うミヒャエル・フォレ。見事な歌唱、見事な人物造形。アンナ・ガブラーのエーファもペーター・ゾンのダーフィトも適役。マルクス・ウェルバのベックメッサーも容姿も含めてとても魅力的。ロベルト・サッカのヴァルターはもう少し品格があれば一層役にふさわしいと思うが、特に不満ということはない。ガッティの指揮は明晰でドラマティックで実に魅力的。

 しかし、これはどうしてもヘアハイムの演出に目が行ってしまう。ワーグナーとザックスが重なり合って演じられる。赤ずきんちゃんなどが登場するが、民衆の心を象徴しているのだろう。民衆の心を共有していたザックスも最後は権威主義的になり、独善的になり、書物の上に胡坐を書くようになり、ベックメッサーと瓜二つになる・・・というメッセージを実にうまく伝える。ワーグナーが神格化されていることを揶揄する。カタリーナ・ワーグナーの演出と根底において共通するが、ヘアハイムはいっそう精緻で一つ一つの行動が台詞と符合すところがすごい。この演出家によるバイロイトの「パルジファル」はいくら何でもやりすぎだと思ったが、「マイスタージンガー」については大いに納得できた。全体的に最高に完成度の高い素晴らしい上演だと思った。

 

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チャイコフスキー「イオランタ」、マドリード王立劇場 (ストラヴィンスキー メロドラマ「ペルセフォネ」並録)

 文句なく素晴らしい。何よりもテオドール・クルレンツィスの指揮にあっと驚いた。きわめてドラマティック。おとぎ話ではなく、起伏の大きなドラマとしてこのオペラを描いている。イオランタが自分の盲目に気付くところなど、「悲愴」の第一楽章の慟哭の部分を思わせる。単に大袈裟に大きな音で演奏しているというのではなく、心の奥底をえぐるような音。実に説得力がある。確かにこれこそがチャイコフスキーの世界だろうと思う。実はこの指揮者の名前を知らなかったが、とてつもない指揮者だと思う。

 歌手は若手中心だが、とてもいい。もちろん先日見たメトロポリタンのライブビューイングほどのレベルの高さではないが、まったく不満はない。イオランタを歌うエカテリーナ・シェルバチェンコが容姿も美しく、清楚でありながらしっかりとした美声。ヴォデモンのパヴェル・ツェルノフもロベルトのアレクセイ・マルコフも見事。医師役のウィラード・ホワイトも見事な存在感。

 もう一つ特筆するべきなのは、ピーター・セラーズの演出。イオランタだけが青い服を着て、それ以外の登場人物は全員が黒い服を着ている。舞台はずっと暗い中に青いライトが当てられている。簡素な舞台に扉だけが外されたものがいくつかあり、扉のなかで演技が行われる。それぞれの人物の孤立していることを描いているのだろう。盲目の人間からすると、人間存在はそれぞれ孤立しているように見えるのだろう。イオランタが盲目の間の舞台は、イオランタの見る世界を描きだしているといえるだろう。

 イオランタの目が見えるようになった瞬間、ア・カペラによる三位一体を称える聖歌が聞こえる。おそらくチャイコフスキーの作曲ではなく、ロシア正教の聖歌だと思う。そして、その後、オペラに戻るが、空は神々しく光輝く。宗教的な色彩の強い舞台。私は大いに感動してみた。確かに最後には神をたたえる歌が続くが、これまであまり重視していなかったが、確かに深い信仰心にあふれている。演奏と演出によってそのことをわからせてくれる。

 ストラヴィンスキーのメロドラマ「ペルセフォネ」は歌手がで歌い、舞台上ではモダンバレエが展開される。ストラヴィンスキーらしい音楽でなかなかおもしろかったが、知らない曲であるし、私は「バレエ音痴」なので、「イオランタ」ほどの衝撃は受けなかった。

 

 

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ベッリーニ 「カプレーティとモンテッキ」 サンフランシスコ歌劇場 2012年

