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大阪の花見 そして、アラン・レネの映画のこと

 41日から2日にかけて大阪を訪れていた。私が塾長を務める白藍塾が大阪府堺市の初芝立命館中学校・高校の小論文指導をサポートしているため、その研修を行った。先生方の協力の下、大変有意義な時間を過ごすことができた。

 42日の午前中、初芝中学校・高校に出かける前に、ほんの少しの自由時間を使ってひとりで花見に出かけた。大阪駅付近のホテルから造幣局で「桜の通り抜け」を経験しようと思ってタクシーで向かったのだったが、残念ながら、「通り抜け」は49日からということだった。造幣局の横を流れる大川の川辺に降りてみたら、これが実に素晴らしい風景。両岸が散歩道になっており、ずっと満開の桜並木が続いていた。たこ焼き屋などの屋台が開店準備をしているのは少々興ざめだったが、午前中だったので、まだ人出も多くなく、桜を堪能できた。「通り抜け」よりも、ゆっくりと桜を楽しめた。帝国ホテルまで歩いて、タクシーでホテルに戻り、預けておいた荷物を受け取って初芝に向かった。

それにしても、大阪駅付近も大川付近も中国人観光客が多い。「中国人の爆花見」という言葉をネットで見たが、確かにそれを実感した。花見をしているときも、あちこちから中国語が聞こえてくる。これから花見に限らず、多くの日本文化を外国人、とりわけ中国人が楽しんでくれることになるだろう。日本人が好む桜の花を通して、日本文化をわかってもらえたら、とても喜ばしいことだと思う。

ところで、中国人とは関係のないことだが、大阪駅付近の騒音の大きさには閉口した。41日の夜、食事を終えて大阪駅の南口に向かっていたら、ロック系の音楽が大音響で道路中に響いていた。ほかにも、アンプを使って歌っている人も駅前にいた。42日も、かなり音程の外れた歌を大きな音で歌っている女性がいた。騒音に関する規制はないのだろうか。それとも、大阪の人は公共の場でこのような大きな音楽を鳴らすのを喜んでいるのだろうか。私はいくら好きなワーグナーの音楽であっても、食事の後に帰路につくときに道路で聴きたいと思わない。

 

アラン・レネの映画について感想を書く。

先日、「愛して飲んで歌って」を見て、そういえばかなり前からアラン・レネの監督作品を見ていないことに思い当たった。BS放送を録画したままでそのままになっているレネの作品も何本かある。そんなわけで、何本か見てみた。

 

・「お家に帰りたい」

 1988年の映画。アメリカの漫画家がフランスに招かれる。彼にはフランスに留学中の娘がいるが、その娘はフランスかぶれでアメリカ文化や漫画を軽蔑し、フローベールやパスカルのフランス文学を絶対視し、父親とうまくいっていない。父と娘がフランス文化の中で心を通わせる様子を喜劇タッチで描いている。前半少し退屈だった。が、仮装パーティの場面から俄然おもしろくなってきた。アメリカ文化に理解あるフランスの大学教授を演じるジェラール・ドパルデューがおもしろい役を演じている(ただし、どうも私はこの人の魅力が良くわからない)。ドタバタ劇の様相をとりながら、ほろりとさせ、人間模様を描くところはとてもおもしろい。

 

・「恋するシャンソン」

 1997年の映画。パリに住む女性姉妹(サビーヌ・アゼマとアニエス・ジャウイ)の愛をめぐる物語。セリフの中に突然シャンソンが入り込む。しかも、いわゆる「口パク」で、登場人物が口を動かしているのに、聞こえるのはまったく別の人物の声。私はシャンソンについてはまったく無知なのだが、その私ですら聞き覚えのあるフレーズがいくつか出てくるのでので、きっとこれは懐メロの類であって、歌声はきっとフランス人ならだれでも知っている有名歌手たちなのだろう。

