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「ばらの騎士」の冒頭のオクタヴィアンの台詞について

 昨日、新国立劇場でみた「ばらの騎士」。とてもよかった。まだ、うっとりしている。

 ただ、字幕について不満があった。少しそれについて書かせてもらう。

第一幕冒頭、オクタヴィアンの最初の台詞の日本語訳について、私はいつも不満に思っている。きっとドイツ語のできる人は意味を理解しながらニヤリとしているのだろう。だが、もう少しわかる訳にしてほしいと思う。なんてったって、冒頭なのだから!

 昨日の公演での日本語訳がどのようなものであったのか、正確には覚えていない。「オペラ対訳プロジェクト」( http://www31.atwiki.jp/oper/pages/1542.html)では以下のようになっているが、昨日の公演での日本語訳も大差なかったように思う。

 

 オクタヴィアン

Wie du warst! Wie du bist! Das weiß niemand, das ahnt keiner!

あなたがどんなだったか!あなたがどんなか!一人として知らない、誰にも思いもつきもしないんだ!

 

元帥夫人

Beklagt Er sich über das, Quinquin? Möcht’ Er, dass viele das wüssten?

文句がおあり?カンカン?皆が私がどんなか知っていた方がよろしくて?

 

 実を言うと、私も長い間、最初のやりとりがどのような意味を持つのか理解できずにいた。何しろ、最初に対訳を読みながらレコードを聴いた(男女の対話になっているのに、聞こえてくるのは女性の声ばかりなので、レコードの表示が間違えているのではないかと焦った!)のは中学3年生のころ。このセリフに含まれる意味がわかるはずもなかった。その後、特に台詞の意味を気にせずに音楽に夢中になっていた。中学生のころからドイツ音楽ばかり聴いていたのに、高校時代にサルトル、カミュ、ヌーヴォー・ロマンに夢中になってドイツ語でなくフランス語を選択してしまったので、ドイツ語もできない。

 私がこの場面の意味に気付いたのは、フランス語字幕でDVDを見た時だった気がする(今でも英語よりはフランス語のほうが理解できるので、DVDなどでオペラを見るとき、日本語字幕がない場合にはフランス語字幕を呼びだす)。

「あなたがどんなだったか!あなたがどんなか!」とは、「以前のあなたがどうであったか、そして、今のあなたがどうであるか」という意味なのだ。もっと意訳するとこういうことだ。

 

オクタヴィアン

さっきのあなたはあれほど乱れていた。それに対して、今のあなたはこんなにしとやかそうだ。夜のあなたと朝になってからのあなたにこれほどの差があることをだれも知らない。誰もそんなことを考えてもみない。

 

元帥夫人

それに不満でもあるの? それともあなたは、私がさっきのように夜に乱れることを、みんなに知ってほしいとでもいうの?

 

これに気付いてから、前奏曲の意味も、その後のふたりのやり取りの意味もやっとわかるようになった。もちろん、前奏曲は男女の営みそのものを描いている。冒頭の台詞に続くオクタヴィアンの台詞も男女の営みを念頭において語られたものだ。「あなたと僕」について語る部分はもちろん「トリスタンとイゾルデ」のパロディだが、ワーグナーにおいては形而上学的だった「und」という単語を、まさしく形而下的に即物的にとらえ返しているわけだ。

そして、その形而下性、反形而上学性が「ばらの騎士」の最大の魅力であり、その音楽史的な意義だと私は考えている。

昨日の公演での日本語訳では、このことはまったく伝わらなかったと思う。

それに、オクタヴィアンが「僕は昼が嫌いだ」と叫ぶ部分も、「昼」と訳すのに違和感がある。もちろん、この台詞は「夜」と対比されて、太陽の出ている時間帯のことを言っている。だが、日本語で「昼」というと、どうしても「朝」と対比されて「午後」の意味になってしまう。むしろ「僕は朝が嫌いだ」と訳すほうが意味は伝わりやすいと思う。

で、意訳しすぎず、しかも十分に意味がわかるように、冒頭部分を訳すとすれば、私ならこうするだろう。

 

オクタヴィアン

さっきのあなたと今のあなた。どれほど違うかだれも知らない。想像もしてみない。

 

元帥夫人

 あら、不平でもあるの。それとも、みんなに知ってほしいの。

 

 きっと私がここに書いたことは、ドイツ語を話す人はみんな理解しているのだと思う。が、それについて触れた文章がないので、ここに書かせていただいた。たぶん、私のここに書いたことに間違いはないと思うのだが・・・。

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新国立「ばらの騎士」 シュヴァーネヴィルムスのマルシャリンにうっとり

2015530日新国立劇場で「ばらの騎士」を見た。素晴らしかった。

一人一人の歌手の力量のレベルが高い。とりわけ、マルシャリンを歌うアンネ・シュヴァーネヴィルムスは歌唱、演技、容姿すべてをふくめて現代随一ではないか。強い声で歌うときはもちろん、ピアニシモの声の表現が実に心にしみる。第一幕のアリアも、第三幕の三重唱も絶品だと思った。あまりに美しい。うっとり!