 ジョイス・ディドナートがロメオ、ニコル・キャベルがジュリエッタを歌う。ディトナートは素晴らしい歌手だが、私はシュヴァルツコップと同じように、まれに音程の不安定さを感じる(私の耳にはディドナートとシュヴァルツコップの歌い方に似ている点を感じる)のだが、このオペラの前半にそれを感じた。が、後半は私はまったく気にならなくなった。キャンベルも実にいい。美しくて可憐な声。ロメオとジュリエットの二重唱は絶品(それにしても、この二人の顔、とても良く似ていることに気付いた!)。テバルドのサイミール・ピルグ、カペッリオのエリック・オーウェンズ、ロレンツォのリ・アオ(中国人歌手だろうか?)もとてもいい。

  リッカルド・フリッツァの指揮もいいが、やはりベッリーニのオペラを聞くたびに、この人の旋律の高貴な美しさとともに、どうしてもオーケストレーションの稚拙さを感じてしまう。ヴァンサン・ブサールの演出は色彩的でとてもきれいだが、それほど独創的な着想はなかったようだ。

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大分にて

 4月26日、空路大分へ。翌27日、私が塾長を務める白藍塾の仕事で大分市の岩田中学・高等学校を訪問(私は大分県日田市の出身。10歳のころから高校3年生まで大分市で過ごした)。岩田中学高等学校の小論文指導を白藍塾がサポートしているため、年に1、2回岩田学園を訪れる。午前中、先生方の研修、午後は中学2、3年生向けに小論文の基本について話した。目を輝かせてしっかりと聞いてくれた。とても気持ちよく話ができた。頼もしい。

 夕方、オープンしたばかりの大分県立美術館を訪れた。別名OPAM(Oita Prefectural Art Museum)。モダン百花繚乱と題した展覧会が開かれていた。ルオー、ダリ、ピカソ、マティス、アンリ・ルソー、クレー、アンディ・ウォーホール、藤田嗣二など20世紀を代表する画家たちの作品、円山応挙、田能村竹田、横山大観などの日本の大家の作品が並んでいる。素晴らしい絵がたくさんある。

 私は実は絵画にはかなり疎いので、初めて知る名前もあった。真島直子という画家を初めて知った。「地ごく楽」という絵に衝撃を受けた。知識がないのでどう表現してよいのかわからないが、ともかく、まさしく生きることが伝わってくる絵だと思った。

 そのほか、大分県出身の画家である福田平八郎、高山辰夫、宇治山哲平の絵のコレクションもある。平八郎は特に素晴らしい。

 大分に戻るたびに県立美術館に足を運びたいと思った。・・・ただ、オープン3日目の割にはあまりに客が少ない。夕方6時近くだったせいもあるのかもしれないが、客は係員の2倍いるかどうかという感じだった。もっと多くの人にこれらの絵を見てほしいものだ。

 27日と28日はかつてのクラスメートとフグや関サバや活きイカを食べた。じつにうまい! 2日間、大分市内のホテルの泊まり、本日(4月28日)は起きてすぐにゆふ号で日田市に行き、2月まで両親の住んでいた家の整理。予定より少し早く終わったので、咸宜園に行ってみた。

咸宜園というのは、大分県日田市が誇る歴史上の偉人である広瀬淡窓が江戸時代に開いた塾の名称。現在、記念館として広瀬淡窓ゆかりの品物が展示されている。私は両親が日田に暮らしていながら、かなり昔(もしかしたら半世紀近く前かもしれない! 咸宜園が再整備されたばかりだったように思う)に見学したことがあるだけで、その後、訪れたことがなかった。

先日、井上義巳著の「広瀬淡窓」(吉川弘文館・人物叢書)に目を通してみたが、咸宜園という塾が高野長英、大村益次郎らを輩出した優れた塾だということはよくわかったが、淡窓の思想については良くわからなかった。淡窓の漢詩を読めば、少しは思想がわかるのだろうが、読み解く能力がない。残念。私は淡窓が何を考え、どのような思想を抱いていたのかかなり興味がある。これからの課題にしよう。

夕方、福岡空港を出て、夜、自宅に戻った。

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ワイダ「すべて売り物」「戦いのあとの風景」などの映画DVD

 何本か映画DVDを見た。感想を書く。

 

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「すべて売り物」

 アンジェイ・ワイダは、ピエル・パオロ・パゾリーニとミケランジェロ・アントニオーニとともに私の最も愛する映画監督だ。このブログにもこれまで何度かワイダの映画の感想を書いてきた。今回またワイダの映画がブルーレイで2本発売になっているのを見つけて購入した。

