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TAMA女と男がともに生きるフェスティバル2015 女性演奏家コンサート 素晴らしい演奏

 2015627日午前、東京都多摩市関戸公民館ヴィータホールで、TAMA女と男がともに生きるフェスティバル2015が開かれた。その最初のイベントが、多摩大学樋口ゼミが実行委員に協力して開いた女性演奏家たちのコンサート。0歳から聞けるコンサートとしての企画だ。子ども連れのお父さん、お母さんをはじめ、100人を超すお客さんが午前中から聴きに来てくれた。企画・運営に当たったのが、私のゼミの学生たちだ。

演奏は村田千晶さん(ピアノ)、内田沙理さん(ヴァイオリン)、田中樹里さん(ソプラノ)、池田里奈さん(フルート)の四人。現在大活躍中で、あちこちのコンサートに引っ張りだこの四人が、このイベントに集まってくれ、だれもが聴いたことのあるはずの親しみやすい曲を次々と演奏してくれた。これほどポピュラーな曲を演奏するのは、むしろ難しいだろう。しかも、コンサートとしては環境がよいわけではない。小さな子どもたちの声も交じる。その中で、素晴らしい演奏だった。

私は、客席の隅っこに座ったが、演奏者との連絡のために、ときどき席を離れて舞台裏に行って聴いた。

 村田さんは個性の異なる3人の演奏家をうまくサポート。ご自身のソロのノクターン作品9-2も実に知的で音の輪郭が実に美しい。のめりこみすぎないのにとてもロマンティックなところが実にいい。

ヴァイオリンの内田さんは、リハーサルでは高貴な雰囲気を感じたが、本番ではむしろ「香り」を感じた。流麗で色気があり、しなやか。「ツィゴイネルワイゼン」のドラマティックな部分も、深い情熱にあふれながらも、けっして下品にならず、美しさを保っている。

 ソプラノの田中さんのプッチーニの「ジャンニニ・スキッキ」の「ああ、私のお父様」は絶品だった。実はプッチーニは嫌いな作曲家(あまりに通俗的なメロディ、あまりに通俗的なオーケストレーション!)なのだが、これは感動しないわけにはいかなかった。声の表現量が素晴らしい。「ドレミの歌」やアンコール曲では、観客の子どもたちに話しかけ、盛り上げる。ちょっと姉御肌のところもじつに頼もしい。

 フルートの池田さんは、「アルルの女」のメヌエットでは、晴れ渡った青空のような美しいメロディを歌い、「リベルタンゴ」では弾んで楽しくてカッコいいフルートを聴かせてくれた。フルートの表現力の幅の広さに驚いた。

 私たちのゼミの働き掛けによってたまたま出会った四人だったが、ぜひまたこの四人のコンサートを聴きたいと思った。そのような声がファスティバル実行委員の数人からも寄せられた。うれしいことだ。

ゼミ生もきちんと働き、私としては大変満足。もちろん、足りない部分、後で気づいた失敗など数々あったが、素晴らしい演奏に免じて許してもらおう。

 

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才能あふれる女性演奏家のコンサート近づく!

 先日、このブログで紹介した才能あふれる女性演奏家のコンサートが間近に迫った。

 才能あふれる女性演奏家というのは、田中樹里(ソプラノ)、村田千晶(ピアノ)、内田沙理(ヴァイオリン)、池田里奈(フルート)の四人。

 コンサートは、627()、午前11時~午後010分、関戸公民館ヴィータホールで開かれる。6月27・28日開催のTAMA女と男がともに生きるフェスティバル2015の一環で、多摩大学樋口ゼミが協力している。0歳から入場できる。このような一流の演奏を小さなお子さんと一緒に聞けるチャンスはほとんどないと私は思う。

 本日、都内某所でそのリハーサルを行った。私も立ち会ったが、実に見事な演奏だった。すぐ近くで聴けてとても幸せだった。いずれも才能あふれる若手として引っ張りだこの女性演奏家たちなので、今日しか4人に都合の良い時間帯がなかった。私は様々な仕事をキャンセルして立ち会ったのだった。が、その甲斐があった。