 オックスを歌うユルゲン・リンも芸達者で声も張りがあっていい。下品になりすぎず、愛嬌がある。ステファニー・アタナソフのオクタヴィアンも、自信なげで世慣れていない少年らしくて魅力的。オクタヴィアンというのは、まさしくこんな少年なんだろうと思った。

クレメンス・ウンターライナーのファニナルもうまい。これまで見てきた生真面目で律儀なファニナルというよりも、十分に世慣れてしたたかなファニナルという雰囲気で、それはそれでおもしろい。

 ゾフィーを歌うアンケ・ブリーゲルも、声の面ではまったく不満はない。ただ、服装や髪形のせいか、妙におば様ふうに見えて違和感があった。もう少し若々しい外見にできなかったのだろうか。

 加納悦子(アンニーナ)、妻屋秀和(警部)、田中三佐代(マリアンネ)らの日本人歌手もみごと。ヴァルツァッキ役の高橋淳さんが体調不良で降板した。代役の方もとても良かったが、私は高橋淳ファンで、高橋さんの声と演技を楽しみにしていただけにかなり残念。

 指揮はシュテファン・ショルテス。オーケストラは東京フィル。もちろんとても見事な演奏。だが、私の耳が肥えすぎているのか、どうしてももっと精妙な音を期待してしまう。これまで私が録音やザルツブルク音楽祭の実演やらで聴いたウィーン・フィルなどのとろけるような官能性やうっとりするような美しさが少々不足しているように思った。歌との微妙なずれのためにピタリと決まらないところも感じた。とはいえ、これは致し方ないところだろう。

 演出はジョナサン・ミラー。大きな読み替えのない妥当な演出といってよいだろう。第一幕の最後でマルシャリンがタバコを吸いだしたのには驚いたが、それも孤独の表現なのだろう。しかし、それにしても優雅な吸い方に驚いた。クリムトの絵にでも出てきそうな雰囲気。第二幕では、オックスは軍服を着ていたが、私にはその意味あいがよくわからなかった。第三幕はただ感動してみていた。

「ばらの騎士」を初めてレコードで聴いて、シュヴァルツコップの歌唱に魅了されてから半世紀。中学生のころに感動したのとは別のところにも感動するようになったが、今でも変わらず最も好きなオペラの一つだ。実に幸せな気持ちになった。

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ボルトン+モーツァルテウムのモーツァルトを楽しんだ

 2015525日、武蔵野市民文化会館大ホールでアイヴィー・ボルトン指揮、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団のコンサートを聴いた。曲目はモーツァルトの交響曲394041番。とても良かった。

 私はこの指揮者によるモーツァルテウム管弦楽団の演奏をザルツブルクや日本で何度か聴いている。期待外れのこともあったし、とても感動したこともあった。で、今回は、感動とまではいかなかったが、とても楽しめた。

 私はこの指揮者は本質的にオペラ指揮者だと思う。きわめてドラマティックに演奏する。音に「意味」をこめているように感じる。39番の交響曲もまるでオペラの序曲のよう。長調の曲なのに、憎しみがあり絶望があり怒りがあり復讐劇があるかのように聞こえる。ティンパニが大活躍し、縁取りを明確にする。古典主義的な均整美ではなく、バロック的ないびつさがある。悪く言えば、バタバタしている感じ。だが、そこがおもしろい。古楽器奏法を取り入れているので、いっそうそれが激しい。

 40番はいっそう悲劇性が際立っていた。41番はダイナミックで祝祭的。第4楽章はバタバタしながら盛り上がりに盛り上がった。颯爽として、さりげなさの中に悲しみがある・・・というようなモーツァルト演奏ではない。もっと泥臭く、田舎臭く、人生に悪戦苦闘しているモーツァルト。これはこれでモーツァルトの真実だろう。

 オーケストラは管楽器がとてもきれいだと思った。遠くだったので良く見えなかったが、ホルンはナチュラルホルンのようだ。現代楽器に比べて音程が不安定なのは仕方がない。とてもきれいな音だった。

 武蔵野市民文化会館で席をとるときには前方を選んできた。が、今回、発売日に出かけなければならなかったせいでネットを使えなかった。そのためかなり後方の席になった。

 このホールで後方にいると、高齢者の圧倒的な多さに改めて驚く。そして、高齢者のマナーがかなり気になる。のど飴の袋を開けていたり、プログラムをいじっていたりするがさがさ音が絶え間なく聞こえている。居眠りしている人も多い。今日はそれほど目立たなかったが、演奏中ずっとガムをかんでいる人、帽子をかぶったままの人、おしゃべりをする人もこのホールではよく見かける。

 高齢者こそマナーの見本になるべきだと思う。私もすぐに高齢者になる。もうほとんどなりかけている。気をつけたいと思う。

 アンコールはポストホルン・セレナーデの終楽章とカッサシオンK63の第3楽章とのこと。ポストホルンのほうは聴き覚えがあったが、カッサシオンはおそらく録音を含めて初めて聴いた。

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METライブビューイング「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」

 

 