1968年の映画。あるスター俳優の新作を撮影する予定だった映画監督が、その俳優の突然の事故死によって撮影が予定通りできなくなり、ともあれ撮影を続けながら、代役を探し、映画をどう進めていくかについて悩む物語。これは、ワイダ自身が、「灰とダイヤモンド」などに主演した俳優チブルスキを事故で失った経験に基づく。スター俳優は、名前は示されないが、明らかにチブルスキに連想させるし、映画監督はワイダ自身を思わせる。ワイダ自身の2009年の映画「菖蒲」と同じような趣向の、いわば「私映画」だ。

テーマは「不在」と「死」、そして「虚」と「実」。映画は、スター俳優の死と不在を巡って展開する。監督はスター俳優に代わる別の個性の若手俳優を見出し、その俳優の生命の喜びにあふれる場面で終わる。また、撮影されている映画と、その映画を撮影するチームの状況が虚実ないまぜになって展開する。しかも、スター俳優はウソのような話をし続けた人物。だが、最後にはそれらが実話だったことがわかる。虚の中に実がある。監督は映画という虚構の中に不在・死という真実を描こうとする。とてもおもしろい。

 チブルスキは私の大好きな俳優だった。「灰とダイヤモンド」に圧倒され、「二十歳の恋」「夜の終わりに」「夜行列車」を見て大ファンになった。だが、しばらくしてすでに事故死していることを知って悲しく思ったのだった。若手俳優の役を、その後チブルスキに代わってワイダ映画の主役を務めるようになるダニエル・オルブリフスキが演じている。

 

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「戦いのあとの風景」

 1970年のワイダ作品。若くして自ら命を絶った作家タデウシュ・ポロフスキの自伝的小説に基づく。映画はナチスの強制収容所にいたポーランドの囚人たちがアメリカ軍によって解放されるところから始まる。解放に喜びにあふれるが、囚人たちはアメリカ軍の監督下で同じ収容所で暮らすことになる。主人公である詩人のタデウシュ(ダニエル・オルブリフスキ)を中心に、悲惨な体験や憎しみを引きずり、アイデンティティを見出せずに苦しみながらも何とか生きようともがく人々を描く。タデウシュはその気になれば、ポーランドに帰ることもできる状況のようだが、悲惨な記憶から逃れられず、そこから抜け出そうとしない。ユダヤ系の娘ニナと恋仲になって人生に希望を持とうとするが、ニナは流れ弾に当たって死んでしまう。ニナの裸の死体に対面した後、ポーランドへの期間を決意して、列車に向かう。

「灰とダイヤモンド」とほぼ同じ時代の同じような精神状況を描いている。美しい映像、心にしみる場面はたくさんあり、すさまじい体験をしたポーランドの人々の苦悩は伝わってくる。ただ、ポーランドの歴史を知らない人間には、状況がつかみにくく、登場人物の心情を十分に理解できないのが残念。

 

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「地獄門」

 先日、オペラ「袈裟と盛遠」をみたが、同じ題材で映画「地獄門」が作られていると知って、「日本映画永遠の名作集」9枚組DVD(なんと1848円!)を購入して、みてみた。1953年カンヌ映画祭グランプリ受賞作。以前みたことがあるつもりだったが、おそらく初めて。監督は衣笠貞之助。(その後、すぐにNHKBSで放送があった! うーん、放送を待てばよかった!)

1950年の黒澤の「羅生門」に比べると、凡庸さを感じざるを得ない。映像の表現も演技もあまりに紋切型。長谷川一夫の演じる盛遠の激しい恋情を十分に理解できない。長谷川一夫の演技ではあまり荒々しい雰囲気が出ない。盛遠が間違えて袈裟を殺してしまうのも納得がいかない。現代人からすると、もう少し踏み込んで心理や人間像を描いてほしい気がする。袈裟は京マチ子、渡は山形勲が演じている。そのほか、195060年代に時代劇を見て育った私には懐かしい俳優たちが出演している。千田昌也が平清盛を演じていた。ちょっと退屈した。

 