 本番ではかなり雰囲気が変わるかもしれないが、ソプラノの田中さんは迫力ある声でドラマティックに歌う。しかも、「ドレミの歌」などではちょっと可愛らしい。内田さんの「ツィゴイネルワイゼン」はドラマティックで暗い情念が立ち昇るが、演奏者の人柄を反映しているのか、高貴さがあって実に美しい。フルートの池田さんの演奏する「リベルタンゴ」は奔放で情熱的。この楽器にこんな音色があったのかと少し驚いた。ピアノの村田さんは一つ一つの音が美しく、しなやかで芯が強い。

 私たちが無理やりお願いした急ごしらえの「変則カルテット」だが、合わせるうちにすぐに息があって、まるで昔から演奏を続けてきたような音色になった。コンサート本番はもっと息が合い、もっと情熱的になると思う。

 ぜひ多くの方においでいただきたい。入場は無料。きっと大きな感動を得られると思う。

 曲目は、「情熱大陸」「トロイメライ」「ツィゴイネルワイゼン」「野ばら(シューベルト)」「リベルタンゴ」「ノクターン作品9-2(ショパン)」など。

 

日時 627()午前11時~午後010分 (1045分開場)

場所 関戸公民館ヴィータホール (聖蹟桜ヶ丘駅徒歩1分。OPAのビルの8階)

対象 どなたでも

定員 200(申し込み先着順)

https://www.city.tama.lg.jp/bunka/bunka/5841/015403.html

出演 田中樹里(ソプラノ)、村田千晶(ピアノ)、内田沙理(バイオリン)、池田里奈(フルート)

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河瀬監督の映画「あん」に涙を流した

 河瀨直美監督の最新作「あん」を見た。素晴らしい映画だった。

 樹木希林が演じる徳江があんこを作るシーン(その時点ではまだ徳江がハンセン氏病患者だとはわかっていない)があまりに美しい。私はその場面だけですでに涙を流しそうになった。収穫されたものに命を感じ、それと会話し、命を慈しみ、小豆を煮るという日本人が歴史的に日常の中で行ってきた行為によって、日本人の持っている歴史とつながる・・・その姿を樹木希林はあずきを煮るだけの行為によって伝えてくれた。なんと凄い女優だろう。そして、それを演出する河瀬監督の凄さ。

 小さなどら焼き屋を営む過去ある男(永瀬正敏)のもとに、アルバイトをしたいという高齢の女性、徳江が現れる。初めは断るが、徳江の作るあんこのおいしさのゆえに仕事を任せるようになる。あんこのおいしさのために店は繁盛するが、徳江がハンセン氏病患者だということが知られて、客足は途絶える。仕事をやめざるを得なかった徳江は療養所に戻って肺炎で世を去る。

 もちろんこれはハンセン氏病への無理解を告発するだけの映画ではない。ハンセン氏病であるがゆえに文明から取り残され、社会に出ることを禁じられ、自分らしく生きることを制限された人々が、そうであるがゆえに自然と結びつき、逆境の中の人々の昔ながらの生活につながっている様子を、河瀬監督は一年間の木々の周期と合わせて描く。

 樹木希林の孫である内田伽羅が、徳江を慕うどら焼き屋の常連の中学生を演じている。徳江と顔だちの似た少女がかつての徳江と同じようにどら焼き屋を支えていく姿に、姿を少しずつ変えながらたくましく続いていく自然のありさまが重なり合う。

 それにしても、河瀬監督の描く自然のなんと美しいこと。木々が神秘的な生命を帯び、悠久の年月を経て未来へとつながっていく。

 この映画はドリアン助川の原作に基づいているという。そのためだろう。河瀨映画としては説明的な部分が多く、作り話的な要素もある。私としては、徳江の声がテープに残されているあたりに作為性を感じないでもない。だが、河瀨映画の魅力にあふれている。療養所に戻った徳江の語りは涙なしに見ることができなかった。

 永瀬正敏も市原悦子も水野美紀も浅田美代子も、実にいい味を出している。どら焼きやの常連の中学生たちも実に魅力的。いつもの河瀨映画と同じように、作り物とは思えない自然な会話に驚く。

 河瀬監督の映画は観客を選ぶところがある。「二つ目の窓」を私は大傑作だと思い、心の底から感動したが、私はどうやら少数派のようだ。が、今回の「あん」は、間違いなく多くの人に受け入れられると思う。話題になっているので満員かと思って新宿の武蔵野館に足を運んだのだが、思いのほか客が少なかった。もっと多くの人に見てほしい映画だ。