 METライブビューイング「カヴァレリア・ルスティカーナ」と「道化師」を見た。素晴らしい。2014~15年のシーズンの最後の演目。このところのMETの充実には目を見張るが、今回もまた圧倒的な高いレベルでの上演。 2本とも、指揮はファビオ・ルイージ、演出はデイヴィッド・マクヴィカー。

 

 ルイージは前日に「メリー・ウィドウ」を指揮したばかりだという。そして、当日はこの2本。いずれもシャープで繊細でドラマティック。美しい旋律を響かせるが、時として鋭い音が運命的になり響かせる。「道化師」の間奏曲のドラマティックな音の紡ぎ方には圧倒された。オーケストラも素晴らしい。

 

「カヴァレリア・ルスティカーナ」については、やはりトゥリッドゥのマルセロ・アルヴァレスの張りのある声、人物造形が圧倒的。愛の板挟みになった弱い男がにじみ出る。サントゥッツァのエヴァ=マリア・ヴェストブルックも素晴らしい。この役にしては少々容姿的に美しすぎる(オペラを見て、歌っている歌手が美しすぎるという感想を持つことはめったにない!)が、善良で敬虔な女性が嫉妬に狂う様を激しくもしっとりと歌いあげる。アルフィオのジョージ・ギャグニッザも存在感にあふれる太い声。

 

 マクヴィカーの演出は、舞台も登場人物も黒に統一され、ゴヤの一連の「暗い絵」を思わせる。宗教的な救いは強調されず、むしろ因習的で束縛的な社会の中で純粋に愛を貫こうとするサントゥッツァの悲劇を描こうとしているようだ。説得力がある。

 

「道化師」はもっとすごかった。マルセロ・アルヴァレスのカニオは、自在な歌、独特の芝居で客をひきつける。トゥリッドゥ役とは違った迫力。ネッダのパトリシア・ラセットもアクの強い、しかも純愛に生きる女性を見事に歌っている。しかも芸達者で蠱惑的な要素もある。ジョージ・ギャグニッザのトニオはまさしく適役。前口上も道化の悲哀をこめて素晴らしいが、屈折したトニオの心情をどす黒い歌で示してくれた。

 

 演出も見事。黒を基調にした「カヴァレリア・ルスティカーナ」に比べると、ずっとリアルな演出。群衆や三人のエンタテナー、道化師たちの動きは最高のエンターテイメントを提供し続けてきたアメリカの最上の演出家によるものだと納得する。

 

 音楽に酔い、ドラマにひきつけられ、それぞれの登場人物に感情移入してその運命を共有し、私自身引き裂かれた気分になり、息をのんでみているうちに結末に進んだ。最後の音の凄まじかったこと!

 

 ところで、2015年5月23日放送された「世界一受けたい授業」でこれまでのベストセラーが紹介され、その中でかつて私が出演した「世界一受けたい授業」(この番組に2度ほど出演した記憶がある)の録画が紹介されたらしい。私の書いた「頭がいい人、悪い人の話し方」が戦後70年間のベストセラー22位だそうだ。軽い気持ちで書いた本だったが、ここまで売れるとは自分でも信じられない。「もっといい本をたくさん書いているのになあ…」というのが本音。

 

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エカテリーナ・レキーナ ソプラノ・リサイタル コロラトゥーラ・ソプラノを堪能

 2015518日、武蔵野市民文化会館小ホールでエカテリーナ・レキーナによるソプラノ・リサイタルを聴いた。レキーナは、ロシア出身の若い歌手。年齢は記載されていないが、30代に見える。スタイルの良いロシア美人。見ただけでも華があるが、声も最高に美しい。

 前半は、モーツァルトのモテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」や「魔笛」の夜の女王のアリア「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」など、モーツァルトでまとめた。後半は、ロッシーニの「結婚手形」やベッリーニの「夢遊病の女」、ドニゼッティの「シャモニーのリンダ」、トマの「ミニョン」、オッフェンバックの「ホフマン物語」などからのおなじみのコロラトゥーラのアリア。ピアノ伴奏は斉藤雅広。相変わらず、実に雄弁に独唱者を支える見事な伴奏。3曲ほどピアノソロも演奏されたが、それもおもしろかった。

 レキーナについては、フランスものが特に良かった。

前半のモーツァルトや後半のイタリアものも、声が最高に美しく、ホール中に美しく響き渡って、それはそれで素晴らしいのだが、「グルベローヴァやデセーなどの世界最高のコロラトゥーラに比べると、ちょっと何かが足りない」という印象を抱いていた。ちょっとだけ一本調子というか。素晴らしく美しい声なのに、ぐっと迫ってこない。美しい声を出すことを着にしすぎて、音楽全体の躍動がやや不足している気がした。ヴァイオリンと歌という違いはあるが、一昨日聴いた戸田弥生さんのヴァイオリンのようなすさまじい迫力が不足する。

が、トマとオッフェンバックについては文句なく素晴らしかった。フランス語が得意なのか、それともだんだん調子が上がってきて、最後に歌ったのがフランスものだったので、とりわけ良かったのか。

自然でのびやかな声。コロラトゥーラの声の美しさに圧倒される。フランスオペラでは、それがとりわけ自然に響く。

アンコールは、これまたコロラトゥーラ曲としておなじみのアリャビエフの「うぐいす」。これはレキーナにとっての母語なのだろう。フランスもの以上に素晴らしかった。コロラトゥーラの部分だけ二度アンコールを歌ったが、二度目は装飾をもっと増やして、もっと自在に歌った。うっとりした。

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6月18日に多摩大学で新居由佳梨ピアノリサイタルを開催!