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「モンテ・クリスト 巌窟王」

 日本テレビで夜中に放送されていたアメリカの連続ドラマ「パーソン・オブ・インタレスト」がおもしろい。ファーストシーズンの初回の放送をたまたま見て、その後やめられなくなり、DVDを購入してまでみている。主演のジム・カヴィーゼルがモンテ・クリストを演じていると知って、2002年のイギリス・アイルランド合作映画「モンテ・クリスト 巌窟王」のDVDを購入してみた。もちろん子どものころ、「巌窟王」は大好きで繰り返し読んだが、アレクサンドル・デュマの原作を読んだことがない。映画で楽しもうと思った。

 監督はケヴィン・レイノルズ。娯楽映画としてとてもおもしろい。まさしく娯楽映画の王道。大作を手際よくスピーディーなドラマに仕立てあげている。まったく飽きずにドキドキしながら、しかも爽快な気持ちで見ることができる。主役のカヴィーゼル、敵役のガイ・ピアースもいいし、メルセデスを演じるダグマーラ・ドミンスクが美しい。アレクサンドル・デュマの魅力を存分にみせてくれる。子どものころは気にもかけなかったが、考えてみれば「モンテ・クリスト」とは「キリスト山」の意。きっと原作はもっと宗教的な意味合いが強いのだろう。

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ユリアナ・アレクシュクのコロラトゥーラに少し不満

 2015420日、武蔵野市民文化会館でユリアナ・アレクシュクのソプラノ・リサイタルを聴いた。

 まったく未知のソプラノ歌手だが、かなり若くて、かなりきれい。清楚な感じでとても雰囲気がいい。ピアノ伴奏は斎藤雅広。とても明確でありながらもでしゃばらない伴奏。

 前半はグノー「ロミオとジュリエット」(グノー)や「リゴレット」「セヴィリアの理髪師」「ラ・ボエーム」「夢遊病の女」「ミニョン」などからのおなじみのコロラトゥーラの有名アリア集。後半は、ウクライナの作曲家によるオペラ・アリアや歌曲。マイボロダ「イオランのアリア」(歌劇「ミラナ」)、ヤシチェンコ「どこへ行くの?」、ステポーヴィ「谷底の小径を踏みすすむ」、ヤシチェンコ「空飛ぶガチョウよ」、ステテュン「刺繍」、レヴュツキー「川のそばで洗濯を」、ジェルビン「さまよう私の魂」、コス=アナトルスキー「2つの流れ」。

 大喝采だった。が、席のせいかもしれないが、実は私はあまり感銘を受けなかった。

 少なくとも私の席からは、発音が不明瞭に思えた。私に少しだけ聴き分けることのできるフランス語も、まったく聴きとれなかった。それどころか、子音のほとんどがよく聞こえなかった。迫力あるコロラトゥーラで、美しい声なのだが、場内に響きすぎて、音像が明確にならず、ぼやけた感じがした。そして、歌い回しも少し一本調子な感じがした。

繰り返すが、席のせいかもしれない。だから断定的に言うつもりはない。が、ともかく私は音楽に乗れなかった。途中で席を移りたいと思った。もしかしたら、ほかの席からはもっと明瞭に聞こえるのかもしれないと思った。が、きっとそれはルール違反だろう。

ウクライナの作曲家たちは、いずれも曲想が似ている気がした。人生の嘆きが漏れるタイプの音楽が多い。ただこれも、アレクシュクの歌い方が同じ雰囲気であるせいではないかと思ったのだった。

だが、ともあれこのような若い有望な歌手の、しかも未知の作曲家の曲を聴けるのは実にうれしい。次にまた機会があったら、この歌手を聴いてみたい。

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METライブビューイング「湖上の美人」 言葉をなくす凄まじさ

東銀座の東劇でMETライブビューイング「湖上の美人」をみた。素晴らしいという言葉では足りない。圧倒された。第二幕では、あまりにワクワクして幸せで胸がはちきれそうになった。ロッシーニの楽しさを堪能した。このオペラがこれまであまり上演されなかったのが不思議だ。大傑作だと思う。

  今では、ロッシーニはワーグナーやシュトラウスとともに私の最も好きなオペラ作曲家。しかも、ジョイス・ディドナートは大好きな歌手(実演を聴いたことはないが、CDDVDはかなり聴いている)。そんなわけでワクワクしながら出かけたが、それにしても、期待以上の凄さだった。

