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最近見たいくつかのオペラDVD 「オネーギン」「ヴォツェック」「マクベス夫人」

 実は途方もなく忙しい。大学の仕事のほか、停滞したままの原稿があり、編集者と打ち合わせ中の本が2冊あり、企業研修の文章添削が毎週続いており、岩手県奥羽市や横浜市での出張講義も行っている。一つ一つの仕事はやりがいのあることであり、それはそれで楽しいのだが、仕事が重なってどうにもならない。ロイヤル・オペラによる「ウィリアム・テル」のライブビューイングを見たいと思っていたが、結局、映画館まで行く元気が出なかった。

 そんななか、家で仕事をする気力がわかない時間帯を使って、これまでにいくつかのオペラの映像を見た。感想を書く。

 

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「ヴォツェック」
2010年 ボリショイ劇場

 「ヴォツェック」は大好きなオペラの一つ。テオドール・クルレンツィスの指揮が言葉をなくすほどすごい。鋭い音が重なり合い、緻密でドラマティックで狂気じみた世界を作りだす。音が炸裂するという言葉を使った方がよいかもしれない。しかも、十分にロマンティック。すごい指揮者だ。鬼才と呼ばれるだけのことはある。オーケストラも素晴らしい。

ディミトリ・チェルニャコフの演出は時代を現代にとり、ヴォツェックを現代のサラリーマンとして描いている。決して下層ではない、そこそこエリートのサラリーマンがバーに出入りするいかがわしい女マリーにのめりこみ、狂気に落ち込んでいく、ということか。最後の場面では舞台が12分割され、それぞれの部分で登場人物の家庭が描かれるのは、ヴォツェックだけでなく、登場人物全員、それどころか現代人全員が、孤立し、他者との交流をなくしていることを強調しているのだろう。とても説得力のある演出。

 指揮や演出の切れの良さに比べると、歌手陣はかなり弱い。ヴォツェックを歌うゲオルク・ニグルは知的な狂気をうまく描いているが、マーディ・バイヤーズのマリーやマキシム・パステルの大尉、ピョートル・ミグノフの医師、ロマン・ムラヴィツキーの鼓手長、ロマン・シュラコフのアンドレスにそれほどの迫力はない。とはいえ、全体的には特に不満ということはない。ぐいぐいと引き込まれて最後まで見た。

 

 

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「エフゲニ・オネーギン」 
2007年、ザルツブルク音楽祭

 

オネーギンを歌うペーター・マッテイが素晴らしい。第1・2幕では、高慢な嫌味な青年であったオネーギンは第3幕になって必死に愛を求める青年に変貌する。それを迫真の歌と演技で演じてくれる。容姿も含めて、まさしくオネーギン。タチアナを歌うアンナ・サムイルも、まるで往年のフランスの女優ジャンヌ・モローのような美貌(といっても、私はジャンヌ・モローに憧れた世代よりもだいぶ年下だが)と、美声によるしっかりした歌唱でとても魅力的。ジョゼフ・カイザーのレンスキーも決闘の場面では抒情的、フェルッチョ・フルラネットのグレーミンも堂々たる歌で文句なし。歌手陣は充実している。

私は第二幕のトリケの歌が好きなのだが、残念ながら短くカットされ、しかもフランス語でなくロシア語で歌われている。残念。ドラマを損なうと判断したのだろうか。が、私はこのトリケの歌があってこそ、オネーギンとレンスキーの仲たがいが浮き彫りになると思うのだが。

ダニエル・バレンボイムの指揮するウィーンフィルは、きわめてドイツ的なチャイコフスキーを作り上げる。チャイコフスキー特有のねちっこい抒情は影を潜めている。その点について第二幕まで少し不満だったが、第3幕のドラマティックな盛り上がりを見ると、これはこれで素晴らしかったのだと納得。

 アンドレア・ブレットの演出は、時代をソ連時代にとり、退廃した雰囲気を描く。現代的でおもしろいが、とくにソ連時代に設定した意味が良くわからなかった。

 

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「エフゲニ・オネーギン」英国ロイヤルオペラ 
2013

 もう一枚「エフゲニ・オネーギン」のDVDを購入。実は私は中学生のころからこのオペラが大好き。その昔(私にも多感な少年時代があった!)、涙を流しながらレコードを聴いたものだ。

 オネーギンを歌うサイモン・キーンリーサイドとタチヤナのクラッシミラ・ストヤノヴァが素晴らしい。が、それ以外の歌手については、ザルツブルクのDVDに比べるとかなり劣る印象を抱いた。レンスキーのパヴォル・ブレスリク、オリガのエレーナ・マクシモヴァは少し硬い。

 この演奏で圧倒的なのは指揮のロビン・ティチアーティ。鋭い音で切り込んでくるが、きわめて抒情的でドラマティック。少しお行儀が悪いとはいえるが、これほど音が生きていると、そんなことは忘れて音楽に夢中になってしまう。映像では謙虚そうに見える指揮者だが、なかなかの鬼才だと思う。

 カスパー・ホルテンの演出もおもしろい。全体をタチアナとオネーギンの回想として描いている。第一幕、第二幕の手紙の場面や舞踏会の場面、決闘の場面などで黙役のダンサーが登場してそれぞれの役を演じる。決闘の場面でも、キーンリサイドの演じる後年のオネーギンの前で、黙役の若きオネーギンがレンスキーを殺す。その後、回想するオネーギンはピストル自殺を図ろうとする。なかなかに説得力のある場面だ。これがあるから、第三幕のオネーギンの必死の状況が伝わってくる。

 

 

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ショスタコーヴィチ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」 フィレンツェ五月祭 2008年

 とてもおもしろかった。歌手陣がそろっている。その中では父親ボリスを歌うヴラディーミル・ヴァネーエフとセルゲイのセルゲイ・クニャーエフ、そしてカテリーナのジャンヌ=ミシェル・シャルボネがいい。男たちは身勝手で欲の深い人物を嫌味に、そして存在感たっぷりに歌う。シャルボネも生きる意欲を取り戻そうとする少々くたびれた中年女を好演。ただ、ヤンソンス指揮、クシェイ演出のDVDで歌っているウェストブロックの色気と魅力に心惹かれた私としては、その種の色香がないのは少々さびしい。

 指揮はジェームス・コンロン。鋭角的な音楽を誇張することなく、きわめて知的に、そして鋭角的に演奏してくれる。ひしひしと凄みが伝わる。ただ、もっと破壊的なところがあってもよいように思った。演出はレフ・ドディン。表立ってスキャンダラスなことはしないが、ぐらぐらと揺れる電灯でカテリーナとセルゲイの激しい性交を象徴するなど、音楽の意味するところは的確に表現している。私にとって特に思い入れのあるオペラではないが、改めて素晴らしい音楽だと思った。

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