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ハンガリー国立の「セビリアの理髪師」は、バルチェッローナはもちろん、ほかの歌手も素晴らしかった

 2015620日、東京文化会館でハンガリー国立歌劇場公演、ロッシーニの「セビリアの理髪師」(これまで私は「セヴィリアの理髪師」という表記をとってきたが、今回はプログラムに合わせる)をみた。とても楽しかった。歌手のレベルはかなり高い。私はダニエラ・バルチェッローナを目当てに出かけたのだったが、ほかの歌手たちも決して引けを取ってはいなかった。

 とはいえ、やはりバルチェッローナは素晴らしい。視覚的にはロジーナにしては大柄すぎるが、演技がチャーミングで、声の威力も歌い回しも理想的。アジリータはとりわけ見事。最初のアリア「今の歌が声は」は少し抑え気味だったが、徐々に本領を発揮した。バルチェッローナを初めてなまで聴いて幸せだった。

 フィガロを歌うのは東洋系のアルド・ホ。バルチェッローナの肩くらいしかないほど小柄だが、すばっしっこいフィガロの雰囲気が出てなかなかよろしい。声も演技も西洋人にまったく負けない。バジリオのゲーザ・ガーボルは深くて強い美声。得体の知れないこの役をうまく演じている。アルマヴィーヴァ伯爵のゾルタン・メジェシもきれいな声で張りがある。バルトロのヨゼフ・ベンツィも芸達者でアジリータもなかなか。ベルタを歌うアニコー・バコニはかなり若くてきれいな女性。清純な声でとてもチャーミングな歌だった。

 オリジナル版の演出はアンドラーシュ・ベーケーシュ、リニューアル版がバラージュ・コヴァリクとのこと。ロジーナが監禁されていることを強調した演出といってよいだろう。ただし、そうであるにもかかわらず、ロジーナが決して一筋縄ではいかない女性であることもあちこちで示している。いろいろと遊びが入る(たとえば、「ありがとう」「わかった」などの日本語の台詞)が、笑いを高めるにはこうした小細工も大事だと思う。

 指揮のイシュトヴァーン・デーネシュについては、特に秀でたものを感じなかった。もっと生き生きとしてほしいとしばしば思った。うまくオーケストラを統率していると思うが、それ以上の感銘は受けなかった。

 かなり驚いたのは、オーケストラにピアノ(休憩中に確かめたら、電子ピアノだった)の音が混じっていたことだ。レチタティーヴォも、チェンバロではなくピアノで伴奏されるが、聴き慣れたメロディとは異なる。アリアや重唱の間もオーケストラに混じってピアノの音が聞こえる。もしかして、指揮者がピアノも演奏していたのだろうか? 私の席からは見えなかった。ピアノが混じることに特に違和感があったわけではないが、これまでこのようなヴァージョンを聞いたことがなかったので、ともかく驚いたのだった。このようなヴァージョンが上演されているのだろうか?

 ともあれロッシーニは楽しい。ハンガリー国立歌劇場という、西洋の中心から離れた歌劇場の出しものなので、実はあまり期待しないで出かけたのだった。バルチェッローナだけが図抜けていて、ほかはまずまずで、そこそこのロッシーニをみせてくれるのだろうと思っていた。が、どうしてどうして。心の底から楽しむことができ、しばしば感動した。「ロッシーニは最高に楽しい!」と改めて思った。

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多摩大での新居由佳梨リサイタル 絶品のラ・ヴァルス

 2015618日、多摩大学多摩キャンパス101教室で、樋口ゼミ主催の新居由佳梨リサイタルを開いた。新居さんに多摩大学においでいただくのは3回目。これまでは江島有希子さんのヴァイオリンや山本裕康さんのチェロとのデュオだったが、今回はソロをお願いした。

 素晴らしいリサイタルだった。私は主催する立場だったが、一人の聴き手として大いに感動した。

 新居さんと出会って10年以上になる。初めて聴いたときから、ノーブルで繊細で透明で知的な演奏に惹かれた。が、今回聴いて、表現の幅が広がりダイナミックになり、人間の暗い部分までも含んだ深くてスケールの大きな音楽になっていることを痛感。おどろおどろしさや不気味さもあり、それらの音が躍動する。しかも、かつてのノーブルな雰囲気はまったく損なわれていない。本当に素晴らしいピアニストだ。