 やはりディドナートが凄い。美しい声で最高度の技巧を聞かせてくれる。特に最後のアリアにしびれた。涙が出そうになった。電車に乗って家に帰り、今にいたるまで、最後のアリアのメロディが頭から離れない。今もうきうきしている。フアン・ディエゴ・フローレスにもしびれた。私はずっとこの歌手の声質が好きでなかったが、これほどの歌を聴くと好きでないとか言っていられなくなる。輝かしくも強い声。第二幕の最初のアリアは本当に絶品。マルコム役のダニエラ・バルチェッローナもズボン役特有の太い声で場を圧倒する。ロドリーゴのジョン・オズボーンもフローレスに負けない正確で強靭な美声。この四人の声の威力は圧倒的。こんな歌手がいること自体が驚異としか思えない。声を生で聴いたらどんなに凄いだろう。第二幕の三重唱でも、私はあまりのワクワク感に叫びだしたくなった。

 指揮のミケーレ・マリオッティも素晴らしい。テンポが良く、ワクワクする。DVDなどで何度か聴いたが、この人のロッシーニは最高! 演出はポール・カラン。わかりやすく楽しい舞台だった。文句なし。

 これほどのスター歌手を集めることはメトロポリタンにしかできないだろう。実に幸せだった。ロッシーニの音楽は本当に楽しい。

 

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メッツマッハー+新日本フィルのヤナーチェクとバルトーク

 2015412日、サントリーホールでインゴ・メッツマッハー指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団の演奏を聴いた。曲目は前半にシェーンベルクの5つの管弦楽曲作品16とヤナーチェクのシンフォニエッタ、後半にバルトークの管弦楽のための協奏曲。

 メッツマッハーの任期もあと少し。メッツマッハーを聴けるのならと思って出かけた。やはり素晴らしい演奏だった。

 メッツマッハーは私の好きな指揮者の一人だ。新日フィルとのベートーヴェンやシューベルトの交響曲の演奏もよかったが、ザルツブルク音楽祭でみたツィンマーマンのオペラ「軍人たち」は言葉をなくすようなすさまじい演奏だった。

今日も実にメッツマッハーらしい知的で切れの良い音。快刀乱麻という感じで音の重なりを明確に整理して聴かせてくれる。が、少しも機械的ではなく、そこに音の快楽があり人生の深みがある。きわめて分析的だが、それ以上に豊かな情感を感じる。すごい指揮者だと思う。新日フィルも実に素晴らしい。クリアでみずみずしい音を出している。まったく音が乱れない。

 シンフォニエッタの第五楽章は特に魂が震えた。ただ、ヤナーチェクにしては少し洗練されすぎていると思った。私の好きなヤナーチェク(しばらく会費を払っていないので、きっと退会になっていると思うが、私は「日本ヤナーチェク友の会」の会員だった。ヤナーチェクは大好きな作曲家だ)はもっと田舎くさく、もっと鬱積している。クリアで現代的でスマートなヤナーチェクだった。とはいえ、やはり魂にぐさりと刺さってくるし、特有のドラマがある。私の好みのヤナーチェクではなかったが、これはこれで素晴らしい。

バルトークの管弦楽のための協奏曲も素晴らしい演奏。実は私はこの曲をあまり好まない。遊びなのか真剣なのかよくわからず、とらえどころがないと感じていた。が、今日の演奏を聴くと、ともあれ納得。遊びの要素が強いのだが、ちょっと自虐的で、しかも明るさがあり、ところどころに情熱の爆発のようなものがある。バルトークの複雑な心境を音楽で諧謔的に描いているといったところか。終曲では、ちょっと涙が出そうになった。

メッツマッハーをしばらく日本で聴くことができなくなるのは、実に寂しい。

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新国立劇場「運命の力」のこと

 2015年4月8日、新国立劇場で「運命の力」をみた。

 イタリア・オペラに子どものころから馴染んだわけではない私は、「運命の力」もCDDVDに数回触れたくらい。実演を見るのは初めて。だから、表面的なことしか書けない。

 演奏は新国立劇場としては標準的といえるのではないか。レオノーラのイアーノ・タマーはきれいな声。ドン・アルヴァーロのゾラン・トドロヴィッチはよく通る独特の声。ドン・カルロのマルコ・ディ・フェリーチェもよく響く声。ただ。この主役三人はまれに不安定になる。プレツィオジッラのケテワン・ケモクリーゼは迫力ある声。グァルディアーノ神父の松位浩は外国人勢にまったく負けていない。見事な歌唱。ただ全体的に、残念ながらあまり大きな感銘は受けなかった。