要するに、セリフの途中で登場人物が自分の心を懐メロに代弁させているということになる。きっとこれらの歌はフランス人にとって自分たちの歴史、自分たちの過去と結びついているのだろう。歌によって登場人物とフランスという国と見ている人間が歴史を共有するという仕掛けなのだと思う。

チョイ役でジェーン・バーキンが登場したのにはびっくり。ただ、シャンソンにうとい私としては、このように創作意図を想像はしてみるものの、まったくぴんと来ない。そして、主役の一人であるアンドレ・デュソリエが日本人には65歳を超した老人に見えるのだが、30代くらいと思われる役を演じているのに強い違和感を覚える(ネットで調べたら、46年生まれというから、このころ50歳前後)。

 

・「巴里の恋愛協奏曲」

 2003年の映画。アンドレ・バルド台本、モーリス・イヴァン作曲による1925年のオペレッタ「Pas sur la bouche!」(「唇はだめよ!」)の映画化。映画としてはおもしろい。いかにも20世紀前半のオペレッタらしい筋書き。レハールを思わせる。上流社会の他愛のない男女の愛のもつれを描くいわゆる「ブールヴァール劇」。最後は無理やりめでたしめでたし。俳優たちも名演技。サビーヌ・アゼマ、オドレイ・トトゥは特に魅力的。口パクでなく、俳優が自分で歌ったというから、その意味では驚異的なことなのだが、ただ、オペラ好きの私としては、やはり俳優たちの歌はそれなりのものでしかない。本職のオペラ歌手、あるいはオペレッタ歌手が歌っていたら、私はもっとずっと楽しめただろう。そもそも私がオペレッタをみるとき、ストーリーを知りたいのではなく、名人芸としての歌を聴きたいのだから。

 

・「六つの心」

 2006年の映画。登場人物6人のそれぞれの心を4日間の出来事として描いていく。苦しみや欲望を押し隠して孤独の生きる6人が街角ですれ違う。「愛して飲んで歌って」と同じエイクボーン原作。人間はだれもが人に明かせない心を持ちながらも表面的にはさりげなく生きているのだということがひしひしと伝わる。私はとても気に入った。

淫乱な欲望を秘めた女性を演ずるサビーヌ・アゼマ、家族への屈折した思いを押し殺して静かに生きるバーテンダーを演じるピエール・アルディティがとてもいい。ただ登場人物全体が高齢化しているのに驚く。主要人物の多くが50歳以上にみえる。とりわけ、アンドレ・デュソリエが「恋するシャンソン」と同じように、私には70歳近くに見える(実年齢は60歳前後)のだが、どうも30代か40代の設定としか思えない。レネにどのような計算があったのだろう?

 

・「風にそよぐ草」

 2009年の映画。不思議な映画。初老の男(アンドレ・デュソリエ)が財布を拾う。落とし主の女性(サビーヌ・アゼマ)に連絡を取ろうとして、いつの間にかストーカーめいた行動をとるようになり、女性に嫌われる。ところがいつしか逆に女性のほうが男に興味を抱くようになる。そして最後、女性は自分の操縦する小型飛行機に男とその妻を乗せるが、事故にあって墜落する。

そんな物語なのだが、登場人物たちはほぼ全員がまったく理解不能な行動をとる。なぜ男が財布の持ち主に連絡を取ろうとするのか、なぜ激しい感情を抱くのか、妻との関係はどうなっているのか、一体妻はどう考えているのか。なぜ女性は飛行機に男たちを乗せようとするのか。私が日本人であるから理解不能というわけではあるまいし、そもそも歯科医師の女性が飛行機を操縦するという設定もかなり突飛な気がする。一人一人の行動があまりに突飛なので、すべての行動が象徴的な意味を持って見えてくる。が、その意味もよくわからないまま終わる。

映画の最後で突然、これまでの物語には登場しなかった少女が登場して、母親に「猫になると猫の餌を食べられるの?」と尋ねる。きっとこれは、「一般的な人間社会の常識を捨てると、この映画を理解できるようになるの?」という映画を見ている人の気持ちを代弁するものだろう。ただし、私はこの映画をおもしろいと思わなかった。

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