 ドビュッシーの「雪は踊っている」や「月の光」もラヴェルのソナチネの第3楽章もよかったが、後半の最後の2曲はまさしく絶品。ショパンの「英雄ポロネーズ」は、私は冒頭の音の研ぎ澄まされた美しさにあっと驚いた。その後の高揚も見事。生身の生きたショパンが立ち上がっている。情感にあふれ、ロマンティックに盛り上がっていく。が、情緒に流されない。

 なんといっても最後のラ・ヴァルスが言葉をなくすほどすごかった。不気味に始まり、徐々にワルツが形をなし、ダイナミックに躍動していく。そして、狂気にいたるほどの大乱舞が鍵盤いっぱいに行われる。そのような宇宙全体に広がるような舞いの世界を新居さんは驚くべきテクニックと音楽性で聴かせてくれた。

 新居さんのファンの方と演奏後に話をしたが、私もその方の言われる通り、ラ・ヴァルスに関して、私も新居さんの演奏は世界最高だと思う。新居さんのラ・ヴァルスほどに気品にあふれ、ダイナミックで華やかで、しかも優雅で知的な演奏を聴いたことがない。ますます新居さんのファンになった。

 本日の客は約100名。学生のほか、寺島実郎学長が監修する特別講座に参加している市民の方も多く訪れてくれた。その中には、クラシック音楽のコンサート初めてという人も何人もいたようだ。が、多くの方が、新居さんのピアノの凄まじさに驚き、音楽の素晴らしさに感動したことを話してくれた。

 雨模様で、しかもあまり良いピアノではない。演奏会場も単なる教室であって、音響もよくない。客が増えるにつれて、ますます湿気が増してきた。そのため、ピアノに湿気がたまったらしい。できるだけ湿気を減らそうとエアコンを効かせた(寒さを感じた方が観客の中にかなりおられたらしい。お詫びいたします。が、気温の快適さよりもピアノの鳴りのほうを優先させていただいたのだった!)が、それでも鳴りが悪かったようで、新居さんは普段以上に力を込めて演奏せざるをえなかったようだ。新居さんの両方の小指から出血。あとで見たら、鍵盤は血染めになっていた。聴いているほうはそんなことはまったくわからないほどのすごい演奏だった。ついでに言うと、「まるで、巨人の星みたいだ」とゼミ生に話したのだが、ほとんどの学生はわかってくれなかったようだ。

 コンサートの後、新居さんのほか、多摩大教員の一人とともに、近くのフランス料理の店エル・ダンジュで夕食をとった。とてもおいしかった。最高の音楽、大満足の夕食、楽しい語らい。素晴らしい一日だった。

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石田泰尚・山本裕康・諸田由里子ピアノトリオ 見事な演奏

 2015614日、一橋大学兼松講堂で、石田泰尚・山本裕康・諸田由里子ピアノトリオ・コンサートを聴いた。如水会鎌倉支部設立20周年、北鎌倉湧水ネットワーク設立15周年記念とのこと。とてもよかった。

 兼松講堂は少しこもり気味。私が後ろのほうの席だったせいもあるが、少し前で音が途切れているように感じた。もう少し前で聴きたかった。

 曲目は前半に山本さんによるバッハの無伴奏チェロ組曲第3番、石田さんと諸田さんによるチャイコフスキーの感傷的なワルツと、スメタナ「わが故郷」より、そしてブラームスのハンガリー舞曲第2番。後半にベートーヴェンのピアノ三重奏曲第7番「大公」。

 山本さんはゆったりとしておおらかなバッハを演奏。山本さんには、以前、多摩大学樋口ゼミのリサイタルでバッハの無伴奏チェロ組曲の全曲演奏をお願いした。その時よりももっとスケールが大きくなっているように感じた。小細工をしない。あからさまに盛り上げない。ありのままの自分を堂々と見せる。人生観がにじみ出る。それが素晴らしい。バッハを信頼して普通に演奏すれば、素晴らしい曲になることを知って、素直に演奏している・・・そんな感じがしてくる。ただし、実際にはその境地にいたるまで、様々な技巧を凝らしているのだろうと思う。