 指揮はホセ・ルイス・ゴメス。序曲ではとても切れがよくて大いに期待したが、ちょっと一本調子であまりドラマティックに盛り上がらない思いがした。空元気という感じがしてしまった。演奏は東京フィル。よくまとまっていた。クラリネットはなかなかよかった。

演出はエミリオ・サージ。赤を基調にしている。血の色ということだろう。墓銘碑なのだろうか、数十の人名が幕や壁にかかれている。鮮明でありながらも落ち着いた色調で、とても美しい。オーソドックスでわかりやすい演出だと思う。

 私としては、台本に疑問を持つ。なぜ長々とジプシー娘プレツィオジッラの場面や修道士フラ・メリトーネの場面があるのか。しかも、ドラマの作りが平面的。ストーリーや登場人物の感情を説明するような場面を並べた感じ。まさしく歌芝居という感じで、台本がドラマとして盛り上がらない。音楽もいたずらにドラマティックな気がする。もう少し抑制しているほうがいっそう内面的にドラマティックになるのではないかと感じる。ヴェルディのオペラについて詳しいことを知らないまま見ている(今のところ、しっかりと予習をする時間が取れず、調べていない)ためもあるが、納得いかないところが多々あった。もしかしたら、もっと良い演奏、もっと良い演出であれば、これらに納得できるのだろうか。

ここに書いた疑問点について、時間ができたら、学者、評論家がどのように言っているのか調べてみたい。

 

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マレク・ヤノフスキ+N響の「ワルキューレ」は歴史的名演だった!

201544日、東京文化会館で、東京・春・音楽祭のコンサート形式による「ワルキューレ」を聴いた。指揮はマレク・ヤノフスキ。NHK交響楽団。歴史的名演だと思った。

ともかくすべてがものすごい。第一幕の冒頭のオーケストラの音にまず驚いた。ゲストコンサートマスターのライナー・キュッヒルの功績かもしれない。N響がウィーンフィルに引けを取らないような音を出している。冒頭だけでなく、それが最後までずっと続いた。N響の実力たるやすさまじいものがあると改めて思った。勢いがあり、美しく、しかも深みがある。管楽器も弦楽器も素晴らしい。ヤノフスキのタクトにぴったりとついてスケールが大きく起伏あるドラマを作り上げる。引き締まって、音の一つ一つの音が息づいている。

歌手もみんながすごい。まず第一幕に圧倒された。ジークムントはロバート・ディーン・スミス。ひところほどの声の威力はないが、見事なジークムント。ジークリンデはワルトラウト・マイヤー。私は彼女の声を聴いてから20年以上たつと思うが、声も容姿もまったく衰えていない。それどころか表現力が増して、すさまじい迫力。まさしくジークリンデの可憐ではかなげで、しかも芯の強い女性を表現している。フンディングは韓国人歌手のシム・インスン。ふてぶてしくも深く美しい声で、底力がある。韓国からは次々と素晴らしいワグネリアン歌手が出てくる。日本人の私にしてみれば、これはかなりうらやましい。

第二幕はもっとすごかった。ヴォ―タンのエギルス・シリンスは若々しくも気品のある声。新国立の「パルジファル」でアンフォルタスを歌った歌手。これからはバイロイトでもヴォータンを歌うようになるだろう。若い歌手だと思うが、のびやかに自在に歌う。ブリュンヒルデのキャサリン・フォスターもまったく不足はない。きれいな伸びのある美声で強靭に歌う。そして何よりも圧倒されたのがフリッカを歌うエリーザベト・クールマンだった。私は2012年にウィーン国立歌劇場公演のグルベローヴァの歌った「アンナ・ボレーナ」でスメトン役を歌ったのを聴いたことがあった(家に帰って自分のパソコンを検索してみて気づいた)が、これほどすさまじい歌手だった記憶はない。その後、著しい成長を見せたのかもしれない。声に迫力があるだけでなく、フリッカらしい威厳もあり、歌唱に確信があふれている。図抜けた歌手たちの中でもとりわけ図抜けていた。