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618日(木)に多摩大学多摩キャンパスの101教室において、樋口ゼミ主催で、新居由佳梨によるピアノリサイタルを開く。

新居さんは、伝説の女流ヴァイオリニストであるイダ・ヘンデルが日本でレコーディングした際にピアノ伴奏者に抜擢されたことでもわかる通り、豊かな才能を持つ若手の女流ピアニスト。フランスの実力派ヴァイオリニストであるオリヴィエ・シャルリエとの共演も多く、ピアノ独奏者としても室内楽演奏者としても大活躍している。

多摩大学樋口ゼミでは、2007年の発足直後に新居さんのリサイタルを開き、以来、ずっと応援し続けてきた。

入場は無料。多摩大学学外の方も歓迎。曲目は以下の通りだが、とりわけラヴェルの「ラ・ヴァルス」は、言葉をなくすほどの繊細で華麗でダイナミックな世界が広がるはず。私は一度、新居さんの「ラ・ヴァルス」を聴いて感動し驚嘆した。ぜひ、その時の感動を多くの人に味わっていただきたい。

 

日時   618日(木) 1630分~1740

場所   多摩大学多摩キャンパス 101教室

入場料  無料

演奏   新居由佳梨 (ピアノ)

曲目

ショパン  エチュード 第1番 op.10-1

 ショパン  雨だれの前奏曲

 ドビュッシー  西風の見たもの

 ドビュッシー  雪は踊っている

 ドビュッシー  月の光

 ラヴェル  ソナチネより 第3楽章

ラモー  タンブーラン

 バッハ  フランス組曲第5番より「アルマンド」「サラバンド」

 チャイコフスキー  くるみ割り人形より「トレパーク」

 ショパン  英雄ポロネーズ

 ラヴェル  ラ・ヴァルス

 

 席数に限りがありますので、満員の場合にはご入場をお断りする場合があります。また、駐車場が完備されておりませんので、外部の方の車でのご来場はご遠慮ください。

 問い合わせがありましたら、このブログに連絡ください。アドレスなどは公開されませんし、リサイタルの問い合わせ以外には利用しませんので、ご安心ください。

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戸田弥生&エル=バシャのフランクに打ちのめされた

 2015516日、第一生命ホールで戸田弥生&エル=バシャのよるデュオ・リサイタルを聴いた。すさまじい演奏!!

 前半はベートーヴェンの「春」とシューマンのソナタ第2番。

エル=バシャのピアノは高潔で知的。一つ一つの音が最高に美しく、最高に正確。節度をわきまえつつもそこにロマンティックな要素を含ませていく。が、戸田さんのヴァイオリンはまったくそうではない。きれいな演奏ではない、表面を飾るような音楽ではない。あまりきれいでない音も聞こえる(戸田さん、ごめんなさい!)。昔のシゲティの演奏を思わせるような内面をぐっとつかむような音楽。「春」の第一楽章の途中から、私はぐいぐいと戸田さんの世界に引きこまれていった。

 シューマンは異界に引きこむような演奏だった。私は、シューマンを聴くと、いつも夢幻と狂気の世界に引きこまれるような居心地の悪さを感じる。だから、シューマンは好きな作曲家ではない。が、戸田さんのシューマンを聴くと、好きとか嫌いとか言っていられなくなる。ぐいぐいと不思議な世界に引きこまれていく。否応なく異界に入り込まされた気分になってくる。シューマンが好きでない私には決して心地よくはないが、しかし、あまりの不思議な世界に抵抗力をなくすしかない。

 後半のフランクのソナタはもっとすごかった。煮えたぎる情念とでもいうか。しかし、それを表に出して情熱的に弾きまくるのではない。女性的というのかフランス的というのか、前半のベートーヴェンやシューマンよりも優雅で静かな面を見せる。シューマンのように最初から不思議な世界に聴き手を投げ込むのではない。が、じわりじわりとすさまじい情念の世界に入り込む。第二楽章以降は、私は静かに煮えたぎる世界の中で揺れ動いた。

 戸田さんの演奏を聴くと、これこそが音楽だ!と強く思う。こぎれいに整えたのではない、心の本質に迫ってくる音楽。技巧を見せつけるわけでもない。目新しい解釈を聴かせてくれるわけでもない。真摯に音楽に挑み、そこから音楽の中に込められている精神を引き出してくれる。