 石田さんは、山本さんとまったく別の音楽を作るように私には思える。見た目通りに、外連味にあふれ、スイッチが入るとぐんぐんと高揚していく。が、過度に感情移入するのではなく、知的に抑制する。諸田さんの知的で美しいピアノがそれを支えているのかもしれない。

 私には音楽性がまったく異なるように聞こえる石田さんと山本さんだが、「大公」では、ピタリと息があっていた。知的で小細工のない堂々たる「大公」。繊細でしっかりと構築されている。音のすべてが実に美しい。もしかすると、諸田さんのピアノによって、音楽性の異なる二人が息を合わせているのかもしれない。その点は見事だと思った。

 ただ、私としてはもっとピアノに自己主張してほしいと思った。諸田さんのピアノは絶妙にヴァイオリンとチェロをサポートするが、リードしてくれない。やはりこの曲はピアノが全体をリードしてほしいと、どうしても私は思ってしまう。

 アンコールは聞き覚えのある曲だったが、曲名はわからなかった。2曲目は日本の「故郷」をピアノトリオにしたもの。実を言うと、「ウサギ追いし・・・」というこの歌、実は私は大嫌いだ。じめっとして押しつけがましい。が、まあこのように編曲してくれると、それほど嫌味ではなくなると思った。

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義父の死、そしてクス弦楽四重奏団のこと

 66日に義父(妻の父)が亡くなったとの知らせがあり、10日に通夜、11日に葬儀だった。私は、仕事のために11日の葬儀には出席できなかったが、10日には通夜のために車で栃木県まで行き、日帰りした。

 享年88歳。1年ほど前に倒れ、一度は持ち直したが、その後、病院や介護施設に入り、一時帰宅を除いて家に戻ることはできなかった。覚悟はできていた。

 義父は、このブログを読んでくださっている方にわかるように言うと、マレク・ヤノフスキにそっくりの顔立ちだった。ヤノフスキをもっと柔和にして、少し東洋人風にすると義父の顔になる。ヤノフスキの指揮姿を見ると、義父をどうしても思ってしまう。

ヤノフスキのような厳しい人ではなかった。農家に生まれ、長年かなり広い農家を経営してきた人だけに自然とともに生きる価値観を持ち、理系の思考をし、与えられた状況の中で自分らしく生きることを前向きに考える人だった。愚痴を言わず、人生を嘆くこともなく、秘めた思いを口に出すこともなく、淡々と人生を楽しんでいた。私とは共通の関心がまったくないので、突っ込んで話をしたことはなかったが、ちょっとした日常の会話の中に鋭い知性と私にはない価値観をうかがえることが多かった。合掌。

なお、69日、「友引」のために不祝儀ごとは行われなかったので、武蔵野市民文化会館小ホールでクス弦楽四重奏団に赤坂智子のヴィオラが加わった弦楽五重奏曲を中心とするコンサートを聴いた。

若い弦楽四重奏団。第一ヴァイオリンの女性ヤーナ・クスに由来する名称のようだ。前半にモーツァルトの弦楽五重奏曲第1K174とクルターグという現代作曲家の弦楽四重奏曲「小オフィチウム エンドレ・セルヴァンスキを追悼して」。精妙なアンサンブルでしかもロマンティック。音程がびしっと決まっているが、鋭利にアグレッシブに演奏するというよりロマンティズムを感じる。

モーツァルトは特に素晴らしかった。多感で若々しいモーツァルトが浮かび上がる。ちょっとロマンティックすぎる気がしないでもないが、これはこれで実にいい。リズムも素晴らしい。クルターグの曲は、ウェーベルンを思わせるような断章的な音楽。音楽世界の音そのものを追及したような音楽。

後半のブラームスもとても良かったが、ただブラームス最晩年の男性的で深みある音楽が好きな私としては少し肩透かしを食らった感じ。若々しくも情熱的な音楽になっていた。若いころのブラームスのロマンティックな情感がにじみ出る。チェロがあまり表に出ないために、低音部が薄めで、そのため男性的な雰囲気が弱い。とはいえ、ロマンティックな盛り上がりは素晴らしい。第三楽章は抑制していた情熱がほとばしる。

アンコールはカッサシオンからアンダンテ。これもとても美しかった。

武蔵野市民文化会館に車で出かける間、重い暗い気持ちだった。車で武蔵野に向かう途中に、かつて恩師の葬儀の会場となった寺があるので、どうしてもそこを通ると、「死」を思う。が、若々しい演奏を聴いて救われた気持ちになった。

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関戸公民館ヴィータホールで樋口ゼミが協力して才能あふれる女性演奏家のコンサートを開催!