第三幕になって日本人歌手たちがワルキューレとして登場。8人すべてが素晴らしい。そして、もちろんブリュンヒルデとヴォータンの最後のかけあいは言葉をなくすすごさ。

私はそれぞれの幕の後半はすべて感動の涙を流しながら聴いていた。とりわけ第3幕の後半は感動の嗚咽を必死にこらえていた。コンサート形式だが、音楽そのものが雄弁なので舞台がなく手も十分に感動する。近年のバイロイトのような読み替え演出によって音楽の邪魔をされるよりはずっと音楽に集中できる。

これ以上の感動を覚えたことは近年なかったような気がする。心の底から感動し、音楽に陶酔した。感動に震えっぱなしだった。こんな時間を過ごすことができて本当に幸せだった。

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大阪の花見 そして、アラン・レネの映画のこと

 41日から2日にかけて大阪を訪れていた。私が塾長を務める白藍塾が大阪府堺市の初芝立命館中学校・高校の小論文指導をサポートしているため、その研修を行った。先生方の協力の下、大変有意義な時間を過ごすことができた。

 42日の午前中、初芝中学校・高校に出かける前に、ほんの少しの自由時間を使ってひとりで花見に出かけた。大阪駅付近のホテルから造幣局で「桜の通り抜け」を経験しようと思ってタクシーで向かったのだったが、残念ながら、「通り抜け」は49日からということだった。造幣局の横を流れる大川の川辺に降りてみたら、これが実に素晴らしい風景。両岸が散歩道になっており、ずっと満開の桜並木が続いていた。たこ焼き屋などの屋台が開店準備をしているのは少々興ざめだったが、午前中だったので、まだ人出も多くなく、桜を堪能できた。「通り抜け」よりも、ゆっくりと桜を楽しめた。帝国ホテルまで歩いて、タクシーでホテルに戻り、預けておいた荷物を受け取って初芝に向かった。

それにしても、大阪駅付近も大川付近も中国人観光客が多い。「中国人の爆花見」という言葉をネットで見たが、確かにそれを実感した。花見をしているときも、あちこちから中国語が聞こえてくる。これから花見に限らず、多くの日本文化を外国人、とりわけ中国人が楽しんでくれることになるだろう。日本人が好む桜の花を通して、日本文化をわかってもらえたら、とても喜ばしいことだと思う。

ところで、中国人とは関係のないことだが、大阪駅付近の騒音の大きさには閉口した。41日の夜、食事を終えて大阪駅の南口に向かっていたら、ロック系の音楽が大音響で道路中に響いていた。ほかにも、アンプを使って歌っている人も駅前にいた。42日も、かなり音程の外れた歌を大きな音で歌っている女性がいた。騒音に関する規制はないのだろうか。それとも、大阪の人は公共の場でこのような大きな音楽を鳴らすのを喜んでいるのだろうか。私はいくら好きなワーグナーの音楽であっても、食事の後に帰路につくときに道路で聴きたいと思わない。

 

アラン・レネの映画について感想を書く。

先日、「愛して飲んで歌って」を見て、そういえばかなり前からアラン・レネの監督作品を見ていないことに思い当たった。BS放送を録画したままでそのままになっているレネの作品も何本かある。そんなわけで、何本か見てみた。

 

・「お家に帰りたい」

 1988年の映画。アメリカの漫画家がフランスに招かれる。彼にはフランスに留学中の娘がいるが、その娘はフランスかぶれでアメリカ文化や漫画を軽蔑し、フローベールやパスカルのフランス文学を絶対視し、父親とうまくいっていない。父と娘がフランス文化の中で心を通わせる様子を喜劇タッチで描いている。前半少し退屈だった。が、仮装パーティの場面から俄然おもしろくなってきた。アメリカ文化に理解あるフランスの大学教授を演じるジェラール・ドパルデューがおもしろい役を演じている(ただし、どうも私はこの人の魅力が良くわからない)。ドタバタ劇の様相をとりながら、ほろりとさせ、人間模様を描くところはとてもおもしろい。

 

・「恋するシャンソン」

 1997年の映画。パリに住む女性姉妹(サビーヌ・アゼマとアニエス・ジャウイ)の愛をめぐる物語。セリフの中に突然シャンソンが入り込む。しかも、いわゆる「口パク」で、登場人物が口を動かしているのに、聞こえるのはまったく別の人物の声。私はシャンソンについてはまったく無知なのだが、その私ですら聞き覚えのあるフレーズがいくつか出てくるのでので、きっとこれは懐メロの類であって、歌声はきっとフランス人ならだれでも知っている有名歌手たちなのだろう。