アンコールはベートーヴェンの第6番のソナタの第二楽章。煮えたぎる情念から少し醒めさせてくれた。が、これまた静かな中にすべてを押し込んだような音。

様々な仕事でかなり疲れていたが、これほどの音楽を聴くと心の底から活力が出てくる。元気になって家に戻った。

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ロベルト・ホルの厳粛な歌に涙を流す

 2015514日、武蔵野市民文化会館小ホールでロベルト・ホルによるバリトン・リサイタルを聴いた。ピアノ伴奏はみどり・オルトナー。

 曲目は、シューベルトの「人間の限界」「魔王」「プロメテウス」、シューマン『竪琴弾きの歌』から3曲、そして「夜の歌」、ステファンという第一次大戦で戦死した作曲家の「二つの厳粛な歌」。後半にヴォルフの「ミケランジェロの詩による三つの歌曲」とブラームスの「四つの厳粛な歌」。いずれも人間の死や苦悩を歌った厳粛で深刻なもの。

 ホルは大好きな歌手だ。バイロイトやベルリンで、これまで彼の歌うダーラント、マルケ王、ハンス・ザックスを聴いてきた。日本でもこれまで二度ほどリサイタルを聴いた記憶がある。いずれも素晴らしかった。私の知る限り、現代最高のリート歌手の一人だ。

 そして本日。私は「四つの厳粛な歌」に心の底から打ちのめされた。涙が出てきた。

 ほとんどの人は賛同してくれなかったが、私は20代から30代にかけて、歌曲作曲家として、シューベルトよりもシューマンよりもヴォルフよりもブラームスが好きだった。特に「マゲローネのロマンス」と「四つの厳粛な歌」が大好きで、フィッシャー=ディスカウの録音を繰り返し聴いていた(フィシャー=ディスカウはむしろ嫌いだったが、なぜかブラームスの歌曲についてはフィッシャー=ディスカウを好んでいた)。今日、久しぶりに「四つの厳粛な歌」を聴いて、これが大好きな曲だったことを思いだした。

 ホルが歌うと、フィッシャー=ディスカウ以上に深く沈潜する。しみじみと人間の苦しみが伝わり、苦しみと死の向こうにある神へ希望が静かに聞こえてくる。わざとらしさがなく、真摯で人間臭い。ホルの歌を聴きながら、ともに苦しみ、ともに死を恐れ、死を受け入れ、人生を共にしている気持ちになった。みどり・オルトなーのピアノ伴奏も、あまり深刻になりすぎず、しかし、しっかりとホルの深い足取りを支えて実にいい。

 アンコールはシューベルトの「夕映えの中で」と「楽に寄す」。人はやがて夕映えを迎え、死を受け入れなければならない。死という厳粛で苦しい終末が待っている。しかし、人間には音楽があるではないか。ともあれ、私の人生には音楽があるではないか。・・・そんなメッセージが込められているように思えた。

 ホルの歌を聴くと、一つの人生を味わった気持ちになる。同時に、私の思いを、ホルが代わって歌ってくれている気持ちになる。

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2015年ラ・フォル・ジュルネ勝手にベスト5をつけてみた

 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2015が終わって、昨日は家でゆっくりした。たまった仕事を少しずつこなしている。今日(5月6日)まで休みだが、まだまだ仕事がたまっている。最近、肩凝りがひどく、根気が続かない。腰痛にも悩む。このままでは仕事ができなくなると思って、ネットで探して、タオルを使った体操を始めた。効果のほどはまだわからない。

 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2015で聴いた19のコンサートの中から勝手にベスト5を選ぶことにする。当然のことながら、私の好みによって弦楽器と声楽が中心になる。

 

1 フィリップ・ピエルロの指揮によるリチェルカール・コンソート(5月4日)

バッハのカンタータ「汝何を悲しまんとするや」、マニフィカト ニ長調 BWV43

 

しみじみとして信仰の喜びが湧き上がる。濃密で親密なオーケストラ。マリア・ケオハネ、アンナ・ツァンダーらの声楽陣も充実。

 

2 佐藤俊介、イレーヌ・ドゥヴァル(ヴァイオリン)、ロベルト・フォレス・ヴェセス指揮、オーヴェルニュ室内管弦楽団(5月2日)

 バッハのヴァイオリン協奏曲 1番、第2番、2つのヴァイオリンのための協奏曲

 

 バッハ演奏のあり方に目を見開かれる思いだった。ロマンティックな要素を排除した快速の演奏だが、そこから深いバッハの世界がきこえてきた。

 

3 ミシェル・コルボの指揮、ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル(5月3日)

バッハ「ヨハネ受難曲」

 

コルボ独特の世界。柔和でしみじみとして深く心の底に入り込む。

 

4 トリオ・カレニーヌ (5月4日)

ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 5番「幽霊」、シューベルト「ノットゥルノ」

 

若々しく鮮烈な演奏。一つ一つの音が際立っている。ピアノの推進力も素晴らしい。

 

5 プラジャーク弦楽四重奏団(5月3日)

ベルク「抒情組曲」、ヤナーチェクの弦楽四重奏曲第2番「ないしょの手紙」

 とりわけヤナーチェクの疼きの音楽に圧倒された。

 

次点 オリヴィエ・シャルリエのヴァイオリンと指揮、兵庫芸術文化センター管弦楽団(5月3日)

ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集「四季」

シャルリエ独特の味わい深い「四季」

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2015年ラ・フォル・ジュルネ3日目(5月4日)

 

 

本日をもって、2015年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンは終わった。最終目は6つのコンサートを聴いた。今年は合計19。私のラ・フォル・ジュルネのコンサートの累計は有料のものだけで432になる。たぶん日本一だと思う。本日のコンサートの感想を短くまとめる。

 

・オリヴィエ・シャルリエのヴァイオリンと指揮による兵庫芸術文化センター管弦楽団

 

バッハのヴァイオリン協奏曲 1番、第2番、2台のヴァイオリンのための協奏曲

 

 味わい豊かな演奏。ただ、どうしても、シャルリエが演奏すると、ロマンティックでフランス的な味がついてしまって、私の考えるバッハの味わいとは異なってしまう。二重協奏曲は、モニーク・ラパンという若い女性ヴァイオリストが加わったが、そうなるとシャルリエの味わいが薄まって、私の考えるバッハに近づいた。最終的には、大いに感動。

 

・トリオ・カレニーヌ 

 

 ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲 5番「幽霊」 シューベルト「ノットゥルノ」 

 フランスの若いトリオ。素晴らしい演奏。明晰で切れが良く、一つ一つの音が美しく生き生きとしている。一人一人の技量が見事。ピアノがとりわけ素晴らしい。「幽霊」の第2楽章も論理的に組み立てて、実に説得力がある。曖昧なところがない。すごいトリオが現れたものだと思った。

 

 

・セルゲ・ツィンマーマン(ヴァイオリン)、アンドラーシュ・ケラーのヴァイオリンと指揮によるコンチェルト・ブダペスト

 

 バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲ハ短調 BWV1060、ヴァイオリン協奏曲第1番、2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043

 

 ケラーがヴァイオリンと指揮を受け持った。2台のヴァイオリンの場合にはツィンマーマンが加わる形。まったく破綻がなく、自然に流れていく。ヴァイオリンもしかり、オーケストラもしかり。だが、そうなるとかなり当たり前の演奏という感じになってしまって、あまり強い感銘は受けなかった。とても良い演奏だとは思うが。

 

・鈴木優人(チェンバロ)、鈴木雅明のチェンバロと指揮によるバッハ・コレギウム・ジャパン

 

バッハの2台のチェンバロのための協奏曲 第2番 ハ長調 BWV106、2台のチェンバロのための協奏曲第3 ハ短調 BWV106 

 

 さすがと言おうか。音が緻密で、チェンバロとバックがぴたりとあっている。親子のチェンバロの息もぴったり。ただ、私の席からはチェンバロの音が小さくて、耳をそばだてなくては聞こえなかった。チェンバロを聴くにはCホールは少し大きすぎたようだ。それにしても同じ分野で頂点を極める親子が羨ましい。 

 

 

・マリア・ケオハネ(ソプラノ)、アンナ・ツァンダー(メゾ・ソプラノ)、カルロス・メナ(アルト)、ハンス・イェルク・マンメル(テノール)、マティアス・フィーヴェク(バス)、フィリップ・ピエルロの指揮によるリチェルカール・コンソート

 

バッハのカンタータ「汝何を悲しまんとするや」、マニフィカト ニ長調 BWV43

 

 今年のラ・フォル・ジュルネで最高のコンサート! しっとりとして信仰にあふれている。声楽陣も最高の顔ぶれ。よそ行きではなく、親密な中で深い信仰を確かめあうかのような音楽。「マニフィカート」もなんという美しさ、そしてなんという落ち着いた親密さ。大上段に振りかざすのでなく、心の奥底で深く沈潜する。深く感動した。ピエルロの指揮もいいし、それに答えるリチェルカール・コンソート(フルートはマルク・アンタイだと思う!)もすごい。世界最高のバロックオーケストラだと思う。 

 

・中村まゆ美(ソプラノ)、大島義彰(ピアノ)

 

プーランク オペラ「人間の声」

 

 中村まゆ美は熱演だし、きっとフランス語を得意にしているのだと思うが、それでも、日本人がフランス語で歌うのは難しいということを今回もまた痛感。とりわけ、プーランクのこのモノ・オペラは言葉の響きが命なので、フランス語を母語としている人以外には難しいのではないかと思う。

 

 

 なお、午後、東京駅前の地下広場で丸の内エリアのラ・フォル・ジュルネ関連コンサートを聴いた。久保山菜摘(ピアノ)、犬嶋仁美(ヴァイオリン)、松本亜優(チェロ)によるピアソラの曲集。子の三人にはこれまで多摩大学樋口ゼミに協力していただいた。その実力のほどは私はよく知っている。見事な演奏で行きかう人をひきつけていた。ピアソラ独特のリズムは実に心地よかった。

 

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2015年 ラ・フォル・ジュルネ2日目(5月3日)