 627()、午前11時~午後010分、関戸公民館ヴィータホール(聖蹟桜ヶ丘駅徒歩1分。OPAのビルの8階)にて、樋口ゼミが協力したコンサートが開かれる。6月27・28日に開かれるTAMA女と男がともに生きるフェスティバル2015の一環。

 出演は田中樹里(ソプラノ)、村田千晶(ピアノ)、内田沙理(ヴァイオリン)、池田里奈(フルート)。いずれも才能あふれる若手として引っ張りだこの女性演奏家たち。曲目は、「トロイメライ」「ツィゴイネルワイゼン」「野ばら(シューベルト)」「アナと雪の女王よりLet It Go」「ノクターン作品9-2(ショパン)」など。

 なお、このコンサートには0歳から入場できる。小さなお子さんがいるためにコンサートに出かけられない方に一流の演奏家による素晴らしい演奏をお届けしたいと思って企画したものだ。

ぜひ多くの方においでいただきたい。入場は無料。きっと大きな感動を得られると思う。

 

日時 627()午前11時~午後010(1045分開場)

場所 関戸公民館ヴィータホール

対象 どなたでも

定員 200(申し込み先着順)

出演 田中樹里(ソプラノ)、村田千晶(ピアノ)、内田沙理(バイオリン)、池田里奈(フルート)

 

※ホール内は階段席。車いすでの入場可

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エル・ダンジュでの夕食、そしてロッシーニ・オペラの映像

 201565日、多摩市の本格的フランス料理の店エル・ダンジュで家族と夕食。私の大のひいきの店だったのだが、しばらく休店していた。再開したと聞いて、やっと時間を見つけて家族で出かけたのだった。久しぶりのシェフの味に家族全員が大満足。実の洗練された味。野菜もおいしいし、肉も魚もおいしい。料理に関しての知識がまったくないので、説明できないのがもどかしい。

 しばらく前から、時間を見つけてはロッシーニの映像を見ていた。その感想を書く。いやあ、ロッシーニのオペラはどれも実におもしろい!!

 

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「新聞(ラ・ガゼッタ)」 リセウ大歌劇場 
2005

 とてもおもしろかった。ただ、ほかのオペラで聞き覚えのあるメロディが続く。まず、序曲が「チェネレントラ」とほとんど同じ。

 ダリオ・フォーの演出は現代に舞台をとり、ダンスあり、パントマイムありのおしゃれで動きにあふれ、愉快なもの。色遣いが最高に楽しい。演奏も見事。

 リゼッタを歌うチンツィア・フォルテは容姿も美しく、声もきれいで役柄にぴったり。フィリッポ役のピエトロ・スパニョーリも演技もいいし、歌唱も素晴らしい。そして、なんといっても、ドン・ポンポーニオを歌うブルーノ・プラティコが芸達者で、舞台の楽しさを作りだしていた。ただ私には、アルベルトを歌うチャールズ・ワークマンが、音程が不安定に聞こえる。指揮はマウリツィオ・バルバチーニも快活でロッシーニ音楽を存分に楽しめた。

 

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「絹のはしご」 シュヴェツィンゲン宮殿内ロココ劇場 シュトゥットガルト放送交響楽団 
1990

 1990年というから少し古い映像。演奏も、現在のロッシーニ演奏からすると、ちょっと古臭い。ミヒャエル・ハンペの演出はかなりオーソドックス。しかし、それはそれでとても楽しめた。ジュリアを歌うルチアーナ・セッラとジェルマーノを歌うアレッサンドロ・コルベッリ、そしてドルヴィルを歌うデーヴィッド・キューブラーがとてもよかった。ジャンルイージ・ジェルメッティの指揮も今となっては手堅い感じ。

 

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「絹のはしご」
2009年 ペーザロ音楽祭 ボルツァーノ=トレント・ハイドン管弦楽団

 きわめて現代的な上演。現代の服装をした登場人物が早口でまくしたてる。ダミアーノ・ミキエレットの演出は現代のマンションを舞台にして、きわめて現代的な色遣いで鏡を使って斬新。オーケストラも歯切れがよく溌剌としている。シュヴェツィンゲン宮殿の上演とは別のオペラのように雰囲気が異なる。近年のロッシーニ上演の変化を強く感じる。もちろん、私は現代風のもののほうが好みだ。