要するに、セリフの途中で登場人物が自分の心を懐メロに代弁させているということになる。きっとこれらの歌はフランス人にとって自分たちの歴史、自分たちの過去と結びついているのだろう。歌によって登場人物とフランスという国と見ている人間が歴史を共有するという仕掛けなのだと思う。

チョイ役でジェーン・バーキンが登場したのにはびっくり。ただ、シャンソンにうとい私としては、このように創作意図を想像はしてみるものの、まったくぴんと来ない。そして、主役の一人であるアンドレ・デュソリエが日本人には65歳を超した老人に見えるのだが、30代くらいと思われる役を演じているのに強い違和感を覚える(ネットで調べたら、46年生まれというから、このころ50歳前後)。

 

・「巴里の恋愛協奏曲」

 2003年の映画。アンドレ・バルド台本、モーリス・イヴァン作曲による1925年のオペレッタ「Pas sur la bouche!」(「唇はだめよ!」)の映画化。映画としてはおもしろい。いかにも20世紀前半のオペレッタらしい筋書き。レハールを思わせる。上流社会の他愛のない男女の愛のもつれを描くいわゆる「ブールヴァール劇」。最後は無理やりめでたしめでたし。俳優たちも名演技。サビーヌ・アゼマ、オドレイ・トトゥは特に魅力的。口パクでなく、俳優が自分で歌ったというから、その意味では驚異的なことなのだが、ただ、オペラ好きの私としては、やはり俳優たちの歌はそれなりのものでしかない。本職のオペラ歌手、あるいはオペレッタ歌手が歌っていたら、私はもっとずっと楽しめただろう。そもそも私がオペレッタをみるとき、ストーリーを知りたいのではなく、名人芸としての歌を聴きたいのだから。

 

・「六つの心」

 2006年の映画。登場人物6人のそれぞれの心を4日間の出来事として描いていく。苦しみや欲望を押し隠して孤独の生きる6人が街角ですれ違う。「愛して飲んで歌って」と同じエイクボーン原作。人間はだれもが人に明かせない心を持ちながらも表面的にはさりげなく生きているのだということがひしひしと伝わる。私はとても気に入った。

淫乱な欲望を秘めた女性を演ずるサビーヌ・アゼマ、家族への屈折した思いを押し殺して静かに生きるバーテンダーを演じるピエール・アルディティがとてもいい。ただ登場人物全体が高齢化しているのに驚く。主要人物の多くが50歳以上にみえる。とりわけ、アンドレ・デュソリエが「恋するシャンソン」と同じように、私には70歳近くに見える(実年齢は60歳前後)のだが、どうも30代か40代の設定としか思えない。レネにどのような計算があったのだろう?

 

・「風にそよぐ草」

 2009年の映画。不思議な映画。初老の男(アンドレ・デュソリエ)が財布を拾う。落とし主の女性(サビーヌ・アゼマ)に連絡を取ろうとして、いつの間にかストーカーめいた行動をとるようになり、女性に嫌われる。ところがいつしか逆に女性のほうが男に興味を抱くようになる。そして最後、女性は自分の操縦する小型飛行機に男とその妻を乗せるが、事故にあって墜落する。

そんな物語なのだが、登場人物たちはほぼ全員がまったく理解不能な行動をとる。なぜ男が財布の持ち主に連絡を取ろうとするのか、なぜ激しい感情を抱くのか、妻との関係はどうなっているのか、一体妻はどう考えているのか。なぜ女性は飛行機に男たちを乗せようとするのか。私が日本人であるから理解不能というわけではあるまいし、そもそも歯科医師の女性が飛行機を操縦するという設定もかなり突飛な気がする。一人一人の行動があまりに突飛なので、すべての行動が象徴的な意味を持って見えてくる。が、その意味もよくわからないまま終わる。

映画の最後で突然、これまでの物語には登場しなかった少女が登場して、母親に「猫になると猫の餌を食べられるの?」と尋ねる。きっとこれは、「一般的な人間社会の常識を捨てると、この映画を理解できるようになるの?」という映画を見ている人の気持ちを代弁するものだろう。ただし、私はこの映画をおもしろいと思わなかった。

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