 2015年ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2日目のコンサートの感想を簡単にまとめる。

・オリヴィエ・シャルリエのヴァイオリンと指揮、兵庫芸術文化センター管弦楽団

 ヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲集「四季」

 シャルリエのヴァイオリンが素晴らしい。激しすぎない。しかし、味わい豊か。フランスの伝統とでも言うべきか。しなやかなメリハリがあり、自然に心に届く。まったく作為を感じないのに、少しも飽きさせない。オーケストラもとてもいい。客に子どもがたくさんいた。とてもいいことだと思う。ただ、最前列の中央に小さな子どもがいて、大声を出してぐずっていたようだ。さぞかしシャルリエは演奏しづらかっただろう。そんなことはおくびにも出さずに見事な演奏をするところはさすが。子どもを連れてくるのはよいが、少し後ろの列にする方がよいように思う。

・ダニエル・ロイスの指揮)、ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル

 バッハのモテット「来たれ、イエスよ、来たれ」「イエス、わが喜び」「主に向かって新しき歌をうたえ」

 地味だが信仰心にあふれる見事な演奏。とりわけ最後のモテットは心の奥から信仰の喜びが込み上げてくる。声がそろっていて、心地よい。

 

・小林沙羅、熊田祥子(ソプラノ)、相田麻純(メゾ・ソプラノ)、髙畠伸吾(テノール)、森雅史(バス)  井上道義の指揮によるオーケストラ・アンサンブル金沢

 バッハ カンタータ BWV147より「心と口と行いと生活で」、コラール「主よ、人の望みの喜びよ」、マニフィカート ニ長調 BWV43

 ソロのたびに歌手が舞台前方に移動してまるでオペラのアリアのように演奏する。少しピリオド楽器奏法を取り入れているのかもしれないが、基本的に現代楽器奏法。近年のバッハ演奏に逆行する今時珍しいタイプの演奏。メンゲルベルクやクレンペラー時代を思いだす。マニフィカートという派手な曲なのでそれが可能なのだろう。もちろん、マエストロ井上が意図的にそうしたのだろうし、それはそれでおもしろく聴けたが、私には違和感がある。バッハの精神と違い過ぎる気がする。歌手は女性陣がよかった。

 

・プラジャーク弦楽四重奏団

 ベルク「抒情組曲」、ヤナーチェクの弦楽四重奏曲第2番「ないしょの手紙」

 素晴らしい演奏。とりわけ、ヤナーチェクは得意の曲なのだろう。年下の人妻に恋をした作曲者の心境を感じる演奏。老人の心の中に激しい本能のうずきが起こる。平和な気持ちも生まれるし、平安な生活を求めたい気持ちもあるが、生きる欲望のうずきをどうすることもできない。そして、うずきを肯定して生きようとする。そのようなメッセージがこめられているように思った。きわめて危険な音楽だといえそう。

 

・ベアトリーチェ・ラナ(ピアノ)、アジス・ショハキモフの指揮、デュッセルドルフ交響楽団

N.チェレプニン「遠き王女のための間奏曲」、チャイコフスキーのピアノ協奏曲 1

 この演奏には少々不満を抱いた。ピアノが一本調子で音にニュアンスが不足するのを感じる。ただ弾きまくる感じ。オーケストラにも大味なところを感じた。ショハキモフはかなり若い指揮者であれこれ工夫しているのはわかるが、音が生きてこない感がある。まだこれからの指揮者とこれからのピアニストだと思った。あるいは、事情があって、リハーサル不足?また聴いてみたい。

 

・ミシェル・コルボの指揮、ローザンヌ声楽・器楽アンサンブル

 バッハ「ヨハネ受難曲」

 これは文句なく素晴らしい。最近、ピリオド楽器を用いた攻撃的なバロックをよく聴くので、このように優しく柔和なバッハを聴くと安心する。しかも、そうでありながら、決して飽きさせない。信仰心がこもっているからだろう。歌手も合唱も実に素晴らしい。歌手の名前が出ていないので、ローザンヌ声楽アンサンブルのメンバーなのだろうか。テノールとソプラノが特に素晴らしかった。私がコルボの実演を初めて聴いたのは、1977年だったか、たまたま訪れたパリのサン・ジェルマン・デ・プレ教会でのラムルー管弦楽団による「ヨハネ受難曲」だった。当時、20代だった私はコルボを老人だと思ったが、今や私は当時のコルボの年代をはるかに超えている。コルボのバッハ表現もずいぶん変わった。昔と重ね合わせながら聴いていた。感動した。

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2015年ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン 5月2日

 2015年のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンが東京国際フォーラムで始まった。私は2005年の第一回からこの音楽祭にかかわりを持ち、これまで本場ナントやびわ湖、鳥栖にまで足を運んで、ラ・フォル・ジュルネの有料なものだけで413のコンサートを聴いてきた。今年も3日間、朝から夜まで聴くつもり。

 今年のテーマは「パシオン」。英語で言えばもちろん「パッション」。受難曲などの宗教曲のほか、情熱的な曲がプログラムに並んでいる(ただし、ほとんどすべての音楽が情熱を表していると思うので、私自身はこのテーマのとり方には少々疑問を感じるのだが・・・)。

 初日5月2日には7つのコンサートを聴いた。簡単に感想を書く。

・カルロス・メナ(カウンター・テナー)、リチェルカール・コンソート。フィリップ・ピエルロ(指揮) 