 歌唱に関しては、ジュリアを歌うオリガ・ペレチャトコが圧倒的。容姿も魅力的で言うことなし。ブランザックを歌うカルロ・レポーレも愉快な歌いっぷりで憎めない女好きの雰囲気を出して実にいい。ルチッラのアンナ・マラファーシも女の二重性を上手に出している。ただ、ドルモンのダニエレ・ザンファルディーノは少し不安定。ジェルマーノのパオロ・ボルドーニャは音程をかなり外して苦しい。

 クラウディオ・シモーネの指揮は勢いがあって実にいい。歌手陣がもっと安定していれば、もっとずっと楽しめただろう。

 

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「タンクレディ」 フィレンツェ五月祭、テアトロ・コムナーレ
2005

 「タンクレディ」には、悲劇的な結末のフェラーラ版と、ハッピーエンドのヴェネツィア版があるが、これはフェラーラ版。

 タンクレディ役のダニエラ・バルチェッローナがやはり圧倒的。現在ではこの役はこの人ではないと考えられないほど。アルジーリオを歌うラウル・ヒメネスも安定しているし、悪役のオルバッツァーノを歌うマルコ・スポッティも堂にいっている。ダリナ・タコヴァのアメナイーデ役も可憐でいい。

 ただ、どうしても台本の不自然さが気になる。イタリアオペラではしばしば起こることだが、登場人物のだれもが何の証拠もなしに安易にものごとを信じて誤解が拡大し、ひとこと釈明すれば誤解がとけるのに、それをなぜか口にしないために悲劇へと突き進んでいく。作劇のパターンではあるだろうが、さすがにここまでひどいとリアリティを感じなくなってしまう。

 リッカルド・フリッツァの指揮はとてもいい。ドラマティックで生き生きしている。ピエール・ルイージ・ピッツィの演出も奇をてらったところがなく、わかりやすい。

 

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「アルミーダ」メトロポリタン歌劇場 
2010

 さすがメトロポリタン。演奏も演出も素晴らしい。このオペラに初めて触れたが、とてもおもしろい。アルミーダは「タンホイザー」のヴェヌスを思わせる。音楽も躍動的。ロッシーニにしては珍しく官能的であったり悪魔的であったり。とはいえ、そこはロッシーニ。ワーグナーのようにねちっこくなく、実にあっさりしている。そこがまたいい。

 何といってもアルミーダを歌うルネ・フレミングが圧倒的。愛に耽溺し、裏切られて復讐の鬼と化す魔女を見事に歌っている。実に蠱惑的。ゴフレードのジョン・オズボーンも切れの良い歌。ただ、リナルドを歌うローレンス・ブラウンリーは、私には音程が不安定にしか聞こえない。今年の1月にメトロポリタンのライブビューイングの「セヴィリアの理髪師」のアルマヴィーヴァでも感じたが、どうもこの人が主役を張るのは私には納得がいかない。

 指揮はリッカルド・フリッツァ。初めて聴くので何ともいえないが、歯切れがよく、ドラマティックな演奏であることは間違いない。メアリー・ジマーマンの演出はわかりやすくて、美しくてドラマティック。色遣いもいいし、実にセンスの良さを感じる。

 

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「ゼルミーラ」全曲(
1826年パリ稿)ペーザロ 音楽祭2009ボローニャ市立歌劇場管弦楽団&合唱団

 これは凄い! まず、オペラとして大変おもしろい。ロッシーニの傑作の一つだと思う。ドラマティックで躍動的な音楽、波乱万丈のドラマ。もちろん、ストーリー的にはあまりに不自然なところがあり、主人公たちのあまりの単純な行動に呆れるが、それを気にしなければ心から楽しめる。

 そして、この上演は演奏が素晴らしい。ゼルミーラ役のケイト・オールドリッチが、張りのある声で技巧的な歌を歌いまくる。容姿的にもとても魅力的。イーロのフアン・ディエゴ・フローレスも輝かしい声が素晴らしい。アンテノーレを歌うグレゴリー・クンデもフローレスに負けていない。しっかりとした美声で見事に歌う。エンマのマリアーナ・ピッツォラートも素晴らしい。