 ヴィヴァルディ「あなた方の聖なる君主のために」「スターバト・マーテル」「ニシ・ドミヌス」

 午前中のコンサートなので、メナは初めのうちは調子が出ない様子。音程が安定しないで、地声の男の声が混じる雰囲気。が、だんだんと尻上がりに良くなってきた。信仰深い世界が描き出される。リチェルカール・コンソートの響きの美しさを堪能できた。

・イレーヌ・ドゥヴァル(ヴァイオリン)、フュロップ・ラーンキ(ピアノ)

 メシアン「主題と変奏」、フランクのヴァイオリン・ソナタ、サラサーテ「カルメン幻想曲」

 ドゥヴァルは1992年生まれの若い女性ヴァイオリニスト。ピアノ伴奏のラーンキは、あのデジュー・ラーンキの息子(デジューとその奥様、つまりフュロップの両親が中央の席で見ていた!)で、1995年生まれという。良くも悪くも、演奏に若さが出ていた。が、鮮烈なところがあり、ドゥヴァルの演奏にはあっと驚くような優雅でしなやかなところがある。最高の演奏というわけではなかったが、将来を頼もしく思う楽しい演奏だった。

・マリア・ケオハネ(ソプラノ)、カルロス・メナ(アルト)、ハンス・イェルク・マンメル(テノール)、マティアス・フィーヴェク(バス)  フィリップ・ピエルロ指揮、リチェルカール・コンソート

バッハ カンタータ「汝ら泣き叫ばん」と「候妃よ、さらに一条の光を」

リチェルカール・コンソートはナントのラ・フォル・ジュルネで真価を知って以来、ラ・フォル・ジュルネのたびに追いかけている。そして、ケオハネもその美しいソプラノに惹かれてきた。予想通りの見事な演奏。信仰にあふれ、しみじみと美しい。

・イド・バル=シャイ、ルイス=フェルナンド・ペレス、児玉桃のピアノ、ロベルト・フォレス・ヴェセス指揮、オーヴェルニュ室内管弦楽団

バッハの2台のチェンバロのための協奏曲第1・2・3番をピアノで演奏。第1番は児玉とバル=シャイ、第2番はペレスと児玉、第3番はバル=シャイとペレス。ピアノが交代するたびに少しずつ趣が変わるのがおもしろい。第1番が終わった時点で、「指揮者は何もしていないではないか」という印象を抱いたが、間違いだった。外見上何もしていないように見せる演奏だった。ロマンティックなところがまったくなく、颯爽と演奏していく。が、そこに人間の哀しみや喜びや信仰がにじみ出る。私は第2番のペレスと児玉の演奏がおもしろかった。二人ともきわめて知的で明晰。そのなかに人間性を感じた。

・セルゲ・ツィンマーマン(ヴァイオリン)

 バッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第1番、無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番

フランク・ペーター・ツィンマーマンの息子。昨年ベートーヴェンのソナタを聴いて少しがっかりした記憶がある。が、偉大なヴァイオリニストの息子なので、そのうち一皮むけて飛躍するのではないかと期待して聴いてみた。そして、期待以上によかった。生真面目な演奏。真正面からバッハの精神に挑んでいる。技巧で聴かせるタイプではない(もしかしたら、あまり技術はないのかもしれない)。が、私は真摯な音楽性に強く共感する。とりわけ、シャコンヌには私は魂を揺り動かされた。スケールが大きく、グイと人の心をつかむ。真摯に人生に挑む姿が見える。

・クラウディオ・カヴィーナの指揮とチェンバロによるラ・ヴェネクシアーナ

 モンテヴェルディのマドリガーレ集

 とてもおもしろかった。ルネサンスの生活が見えてくるような音楽。ソプラノとアルトの女性、バスの男性がとてもいい。ただ男性が三人で歌っているとき、私には不協和な音を何度か感じたのが、気のせいだったのか。モンテヴェルディはとてもおもしろい。もっと聴きたくなった。なお、曲目は予告とかなり変更になっていた。 

・佐藤俊介とイレーヌ・ドゥヴァルのヴァイオリン、ロベルト・フォレス・ヴェセス指揮、オーヴェルニュ室内管弦楽団

バッハのヴァイオリン協奏曲第1番、第2番、2つのヴァイオリンのための協奏曲

素晴らしかった。本日最高の演奏。第1番はドゥヴァル、第2番は佐藤が演奏。二人とも一気呵成という雰囲気。余計なことはしないですっきりと弾き切る。が、そこにおのずとバッハの世界が現れ、演奏者の世界観が現れる。曲のためからも知れないが、ドゥヴァルの演奏には音楽の楽しさ、演奏する喜びがみなぎっている。そして、時に実に優雅。あっという間に曲が終わってしまった。佐藤も一気呵成に演奏するが、そこにおのずと深い世界感がにじみ出る。やはりドゥヴァルよりも男性的で思い切りが良く、鋭く切り込んでいく。二人で演奏する二重協奏曲は圧巻。指揮もオーケストラも素晴らしい。

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