 ロベルト・アバドの指揮も溌剌としてドラマティックでスケールが大きい。ジョルジオ・B・コルセッティの演出については、 ともあれおもしろいが、ちょっとやりすぎの感がある。ギリシャ神話に基づく王権争いのはずなのに、登場人物は現代の服装。それはいいとしても、第一幕で、ゼルミーラが父に自分の母乳を飲ませる場面がある。驚いて、原作がそうなっているのかと思ってあれこれネットを探してみたが、どうもこれは演出によるものらしい。そこまでやることはないのではないか。

 

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「泥棒かささぎ」 
2007年 ペーザロ音楽祭

 とてもおもしろい。ダミアーノ・ミキエレットは色遣いもおしゃれ。かささぎを黙役のバレリーナが演じ、とてもチャーミング。ただ、私としては、第二幕が水たまりの中で演じられるのがどうにも気になる。歩きにくそうだし、そもそもその必然性が良くわからない。

 歌手陣については、ニネッタを歌うマリオラ・カンタレロが、ちょっと癖のある声ながら、容姿(ちょっと太めだけど・・・)も含めてとてもチャーミング。フェルナンドを歌うアレックス・エスポジトも見事。ただ、ジャンネットや代官やルチアやピッポ役が少し弱い。音程が不安定。外見を重視しすぎたのだろうか。

指揮はリュウ・ジャ、ボルツァーノ・トレント・ハイドン管弦楽団。ドラマティックでよいところも多いのだが、ところどころ不安定さを感じた。とはいえ、序曲だけが有名な子のオペラの珍しい映像として、大変楽しめた。

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カウフマンの「冬の旅」に魅了された

 201561日、ミューザ川崎シンフォニーホールで、ヨナス・カウフマンの「冬の旅」を聴いた。ピアノ伴奏はヘルムート・ドイチェ。言葉をなくす凄さ。終演後、ほぼ客は総立ちになった(ただし、最前列の女性たちが一斉に立ちあがったので、その後ろの人たちも否応なく立ち上がったという感じではあった)が、確かに、そうなってしかるべき演奏だった。

 まず、声が美しい。それだけでも歴代のあらゆるリート歌手を凌駕する。しかも、ダイナミックレンジがすごい。小さな声から大きな声まですべてを美しく響かせ、しかも、表現の幅が広い。とりわけ、ささやく声の美しさ、表現の巧みさに驚嘆する。ドラマティックに、そして悲しく、絶望感を漂わせ、青春の喜びや悲しみを言葉とメロディに含ませる。だが、それが少しもわざとらしくない。きわめて知的に構築しているが、それが嫌味に聞こえない。しかも、言うまでもないことだが、容姿がとびっきりいい。客の9割以上が女性だったが、これほど<いい男>なら、それも当然だろう。

「辻音楽師」はほとんど囁くように。もはや「歌」でなく、心のつぶやきになっている。しかも、そうでありながら、実に美しい。なるほど、この歌はこのような音楽だったのかと初めて納得した。

 ドイチェのピアノも最高に素晴らしい。しっかりと寄り添い、しかも主張するべきは主張し、ともにシューベルトの世界を作り上げていく。

 私はこれまでカウフマンの実演はザルツブルクの「カルメン」を見ただけ(映像は、10作以上見ているだろう)だったが、オペラだけでなく、リートにおいても、間違いなく現在の世界最高のテノールだとつくづく思った。今日は最高のリートを聴かせてもらった。

 今回は、昨年の10月に予定されていながら、カウフマンの都合でキャンセルになったリサイタルだった。そのせいか、空席が目立った。なんともったいないことだろう。しかも、実は私の席はダブルブッキングされており、私が席につこうとすると別の女性がすでに座っていた。チケットを見比べたら、まったく同じ席番号だった! 私の席だけでなく、周囲のいくつもの席で同じようなことが起こっているようだった。幸い、空席があったので、問題なく座ることができたが、満席だったら大変なことになっていただろう。

 実はシューベルトはどちらかというと嫌いな作曲家だった。が、これほどの「冬の旅」を聴くと、シューベルトの深い世界に納得せざるを得ない。シューベルトがこれほどの高みに達していたことに改めて驚嘆した。ものすごい説得力。ともあれ、大変幸せな時間を過ごすことができた。

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